久奈浜学院
「もっと出せるぞー!」
「は、はいぃっ」
冬休み最後の日。久奈浜学院FC部の練習に通い詰める私は、晶也さんの過激なしごきを食らっていた。
「エンゲイジの最高速は確かに遅いけど、まだ出るだろ!」
「が、がんばりまふ……!」
今やっているのは、最高速トライアル。とにかく全力で、全速で。出せる限りの速度を出す練習で、これをすることで飛行姿勢の調整や高速時の姿勢制御、またグラシュのセッティングなども研究できる。
しかしこの練習、生粋のファイターにはかなり辛い。最高速を出すための筋肉は派手に動き回るための筋肉とは違う部位で、いつも使わない筋肉に思い切り力を入れるためすぐにヘタってくる。
風を切る音がいつもと全然違う。勝負となるとドッグファイトしか出来ない生粋のファイターである私は、こんな速度で飛ぶのはグラシュを変えて以来初めてだった。
「コントレイルがブレてる! もっと真っ直ぐ!」
「ひえぇ……っ」
純白のコントレイルが、まるで波形のように縦に微動しながら空に引かれて行く。
「晶也、鬼だね」
「鬼ですね」
「風翔のためなんだよ……みさきにだってこんなことしたことあっただろ」
「あったね。あの時ほど晶也が恨めしかったことはないね」
蒼い空にすっと伸びるコントレイル。飛行機雲のように真っ白で、それでいて太く逞しく、強そうな印象を受けた。
「でも、遅いですよね」
「それは真白がスピーダーなのもあるだろうな。風翔は生粋のファイター、それもかなり濃い。最高速は異次元の遅さだよ」
扱いにくいファイター用グラシュで、最高速でここまでまっすぐなコントレイルを引いているのは相当にすごいことだ。だが、やはりファイターだけあって遅い。やはり速度合戦は相手が誰でも不可能だろう。
「よし、戻ってきていいぞ」
「ふぇ……もう無理ぃ……」
ふらふらと落ちるように帰ってくる風翔。その顔は疲れきっていた。
「風翔ちゃんすごいです。あれだけ飛んでも帰って来れるんですね」
「……そうだな。俺も驚いた」
「あたしだったらあそこで浮いてるにゃー」
ファイターにとって最高速トライアルは苦痛この上ないはずだ。普段使わない筋肉を使って、普段しないことをするのだ。これだけの時間、最高速で飛び続けても戻ってくるだけのスタミナがあるのは驚くべきことだ。
着地と同時に足から力が抜けたのか、砂の上に倒れこむ風翔。汗でぐっしょりの肌に砂が張り付くのも気に止めず、ただ心地よく冷えた砂に体を預けていた。
「お疲れ様。はい、お水だよー」
「あ、ありがとうございまふ……」
窓果から冷えた水を受け取り、一気に飲み干す。そうするとまたぐったりと倒れ込んでしまった。
「お疲れ。どうだった? 全速で飛んで」
「やっぱり、ファイターにはきついですね……でも、速度を出すのは、嫌いじゃないです」
風翔の飛行姿勢は綺麗だった。スピーダーのそれと遜色無いし、実際スピーダー用グラシュを履かせればかなりの速度が出るのだろう。
「スピーダーやればいいんですよ。きっと楽しいですよ」
久奈浜学院FC部で唯一のスピーダーである真白は、風翔をスピーダー仲間に引き込もうとしている。実際ひとりで練習するのはあまり楽しくないらしく、その気持ちは俺も理解していた。
「私も元スピーダーだったんです。でも勝ち抜くためにファイターに転向したんですよ」
「そっか……じゃあファイターはやめませんよね」
勝ち抜くため。彼女はその温和な表情とは裏腹に、勝利への執着が非常に強い。その結果があの力でねじ伏せるラフなプレーだ。スピーダーからファイターに転向した理由も、その勝利への執着だ。
「はい。私には強くある必要があるんです」
風翔の見せる乾いた笑顔。その笑顔を潤ったものにするために、俺は再びコーチになる必要がありそうだ。
新品の布団の匂いの中で目が覚める。暖かな日差しがカーテンの隙間から額に当たり、心地よい目覚めを迎えた。
「ん……ぅーっ」
伸びをすると、地元よりも少し暖かく感じる空気と、新居の少し埃っぽい空気が混じりあった生ぬるい気温を感じる。時計を見ると予定の時刻よりも少し早く、それを思うとこの暖かな日差しが憎い。
「起きなきゃ……いて……いてて……」
バキバキに筋肉痛を患った体を動かしてベッドから立ち上がる。内股のあたりの言い表せない部分と、脇腹あたりが異常に痛む。普段使わない部分だけに庇い方も分からず、思わずよろける。
「まさか、昌也さんがあんな鬼だとは……」
結局あの最高速トライアルの後も地上で空中で走らされまくってへとへと。今日から転入だってのに、ヘコヘコよちよちと歩いてたんじゃ笑われてしまう。
「んっ……いたたっ……」
体をひねったり、筋を伸ばしたりして少しでも体をほぐす。痛みに慣れておけば、少なくともまともに歩けないということはないはずだ。
ともかく支度をせねば。この体の事を考えれば予定より早く起きたのは良かったかもしれない。少しは動くようになった体で部屋を出て階段を降りた。
ケトルに水を入れてスイッチを入れ、洗面台へ向かう。軽く身支度を整えているうちにお湯が沸く。スティックタイプのコーヒーを淹れて、食パンをトースターに突っ込む。
食パンが焼けるのをコーヒーを飲みながら待つ。安いコーヒーの安っぽい匂いでもしっかりとリラックス効果があり、寝起きの頭がしゃきっと切り替わっていく。
「へぇ……日本選手も頑張ってんだ」
ニュースサイトで海外FCの事を調べていたらトースターが間抜けな音をたてる。黄金に焼けたパンをかじりながら事前に用意しておいた荷物の確認をする。初日は授業が無いため、提出書類と筆記用具類、それにエナメルバッグに詰めてあるのはFC用の道具一式だ。
「スーツも入れたし、グラシュも入れた……タオル、着替え……よし、いいね」
私のパーソナルカラーとも言えるブルーのエナメルバッグの口を閉める。その頃にはパンも食べ終わって、あとは身支度を済ませたら出発するだけだ。
少しばかり特殊な構造の制服を着て、歯を磨いて顔を洗って。
そして仕上げに、思い入れのある犬っぽいマスコット付きのヘアゴムで、右のもみあげを括る。これが私の昔からのヘアスタイルだ。この水色の髪は人並み以上に綺麗な自信があり、密かな自慢でもある。
カーディガンを着て荷物を持ち、家を出るとそこには桃色の少女がいた。
「あ、明日香さん。おはよー」
「おはようございます、風翔ちゃん」
透き通る桃色の髪を揺らして弾けるような笑顔で笑う明日香さん。私は少し飲まれそうになっていた。何というのだろうか。カリスマ性?いや違う。もっと親近感が湧くような。
「今日から学校ですね! みんな優しいですから、安心してくださいっ」
「うん、そこは心配してないんですけどね。やっぱり3学期からとなると、馴染むのも難しそうだなって」
「それこそ大丈夫ですよ。まぁクラス次第ではあるんですけど」
話ながら歩き出す。とはいえ歩くのは停留所まででさほど距離はなく、早足で歩けば5分とかからないのだが。
久奈島は島だけあって海から吹き上げる少し湿った風が心地よい。日差しも春らしく熱すぎず、散歩気分で歩くにはちょうど良かった。
「ん、あれ……」
「あ、昌也さんですね。昌也さーん!」
停留所の近くで、電柱に背を預けてスマートフォンを弄っている青年。少し硬そうな黒髪は健康的なショート、薄緑の瞳は力強くキリッとしている。昔何度も読み返したFCの雑誌で見た少年よりも男らしく、たくましく成長している。
―――と、昔の彼に一度も会ったことのない私が分析するのもおかしい話か。
「おはようございます、昌也さん」
「おはよう明日香。それに風翔も」
「待っててくれたんですね」
「あぁ。明日香とはよく一緒に行ってるんだ」
遠まわしについでだと言われたようで、少し複雑だなぁ。だけど、待ってくれていることに不満は一切ないから良し。
「ともかく行こうか。風翔は用事とかあるんじゃないのか?」
「始業よりも少しだけ早く職員室に来るように言われました。でもそれだけですよ」
転入初日とあってもっとバタバタすると思っていたのだけど、案外普通な感じでむしろ拍子抜けだった。かえって特別感がなくて、廣島の学校に今までどおり通っているかのような錯覚をしそうなほどに。
「FLYっと」
起動ワードで昌也さんの学校指定のグラシュが起動する。薄青色のエフェクトが発振されると、ふわりと宙に踊った。
私も行こう。緊張はするけど、大丈夫。皆がいるから、ひとりじゃない。
「FLYっ!」
扉をノックして、中から返事が返ってきたのを聞いて開く。引違い戸ががらがらと音を立てて開かれると、職員室特有の強いコーヒーの香り。
「あ、道真ちゃん。こっちだよこっち」
手招きする女性。小柄だが体つきはよく、ヒップが大きめの安産型。おっとりとした表情はどこか小動物を思わせ、低い位置で束ねられたブラウンのロングヘアは太く滑らか。
前任の顧問を受け継ぐ形で久奈浜学院FC部の顧問を担当しているらしい、
「改めて、転入おめでとう。歓迎するよ」
髪色と同じ、深いキャラメル色の瞳を細めて先生は笑顔を見せる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「うん、よろしく。それで本題なんだけどね、道真ちゃんは私のクラスで受け持つことになったの。だから私から必要な事を話すんだけど」
自分の机の引き出しを開けて、クリアファイルに挟まれた数枚のプリントを私に手渡す。ちらりと読んでみると、長期休み前にもらう『〜休みのしおり』みたいなもので、大雑把に校則が示されていた。
「校則に関しては、空いた時間とか家でそれを読んでね。で、ここからはプリントに書いてないことだからよく聞いておいて」
先生は机の上に置かれていた手帳を手に取り、付箋の貼られているページを開く。
「3学期はすぐに学年末テストがあるんだけど、道真ちゃんは学年末だけ特別に赤点のボーダーラインが10点だけ下がるの。他の子に言うと嫉妬しちゃうからナイショね?」
しーっ、と人差し指を立ててはにかむ。少女的な顔つきの人だが、こういう時には年相応のお姉さんっぽい魅力が溢れ出る。やはり人生経験は一足飛びに手に入れられるものではないなぁ。
「まぁ道真ちゃんは入学テストの結果からして、油断せずにしっかり授業を聞いてれば大丈夫だよ」
「そうですか。なら安心しました」
「まぁこんなのはオマケに過ぎなくて。私が本当に話したいのはFCの事。風翔ちゃん、プレイスタイル変えるんだって?」
ドキリと心臓が跳ねる。この人は、いつも笑顔なだけに表情から心が読めない。
「あ、良いとか悪いとかじゃなくてね。私は風翔ちゃんの前のプレイスタイルも知ってるし、それでも良いと思ってる。風翔ちゃんは納得して変えるの?」
「納得……そうですね、変える理由に納得はしてないですけど、変えることには納得してます」
「そっか。強要されてないなら良いの。頑張ってね」
「はい……」
「じゃあ行こっか。ホームルーム始まるよ」
納得。納得したかと言われればしていない。それでも私は決めたからやるんだ。
教室の前に立つ。ドアの向こうで先生がホームルームを進めているのが小さな窓を通して見える。そして一瞬こちらに目配せして微笑んでみせた。そろそろということだろうか?
ドアの向こうでこんなにガチガチに緊張したクラスメイトが出番を待っているなんて誰も思っていないだろう。どんな顔をされるだろう。驚かれるかな? 笑われるかな?
明日香さんは大丈夫だと言っていた。だからきっと大丈夫だ。そう言い聞かせて深呼吸をしたところで先生が手招きをした。
ドアを開いて一歩教室に踏み込む。日差しに温められた空気が肌に張り付く感触。きっとうっすらと冷や汗をかいているせいだ。なんて冷静に分析をしていたら少し落ち着いてきて。
「3学期から転入してきた転校生です。自己紹介を」
「道真風翔です。風に翔けると書いてふうか、って読みます。趣味はフライングサーカスです。よろしくお願いしますっ」
頭を下げて、拍手をもらったところで上げた。興味深そうにこちらを見るクラスメイトの中に見慣れたメンバーがいることに気が付く。
青い瞳で笑顔を見せるのは明日香さんだ。その隣でぐったりしているのはみさきさん。更にはマネージャーの窓果さん、そして昌也さんも一緒だ。
―――なるほど。これが明日香さんが大丈夫と言う所以か……
「一番後ろの席でお願いね。今日からよろしく」
そう言ってウインクする先生に促され、私は席に着いた。
「―――まさかみんな同じクラスだとは」
「なんだか、そうなる予感はしてたんですよね」
「あぁ。皆でそうなりそうな予感がするな、って話をしてたんだ」
教室の後ろの方で集まって話す。まさかFC部の面々がここに勢ぞろいするなんて思ってもみず―――真白さんは仕方ないとして―――個人的にはかなり嬉しい。知った人が多ければ多いほどクラスにもなじみやすいはずだ。
「今日から部活できるんですか?」
「うん、この前先生に挨拶に行った時に入部届けは出してたので」
「やった! これでいっぱい一緒に飛べますねっ」
私の手を取って嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる明日香さん。対照的に机でぐったりとしているのはみさきさんだった。
「あの……みさきさん、大丈夫なんですか?」
「あー、大丈夫だよ。あの子は朝が異常に弱いだけだから……」
窓果さんが苦笑いしながら言う。私が会うのはいつもお昼だから知らなかったけど、そんな一面があったとは。
「―――ふふっ」
「? どうかしましたか?」
「いや、何でもないですよ。ただ、これから楽しくなりそうだなって」
不安に思っていた久奈島での生活。学校での生活。どちらも順調で、楽しくなりそうな予感がしていた。
間隔が空いて申し訳ないです。これからも不定期ですが更新していきます。
※投稿してから気づいたミスを修正しました。