「確か、あの日もこんな激しい雨だったね……」
二人の頭上を覆う暗雲と、そこからたたみ一畳大の屋根に叩き落とされる無数の鉛玉によって、更に強められた重苦しい空気。その物理的にも心理的にも湿り気を帯びた空気の息苦しさに耐え切れず、僕は咄嗟の言葉を発した。が、話終える前には既に二人を取り巻く、目には見えないモヤが、更に重量を増したことを僕は自覚していた。
「…………うん。」
長い沈黙のあとでひゃみさんが目を伏せたまま発したのはそれだけだった。
僕こと辻新之助とひゃみさんこと氷見亜季はボーダー本部からほど近いバス停で帰りのバスを待っていた。「あの日」というのは、僕とひゃみさんが所属する二宮隊のスナイパー、はとさんこと、鳩原未来先輩の失踪が発覚した日のことだ。この事件によって、僕たち二宮隊は3週間の謹慎を受けた。と言っても、処分が決定する迄の間ボーダー本部への立ち入り禁止と、防衛任務の免除を受けただけで学校へは普通に通った。そして、今日、晴れて謹慎が解けた二宮隊に待っていた処分とは、B級への降格という余りに重いものだった。永遠に感じられた3週間を終え、ようやく取り戻せた至福の時間が重苦しいものとなるのは必然と言えた。
「まだ、梅雨入りしてないのに、今月は本当に雨多いよね」
鬱陶しい雨音がまとわりつくなか、ようやく顔を上げたひゃみさんの笑顔は眩しかった。でも、それが努めて明るくしようと、振り絞られた笑顔と言葉だったことは、かすかに赤味がかった瞳を見れば明らかだった。
言いしれない後悔が僕を襲った。先の無神経な発言だけではない。こんな時にも拘らず、いやこんな時だからこそ、早くひゃみさんと二人になりたいと思っていたつい先刻迄の自分に対する後悔だ。その一方で、自分になけなしの笑顔を向けている健気で儚い彼女を強く抱きしめたいという場違いで発作的な思考も同時に抱いては、より一層後悔を深めるのだった。
「……辻くん?」
彼女の心配そうな表情が、彼女を無言のまま見つめているという現実に引き戻させ、僕は慌てて顔を背けた。しかし、その照れ隠しも無駄であろうことは、耳の先に迄伝わっている頬の熱が物語っていた。それを知ってか、或いは本当に何も気づいていないのか、彼女は、
「辻くん。熱があるの?もしかして、雨に濡れたんじゃない?」と聞いて来る。何れにしろ彼女の気遣いが有難かった。
「……熱だな、確かに、」
何の熱かは言わなかった、いや、言えなかった。彼女の心配そうな表情に耐え切れず、僕は椅子から立ち上がり、言った。
「あ、バス来たよ」
煙のような雨のカーテンをヘッドライトの光でゆっくりと裂きながら白いバスはやってきた。