大洗連合による懇親会から三日後、エリカは西住姉妹と共に彼女達の実家を訪れていた。姉妹の実家、つまりは西住流家元が住まう西住流の総本山にやってきたのだ。
帰郷の道中、懇親会での一連の事件の概要を、一応は聞かされている。戦車道界における西住流と対を為す流派、島田流の『姉妹』が、西住姉妹に勝負を挑んできたというのだ。懇親会開催の理由でもある大洗連合による大学選抜戦だった訳だが、その時相対した島田愛里寿が、みほに対しリベンジマッチを挑みたいと申し出た事がきっかけらしい。そこまでなら健全な戦車道精神が窺えて、とてもいい話に思える。雌雄を決算と鍔迫り合ったライバルが再戦を果たそうというのだ。エリカもこういう展開は嫌いじゃない。
だが、事はそう単純な事ではないようだ。今まで継続高校へ出奔していた隊長ミカ改め『島田フミカ』が、島田の実家へ戻り、正式に家督を継ぐ事を発表したのだ。そのミカの一大決心は今回の一件と大きくかかわっているらしい。妹、愛里寿に肩入れする形で、ミカがそのリベンジマッチへの参加を表明し、結果的に、島田流が正式に西住流に対して試合を挑んできたと、戦車道界隈は俄かに盛り上がった。
というのも、これまで西住流と島田流は、互いに鎬を削り合ってはいるが、直接対決をしたという記録は残っていない。西住流は高校戦車道、島田流は大学戦車道と、それぞれの縄張りで実権を握っていたが、干渉し合う事はほとんどなかった。だが、先の大洗連合と大学選抜の試合で互いに動かざる得なくなり、衝突。そして、それを契機に今回の、他の政治的な思惑の絡まない純粋な対決の場が設けられたのだ。
加えて、その世紀の対決を意図的に周知させた者がいる。聖グロリアーナのダージリンだ。先に政治的思惑の絡まない、と表現したが、それは今のところダージリンが目的を明かしていないだけで、島田側で参戦を表明しているダージリンは、何か高度な駆け引きを仕掛けてくるかもしれない。その恐れは十分にある。
とはいえ、だ。西住流は誰が相手であろうと退かないのが信条。結局、その場でミカ達からの挑戦をまほが快諾し、今現在も試合の準備は着々と進んでいる。家の名前を背負っての試合という事もあって、こうやって西住家に挨拶に伺っている次第である。
だが、だ。
「あの、西住隊長。私がこの場に居合わせるのは、いささか不自然ではないでしょうか?」
「師範、いや家元からのお達しだ。エリカも同伴させるよう言付けられている」
西住家の応接間で、背筋を正し家元である西住しほを待つ、みほ、まほ、そしてエリカ。まさかあの西住しほが自分を指名したとなると、いつもは強気なエリカも委縮せざるを得ない。
「…そうだよね、緊張、するよね」
「何言ってんのよ。あなたはここの家の人間でしょ?」
「そうなんだけど…」
まほはいつも通りの冷静沈着な様子だが、みほとエリカはどうしても所在なく感じてしまう。エリカは言うまでもなく、憧れの西住家に立ち入っているという畏れ多さから。みほも、家を飛び出した身でありながら、再び西住流を騒動に巻き込んでしまったという後ろめたさから、しほとの面会を戸惑っている。みほの場合、未だに大洗に転校して以降、母と口を利いていない。どんな顔をしてしほに会えばいいか、分からずにいるのだ。
「二人とも落ち着け。もうじきお母様がいらっしゃる。静かに待っていなさい」
そうまほに咎められ、大人しく場の流れに身を任せるみほとエリカ。ただ、そう言われたところで結局心落ち着いて家元を待っていられるような状況ではない。エリカも何度か西住家を訪れた事はあるが、しほとこうして直接顔を合わせる事はほとんどなかった。尊敬する西住流の家元に名指しで呼ばれる理由が、エリカには覚えがない。
(私、何かお叱りを受けるような事してしまったかしら?)
例え、もしそうだとしても、西住姉妹と同時に呼ばれるのはおかしな話だ。と考えれば、みほとまほを呼び付けた理由が関係していると推測できる。島田流との対決の件で、エリカも呼ばれたという事だろうか? 考えれば考える程、エリカはここにいる意味を見失ってしまう。
と、そうこうしている内に、座敷の襖が開き、三人は一斉にそちらを見やる。
「菊代さん?」
みほとエリカは呆気に取られてしまう。家元かと思えば、そこにいたのは西住家のお世話係、井手上菊代であった。
「まほお嬢様、奥様は群馬に発たれました。ですので、私が代わりに皆様へ、奥様の言伝をお伝えします」
そう言って、菊代は敢えて上座の席へ腰を下ろす。本来であれば、家の者であるまほやみほを客間に招く事も、ましてや下座に座らせる道理はない。だが、敢えてそうする事で、これから伝える事が家元西住しほからの言葉であると、改めて再認識させる目的があったのだろう。もちろん、みほやエリカは俄かに安堵したからと言って、菊代の言葉を軽んじるつもりはない。
「それでは。まず、今回の一件、全てはまほお嬢様に一任するとの事です。つまりは、采配、作戦指揮等、全てはまほお嬢様に全権を託すという事です」
「はい、心得ています」
まほはさも当然と言うように、何の動揺も見せずその言葉を素直に受け入れる。もちろん、まほは事の重大さを分かった上で、承服している。互いの流派の威信を賭けた戦いの全てを、まほに委ねると言われて、尚この冷静さを保つのである。鋼の心、ここにあり、だ。
「そして、みほお嬢様」
「はい」
まほへの要件は以上で済んだのか、みほへ向き直り、菊代は真剣な面持ちで短くこう告げる。
「奥様が最後に向けた言葉を覚えていますか?」
みほは一瞬静かに目を伏せ、ゆっくり開くと首肯を以って応じる。
「はい、『西住流は何があっても前へ進む流派。強き事、勝つ事を尊ぶのが伝統。犠牲なくして大きな勝利を得る事は出来ないのです』って」
「さすがですね、みほお嬢様」
みほの一言一句違わぬ答えに満足げに微笑む菊代。みほが母の言葉を諳んじる事など、造作もない事だ。みほはクラスメイト全員の名前と誕生日を暗記している女の子だ。黒森峰に在籍していた時も、大勢いる隊員全員の顔と名前を憶えていたほどだ。これくらいの事は、答えられて当然。
「では、改めて伺います。奥様が仰られた『大きな勝利』について、どうお考えですか?」
菊代も、みほがしほの言葉を覚えている事など先刻承知。本題は、その内容に対する認識、理解が出来ているかという問題だった。先程は難なく答えて見せたみほも、この問いには言葉を詰まらせる。
「それは、その…」
実を言えば、当時母に叱責されたショックが大きく、耳に届いていたものの、その中身を真剣に考える事はなかったのだ。優勝を逃した直後だった為に、その事について詰られていると思っていたが、ここで改めて問い質されるという事は、前々回の決勝の事を言っているのではないのかもしれない。
「みほお嬢様が分かっておいでにならないのは、無理もない事かもしれません。もちろん、こう問うからには、全国大会の優勝を指すのではない事はお察しかと思います」
「…はい」
「西住の娘として知っておくべき事ではあるのでしょう。ですが、それを私の口から申し上げてしまうのは、約束を違える事になってしまいます。ですので、みほお嬢様には、未だ知らぬ『大きな勝利』なるものが存在するという事を心に止めておいてください」
「分かりました」
釈然としないながらも、そう頷くみほ。西住の娘として、と言うのであれば、まほはその事を知っている事になる。みほに話していない、全国大会よりも大事な目的とは何なのだろう? みほはまだ母の真意を知り得ていない。
と、みほへのアドバイスが告げられたところで、いよいよ菊代の視線はエリカに向けられる。内心、自分が呼び付けられたのは何かの不手際だったのでは?と疑っていたエリカは、予想外に自分にも用向きがあるのだと悟り、一層緊張感を高める。
「お待たせしました、逸見エリカさん」
「初めまして、逸見エリカです。お邪魔させていただいてます」
エリカの返礼にふと笑みを見せたかと思うと、姉妹達に向けるのとは違った真剣な表情がエリカに向けられる。
「本来こちらから出向くべき要件なのでしょうが、ご足労いただき感謝します」
「いえ・・・」
「改めまして、私は西住家で奥様のお手伝いをさせて頂いている井手上菊代と申します」
「・・・はぁ」
エリカが未だ困惑しているのは菊代の立場が関係しているだろう。菊代は家元しほの代役、つまりはこれから彼女が語る言葉は、しほがエリカに伝えようとしている言葉という事になる。叱責であれ、激励であれ、次期黒森峰隊長となる自分に向けられる言葉なのだろうという事は推測できる。ただ、これまでの直近三年間はまほが隊長を務めていた為、これまで師範から歴代隊長へ訓示が授けられていたかどうかなど、他の隊員は知る由もない。その事が、エリカを所在なくさせてしまうのだ。
そんなエリカの様子に気付いてはいるだろうが、菊代は諭す事もなく、真剣な調子で話を切り出す。
「今回逸見さんにお越しいただいたのは、この件をお受けいただきたいと思っての次第です」
(白封筒?)
そう言って、菊代は一枚の封筒をエリカに差し出す。座卓の上に置かれた封筒に目を落とすと、予想もしない文字が躍っている事に気が付いた。
「戦車道連盟、スカウト部門・・・?」
「はい、私、奥様の勧めで連盟のお手伝いをさせて頂いています。逸見さんも二年後の世界大会の事はご存知ですよね?」
「はい、もちろん存じ上げています。つまり、これは・・・」
そう応えて見せるエリカだが、僅かに声が震えてしまったのを自分でも自覚している。このエリカの前に出された封筒の中身を見るまでもなく、菊代が何を言わんとしているのか察しがついたのだ。いや、ついてしまったのだ。
「これは、日本代表選抜試験の招集という事ですね」
「理解が速くて助かります。お察しの通り、逸見さんに、二年後の世界大会に向けた日本代表の選考会へ参加していただきたいのです。黒森峰の新隊長という事もあり、資格は充分と判断しました」
「・・・ありがとうございます」
西住の家の人間からこれ以上にない評価を頂いているというのに、エリカが物怖じした態度を晒してしまうのは、菊代がまだ本題に入ってないからと感じているからだ。本来であれば、この場で小躍りしたいくらいの事態だ。まほと同じ日本代表の選手として、世界大会という大舞台に立てるかもしれないのだ。こんなにうれしい事はない。だが、エリカにはこの封筒さえも話の枕と思えて仕方がない。菊代が選考会の話を伝える為だけにエリカを呼び付けた訳がない。それなら、投函するだけ用件は済んでしまう。わざわざ呼び付ける必要がない。このタイミングで、西住姉妹に同伴させて、西住本家に招いたという事には、何かの意味がある。
警戒を解かないエリカの予想通り、菊代は更に言葉を紡ぐ。
「ただ、現状では代表候補に推薦する材料が弱いのです。名門黒森峰の隊長として任命こそされましたが、その黒森峰も二年連続の準優勝。その結果もあって、黒森峰というブランドは以前ほどの価値がありません」
菊代は先程と一切変わらぬ様子で、辛辣な評価を述べる。目の前に、その結果を招いた張本人達が居合わせるというのに、表現を和らげるつもりもないらしい。苦言を呈されるかも、とは覚悟していたが、まさかそれを西住姉妹と共に聞かされる羽目になるとは夢にも思わなかった。
遠回しに詰られている姉妹は、菊代の言葉に口を挿まない。全ては事実として受け止めているのだ。優勝に導けなかった責任と、それを阻んでしまった負い目がある為に。ならば、エリカがそれに異を唱える事は出来ない。黙って聞いているしかない。
「こちらの判断では、逸見さんは充分に代表候補足り得ると見ていますが、余所様が同様とは限りません。コネで推薦されたとあらぬ疑いを掛けられてしまう恐れもあります」
ここまで言われて、ようやくエリカにも菊代が何をさせようとしているのか理解が及ぶ。
「外に対し、証を立てなさい、そういう事でしょうか?」
「まほお嬢様の教育の賜物でしょうか。来年の全国大会が本当に楽しみです」
菊代の反応はエリカの問いに是と答えたようなもの。エリカの端的な理解力を評価しつつも、まほが黒森峰に残した財産にも満足しているようだ。
「それで、具体的には何をすれば?」
「もちろん、今回の島田流との試合に参加していただきます。あなたも西住流門下の人間です。西住の威信を賭した戦いで、その実力を存分に振るってください。相手は忍者戦術島田流、黒森峰未だ健在を知らしめるには絶好の機会と存じますが、いかがでしょう?」
そう問われても、エリカに断る理由はない。尊敬するまほと、そしてもう二度と一緒に戦車道をやる事は適わぬと諦めていたみほとチームを組む事が出来るのだ。加えて、その結果居次第では、今後に控える世界大会にも西住姉妹と出場できるかもしれない。願ってもない好条件に、エリカは即答して見せる。
「西住流はどんな事があっても前に進み続ける流派です。新隊長としての初陣とまほ元隊長の花道、見事勝利で飾ってみせます!」
エリカが力強く宣誓に、満足げに頷く菊代。しほから言い付けられていた姉妹への言伝と、自らの独断での仕事をやり遂げた菊代の心は、愛憎に塗れた達成感で満たされていた。
(お嬢様達の味方は少しでも多い方がいい。奥様には申し訳ありませんが、奥様から頂戴した御役目、もう少し利用させていただきます)
西住姉妹とエリカが本家を訪れていたその頃、聖グロリアーナのダージリンは、花の園に客人二人を招いていた。
その部屋は、ノーブルシスターズと呼ばれる選ばれし者だけが入室を許される聖域。その部屋の主であるダージリンが招いた客人であれば問題ないのだが、その日に限っては同時に違和感も内在している。
「あなた自らこのカチューシャをもてなしたいだなんて、随分殊勝な心掛けじゃない、ダージリン」
「先日はしたない姿を見せてしまったお詫びですわ。偶にはこうして三人で紅茶を頂くのも悪くないでしょう?」
「はい、ダージリンさんの紅茶を楽しみに参りました」
ダージリンに招かれた客、それはプラウダの地吹雪のカチューシャ、そしてブリザードのノンナ。部屋にはこの三人しかいない。本来であれば、次期隊長のオレンジペコがいてもいいものだが、今日は同伴していない。オレンジペコの淹れるお茶は、格別に美味しくダージリンはいつも彼女に淹れさせている。だが、今日は敢えて席を外させている。これから三人で興じる政治的な話を、無垢なるオレンジペコに聞かす訳にはいかないというダージリンの配慮である。
「それで、ダージリン。先日の件なんだけど、ちゃんと納得できる説明をしてもらうわよ?」
「あら、どこか不満な点があったのかしら?」
ティーカップを持った手をダージリンに向けながら、カチューシャは説明を要求するが、ダージリンは澄まし顔でとぼけて見せる。白々しい態度自体はいつもの事だが、どことなく様子がおかしい。ダージリンと付き合いの長いカチューシャは、その違和感に気付いている。
「オーダーの事よ。どうして私のチームに継続高校がいるのよ! そういう事は私に先に相談しなさいよ」
「逆です、カチューシャ。私達がミカさんのチームにお邪魔しているんです」
ノンナが手短に認識の間違いを指摘する。今回のメインは飽くまで『島田姉妹』だ。カチューシャもその事は事前に聞き及んでいたが、噛み付かずにはいられない。プラウダ高校は、戦車の盗難に関して継続高校と一悶着あった。その為に、カチューシャは継続高校の事があまり思わしくない。ただ、ノンナはそれを承知で試合への参加を表明している。怜悧な美貌に秘めたる思いがあるのか、ノンナは多くを語らない。
「ふん、実はミカが島田流の娘? 何よそれ? ・・・というか、そもそもこの試合は、何の為の試合なの?」
このマッチングでは自分が蚊帳の外にいる気がしてならないカチューシャ。そのような状況など、プライドの高い彼女が許せるはずがない。
「言ったはずよ、島田愛里寿さんのリベンジマッチを・・・」
ダージリンが何度目かになる開催理由を告げようとするが、カチューシャはそれを全て言い切らせない。
「それも気に入らないわ。こないだの試合から一か月も経っていないのよ? 時間を空けずに試合がしたいだなんて、まるでこないだの結果に文句を付けているようなものだわ」
通常であれば、同じ組み合わせの試合を戦車道連盟も認可しない。訓練を積まずに試合をする事に意味がないという理由からだ。戦車道の試合を人試合設定するにも莫大な費用が掛かる。一個人の要望などいちいち汲んでいられない。
だが、連盟が前回以上の手際の良さで事を進めているのは、個人の思惑を遥かに超える何かがある事を物語っている。正統後継者が正しく相対する西住流と島田流の対決、それに便乗して何かを為さんとする者は少なくない。連盟や文科省が積極的に準備をしているという事は、ただ島田愛里寿の我侭が通っただけ、という訳ではなさそうだ。
「確かに一理あるわね」
おおよその事情を知っているダージリンだが、敢えてそれを口にしない。一枚噛もうとしているのは何も大人だけではないのだ。この淑女も、そして黙し続ける美貌の狙撃手も、カチューシャには話せない腹積もりがある。
「まぁ、この偉大なるカチューシャが相手チームにいたんじゃ、言い掛かりを付けたくなる気持ちも分からなくもないわ。だから、今度は私やダージリン、継続のミカを引き込もうという魂胆ね。なかなか見る目はあるわ」
ダージリンがわざと真実を隠し続ける為、カチューシャも思わず都合のいい解釈を取ってしまう。普段ならば、信頼できる同志が助言を与えるのだが、ノンナは隣で優しく微笑むだけ。
「そう、納得してもらえたみたいでよかったわ」
「いいえ、納得なんて全然できてないんだから。百歩譲って、島田愛里寿が強力な助っ人を望んだとしても、その試合に何の意味があるというのかしら? 黒森峰がどういうオーダーで来るか知らないけど、こっちにはミホーシャを破ったばかりのカチューシャ達がいるのよ。そこへ西住まほが加わった程度でこのパワーバランスは覆らないわ」
カチューシャが言いたいのは、戦力差の事だ。島田側の選手は、いずれも全国区のタレント揃いだ。ダージリンとカチューシャはエキシビジョンマッチで大洗を下しているし、ミカは大学選抜戦において単騎でパージングを三両、島田愛里寿に至っては十一両の相手戦車を撃破している。いくら相手がその名も轟く西住姉妹だからと言って、決して容易な相手ではない。
そんな強大な戦力を以って西住流を叩き潰す事が、本当に島田愛里寿の望んだリベンジマッチなのだろうか? それがカチューシャには解せないのだ。ただ勝つ事だけで満足するような人間には、どうしても見えない。
「勇ましいのね。でも、それくらいでなくちゃ困るわ。もちろんわたくし達が勝つのは先刻承知よ。ただ、愛里寿さんは何も勝つ事に拘っている訳じゃないの。ううん、勝ちたいとは思っているだろうけれど、それ以上に純粋にみほさんと試合がしたいと言っているだけなのよ、『彼女は』」
意味ありげに、彼女は、と付け加える。言う通りなのかもしれない、愛里寿はただみほと戦車道がやりたいだけ。そこにいろんな思惑を持った者達が群がってきている。構図の説明としてはそれが一番適切だろう。
「ふぅん、ミホーシャったら人気者ね。それで、そこにダージリンが一枚噛んでやろうと思った理由は何?」
カチューシャも流石に気付く、この女狐が何かを目論んでいる事は。これまでの説明は、全てを明かしてはいない。愛里寿が過剰な戦力を望んでいないのであれば、誰がそれを望んだのだ? それはカチューシャの場合、ダージリンからの要請があったからな訳だが、では、ダージリンは? 誰かから依頼されたのか、あるいは自ら名乗り出たのか。それを問い質さない限り、今日の紅茶は苦いままだ。
「卒業前の思い出作り、と言ったら納得してくれるかしら?」
「つまらない冗談は止しなさい。そんなんじゃ、あの猿芝居の理由にはならないじゃない。あなた程の淑女面した女が、他の生徒が見ている前で泣き真似するには余程の事があるんでしょ?」
カチューシャの言う猿芝居とは、先日の慰労会での事。ダージリンはまほを誘き出す為に一芝居打っている。当時は突然の事に困惑したカチューシャだったが、その後ケロッとしたダージリンから試合の打診を受けて、あれが演技だった事に気付いたのだ。
「そうね、余程の事かどうかは別として、解消したい事があるわ」
「解消したい事?」
「先日も話したのだけれど、西住姉妹の事よ。私は結局、全国大会であの二校を倒せていないのよ」
ダージリン率いる聖グロリアーナは、準決勝の時点で黒森峰に敗北している。三年間の通算で一度として黒森峰に勝てていない。他校を見ても、今年の大番狂わせを除けば唯一土を付けたのが昨年のプラウダだ。ダージリンが黒森峰に拘るというのは、親交の深いカチューシャにとっても意外な事だった。
「相手が西住流だから参加するっていうこと?」
「そうよ。だから、無様な真似をしてでもまほさんを誘い出す必要があったのよ。もちろん、正式な書面を通せば断りはしなかったでしょうけど、直接まほさんから聞きたい事もあったし」
そうまでして西住まほから何を訊き出したかったのか。興味はあったが、それを訊けたのならそれは目的の為に恥を晒したダージリンの功績だ。何も手を汚していないカチューシャは、それ以上は言及できなかった。
「そういう事。今回はそれで納得してあげるけど、これ以上私に黙って下手な腹芸を見せる事は許さないんだから。もし次にこんな真似をやったら・・・」
「・・・シュクセーね。分かっているわ。時にカチューシャ?」
「なによ」
「貴女はもう進路を決めたのかしら?」
「なぁに、将来性豊かなカチューシャの展望が気になるの? 教えてあげてもいいけど、私は能力至上主義なの。私の部下にロンドンの妻は必要ないわ。あなたがどうしてもと言うなら、お茶汲み係くらいにならしてあげてもいいわ」
途端に饒舌になるカチューシャ。カチューシャにも誰にも話していない計画がある。もちろん、淑女や吹雪のそれとは違い、純粋な誰もが幸せになれる計画と言う違いはあるが。
「そう。考えておくわ」
ロンドンの妻、つまり役立たずと評されても淑女は顔色一つ変えない。ダージリンはそれさえ聞ければ十分だったのだ。カチューシャは経営者になろうとしている。おそらく、大学へは進学せずに高校卒業と同時に起業しようと考えているのだろう。自分を慕ってくれる者達の働き口を用意しようと考えている事は、その誇らしい語り口から容易に想像できる。となれば、ダージリンのやり方はまた変わってくる。
「そういえば、ノンナさん。先日の慰労会では黒森峰の新隊長と一緒に居たみたいだけど?」
わざとらしく話題を振るダージリンに対し、ノンナはどう思っているのか? その鉄仮面振りでは想像すら難しい。
「はい、逸見さんと少しお話を」
そう答えたきり、俯き顔を伏せるノンナ。
「エリーシャと?」
カチューシャは知らなかった。確かにあの時、ノンナは自分の傍に侍っていなかったが、その行き先がエリカの元だったという事を。ノンナは自分の事を多く語りたがらない性格ではあるが、これまでは特別その事を気に掛けた事がなかった。追及してもはぐらかされるのはいつもの事だったし、カチューシャがノンナに翻弄されるのは日常茶飯事だったからだ。
だが、今回は少し様子が違うように感じる。いつもならば含みを持たせ「気になりますか?」とでも切り返し、主導権を握ろうとするノンナが、まるで秘め事を知られた少女のようにしおらしくしているのだ。こんなノンナを、カチューシャはこれまで見た事がない。ダージリンと言い、ノンナと言い、今日はどうも様子がおかしい。
「差し支えなければ、どんな話をしたのか訊かせて下さる?」
そう言ってしまえば、ダージリンの勝ちが決まったようなものだ。要求通りに応えれば目論見通りだし、拒否すればそこに人に言えない何かがあると主張してしまう事になる。だが、ノンナもノンナでやられっぱなしな訳ではない。
「大した事ではありません。西住まほさんの進路について伺っただけです」
「まほさんの・・・?」
途端にダージリンの表情が曇る。元々、別の目的があって牽制した訳だが、思わぬ所で地雷を踏み抜いてしまったものだと後悔した。ダージリンはまほの進路を知らず、機会があれば聞きたいと思っていた。それを知ってか知らずか、ノンナは意趣返しと言わんばかりに、それをダージリンに突き付ける。ノンナもダージリンも、お互いの眉間に銃口を向けてはいるが、引き金は戦車の履帯のように重い。それ以上、互いの領域に足を踏み込めば、自分の命はないと承知し合う。
「なによ、ノンナったら。あんな女の事なんか気にしないで、カチューシャの心配をしなさいよ。ダージリンが西住まほを変に挑発するせいで肝を冷やしたんだから!」
自分が話題から取り残されているのが気に入らないカチューシャは癇癪を起こす。ただ、二人の策士にとってはそれが救いだったかもしれない。銃口はそっと降ろされた。
「そうね、もっと楽しいお話をしましょう。まだお菓子があるのよ、存分に召し上がって頂戴」
微妙な感情を湛えたまま、秘密の園のお茶会は続くのであった。
お茶会が純粋にお茶を楽しむ本来の趣旨に戻った頃、西住の家紋があしらわれたヘリコプターが群馬の地に降り立った。
その中から現れたのは、長い黒髪のスーツ姿の女性、西住流家元、西住しほだ。
そして、その客人を招く家の主、赤い衣装の映えるブロンドの女性、島田流家元、島田千代。
千代はしほを応接室に招き入れ、早速、当主自ら御出でなすった本題に入る。
「次はわだかまりのない試合を、とは言ったけれど。こんなに早く次の機会が来るなんて思っていませんでしたわ」
「表向きは、そちらの息女が願い出たという事を忘れないで頂きたい」
そう表向きは、千代の娘、島田愛里寿の要望と言う事になっているが、実際はそうではない。
「ようやくドイツから留学の案内が来たみたいですね?」
「留学、か。人質の間違いじゃないのかと思えますが」
今回の二人の目的は、この件について話し合う事。というのも、第一回戦車道世界大会から親交のあるドイツの名門シュバルツバルト高校から、姉妹校である黒森峰女学院に留学の誘いが来たのだ。
数十年前、連盟の腐敗や競技としての人気低迷もあって、日本は戦車道の氷河期を迎えていた時期があった。その頃に黒森峰を支援してくれたのがこのシュバルツバルトである。第一回世界大会決勝戦で正々堂々と一騎打ちを申し出た日本戦車女子の精神にドイツ選手が感銘を受け、その一件以来ずっと友好関係が続いている。その為、黒森峰としても、当時の恩があり無碍には出来ないという事情がある。
加えて、ドイツは戦車道が日本以上に盛んで、国際大会の開催経験もある。二年後に世界大会を控える日本としては、これを機会に視察に出向きたいというのが連盟や文科省の企み。そして、二つの流派は自らの後継者の成長の機会として、良い話だと考えている。故に、今後の日本戦車道での発言力やパワーバランスを考慮すれば、是が非でも物にしたい案件なのだ。
テーブルを挟んでソファに腰掛け、正面に向き合う二人。空気は前回の比ではない程に張りつめている。前回は試合の了承を得る為に、今回同様にしほが島田邸へ出向いた。あの時の千代は形式上とは言え、しほの家元襲名を祝う言葉を掛けられる余裕があった。しかし、今回は立場が同じになってしまったが故に、決定的に相容れない形になった。
だが、その緊迫した状況も長くは続かなかった。しほの抜き差しならない様子に嫌気が差したのか、千代は怪訝そうな顔を浮かべ、溜息を吐いてみせる。
「かたっ苦しいのは止しましょう。あなたといると只でさえ気が滅入るのよ」
「それはこちらも同じ事。いえ、こちらは移動の分余計に疲れているわ。用がある貴女が熊本へ足を運びなさい」
元々旧知の中である二人は、肩肘張った態度を和らげ、砕けた態度を取る。同じ家元と言う立場上、なかなかこういう事もないが、本来は共に戦車道に励み切磋琢磨し合った戦友同士。これが二人の本当の距離感なのだ。
「言ったはずです。これは、前回の貸しだと。私が承認しなければ、貴女の次女はまた転校する事になっていたのんですよ?」
「そうなれば、再び黒森峰女学院に戻すまでの事。私は大洗女子学園生徒会長の嘆願に賛同しただけです」
お互いに譲らないのは昔からの事。特に、しほが常夫と恋愛結婚してからは、特に女同士の激しい戦いを見せるようになった。
「ふん、相変わらずの減らず口ね。まぁ、いいでしょう。今回改めてどちらの流派がより優れているか決着できるのですから」
「それに乗じてドイツ留学の権利を奪おうなどと、盗人猛々しいにも程があります。元々、姉妹校であるシュバルツバルト高校から我が黒森峰に打診があったのです」
「えぇ、存じているわ。でも、打診があったのは『高校』に対し、でしょう? 長女のまほさんは卒業してしまうのだから、まほさんを高校へ留学させるのは筋違いなのではなくって?」
「まだまほと決めた訳ではありません。黒森峰には優秀な生徒が多数在籍しています」
「相変わらず苦しい言い訳。次女が黒森峰に留まって、いえ戻ってくれさえすれば、こんな悩みとは無縁でいられたでしょうに。まだ破門を告げた訳ではないのでしょう?」
しほにとってこの上なく痛い所を突かれている訳だが、反撃する手段がない訳でもない。
「一度出奔した長女を改めて迎え入れた島田流家元に、娘との接し方をご教授願いたいものです」
これまで僅かに優勢だった千代も、それを言われては返す言葉がない。舌戦は依然五分の状態が続く。
「ふっ、確かにフミカが家へ戻った事は私も驚きです。先日の試合で思う事があったのでしょうが」
島田家長女のミカは、戦車道の流刑地と噂される継続高校へつい先日まで飛ばされていた。島田流の子として生まれ、忍者戦術と謳われる島田流の戦車道を叩きこまれた訳だが、ある日突然家を出たいと申し出た。元々、家の縛りを嫌う素振りを見せていたが、それでも戦車道に関しては逃げる事をしなかったミカだ。母、千代も驚かされた。
そして、ミカは戦車道こそ盛んだが、設備や資金が十分でない継続高校へ入学させられた。本人としては、家柄を気にせず戦車道に励めるとあって何の文句もなかったが、千代は気にせずにはいられなかった。ミカが出奔して以来、師範としての重圧からか、以前にもまして次女の愛里寿に愛情を注ぐようになった。愛里寿も生まれつきミカに劣らぬ才能を持って生まれ、小学校在学途中で飛び級させ、大学に編入した。千代が一身に英才教育を施すようになり、愛里寿はその期待に違わぬ立派な戦車女子に育った。
その愛里寿も先日の試合を機に、高等教育を受けたいと言い出し、今は戦車道の盛んな学校を見学して回っている最中だ。娘達は、期待通りに育ってくれた反面、親の想いに反して自ら進路を選ぼうとしている。
「それはともかく、今回の試合で島田流が勝利し、ドイツ留学の切符を頂きます。フミカや愛里寿にはいずれ日本の戦車道を担ってもらわないといけませんし」
「戦車道にまぐれなし。一度、敗れておきながら往生際の悪い事。なんなら、ウチの門下で再教育してあげましょうか?」
存分に啖呵を切り合う家元同士。これ以上ヒートアップしては収拾が付かないのは長い付き合いから互いに承知だ。一頻り言い尽した後は、戦車道に倣って礼を重んじる。
「では、そろそろ失礼します。次に会う時は、試合会場で会いましょう」
「えぇ、わだかまりのない試合。楽しみにしていますわ」
家元達が会合を終え、しほが退出しようとしているその様子を、窓の向こうから覗き見ている者がいた事を、しほも千代も気付いていなかった。
「本当に、戦車道には人生に大切なすべての事が詰まっているね。そうは思わないかい、みほさん」
チューリップハットを目深にかぶった少女は、そう独り言を漏らすと、いつの間にか島田家の庭園から姿を消していた。そして、しばらくした後、どこからかともなくサッキヤルヴェンポルッカの旋律が、誰もいない庭で奏でられていた。
女達の舌戦。ついには大人達の思惑までもがエリカ達を翻弄していく。今後、加速度的に展開していく西住サンドをお見逃しなく!