辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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94 大洗女子が、守ったもの

 

唐突なインターフォンの音に、芹澤が狼狽した。

その様子から、芹澤の仲間がやってきたのではないことは明白だった。

芹澤が僕を睨んだ。

 

「どういうことだ」

「わからない」

 

僕は首を振った。

本当に意味が分からなかった。

 

「くそっ! 訪問販売か何かか? だがここはセキュリティマンションだぞ」

「お前と同じように、誰かが入った隙に一緒に入ればいいだけだ」

 

「……やり過ごすか」

 

音を潜め、じっとしているともう一度インターフォンが鳴った。

 

「誰が来ているんだ?」

 

小声で芹澤が呟くと同時に、ドアをたたく音が聞こえた。

芹澤の体が音に反応してびくんと震えた。

続いて、ドアの外から声が聞こえた。

 

「おぉい、辻さん。いるんでしょ? 返事してくださいよぉ。どうしちゃったんですかぁ?」

 

今度は僕が狼狽する番だった。

 

「人を呼んでいたのか!?」

 

驚いて尋ねる芹澤に僕は首を振った。

 

「そんな覚えはない」

「立て!」

 

芹澤が僕の縄を外し、僕が逃げないように注意を払いながら慎重に立ち上がらせた。

先ほどのようにエルボーを食らわせられないように、右腕を警戒しながら僕の背中を押す。

 

「ゆっくりと歩け。誰が来ているかチェックするんだ」

 

僕は頷いた。

逆らってもどうしようもない。

むしろチャンスを待つべきだと思った。

僕はゆっくりと音をたてないようにドアに近づき、ドアスコープから外をのぞいた。

ずんぐりとした田舎くさい男が立っていた。

40代後半ぐらいだろうか。

髪はやや長めで、サラリーマン風ではない。

青いネルシャツの上に黒いジャンパーを羽織っていた。

見覚えがあった。

篠崎代議士が買収した雑誌の記者だったはずだ。

確か、佐古という苗字だったか。

 

「見覚えがあるのか?」

 

耳元で芹澤がささやいた。

僕は小さく頷き、

 

「雑誌の記者だ」

 

と言った。

 

「雑誌?」

「あぁ。篠崎代議士の知り合いだ」

「なにか嗅ぎ付けたというのか?」

 

芹澤が悔しそうに歯を食いしばる。

その間にももう一度インターフォンが鳴った。

 

「辻さん、いるんでしょう? 開けてくださいよ。私ですよ。以前お会いしたことある佐古です。学園艦の記事でお世話になったものです」

 

芹澤が大きく息を吸う音が聞こえた。

どうすればいいのか判断がつかないという様子だった。

 

「ちょっとお尋ねしたいことがあるんです! 開けてください。それとも何か、開けられない事情でもあるんですか? 救急車でも呼びましょうか?」

 

救急車という言葉に芹澤が反応した。

人を呼ばれると不味いことになると思ったのだろう。

舌打ちをしながら、ドアノブに手をかけた。

ドアを開くと同時に、佐古の手をつかみ、マンションの中に引き入れた。

佐古が小さく悲鳴を上げた。

その声が終わらぬうちに、芹澤の右手が顔面を殴っていた。

僕はその瞬間を見逃さなかった。

がら空きになった背中に向けて突進し、力の限りに蹴りを入れた。

芹澤の体が左方向へと薙ぐように倒れる。

佐古が僕を見た。

 

「佐古さん、そいつを殴って!」

 

僕の言葉を理解し、即座に芹澤に飛び掛かった。

右の拳で鋭いストレートを芹澤の顔面に撃ちこんだ。

鈍い音がした。

芹澤の後頭部が、床に強くたたきつけられた音だった。

続いてもう一発、拳を芹澤の頭に入れた。

芹澤が沈黙した。

気絶したようだった。

僕は佐古の手際の良さに驚いた。

ずんぐりした体躯からは想像もつかなかった。

 

「格闘技でもしていたんですか?」

「たまたまですよ」

 

佐古が立ち上がった。

 

「どうにもとんでもない状況になっていたみたいですね」

 

僕の腫れあがった顔を見ながら面白そうに言った。

 

「ずいぶんとひどく殴られたみたいに見えますけど。こいつにやられたんですか?」

 

僕は頷いた。

床に落ちている、僕をくくっていた縄を見て佐古が言った。

 

「深夜に秘密のマンションで男同士のSMプレイ……ってなわけじゃなさそうですね」

 

その縄を手に取り、気を失った芹澤の両腕両足をくくる。

 

「あぁ。そんなに楽しいものじゃありませんよ」

 

僕はようやく一息がつける思いがした。

体中の疲れがどっと溢れかえってきた。

 

「佐古さん、どうしてここに?」

「いま、篠崎さんの暗殺の件で調べていましてね。そうしたら、篠崎さん子飼いの役人さんが頻繁に八王子なんかに行くじゃありませんか。なんかありそうだな、と」

「どうしてこの部屋が分かった」

「篠崎さんの身辺調査を徹底的にさせてもらいました。変な物件持ってるなと思いまして。この部屋、名義は篠崎さんですが、買ったのも、かつて使ってたのも別人です。部屋番号をメモっといて正解でしたよ」

「タイミングが良すぎる。私を尾行してたんですね?」

「それが何か?」

 

悪びれず舌を出す。

 

「本当はマンションから出てきたところを直撃取材するつもりだったんです。それがちっとも出てこない。

 おかしいなって思ってたら、拳に血痕つけたヤバそうな男が出てきてコンビニに行ったから。

 こりゃなんかあったなってね。記者の勘ってヤツっすよ」

「あの救急車ってのはわざとですか?」

「ご明察。そういえば開けると思ったんです」

「・・・助かりました」

 

僕は頭を下げた。

 

「お礼に、なにがあったかちゃんと教えてくださいよね。そのために助けたんですから」

 

商魂たくましい表情で佐古が身を乗り出した。

僕は、彼に事のあらましを言って聞かせた。

佐古は僕の言葉を、興味深そうに聞きながら、ボイスレコーダーに録音していた。

すべてを話し終えて、僕は佐古に問いかけた。

 

「でも、あなたのところの雑誌は熱政連にも買収されていたんじゃないんですか?」

 

佐古が豪快に笑った。

笑うとヤニに黄ばんだ歯が目立った。

 

「やだなぁ。私らは振り子みたいなもんですよ。面白そうなネタがあったら食いつくんです。それが記者ってもんですよ」

 

ひどい言い草だった。

だが不思議と腹は立たなかった。

この佐古という男の飄々としたキャラクターが憎めなかった。

 

「ま、私のことを命の恩人だと思ってくれるなら、警察には行かないでくださいな。うちの大スクープにしたいですから。

 これ、すごい大ネタですよ。ことによれば、政権がひっくり返るかもしれない」

 

僕は少し考えてから同意した。

篠崎代議士の暗殺の件でも、警察はろくに動いているように見えなかった。

もしかしたら、彼らは与党に阿っているのかもしれない。

僕はもはや公的権力を信用できなくなっていた。

 

「それにしても、一つ謎があるんです」

「ん? なんですか?」

 

立ち上がって帰ろうとする佐古に問いかけた。

 

「この男。芹澤。とんでもない奴なんです。でも、どうして篠崎代議士を助けようとしたんだろう」

 

佐古が芹澤をちらりと見た。

 

「さぁ」

 

と、一言言ってから、言葉をつづけた。

 

「でもねぇ。私ら、この業界に長くいて、いろんな事件を取材しましたけどね。訳の分んないことってのは多いですよ。

 ことさら、人の感情だとか、行動だとかは。その人もなんか、魔がさしたんでしょうねぇ。怖い人や冷酷な人が、急に優しくなることってあるもんです」

 

 

佐古が出て行った後、僕はもう一度芹澤を見た。

彼はいまだ気を失い、床に寝そべっていた。

僕は彼を殺してやりたい衝動に駆られた。

このまま、首を絞めれば息の根を止められる。

僕の脳裏に、彼にめちゃくちゃにされたもの……父や母の顔が浮かんだ。

だが、篠崎代議士の顔が浮かんだ時に、考えが変わった。

篠崎代議士は、この男を生かすために、告発文を消した。

二人の間には、何かあるのだろう。

僕の知らないような何かが。

篠崎代議士の遺志を尊重したいと思った。

今後もしも、事件が雑誌の記事になれば、この男の身もどうなるかわからないだろう。

だがそこまでは僕の知ったことではない。

僕はポケットに入れていたルームキーを彼のそばに投げ捨て、縄をほどいた。

そして、少し迷ってから、篠崎代議士がメッセージに書いていたスコッチを鞄に入れた。

本当はそれを持って帰るつもりはなかった。

それを受け取ると、篠崎代議士の謝罪を受け入れてしまうことになりそうだったからだ。

だが、ひどく酒が飲みたかった。

篠崎代議士の遺した酒を。

 

 

マンションを出ると、すぐ近くにコンビニがあった。

僕はそこに入った。

篠崎代議士が飲んだのと同じソーダ割りが作りたかった。

ウィルキンソン炭酸を一つ手にとって、レジに向かった。

 

店内には人はいなかった。

退屈そうな中年のアルバイトが1人いるだけだった。

僕の腫れた顔を見て、彼は驚くだろうかと思ったが、チラリと見ただけで無反応だった。

芹澤の時もこの調子だったのだろう。

自分でも理由がわからないのだが、彼の顔を見ていると、唐突に煙草を注文したくなった。

 

「煙草もください」

「何番ですか?」

 

のっぺりとした声だった。

実は僕は煙草を買ったことがなかった。

番号を言うのだということを初めて知った。

適当な番号を口にする。

店員が、赤いマルボロを一つ差し出した。

僕は一緒にライターも買った。

 

外に出ると、煙草を吸った。

それは生まれて初めて吸う煙草だった。

意外にむせたりしなかった。

夜風に、煙草の煙が溶けていく。

 

 

家に帰り、ノートパソコンを立ち上げると、戦車道のDVDをセットした。

それを見るのは久しぶりだった。

ビデオの中の彼女たちは、やはりきらきらと煌めいていた。

 

気がつくと僕は泣いていた。

 

『彼女たちには何の罪もないのだ』

 

と思った。

あの、大洗女子たちも。

彼女たちは、ただひたすらに、自分たちを信じ、努力をしただけだ。

それが結果として、戦車道の裏に潜む利権を守ることになってしまったとしても……。

 

とても美しくて純粋なものが、薄汚れたものを偶然にも守ってしまった。

とめどなく涙がこぼれた。

それが頬の傷に染みて、ひどく痛んだ。

 

続く

 

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