部室があると言われて一人歩いてきた場所には、廃バスが一台あるだけだった。リアに立てかけてある『フライングサカース部』の看板に気づくのには相当の時間を要した。
ドアを開くと、そこは確かに部室っぽい。バスらしさはシートや昇降口くらいのものだ。
そして机に向き合って考え事をしている少女が一人。紺色に近い青のロングヘア。どこか小型犬を思わせる見た目だと思った。
「あの〜……」
「ひゃっ!?は、はひっ!」
「ここが、FC部の部室ですか?」
「あ、キミが見学生ちゃんね。私はマネージャーの青柳窓果。ロッカーは奥だから、適当に使っていいよ、風翔ちゃん」
「あ、はい。ありがとうございます……」
忙しいようだ。スマートフォンの電卓アプリを起動して、何やら計算している。部費だろうか。
フライングスーツに着替える。私のスーツは青を主体に黒と白が差し色になっている。この体型になってからずっと愛用しているもので、もうだいぶ馴染んできた。
そして、昨日念入りに整備したエンゲイジに足を通す。ここ数週間感じなかった、心地よい重みだ。
「お借りしました。じゃあ、失礼します」
「はい、頑張ってね〜!」
砂浜に着地すると、既に先ほどの練習は終わっているようで、全員が砂浜に座って休憩していた。
「...お、戻ってきたね。じゃあ、軽くアップしようか。俺はここで待ってるから」
「はい! よろしくお願いします!」
飛び立つ皆に続いて、私も飛び上がる。
「FLYっ!」
「キレイに飛ぶなぁ……」
あのグラシュ、アブルホール社とかいうマイナーメーカーのやつだ。名前は確かエンゲイジ。原型である『マーメイド』というオールラウンダー用のグラシュをファイター用にアブルホール社自らカスタマイズしたもので、みさきが使っているインベイドのレーヴァテインよりもピーキーな面が目立つ。初速が速すぎるからだ。逆に最高速はかったるいほどに遅かったと記憶している。
そんなグラシュで、まるで泳ぐように滑らかに飛ぶ彼女はかなりの実力者と見える。そのコントレイルはまっすぐ極まりない。ブレが少なく、スピーダーをやらせても速そうだ。だが、エンゲイジを履いているという事はファイター。ドッグファイトでどう飛ぶか。楽しみで仕方がない。
軽くフィールドフライを済ませた集団が降りてくる。今のフィールドフライで大まかな実力が見えたので、誰と戦わせるか。
「まず、みさきと戦ってもらう。勝ったら明日香ともお願いできるかな」
「はい、私なんかでよければ是非」
「え〜、私、中ボスなの〜?」
みさきが言う。明日香を先に戦わせたらみさきが戦う機会無いだろうが。
「ボスにしてやっただけ有難いと思え。それに、明日香に及ばないの分かってるだろ?」
「ぐ……分かってるけど……最近メンブレンの操作も分かってきたところだもん」
「じゃあマスターして明日香に勝てたらラスボスにしてやるよ。ほら、準備しろ」
「はーい。とぶにゃんっ」
「じゃあ、私も。FLYっ」
白と金のコントレイルが空に描かれる。二人がファーストブイに並ぶ。
「じゃあ、真白。審判を頼む」
「仕方ないですね。じゃあ、いくにゃん!」
「一応インカムは繋がってるけど、基本的にセコンドはしない。相手を見失ったら、聞いてくれたら教える」
「りょーかい」
「分かりました!」
二人はいい緊張感のようだ。会話は無いが、笑顔を交わしている。
「セット!」
真白の可愛らしい声で、試合開始前の合図。
「ぷおおおおん!!!」
ホイッスルの真似事で切られたスタート。二人はセカンドブイめがけて飛んでいく。
「やっぱり、スピードはみさきの方が上だな」
レーヴァテインもかなりファイター寄りのグラシュだが、エンゲイジに比べればだいぶ速度は出る。風翔もセカンドブイは取れないと判断したのか、ショートカットしてセカンドラインへ。
速度に勝るみさきが、悠々とセカンドブイにタッチする。1対0。
「いっくぞ〜!」
みさきは上下左右にフェイントをばら撒きながら、速度をじわりと落として接近する。のっけからドッグファイトをやらかす気だ。
左にみさきの体がブレる。恐らく、これはフェイント。本命は―――
バチィッ! 電撃のようなエフェクトと共に、みさきが後方に弾かれる。
「えっ!?」
今のフェイントは完璧だった。左に行くと見せかけて上を突破しようとした。しかしそれは、伸びてきた手に邪魔される。
「行きますッ!」
初速に極限まで振られたエンゲイジは、みさきの立ち直りよりも早く風翔の体を加速させる。みさきは必死に背中を隠し、手で払うことに成功した。しかしそれは、その場しのぎに過ぎない。
ポイントフィールドがみさきの背中に発生する。1対1だ。
押された勢いを利用して、みさきはサードブイを目指す。しかし、その行き先には既に風翔の姿。
「……すごいな、エンゲイジってあんなに速いのか」
真白を出さなくて正解だったと思う。スピーダーがあんなのに絡まれたら最後、延々と前進できずいびられて終わりだ。
あの反射神経の塊みたいなみさきですら、さっきから防戦一方だ。でも、まだあいつには隠し玉があるからな。やられっぱなしという事はないはずだ。
バチッ、バチッとメンブレンが触れ合う。最高速の伸びないファイター用グラシュ。彼女のエンゲイジはその特色を更に濃くしたようなシロモノだ。一度抜かれたら、ブイ2つは持っていかれる。それを知ってのこの戦略なのだろう。絶対に先には行かせない。セカンドラインで勝負を決めると。
「この感じ……」
すぐに思い出した。乾沙希だ。初めて乾と戦ったときも、この気持ちを抱いた。もどかしさ、そして恐怖だ。
ドッグファイトを嫌ったみさきが、メンブレンの操作で距離を取る。濃度を変え、まるで床を蹴り上げるかのようにターンする、「エアキックターン」だ。速度はみさきの方が速い。ともかくここは、距離を取るのが先決だと考えたのだろう。俺でもそうする。
「にしても、みさきもメンブレンの操作が上手くなったよなぁ」
明日香に教わり、急速に成長を遂げている。明日香や真白と違い吸収スピードは早くない。だが確実にモノにしている。
しっかりと速度を乗せたみさきが、大きくターンして、再び風翔に近づいていく。速度を殺さない、いい動きだ。そしてリバーサルを警戒してかキリモミを入れて背中を取られまいとしている。みさきのFC脳は急激に鍛えられている。新人戦からそれは顕著だった。
風翔はそれに対し攻撃を加えはしなかった。代わりにまるで瞬間移動するかのような速度で降下し、少し降りたところでぐっとしゃがみこんだ。
「何をする気だ……?」
距離を取るでもない。かと言ってフェイントするには距離がありすぎる。あの距離で出来ることなんて……
みさきが通過する寸前。風翔の手が自らの足に触れる。足元にメンブレンが集まる。そして、それを蹴って自らを加速させた。エアキックターンの応用。停止状態から一気に加速したのだ。ゼロ加速の速いエンゲイジで今の動き。あっという間にみさきの背後に現れた。しかし、背中をタッチ出来る距離にはない。もう一度エアキックターンをしても、そこにみさきはいないだろう。失敗か……?
次の瞬間、体の向きを滑らかに変えた風翔は、左足に左手を添えた。バチッという音、そして渦を巻くメンブレン。片足で床を蹴るように、みさきの背中向けて軌道が30度ほど変化した。
「貰いましたッ!」
「えっ!? うそっ!」
ポイントフィールド。みさきが2失点し、1対2だ。サードブイを前にして下方向に弾かれたみさき。上昇するが既に遅く―――
「サードブイも、いただきます!」
―――1対3。風翔はサードラインに進み、上空で旋回しながら待機。みさきは得点にはならないがサードブイに触れた反動で加速、一気に風翔との距離を詰める。もう一度速度で抜くつもりのようだ。
「今度こそ、行くから!」
ローヨーヨーで加速していく。だけど...
「それは失策じゃないか? 加速の速い相手を抜きたいなら、後で加速出来るハイヨーヨーが……」
その瞬間。みさきの体がブレる。みさきが動く!
風翔はみさきの頭を押さえるべく、下へと動く。しかし、みさきは更にその下、海面ギリギリまで降りていた。
海面近くはポジション的に弱い。押さえつけられると身動きが取れなくなるのだ。みさきには何か考えがあるのか……?
当然、風翔はそこを抑えようと急降下。一気に速度を乗せる。そして手が届くかと言う距離で、みさきはエアキックターンの予備動作を見せた。
だが、加速に勝る敵に対してのエアキックターンはほぼ無意味だ。まして一度は見せた技。みさきもそれは分かっているはずだ。
「……ッ!」
メンブレンが収束する。その瞬間、水しぶきが上がる。反重力に押し下げられて、水面が叩かれたのだ。スイシーダの応用とも言える。
「なっ……」
前が見えない。みさきは後方へと飛んでいた。そして更にエアキックターン。上方を取った! そして航空機のようにぐるりと旋回し、垂直に急降下!
水しぶきが金色に輝く。みさきのポイント。2対3。
「よしっ!」
しかし、そこで試合は終了。2対3で風翔の勝利となったのだった。
「ふぃー……すごいね、あんな動き」
「あぁ、俺も初めて見たよ、あんなトリッキーな……」
メンブレン操作に長けるのだろう。特に途中に見せた片手でのエアキックターン。どちらかというとアンジェリック・ヘイローに近い性質のものだが、それをいとも簡単にやってみせた。
「ふー……ありがとうございました……」
風翔も疲れているようだった。流石にあんな動きをしたのだから当然か。
「お疲れ様。凄かったよ」
「いえ、何とか勝ちましたけど……」
「何とか、なんて試合じゃなかったよ。最後咄嗟に閃かなかったら、もっと簡単に負けてた」
「そうだ。さっきの片手でのエアキックターン……あれは?」
本人に聞くのが一番早い。俺も理解して、戦術に生かせれば御の字なのだ。
「あぁ、エアキックターン2の事ですね。片手片足のメンブレンを移動させて、片足でエアキックターンをするんです。絶対量が少ないので角度と速度はつきませんが、少し加速しながらゆるい角度で旋回できるんです」
なんて安直なネーミングだ、と思うが、ネーミングはさておいても非常に有用な技に思えた。ドッグファイトにおいて加速しながら旋回出来るというのは非常に有利。戦術に組み込んでみようかな。
「じゃあ、休憩後に明日香との試合をしよう。疲れが抜けたら言ってくれ」
「はい、日向さん」
「……そうだ。ウチの部活では、互いに名前で呼び合うことになってるんだ。キミのこと、風翔って呼んでもいいか?」
彼女は少し迷ったような表情を見せた。嫌なのだろうか。
「はい。大丈夫です、晶也さん」
彼女の笑顔に、少々たじろぐ。そしてそれをみさきと真白に弄られるのだった。
「風翔ちゃん、強いんですね」
「はは……そんな事。それに」
「それに?」
「……今の私は全力じゃないです」
明日香さんが驚きの顔を見せる。それも当然。私でもさっきの試合は上出来だと思えた。それよりも上があると言ったのだから。
「でも、明日香さんに全力を見せていいかも、少し迷ってます」
「是非! 是非全力できてくださいっ!」
頼み込む―――というよりは強く要求しているというのが正しいであろう。その眩く輝く笑顔に、私は少し嘆息を吐いた後に
「……分かりました。でも、少し痛いですよ?」
「痛い……?」
意味がわからない、といった顔で明日香さんが言う。私はその顔を見なかったことにして。
「そろそろ始めましょう」
「...うん!」
※文章の体裁を整えました。