仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。   作:3番目

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45話 松平定敬訪漢 と 袁術ミラクル

 徳川日本国は黄巾党の乱に対しての不介入を決定。

 遼東に侵入した黄巾党以外は手を出さないと言う内容が決定された。

 

 だからと言って、曹操、袁紹、袁術、劉表、公孫讃、董卓、馬騰、劉焉、孔融と言った群雄達には特にこれと言った問題はない。もちろん、劉備や孫策達も・・・

 情勢は歴史通り進み、黄巾党は討伐されるのであった。

 

 漢の市井では天の御使いが降臨したなどと言う噂が流れている。

 幕府もつかんでいない情報ではあるが張三姉妹は曹操に保護されている。

 漢王朝では何皇后の姉である。何進が張譲・趙忠らと漢王朝の再建に動き出していたのだが、同じく立て直しに協力していた袁紹と対立することになってしまったのだ。

 袁紹に対して曹操、盧植、劉表、劉焉と言った群雄諸将らは何進に協力する動きを見せた。

 ただし、劉焉は消極的な協力。

 何進と袁紹の対立が激しくなり、何進は董卓と丁原に協力を要請。董卓と丁原はこれに応じる形で洛陽へ軍を進める支度を始めたのだ。

 当時の董卓は、異民族とのが融和政策とりあえず停戦と言う形で実っており戦力に余裕があった。また、彼女が治める涼州は辺境ゆえに経済的変化がほぼなく、中央の経済戦争の影響をほぼ受けていなかった言う理由もあり、戦力としては張遼や華雄・牛輔に李傕と言った強力な将を抱え、賈駆の様な優秀な軍師を抱えている。また、董卓と懇意の丁原は呂布の養母である。

 そして、こう言った何進・袁紹の対立が進む中、間を取り持とうと動いたのは張譲と趙忠であった。彼女たちはとある勢力の介入を望んだのだ漢王朝と対等に付き合え、袁紹を押さえること出来る勢力。そう徳川日本国の介入を望んだのだ。

 彼女たちの要請を聞き入れたのか否かは不明ではあったが、袁紹と懇意の徳川日本国が漢王朝に骨を折るとは望み薄であったが、結果として徳川日本国はある人物の訪漢と言う形で答えることになる。

 徳川日本国の実質的ナンバー2大政参与松平定敬の洛陽来訪と言う形で・・・

 

 

 松平定敬のこの度の来訪は華北袁家、北海国、汝南袁家の実情を探るための視察でもあった。

 この来訪に、同行した人の数は幕府文官及び幕府お抱えの識者他50名、桑名藩の精鋭部隊の三つの内二つである雷神隊、風神隊の1000、そして幕府歩兵連隊1個連隊1000。

 2000超えの大規模なものであった。

 

 道中に襲われたりとかはなかったので、洛陽到着までの間。両袁家の現状を説明しておく。

 

 華北袁家であるが、貿易面では徳川日本国もたらされた良質で派手な武具で軍事面が原作より強化。

 華北袁家が日本との取引に使ったものは森林資源いわゆる材木である。自国内の森林が破壊されるための土壌流出や、高い木の乱伐や森林の減少に伴う生態系の破壊を嫌った徳川幕府は基本間伐及び開墾目的以外の木々の伐採を非推奨と言う方針を立てていた。基本材木は輸入を基本とするものであった。そのため、華北袁家も森林資源輸出国の立場をとっていたのだ。無論、領内の石炭等の鉱物資源も輸出リストには載っている。一応農業資源も輸出されていたが華北は少々荒廃した寒冷地だったため自給分だけでさほど多くはなかった。

 また、労働者と雇用者の収入の差が非常に大きかった。

 これは、利益に反して雇用者から労働者に支払われる給金が非常に安かった。これは、他の領土の労働者よりも安い金額だったと言える。通常職の労働者ほどではなかったが、職人と親方の給金も同様と言える。

 過去現在に至るまで中国の人の価値がゴミクズ同様だったように漢の時代もそれは変わらなかった。袁紹ら華北袁家の面々も旧態依然とした支配者層には変わらないということだ。

 

 そういった理由から、めちゃくちゃ栄えている袁紹領に夢と希望を抱いてやってきた他地方の人達は「なんか、思ってたのと違う」と言うことになり、出戻っていくものが多かったのだ。もちろん例外的にうまくいってしまう者もいないわけではないが、これはまれな例だ。

 経済面は徳川日本国との直接取引で稼いでいる。徳川日本国の政府と企業が商品を卸しているが、徳川日本国の品は袁紹領含む、漢全土の民にとって良かろう高かろうなのである。

 一応金銭を貯める程度に働けるので、袁紹領の人間にとっては少し高い買い物であるが、袁紹領の外の人間にとっては転売益で値が上がっていることも踏まえて、無職も多い、曹操や一部の領主がうまくやっているが大勢は無職と貧乏人ばかりだ。彼らにとっては普通に高い趣向品なのだ。

 なので、確かに袁紹領は大金持ちだが、袁紹領が多量の財を吸収するというのは言い過ぎなのだ。

 

 

 群雄割拠時の華北袁家が徳川日本国の期待通り大陸の北半分を支配する勢力になれなかったのは、これが原因とも言える。

 

 この様な締め付け策を取り続ければ、逆に人材の流出が起こってしまうように思えるが、ここが袁紹の長所とも言える点が出てくる。

 袁紹含む華北袁家家臣団は住人たちへのガス抜きが非常に上手かったことがあげられる。

 袁紹自身の人好きされる性格、彼女の派手好きな性格が幸いするものであるが、派手な祭りであった。

 まあ、祭りの題材は「袁紹祭り」でも、「黄巾党討伐記念祭」でも、何でもいいのだ。

 こういった祭りの開催が、移民ではない地元住人たちの感情に後天的に作用し、いわゆる愛郷心を見事にくすぐるわけだ。これにより、袁紹領の人的資源の流出は抑えられるのだ。

 お土地柄といものだろうか。それに、移民の中にもこの空気を気に入り定住するものもいるほどなのだから、曹操や劉備の様なカリスマとは違う、彼女の人を引き付ける才能と言えるだろう。

 

 まあ、ただ単に彼女が常識離れした強運の持ち主だからと言ってしまえば、そこまでだが・・・

 

 

 あと、北海国であるが壁があるだけで、特にはこれと言って特色はない。強いて言うのなら亀山財閥と癒着していることだろうか。

 

 

 では、汝南袁家の方はどうだろうか?

 実はこの汝南袁家、この時代において尋常ではないレベルで勝ち馬である。

 汝南袁家の支配地汝南はもちろん、その影響下の寿春も肥沃な土地を持ち自給率は現状100%である。何もしなくても普通にやっていけるほどの地力を持っているのだ。

 周辺の土地の無名領主たちにも同様の事が言えるのだが、彼ら無名領主と袁術領の絶対的な違いは徳川日本国との取引にあり、徳川日本国の指示に従いお茶やタバコ等の工芸作物の栽培に精力を注いでいることだ。

 このやり方だと、領内にお金が循環することなく、汝南袁家と徳川日本国及びその輸出国との直通の金の流れが発生してしまうので、儲かっているのは汝南袁家とその周囲のみとなる。

 そうなると、庶民達は不満を持たないのかと言う考えがよぎるが、元々恵まれた地であり、偉い人から育てる物を変えさせられたが、特に豊かにも貧しくもならない。

 気が付いたら、市場に徳川日本国のちょっと高い良品が出回っていたという感覚なのだ。

 さらに付け加えると、汝南袁家とその周囲が市場に金を落としているので、それなりに景気もいいと言った感じなのだ。

 気が付いているものは現状居ないが、袁術領は実質徳川日本国の隷属地なのだ。

 その証拠に、今回の松平定敬の外交団の一部は汝南袁家軍政顧問団として袁術領に残るのだから・・・

 そんな、他国依存など危険極まりない行為であり、いざ事が起きて徳川日本国に見捨てられたら一巻の終わりであるという巨大な不安要素を抱えている。現に孫策軍と言う不安要素を抱えている。

 だが、これらのどれ一つも不安要素足りえない。

 袁術領は、否、袁術公路はこの時代、この世界において、史上最強のカードを無自覚に保有している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袁術公路美羽、彼女が好いて文通をしており、好い仲になっている徳田新之助とは・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 徳川日本国幕府第14代征夷大将軍徳川家茂その人である。

 

 




恋愛シーン飛ばしてヒロイン確定。いつか書く・・・・

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