遊戯王GX ~氷結の花~   作:大海

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おひさ~。
そんじゃ、第二部いくでよ~。
今回もね、読む人によってはキツメな描写があるので、その辺注意ね。
そんじゃ、行ってらっしゃい。



第二部 光の結社
第一話 願い、誓い、諦め、希望…… ~凶王~


視点:梓

 さて……

 今朝もいつも通りのトレーニングを終え、お風呂に入り、着物に着替えます。

 荷物も前日の内に準備は完了済みです。

 忘れ物は、ありません。今日も、いつもと同じように部屋を出て、学校へ向かいます。

 

 通学途中、生徒の皆さんの姿が見えました。

「おはようございます。皆さん」

 いつもなら、皆さんの方から挨拶をして下さりますが、たまには私の方から行うのもよろしいですよね。

 声を掛けた皆さんは、一斉に私の方を振り向きます。

 

『……!』

 

 すると、全員が一斉にその身を引き、表情を引きつらせました。

「皆さん?」

 その様子に、気になって声を掛け、歩み寄ってみましたが……

 

『きゃああああああ!!』

 

 なぜか、悲鳴を上げながら逃げていってしまいました。

「皆さん……?」

 

 その後も、いつも通りの登校をして、出会った生徒の皆さんに挨拶をするのですが、誰もが私を見た途端、逃げていきました。

「……私、何かしましたか?」

 むぅ……心当たりがあり過ぎて分からん……

「む?」

 などと考えている間に、目の前に、また一人の生徒。

 あれは……

「……////」

 顔が、胸が、一度に高揚するのを感じます。私の一番愛しい人が、目の前を歩いている。

 嬉しくなって、歩いていた足を走らせました。

 

「……」

 

 と、彼女も私に気付いたらしく、振り返りました。

「あ……////」

 私の方も、挨拶をしようと、口を開いた……

 

「う、臭い……!」

 

「……は?」

 と、その言葉に、思わず立ち止まってしまった。

「臭い? 私が……?」

 はて……確かに、今朝は毎朝行っている訓練を行って、汗を掻きましたが、きちんとお風呂に入って、汗を流して、新しい服に着替えたはず……

「……え?」

 

 

 

視点:外

 

 臭い、という言葉に、梓は自身の服装を確かめようと、両手を広げて見てみた。すると、それはいつもとは違っていた。

 いつもなら、その腕は、雪のように白く、艶やかで、美しい手の平と甲と、細い指先を備えていた。

 それが今は、日焼けで茶色に染まり、埃や泥がこびりつき、いくつもの皺や筋が刻まれ、血管が浮き出て、爪はボロボロに割れている。

 そして、服装もまた、いつも着る、青い着物ではなくなっている。

 それは、ただ必要な部分を隠すためだけに、ぼろ布やら、新聞紙やら、落ち葉やら、そんなものを組み合わせて作った、とても服とは呼べないような代物だった。

 草履を履いていたはずの足は素足で、手と同じように、醜い様を浮かべていた。

 サラリと透き通るように流れていた髪は、ボサボサにねじれ、脂と泥でネバネバしていた。

 身体は元々痩せていた物の、今は痩せているどころか、ほとんど皮と骨と血管だけになっている。

 鏡が無いので顔は見えないが、両手で触れた感触から、身体と同じようなことになっていると分かる。

 

「え……え?」

 

 自身の身が、そんなことになっていると気付いた、次の瞬間だった。

 

 ガシッ

 ガシ……

 

「はっ……!」

 両手、両足、腰、肩、首、体のあらゆる部分を、腕に捕まれる感触があった。

 その感触は、あまりに覚えがあった。

 ごつごつと硬く、力だけは異様に強く、そして、興奮からか、異様に熱を持った、そんな感触。

「あ……あぁ……」

 恐怖から、振り返ることはできなかった。振り返るまでもなく、その正体は、その声で判明された。

 

 ――アナちゃ~ん……

 

「ひっ……!」

 耳元に聞こえた、中年を超えた男の声。咄嗟に、力任せに振りほどこうと思った。

 だが、いつもならこの程度の力は、余裕で振り払えるはずなのに、毎日の訓練で鍛えてきた力が、全く引き出せない。まるで、忌々しい過去に、姿だけでなく、力まで戻ってしまったように……

 

 ――アナちゃ~ん

 ――アナちゃ~ん

 ――アナ……

 

 そんなことを考えている間にも、声はどんどん大きく、そして、増えていく。

 更に、掴んだ腕の力が後ろへ向かい、体が徐々に、後ろへと引っ張られていく。

「いや……いやだ、いや……!」

 咄嗟に、目の前の彼女に向かって手を伸ばし、声を上げていた。

「た、助けて……」

 

 だが、彼女の梓を見る視線は、酷く冷たかった。

 

「近づかないで」

 

 発した言葉もまた、冷たかった。

 

「え……?」

 

 思わず聞き返した梓に対して、彼女は、冷たい声のまま……

「だって……」

 

(……いや)

 

 その先は、聞きたくなかった。

 

(いや!)

 

 だが、彼女の口は止まることなく、両手を掴まれているせいで、耳を塞ぐことすらできず……

 

(いや!!)

 

「汚いから」

 

「……」

 その一言が、梓の耳に、胸に、そして総身に突き刺さった。それは、どんな刀よりも鋭利で、どんな拳よりも、重すぎる言葉だった。

「きた……ない……?」

 

 ――アナ……

 ――穴……

 ――穴……

 ――穴……

 

 後ろから聞こえてくる男達の声も、もはや耳に届かない

 引っ張られていくことにすら、まるで抵抗の意思を見せない。

 愛しい彼女から、絶対に聞きたくなかったその言葉を、その口から発せられたこと。

 それだけが、梓にとっては地獄だった。

 

「……いや」

 

 こんな自分の悲鳴など、誰の耳にも届きはしない。

 分かっていても、それでも……

 

 ――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

「……」

 

 目を覚ました時、目の前には、いつもの寮の自室が広がっていた。

 もっとも、それは梓がこの部屋に引き籠もる以前に比べて、だいぶその様相を変えてしまっていた。

 そして、そんなことは既に、彼の関心にない。壁にもたれ掛かりながら、再びその顔を、ひざを抱えた両腕の中に埋めるだけ。何も見えないよう、何も聞かずに済むよう、ひたすら顔を伏せるだけ……

 

(……どうして、忘れていたんだろう……)

 

 今になって思い出す。自分が人ではなく、ゴミとして生きてきた時代。

(それは……皆さんが、私を人だと認めてくれたから……)

 激昂し、錯乱し、暴走した自分のことを、体を張って、必死に止めてくれた友たちのことを思いながら、理解する。同時に、それで許されたと、勘違いしていたことさえ、思い出してしまった。

(……じゃあ、彼らは私が、穴だったことも、受け入れてくれるのか……?)

 ただ捨てられ、放置され、汚れに汚れてしまったものなら、拾った後も、綺麗にすればリサイクルもできる。そうやって自分は、人になれたのだから。

 だが、それが男達の欲望の捌け口として扱われ続けたものであるのなら、どうだろう。

 どれだけ綺麗に洗っても、綺麗になるのは表面だけ。内側はそうはいかない。一生彼らに穢された事実が消えることはない。

 一度でも穢されてしまったそれは、それがこの世から消えてなくなるまで、永遠にその事実がつきまとい、消えることは永遠に無い。

 ゴミとしての汚れと、穴としての穢れには、それだけの明確な差がある。

 

 そして、その差を、アカデミアの生徒達、全員が知ってしまった。

(結局私は……どんなふうに生きて、何をしていようとも、汚いんじゃないか……)

 絆で結ばれた仲間達のお陰で、忘れかけていたそんな事実。

 忌まわしく、おぞましい記憶が、再び彼の意識を、そして、体中を支配していく。

(もう……誰とも絆など、育めない……)

 誰にも秘密にしてきた真実が知られた以上、それもやむを得ない。

 このまま消えて無くなってしまうことができたなら、どれだけ楽になれるか知れない。

 仲間達の顔を思い出しながら、そんなことばかりを考える。

(十代さん……準さん……翔さん……明日香さん……大地さん……クロノス先生……)

 そうやって、仲間達の顔を順に思い浮かべ、最後に浮かべた顔……

 

「……っ!」

 

 夢に出てきたのと同じ、彼女の顔を思い浮かべた瞬間、諦めているはずのその意識に、再び未練が宿ってしまう。

「いや……いや、いや……」

 頭を両手で抱えながら、顔を伏せ、そんな言葉を繰り返す。やがて、口からの声は、心の声に変わる。

(ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……)

 彼女に向かって、何度も、何度も謝罪の言葉を繰り返す。

(臭くてごめんなさい、汚くてごめんなさい、穢されてごめんなさい、生まれてきてごめんなさい……)

 夢の中で見た、冷たい視線に向けて、ひたすら繰り返す。

(許して下さい……何でもします……もう、一生会えなくてもいいから……好きとか愛おしいだんて、思わないから……だから……)

 そして、行きつく先の言葉は、たった一つの、純粋な願い事……

(どうか、嫌いにならないで……)

 散々自分のことを否定し、自虐してきた身としては、全く見合っていない、そんな願い事……

(誰に嫌われてもいい……けど、あなたにまで、嫌われてしまったら、私……)

 

 ――生きていけない。

 

 それだけは、胸の内とは言え、言葉にできなかった。

 今この瞬間も、そして、生まれた瞬間からも、自分が生きていると言える状態だったのか、はなはだ疑問だった。

 そんな自分が生きていけないなど……

 そして、あなただけには嫌われたくないだの……

 

「……ふ……ふふ……」

 考えてみればあまりにもおかしくて、笑い声が口から洩れていた。

(いい加減にしなさいよ。臭くて、汚いくせに……)

 最後にはそうやって自分に言い放ち、考えることをやめ、また、いずれ眠りにつくのを待つことになる。そして、眠りについたらまた同じ夢を見て、同じように自分を卑下しながら、たった一つの願い事に縋りつく。

 消えてしまいたいと思いながらも、この部屋に執着しているのは、そんな、いつまでも捨てることができない願い事のせいだった。

 

 

 そして、そんなふうに、いつまでも引き籠もりながら、思談ばかりを繰り返しているせいで、気付くことはなかった。

 梓が、呆れた我がままだと断じる願い事は、本人が願うまでもなく、とっくに叶っていることに。

 むしろ、彼は嫌われるどころか……

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

 

視点:万丈目

 あの時の、梓の決闘から、二週間が経った。

 あの決闘……いや、あんなもの、決闘とは呼びたくないが、かなり忌々しい事件だった。

 決闘が終わった直後、梓の親戚のババアや、そいつが連れてきた男達は、そのまま決闘場から逃げ出した。

 その後どうなったかは知らんが、決闘場の近くには、あのババアの着ていた着物が、ビリビリに破かれた状態で落ちていて、その周囲の地面や壁には、異臭がこびりついていた。

 少なくとも、相応の報いを受けたことは、容易に想像がつく。

 だがその後も、そいつらのせいで、最悪なことは続いた。

 あのババアはどうやら家へ戻ったらしいが、それ以外の男達は、全員がこの島に残っていたらしい。

 何人かは定期船が来るのを隠れながら待って、密航して本土に戻ろうとしたようだが、それ以上に、身を隠しながら目の前を通った生徒を襲おうとした連中が大勢いた。女子生徒、男子生徒を問わずだ。

 かく言う俺も、たまたま前を通った茂みの中に引き摺り込まれ、あわや男二人に襲われかけた。もっとも、逆にボコボコにしてやったがな。

 翔も襲われかけたらしいが、マナや、後から駆け付けたモモエやカミューラも加わり、動かなくなるまで殴ったらしい。

 天上院君も同じ目に遭ったそうだが、襲ってきた男四人、合わせて十五の骨折。タマタマも潰してやったうえ、全員の鼻の形を変えて、一人には、たまたま持っていたシャベルを奪い、それを頭にお見舞いし、『S.P.Q.R.』という文字を刻んでやったという話だ。

 まあ、所詮は普段からろくに飯も食っていない浮浪者どもだ。よほど非力でなければ、喧嘩になったところでまず負けはしない。

 幸いなことに、被害は一人も無く、一週間が経った頃には二十人弱いた男達全員が捕まった。ちなみにそのほとんどは、あずさが見つけ出してボコボコにしたようだ。

 そのまま警察に逮捕されることとなったが……逮捕される直前、男どもの言っていた言葉を思い出すと、今でもはらわたが煮えくり返る。

 

 ―「なんで俺達がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ! 悪いのは、あの女だろうが!」

 ―「そうだ! そもそも、あいつらが俺達から穴を取り上げたのが悪いんだぞ!!」

 ―「俺達は悪くねえ!! 俺達は、全員で大事にしていた穴を取り上げられた被害者だ!!」

 ―「その穴を返してくれるっていうから来てみたら、穴は自分で顔を傷めつけてただのゴミになっちまうし! 俺達は痛い目に遭わされるし!!」

 ―「だから代わりの穴を要求したんじゃねえか!! 俺達の何が悪いってんだよお!?」

 

 それ以上は聞きたくもなかった。だから、それ以上言う前に、今度こそ気絶するまで殴ってやった。

 こいつらは梓のことを、一切人としては扱わなかったということだ。

 穴ちゃん、という呼び名をつけておいて、普段からはちゃん付けもしない。おまけにその梓が、トラウマのせいで自ら顔を傷つけたら、穴ではなくゴミだと呼ぶ。

 つまり梓は、自分でそうだと思い込み、家ではそう扱われ続け、そしてそれ以前にも、こんな連中からゴミ扱いを受け続けてきたということだ。

 梓以上のゴミが、こんなにも大勢いるのにだ……

 許せなかった。正直、いくら殴っても殴り足りない。適うことなら、今すぐぶち殺してやりたい。

 よりにもよって、こんな連中を連れてきて、梓の知られたくないトラウマを抉り出された挙句、あまつさえ、神聖な決闘を、そんなトラウマを想起させるための、汚らわしい儀式として扱うなど。

 モンスターの中には、図らずもそういったイメージを抱かせるデザインとなってしまったものはいくつかある。だがそれとて、少なくともこんな手段に使うためにデザインされたわけではない。

 モンスター達に罪は無い。悪いのは、そんなモンスター達をわざわざ探し出して、梓のトラウマを刺激した連中だ。

 そんなことをしたせいで、梓はこの二週間、ブルー寮の自室に籠もりきりになってしまった。

 

「……くそっ!」

 だが、当たり前だ。あれだけの過去を、アカデミアの生徒全員の前で暴露されたのだ。経験したことは無いが、同じ立場なら、俺でさえ表を出歩けなくなってしまうだろう。

 このアカデミアが、噂が広がりようのない南海の孤島で本当に良かったと、今更ながらつくづく思う。

 そして、そんなことがあったせいで、起きた変化は梓だけではない。

 梓の過去を知ってしまった生徒達。そして、その梓をよく知る者達にも、起こるべきでない変化は起こってしまった……

 

 

 

視点:外

 

 ガララ……

 

「……」

 教室に入った時、真っ先に目に入ったのは、正面にある板書用の黒板だった。

 その黒板の中心には、大きな凹み跡があり、そこを中心に亀裂が広がっていた。

「……」

 

 ――クスクス……

 

 次に耳に届いたのは、そんな声だった。

 教室に入り、黒板を見て、そして、そんな自分の姿を見て、ほくそ笑む、低俗な笑い声。

 そんなものを無視しながら、開いている席に座る。

 いつも通り、隣に座っていた生徒は椅子を動かし、距離を開けた。

 

 やがて、教室に先生が入ってくる。

 先生は黒板を見た後で、生徒達に視線を向けた。

 

「誰がやった?」

 

 その問い掛けに答えたのは、

 

「そんなの、一人しかいないんじゃないですかぁ?」

 

 わざとらしく、全員に聞こえるように、言い放つ。

 

「それ、明らかに殴られた跡っすよね? だったら、黒板殴って凹ませられる怪力女なんて、一人しかいないっしょ。なぁ……」

 

 そして、その対象の生徒に目を向け、同時に生徒全員の目が、そちらへと向けられる。

 

「……」

 

 あずさは何も言うことなく、席でジッと座っているだけだった。

 

「ちょっと、やめなさいよ!」

 

 そんな空気に耐えかねて、明日香が立ち上がり、声を張り上げた。

「あずさはこんなことする子じゃない。理由も無く学校の私物を壊すことなんて……!」

 

「明日香さ~ん、いくら怖いからって、庇うことありませんよ」

 

 明日香にそれ以上を言わせず、言葉を挟み込んだ。

 

「まあ、そんな怪力女、怖いから味方でいようって気持ちも分かりますけどねぇ、実際、あんなことする奴なんて、他にいないっしょ?」

 

「そうそう。今まで何度、その人のせいで決闘場が壊されたことか……」

 

「今回もそうに決まってるんですから。そいつですよ、壊したのは……」

 

「なあ、統焦さん」

 

「……」

 

 そんな、口々に言われる言葉と、場の空気に、明日香はうすら寒い物を感じた。

 いつからこんなことになっていたかは分からない。少なくとも今までのように、ただあずさを差別し、中傷しているだけではない。

 差別、中傷し、貶めようとしている。誰よりも強いはずのあずさが、その強さのせいで、生徒達にとって、明らかな虐めの対象となってしまい、それを、大勢の生徒が受け入れ、喜んで実行している。

 感じたのは、格上の寮生が、格下の寮生を貶めること以上のたちの悪さだった。

 中傷することでの快感と、貶めることでの陶酔感。それが、たったそれだけの会話のせいで、教室全体に伝染しているのを感じた。

 

「平家あずさ君、君がやったのか?」

 

 とうとう、前に立つ教師は、あずさに対してそう問い掛けた。

 

「……」

 

 あずさは、相変わらず無言でいた。無言のまま目を閉じて、シレッと座っているだけ。

 

「……授業の後、生徒指導室に来たまえ」

 

 それだけ言って、手元の資料を広げる。

 明日香は不快感に包まれながらも席に着き、あずさは相変わらず無言を貫き、大勢の生徒達は、あずさに視線を送りながら、クスクスと、不快な笑い声を上げていた。

 

 

 授業後、あずさは言われた通り生徒指導室を訪れ、先程の授業の教師と二人、向かい合っていた。

「あれは君がやった。そうなのかい?」

 先生は、落ち着いた声で、そう語り掛ける。

「……」

 あずさは教室にいたのと同じように、無言だった。

「……いいかね、平家君」

 たまりかね、先生は声を上げた。

「私はね、最初から君がやったなどとは思っていない。あの教室の生徒達の態度を見れば、誰かが道具を使って黒板を壊して、それを君のせいにしていることくらいは分かる」

 無言のままでいるあずさに対して、声を掛け続けた。

「やっていないならやっていないとはっきり言いたまえ。簡単には行かないだろうが、私なりに、真犯人を見つけ出す努力をすると約束しよう」

 優しい声で語り掛けた時、あずさは初めて先生の顔を見た。

「……いいんです」

「なに?」

 小さな声での一言に、先生は、首を傾げた。

「別に、いいです。みんながああ言ってるんだし、それで良いと思います」

「なんだって?」

 壊したと肯定はしない。しかし、壊していないと否定もしない、そんな、曖昧な返事だった。

「……もし勘違いしているのなら、はっきりと言っておくが……」

「はい?」

「ここは決闘アカデミアだ。この学校を、その辺の学校や、ドラマに出てくるような、生徒やうるさい親達に対して頭の上がらない無能教師の集まりだと勘違いしているのなら、そんなことは一切ないと断言しておく。確かにうるさい親も中にはいるが、ここでは普通の学校とは違い、教育における全権は完全にこちらへ一任されている。どれだけ多く苦情が上がろうと、誰にも文句は言わせない。強い決闘者を守る義務が、我々にはある」

「……」

「だから何も心配せず、はっきりと言いたまえ。自分はやっていない、濡れ衣だと」

「……ありがとうございます」

 優しい言葉に、あずさはいつもと同じ、優しい笑顔を向けて、そして言った。

「けど、本当に良いんです。みんながああ言うんだから、そういうことにしておいて下さい」

「平家君……!」

「それじゃあ、これで失礼します。佐藤先生」

 これ以上何か言われる前に、お辞儀をし、部屋を出ていった、あずさが最後に向けた笑顔。それには明らかな、諦め、という感情が宿っていた。

 だが同時に、単純な諦めとは違う、使命感のようなものを、佐藤先生は感じ取った。

「……」

 そんなあずさの顔を思い浮かべながら、佐藤先生は、目の前のテーブルに拳を叩きつける。

「なぜだ、平家君……君ほど真面目でひたむきな生徒はいない。それなのに……」

 最後に吐露したのは、教師として、決闘者として、平家あずさという人物を知る者としての、嘆きだった。

 

 

 そして、進路指導室を出た後、あずさは校舎を出て、女子寮への家路に着いていた。

 既に授業は全て終え、今日の晩御飯はどうしよう。そんなことを考えながら、歩いていた。

 

「あらぁ? ゴリラが歩いてると思ったら……」

 

 すると、目の前からそんな、いかにも高慢という言葉の似合う、女子の声が聞こえた。

 

「……なんだ、統焦かよ。教室の大切な黒板ぶっ壊した馬鹿力」

「おお怖い! こっち見たぞ。握りつぶされる~」

 

 女子だけでなく、男子もそこに立っている。随分と子供染みた、だが、確実に胸を抉る言葉を投げ掛ける。

 あずさは構うことなく、その前を通り過ぎた。

 

 ――コツンッ

 

 あずさが彼らに背中を向けた時、後頭部に、そんな感触が走った。

 

「見ろよ。本気で投げたのに、やっぱ力馬鹿だから鈍いわ」

 

 後ろを向き、足もとを見ると、それは、それなりの大きさの、石だった。

 

「痛くないんだな。バカだから」

「もっと試してみようぜ!」

 

 その声を皮切りに、周囲にいた他のブルー生徒達も、足もとの石を拾い上げ、あずさへ向けて投げる。

 当たる石もあれば、当たらない石もある。そんな石を、あずさは顔色一つ変えず、顔に、体に、手足に、全て受けていた。

 

「ほら、全然痛くないんだ。だったらもっと投げても問題ないな。ほら!」

 

「……」

 

「じゃあ、今度は……」

 

 バシャアッ

 

「……」

 

 バケツの水を、頭から掛けられる。それさえ、あずさは無言の、無表情だった。

 

「おい、文句一つ言わねえぞ!」

「こりゃいいや! もっと色々投げようぜ!」

 

「なにやってるの!?」

 

 彼らが調子に乗り始めた時、そんな声が響いた。

 高らかな強い声。そちらを見ると、

「明日香さん……」

「明日香様……」

 強烈な剣幕を浮かべながら走ってくる明日香の姿に、ブルー生全員が身を怯ませる。

 その間に、明日香はあずさの前に立ち、その剣幕をブルー生達に向けた。

「あなた達、恥ずかしくないの!? こんな子供みたいなことして!」

 張り上げる怒声に対し、全員視線を逸らし、表情を引きつらせる。

「あずさの何が気に入らないのか知らないけど、他の人もやってるから自分達がやっても良いって思うなら、思い上がるのも大概にしなさい! 自分達があずさと同じ立場ならどんな風に思うのよ! こんなことをして……」

 怒声を浴びせ続けるその口を、止める手があった。

「あずさ?」

「……」

 あずさは、自分の前に立ってくれた明日香の肩に手を乗せ、自分の方へ振り向かせた。

 そして……

 

 ドッッ……

 

「え……?」

 

『……!?』

 

 明日香の下腹部に、自身の拳をお見舞いした。

「な……んで……」

「……」

 疑問の声を出しながら、ひざを着く明日香。それを、見下ろすあずさ。

 そんな二人を見ていた者達に芽生えたのは……

 

「何やってんだテメェ!」

「明日香さんは、お前を守ったんじゃねえのかよ!」

「やっぱテメェ、タダの化け物じゃねえか!」

 

 直前まで、その明日香から非難されていたにも関わらず、その明日香が殴られたことへの怒り……という、大義名分を得たことでの威勢だった。

 再び足もとの石を拾う。

 あずさは明日香の前に出ると、彼らの投げつける石を、そして、投げ掛けられる言葉を、黙って受けた。

 

「この化け物! 化け物の癖に、神聖な決闘アカデミアに居座りやがって!」

「あちこち色んなものを壊して、挙句庇ってくれた明日香様に暴力まで振って!」

「さっさと出て行きやがれ! テメェがいるせいでな、こっちは夜も怖くて眠れねえ!」

「出てけよこの化け物! クソッタレ! 死ねぇ!!」

 

「……」

 

 そうして、五分ほど罵倒と投石を喰らい続けたろうか。

 彼らの気が済んだのか、はたまた体力の限界か、いずれにせよ、途中で石を投げるのを止め、帰ってしまった。

 

「……」

 

 彼らが帰ったのを見て、ずっと後ろでうずくまっていた、明日香に視線を送る。

 一瞥した後で、体の方向を変え、再び帰路へ。途中、体を燃やし、濡れた服や髪の毛を乾かしながら、帰っていった。

 

 

「……」

 帰っていくあずさの背中を見ながら、明日香は悲痛な気持ちと、疑問に苛まれる。

「どうして……?」

 数分前の記憶をまさぐる。

 あの時、あずさは明日香の下腹部に拳を、寸止めして見舞った。だが、寸止めとは言え、あずさの拳の威力は凄まじく、その拳に殴られた空気は、明日香の下腹部にぶつかった。

 痛みは無いが、十分に脅威を感じさせられたその衝撃に、思わずひざを着いた。

 そして、どうして、と呟いた直後、あずさもまた、小声で明日香の耳元に囁いていた。

 

 ―(……ごめん、放っておいてくれる?)

 

「どうして……?」

 寸止めとは言え、殴られた理由が分からなかった。そして、あんなに酷い状態なのに、それを放っておいてほしいと願う理由が、分からなかった。

 いくつもの分からないと、あずさへの悲しみの中……

 

「分からんか?」

 

 後ろから、別の声が聞こえた。低く、凛とした女性の声。そこにいるのは……

「星華、先輩……」

 両腕を組み、仁王立ちであずさの背中を見やる星華が、明日香の横へ立った。

 

「奴は奴なりに、水瀬梓を守ろうとしている、ということだ」

 

「え……?」

 疑問の声を上げる明日香に対して、星華は腕組みを解き、手を伸ばす。

「立てるか?」

「あ、はい……」

 伸ばされた手を掴み、そのまま立ち上がり、視線を合わせた。

「あの、水瀬梓を守るって……?」

「言葉通りの意味だ」

 去っていったあずさの方を見ながら、説明をした。

「水瀬梓が今、アカデミアの生徒達にどんなふうに思われているか、想像はできよう?」

「それは……まあ……」

 それは、あの決闘の日から分かっている。そして、実際に見て、痛感している。

「少なくとも、今までのように、梓に対して友好を向けられるのは、せいぜい、私やお前達仲間くらいのものだ。そして、そうでない者達の気持ちは、かなり変わってしまった。だから、奴はそんな感情を、自分に向けるようにしているのだろう」

「感情を、自分にって……?」

 理解しきれていない明日香に対して、星華は言葉を続ける。

「少なくとも、梓が今まで通りの目で、他の生徒達から見られることは無くなった。もし今梓が部屋から出てきたら、その視線だけでまた傷つくことは間違いない。違うか?」

「……いいえ、違わないでしょうね……」

「だからそうならないよう、梓が外へ出てくる前に、梓が受けるべき負の感情を、自分一人が受けていればいい。自分がバカにされ、敵視されてさえいれば、少なくとも梓がそんな目に遭うことは無い。そう考えたのだろうな」

「そんな……」

 その説明に、明日香は絶句した。

「そんなこと……気持ちは分かるけど、でも、このままじゃ、あずさの方が潰れちゃう」

「あの女は強い。が……確かに、いずれはそうなるかもな」

 二人とも、平家あずさという少女の強さはよく知っている。そして、同時に弱さもまた、分かる。そのあずさが潰される様は、想像するに難いが、同じくらい、容易だった。

「そうなったら……そうだ」

 そこで、明日香は気付いたように声を上げた。

「だったら、このことを梓に教えてあげたらいいのよ。平家あずさがピンチだって」

「それはダメだ」

 明日香の閃きを、星華は一言で否定した。

「な……どうして? 梓は確かに引き籠ってるけど、大好きな平家あずさが辛い目に遭ってるって知ったら、絶対に部屋から出てくるわ。あずさへの虐めだって、許すわけない。確実に部屋から出てくるし、虐めを確実に解決してくれる。コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実でしょう?」

「……出ない人間も中にはいると思うが、とにかくダメだ」

 あまりにも一方的な否定に、明日香はとうとう、怒りを覚えた。

「どうしてよ!? ……まさか、この期に及んで、まだあなた、平家あずさに、水瀬梓を渡したくないなんて言うんじゃないでしょうね?」

「……」

 その言葉に、星華は一度、目を閉じた。その後、強い視線を明日香に向け、怯ませた。

「……何とでも言え。だが、これだけは言える。仮にそんな力ずくの方法で梓が部屋から出てきたとしても、それは、梓が自分の意思で出てきたことにはならない。平家あずさへの虐めを解決できたとして、また引き籠って、どちらも元に戻るのが関の山だろうな」

「それは……」

 そんな、的を射た正論に、言葉を失う。

「第一、いくら他人のことを人一倍気遣う梓と言え、今の梓に、そこまでの心の余裕があると思うか?」

「……」

 梓のことを理解しているからこその正論を返され、それ以上何も言えなくなってしまった。

「……とは言え、誰かが今のあいつのそばにいてやるべきなのは、確かだ」

 星華はそう呟きながら、体の向きを変え、歩き出した。

「どこへ行くの?」

 尋ねてきた明日香に対して、星華は振り向きながら答える。

「平家あずさがそうしているのと同じだ。私も、私なりのやり方で、水瀬梓を守るだけだ」

 それだけ答えて、今度こそ去っていった。

「梓を……守る?」

 その言葉を、考える。考えてみれば、この学校に、梓を守ろうとする人間など、一体どれだけいるのだろう。そう考えてしまった。

 

 ……

 …………

 ………………

 

 明日香は知らないことだが、梓が引き籠り、浮浪者ら全員が捕らえられた直後、いつものように職員会議が開かれた。

 そこでナポレオンは、懲りずにレッド寮を廃止してしまおうという議題を持ち掛けた。以前から言い続けてきた意見ながら、最大の障害であった梓が深く傷つき、引き籠もったからこそ、再びその議題を持ち上げたことは明白だった。

 元よりそんなことには難色を示していたクロノスは当然反対したものの、その討論をキッカケに、新たな議題まで持ち上がる事態となった。

 

「この際なのでアール! トラブルを持ち込んだうえ、何日も引き籠っているムッシュ梓も、最近になって問題ばかり起こすようになった平家あずさも、二人とも退学にすべきでアール!」

「マンマミーヤ!?」

 この意見は、普段から怒っているクロノスを、更に激怒させた。

「なにを言うノーネ! 原因を考えれば、セニョール梓が引き籠らずにはいられないほど深く傷ついてしまっていることは明白なノーネ! トラブルもセニョール梓が持ち込んだわけではなく、彼のことを嫌う人間の策略なノーネ! セニョーラあずさにしても、明らかに周りの生徒が勝手に嫌がらせをしていることは明白なノーネ! そんな彼らを守れと言うならいざ知らず、退学など教師として不条理なノーネ!」

 クロノスは、そう正論を叫んだ。だが、ナポレオンは更に声を張り上げた。

「ここは決闘アカデミアでアール! 決闘を教えるのが仕事であって、勝手に引き籠った生徒や、騒ぎの原因となっている生徒を守る義務など我々には無いのでアール! まして、決闘を学ぶ気も無く、これ以上授業の妨げになるくらいなら、落ちこぼれと一緒に追い出してしまった方が手っ取り早いのでアール! 勝手にそんな存在になった方が悪いのでアール!」

 一見理不尽な訴えのようで、組織と言う観点から見れば、それもまた、決して間違えてはいない正論だった。

 生徒への庇護を優先させようとするクロノスと、組織の保守を優先させようというナポレオン、二人の教師としての考え方には、明確且つ真逆な違いがあった。

 そして、そんな保守的なことしか言わないナポレオンに対して、クロノスは、とうとうキレた。

「なぁーにが二人が悪いノーネ! 弱い立場にある生徒を守ろうともしないーデ! そんなことばかり言うから、あなたはハゲチャビン教頭なノーネ! はっきり言って、セニョール梓だけでなく、他の生徒達からもそう呼ばれているのを八つ当たりしているようにしか見えないノーネ!!」

 怒りに任せたそんなクロノスの叫びに、ナポレオンもまた、キレる。

「ああ、そうなのでアール!! 以前ムッシュ梓が、いかにも間違えたという(てい)で、大勢の生徒達に前で私の名をそう呼んだせいで、私は他の生徒達からもハゲチャビンと呼ばれているのでアール!! そんなふうに相手を侮辱し、平気で傷つける生徒など、このアカデミアには不要なのでアール!!」

「そんなこと、無理やりレッド寮を廃止しようとしたハゲチャビン教頭の自業自得なノーネ!!」

「ハゲチャビンと呼ぶなでアール!! 何が無理やりでアール!? 落ちこぼれを切り捨てることの何が間違いなのでアール!?」

 

 そしてまた、同じ討論の繰り返し。

 

「とにかく! セニョール梓にセニョーラあずさの退学、そしてレッド寮の廃止など、断じて認めはしないノーネ!!」

「いーや! 凶王も統焦も今日付けで退学、ついでにレッド寮も廃止なのでアール!!」

 

 こうして、議題に上っている本人達の知らない所で、レッド寮の存続と、二人の(あずさ)の在学を賭けての決闘が、レッド寮を舞台として行われていた。

 お互いに、相手の戦術を知っていての決闘だった物の、結果は、つい最近梓との決闘でその戦術を知っていたクロノスが、ナポレオン教頭を半ば一方的に押し切る形で勝利した。

 

 こうして、レッド寮の廃止も、(あずさ)達の退学も無くなりはしたものの、それでも、梓の引き籠もりも、あずさへの虐めや嫌がらせも、解決することなく続いていた。

 

 

 

 




お疲れ~。

あのさぁ……
この話読んでてさ、梓の言動にムカついたのって大海だけかな?
だってさぁ、梓の言っとることって要するにやで……



「私はあなたを愛さないから、代わりにあなたは私を愛してください」



(*´Д`)はぁ!?



……いや、書いたの大海なんだけど……


とりあえず、新章の第一話から、こんな鬱展開で大丈夫かな……
さてさて、この後はどうなるかしら。
まあ、よければ待っておいておくれよ。
んじゃ、ちょっと待ってて。

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