高藤学園での合同練習。レギュラーメンバーを集めての公式戦方式の練習試合が始まる。
海風が頬を叩く。風向きが入れ替わり、海から吹き上げる湿っぽい風が福留島を撫でていた。心地よい昼下がりに、私は何を考えるでもなく海を眺める。
「……どうかしましたか? 風翔ちゃん」
「明日香さん。いや、何でもないんですよ。この湿った空気が好きなだけで」
「わかります。気持ちいいですよねぇ」
私の横に立つ明日香さん。スラリと伸びた四肢は鍛えこまれたようには思えないほどに柔らかな曲線を描き、艶やかに輝く花のような桃色の髪がそれを彩る。こんなにキュートなルックスでありながら、かつては世界大会へと駒を進め、バランサーカットという新境地を切り開いた天才スカイウォーカー。
人は見かけによらない。真藤さんのように強者のオーラを漂わせる人物もいるが、そうでない人物の方が多い。明日香さんはその代表格とも言えるだろう。
「……はっ、いけないいけない。風翔ちゃんを呼んでくるように言われたんでした!」
……こうして抜けているところも含めて。
浜辺に集められた久奈浜学院FCのメンバー。皆真剣な表情だ。
「皆集まったな? 高藤との話し合いでオーダーが決まったから発表するぞ」
まるで公式戦前かのような緊張感に包まれている。それもその筈。高藤学園は四島のトーナメントを勝ち抜くにあたって避けては通れぬ壁であり、いずれ公式戦で相まみえるライバルなのだから。
「トップバッターは真白でいく。次鋒はみさき」
「さ、最初ですか……緊張してきた」
「おっけー。任せてよ」
いつになく真剣な表情で二人は頷く。
「三番手は明日香。で、その次に風翔が入ってくれ」
「じゃあ、トリは昌也さんですね?」
「あぁ。ま、諸事情あるんだ。本当は風翔を入れたかったところなんだが」
さらっと大将にされるところだった。副将でまだマシといったところか。誰が出てくるのか知らないが。
「ともあれ、試合はすぐに始まる。真白はフィールドへ。みさきはアップに入ってくれ。他のみんなはストレッチと観戦だ」
「「はいっ!」」
この返事にも昌也さんへの信頼が現れている。コーチとして認めているからこそ、コーチとして接する事が出来るのだ。
空に描かれる、金糸のように滑らかな軌跡と、迸る
佐藤院さんの巧みな回避に、みさきさんはイマイチ自分のペースに持ち込めていない。攻撃の手を緩めないことで優位を保っているものの、決め手に欠けたままではいずれ逃げられる。
「ローヨーヨーでもう一回頭を取れ!」
『分かった!』
Uの字を描いて鋭角的なローヨーヨー。その爆発的な速度を以て優位を取り続ける。それでも、佐藤院さんの防御は崩れない。
「何か特殊な技を使っているわけでもないのに……本当に上手い人ですね」
「立ち回りが上手いんだよ。無理に切り抜けようとせず、安定した姿勢を保って防御する。そしたら、攻撃する側は一方的にスタミナを使わされるんだ」
ファイターであるみさきさんは、オールラウンダーの佐藤院さんを攻略するために攻めることしか出来ない。攻撃の手を緩めれば、速度差で一気にブイまで逃げられるからだ。
「積極的に触っていけ! 防御を崩してからラッシュをかけるんだ!」
『分かった、どこでもいいから、触れる!』
火花のような反重力のエフェクトと同時に、二人の距離が開く。一度でも速度がゼロになれば、初速に優れるファイターが有利。メンブレンの壁を蹴りつけてみさきさんが動く!
しかし、その時だった。
黄色のポイントフィールドが発生する。はじき出されたのは、なぜかみさきさんだった。
「い、今のは……!?」
目が追えなかった。それほどまでに鮮やかな得点だった。投げ出されたみさきさんも目をぱちくりと見開いて、状況の整理に追われている様子だ。
「佐藤院さんは、横にステップするように躱して、すれ違いざまに背中を触ったんだ。リバーサルの応用だよ」
基本的に攻撃を行う際には、まっすぐ相手に向かって突っ込むことになる。その一撃を交わし、まるで自動改札にICカードをタッチでもするかのように得点した、ということだろう。
「すごい観察眼だ……私には出来ない」
みさきさんの攻撃を見切って躱すまでなら可能性はある。だが、そこからあんなにスマートに攻撃に転じることは出来ないだろう。
「攻撃してくるぞ! 構えろ!」
『――!』
佐藤院さんは上をとって、猛禽が地上の獲物を狙うかのようにその優位を活かして攻撃を繰り返す。みさきさんはそれに対して防戦一方。これが上方の有利。
「みさき! 『スモー』だ!」
『あれね、了解!』
『スモー』。去年の秋にみさきさんが見せた背面飛行戦術。上方の有利を帳消しにして、攻撃のチャンスに換える変則飛行。切り札とも言えるテクニックだと思うが、それを繰り出してでもこの苦境を乗り切る必要がある。
バチ、バチと繰り返される接触。その度にみさきさんは背面ローヨーヨーで再加速、佐藤院さんはハイヨーヨーでその上昇先へと突っ込んでいく。そして幾度も火花が散ったところで、佐藤院さんが動く。
『あれ!? 昌也、佐藤院さんは!?』
みさきさんが佐藤院さんを見失った。それもその筈。佐藤院さんが繰り出したのは―――
「『スモー』を解け! 佐藤院さんは……下だ!!」
両手を大きく広げて急減速した佐藤院さんは、若干姿勢を崩しながらも、足を縮めて加速体勢に移行した。急減速から、メンブレンを蹴りつけて急加速するトリッキーな高等技術。
「……コブラを、使ってくるなんて」
みさきさんはスモーを辛うじて終了し、胸元でその掌を受け止めた。しかし攻撃のチャンスを掴むことはできず、勝負は2 対 0で佐藤院さんの勝利となった。
試合は進み、明日香さんの試合は彼女の勝ちで幕を下ろした。次は私の番だ。
「風翔ちゃん、頑張ってくださいね!」
「うん、頑張るよ。行ってくるね」
ハイタッチを躱して、宙に踊る。脱力してリラックスし、ファーストブイへ向かう。そこに待っていたのは、桃色のショートヘアの少女。市ノ瀬さんだ。
「道真さんが相手ですか。全力で行きますね!」
「私こそ。恥ずかしくない試合をしますね」
空中で握手は交わせないため、軽く会釈をしてスタートの姿勢を作る。そして一瞬の静寂の後……
「セット!」
時が止まったかのような緊張感。その緊張の糸が、ホイッスルの号砲で断ち切られる。
同時に駆け出す水色のコントレイル。私は迷わずセカンドラインへのショートカットを選んだ。
「相手のグラシュはスモールグローブのメインクーン……ならスピーダーか」
その予想を肯定するかのように、市ノ瀬さんはぐんぐんと速度を上げていく。あれは止めるのも一苦労しそうだ。
セカンドライン上に到着したので、ライン上で動きを止める。通常のファイターなら旋回を続けて速度を維持するが、私の場合は初速が異次元の速さなので、停止していたほうが相手の挙動に対する対応力が上がる。接近してくる市ノ瀬さんの瞳を見つめる。
目が泳いでいる。フェイントをかける先を読まれないためだろうが、指先への力の入り方である程度の予測はできる。
「……右だ!」
電撃のようなエフェクトを生じ、二人の距離が開く。私はそれを一気に詰めて背面を狙う。しかし市ノ瀬さんも反射神経で下へと逃げた。それを追撃して下降するが、それが彼女の狙いであることに気がついて後を追うのをやめた。エアキックで直角に軌道を変え、上昇してくるであろう市ノ瀬さんの頭を押さえる。
市ノ瀬さんはそれに対して、可能な限り高度を揃え、左右に揺さぶりながら接近してくる。しかしそれも、視線で行き先が丸見えだ。
「……下っ!」
真っ向から向かっていくように降下。背中に触れようとするも、それは手で弾かれる。お互いの位置関係は上下に開き、再び状況は同じに。ローヨーヨーで加速してブイを目指す市ノ瀬さんが加速しきる前に正面に回り込んでドッグファイトへ持ち込む。
バチ、バチと何度か弾きあった後、私の手は彼女の背中に届いた。ポイントフィールドが発生し1 対 1。セカンドブイの分を取り返した。しかし彼女はその反動で加速、サードブイに触れた。
『風翔、ショートカットだ』
「分かりました」
その言葉を聞いてサードラインへと進む。おそらく市ノ瀬さんはこのパターンで点差を維持するつもりだ。
予感は当たり、試合時間は残り3分、得点は4 対 5。いよいよ切羽詰ってきた。
『風翔が良ければ、なんだが、一つ提案がある』
「何ですか? その提案って」
市ノ瀬さんに攻撃を加えながら昌也さんの言葉に耳を傾ける。インコムを通じて聞こえた彼の言葉は、予想しなかったものだった。
『本来のプレーを解禁してもいいよ。今回だけ』
「……分かりました」
もう疑問を抱いている時間は無い。その狙いは分からないが、いつものプレイが出来れば勝機は見える。
「許してくださいね、市ノ瀬さん」
「――え?」
空を彩る火花。幾度も莉佳に触れる風翔。
「急にアグレッシブになったね。日向くんの差金かい?」
「はい。このままじゃ間違いなく負けるので」
何度触れられ、飛ばされても背面を晒さない莉佳の姿勢制御も流石だ。並みのスカイウォーカーなら姿勢を保てず、背を晒してしまうものだが。
「彼女の生真面目さが生きてるね。普通のプレイヤーならサラッと流してしまう緊急時の姿勢制御も、彼女は熱心に取り組んでいたから」
グラシュ使用時に姿勢を乱したときは、手足を広げることで安定を得ることが出来る。その応用で、莉佳は両手を広げて必死に姿勢を整えているようだ。
「だけど、このままだと少し不味いね」
「多分、それが風翔の狙いですよ。じゃなけりゃ自ら背中を取りに行ってますから」
そして、再び手が触れる。今度はただ触れるだけでなく、叩きつけるように強く触れた。その分反重力も強く作用して、莉佳は激しい水しぶきと共に水面に叩きつけられる。
「スイシーダ……やっぱりか」
「水面に押し付けてる時点でそれしかないですよね」
そこに風翔がタッチしにいく。当然背中に触れられ、風翔が得点を得る。これで5 対 5だ。そして離れた距離をもう一度詰め、莉佳をタッチしようと降下した風翔。しかし、その手は水に触れるに留まり、反重力が激しい水しぶきを上げた。
「……あれを躱すのか。よく見てますね」
「実はね、あれは僕が吹き込んだんだ。見ていてご覧。ここからが本当の勝負だ」
莉佳は、水面を蛇が這うかのごとく旋回を繰り返しながら低空を跳ぶ。それに対して風翔が上から何度もタッチを試みるが、それは空を切り、代わりに水しぶきを高く上げる。
「落ち着いていけ! ペースに飲まれてるぞ!」
『くっ……!』
風翔は勝利へ対する執念が非常に強い。それ故に、チャンスになると冷静さを欠くきらいがあるようだ。噴水のように、何度も高く水しぶきが上がる。
そして、再び風翔が触れようと高度を下げた瞬間に勝負は再び動く。激しい水しぶきに続いて、それを覆い隠すほどの水しぶきが上がる。そして、その水柱は水色の光に染められる。
『……あれ?』
そこには、空中に押し出された風翔と、その背中に触れる莉佳の姿があった。
「い、今のは……!?」
「水面に自ら体を突入させて急減速をかける荒業だよ。道真くんのプレイを予測して、僕がさっき教えた」
「成る程……スイシーダの応用ですね」
スイシーダはそもそも、水に相手を叩きつけ相手の機動力を奪うのが目的の技。逆に言えば、自らスイシーダと同じ状況を作り出せば、急制動に使えるのだ。
鳴り響くホイッスル。この勝負は、5 対 6で莉佳の勝利だった。
砂浜に座り込み、荒くなった呼吸を整える。今の試合は流石にヒートしすぎた。ひとり反省会確定だ。
そこにやってきたのは昌也さん。その少年的な顔で私の顔を覗き込んできた。
「お疲れ様。どうだった?」
「情けないです……あれだけのことをしても勝てないなんて」
「そんなものだ。風翔が思ってるより、ラフプレーは弱い。それに莉佳は、ああいう荒っぽいプレイにはめっぽう強いんだ」
含みのある言葉だ。しかしその予想をかき消すように昌也さんは続ける。
「俺のプレイを見てて欲しい。きっと何かの手がかりをあげられる」
「……手がかり」
私が見失った、答え。昌也さんがそれを示してくれるという。ならば私はしかとこの目に焼き付ける必要がある。
「頑張ってください」
「あぁ、言われるまでもなく」
後ろ手にひらひらと手を振って、昌也さんは空へ。
練習試合の最期を飾るのは、空のエース対決。真藤一成と、日向昌也のフライングサーカスだ。