仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。 作:3番目
揚州動乱によって汝南袁家は大陸の領土を全て失陥した。
徳川幕府は汝南袁家との連携で築き上げた交易路を失い、同地域の日本人商人達も商売から撤退している。財閥からの改善要請もあり幕府は行動を起こすことになる。
汝南袁家が最後の領地であった柴桑を失陥して半年、美羽(汝南袁家)は家茂(徳川幕府)の後援を受け、琉球王国台湾租借地台中にて亡命政権の樹立を宣言。また、徳川日本国及び台湾内の袁術勢力及び同盟諸勢力に対して徳川家茂と袁公路の婚約を発表した。
これによって徳川松平諸家と両袁家の間で婚約関係が成り立ち親戚関係が出来上がり、これまで非公式だった婚姻同盟が正式な物へと棚上げされ、この血のつながりから徳川幕府は袁家を通して漢王朝の政に口を出せるようになったわけであった。
さらに大陸華南で残存する袁術勢力が越国の援助を受けて勢力の維持を続け、さらに台湾や袁紹・孔融勢力圏に脱出していた袁術軍の残党は越国からの支援ルートを利用して紀霊軍団へ集結しつつあった。
「美羽様!!よくぞ御無事で!!我々は本土奪還の為に獅子奮迅の思いを胸に粉骨砕身していく所存であります!!」
美羽直筆の書状を呼んだ仕士ら親衛隊将校達は感動に打ち震えていた。
「美羽様達の危機に馳せ参じることが出来ず、南揚州の地で押し込められ生き恥をさらす事になるかと思ってましたが・・・・私達が唯一軍の体裁を保っていたようですね。」
風の言葉に仕士含む将達が視線を向け、仕士が風に訊ねる。
「つまりどういう事でありますか?」
「台湾にいる美羽様達が、どのような行動を起こすにしろ私達は重要な役割を担うことになるでしょう。・・・ん?2枚目があるようですね?」
風が2枚目の書状を読む。
「なんと・・・順次援軍が到着し、その数が1万を超えた時点で親衛隊を台湾へ移動させろと・・・。美羽様の手元に親衛隊を置くと言うことは・・・美羽様御自身が台湾から打って出るのでしょうか?・・・・・・滅びかけた汝南袁家がここまで急速な復興が行えたのは間違いなく徳川の梃入れ・・・・・・」
「風殿いかがされたのでありますか?」
「七乃様達はいったいどのような条件で徳川のここまでの支援を引き出したのでしょう?」
「はて?自分にはさっぱりでありますな。将官は美羽様の命に従うのみであります。」
着実に勢力を回復し始める袁術軍、さらに徳川幕府も動き出す。
徳川幕府が汝南袁家に示した条件は相当なものであったが、これは別の機会としよう。
それを差し引いても徳川家茂が袁公路(美羽)に対して異常に甘い事も換算に入れても当時の部外者から見れば、尋常ではなかった。徳川幕府の当初の予定では大陸支配の一翼を担わせる予定であった両袁家に対して遠い将来的に提供する予定だったものを提供したのだ。
徳川日本国が多くを保有し極一部の同盟国が型落ち品の少数の保有に留まっていたあの武器である。
そう『銃』である。
それも、越が保有する火縄銃や琉球が保有するゲベール銃などではなく、ライフリングの刻まれたミニエー式の前装式歩兵銃であった。徳川幕府から見て旧式に当たるものとは言え諸藩においては現役の比較的新しい部類の銃が提供されたのであった。提供された袁術軍も武器の流出防止には細心の注意を払い親衛隊のみの配備となっていた。これら幕府より提供された前装式ライフリング銃の総称として袁美留(エンピール)銃と称された。
また、台湾島袁術軍は度々曹操の下にいる劉協へ孫策討伐の勅許嘆願の使者が度々派遣されていた。勅が下ることは遂になかったがこの行動と蘆陵の紀霊軍団の存在によって袁公路率いる勢力がいまだに力を保っていると世間に示し続けたのであった。
また、蛇足であるが美羽と家茂の新婚生活は台湾島で送られていたが、美羽の体調は優れず新婚生活の内情は美羽に対して家茂が長期間直々に献身的な介護を行っており、通常の若夫婦が送るものではなかった。家茂は一時は幕府の奉行職を呼び寄せ臨時に政府機関を移転させた。病床の妻を夫が看病する姿は美談として後の世に語り継がれており、袁術軍への銃火器提供よりこちらの方が後世においては有名である。
台湾島袁術軍訓練場
袁術軍親衛隊が徳川幕府陸軍の士官の指導の下、射撃訓練を行っており銃撃音が時折聞こえていた。
その様子をバックに台湾袁術軍の軍師として取り立てられた詠が七乃から徳川幕府と交わした密約の書かれた書状を受け取り目を通していた。
「徳川からの破格の援助・・・、どんな条件を飲んだのかとは思ってたけど・・・これはさすがのボクも予想できないわ。」
呆れとも何とも取れない態度の詠に対して七乃は「ふふふ」と笑って返すだけだった。
その書状には僅かに二つの条件が掛かれていた。
・所領奪還後は直ちに漢王朝より独立し、仲王朝を樹立すること。
・徳川家茂と袁公路の間に生まれた長子を男児女児に関わらず、次代仲王朝皇帝及び徳川大日本帝国次期征夷大将軍を兼任させ将来的にその両方に就任させること。
と記されていた。
※以後徳川日本国の表記を徳川大日本帝国(徳川帝国)に変更。