辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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96 西へ

「香櫨園付近にはほとんどホテルはない。宿だけは三宮付近に取るといい」

「三宮?」

「近辺でいちばんの繁華街さ」

「その街には篠崎代議士はよく行ったのですか?」

「ああ。彼は遊び人だったからな」

 

高田の言葉の端に古い悪友を思い出すようなニュアンスがあった。

 

「洒落た服を買ったり、レコード屋を冷やかしたりするのが好きだったよ。でも」

 

でも。

 

「御前浜の海の方が本当は好きだったんじゃないかな」

「御前浜の海?」

「あいつの家のそばの海さ。とてもちっぽけな海。

 香櫨園駅を降りると、すぐそばに夙川オアシスロードという海まで続く細長い公園がある。子供のころの俺たちはその公園が好きでな。海までよく歩いたもんだ」

「その公園の先が海なんですね?」

「そうだよ。海辺には砲台もある。ゆっくりと散歩してみるといい」

 

僕は電話を切ると、インターネットを立ち上げ、ホテルの状況をチェックした。

確かに、芦屋や西宮にはほとんどビジネスホテルが見当たらなかった。

おそらく、大阪にも神戸にも近いからだろう。

仮に芦屋や西宮に用事があったとしても、大阪か神戸に宿をとれば十分事足りるということだ。

調べてみて阪神間の狭さに驚いた。

梅田から三宮だと、もしかしたら田町から八王子よりも近いかもしれない。

インターネットを閉じると、ベッドに寝転がった。

明日から1週間。

1週間を、篠崎代議士の地元で過ごすのだ……。

 

 

朝早くに目覚めると、髪をとかし、私服に着替えた。

長い間、仕事ではスーツばかりを着ていた。

土日もそんなに遊びまわる性格ではない。

だから、あまり私服というものがなかった。

少し迷ってから、くたびれた青いデニムとグレーの無地のTシャツを選んだ。

襟のついていないシャツを着るのは久しぶりだった。

ネクタイを締めないのも。

ずいぶんと首回りが楽になるのだなと感心した。

それから、クローゼットを見回し、ダークブラウンの薄手のジャンパーがあるのを見つけた。

M1ジャケットをカジュアル風にアレンジしたものだった。

ずいぶん前に丸の内のビル街にあるセレクトショップで買ったものだ。

勤務後に山下と、飲み屋を探して丸の内をぶらついていて、ふと目に留まった品だった。

山下に茶化されながら買ったのを覚えている。

懐かしくなってそのジャンパーをクローゼットから出し、袖を通してみた。

着心地は悪くなかった。

10月の半ばだ。

夜は冷えるだろう。

これも持っていくことにしよう。

ただし、荷物を多くしたくはなかった。

最小限のものだけで旅立ちたかった。

小さめのボストンバッグを選び、そこに下着と着替えの服を詰めた。

それだけあれば十分だ。

そう思ってから、ふと机の上のウィスキーボトルが目についた。

篠崎代議士の遺品のウィスキーだ。

昨日の夜かなり飲んだから、半分ぐらいになっていた。

僕はそれをバッグに入れた。

彼の遺品を、彼の故郷で飲みたくなった。

 

その時、がさっという音がした。

僕は飛び上がりそうになって振り返った。

マンションの扉の郵便物差込口に書類のようなものが差し込まれた音だった。

玄関に落ちた薄い書類を見ると、マンションの管理組合による下水管の清掃の知らせだった。

僕は胸をなでおろした。

どうにもナーヴァスになっている。

 

 

品川から新幹線に乗り、新神戸駅で下車した。

駅の前に川が伸びていた。

空が広く見えた。

川沿いにまっすぐ道が広がっているからだろう。

東京とは随分と違う光景だった。

空気も違っていた。

からからに乾いた、冷たい空気。

呼吸をすると胸の奥を冷気が刺した。

ホテルはトアロードという大通り付近にある。

どちらかというと阪急の三宮駅に近い。

新神戸駅からは少々歩かなければならない。

僕はボストンバッグを手に、歩き出した。

 

 

 

 

続く

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