暗殺教室 ~Another Story輪廻のカルマ~ 作:ひとみらくる
カーテンの隙間からうっすら見える空。朝日がのぼるほんの少し前、微かなバイクのエンジン音。階段をのぼる足音。
ゴトリと、鈍い音がした。
少し間を置いてから、わたしは体を起こした。軽く目をこすりながら布団をあとにする。
毎朝おじさんを起こすのがわたしの役割になっていた。起こす前にいくつかやることがある。まずは、届いた新聞を持ってくること。
玄関のドアがポストになっているタイプ。引っ張れば取り出せる。いつも通り引っ張ろとしたけど、今日は広告チラシが多いからかなかなか取り出せない。変に引っかかってしまっているようだ。こちら側から無理やり取り出したら、破れてしまいそうだった。少し悩んでから、外側から取り出そうと決めた。おじさんのサンダルをちょっと借りて。
ドアの軋む音とともに、外の空気が侵入してくる。春と言っても朝夕は冷える、キンと張り詰めた空気に驚いてしまう。だって、外の空気は数か月ぶりなんだもん。草木のにおい、外のにおい。やっとのぼってきた太陽のまぶしさ。鳥の鳴き声、車の音。数か月前までは当たり前のように見ていた感じていた光景がやたら新鮮だった。
ドアを開け放して、しばらく呆然としてしまう。途中でハッとして新聞を取り出す作業に戻る。外からなら、新聞を破ることなく取り出せそうだ。よいしょと力を込めた瞬間、想像以上に簡単に抜けて思わずしりもちをついてしまった。
「いたたぁ。力、入れすぎた」
一人でつぶやいてしまう。そして、いつの間にかサンダルが片方脱げていることに気づく。おじさんのサンダルだから、ぶかぶかだったの。くるりと周囲を見渡しても見当たらない。柵の隙間から一階に落ちてしまったのかもしれないと、二階の通路から下を見てみる。ここの真下は一階の通路で、その前は小さな駐車場。そこにサンダルが落ちているのを発見した。急いで取りに行かなきゃと、住人共用の階段をおりる。少し古いアパートなので足音が響くことに気づいた。だから慎重におりる。周りをキョロキョロしてからサンダルまで走った。サンダルを拾って、ホッとしながら履いたところで、バタンという扉が閉まる音がして自分の肩がビクっと震えた。音のした方を見ると、アパートのおじさんとわたしが住んでいる部屋の間反対の一階に住んでいると言っていたおばあさんが静かにこちらを見ていた。
見つかってしまった。
少し肌寒い気温のはずなのに、汗をかいてきた。ここから、わたしはどうすればいいのだろうかと頭をフル回転させる。おじさんしか住んでいないはずの二階へ行ったら、確実におばあさんは不思議に思うだろう。このまま道路の方に出てしまったら、道行く人にバレる。どうしたら、どうしたら良い。わたしが一人でパニックになっていると、おばあさんは、小さな声でつぶやいた。
「……りぃちゃん、かね」
りぃちゃん、が一瞬りんちゃんに聞こえて、わたしは思わず疑問形ともとれるニュアンスで「はい」と言ってしまった。その瞬間気づく。違う、このおばあさんは、理沙ちゃんと勘違いしたんだ。おじさんが、おばあさんはボケてきていると言ってたし。
おばあさんはそれ以上何も言わず、ただただ沈黙が続いた。わたしはそれに耐えられず、つい「……おはよう、ございます」と言ってしまった。
ますますどうしようもない展開へ進んでいることが手に取るようにわかる。
「心配、したよぉ。りぃちゃん」
おばあさんが、大粒の涙をこぼしながら近づいてくる。痛むのであろう膝をかばいながらヨロヨロと。
「あぁ、無事でよかった……。りぃちゃん、りぃちゃん」
あっという間に、おばあさんに抱きしめられてしまう。わたしの頭にあたたかいしずくがぽたぽたと落ちる。
だめだ、ここまできたら、こう言うしかない気がした。
「……ごめんなさい」
「いいんだよぉ、りぃちゃんが無事で本当に良かった。なんだか悪い夢を見ているようだったけど、それはアタシの勘違いだったんだねぇ」
かさかさした手で、頭をなでてくれる。心が痛んだ。あばあさんは、理沙ちゃんがいなくなってから、ずっと時が止まったままだったんだ。きっと一度は受け入れたことでも、老いとともに記憶が薄れてきて、偶然わたしと会ってしまった。そりゃこんな勘違いしたっておかしくないよね。なんだかわたしまで泣きそうになってしまう。
そうしていると、おじさんが部屋を飛び出してきて、一階にいるわたしとおばあさんを見つけるとものすごい速さでこちらまでやってきた。裸足で。
「りんちゃん!」
おばあさんには、りんちゃんもりぃちゃんも同じにきこえたのだろう。慌ててやってきたおじさんに気づくと、ちょっと怒り気味で、でも心底安心したような声音で言った。
「アンタ、りぃちゃんが帰ってきたんなら真っ先にアタシに報告しな」
おじさんが目を丸くしながら驚く。一瞬の間の後、おばあさんがりぃちゃんと言ったことから状況を察したのか、話しを合わせてきた。
「はは、ごめんよ。つい、この間ね……。まだ、バタバタしててね。また、改めて挨拶するから。ささ、行こうか……理沙」
おばあさんから無理やりわたしを引き離し、ひきつった笑顔でその場を去ろうとする。
「まったくもう、相変わらずアンタはマイペースだねぇ。りぃちゃん、落ち着いたらいつでも遊びにおいでね」
「う、うん……」
そう言って、なんとなくおばあさんに手を振った。理沙ちゃんなら、そうすると思ったから。
おばあさんが部屋へ戻るドアの音をきいたあと、二階へと続く階段をのぼりながら、青ざめたままのおじさんに言う。
「ごめんなさい」
「いいんだ。……りんちゃん、本当はこんなところ、出たいんだよね……」
「ちがうよ! 新聞、引っ張っても取れなくて、外から出そうとしたらサンダル落としちゃったの。わたしは、ここに、居たいよ……」
「ありがとう、ありがとう。僕、りんちゃんだけが生きがいなんだ。りんちゃんまで居なくなったら……」
その場で泣き崩れてしまうおじさん。こんなにも、弱くて脆い大人がいるんだと思った。いや、最初からそう思っていたけど。おじさんにはわたしが必要だし、わたしにもおじさんが必要だと思う。たぶん。
「わたし、ここが好きなの。お母さんやお父さんがいなくても、学校なんか行かなくても。今はここに居られれば、良いなって思うんだ」
「りんちゃん……」
こうして、わたしたちはお互いの気持ちをぶつけあった。
部屋に入ろうとしたところで、個人的に一番重要なことを忘れていた。足元を指差しながらわたしは言う。
「あ、ちょっと。部屋が汚れるから真っ先に足洗うよ」
おじさんは両足の裏、わたしは片足の裏、裸足で外を歩いて黒くなっていたからひとまず足を洗いにお風呂場に向かう。床のお掃除はわたしの役目だから極力仕事を増やさないようにしないとね。
「ははは、うっかりしていたよ。だって、起きたらりんちゃんがいなくて、ドアが開いてて。そりゃあ靴も履かずに飛び出しちゃうよね」
「おばあさんも言っていたけど、おじさんってほんとマイペースだよね。天然っていうか」
「確かに、理沙にもいつもそう言って怒られてた気がする」
「さすが娘ね」
「りんちゃんも、さすがだよ。よくわかってる」
「まぁね。……ねぇ、これから、どうするの?」
シャワーで足を洗いながら率直な疑問を口にする。わたしの存在がバレてしまったこと。
「う、ん。あばあさんは少しボケてるから、きっと大丈夫だよ」
「あの話しの流れだとさ、わたしおばあさんのとこ遊びに行った方が良くない?」
「確かに。でも、頻繁に来ているヘルパーさんにバレちゃうかもしれないし。理沙を、奥さんの実家にあずけることにしておこうかなぁ」
「奥さんいたんかーい」
「あ、いや、もう別の人と結婚して僕のことなんか忘れて幸せに暮らしているよ。理沙のことも言ってない。ただ、おばあさんに言うには良い言い訳かなって」
「……わたし、おばあさんと仲良くなりたい」
「えっ!」
「おばあさんもさ、おじさんと一緒でずっと時が止まってる。わたしが動かしてあげたいの」
「りんちゃん……」
十分に間を置いて、深く考えてからおじさんは言った。
「そうだね。僕はりんちゃんに生きる勇気も、元気も希望ももらった。次はおばあさんにあげようか。本当、りんちゃんは天使だよ。僕にとって」
「べ、べつにっ! ただの気まぐれなんですけど」
「はいはい」
嬉しそうな表情で、洗い終わったわたしの足をタオルで拭いてくれた。
すっかり太陽がのぼって、眩しい光がカーテンの隙間から差し込んでいる。勢いよくカーテンを開けて、朝の支度の始まり。
「さて、一応話しを合わせておかないといけないよね。まず、理沙ちゃんって、おばあさんのことなんて呼んでたの?」
「えーっと、何だったかな。普通におばあちゃんって呼んでたよ。名前は、足立幸子さんっていうけど。僕は幸子さんって呼んでる」
「了解、おばあちゃんね。まず、わたしは事件に巻き込まれていたけど、無事に帰ってきた設定ね。精神療養のためにしばらく学校へは行っていない、ということにしよう。あとでおばあちゃんの部屋に遊びに行ってみる。そのとき、たぶん部屋のわかりやすいところかカレンダーにヘルパーさんの来る日が書いていると思うから調べてみるね。そうすれば、今後ヘルパーさんとわたしが鉢合わせないようにできると思うの」
二人で朝食の支度をしながら作戦を立てていく。主にわたしなんだけどね。
「すごいね、りんちゃん。探偵みたい」
「ふふん。おじさんが会社のときは勉強したり本を読んだりしてるから」
「でも、幸子さんヘルパーさんにお話ししちゃったりしないかなかぁ」
「たぶん話すと思うけど、ヘルパーさんにこの前孫のシャンプーとかの話ししてるんだよね? そしたらおじさんには孫がいるってことになってるじゃない。それを生かして、先にヘルパーさんに言っておくの。おばあちゃんが僕の孫のことを十数年前に亡くなった僕の娘と勘違いしているって。娘は二人いる設定にして、亡くなってない方の娘の子ってことで。だからそっとしておいてほしいって言えば良いんじゃないかな。少しボケてるのもヘルパーさん分かってるし、他人の事情に首つっこんだりしないと思うの」
「確かに。わかったよ。こんどヘルパーさんに会ったとき、そう伝えるね」
「うんうん、わたしの完璧な作戦ねっ」
こうして、二人で出来上がった朝食を食べた。
後書き/補足
この後書きなどで補足説明の必要ない、本編の文章だけで説明できる小説にしたかったのですが、この度はこちらにて補足説明を失礼いたします。
話しが進んでいくうちにオリキャラの過去話しがメインになってきてしまい申し訳ございません。もともとはカルマくんのかっこよさを引き立てるものがかきたかったのですが、リンネさんがだんだんすごいキャラになってきて、作品の趣旨が変わってきてしまいました。
そのため、新規の方に勘違いされないよう、題名を変更いたしました。
これは執筆していく中で愚行に近いことだと思いますがお許しください。
変更前「カルマの輪廻」
変更後「輪廻のカルマ」