仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。   作:3番目

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44話 微妙に加筆。愚民化政策に対するフォローあり2行程。


46話 漢王朝半壊

 洛陽に到着した松平定敬は、まず最初に第一窓口である張譲と面会する。

 ちなみに、第二窓口は趙忠である。

 

 定敬が夜遅くに尋ねて来た。

 張譲は当然ながら迎え入れる。

 あいさつ代わりに賄賂が張譲に支払わられている姿は、差し詰めベルボーイがチップを貰っているかのようだ。

 

「どうか、この張譲に松平定敬様のお力を、御貸し願いたい。」

 張譲は当初、何進と袁紹の力をもって漢王朝の再建を図ろうとしていたようだ。

 しかし、何進と袁紹の対立により、その計画が水泡に帰してしまったのだ。

 すでに、蚊帳の外に放り出されている張譲としては松平定敬からの協力を得たいと言うものがあったのだろう。

 しかし、土台無理な話。

 徳川日本国も、様々な理由で兵を出して漢の地で戦える状況にはない。

「ご期待に沿えず申し訳ないとは思うが、無理な話だ。そもそも、他国の軍隊を入れるなど、考えられませんよ。」

 案の定、定敬も拒否する。

「そうでしょう、仕方ありません。」

 意外にも張譲、あっさりと引き下がった。

 それを定敬は不審に思い探りを入れる。

「おや、ずいぶんと素直に引き下がりましたな。何か秘策でも?場合によっては張譲殿にお力をお貸しする事も出来るやもしれませぬぞ?」

 すると張譲はあたりを気にして、あたりに誰もいないことを確認した張譲が棚から何かの書物を取り出す。声も小声になっている。

「さる、導師様からこれをいただきましてな。」

「これは・・・」

 定敬は身を近づけて注目する。

「定敬様も、お話くらいは聞いたことがあるでしょう。太平妖術の書・・・・張角が持っていた例の書物ですよ。」

「風雨を呼び起こしたり、人々の病を治したりしたり出来るあの太平妖術の書ですか?」

 定敬の心の中で、張譲を完全に切り捨てた瞬間でもあった。一国の重鎮ともあろうものが魔術やまじないの類に傾倒するとは・・・

「ほう、それはそれは、すごいものですな。これで漢王朝も安泰ですな。」

「機会があれば、導師様ともお引き合わせしましょう。」

「これは、楽しみです。」

 定敬は顔にこそ出さなかったが、心の中で侮蔑した。

 張譲も終わりだな・・・

 

 

 

 

 張譲が愚かな方針転換を図ったために、漢王朝再建の最後の機会を逃す。

 

 その後、定敬は霊帝・少帝・献帝の帝三姉弟らと謁見をした。

 この時、霊帝は体調を崩しており引退を宣言した、定敬に天帝の臣として、同じ天帝の子である日出る国の天子を支えた手腕をもって漢王朝を支えて欲しいと懇願した。

 定敬も心の中では無理だと思ったが、当たり障りない返答をしておいた。

 霊帝・献帝の二人の姉妹は定敬に対してだいぶ気を使った物言いをしたのに対して、長男の少帝は川路聖謨の訪問時に怪我でその場にいなかったようで、徳川日本国の大政参与である定敬にも従来通りの尊大な態度を示していた。その横で霊帝と献帝が少帝を諫めたり、フォローを入れたりしている姿がほほえましくも思った。

 こんな微笑ましい姉弟達が今後の戦乱で悲惨な目に合うと思うと少々良心の呵責を感じるところであった。

 ちなみに、この時徳川日本国は急な呼び出しだった故にと、前置きしてからから、銀500斤(300キログラム)を献上している。

 

 その後、定敬は急ぎ袁紹と面会する。

 袁紹は宮中の掌握を行っている、今回の天子との謁見は張譲への義理立てのでしかなかったのだが、袁紹が徳川日本国の行動に不安を抱いているとの報告を受けたからだ。

 徳川日本国としては、漢王朝には滅んでもらうとこは絶対なのだ。

 せっかく、自分達の息のかかった袁紹が、宮中で一悶着起こそうと言うのに自分の行動が終息へ向かわせてしまっては困るのだ。

 ついでの事を言えば、徳川日本国の息がかかっている袁紹が宮中にいれば何かと手を出しやすいと言う打算的なものもあったが・・・

 

「このたびは、袁本初殿にお会いすることができまして、この松平定敬肩の荷が下りたというものでございます。」

「それは、いったいどういうことですの?」

 袁紹が少々戸惑っているのを感じる。確かにこの言葉では、良くも悪くも取れるというものだ。左右に控える顔良・文醜、袁紹の隣に座る田豊も表情が芳しくない。

「上様から、お言葉を預かっております。」

「徳川殿からですの?」

「『徳川日本国は袁紹殿の漢王朝宮中での如何なる行いも関知しない。袁紹殿の思うままにするがよいと思う。』と」

 

 その時の袁紹は喜びが表情に出ていた。

 彼が応接室を出ると彼女の高笑いが響いていた。

 結果的に見れば、定敬の動きは2000の兵を連れて袁紹の動きを支援した形になったのだ。

 

 面会が終わって定敬が洛陽を出た二日後。

 独自の兵力を伴った張譲が決起。何進を襲撃、張譲と何進が衝突する中、袁紹が乱入。

 皇甫嵩が中立を宣言し禁軍を霊帝が養生する離宮へと移動し、少帝が失踪。

 混戦の中、張譲をはじめとする中常侍の殆どが死亡。

 何進が混戦の流れ矢で大怪我を負う、政務不能となり下野することになった。

 洛陽での騒乱で勝利を収めた袁紹であったが、少帝失踪に伴い霊帝に再度帝の座に就くことを求めたが拒否された。

 

 

 その一方で趙忠に手引きされ洛陽を脱出した献帝は、洛陽に向かう董卓と丁原に保護される。

 かくして、三国志の歴史は若干の差異はあるものの、大凡変わらず進んだのであった。

 

 ちなみに、定敬がそれを知ったのは洛陽を出て許昌と汝南の領境にいた時であった。

 


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