Fate/lost mirages   作:Y-SSK

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新年初投稿。
今年もダラダラやっていきます。


※修正履歴
2017/01/26 レイアウト修正。文章の加筆・修正。
2017/05/15 文章の加筆・修正。
2017/07/17 文章の加筆・修正。


第伍話 去り行く静謐、訪れる禍乱

「ふぁ~、やっと着いたわね」

 

「ここが、切嗣の故郷……」

 

 

 魔術師殺し(えみやきりつぐ)補助機械(ひさうまいや)が策謀を練っていた頃、仮初の主従であるセイバーとイリヤスフィールが冬木市最寄りの空港に到着していた。

 

 空模様は快晴。だだっ広い滑走路を寒風が通り過ぎるが、ドイツの厳寒の地で育ってきたアイリスフィールにしてみれば、この程度の寒さなど歯牙にもかけるに値しない。むしろ温暖であるかのようにも感じ取れ、夫の故郷に足を踏み入れた高揚感もあり、彼女の心身は綿毛のように軽やかになっていた。

 

 

 その一方で従者であるはずのセイバーは、飛行機に缶詰にされての長旅に疲れたのか、大きく背伸びをして固まった筋肉を解している。この程度のことでサーヴァントの肉体が疲労することはないはずなので、おそらく精神的なものなのだろう。一箇所に留まることを嫌うセイバーらしい所作だった。

 

 

「セイバー、空の旅の感想は?」

 

「感想と言われてもね。幻想郷(むこう)にいた時は自力で空を飛べたし、住んでた所は飛行機(これ)が飛んでた場所よりももっと高いところにあったし。特に何も言うことはないわ」

 

「あら、それは残念。驚いてくれるのを楽しみにしていたのだけど」

 

 

 にべもなく答えるセイバーに対し、アイリスフィールは不快を表すことなく笑顔で答えた。

 

 

 セイバー曰く、天人と呼ばれる存在は空の遙か上に位置する『天界』に住む者達であり、彼女はその天界の最上層である『有頂天』の出身なのだそうだ。天人は不老長寿であり、日々を遊んで暮らしているという。常人が聞けば誰もが羨む境遇であろうが、セイバーにしてみればそこは「本当につまらない場所」らしい。

 

 娯楽に縁のない生活をしてきたアイリスフィールにとって、毎日を遊んで暮らすという生活は中々想像し難い。だがセイバーの性格を鑑みると、なんとなくだが判るような気がするのだった。

 

 

 二人は手荷物の運搬を一緒について来た従者達に任せると、そのまま何も持たずに税関へと向かう。その道中において、アイリスフィールは喜悦の感情を隠そうともせずにどんどん前進していく。

 

 空港の外にあるのは、彼女にとっては未知の世界。頭の中でしか思い描けなかった光景が広がっているのだ。こんな狭苦しい場所に留まる理由など微塵もあるはずがなく、彼女の足取りが早まるのは必然と言えるだろう。

 

 

(あんなにはしゃいじゃってまぁ。これで一児の母なんだから、わからないわよねぇ)

 

 

 そんなアイリスフィールの姿を、付き添うセイバーは半ば呆れ顔で眺めていた。

 

 召喚されて五日余り。一緒にいる時間が多いこともあって、アイリスフールの為人(ひととなり)については、本来のマスターのそれよりも把握が進んでいる。初対面の頃から何処か子供っぽい一面を匂わせていることには気づいていたが、ここまで明朗快活(めいろうかいかつ)な性格であるとは、その時は思いもしていなかった。

 

 

 姿形は貴婦人のそれであるというのに、中身は童子のよう。それは決して直情的という意味ではなく、「大人びた雰囲気」と「子供染みたお茶目さ」が程よく混じり合っているということである。幼稚な大人は概して見る者に不快感を与えるものであるが、彼女に関しては例外中の例外。その証拠に、すれ違う者は老若男女問わずアイリスフィールを見返しており、その視線からは負の感情は一切読み取れず、寧ろ見惚れているようにすら思えた。

 

 

(そのお陰で、なんだか私の影が薄くなってる気がするんだけど)

 

 

 アイリスフィールにばかり衆目が集まり、自身には殆ど関心を向けられていないことにセイバーは若干不満を覚えるが、それは仕方のないことである。

 

 

 その原因の発端は「目的地までの道中、霊体化したまま後を付いて回るのはあまりにも退屈」というセイバーの我儘から始まった。

 

 サーヴァントは特に何もしていなくとも、ただ実体化しているだけで魔力を消費する存在だ。従って、役目が無い時は魔力節約のために霊体化しているのが最良なのだが、そのようなことを気にするようなセイバーではない。彼女の剣幕に折れたアイリスフィールは、半日ほど前に冬木に先立った切嗣に心で謝罪しつつ、実体化しながらの同行を許可することにした。

 

 しかしそうなると、また一つ別の問題が生じてくる。セイバーの服装は世間の常識から考えると明らかに異質であり、市中を出歩こうものなら間違いなく奇異に見られるだろう。ドイツ国内ならまだしも、戦場である冬木の地で不用意に目立つのは問題があることから、アイリスフィールは代わりとなる衣装を見繕い、それをセイバーに着せたのだ。

 

 

 詰まる所、今のセイバーの格好は本来の「七色の装飾が施された空を映すドレス」ではなく、アイリスフィールが着ている衣装と似通ったものとなっていた。白に統一された衣服に覆いかぶさる蒼髪は、見る者に『蒼穹の下の雪原』を想起させる。セイバーの可憐な風貌と相まって、その姿はさながら『冬の姫君』とも称することができるだろう。

 

 本来の姿でなくとも、人に注目されるだけの素質をセイバーは十二分に所持している。ただ残念なことに、それ以上に目立つ存在(アイリスフィール)が側にいたのが悲劇と言うべきか。セイバーが『姫君』であるならば、さしずめアイリスフィールは『女王』だ。絹のようにきめ細やかな白肌と柔らかな銀髪。更には大人であるが故の豊満な肉付きをしていることもあり、高貴な雰囲気と相まって、彼女は自覚無しに美を(ほしいまま)にしていた。

 

 

 そんなアイリスフィールに対し、容姿に幼さが見られるセイバーでは若干霞んでしまうことは避けられない。もしも彼女が本来の姿でいたならば、()()()()でアイリスフィールより目立っていたのだろうが、絶対に静止されること請け合いなので意味のない話である。

 

 

(でもまぁ、変な目でジロジロ見られるよりはマシかしら)

 

 

 悩んでいても無駄だと思い直したセイバーは、今の状況を「衆目の中に時折混じっている好色そうな視線を受けないだけ良い」と考え直した。人々から注目を浴びる事自体は好きな彼女ではあるが、それはあくまでも羨望に限ってのこと。色欲に爛れたものに関しては断じてお断りである。俗人が簡単に手を出せるほど、天人という存在は安くないのだから。

 

 

「あら、あれはお土産屋かしら? まだ時間はあるし、セイバー、寄ってみない?」

 

「別にいいけど貴方、ここに来た目的を忘れてるんじゃないの?」

 

 

 税関を超えて建物の外へ向かう道すがら、土産屋に催促するアイリスフィールを、セイバーは若干尖った口調で諌める。

 

 自分達は戦争をするためにここに来たのであって、遊びに来たわけではない。だと言うのに、アイリスフィールの行動にはあまりにも緊張感が無さすぎるのだ。時間に余裕があるのは事実であり、別に急ぐ必要があるわけではないが、特に興味を惹かれるものがないセイバーにしてみれば、さっさと現地に赴いたほうが利口であるという意見だった。

 

 

「だってせっかく日本に来たのに、楽しまないと損でしょう? 冬木に着いたらこんなことをする暇なんて無いでしょうし」

 

「それは、そうだろうけど……」

 

「セイバーも、外の日本を見るのは久しぶりなのだから。ほら、一緒に行きましょ!」

 

「あ、ちょっと!?」

 

 

 セイバーの返答を待つことなく、アイリスフィールは彼女の手を取って人でごった返す土産屋へと引き込む。彼女が慎みのある性格をしていると同時に、少々強引な側面もあることをセイバーは理解していたが、理解しているからといって慣れるものではない。セイバーは元より周囲を()()()()性格であり、逆に()()()()()()経験には疎いのだ。

 

 

 何故あのような閉鎖された空間に押し込められていたにも関わらず、ここまで快活な性格になることができたのか。「不思議な事もあるものね」などとぼんやりと考えながら、セイバーはアイリスフィールに手を引かれるがままにされるのだった。

 

 

 

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 結局のところ、二人が冬木の地に至ったのは日が大分傾いてからのことだった。

 

 ハイヤーを降り、冬木市の新都に繰り出すとそこには。休日の仕事を終えて帰路につく者と、これから訪れる休日の夜を満喫しようとする者で大きく賑わっていた。街を彩る色彩豊かな電飾の数々。その中を闊歩する人々から発せられる活力。写真からは決して知ることのできない「生きている街」が、アイリスフィールの五感を隅々まで刺激する。

 

 戦場の地理を知るという意味では、アイリスフィールは前もって冬木市の情報を切嗣から知り得ていた。しかしそれは所詮知識の中のものでしかなく、実体験から得られる情報には遥かに及ばないのは自明の理。「言葉で知る」ことと「自身の目と耳で知る」こと。その二者にはかくも隔たりがあるのだと、彼女は改めて強く認識するに至るのだった。

 

 

「で、これからどうするの? 早速切嗣(あいつ)と合流でもする?」

 

 

 冬木の街を見て感極まっているアイリスフィールに対し、セイバーは有象無象の雑踏には目もくれず、今後の行動について尋ねる。

 

 天人である彼女にしてみれば、下界に住む者達など暇つぶしに観察する程度の代物でしかない。()()()()()()()()()()()()がいれば話は変わるのだが、目の前を行き交うのはただ生きることだけに忙殺されている社会人と、目の先の悦楽にのみ興味を抱く庶民のみ。セイバーの琴線に触れるような面白い人間などいるはずもなく、彼女の思考の天秤は既に聖杯戦争へと傾けていた。

 

 

「その必要はないわ。私達から何もしなくても、切嗣の方から見つけてくれるはずよ」

 

「計画性も何もないわね……とすると何、それまでは暇ってことになるのかしら?」

 

「そういうこと。でも、このまま何もしないのは勿体無いわよね」

 

 

 アイリスフィールはそんなことをつぶやきながら、顎に手を添えて思案顔になる。が、その姿は明らかに演技であり、セイバーを連れて街中を歩き回ろうという魂胆が見え見えだ。それを見たセイバーは、今日何度目になるかも解らない溜め息を盛大に吐き出し、恨めしい目でアイリスフィールを見つめる。

 

 

「あれだけ騒いで、まだ足りないわけ?」

 

「もちろん。外を、それもこんな遠い所まで出歩くなんて生まれて初めてなんですもの。だから気が高ぶっちゃったんだけど……ちょっと、はしゃぎ過ぎかもしれないわね」

 

「あー、そうなの……」

 

 

 アイリスフィールは少しばかりバツが悪そうな顔を浮かべ、セイバーに反省の意を示した。それに対してセイバーは、なんとも言い難い表情を浮かべて視線を地に落とす。

 

 セイバー自身、幻想郷(むこう)にいた頃は天界での怠惰な生活に嫌気が差し、下界に頻繁に降りることが常だったので、目新しいものを見て興奮するアイリスフィールの気持ちがよく分かるのだ。普段の彼女であれば自分のこと棚に上げて一言二言文句を言う所ではあるが、何故かアイリスフィールにはそのようなことをする気が起きない。故に彼女は何も言うことができず、只々口籠る他無かった。

 

 

「でもどうしましょ。そうなると、することが無くなってしまうわね。こちらから切嗣に会いに行っても、おそらく邪魔になるだけだろうし」

 

「じゃあこうしない? 取り敢えずそこら辺を歩き回って、他のサーヴァントが突っかかってくるのを待つ。そのおまけで街を見て回るって形でどう?」

 

「そうね……でもそれって、結局何も変わらないってことじゃない?」

 

 

 セイバーの提案に、一つの疑問符を浮かべるアイリスフィール。彼女の提案を飲むにしろ飲まないにしろ、街中を出歩くことには変わらないように思える。

 

 

「同じじゃないわよ。聖杯戦争を片隅において遊びまわるか、聖杯戦争をするついでに遊ぶか。どっちを念頭に置くかで全然違うわ。本来の目的を忘れないためには重要なことよ」

 

「それはそうだけど……」

 

「別に悩むことないでしょ。私は敵を探して回れる。貴方は街を見て回れる。つまりあれよ、『うぃんうぃんの関係』って奴」

 

「……そうね、その通りだわセイバー」

 

 

 セイバーの妙な発音にアイリスフィールは一瞬吹き出しそうになるが、確かにセイバーの提案は双方共に不利益の無いものだ。折角彼女自ら進言してくれたのだから、一々悩む必要はないだろう。

 

 

「これからの方針が決まったところで、先ず何処に行く? 西に行けば大きな寺があるみたいだけど、ここから歩いていくのは少し時間がかかるわね……あ、そう言えばここって海沿いにあるんだったかしら? だったらそっちから行きましょうか」

 

 

 先ほどとは打って変わって、あれやこれやと積極的に思案し始めるセイバー。それを見たアイリスフィールは一瞬唖然とするも、その意図を汲み取って心の中で微笑んだ。

 

 要するに、セイバーは気を使ってくれているのだ。自己中心的な彼女が誰かを気遣うなど思ってもいなかったのだが、その姿は何とも心を和ませるものである。もしも切嗣がこの場に居たならば、一体どんな反応をするのだろうか。

 

 

(もしもイリヤが同じくらい大きくなっていたら、こんなことをしてくれたのかしら)

 

 

 アイリスフィールはもはや訪れることのない未来を想起し、そして寂寥に駆られる。

 

 娘を残して死ぬことに、今更になって後悔しているというわけではない。そのような覚悟は、遥か昔に既に済ませている。だがそれでも、『凡俗な家族愛』に対する羨望を完全に払拭することは終ぞできなかった。

 

 

 自身が道具であることを自認しているアイリスフィールですらそうなのだ。()()()()である切嗣が、どんな心情でこの戦いに望んでいるのか、それは推して知るべしであろう。

 

 彼は今日に至るまで、愛する妻を自身の願いの犠牲にすることに何度も懺悔し、その涙を流している。そんな彼に対してアイリスフィールは、心が折れることの無いように何度も励ましの言葉をかけ続けた。そうしなければ間違いなく、切嗣はこの地に立つ前に自責の念で潰れてしまっていただろうから。

 

 

(そう言えば結局、セイバーには本当のことを教えずに来てしまったわね)

 

 

 セイバーはアイリスフィールがこの戦いで確実に命を落とすことを知らない。切嗣に口止めされていたこともあるが、アイリスフィールとしても彼女に伝えるつもりは無かった。()()()()()()とも言える。

 

 真実を知った結果、セイバーが十全に実力を振るえなくなる可能性を懸念したこともあるが、それ以上にそれを知った彼女がどのような顔をするのか見たくなかったのだ。

 

 

 それは使い魔(サーヴァント)に向ける感情としては、些か行き過ぎたものであるかもしれない。本当の魔術師ならば、使い魔は使い魔として冷徹に割り切るべきなのだろう。切嗣に会う前のアイリスフィールならば、間違いなくそうしている筈である。しかし今生の夫に出会い、人として真っ当な価値観を知ってしまった彼女には、それをすることは憚られた。

 

 

 もしセイバーが真実を知った時、彼女はどうするのだろうか。

 

 どうして教えてくれなかったのかと激昂するのか。

 真実に気づけなかったことを涙するのか。

 それとも、何の感情も発露せずに終わるのか。

 

 それはその時になってみなければわからない。ただ一つ言えることは、アイリスフィールがセイバーに遺す最期の言葉は謝罪であるということだけだ。

 

 

「何ぼさっとしてるの。早くしないと日が暮れるわよ?」

 

 

 突如耳に入った声に、アイリスフィールの思考は一気に現実へと引き戻される。声の方に目を向けると、そこにはバス停の前に立ちアイリスフィールを呼ぶセイバーの姿。少し膨れ面をしている彼女を見て、アイリスフィールは苦笑をしつつ彼女の下へと足を進めた。

 

 

 セイバーへの謝罪は、今は考えないようにしよう。それをするのは、聖杯が離別の時が来てからでも遅くはない。ただ、その時までは絶対に生き残る。セイバーに謝罪と感謝を伝えること。それが、彼女を騙し続けている自身に課せられた贖罪だろうから。

 

 

 

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 二人が新都の街並みを堪能し、冬木の港からの大海原を眺め、帰路につこうとした頃には夜になっていた。太陽は既に山の陰へと身を隠し、その残光すら消え失せている。代わりに空に浮かぶのは少し縁が欠けた月と、その光に抗うようにして瞬く星々達。彼等は眼下で(ひし)めく民を、そしてその影で暗躍する者共の姿を、ただ何を思うこともなく見つめていた。

 

 

「結局、誰も来なかったわね」

 

「仕方ないわ、まだ始まったばかりだもの。おそらく情報収集に勤しんでいるんでしょうね」

 

 

 夜の寒さが忍び寄り始める中、セイバーは自身の不満を隠すことなく口にする。それを見たアイリスフィールは彼女を優しく宥めた。

 

 二人が今居るのは、帰路の途中で見つけた倉庫街の中である。冬木市の物流の拠点であるその場所には、積み上げられた鋼鉄のコンテナが絶壁のように立ち並び、その更に上にはコンテナを運ぶための巨大なクレーンが物を言わずに佇んでいる。

 

 この情景を一言で表すならば、『(くろがね)の箱庭』と言った所か。自然を一切合切排除し、生命の存在を全く感じさせないその場所は、自然の束縛から逃れようとする人類が作り出した空間に相応しい。

 

 

「あ~もう、まさかこんな根性無ししかいないだなんて、思っても見なかったわ。これだけ挑発しまくってるっていうのに、気配すら微塵も感じないなんてどういうわけ?」

 

「それだけセイバーが凄いってことなんじゃないかしら? 皆、貴方を警戒してるのかも」

 

「それって結局腑抜けってことじゃない。強者を見たら所構わず勝負を仕掛けるような気概のある奴は居ないのかしら? はぁ、貴方はいいわよね。何の気兼ねもなく街を堪能できたんだから」

 

 

 ぶつくさと恨み言を零すセイバーに対し、アイリスフィールは肩を竦める。彼女の気持ちがわからないわけではないが、これは致し方のないことだ。

 

 敵と戦うこと。それは即ち、自身の手の内を晒すことにほ他ならない。しかもその情報は戦う相手のみならず、様子を見ながら機を伺っている他の陣営にも知れ渡ってしまうのだ。つまり戦えば戦う程、相手側はこちらの弱みを突いた巧妙な策を弄してくることになる。

 

 聖杯戦争の於ける敗北。それは死を意味する。敗北の雪辱を晴らす機会が訪れることはまずありえない。例えどれだけサーヴァントを屠ったとしても、最期に負けてしまっては全てが無意味なのだ。戦うことで手の内を知られ、次戦の勝率が下がるというのならば、始めから籠城を決め込んで漁夫の利を掠め取るのも一つの策である。

 

 無論のこと、籠城したからといって必ず勝てるわけではないのだが。

 

 

 閑話休題(それはともかく)、これからどうするべきかとアイリスフィールは思案する。敵が姿を表さない以上、この場所に留まる意味は無い。とすると、これからするべき行動は切嗣に合流することなのだが、生憎アイリスフィールは切嗣の居場所を知らないのだ。セイバーに説明したように、合流の際は切嗣の方から接触してくる手筈となっている。今頃はアイリスフィールが身に着けている発信機、その信号を辿ってこちらに向かってきているはずだ。

 

 

(それなら、合流した時に奇襲されないように、人が多い場所へ移動するべきかしらね。仮にできなくても、街に戻れば切嗣が預けている自動車(おもちゃ)があるはずだし、それを使って拠点に向かうことができるわ)

 

 

 アイリスフィールは少しばかり悩んだ末、一旦街へと戻ることを決意した。何らかの事情により合流することが叶わなかった場合、冬木市の西にある山林に建つアインツベルンの別宅にて落ち合う手筈となっている。その移動手段となるのが切嗣が所有するクラッシックカーであり、新都の駐車場に保管されているそれを、アイリスフィール自らが運転して向かうこととなっていた。

 

 聖杯戦争はまだ序盤の段階、功を急くには些か早すぎる。セイバーには気の毒だが、ここは十全に体制を整えてから出直したほうが利口だろう。そう思考を締めくくったアイリスフィールが、セイバーに今後の方針を伝えようとした、その時だった。

 

 

 

 

 

 『あら、やめてしまうの? 来賓が到着したのに宴を終わらせてしまうなんて、少々粗忽が過ぎるのではないかしら?』

 

 

 

 

 

 ぞわりと、背筋を舐め取られるかのような悪寒と共に、何処からか声が響く。それと同時に、辺り一帯の気温が急激に低下した、ような気がした。

 

 

「はっ、あ……!」

 

 

 アイリスフィールの呼吸が瞬く間にリズムを崩していく。全身に突き刺さる視線。その全てが大凡常人には出せぬ殺気を帯びており、彼女の理性を(おろ)し金でおろすかのように削り取っていく。肺を直に締め付けるような圧迫感と、氷が入った冷水に飛び込んだかのような寒気に、両足が生まれたての子鹿のように痙攣し始める。

 

 自分は怪物の餌だ。腹を空かせた大蛇に見初められた哀れな鼠。

 

 次の瞬間に自分はあの怪物に捕まって、

 

 白肌の四肢を引き千切られ、

 

 柔らかな内臓を食い破られ、

 

 血潮を吸った脳髄を啜られ、

 

 骨も肉も残さず咀嚼されて地面のシミに――――

 

 

「しっかりしなさいよ。貴方がそんなんじゃあ、先が思いやられるわ」

 

「っ!? ……そうね、ごめんなさい」

 

 

 アイリスフィールはその場に崩れ堕ちそうになるが、しかしその直前、異常に気づいたセイバーの言葉により、彼女は辛うじて心を持ち直した。深海から浮上し、やっとのことで息継ぎができたかのような息苦しさを覚えながらも、アイリスフィールは努めて平静を取り繕う。そして数回の深呼吸の後には、彼女の精神は元の落ち着きを取り戻していた。

 

 もしも切嗣に会わなかったならば、ここまで早く平静になることはなかっただろう。死地において取り乱すことは、己の命を無防備にすることと同義。それを知っていた切嗣は、戦場を経験したことのない妻の生存率を上げるべく、幾つかの心得を伝授していたのだった。

 

 

(どうやら、漸くおいでなすったみたいね)

 

 

 そんなアイリスフィールを他所に、倉庫街一帯を覆う殺気の中で、セイバーは泰然とした態度で仁王立ちする。暇の苦痛を耐え忍んだ末の、待ちに待った敵のサーヴァントである。これだけの殺気を発するのだ、さぞ相手は獰猛な性格をした奴に違いないが、そんなことはセイバーにしてみれば()()()()()だ。

 

 人間であろうが妖怪であろうが、立ちふさがる敵は切り伏せるのみ。倦怠を何よりも嫌う彼女が今望むものは、心躍る闘争のみである。

 

 

(さて、何処にいる?)

 

 

 付近にいるであろう敵の姿を、周囲に鋭い視線を飛ばして探すセイバー。殺気が未だに衰えないことを考えると、敵サーヴァントが近くにいることは確定している。だが、その方角がわからない。これだけ強い気配ならば否が応にも判るはずなのだが、気配の強さは四方八方において均一で、居場所を絞ることができないのだ。

 

 その理由が、相手が持つスキルに拠るものなのかは解らない。ただ一つ言えることは、自分達は既に敵サーヴァントの間合い――――いや、それどころか懐すらも通り過ぎて、()()()()()()のかもしれなかった。

 

 

 「さて、どう動くべきかしら」と、セイバーは頭を回転させる。アイリスフィールという護衛対象がいる以上、彼女を置いて敵を探しに回ることは論外。かと言って彼女を連れて回っては、敵を捕まえることは不可能だろう。

 

 一番手っ取り早い方法は、周辺一帯を吹き飛ばして身を隠す場所の無い更地にすることだが、そんなことをすればこの戦争を管理している者達に罰則を課せられてしまう。セイバー自身としては神秘の秘匿などどうでもいい事柄であるが、この宴に水を注される事態になることは避けたかった。

 

 

(ま、いざとなったら勝手に行動させてもらうけどね。こっちのルールに隷従する義理なんて無いし)

 

 

 そんなことを心中で呟きながら、セイバーは懐から一本の木片を取り出す。

 

 黒漆で塗られ、片方の端に白色の馬毛の飾りが施された桃木の棒。何を隠そう、それこそが彼女の主武装であり、セイバー(ひななゐてんし)の象徴とも言える宝具の(ひとつ)

 

 セイバーがそれを一振りすると、端から燃え盛る炎のような山吹色の霧が噴出し、やがて刃のような形を作った。揺々と揺らめく刀身は光源となり、持ち主の均整な顔を仄かに照らす。己の武器を正眼に構えたセイバーは、目の前に広がるコンテナ群を睨め付けた。

 

 

 一時の静寂。しかし今に於いては、永久にも感じられるほどの長い時間。何時、何処から敵の凶刃が迫るやもしれぬこの状況で、気を緩ませる暇など微塵たりとも存在しない。

 

 直立する街灯から発せられる光が、スポットライトのように地面を転々と照らしている。この広大な敷地にしては、光源の数は些か心許ない。その証拠に光の当たらない死角となっている場所が多く散見され、殊更深い影を落としていた。

 

 

(………………?)

 

 

 ふと、敷地の一角に目をやったセイバーの脳裏に奇妙な違和感が過る。闇が溢れるこの場において、一際()()と言えるその場所。暗闇とただ呼ぶには余りにも暗く、その空間自体が光を喰らっているのではないかと思えるほどだ。その為か、セイバーの視力を以てしてもそこに何があるのか判別すらつかない。

 

 ――――それだというのに、その場所で何かが動いたような気がしたのは何故なのか。

 

 

「――――!!!」

 

 

 セイバーの中の違和感が、明確な形を成し始めたその時だった。視線を飛ばしていた闇の中から、得体のしれない何かが鋭い風切り音を立てて飛び出してきたのだ。その正体を確認するより先に、セイバーの肉体は反射的に手に持った得物で飛来物を迎え撃つ。

 

 金属同士が強く擦れるような甲高い音と主に、火花を散らしながら二物は交差する。それによって生じた衝撃波はセイバーの身辺を蹂躙し、彼女の白色の仮装を根こそぎ剥ぎ取り、元の七色綺羅びやかな正装を曝け出させた。そしてその元凶たる飛来物は、セイバーの剣術によって遙か頭上へと弾き上げられる。

 

 高々と放物線を描くそれを二人が仰ぎ見ると、その飛来物の正体は一本の槍。装飾が一切施されていない、地味で簡素なスピアである……()()()()()()()()()()()()()()()だが。 

 

 

 真紅の槍は地面に落ちるより先に、その色と同じ煙を噴出して蒸発する。アイリスフィールはそれを見て、あの槍は魔力で出来ていたのだろうと考察し、そして戦慄した。

 

 魔力で物質を生み出す魔術と言えば『投影魔術』を思い浮かべるが、あれはあくまで儀式用の礼装のレプリカを、その場限りにおいて用意するための使い勝手の悪い魔術である。間違ってでも戦闘に使用する武具を、ましてや()()()()()()()()()()()()()程の存在を生み出すような代物ではないのだ。

 

 ならば、あの槍は如何様にして作られたというのか。アイリスフィールには想像することも出来ないが、それは他の魔術師であっても同じだろう。彼等の常識を容易く覆す事象。しかしそれは、こと聖杯戦争に限って言えば驚くにも値しない。

 

 

「不意打ちなんていい度胸じゃない。やっと出会えたと思った矢先に()()なんて、失望しちゃったわ。コソコソと蟲みたいに、どうやら大したことはなさそうねぇ?」

 

 

 セイバーは嘲笑いながら、槍が飛んできた暗闇の先に対し挑発した。彼女は特段、真正面からの正々堂々とした戦い方に拘っているというわけではない。寧ろ、勝利のためならどのような姑息な手段でも許容する性質(たち)だ。

 

 だがそれは、あくまでも()()()()()()()()()()()場合に限り、他人から強要されたり逆に姑息な手段を弄されることは我慢できない。実に手前勝手な性格である。

 

 

『ふふふ……失礼したわ。やっぱり正面からぶつかるのが正解だったようね』

 

 

 先程の真紅の槍の持ち主であろう女の声が、再び辺りに響き渡る。その声は気配と同様に諸所から聞こえてくるかのように感じられ、何処が発生源なのか未だに特定することが出来ない。しかしそれを聞く中途に於いて、アイリスフィールが解したことが一つあった。

 

 それは、「その声の持ち主はセイバーと同じくらい我儘な性格をしているだろう」ということ。声色から滲み出す尊大な態度は、一言、二言聞いただけでも察せられるほど明確だったのだ。

 

 

 「初めまして、お二方。今日はとてもいい夜ね。少し欠けているのは残念だけど、月がよく視えるわ」

 

 

 そんな言葉を発しながら、ずるりと、まるで這いずり出るかのようにして闇の中から一つの人型が姿を表す。アイリスフィールはこの聖杯戦争に於いて、初めて出会う敵サーヴァントの風貌を目に収めようとし、そして瞠目した。

 

 

 街灯の白光の下に姿を曝け出した者の姿は、先程の尊大の声色には似つかわしくない小柄なもの。背丈で言うならば、アイリスフィールの腰にも届くか否かという程度しかない。顔の造形に至っては欧州人の幼子のそれと大差なく、()()()()()()()()()である。それだけで判断するならば、どこからどう見ても年端もいかぬ普通の少女としか見ることが出来ない。

 

 だがその評価を真っ向から粉砕するのが、彼女が来ている衣装である。薄紅色をしたドレスは数多のフリルで豪奢に装飾されており、あまりにも時代錯誤な代物だ。だが不思議なことに、その奇抜な服を少女は違和感なく着こなしているように見える。倉庫の無機質な風景も相まって、可憐な様が輪をかけて強調されているように感じられた。

 

 

「ランサーのサーヴァント……!」

 

「ご名答よ、アインツベルンのマスター。そう言う貴方のサーヴァントはセイバーね?」

 

 

 警戒を強めるアイリスフィールの呟きに、相対する少女は微笑みを浮かべながら答えた。

 

 『槍兵(ランサー)』。それは長柄の武具を扱い、とりわけ俊敏に優れた幻霊に充てがわれる(クラス)の名である。『剣士(セイバー)』、『弓兵(アーチャー)』と並ぶ三騎士の内の一つであり、その足の速さは他の追随を許さない。まず間違いなく、難敵と呼べる相手だろう。

 

 初戦から三騎士の一人と戦うことになるとは、果たして運が良いのか悪いのか。「こちらの手の内を知られる前に戦うことができる」という意味では幸運であると言えるし、「序盤から死に近い戦いを強いられる」という意味では不運であると言える。

 

 果たして、その運が吉凶どちらに転ぶのか。それは神のみぞ知る事柄だ。

 

 

「貴方が私に斃される記念すべき第一号という訳ね」

 

「あら、いきなり勝利宣言するなんて不遜もいいところね。あまり強気な言葉を使うと、後で無様な醜態を晒すことになるわよ?」

 

「……ほざくわね」

 

 

 相も変わらず、挑発を繰り返すセイバー。しかしランサーは紅色の瞳を細め、口角を僅かに釣り上げて嘲笑で以て返答する。次の瞬間、ビシリと空間に亀裂が入ったような錯覚をアイリスフィールは覚えた。

 

 言うまでもなく、セイバーは自身の力に絶対的な信頼を置いており、他人から見下されることを良しとしない。初対面の敵、しかも自分よりも幼い容姿の者に鼻で笑われたとあっては、彼女の心中は怒りで煮え滾っていることだろう。アインツベルン城での出来事を考えると、既にランサーに切りかかっていてもおかしくはないが、辛うじて自制を成しているようだった。

 

 

「アイリ、下がってて。巻き込まれるわよ」

 

「それはわかっているわ、援護は任せて。だけどセイバー、怒りに身を任せては……」

 

()()()()()。私は冷静よ。貴方は自分の安全を考えてなさい」

 

 

 背後にいるアイリスフィールの心配を、セイバーは振り返ることもせずに両断する。彼女の視線は既にランサーへと釘付けになっており、他のことに気を裂くつもりはないのだろう。

 

 セイバーは手に持った剣を構え、その双眼をランサーに定める。対するランサーは、その両手に先程投擲したそれよりも一回り長い、しかし同じ色調の真紅の槍を出現させた。短躯な体にはあまりにも不釣り合いなそれを、彼女は軽々と片手で振り回し、最後に刃を下に向ける形で構えを取る。二人の視線が空中で衝突し、火花を散らす様を幻視できるようだ。

 

 

「生意気なお子様には礼儀ってものを叩き込んであげるわ。授業料は貴方の命よ、覚悟なさい」

 

「己の感情も制御出来ない者が私に礼儀作法を教えるなんて、力不足もいいところね。逆に社交ダンスを指南してあげようかしら?」

 

 

 売り言葉に買い言葉、両者から出る言葉の苛烈さは衰えを知らない。だが、そのやり取りもこれで最後。この先にあるのは口を用いた舌戦ではなく、各々の武力によって繰り広げられる殺し合いだ。

 

 

 張り詰める空気の中で、その様相を見ていたアイリスフィールはただ理解する。この戦いに、自分が介入する隙はないと。先程は援護すると口にしたが、実際にできることなど精々セイバーの傷を治癒魔術で治すことくらいだろう。

 

 彼等が刃を交えている最中に飛び込んだところで、戦力にならないどころか足手まといになるだけだ。

 

 

 しかし仮とは言え、この身はセイバーのマスターなのだ。従者の戦いをただ傍観するなどあるまじき行為である。マスターの役割はサーヴァントの援護。即ち自身がするべきことは、セイバーが十全の状態で戦い続けられるように尽くすことに他ならない。

 

 具体的に例えるならば、ランサーのマスターへの対処がそうだろう。ランサーのマスターは必ず、この場の近くに身を隠して様子を窺っているはず。一度油断をすれば、その者が組み立てた謀略が立ち所に牙を剥く可能性がある。そういった状況を防ぐためにも、アイリスフィールには常に周辺を警戒する責務が課せられているのだ。

 

 

(ふん、ようやく面白くなってきたじゃない)

 

 

 一方で戦場の空気を全身で感じ取っていたセイバーは、眼前の敵を睨みつつ心の中でほくそ笑む。

 

 召喚されてからというものの、自身のマスター(えみやきりつぐ)に無視されたり、極寒の城の中に閉じ込められたりと、近頃は召喚に応じたことを後悔し始めてきていた。だが、今に限ってはそのような鬱屈した感情は薄れている。

 

 

 周囲に漂うヒリヒリとした空気。ランサーから向けられる殺気と闘気。それらは幻想郷(むこう)にいた頃の、心身が腐り落ちそうな屈託した生活を忘れさせてくれる。ただそれだけでも、現世に喚び出された価値があるというものだ。

 

 一戦目の敵は槍を象徴とする幻霊(サーヴァント)。見たところ、直感を信じるならば妖魔の類か。武器の扱いに手慣れており、その闘志も十二分。かなり楽しませてくれる相手だろうと確信し、歓喜を隠すことが出来ない。

 

 

(さて、お手並み拝見といこうかしら)

 

 

 心持ちは不退転、敵を斃さずに逃げ帰るなどあり得ない。セイバーは右手の宝剣を握りしめ、その足をランサーに向けて一歩踏み出す。

 

 銀白の十三夜月が見下ろす中、戦の火蓋は遂に切って落とされるのだった。

 

 

 




ランサー……一体何者なんだ。

因みにここのランサーは幸運Eではありませんのでご安心ください。



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