東方讃歌譚 〜Tha joestar's〜   作:ランタンポップス

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Underclass Hero 1

 深夜、まさに草木も眠る丑三つ時たる頃の里。

 長屋の裏路地を何度も何度も折り曲がり、鬼気迫る表情で逃げる男が一人。

 口はパクパクと、酸素を求める為だけに開いては閉じて、拭く暇も無い程に必死なのか、涎が口角より顎へと伝う。

 

 

 逃げなくては、あいつは異常だ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ……目は飛び出さん限りに見開かれ、泥酔状態のように腰砕けな足取りでよたよたと壁をなぞるように逃げて行く。

 思考は空っぽ、兎に角逃げる事と身を隠し、安心を得たいと言う本能面が彼の筋肉を動かしていた。肺を膨らまし、欠乏した酸素を取り込んで逃げる気力にする。狂気の手前である脳はただ、男に逃走を促すだけの命令ばかり脊髄から身体へ染み込ませている。

 

 

 

 

「ハッハッハッハッハッハッ!!」

 

 高々とした男臭い笑い声が響く。

 それを聞いた瞬間、逃げる男の全身が飛び上がった。走りながら首を回し、背後にいるのかと確認した。男は、笑い声の主から逃げているのた。

 

「逃げろ逃げろ悪党め! 貴様はこの私が、キッチリ成敗してくれるのだから!」

 

 相手はかなり、余裕な雰囲気で男を追いやる。そして男はその声を恐れて逃げる、まるで____

 

「まるで羊飼いに追い立てられる羊のようだ! いいぞ、悪党には相応しい情け無さなりッ!」

 

 男の形容に、逃げる男はピンと来ていない……いや、聞く余裕はないだろう、そんな表情だ。男が反応しているのは声であって、内容はどうでも良い。声は後ろから聞こえ、どんどんと近付いているのではと感じられた。

 豪胆な笑い声____男の物か____は鳴り止まない。道中あった木箱を倒して後方へ妨害し、こけたとしても四つん這いで体勢を整え、兎に角逃げる事に全てを費やした。

 

 

 男は逃げる逃げる。眼前には表通りに通じる道がある。表通りに行けば、深夜とて誰かいるかもしれない。

 疲労を受けて震える足を無理矢理稼働させ、走り抜けた。表通りには誰か立っている、あと少しだ。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて迷える羊よ、ご機嫌はどうだ?」

 

 腕を組み、表通り前の道に立つは、男を追い回していた相手であった。

 

「あぁ……あ、ああああ……!!」

「悪党め、茶番はお終いだ。今すぐ貴様は仲間と同じく、成敗してやるッ!」

「なんで、前に……ぁあ……!?」

 

 絶望し、気力尽きたか男は壁に凭れて脱力しきっていた。

 そんな男に指差し、「ハハハハハ!」と高らかに笑う目の前の男は、妙な身体をしている。

 

 

 

 

 淡色の青の装甲のような物を纏い、筋肉と骨が逆転しているかのような前衛的な風貌。そして機械的な目は黄色く光り、仮面の装飾かと思われていた歯が剥き出しの口が開いては笑い声が漏れている。仮装でもしているのではと思われる程に無機物的だが、それだけの者なら人間一人を、ここまで怯えさせる事は不可能だろう。また、仮装とは思えない程頭から爪先まで一貫として繋がっており、一つの継ぎ目もなかった。

 

 

 青色装甲の男は腕組みを解き、指差しをしながら絶望する男の方へと一歩二歩と、妙に演技がかった振る舞いで近付いて行く。

 無機物ながらも滑らかなフォルム、動きも滑るようで少しの齟齬も見えない。この無機物で生物とは思えない不審者は、信じたくはないが一つの生命体だったのだ。

 男は近付く不審者を見て、脱力していた身体を、いきなり蒸したかのように力を入れた。恐怖がサインとなって脳から身体へ、「逃げろ」の三文字で警告文を放ったのだ。再び男は凭れた壁から身体を離し、路地裏へと逃げ帰ろうとする。

 

 

 

 

「……は?」

 

 だが、男の身体は壁から離れない。まるでくっ付いた……いや、壁と身体が一体化したかのような程に離れなくなっていたのだ。服を引き剥がして逃げようとするものの、壁から服へ、そして身体全てが石の中にでもいるかのように微動だにしない。動くのは壁から離していた左腕のみ。

 焦る気持ちだけが沸騰するも、足も手も何もかもが動かない。気付くと、男が離れられない壁に手を突く、不審者の姿。

 

「羊や羊、黒羊よ。ご機嫌はどうだ? 気分はどうだ? 汗かきならば、その羊毛を刈ってやろうか?」

「はあ……!? ああぁあ!?」

「羊や羊、鳴けや鳴けや、ぶらんくすうぷ。貴様は狼から群れの仲間を見殺しにした、罪深き黒羊なのだ。不適合者め、悪党め」

「ああ!? 何でだ!? 動けよ!?」

「お前の罪状を連ねてやるぞ? 心して聞けよ黒羊。神父に平伏す懺悔者が如く心して聞けよ」

 

 台本形式の雄弁な言葉を話しながら、男へどんどん近付いて行く。男は生存本能から、動く左腕を振り回し殴り付け、抵抗しようとするものの、その左腕は不審者の太く強固で彫刻像のような右手により磔にさせられる。

 もう抵抗の術はない、涎と涙で顔を汚し、恐怖で潰れた声帯が獣のような呻き声を上げさせるだけが男に許されたもの。

 

 

 不審者は、壁から右手を離して、その手で鯉の口のようにパクパク開く男の前歯を摘んだ。黄色く光る目が爛々と照らし、歯が剥き出しされた口がパカリと開く。

 

「一つ、貴様は団子屋から食い逃げをする。対価を支払わない『傲慢』な奴め」

 

 不審者はまず、右手だけで男の左腕を二の腕からボキリとへし折った。何と驚異的なパワーだろうか、腕で一番太い部分を片手だけで折ったのだ。

 男は耐え切れず叫び声をあげようとするが、左腕から離された不審者の右手が次に男の首を掴む。気道が狭まれ、狂った悲鳴の代わりに乾いた呼吸が飛び出した。

 

 

「二つ、貴様は茶店の看板娘さんを騙し、陵辱する。猿が如き淫欲に身を任せて少女を辱めた、腐った『色欲』の持ち主」

 

 次に不審者は、歯を摘む指の力を強め、引っこ抜いた。

 脳が壊れそうな程の痛みが間欠泉が如くせり上がる。男は目から大量の涙を流し、悲鳴の出せない口を大きく歪めた。血がドロドロと唇から顎を涎の代わりに染める。

 

 

 

 

「三つ」

 

 

 男は理性の消えゆく中でも目を疑った。

 不審者が引っこ抜いた自分の歯が、目の前で止まっている。止まっている、と言うのは不審者の指が離されたのに、そこに『固定』されているのだ。

 その固定された自身の歯を、不審者は指先でトントンと叩き始めた。

 

 

 男には全く理解の出来ない領域だ。こいつは化け物だ、鬼だと恐怖する。しかし身体はその震えさえも、出来ない。

 浮かされた自分の歯を指先で、まるで苛立った人間が机を指先で貧乏揺すりのように叩くかのようにして、何をするつもりか。検討が付かない、いや付ける訳がない。目の前のこいつは『妖怪』とは違った存在なのだ。

 

 

 

 

 呻き声を上げ、助けを呼ぼうと頑張る彼に対して、不審者は静かに言い渡した。

 

「貴様は働かず、他者を騙して金を巻き上げる『怠惰』で『強欲』な毎日。結果、貴様はこの私の正義によって…………」

 

 歯をゆっくりゆっくり指先で叩き、百まで叩いたかと思った所で止める。

 

 

「『死刑』だ」

 

 固定された歯が、前に動き______

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Underclass Hero】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝を迎えた永遠亭、ベッドの上で胡座をかき、ジョセフはここに来て初めての朝食にありつけていた。

 

「おいレーセン! これ味付けしてんのかぁ!? まぁーッたく味がしねぇぞぅ!」

 

 ジョセフは残った右手を使い、上半身を起こして自分で飲み食い出来ていた。箸が使えないと言うので匙とフォークを用意し、比較的栄養満点な惣菜物で朝食を組んだ。

 白米にほうれん草のおひたし、お豆腐の味噌汁を用意して南瓜の煮付け。その他も野菜を主流にした、精進料理とも言う胃に優しいもの。だがイギリス生まれのアメリカン、ジョセフの口には些か合わなかったようだ。

 

「それに量も少ねぇしよーッ!」

「文句ばっかり……もうやだこの人」

「日本料理は味が薄いって聞いた事があるが、もうちっと濃い口にしたっていいじゃんかよー!」

「これでも濃くした方だってば……昨夜も同じ文句。それに、塩分糖分の摂り過ぎは身体に悪いんですよ」

「俺はもう平気だっつの! ほら、ほら!」

 

 ジョセフは両手をぶんぶん振り回し、元気だとアピールする。それを鈴仙を押さえ込んで止めようとした。

 

「安静にしなさいって! 左前腕欠損は重傷でしょ!?」

「自分の身体の事は自分で分かんだよ! 大丈夫かオレぇ? 大丈夫だオレぇ! 両手だって、肩まで上がるよん!」

「はぁ……本当に人間か疑わしくなって来たわ……」

 

 鈴仙は溜め息吐き、奔放でワガママな彼に手を焼いていた。ただでさえ人付き合いは得意と言う訳では無いのでストレス感じ放題だ。

 それ以上に、治療して三日ばかりなのに旺盛な食欲と活発な運動等、全快に近い状態まで回復している強靭さを凄く思うと共に呆れ返っている。

 

 

 

 

 昨日、ジョセフから受けた質問とは「自分を治療した人も人外なのか、打ち込んだ薬は絶対安全か」と言ったもの。鈴仙はその質問に対してばつの悪そうな表情になり、「悪い人じゃない」とだけではぐらかす。ただ薬の事だけは確信を持って「安全」と断言した。

 言えど、彼女が『人』と言った所、人間の可能性が高いだろう。その後に本人がやって来たのだが…………

 

 

 

 

「ご機嫌はいかが?」

 

 障子を開け、朝食中のジョセフの元に昨日と同じく、その『人』が入って来た。

 長い銀髪の美女だ。変わった所と言えば、上半身の右半身に赤で左半身に青と二分割に染色された服。腹部から下はそれが逆になっており、最初は面白がった。

 

 

 しかし、とてもお淑やかで良い人ではある。名前を『八意 永琳(やごころ えいりん)』と言う。

 

「ゲッ!? せ、先生……!」

「昨日同様、開口一番に酷いわね。別に鬼じゃないのに……所で今し方、現在唯一の入院患者のいるこの部屋で朝食が何だの〜と騒ぎが……」

「うンまぁあ〜いッ! 日本料理ってのは油ギトギトじゃねぇから幾らでもイケるもんねぇーッ!」

「患者さんのお口に合うようで良かったわね、鈴仙」

 

 鈴仙は苦笑いで返す。

 突如として、この永琳が登場した瞬間にジョセフの態度が軟化した。これも昨日に理由がある。

 

 

初対面時に彼女の服について笑うわ、無理矢理立とうとして花瓶を割ってしまうわ、晩食にケチをつけるわと、やりたい放題なジョセフ。最初は優しく接していた彼女も堪忍袋の緒が切れたようで、彼女は怒ると笑うタイプか、笑顔のまま「必ず新薬の実験体にする」と脅して来た時は狂気を感じたとの事。

 

 

 これは永琳なりの優しさだろう。騒げば傷に障るし、ならば相手に恐怖を植え付けておけば行動を抑制出来ると言う打算からだ。言えど、昨夜はプッツン行きかけたとこ事だが。

 

「怪我は左前腕欠損だけじゃなくて、裂傷に打撲と脚部の骨折等、重体水準の大怪我って事は昨日説明したわよね?」

「お、お、お、大人しくするからさぁ、先生……」

「あら、聞き分けの良い患者さんで助かるわ」

「い、いやぁ! 先生に救って貰えてもう、ハッピーうれピー! つって……」

「そう言って貰えたら、薬師冥利に尽きるわね……痛み止めを作って来たわ、食後に飲む事」

 

 永琳は小さな袋をジョセフのベッドの上にて置かれた、食事用の小さな机に乗せる。ジョセフの身体の怪我はまだ治癒しておらず、痛み止めの薬を処方されていたのだが、この白い袋を見るたびに彼は露骨に嫌な顔をする。

 

「うっ……あ、あのさぁ、先生……この薬って、もうちっと甘く出来ねぇもんかなぁ?」

「『良薬は口に苦し』って言葉の直喩よ」

「なんつーか……ブラックのコーヒー後にバニラエッセンスをそのまま飲んだ味っつーか……苦いってレベルの苦さじゃあ……」

「別にいいわよ、飲まなくて。その代わりこっちも、痛い痛いって喚いても知らない振りするわ。自己責任だもの」

「ひでぇ……」

 

 鈴仙は内心で思う。師匠程の薬師が薬の味を変えるなんて造作も無いだろうに。だが敢えて苦く(ジョセフ曰く飛び切り苦い)している所は、絶対にわざとしているとしか、永琳を知る鈴仙は思えなかった。あぁ相当いじめたいのだなジョジョを、その笑顔のままでと、鈴仙は少し身震いした。

 

 

 ジョジョは身内では無いから良いが、これが身内の自分に対してなら滅茶苦茶されていただろうに。因みに鈴仙は彼を『ジョジョ』と呼ぶ。彼がそうしろと言ったので、そう呼ぶだけだ。またご丁寧に『ジョジョさん』と敬語で呼んでいる……患者として接している以上は。

 

 

「所でジョースター」

「先生……その呼び方慣れないんだよなぁ〜……ジョジョって呼んでくれよぉ」

「嫌ね。ジョジョって濁音の上に拗音が連続するもの。私個人からしたらジョースターの方が言い易いわ」

「何だよ先生ぇ〜! フレンドリーになろうぜぇ〜!」

「いつ私が貴方の友人になったのよ。貴方は早く怪我を治して、『博麗神社』に向かう事ね」

 

 

 

 

 ジョセフは、この場所の事を昨日に聞いている。ここは『幻想郷』で、名の通り常識ではあり得ない『幻想』が集まる最後の楽園との事。幻想とは、ジョセフに対して説明するならモンスターやゴースト、更には絶版された過去の本等の人に忘れ去られた或いは、「いる訳がない」とお伽話扱いされている生物や物体がやって来る世界である。

 

 

 現実世界とは『結界』で断絶させられているらしいが、その点の説明を理解していない者は案外、郷内の人にもいるようで、素人のジョセフに言っても仕方ないとして省略された。だが、永琳の言った『博麗神社』がその結界を操作出来るらしく、そこの巫女に頼めば出して貰えるかもしれないと聞かされたのだ。

 

 

「貴方って、変な人ね。普通、いきなりこんな場所に飛ばされれば動揺して帰りたがるものなのに」

「帰れる方法があるなら、現状を楽しまなきゃ損だ! それに美人の先生に治療して貰えるなんて、俺ってラッキーッ!」

「……変な人」

 

 隣でボソッと鈴仙が言う。本当によく分からず、変な人間。ジョセフは遠く知らない世界と言えど、我を貫けていた。その我の強さこそが、彼の強靭な精神力を作り出しているのかもしれないが。

 

 

 だがその心中はずっと彼の祖母や先生に友人、また死に行った最大の友の事を忘れやしない。一刻も早く治し、皆の前に全快した姿を見せて驚かせてやりたいと、思っている。そして、友への勝利報告も。

 

 

「それでその怪我はどうしたって、言っていたかしら?」

「この怪我は、俺が化け物を退治した時の怪我だ! 火山噴火で成層圏まで飛んでそいつを____」

「あり得ないですって」

 

 横で鈴仙が即刻否定し、ジョセフは「にゃにぃー!?」と食い付く。

 

「まず噴火でどうやって飛べたんですか。貴方、岩人間ですか?」

「ちげぇ! 溶岩の岩盤だよ! その下で噴火して、飛び上がったんだ! それに噴火だって、俺が起こしたんだぜ?」

「だからあり得ないですってそれが。昨日も聞きましたけど、撃ってもマグマに落としても死なない完全無欠の究極生物……の時点で呆れましたよ。三流小説じゃあないですか」

「なんだとてめぇー! と言うかおめぇ、だいぶ俺に対しての態度が悪くなってねぇか!?」

 

 鈴仙も最初こそは一応、患者なので丁寧に接していたのだが、それでも謙虚さと礼節が微塵も無いジョセフに対して、腰を低くしている自分が馬鹿らしくなったのだ。一日でここまで評価を下げるとは寧ろ、流石であろう。患者でさえなかったら、ぞんざいに扱っていただろうに。

 

 

 啀み合う二人に永琳は穏やかに手で制し、黙らせる。双方とも、彼女に弱い。

 

「そこでお終い。鈴仙も言うじゃない、『事実は小説よりも奇なり』。あり得なくはないわよ?」

「まさかお師匠様、ジョジョさんの話を信じるんですかぁ〜!?」

「いいえ全く。そんな生物がいるなんて初耳よ」

「だから実話だっつーのッ! と言うか、この世界の方がだいぶファンタジーじゃあねぇか!?」

 

 ジョセフが机を右手で叩きながら抗議する。それをまた鈴仙は、呆れた表情で制止させるのだ。言っても聞かないと溜め息吐きたくなるが。

 

 

「それじゃ、私は仕事があるから」

 

 永琳は手を振りつつ踵を返し、部屋から出ようとした。気付いた鈴仙が彼女に聞く。

 

「薬剤の調合ですか? なら、私もお手伝いしますよ」

「んー……薬、ではないのよ鈴仙。ちょっとした野暮用かしら」

「はぁ、そうですか」

「里の人に売る分の薬は用意してあるし、お昼になったらいつも通りお願いね」

「分かりました」

 

 そう言って彼女は障子を開けて出て行った後、もう一度二人に軽く手を振ってから障子を閉めた。瞬間、ジョセフの口から溜め込んでいたかのような溜め息が漏れる。

 

「……はぁぁぁ。あの先生、何だかリサリサに似た雰囲気があんだよ……もう、チョー苦手なタイプ!」

「リサリサって誰なんですか……」

「ババアだババア! 良い人だけど厳しくてイヤぁな奴!」

「思っても言わないでくださいよそれは……本当に人体実験にされますよ?」

 

 下唇を突き出し、不貞腐れた様子を見せながらジョセフはフォークを手に取り、南瓜の煮付けを口へ放り込んだ。南瓜の煮付けだけは彼の口に合うようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 障子の向こう、永琳は立ったまま。勿論、障子からジョセフの言葉はダダ漏れである。

 

「……次はうんと苦くしてあげようかしら」

 

 ポツンと怖い事を呟き、彼女は二人に存在を悟られぬようにゆったりした足取りでその場を去る。

 

 

 そのまま廊下を行き、暫くした所にある研究室の扉を開けた。ジョセフたちのいた部屋から、もっと言えば診察室からも遠い永遠亭の奥座敷である。

 研究室の部分だけは嫌に近代的な、鍵付きの扉。永琳は鍵を開け、中へ入る。

 

 

 

 

 家具などがない殺風景な部屋。部屋の奥の壁上層にある小さな横長の格子窓から、太陽光が寂しげに入り込んでいる。蝋燭を立てる台は無く、夜間が来れば部屋は使えなくなるだろう。

 部屋の中央には大きめの台があり、その上には何かが寝かせて乗せられ、全貌に布をかけられている。隣には鉄製の机が置かれ、上には銀のトレーとピンセットやメスがある。

 また台の側には椅子も置かれており、誰かが俯きながら座っていた。

 

「待たせたわね。十二分かしら?」

 

 永琳がそう言うと、相手は顔をあげた。

 

「惜しいね、十五分」

「悪かったわ、重傷されどワガママ患者の相手が忙しくて」

「……ここにいるのも、死体の側にいるのも気が悪いわ」

 

 椅子に座る人物は、気の悪そうに話す。座っているのは、白髪の少女。赤いモンペ風の着物が特徴的な、凛とした人物である。落ち着かないのか何度も足を組み直し、腕を組んだ右手の人差し指が絶えずトントンと動いている。

 

「それにしても貴女が亭内まで入ろうとするなんて、珍しい事もあったかと思えば、まさかねぇ……」

 

 永琳は訝しげに、台の上に寝かせてある物へ目配せする。

 

「姫様を呼ぼうかしら?」

「……あいつに会わせないように、わざわざ貴女、裏口から通したのでしょ」

「と言っても今はご就寝中よ。昨夜は遅かったみたいだし……貴女は寝ている?」

「寝られなかったわ。後になって慧音の家に行ったら……殺人事件よ」

「それは災難ね」

 

 そう言いながら彼女はバサリと、布を取っ払った。

 

 

 

 

 布の下には、白髪の少女が言った通りに、凄惨な外傷を負った死体が寝かされている。

 死体としての青白い肌に、瞳孔が開き切った光無き右目、変な方向へ折れ曲がった左腕……一見して分かる程、普通ではない死に方をした男の死体が目に入る。永琳は少し顔を顰めた、それ程に痛ましいのだ。

 

 

 致命傷は一目瞭然だ、左眼球が潰れている。どうやら何かが左目に突っ込み、その際の出血ショックで死んだのだろう。穴は深く、恐らく脳まで到達しているだろうと予測する。かなりの速度で突かれたのだろう。

 

「良くここまで運べたわねぇ」

「私一人じゃないわ、兎らにも手伝わせたよ。貴女の名前だしたらすぐよ」

「あらそう。言ってくれたら、私からそっちに言ったのに」

「野次馬が凄かったし、場所もないし。慧音の家とかは子供たちも来るし……」

「ふーん……それにしても……」

 

 永琳は、死体の左手の骨折に注目した。

 

「……酷いわねこれは……複雑骨折じゃない」

「……やっぱり、妖怪の仕業?」

「腕に打撲痕無し……押し潰されたって表現がいいわよね。後は首にも痕があるわ、強い力で声帯を潰していたって事ね。かなりの怪力」

「…………」

「ハッキリ言って、人間の所業とは考え難いわ」

 

 少女は口角を閉めて目を細め、考え込む仕草を取った。長らく無かったもので信じられないのだ、里で人が妖怪に殺される事が。

 しかし彼女にも思う所があるようで、質問する。

 

「……でも、妙でしょ? 妖怪なら、食べるハズ」

「噛み付いた痕とか無いし、取っ組み合いで抵抗した痕跡も無し。殺しただけのようね……確かに変」

「それに……貴女よりかは医学知識疎いけど……腕を折って喉を潰して最後は目って……まるでいたぶっているようじゃない?」

「どの傷が新しいかは調べなきゃいけないわ。でも貴女の『いたぶるように』って意見は支持するわよ」

 

 

 何故かと、身体を起こした彼女に永琳は、死体の男の口元を指差した。

 口は少し開かれた状態で硬直している。その口の中、黄ばんだ歯の列の中で、前歯だけ喪失している。

 

「歯がない?」

「えぇ。それに見たら分かるけど、顎まで血の痕があるでしょ? 引っこ抜かれたのよ。わざわざ歯を抜くなんて、ただ殺すだけなら必要ないわよね?」

 

 確かにそうだ。それに歯を一本だけ折るなんて所業は、動機は怨恨にしろ何にしろ、意味が無いだろう。とことん痛め付けてやりたいのなら分かるが、犯人は男の腕を折ると言う大きな事をしている。腕を折るで足りないので歯を一本だけ抜くとは、かなり陰気だろう。

 

 

 

 

「……いや。歯を抜かれた意味は、あったようね」

 

 熟考していた少女は気が付くと、永琳が机に置いてあった長いピンセットを死体の左目の傷穴に入れて行った頃であった。湿った血肉を突き進む汚濁の音が、静かな部屋に響く。ピンセットが太陽光をテラテラと反射させ、光源となっていた。

 

 

 ズルズルと入れられたピンセットが途中で止まり、指に力を入れられ何かが摘まれる。そしてまた元来た道を引き返すようにピンセットを全て引き摺り出した。

 摘まれた先には何かがある。血で赤く変色した、小石のような何か。

 それをジィッと見つめていた少女であるが(こう言う事には慣れているのか、抵抗がない)、小石の正体に気が付き「あっ!」と声をあげる。

 

 

 

 

「犯人が妖怪としても、正気じゃないわ。『被害者の前歯を、被害者の目に埋め込んで殺す』なんて」

 

 銀のトレーの上に落とされたそれは確かに、人間の前歯であった。恐らく、この死んだ男の抜かれた前歯であろう。

 少女も永琳も、あまりに常軌を逸した殺害方法を知り、表情を歪ませるのである。




Underclass Hero。
SUM41の楽曲より。超大好きな曲です、聴こう(直球)

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