仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。   作:3番目

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88話 南揚州、戦後処理はじまる

鄱陽の都城を接収し、そこで事後処理を行うことにし、その場で孫策の遺体を孫権に引き渡した。

孫権は家茂達の前では表情こそ悲しそうではあったが泣き出すことはなかった。一人になった時にでも泣くことがあるかもしれないが人前で涙を流さないと言うのは評価に値するものだ。彼女は呉王としての未来は潰えても汝南袁家の軍の高官の立場は約束されたようなもの大領を預かる未来は確定しているのだ。今の微妙な立ち位置に関しても聡明な彼女の事だ彼女自身で区切りをつけるだろう。

この場を去ろうとする孫権を呼び止める家茂。

「北揚州への進軍は一度見送る。疫病が大流行しており、感染の拡大が予想される。中部で感染の拡大を抑えるために中部で進軍を停止し封じ込め対処することに決まった。仲謀殿も苦しい判断だと思うが受け入れてもらいたい。」

「お気遣いありがとうございます。」

「うむ、治療法も完全とは言えんが我が国の医療技術をもってすればある程度は可能だ。我が国の防疫部隊を先行させている。孫仲謀殿は北がある程度落ち着いたら動けばよいと思うぞ。」

「度重なる心遣いに感謝します。」

家茂の言葉を聞いた孫権は頭を深く下げこの場を後にした。

その後も家茂は越王黄乱と面会、各方面との調整を済ませた。

 

 

 

 

「美羽、あとはここで吉報を待てばよい。後の差配は余や七乃に任せればよい。」

「うむ、頼むぞよ。妾は新に委ねるのじゃ。」

美羽は台湾に来てからと言うもの芯の部分こそ変わらないものの家茂に依存するようになっている。それは全く構わない、彼女には穢れのない綺麗な世界で過ごしてほしい。家茂にはそう言った思いが強いのだ。むしろ、それでいい。

 

南揚州のその後だが南揚州の約半分は越国の物に会稽の沿岸部の一部の島が琉球王国へ、会稽の港をサータヴァーハナ朝・パルティア王国それぞれ1港づつ、厦門を徳川大日本帝国へ、残りを汝南袁家に割譲されることとなった。

 

越国は新領地の南揚州民の追い出しを行い、それを開拓民として汝南袁家が受け入れた。受け入れを行ったのは北部揚州は疫病流行・飢饉によって人口が激減しそのうえでの戦乱だ。汝南袁家がそのまま新領土を手に入れても労働力が、人が居なくてはどうにもならない。こればっかりは金では解決できない問題だ。南揚州も大飢饉で人が減っているが、越国の旧住民追い出し政策で追い出された南揚州民は汝南袁家新領土の労働力不足補填の一助になるだろう。

 

南揚州で連合軍の上層部が拠点を置きそこから指揮することとなり、以後の連合軍は撤退する事となる。孫策軍残党や北揚州で決起した孫静派と孫策派が内戦状態に突入し、上海に加賀藩軍他支藩が上陸し、混迷深めることとなる、紀霊(仕士)・孫権を総大将・副大将に幕府軍及び会津藩軍1万・越国軍5万・袁術(蘆陵袁術軍・近衛を除く台湾袁術軍・南揚州袁術軍残党及び南揚州旧袁術派残党を統合、なお近衛軍は南揚州残留)軍3万、途中参戦してきた大朝鮮国5000の合計9万5000が中部揚州へ北上を開始した。

 

南揚州では15万の南方三国軍が割譲された地で苛烈な統治を行っている様だ。特に越族であったが長年にわたる民族レベルでの憎しみは根が深いと言う事だろう。越国とのつながりが深い徳川帝国としても口を出すつもりはない。孫家の色に染まっていない南揚州民ならばある程度の利用価値もあるし、逃げて来た者達は受け入れている。中部も首を垂れる者達が多いので良いだろう。だが、孫家色が強く孫堅・孫策を未だに信奉する北部の民は素直に受け入れるのは問題がある。非孫策派を支援しつつ、前田加賀の策を推し進める事としよう。

 

揚州の大勢は決した。後は高みの見物で良いだろう。

 

 

 

 

後に詳しく記述するが、すこし北揚州の様子を見てみよう。

 

 

 

 

北揚州では、孫静・張昭・魯粛が決起。守備に陸遜が残っていたが、上海に加賀藩軍が上陸をしたのを機に陸遜は孫家(孫策)軍に対して反旗を翻し孫静派に合流。

北揚州における勢力図は反転した有力豪族である陸家の離反によって孫静派は勢いを増す、孫策派の重要都市である呉・建業を制圧。孫家唯一の継承権保持者孫尚香の身柄を抑え、汝南袁家・徳川大日本帝国他の連合軍所属国に対して降伏を宣言。連合軍はこれを受諾し、ここに汝南袁家再興のための戦争は終結した。

戦争終結によって残る問題は疫病だけとなったが、この疫病が強敵であった。この地域では黒い太陽計画に基づきチフスがばら撒かれていたが、現地で相乗してリケッチアの感染が始まっていた。さらにこれによってチフスも発疹チフス・パラチフスと想定外の感染が起こっていた。

この当時は衛生指導などの予防関係は確立していたがニューキノロン系の抗菌薬の開発は出来ておらず。こう言った疫病に対する対処は焼却処分であった。

死体及び感染者は一か所に集められ、感染者が一定数以上いた村落は例外なく、焼却された。

 

これにより、北揚州の人口はぐっと減り、孫家恩顧の住人の心は折れた。

今後の揚州民の立場はあまりいいものではないだろう。

 

 




次回から、死体蹴り始まる

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