暗殺教室 ~Another Story輪廻のカルマ~ 作:ひとみらくる
わたしは、特別。
わたしは、運悪く実の親に捨てられた。
でも、そのときの記憶はまったく無い。だって、幼かったから。
物心ついたとき、わたしには両親がいた。血はつながっていない。四歳年上の兄もいた。両親は血のつながっていないわたしをわが子のように可愛がってくれた。一生懸命育ててくれた。感じられる愛情。これは、無償の愛。神様が選んでくれたのだ、わたしは特別なのだと。実の親に捨てられた子どもが何不自由なく幸せになれる確立はほんのわずかだろう。でもわたしは特別だから、ほんのわずかに選ばれたのだ。
わたしには、いつだって自信があった。だって、特別なんだもの。
◇
あれは、わたしが小学校一年生の頃のとある冬の寒い日。
お母さんが買ってくれたお気に入りのピンクのマフラーを首に巻いたわたしは、近所のスーパーで買い物をしていた。その日はお母さんと一緒にクリームシチューを作ろうと約束をしていたから、食材を選んでいた。にんじんたくさん入れたいな、というわたしの希望を叶えるべく、いつも買うものより本数の多いにんじんの袋を選んでくれたお母さん。
「鶏肉、奮発していいの買っちゃおうか」と、お母さんは少し値段の高い鶏肉を選んだ。「きっとお兄ちゃん喜ぶよ」って私は言うけれど、一番喜んでいたのはわたし。
冬の寒い日に、大好きなお母さんと作るクリームシチュー。幸せなくらいあったかくて優しい味で、家族みんなで笑顔で食べるんだ。それはきっと、最高においしいだろう。作る前からとても楽しみだった。
お母さんがレジでお会計をしているとき、手持ち無沙汰だったわたしはトイレに行った。ここのスーパーのトイレは少し入り組んだところにあって、男女共用でなんだか薄暗い。でも、後に楽しみなことが待っているわたしにはそんなことは気にならない。はやく済ませて、食材を詰め込むのを手伝おう。薄暗い通路の角を曲がったところで、思いもしない衝撃で視界が急に暗くなる。誰かにぶつかってしまったみたい。びっくりして上を見上げると黒っぽい格好をしたおじさんがわたしを見下ろしていた。こわそうな顔をしていたので、とっさに「ごめんなさい」をした。おじさんの表情は変わらず、わたしを見下ろす目が艶かしく光った気がした。これは、もしかしたら危険かもしれないと五感が知らせてくれる。マフラーを巻いている首もとから冷や汗が滲んできた。ごめんなさいともう一度声を絞り出して、もと来た道をひきかえそうとした。しかし前に進めない。つかまれていたのだ、肩を。おじさんがしゃがんでわたしの耳もとで囁く。「おじさんと一緒に来てね」と。全身があわ立った。今年の夏のホラー特番でやっていた、身の毛もよだつ恐怖っていうのは幽霊とか関係なくまさしくこういうことも含まれるのだろうと咄嗟に判断する。いや、今はそんなこと考えている場合ではない。「お母さん」と叫ぼうとしたのだけれど、のどからひゅうっと掠れた息が出るだけだった。怖くて、声が出ない。肩をつかまれているので身動きもとれない。いや、思い切り振り解けばもしかしたら逃げることが出来たかもしれないが、体は硬直してしまっている。なんとか目線だけをきょろきょろと動かす。おじさんの後方、足元に大きめのボストンバッグが見える。形が崩れているのでおそらく中身は何も入っていない。なんで、からっぽのボストンバッグを? 子どもが、わたしがぎりぎり入れそうなくらいの大きさだ。なんで、おじさんはこんな大きなバッグを持っているんだろう。なんで・・・・・・。
◇
目が覚めたとき、わたしは見知らぬ部屋で横たわっていた。
ぼやける視界を気にすることなく、キョロキョロと目線を動かす。タバコのにおい。なんとなく全体的にセピアがかったような暗い部屋。小さいテレビの音。隣には口が大きく開いたボストンバッグ。起き上がることが出来ない。手を後ろで結ばれている。幸いなことに、手以外は自由がきく。声を出そうとしたが、遮られた。
「大きな声を出したら痛くするよ」
聞きなれないしゃがれた声が頭上からする。
限界まで眼球を横にして声の主を確かめた。あぁ、やっぱりさっきのスーパーでぶつかったおじさんだ。どうやらわたしは誘拐されたようだ。ここは、おそらくおじさんの部屋。暖房が行き届いていない、寒々とした空気。
「おじさんね、女の子のお友達が欲しかったんだ。君、とっても可愛いね。名前は何ていうの?」
「・・・・・・りん、です」
恐怖と緊張で声がなかなか出なかった。やっと搾り出した声はかなり掠れている。そのためうまく名前を言えなかった。
「そう、りんちゃんっていうんだ」
おじさんが、わたしの名前を聞き取れず間違えている。でも、見ず知らずの相手だ。このまま「りん」と勘違いしていればいい。
「りんちゃん、苦しそうだねぇ。何か飲むかい? りんごジュース、あるよ」
「・・・・・・りん、ご・・・・・・」
わたしの返事をきかずに、おじさんは冷蔵庫から紙パックのりんごジュースを取り出した。そして、腕を縛っていた紐を解く。結ばれていたところが開放されて、手首の痛みがゆっくりと和らいでいくのを感じた。
りんごジュースにストローをさしているおじさん。わたしはゆっくりと起き上がった。骨がギシリと鳴る。本当は、ダッシュで逃げたいのだけれど、どこに出口があるかもわからないし、まずはおじさんを怒らせないようにすることが大事だと思った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ございます・・・・・・」
たぶん、毒は入っていないだろう。今、ストローをさしたばかりだ。毒物を扱ったり、混入させたりするような器用さをこのおじさんは持ち合わせていないだろうと推測する。恐る恐るストローを口にし、ジュースを吸引した。口や喉がとても渇いていたから、ジュースの冷たさに一瞬驚く。一気に広がる合成甘味料の味。このりんごジュースは友達の家でよく出してくれるものと同じだから、なんとなく慣れた味を口にすることでほんの少しの安心感を覚えた。わたしのわずかな表情の変化に気付いたのか、比較的穏やかな声音でおじさんがきいてきた。
「おいしい?」
こくりと、素直にうなずいてみせる。
「そうか、よかったよかった。手、痛く縛ってごめんね」
ごつごつした血色の悪い大きな手で、わたしの頭を撫でた。硬直して動けない。
「なんにもしないよ。りんちゃんは、何歳かな?」
「六歳、です」
「そうか。学校は、楽しい?」
「・・・・・・うん」
「好きな科目は何かな」
「体育と、算数」
「りんちゃんはかしこそうだね」
そういって再びわたしの頭をくしゃりと撫でた。しわが多く、かさついた手の感触。ゆっくりと、おじさんの目を見てみた。スーパーでぶつかったときに見た彼の瞳は暗く怪しい光を放っていたが、今はとても穏やかで澄んだ目をしていた。誘拐、という概念がなければとても良い人そうに見える。
「晩ごはん、なにか食べたいものはあるかな?」
わたしを家に帰す気はないらしい。
「えっと・・・・・・おじさんは、料理、できるの?」
本当は、帰りたいと言いたかった。しかし、言ったところで本当に帰ることができるとは思えないし、もし機嫌を損ねて逆上されたら殺されるかもしれないという思考が頭の中をよぎる。今は話しを合わせておくべきだろう。
「うん。料理はけっこう好きなんだ。娘は僕の作るオムライスが好きだったよ」
娘。この人には娘がいるらしい。しかし、言葉から察するに過去形。今はいないのだろうか。
「オムライス・・・・・・」
「りんちゃんはオムライス好き?」
「うん」
「そうか。じゃあ、オムライスにしよう。卵、あったかなぁ」
そう言いながら立ち上がり、すぐ後ろの台所へ行ってしまった。
オムライス。わたしが今食べたいのは、お母さんと一緒に作るはずだったクリームシチュー。
「すぐに作るから、待っててね。テレビのリモコンはそこにあるから、好きなの見ててもいいよ」
さっきから付きっぱなしだったテレビに注目した。ゴールデンタイムのドラマがやっている。お兄ちゃんとお父さんがいつも一緒に見てるやつ。おじさんは、今わたしを見ていない。今なら逃げられるだろうか。台所と繋がったリビング。テレビと台所は向かい合っているため、おじさんが料理中にわたしを見ることは不可能だ。おじさんがどのくらいの頻度でわたしの方を振り向くのか少し様子を伺ってみるが、とくに気にする様子も無く料理をしている。かなり手際が良い。料理が得意らしい。今なら、うまくいけば逃げられるかもしれない。右手側に廊下へ続いていると思われるドアがある。音を立てずに開けられるだろうか。スライド式のドアだから音を立てないためにゆっくり開けたら時間がかかる。左手側にはベランダへ続くガラス窓。すでに日が落ちているため辺りの様子はあまり伺えないが、ここが地上でないことは確かだった。二階以上のアパートかマンション。そうして思考を巡らせているうちにオムライスが出来上がってしまっていた。ダメもとでも、やってみればよかったと後悔する。
「お待たせ。出来たよ」
花柄の綺麗なお皿の上に、卵で丁寧に包まれたオムライス。ふわりと良い香りが鼻先をかすめていく。ケチャップで今流行りの猫のキャラクターが描かれていて、すごいと思った。お母さんが作るオムライスよりもおいしそう。レストランで出てくるような、完璧な形のオムライスだ。
「す、ごい・・・・・・」
思わず感想が漏れてしまった。
「どうぞ。おいしく出来てるといいなぁ」
おじさんが、心底嬉しそうに顔のシワを増やしながらスプーンを差し出してくれた。ゆっくりと受け取り、ゆっくりとオムライスを口へ運ぶ。空腹もあってか、おじさんへの警戒心が一瞬、完全に無くなっていた。
食べた瞬間に広がる、卵のほんのりとした甘みとチキンライスの程よい味付けの美味しさが心地よかった。
「おいしい」
そう言わずにはいられなかった。夢中になって食べ続けるわたしを、とても穏やかな表情で見つめるおじさん。なんだか、悪い人ではないのかもなぁと思ってしまっていたが、もしかしたらヘンゼルとグレーテルの童話のようにわたしを丸々と太らせてからきっと何かするのかもしれない。警戒心だけは常に携えておかなければ。
「りんちゃん、おじさんのこと、怖いかい?」
わたしの思考を読んだかのようなタイミングでおじさんが問いかけてきた。
「・・・・・・」
「あのね、僕には一人娘がいたんだ」
突然始まったおじさんの過去の話し。どこか遠くをぼんやりと見つめていた。
「もう十年も前の話し。理沙って言うんだけど、理沙は僕が男手一つで育てた大切な娘。すごく素直で明るくて、とてもいい子だった。よく捨て猫や迷い犬を連れてきて、そのたびに飼うんだって言い張る強情なところもあったけど、優しい子なんだ。でも、今のりんちゃんと同い年くらいのときにね、見ず知らずの男に誘拐されたんだ」
わたしも、見ず知らずの男に誘拐されているんだけれど。
「何日間も監禁されて、最後は餓死だったそうだ。警察が見つけてくれたとき、死んだ理沙の隣には自殺した犯人がいた。結局何が動機だったのか、犯人の精神状態も判断がつかないため、事件は理沙と犯人の死だけを残して終わってしまった。理沙の、数年という短い人生が終わってしまった。おじさんが悪いんだ。理沙を、ひとりでおつかいに行かせてしまったから。オムライスを作る卵を切らしちゃったから、スーパーに買いに行ってもらったんだ。そう距離は無いし、おつかいは一人でも大丈夫だと理沙が言い張って。すぐ買ってくるからチキンライス作り始めててって。だって早く食べたいんだもんって、笑顔で出て行ったよ。でも、いくら待っても理沙は帰って来ない」
おじさんの言う理沙ちゃんは、わたしと同じだ。わたしも、笑顔だったんだよ。お母さんとクリームシチューを作る約束して。笑顔で作って食べるはずだったわたしの未来。それをこのおじさんは奪ったんだ。
「おじさんは、ずるいよ。どうして、かなしいことをされたのに、おなじかなしいことするの?」
気付いたら、おじさんのお腹の辺りを何度も叩いていた。小学生の力では何の痛みも感じないだろう。おじさんは困ったような顔でわたしを見ている。わたしは、感情を抑えきれない。
「わたしも、やくそく、してるの。おかあさんとクリームシチューつくるの。かえりたい、かえりたいよ」
「りんちゃん。おじさんね、もう苦しくてしょうがないんだ。最愛の娘を亡くして、生きる希望も無くした。生きているのが辛いんだ。だからね、りんちゃんにおじさんのこと殺して欲しいんだ」
「うそだよ。しんじゃうのはもっとつらいんだよ。いたくてたくさん血もでるんだよ。・・・・・・それに、おじさんはしにたいなんて、こころのそこからおもってないよ。わたしにはわかるよ。だって、おじさん、さみしいだけでしょ」
もう、おじさんを叩くのをやめた。わたしは涙をこらえるためにおじさんを睨みつける。
「おじさん、輪廻って、しってる?」
「・・・・・・りんね?」
「繰り返すの。何度も。理沙ちゃんにはもう会えないけれど、生まれ変わったら会えるの。現世で行ったカルマによって、それは決まる。きっと、理沙ちゃんは会おうとしてる、また、おじさんの子どもに生まれたいって思ってる。だから、おじさんは死にたいなんて思わないで。自分の意思で死ぬことを選んでしまったら、輪廻転生なんて出来ない」
ハッとしたように目を見開くおじさん。まさか小学生の口からこんな言葉が出てくるなんて思わなかったと言わんばかりの驚きも見て取れる。
わたしは自分の名前が好きだ。漢字にするとなんだか複雑だけれど、響きがとても可愛いと思う。そして、輪廻という意味も好き。わたしを産んだお母さんがつけてくれた名前なの。最初で最後の贈り物。自分の名前の意味を、調べたんだ。わたしを捨てたお母さんが何を考えてこの名前にしたんだろうって、ずっと思ってる。生きている今の行為によって繰り返される輪廻。これがわたしの輪廻。
そしてわたしは、輪廻。次に転生するのならば、またお母さんのもとに生まれて、今度はちゃんと本当のお母さんに育ててもらって、いっぱいわがまま言って迷惑をかけてやるんだって決めている。
「おじさん、一緒に考えよう。理沙ちゃんが喜んでくれるような、おじさんの生き方」
「生き方・・・・・・?」
「おじさん、後悔しかしてないでしょ」
「・・・・・・」
返す言葉が出てこないのか、黙ってしまうおじさん。
「それはもうさっきまでの話しだよ。前向いて。大人でしょ」
「りんちゃん・・・・・・」
「わたしが手伝ってあげるから。でも、冷める前にこれ食べちゃうから」
おじさんの返事を聞く前に、目の前で冷めつつあるオムライスを口いっぱいにほおばった。
「甲斐性の無いおじさんなんて、きらわれ、げふっ、わふっ」
ほおばった上に文句を重ねたら思いっきりむせてしまった。
「あー、はいはい、これティッシュ。甲斐性なんて言葉、どこから出てくるの。りんちゃん小学校低学年だよね?」
ティッシュ箱を差し出しながら苦笑いをするおじさん。その表情には、さっきまでの濁ったようなどす黒い感情がなくなっていた。なんだか肩の憑き物が取れたかのように、清々しく見える。
「げふっ。おじさん、おかわりはやく」
こうして、ストックホルム症候群に陥ったかのようなわたしと、未来に向かって進もうとするおじさんとの奇妙な生活が始まった。