Fate/lost mirages   作:Y-SSK

3 / 12
※修正履歴
2017/01/23 レイアウトの修正。文章の加筆・修正。
2017/05/15 文章の加筆・修正。
2017/07/17 文章の加筆・修正。


第参話 無粋なる策士と夢幻の賢者

 聖杯戦争とは如何なる儀式なのか。

 

 その筋の界隈では「奇跡を叶える願望機を巡った魔術師同士の殺し合い」として認知されているが、その意義を()()()()()()()()者は数少ない。

 もしも貴方がそれを知りたいと欲するのであれが、まず先に『魔術師』という存在について詳しく学ぶ必要があるだろう。

 

 

 『魔術師』とは、有り体に言うならば「魔術を以て根源の渦に至ろうとする者達」のことである。ここで注意しなければならないことは、彼等は「根源に至ろうとしている」ということ。それ以外の目的で魔術を使う者は魔術師とは呼ばれず、その代わりに『魔術使い』という名で呼称される。

 

 ちなみに魔術師から見た魔術使いは自分達の掟を犯す罪人に他ならず、例外なく嫌悪される存在であることに留意されたい。間違っても魔術師を魔術使いなどと呼んではならない。それをしたら最後、その者に待つのは死よりも惨たらしい末路だけである。

 

 

 次に『根源の渦』と呼ばれるものついて説明しよう。根源の渦とは、神秘学によれば、世界の外側に存在していると考えられている一つの()()のことであり、そこはこの世のあらゆる出来事の原点であるとされている。

 

 

 曰く、万物は根源の渦より始まり、根源の渦にて終焉を迎える。

 

 

 即ち輪廻の起点であるその場所は、この世の全てを記録し、そして生み出すことができる神の座に他ならない。そして魔術師達はその座に至ることを悲願としており、そのためには()()()()()()()()()()()()人種なのである。

 

 自身を怪物にまで貶める必要があるならば躊躇いなく禁忌を犯し、万人の人間を贄とする必要があるならば、その中に身内がいても喜び勇んで捧げる。彼等にとって重要なものは、『人命』ではなく『神秘』であり、『人倫』ではなく『魔術』である。故に大抵の魔術師というのは、俗人から見ればただの狂人でしかないのだ。

 

 仮に貴方が偶然にも魔術師に出会ったとして、彼等を説得しようなどと、ましてや真っ当な人間にしようなどと思ってはならない。彼等はその道に進んだ時点で「魔術師という名の怪物」になるのであり、もはや後戻りすることはできないのだ。したがって、彼等を真人間にするために努力することは、徒労以外の何物でもない。

 

 

 ここまでが魔術師と呼ばれる者達の大まかな概要であるが、一体これが聖杯戦争とどのような関わりがあるのか。その回答を示す鍵は、これまでの話の中に三つ程在る。

 

 

 第一に、聖杯戦争とは「魔術師同士の殺し合いである」ということ。

 第二に、聖杯戦争の勝者には「奇跡を叶える願望機が授与される」ということ。

 第三に、魔術師の全ての行動は「根源の渦への到達に帰結する」ということ。

 

 

 これらの事実を統合すると、聖杯戦争とは「奇跡を叶える願望機を手に入れて根源の渦に到達するために、魔術師達が殺し合う儀式」ということになる。時折儀式に参加する魔術師達の中に、それ以外を目的とする輩が紛れ込むことがあるが、そのような者は目先の利益に釣られて本分を忘れた愚者であることは言うまでもない。

 

 

 そんな物騒極まりない儀式である聖杯戦争。その発端は如何なるものであったのか。

 

 それは今から遡ること二百年前。アインツベルン、マキリ、遠坂(とおさか)の『始まりの御三家』が、自分達一族の秘術を用いて伝承の中の『聖杯』を再現しようとしたことから始まった。アインツベルンが聖杯となる器を用意し、マキリが幻霊(サーヴァント)のシステムを考案し、遠坂が聖杯降臨のための土地を提供する。魔術師が他人に自身の魔術を公表するという、本来ならば決してありえない出来事によって、ついに彼等は万能の釜たる聖杯を完成させるに至った。

 

 しかしその喜びもつかの間、「聖杯が願いを叶えるのはたった一人限り」ということが発覚。その瞬間、彼等の協力体制は即座に崩壊した。彼等は互いに互いを傷つけ合い、最終的に儀式は失敗に終わったのである。

 

 

 それこそが聖杯戦争の始まり。それ以降、聖杯戦争は三度に渡って執り行われ、その何れにおいても失敗に終わっている。全ての願望を再現させる万能の釜は、未だその役割を果たしていない。

 

 

 一方で聖杯戦争を生み出した『始まりの御三家』は現在でも存続しており、儀式立案者の恩恵として優先的に聖杯戦争の参加資格を得て、他より先んじて準備を整えられるようになっている。しかし未だ勝者が存在していないことを鑑みると、その優位性には甚だ疑問が残る所ではあるが。

 

 

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 日本のとある地方にある都市、冬木市。その西側に位置する深山町。

 

 その地は開発が進む東側の新都と比較して、古くからの町並みを色濃く残している場所である。円蔵山の中腹に建つ柳洞寺を始め、至る所に歴史を感じさせる家屋が建ち並んでおり、その光景は嘗ての古き良き街の情景を想起させるには十分に足るもの。

 

 中でも特に大邸宅とされる『遠坂邸』と『間桐邸』は、西洋の建築様式をふんだんに取り入れた建造物として有名であり、冬木市民ならば知らぬものはいないと言わしめるほどだ。

 

 

 そんな民衆の注目を一挙に集めている二邸宅であるが、これら二つの建物には、一般には決して知られることのない『ある秘密』が存在する。

 

 その秘密とは、そこに住む住民は『魔術師』と呼ばれる裏社会に通じた者達であるということ。魔術師はヤクザやマフィアなどと言った、()()()()()()()()()()()()の存在ではない。彼等は()()()()で社会の裏に潜む者達であり、その性質(たち)は反社会組織などよりももっと陰湿で、残虐極まりないのだ。必要となれば村一つを自身の目的のために躊躇いなく犠牲とし、時には己の命すらも二の次にすることが当たり前な彼等に比べれば、表の世界の悪党など実に生温いと言える。

 

 

 ただ一つ幸いのことは、魔術師は自身の存在が表立つことを極端に嫌っているという事だ。その御蔭で一般社会において彼等を知るものはおらず、知っていたとしても「それは創作物の中での事でしかない」という認識のみに留まっている。

 

 つまり、余程の不幸の所為で偶然にでも彼等に出会いでもしなければ、大抵の人間は魔術師を知ることなく生を謳歌できるということである。ただ、その不幸に見舞われてしまった者については、気の毒としか言いようが無いだろう。

 

 

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「綺礼、首尾の程はどうかね?」

 

 

 その魔術師邸宅の内の一つである遠坂邸。その地下において、一人の男が椅子に腰を掛けていた。

 

 赤に統一されたスーツを着込み、刈り揃えられた顎髭を蓄えた成人の男性。その名を遠坂時臣(とおさかときおみ)。冬木市において代々続いている魔術師の家系、遠坂家の現当主であり、今回の聖杯戦争における出場者(マスター)である。彼はテーブルに腕を組み、目の前に鎮座されている朝顔の蓄音機に話しかけていた。

 

 傍から見れば、機械に対して一方的に語りかけている変人のように見えることだろう。無論のこと、彼は蓄音機に対する愛情を見出した異常性癖の持ち主ではないし、蓄音機が人に見えている統合失調症の患者でもない。彼の行動は正当で(れっき)とした意味があるものである。勿論、その正当性には「魔術師にとって」という前置き付くが。

 

 

『問題ありません、師よ。聖堂教会による神秘漏洩への対処の準備、その全てが完了したことについて、先程父上から報告がありました』

 

 

 時臣の問いかけに対し、『綺礼』と呼ばれた蓄音機は男の声色で以て答えを返した。実際の所、これは蓄音機などではなく、それに似た形をした通信機である。古くから遠坂家に伝えられてきた魔導機であり、内蔵された機構によって対となる同じ魔導機を介して遠方と通話ができる代物なのだ。

 

 

 これだけを聞くならば、このような仰々しいものではなく電話を使えばいいと思う者も多いだろう。しかしこの魔導機には、科学の通信機器には無い利点が存在する。

 

それは、この機械は電気を必要とせず、故障をすることもない。極めつけは通信も電波ではなく、魔導器同士の魔力を利用するということ。つまり故障の心配をすることなく、電気を遮断されたような状況でも使用することができ、且つ他者に通信を傍受されることもないのである。

 

 その通信機は遠坂家という枠のみならず、遠坂時臣という個人にとっても、魔術が科学に遅れを取らない証明として誇れる品の一つであった。

 

 

「よろしい。これで漸く始めることができるというわけだ……聖杯戦争を。言峰さんには重々感謝しなくてはならないな」

 

『いえ、むしろ父上ならば先に自ら謝意を表するでしょう。私から見ても、あそこまで活気がある父上の姿を見るのは数十年ぶりになります。先日も、今度こそ奇跡の成就を見届けられるかもしれないと息巻いておりました』

 

「そうか。ならば言峰さんを失望させないように、我々も頑張らねばな……あぁそうだ、君の私への名の呼び方なのだが、そろそろ私のことを『師』と呼ぶのは控えるべきだろう。表面上とはいえ、既に君と私は聖杯を賭けて争う敵同士なのだからね」

 

「……善処します」

 

 

 生真面目な返答を返す『綺礼』に時臣は苦笑した。

 

 時臣と会話を行っている、通信機の向こう側にいる者の正しい名は言峰綺礼(ことみねきれい)。数日前までは魔術師として、時臣と師弟関係であった男だ。彼の父、言峰璃正(ことみねりせい)と時臣は旧知の間柄であり、魔術協会と聖堂教会という本来ならば決して相容れない陣営にそれぞれ属していながらも、同じ聖杯戦争に関わる者として親交があった。綺礼と時臣が関わりを持ち、魔術師の師弟となったのも綺礼の父を介してのことである。

 

 

 そして此度の聖杯戦争。時臣は勝利を確実にするため、綺礼と同盟を組んで戦いに望むことになった。互いにサーヴァントを召喚し、表向きには両者が敵対しているように見せかけつつ、その裏で綺礼が時臣をサポートする。今から三年前、時臣が「綺礼の右手に令呪が浮き上がった」という知らせを璃正神父から受けて思い立った策である。

 

 時臣が綺礼の師となったのもその策の一環。聖堂教会の神父である綺礼は、令呪を得てもサーヴァントを召喚する術を持ち合わせていなかったからだ。その術を授ける為に時臣は魔術の基本を、更には聖杯戦争を生き残るための治癒や錬金といった種々の魔術を彼に教授したのである。その結果、綺礼はその魔術の全てを粗方使いこなせる程にまで収め、一部の魔術に関しては師を超えるまでになり、時臣も実に鼻高々であった。

 

 

「さて、後は全てのサーヴァントが出揃うのを待つばかりとなったが……綺礼、()は今、どうしている?」

 

『それは……』

 

 

 時臣は綺礼に対し、再び問いを投げかける。しかしその声色は、先程よりも些か覇気がなく、僅かながらの懸念を感じさせるものであった。対する綺礼も返答に窮しているようであり、中々二の句を告げられずにいる。その理由は至極単純であり、彼等は予想もしていなかった問題に直面し、その対処に頭を悩ませているのだ。

 

 他のマスターを欺くため、彼等は数年に渡って計画を進めてきた。しかし事前に立てられた計画というものは、大抵の場合予期せぬ問題によって破綻することが多く、その都度修正に迫られることが常である。それは今回の場合においても例外ではなく、時臣はこの土壇場になって計画の修正の必要に迫られていた。

 

 

『申し訳ありません。奴の……アサシンの動きは私にも掴みきれません。奴のスキルによるものなのでしょうが、経路(パス)を辿っても居場所が判然としないのです。流石に新都の方面までは行ってはいないと思いますが……』

 

「そうか、やはり制御ができないか。ステータスは申し分無いというのに……」

 

 

 幾秒かの間を開けた後、綺礼はその心中を吐き出す。それを聞き、時臣も忸怩(じくじ)たる思いを隠すことなくその言葉を吐露した。彼等を悩ませる問題の主たる原因は、綺礼のサーヴァントである『暗殺者(アサシン)』が抱えていた。

 

 

 アサシンを制御することができない。一言で表すならば、ただそれだけの単純なこと。

 

 アサシンはスキルとして、「自身の思惑に関わらず体が勝手に動いてしまう」という能力を所持していたのだ。つまり綺礼が何かしら命令を下したとしても、そのスキルのために命令を無視しかねないということである。互いに協調ができない状況は、同盟関係に罅を入れかねない問題だ。

 

 しかも悪いことに、そのスキルは宝具の副作用であるというのだから始末に負えない。令呪を以て無理に矯正しようとすれば、宝具の使用に差し障りが出る可能性もあるのだ。まさか有用であると思われていた宝具が、実際の所これ以上にない地雷であったとは。さしもの時臣も、この結果を想像することはできなかった。

 

 

「よもや、このような形で計画に支障が出るとは。やはり、侭ならぬものだな」

 

『重ね重ね、申し訳ありません』

 

「いや、君に責はない。元々、幻霊(サーヴァント)の召喚は博打要素が強いものなのだ。もし恨み言を言うのであれば、それは君にではなく運命の女神とやらに言うべきだろう」

 

 

 暗澹(あんたん)たる雰囲気の中で謝罪を繰り返す綺礼に対し、時臣はそれが不要であり、彼に罪は無いことを告げた。この計画を立てたのは時臣であり、綺礼はただそれに従っただけである。計画の失敗の責任は全て時臣にあり、彼の頭の中には責任を弟子に押し付けるなどという、粗野極まりない行為をする考えは露ほども有りはしなかった。

 

 

「しかし、どうしたものかな。本来の計画であれば、アサシンに私を襲う演技をしてもらって()()()()()()()を打つつもりだったのだが。それができないとなると……」

 

「令呪を用いて強制させますか?」

 

「いや、それは止めておいたほうがいい。令呪は内容が具体的でないと効果が著しく減衰する。自分の言うことを聞け、などというのはその最たるものだ。下手をすれば、弱まった令呪の縛りをサーヴァントが自力で振りほどくことすらも考えられる」

 

「そうですか……しかし、他に手はあるのでしょうか?」

 

「うむ……」

 

 

 綺礼の疑問に、時臣はただ唸りを上げるしかない。

 

 状況は最悪とまではいかないにしても、確実に悪い方向へと向かっている。彼の策は既に、根本的な所から破綻してしまっているのだ。それを修正するのは不可能に近く、できたとしても大きな対価を要求されることになるのは想像に難くない。しかしこのまま何も手を打たなければ、確実に取り返しの付かない事態を招くだろう。悠長に構えていられる時間はない。

 

 

 時臣が考える選択肢の中には、既に「アサシンを早々に自害させる」ことも視野に入っていた。制御不可能な駒を策に組み入れるのは、あまりにも無理がありすぎる。アサシンはその存在自体が不安要素の塊だ。()()の予測できない行動をカバーするために、幾度となく計画の修正をしなければならなくなるのは自明である。

 

 

(アサシンのステータスは、ただ切り捨てるにはあまりにも惜しい。奴を制御できる方法が見つかれば、これ以上にない戦力となるだろう。しかしその方法を見つけるまでに、一体どれだけ時間がかかる? 方法を見つけるまでの間、我々は敵陣営に加えて奴の行動にも注意を向けなければならなくなる。それだけの余裕が、果たして残されているのかどうか……)

 

 

 アサシンが持つポテンシャルと、それを引き出すまで強いられるリスク。それらを天秤にかけながら時臣は思案する。全部で七騎しかいないサーヴァント。その一騎を失うことの意味。その重大さを理解しているが故に、時臣は素早い判断を下せないでいた。

 

 

 サーヴァントが他に替えのきく存在であったなら、時臣は迷いなく排除を選択していただろう。自陣に害をなすだけの存在を許容する程、彼はお人好しではない。

 

 

 第一に遠坂時臣は生粋の魔術師であり、他の例に漏れず根源の渦を目指すためならば、如何なる犠牲をも許容する男である。

 

 ただしそれは、私利私欲に塗れた外道という意味ではない。彼には人並みの感性、例を挙げるならば自身の家族に対する愛情を持ち合わせている。ただその愛情と魔術を比べた時、必ず魔術を手に取ってしまうというだけのこと。それは魔術師としての性であり、今更治せるものでもなく、そして治すべきものでもないと彼自身は考えていた。

 

 

 第二に彼は感情を理由としてではなく、合理性を至上として行動する人間である。

 

「余裕を持って優雅たれ」。それは遠坂家に代々伝わる家訓であり、時臣はその家訓を忠実に守って生きてきた。彼の人生は常に、その家訓と共に在ったと言っても過言ではない。そんな時臣にとって、感情的に動き回るのは焦燥の表れであり、全く以て優雅ではないというのが彼の認識であった。

 

 

 故に彼が悩んでいるのは、アサシンを自害させるのが忍びないからではない。あくまでもアサシンが持ちうる価値が高く、今捨てるのは尚早な判断であるという考えがあるからに過ぎないのだ。

 

 

「綺礼、この話はもう暫く保留にしよう。聖杯戦争はまだ始まってすらいない。この段階で決定してしまうには、些か枢要に過ぎる問題だ」

 

「よろしいのですか? 奴は……」

 

「わかっている。アサシンは言うなれば、いつ起動するか判らない時限式の呪い。何もせず放っておけば、近い将来において必ず我々に災厄を齎すだろう。故に、議論をするだけの時間はあまり残されていない」

 

「……」

 

「しかし一方で、我々はアサシンを有効に扱う方法について、まだ十分に模索していないことも事実だ。君が奴を召喚してから幾日か経ったが、未だに『暗殺者(アサシン)』という存在の半分も理解していないと言えるだろう。綺礼、君は奴とまともに意思疎通をしたことがあるかね?」

 

「いえ、奴は浮浪者のように行く当てもなく街を徘徊していますので、滅多に教会に戻ってくることがないのです。ですので、会話らしい会話は……」

 

「そうだ。アサシンについて我々が知っていることは、奴が自ら告げた己の名前と、マスターが聖杯から授けられるサーヴァントのステータスを読み取る透視力を通しての情報のみ。それ以外は何一つ……奴の為人(ひととなり)すらも、我々はよく知らないのだよ」

 

 

 アサシンは自身が持つ特殊な性質が故に、他者との意思疎通が極めて困難だ。しかしそれは()()()()()()()という意味ではない。『狂戦士(バーサーカー)』とは違い、人の言葉を受けて正しく答える程度の知性は持ち合わせている。ただ、()()()()()()()()()()()()というだけの話。

 

 こちらから対話を試みても、殆どの場合アサシンは無関心を示して相手にしない。運良く反応を返したとしても、会話の途中で何処かへと姿を消してしまうのだ。追いかけて呼び止めようにも『暗殺者(アサシン)』のサーヴァントであるが為に、マスターの綺礼ですら見つけ出すことが困難なのが現状である。しかし……

 

 

「綺礼、奴が使えるのかどうかを判断するにはまだ情報が少なすぎる。君にはアサシンに対して、尚一層の対話を試みてもらいたい」

 

「……果たして可能なのでしょうか。代行者として生きてきた中で様々な人間に会ってきましたが、奴程までに()()()()存在は今まで見たことがないのです。私如きが奴の本質を掴めるとは到底思えません」

 

「それでもだ、綺礼。アサシンに限らず、サーヴァントの多くは人外の者。人の尺度で理解するには困難を極めるだろう。だがそれでも、奴は()()()()()()存在だ。それを考えれば、野獣を相手にするよりかは余程容易なことだとは思わないかい?」

 

「それは、そうですが……」

 

「何、そう気負うことはない。君は神父であり、()()()()()()を導く必要に迫られることもあるかもしれない。その時のための修行と思えばいいじゃないか」

 

「……わかりました。心して務めさせていただきます」

 

「期待しているよ」

 

 

 綺礼の覚悟を決めた言葉を聞き、時臣は一先ずの安堵を得た。

 

 アサシンと対話し、そして奴を理解ができるのは、おそらく綺礼唯一人だろう。良くも悪くも魔術師らしい時臣では、対話をしている途中で良からぬ軋轢を招くことも否定できない。実のところ時臣自身も、綺礼と同じで己のサーヴァントと良好な関係を築いているというわけではないのだ。ただ意思疎通は成立しているので、綺礼ほど深刻な状況にはない。

 

 

 しかし「それで良し」とする訳にもいかない。時臣のサーヴァントである『弓兵(アーチャー)』は、ある意味アサシンよりも不可解な存在だ。その言動は実に訝しげで、要領を得ないものばかり。その話術で煙に巻かれた回数は数知れない。加えてアサシンと同じくらい放浪癖があるようで、時臣に無断で外出する事が多いのだ。

 

 現に今の遠坂邸にアーチャーの姿はなく、時臣のみが留守番をしている状況である。聖杯戦争が始まる前だからこそ良いものの、もしもこれが戦時中であったならば、真っ先に敵サーヴァントに押し入られることになるだろう。

 

 強力なサーヴァントであるアーチャーの機嫌を損なうわけにもいかないので、今は渋々黙認しているが、それも限界に近づいてきている。保って数日といった所だろう。聖杯戦争が始まるまでには、何とかしなければならない。

 

 

 山積している問題に頭を痛めつつ、時臣が綺礼に対し今後の計画について話し合おうとしたその時だった。地下の扉の向こうから、けたたましいベルの音が聞こえてきたのだ。その音の出処を、時臣は直ぐに理解する。玄関先に配置されている黒電話。自身は殆ど使ったことがない、半ばインテリアと化している機械の受信音であるということを。

 

 

「師よ、どうしました?」

 

「電話のようだ。しかし、おかしいな……掛かってくるはずは無いんだが」

 

「と、言いますと?」

 

「聖杯戦争の最中に、呑気に電話の応対をするわけにもいかないのでね。こちらに関わりのない一般人の知り合いには、妻を通じて暫く留守にする旨を伝えておいたのさ。そして関わりのある者とは、基本的に魔導機を通じて連絡を取り合うことにしている。だから電話が鳴ることは無い筈なんだ」

 

「しかし、現実として鳴っています」

 

「だからこそ不可解なのだよ。妻が伝え漏らしたのか、それとも伝えられたことを忘れた者がいるのか……仕方ない、無視するわけにもいかない。綺礼、直ぐに戻るから待っていてくれ」

 

「わかりました」

 

 

 時臣は通信を一旦切断して席を立つと、地下の扉を開けて電話の下へと向かう。その間も黒電話は受信の知らせを主人に知らせるべく、その身の呼び鈴を鳴らし続けていた。

 

 周囲の迷惑を顧みない耳障りな音に、時臣は内心苛立ちを覚えつつも目的の機械がある玄関先へと辿り着く。白桐製の小ぢんまりとした台の上に置かれた電話の送受話器を、彼は澱み無い動作で掴み取って耳に当てた。

 

 

「はい、遠坂ですが」

 

 

 電話先にいる見知らぬ相手に、時臣は至極落ち着きを払って語りかける。例え自身にとっては望まない客であったとしても、それを理由に相手を蔑ろにするのは自身の沽券に関わる。だからあくまでも自然に、相手が不快に思うことがないようにしながら、()()()()()()()()()のだ。

 

 思いも依らなかったトラブルではあるが、所詮は些事でしかない出来事。この程度で、一々感情を動かされるような時臣ではない。直面した問題にはただ冷静に、そして事務的に処理するだけである。

 

 

 ――――それが、()()()()()()()()ならばの話であるが。

 

 

『くすくす……』

 

(……なんだ?)

 

 

 時臣が問いかけてから幾秒の後、それに応えるかのように受話器から微かな笑い声が聞こえてくる。それを聞いた時臣は、()()()顔をしかめて困惑した。

 

 

 電話の声は、その声質を考えるに女性のもの()()()()()()()。「思える」という断定ではない曖昧の言葉を使ったのは、その考えに確信を持てなかったからだ。本来であれば、声主の男女の区別くらいは直ぐつくはずである。

 

 しかし電話の声は「声である」ということは知覚できても、「どんな声であるか」という踏み込んだ所まで思考を回そうとすると、まるで靄がかかったかのように曖昧になってしまうのだ。はっきりと聞こえていた音が、突然に反響音と不協和音が入り乱れたものへと変貌する。それを不快に思わない人間はそうはいない。

 

 

 時臣はこの原因を、認識への阻害によるものだと考えた。そしてそれは、魔術の世界ではさほど特異なことではない。魔術師達は世間一般に対して自身の存在が露呈することを嫌う者達である。故に人の俗世から身を隠す術を学ぶのは彼等の必須事項であり、物理的に視認できなくなる魔術や思考の誘導を齎す魔術を使用して、俗人を自身の居城に近づかないようにしているのだ。

 

 そういった手段の中で最も簡易的なものが、五感を介した暗示の魔術。光や音、もしくは物理的接触を用いて相手に催眠状態にかける。魔術に対する抵抗を持たない相手ならば、たったそれだけのことで意のままに操ることができるのである。おそらく、電話口の魔術師も同じような手を使ってきているのだろう。

 

 

 しかしその考えを正答とするならば、一つだけ疑問が残る。それは相手がこの所業を、「機械を通して成し遂げている」という事実。生粋な魔術師である時臣にとって、それは驚愕すべきことであり、同時に()()()()()()()()()()()()()()()()であった。

 

 

「……お前は、何者だ? こんな巫山戯たことをした以上、相応の覚悟はできているのだろうな?」

 

 

 時臣は嫌悪を微塵も隠していない声で相手を恫喝する。

 

 魔術師の身でありながら機械に頼る。それは魔術師の矜持に腐臭のする泥を投げつけ、あまつさえ念入りに塗りたくるような行為だ。同じ魔術の徒として、そのような輩は断じて許すことはできない。

 

 

 一体この不埒者の正体は誰なのか。そのことについて、時臣は知識の中から一つの可能性を見出していた。今回の聖杯戦争に参加する魔術師の中に、魔術師の誇りなど欠片も持たない者がいたことを、事前に集めた情報の中から知り得ていたのだ。

 

 遠坂と同じ『始まりの御三家』であるアインツベルン。聖杯戦争が始まる数年ほど前、数百年も他者からの接触を拒んでいた魔術師達が、ある日突然一人の男を外界から招き入れた。しかも婿養子として。従来ならば考えられないことだが、時臣は彼等アインツベルンの思惑を即座に見抜いていた。

 

 

 男の名は衛宮切嗣。魔術師界隈を悪名で轟かせていた、フリーランスの()()使()()である。魔術師専門の暗殺者であり、その手口は大凡倫理を無視した非道極まりないもの。公衆の面前での毒殺、爆殺は当たり前。時には「航空機に乗った標的を一般人諸共撃墜」などという俄に信じ難い事すらしてのけたという。

 

 その行動には魔術師としての誇りなど微塵も感じられず、寧ろそれを逆手に取って最も魔術師が忌み嫌う手口で狩りを行っているのだ。時臣の中での衛宮切嗣という存在は、聖杯戦争に関わらずこの手で処断するべき存在として既に認知されている。

 

 

「魔術師殺しの部下かね? ならば、主人に伝えるといい。このような稚拙で浅薄な策で籠絡されるほど、遠坂の血は脆くはない。対峙した時は、私の全霊をかけてお前を処断するとな」

 

『くすくす……』

 

 

 時臣の忠告に対し、相手は聞く耳を持つつもりはないのか、相変わらず不気味な笑い声を出し続けるのみ。もはや、そういった仕掛けが施された人形を相手にしているような気分にすらなり始めていた。これ以上相手を威圧しても暖簾に腕押し、意味は見出だせないだろう。

 

 にべも無しと判断した時臣は、電話を切ろうと受話器を元に戻そうとした、その時だった。今まで笑ってばかりいた電話口の相手が、急に無言になったと思うと、妙に明瞭すぎる声で意味のある言語を発したのである。突然のことに彼は当惑したが、そんなことはお構いなしにその者は言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

『私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの』

 

 

 

 

 

 耳元で囁く声を認識した刹那。その時に時臣が起こした行動は、理屈もへったくれもない、『反射』と呼ぶに相応しいものだった。自身の勘に従い、その場から勢い良く真横に飛び退く。そして間を置かずに背後から迫ってきた()()が、時臣がいた場所を通り過ぎて壁に衝突した。

 

 凄まじい破砕音と共に電話台が破壊され、木片が辺り一帯に飛び散る。壊れた黒電話が床に落ち、重苦しい無骨な音を奏でた。その衝撃は、明らかに屋外まで響くものであり、普通であれば周辺の住民が何事かと寄って来るだろう。しかし、屋敷全体に隠蔽魔術を貼っている遠坂邸に関しては、そのような心配をする意味は皆無である。故に時臣は、突然襲来した賊の対処のためにその思考を回転させることに注力した。

 

 

「避けられちゃった。まぁ、いいや」

 

 

 瓦礫を除けるために目を覆っていた腕を時臣が除けると、そこには。一人の少女が前屈みとなって、床にナイフを深々と突き立てている姿があった。

 

 彼女は自らが起こした惨状を前にしても、何の感慨も抱いていないように見える。更には「時臣を仕留め損なった」ことにすらも情を抱いていないようであり、彼女の声には抑揚が全く感じられなかった。

 

 

 少女はナイフを引き抜くと、軽やかな動きで時臣に向き直る。あどけない顔に浮かぶ翠緑の双眼。その瞳は時臣のしっかりと姿を捉えているように見えて、その実何も見てはいない。瞳孔が開ききっており、()()()()()()()()()()。しかし時臣は自身を見透かされているかのような、気味の悪い感覚をその瞳から感じ取っていた。

 

 

「何のつもりだ、アサシン……何故お前がここにいる?」

 

 

 時臣は目の前の少女の名を、信じ難いような目で見ながら呼んだ。

 

 『暗殺者(アサシン)』。綺礼の使い魔であり、今は冬木の何処かに出掛けているはずの彼女が、何故この場に現れ、しかも同盟者であるはずの時臣に襲いかかったのか。元々何を考えているのかわからない存在だったが、よもや同盟を無視して襲い掛かってくるような思考の持ち主だったとは。

 

 

「わかんない。気づいたらここに居たんだもの」

 

 

 時臣の質問に、アサシンは締りのない声で返答する。首を傾けて頬を掻き、不思議そうな顔をしている姿は、どこをどう見ても年頃の童子に相違無い。しかし黒い鍔付きの帽子を被り、黄色と緑を基調とした一時代前のセンスを思わせる衣装を、年端もいかない子供が着込んでいるという事実。そしてその手に握られた出刃ナイフと、彼女の胸元辺りを浮かぶ()()()()()()()()が、彼女を殊更異様で狂気じみたものへと変貌させている。

 

 

「アサシン、お前のマスターと私は同盟関係にあったはずだ。よもや、それを忘れたと言うつもりはないだろうね?」

 

「そうだっけ? 私はそうは思わなかったけど」

 

「……何?」

 

「だって同盟だったら、あの人があんなにヘコヘコする必要はないでしょ?」

 

「……」

 

 

 アサシン言葉に、時臣は沈黙した。彼女の言葉にぐうの音も出ないといった様子である。言われてみれば、時臣と綺礼の会話を側で見ていれば、二人の関係が()()()()()()()だとは思わないだろう。同盟とは互いの地位を同じくして成り立つもの。そこに上下が生まれてしまえば、それはもはや従属でしかない。

 

 まさか、気づかれたのか――――時臣に緊張が走る。もしもアサシンがこちらの思惑に気づいたなら、彼女が時臣を襲撃したことにも辻褄が合うからだ。

 

 

 彼女には「同盟関係は自分達以外の陣営を斃した時まで」という形で伝えていたのだが、実際は違う。この同盟関係は、あくまでも()()()()()()()()ためのもの。時臣と綺礼が正々堂々と決闘するようなことは、絶対に起こり得ないのだ。つまりは嘘をついていたのであり、アサシンは用が済み次第切り捨てられる運命にあった。

 

 

「それよりも、私と何か楽しいことしない?」

 

 

 そんな戦々恐々としていている時臣を他所に、やはりアサシンは緊張感のない無邪気な表情で相手を見つめていた。その顔には騙されたことに対する憤怒も、裏切られたことに対する悲哀もない。あるのは悦楽だけだ。

 

 

「さっき思いついたことなんだけど、あなたの死体って、このエントランスにすごく映えると思うの」

 

「何を……」

 

「あなたが着ている赤い服、二階の手摺に良く似合うわ。血も滴っていれば尚更ね。リボンはそうね……あなたの頭を釣り下げるのに丁度いい。目玉の代わりに蝋燭を立てれば、あのシャンデリアも素敵になるんじゃないかな?」

 

 

 アサシンは品定めをするような目で、時臣の体を眺めている。自身の言動に何の違和感も抱くことなく、それを当然であるかのように振る舞っている様は、彼女がそれらを行うことについて本気であることを示唆していた。

 

 口角を僅かに釣り上げて、アサシンはナイフを揺らめかせながら時臣に歩み寄り始める。それは散歩をするかのようであり、これから人を殺めようとしている雰囲気など微塵も感じさせない。だが、それが尚の事恐ろしい。彼女にとっての殺人とは、呼吸と同じように()()()の中で行われる所作でしか無いのだから。

 

 

「だから、ねぇ、私にあなたの死体を飾らせて?」

 

「くっ!」

 

 

 アサシンはナイフを構え、時臣に襲いかかった。対する時臣は、緊急時の護身用として懐に潜ませていた宝石を数粒掴み取り、アサシンへと投げつける。そして、魔術起動の(キー)となる呪文を一言。その瞬間、遠坂邸の玄関先は激しい閃光に包まれた。

 

 

 目も眩む光の中で、時臣はこの場を凌ぐ方法に思考を巡らせる。幸いなことに、アサシンのステータスは宝具以外の全てが劣後(D)以下。俊敏に至っては最低(E)であり、ほぼ常人に等しい動きしかすることができない。少なくとも「何をされたのかもわからずに殺される」という事態だけは避けられる。

 

 しかしそれでも、アサシンは人間にとって埒外の存在であることには変わらない。彼女が所有する宝具は規格外(EX)と評価された代物だ。それは他の低いステータスを補って有り余るものである。だからこそ時臣は、この場を容易に切り抜けられるなどとは微塵も思ってはいなかった。

 

 

 アサシンを止める方法はただ一つ。それは、マスターである綺礼に令呪を以て静止させることだ。ただの命令では意味がない。アサシンは自身の特性故に、マスターの命令を遂行することが困難である。令呪に依る強制でなければ、彼女を確実に止めることは叶わない。

 

 時臣は地下の魔術工房を目指して疾走する。懐にある宝石は後五つ。そのどれもが必殺の一撃を秘めたものであり、複数個を纏めて使えばサーヴァントにすら傷を負わせることができるだろう。しかしそれ故に、今この場で使うのは避けたい。仲間割れを仲裁するために切り札を使うなど、あまりにも無様すぎる。

 

 

 そしてものの十数秒で、時臣は地下に辿り着いた。優雅の欠片もない動作で扉を押し開け、机の上に鎮座する通信機の前に立つ。そして背後からアサシンが迫ってこないか注意を払いつつ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(――――何をしているんだ私はっ!?)

 

 

 自身が行っている奇行に気づいた時臣は狼狽する。この危機的状況に宝石の数を数えるなど、自分はいつの間にここまで耄碌(もうろく)したというのか。しかも不思議なことに、自身はその行為を()()()()()()()()()()()()()()始めていたのである。言い換えるならば()()()()()()

 

 

「鬼ごっこは終わり?」

 

 

 少女の声が、時臣の背筋を舐めあげる。慌てて振り返ると、にこやかな顔を浮かべたアサシンが背後に佇んでいた。部屋に入ってきた音も、背後に立たれた気配すら感じさせない。まるで初めからいたかのように、彼女はそこに存在していた。

 

 

 もはや、万事休すか。時臣の脳裏に最悪の結末が過る。今彼がとり得る行動は、横にある通信機に接続して綺礼に救援を求めることだ。自身のサーヴァントであるアーチャーに助けを求めることはできない。何故なら時臣とアーチャーの間には、未だ念話を行うための経路(パス)が繋がっていないからだ。念話は双方の同意があって初めて行うことが可能となる。時臣はアーチャーに念話を行うことを許可されていないために、その手段を取ることは出来ない。

 

 アサシンは笑顔の表情を崩すことなく、手に持ったナイフを時臣に振りかざした。獲物は目と鼻の先。時臣は除ける間もなく、その凶刃に倒れることになるだろう。

 

 それが遠坂時臣の聖杯戦争の結末。同盟者の裏切りで命を落とすという、情けない最期を迎えるのだ。無論それを甘んじて受ける時臣ではない。しかし抵抗するには何もかもが遅すぎる。ナイフはアサシンの手で振り下ろされ、鈍い音と共にその身を深々と突き立たせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……?)

 

 

 自身の肉体に食い込む凶刃。それに拠る痛みが一向にやってこないことに、時臣は困惑する。恐る恐る目を開けると、目の前には灰色の壁がいつの間にか立ちはだかっていた。

 

 花崗岩で構成された角柱の巨石。二段の石台と一本の石柱からなるその姿は、上から順に『天地人』を示す和型三段墓と呼ばれる墓石の一式である。アサシンのナイフはその墓石に弾かれ、刃先を僅かに欠けさせる結果となっていた。

 

 

『元気なのは良いことだけれど、人様の家に土足で上がり込むのは頂けないわね』

 

 

 何故こんなものがここに、しかも前触れなく現れたのか。その答えを見つけようとした矢先、何処からともなく女の声が響き渡った。スポンジを通したかのような篭った声であり、この声の出先を判断することは叶わない。しかし時臣は、この声の主が何者なのか既に見当がついていた。

 

 

『庭にいらっしゃい、アサシン。少し遊んであげましょう』

 

 

 女の呼び掛けに対して動きを止めていたアサシンは、獲物(ときおみ)のことなど眼中になくなったのか、無言のまま部屋を走り去る。残されたのは時臣と一組の墓石のみ。時臣は物言わぬ石柱に手をつき、大きく息を吐きだした。

 

 

(一先ずは、苦難は去ったか……()()()()()が来なければどうなっていたことか)

 

 

 時臣の窮地を救った声の持ち主。その正体は、彼のサーヴァントであるアーチャーだった。冬木の街を散策していたはずの彼女が、いつから遠坂邸に戻ってきていたのかはわからない。あまりにも都合が良すぎる展開のように思えるが、それを気にかけていられるほど、今の時臣に余裕は無い。

 

 

 それはともかくとして、早々に綺礼に指示を出してアサシンを止めなければならない。おそらく今、アーチャーとアサシンは遠坂邸の庭で戦闘を行っているはずだ。そして十中八九アーチャーが勝利し、アサシンは敗北するだろう。勝ち負けについては特に言うことはないが、アサシンが脱落してしまうことだけは頂けない。

 

 その可能性を危惧し、時臣が通信機に手をかけようとした矢先のことだった。突如、何かが爆発したかのような爆音と衝撃が走る。その振動は館を蹂躙し、時臣がいる地下室まで到達して本棚に収められた本を落下させる。

 

 

(いかん、このままでは先に館が潰れかねん!)

 

 

 その衝撃を感じ、自身が現場に駆けつけて制止させるほうが早いと察した時臣は、慌てて地下室を飛び出す。その間にも、爆撃もかくやと言わんばかりの振動が途切れることなく鳴り響いていた。

 

 

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 遠坂邸の庭は間桐邸のものよりかは若干及ばないが、それでもかなりの面積を有している。魔術師の拠点であるために有り得ないことではあるが、その気になれば数家族の客人を相手に宴会を開くことくらいは造作も無いだろう。昨今の日本の住宅事情を鑑みれば、庭付きの邸宅はそれだけで裕福の証であり、遠坂家がその地の於いてどれだけの権力を有しているのかが窺い知れる。

 

 

「これは……」

 

 

 しかしその遠坂邸が誇る庭は今、崩壊の危機に瀕していた。

 

 直接外に飛び出すのは危険であると思い立ち、二階に駆け上がった時臣が窓から庭を見下ろすと、そこには無数のクレーターがそこかしこに広がっていたのだ。地面が深く抉られ、土砂が散乱した有様には、その場所が嘗て庭であった面影など欠片も残されていない。むしろ内戦地で起きた掃討爆撃跡と言ったほうがまだ信じられそうである。既に爆撃は終わっており、これ以上の損傷は起こらないだろうが、元の状態に戻すにはかなりの労力を要するだろう。

 

 庭の惨状を目にした時臣はしばし呆然としたが、すぐに我に返ると騒ぎの下手人を見つけるべく目を走らせる。まずアサシンであるが、彼女の姿を捉えることはできなかった。元より隠形が得意なサーヴァントであるため、何処かに隠れ潜んでいる可能性も否定できない。しかし()()アーチャーの目を掻い潜ることができるとは考え難く、そうだとするならば逃げ果せたか、もしくは命を落としたかだろう。そして……

 

 

「少しばかり遅い到着ですわね。もう終わってしまいましたわ」

 

「アーチャー殿……」

 

 

 突然声がした背後を時臣が振り返ると、そこには妙齢の女性が微笑みながら佇んでいた。

 

 大きな赤のリボンが飾り付けられた帽子をかぶり、身に纏った桜色のドレスには、八卦で言うところの『()』と『(コン)』を意味する文様があしらわれていた。この二つの文様はそれぞれ『火』と『水』を表し、転じて『赤色』と『青色』を示す。この二つが合わさる所、それは即ち――――

 

 

「『弓兵(アーチャー)』だなんて、そんな堅苦しい呼び方はしないでくださいな。八雲紫(やくもゆかり)……それが私の名前なのですから、そう呼んで下さらないかしら?」

 

 

 口を扇で隠しつつ、アーチャー(やくもゆかり)マスター(ときおみ)にそう請うのだった。

 

 

「申し訳ありませんが、それだけは承諾しかねます。貴方の真名を無暗に口にするのは、敵方に付け入る隙を与えかねません」

 

「二人きりの時くらいは良いじゃないの。少し位は肩を抜いても良いのではなくて?」

 

「これが性分ですので」

 

「仕方ないわねぇ」

 

 

 佇まいを正しつつも頑なに真名を呼ぶことを拒否する時臣に、アーチャーは半ば呆れた声を上げながら部屋のソファーに腰を掛けた。それと同じくして、時臣も彼女の対面へと座る。

 

 

「取り敢えず、これでも飲みながらゆっくりお話しでもしましょうか」

 

 

 アーチャーは突拍子もなくそう告げると、手に持った扇を閉じて宙に一文字を描く。すると空間に突如亀裂が広がり、その中からティーセット一式が姿を現した。その異様な光景に時臣は驚くこともなく、ティーセットを無言のまま受け取ると、ポットの中身をカップへと注いでいく。

 

 

「始めの頃はもっと驚いてくれたのに、つまらないわね」

 

「何度も拝見すれば流石に慣れますよ」

 

 

 少しばかり膨れ顔のアーチャーに素っ気なく応対しつつ、時臣は紅茶の入った湯気立つカップをアーチャーへと差し出した。二人はダージリン独特の香気を鼻腔で感じながら、琥珀色の液体を一口含む。一瞬の沈黙とそこから広がる安息が一同を包み込んだ。

 

 

「して、アーチャー殿。アサシンは如何しましたか?」

 

 

 一息ついた時臣はカップを受け皿に置くと、アーチャーに対して事の顛末を問いかける。彼が現場に辿り着くまでに戦闘が終わってしまったので、その委細を知るのはアーチャーのみである。アサシンの生死の如何によって今後の方針が大きく変わるため、その情報は真っ先に知るべき事項であった。

 

 

「あの子ならお仕置きしてあげましたわ。今頃はマスターの所で眠りこけているのではないかしら?」

 

「ということは、まだ脱落してはいないのですね?」

 

「えぇ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 アーチャーの言葉に時臣は内心胸を撫で下ろす。

 

 彼女の言葉が(まこと)ならば、アサシンは今綺礼の下にいるのだろう。無傷ではないのだろうが、行動不能とまではなっていないようだ。あまり期待はしていなかったのだが、生きているのであれば問題はない。まだ制御する方法を見出していないため、アサシンを有用な駒とすることはできないが、駒自体を失ってしまうよりかは手数が増える分良いだろう。

 

 そしてアーチャーの発言。どうやら彼女は、時臣の思惑を既に察していたらしい。「秘密にしていた」と言うより、アーチャーの放浪癖のせいで話を切り出す機会がなかっただけなのだが、一体いつ頃から気づいていたのだろうか。

 

 

「どうやら、私の考えは既に見抜いておられたようですね。お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 

「いいのよ。()()()()貴方のサーヴァントなのだから。偶には使い魔らしいことをするのも悪くはないわね」

 

「しかし、何時から気付かれていたのですか?アーチャー殿にお伝えする機会は無かったはずですが」

 

「そうね、ついさっき知ったわ」

 

「は……?」

 

「壁に耳あり、障子に目あり。今回の場合は()()()()()と言ったほうが正しいかしらね?」

 

「……………………成程、そういうことでしたか」

 

 

 怪訝な顔をする時臣に対し、アーチャーは子供に謎掛けをするかのように意味深な発言をした。暫くの沈黙の後、思考していた時臣はその謎の答えに辿り着く。考えてみれば何の事はない、アーチャーは先程の時臣と綺礼の会話を盗み聞きしていただけなのだ。

 

 彼女が持つ()()をもってすれば、魔術師如きが造った要塞など無きも同然。魔術工房で行われる密会など、彼女にしてみれば公開収録のようなものでしかない。

 

 

「さて、今回の役目は果たしましたので、私はそろそろ御暇(おいとま)いたしますわ」

 

「私としては、あまり不用意に出歩かないで頂きたいのですが……身を助けていただいた恩もあります、不問にしましょう」

 

「あら、そのことについて感謝するのはまだ早いのではなくて?」

 

「と、言いますと?」

 

 

 アーチャーの言葉に疑問を浮かべる時臣であったが、立ち上がったアーチャーは彼を振り返ることなく、自身の目の前に大きな亀裂を造った。

 

 切り裂かれた空間の先にあったのは、夥しい数の眼球。それらには目蓋が有るように見えて、しかし一度たりとも瞬きをすることはなく、只々こちらを凝視し続けている。その無機質な視線は、時臣とっては(あたか)も「自身が無価値であるかのように見られている」と感じるものであり、あまり好ましいものではなかった。

 

 

「遠坂時臣、貴方はとても()()()()()()()()()よ。私はこれまで様々な魔術師に出会ってきたけれど、貴方ほど純粋に目的に邁進している人には片手で数える程しかお目にかかったことがないわ。魔術師とは、外法を法として生きる者。貴方は外法を忠実に守り、決してその道から外れることはない。それは、貴方が立てる堅実な策にも現れている」

 

「……」

 

 

 時臣はアーチャーの言葉に異論を挟むことなく、無言で拝聴している。彼女の言葉は寸分も違わず正しく、時臣は他に類を見ないほどの模範的な魔術師である。魔術を何よりも尊ぶが故に、彼の価値観は「魔術師として正しいもの」に固定されてしまっている。常世の人々から見て外道であっても、魔術師から見て正道ならば、躊躇いなくその手段を取ってしまうのが遠坂時臣という人間なのだ。

 

 そんな時臣の性格が如実に現れているのが、此度の聖杯戦争における彼の方針である。時臣は戦闘をアーチャーに、諜報を綺礼に任せ、自身は遠坂邸の魔術工房から一歩も出ずに指揮官となる腹積もりであった。そうすれば、身の安全を確保したまま聖杯戦争を勝ち進めると判断したからだ。

 

 

「しかし闘争というものは、机上だけで全てが済ませられるほど単純ではない。堅実な策ということは、裏を返せば()()()()()()()()()()()ということ。そして誰もが思いつく策であるが故に、それを打ち破る策も立てやすい。相手は貴方の策を破るために、ありとあらゆる手段を講じてくるでしょうね。果たして貴方の凡策は、彼等の奇策に対応しきれるかしら?」

 

「……」

 

 

 アーチャーの問いかけに、時臣は答えを返すことができなかった。

 

 もしもこの問いをかけられたのが一週間前だったならば、彼は迷うことなく可能と断じていた。自らの身を戦いの危険に晒すことなく、その役をサーヴァントに任せる時臣の策は、『使い魔を扱う魔術師』として正道な策である。綺礼と裏で手を組むことについても、謀略が常に身近にある魔術師にとっては特段珍しいことではなく、正道の範疇にあるものだ。以前の彼であれば、これらの策の成功を疑うことは決してしなかっただろう。

 

 

 しかし「正道に則れば確実である」という時臣の安全神話は、今回の出来事によって完全に崩壊してしまった。()()()()アサシンの謀反によって、時臣はものの見事に安全圏から引き摺り出されてしまったのである。もしもアーチャーが助けなかったならば――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、この日を以て彼の聖杯戦争は幕を閉じていた。

 

 この先、他の陣営が似たような事をしてこないとは言い切れない。敵対する魔術師全てが、正しい魔術師であるというわけではないのだ。その最たるものが魔術師殺し(えみやきりつぐ)であり、彼ならば更にえげつない謀略を用いて時臣を陥れようとするに違いなかった。

 

 

「だから、()()()()()()は私からの戒告。一つの価値観に囚われていては……常識に囚われていては、不測の事態に足元を掬われかねませんわ。硬いものは脆い。物事は柔軟性を取り入れてこそ、真に強固になることを努々(ゆめゆめ)お忘れ無きよう……」

 

 

 アーチャーはそう告げながら時臣を一瞥した後、亀裂にその身を滑り込ませて跡形もなく姿を消した。残された時臣は静寂の中で唯一人、アーチャーの言葉を繰り返し反芻する。

 

 

(正道だけでは外道に遅れをとる、か。確かに、その言葉には一理ある)

 

 

 正道とは「ルールの内側」であり、それは「ルールに束縛される」ということと同義である。ルールに束縛されない外道と比較して、手数で劣ることは仕方のないことであり、その点を見れば正道は外道に遅れを取っていると言えるだろう。

 

 

(しかしそれでも、決して超えてはいけない一線は存在する。もしも目先の勝利に目が眩んで魔術を乱用するようになってしまえば、その時点で私は魔術師ではなくなってしまうだろう)

 

 

 魔術師は外法の存在であるからこそ、その外法を厳格に遵守しなければならない。

 

 それこそが時臣の魔術師に対する持論であり、それができないものは魔術師ではないというのが彼の考えである。特別な立場に収まった者には、必ず相応の責務が課せられるのだ。魔術師としての道を歩みだした時点で、時臣には果たすべき使命と守るべき規律が生まれた。それは例え死に瀕したとしても、決して放棄してはならないものなのだ。

 

 

譎詐百端(けっさひゃくたん)、大いに結構。それを真っ向から打ち破ってこそ、己の魔術師としての真価を示せるというものだ)

 

 

 正道では外道に遅れを取る? だから何だというのだ。遅れを取るならば、自身の力でそれを覆すだけのこと。

 

 そもそも正道な策というものは、()()()()()()()()()()()()正道なのだ。小手先の策謀で突き崩されるほど、軟なものではない。もしも一つの策で破られそうになったならば、策を更に二重にも三重にも重ねれば良いだけの話である。

 

 

 おそらくアーチャーは時臣に忠告するために、態々(わざわざ)アサシンの襲来を見逃したのだろう。少々荒っぽいが、彼女なりの配慮なのだと思う。しかし、時臣にも譲れぬものはあるのだ。アーチャーには申し訳ないが、彼に自身の考えを改めるつもりは毛頭なかった。

 

 

(しかしアーチャーの忠告を無視する以上、尚更敗北するわけには行かなくなったな。凛のためにも、この戦いには必ず勝利しなければ……)

 

 

 何時の日か、己の後を継ぐことになるであろう自身の娘。魔術師の父親として、彼女の道標となるために。

 

 

 遠坂時臣は冷めた紅茶を飲み下しながら、決意を新たにするのだった。

 

 




基本的に人の話を聞かない幻想少女を使い魔にするのは無理があるんじゃないだろうか?


一体誰がこんな儀式を考えたんでしょうかね。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。