仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。   作:3番目

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短いですが、これはこれで切ります。


38話 扶越室に期待するものは・・・

 幕府外交団は劉表軍の黄祖に孫堅が殺され、生き残った孫策達が袁術の客将として下るのを見届けることなく。

 

 次の目的地、越へと向かったのである。

 越に着くと家茂の立場は徳田新之助ではなく徳川家茂としての立場に戻ることとなった。

 越族の宿敵とも言える孫堅の死と孫家の実質的な無力化が袁術を介した徳川幕府の外交努力によって成し遂げられたことを直接伝えるためだ。

 家茂が、直接伝える意味はある。

 南方開拓団の諸大名及び越王黄乱の度重なる要請に応じず信頼を失いかけていた本国に対する信頼回復の意味合いが強い。

 形式としては越族や現地の諸大名の流血を嫌った幕府が外交努力と言う名の謀略をもって孫堅を亡き者にしたという形を取りたかったゆえだ。それに説得力を持たせるための黄乱との直接会談でもあった。

 実際の所、南方開拓団諸藩大名の努力で黄乱の信頼は薄れておらず、幕府が送った武器や衣料品の支援に感謝の言葉が送られたわけだが・・・

 家茂は直接会談した際に黄乱より、段差のある上座に座るように勧められたが家茂は丁寧に断り彼女のいる下座へと降りて直接手を取り今まで直接助けられなかったことへの謝罪を述べた。

 これに黄乱はいたく感動し、会談の席で涙を流しながら

「徳川殿は我々と同じ立場に立ち南方の平和に尽力され、北の敵を退けて下さった!!我らは、何物にも代えられぬ友を得た!」

 礼を述べたのであった。

 越国は現代にいたるまで最もつながりの深い親日国となるのであった。

 この親密な親日国の存在は後の中華大陸における群雄割拠時代における幕府の大戦略において重要な役割を担うこととなるのであった。

 

 

 

 そしてその次の目的地は扶南国。

 こちらは、劉焉との摩擦もなく平和の地であった。

 正直南蛮人としては暴れたりないと言ったところであった。

 堀田正睦を通して孟獲と席を設けた家茂らはこの席で孟獲にあることを持ちかけるのであった。

 

「日本国を預かる征夷大将軍徳川家茂として扶南国国王孟獲殿に伏してお願いする!!我が国と共にパルティアへ出兵願いたい!!」

「にゃにゃ!?パルティアとは隣大国の隣ではなかったかにゃ!?」

 

 現在、西アジアにおいてローマ帝国とパルティア・サータヴァーハナ連合軍の戦いが繰り広げられていた。

 この戦いに同盟国として幕府軍と共に参戦するように要請したのだ。

 東南アジアにおける中心国である扶南の出兵が決まれば、東南アジアの国々は流れるように出兵へと動くはずだ。扶南国、それ以前は南蛮族とでも呼べばいいのだろうか彼らは共通の敵が現れると今は亡きチャンパ、チャイ、パガンと連合し劉焉を退け続けていた。義勇的ではあったが越にも助けに行ったことがあり、それは自然とこの南蛮扶南国を東南アジアのリーダーに押し上げていたのだ。彼らが、正史では蜀に滅ぼされたわけだが、幕府はこれを絶対に認めないだろう。彼らの純真な心はこの東南アジアの要なのだ。そして、徳川日本の世界戦略における起爆剤でもあるのだ。

 

 そんな彼らだからこそ、

 利益が見当たらないこの要請に孟獲は非常に困惑したが、

「友達の友達は友達なのにゃ!!」

 の一言で引き受けてくれたのだ。

 その後、室利仏逝王国も「いーよー」の一言で、

 琉球王国でも同様の要請が行われ同様に承諾が得られた。

 

 派遣される国から礼があるとはいえ、出兵する彼らには一見して利益がないように見える。

 

 日本、扶南、室利仏逝、琉球の援軍がパルティア・サータヴァーハナ連合軍合流してローマ帝国とたたかう事には大きな意味がある。

 

 日本、扶南、室利仏逝、琉球、パルティア、サータヴァーハナの計六か国の連合軍が共に戦う事・・・後に越や朝鮮の国々も加わることになる。

 

 

 これは有史以来の史上初の快挙である。

 

 

 歴史上最初の国家間連合軍・・・

 

 

 国連軍の最初の戦いである。

 

 

 そして、盟主国は徳川日本国である。

 




徳川幕府の会議回を挟んでからパルティア出兵編となります。

明日は仕事が休みなので大量に書くつもりですよろしくお願いします。

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