落下し続けた暗闇からようやく開放され、不死は地面へと降り立った。踏みしめた青草の音がよく響く。
周りを見渡すと、どうやら森の中のようだ。木々の間から差し込んでくる陽の光が眩しい。
彼がよく知っている森とはもっと薄暗いところで、森の盗賊団が闊歩している恐ろしいところだった。生身で足を踏み入れようものならば、別の世界から侵入してくる盗賊団と死闘を繰り広げることになる。
聞いた話によると、彼らとの戦いを好む酔狂な輩も居るらしいが。
「…………」
慎重に辺りを見渡しながら歩みを進めるが、その警戒心も数分で霧散する。平和な森だ。小さな野生動物たちの囀りと木々の揺れる音以外に聞こえてくるものは何もない。
しばらく歩いていると、見慣れたものが目に付いた。────篝火である。
篝火は不死たちの故郷とされており、力尽きた不死たちはこの篝火から再び蘇る。そしてなによりも、この身を常に襲う悪寒から解放される心安らぐ場所だ。
不死が篝火に手をかざすと、途端に火がついて燃え始めた。どういう原理なのかは本人も理解できてはいないが、不死たちの間では常識とされている現象だ。
ゆっくりとその場に腰を下ろし、篝火の温もりを一身に受ける。この時だけが、心休まる瞬間だ。
改めて思うが、本当に平和な場所だ。一歩進めば死が待っているかもしれないロードランとは比べ物にならない。
少しの間篝火で暖をとった後、不死は再び歩き始めた。目的地など決まっていない。気の向くまま、歩を進めるだけである。ロードランに居た頃の彼も同じようなもので、自分の身の丈に合っていない場所に足を踏み入れては、散々な思いをしながら退散したものだ。
森を抜けると、丘の下に人里のようなものが見えた。ロードランには人里など存在しないものだから、彼は一瞬目の前の人の多さに困惑してしまった。
丘を下り、人里の入口に近づくにつれて人々の姿がよく見えるようになってくる。皆、簡易な薄着の服を着ている者ばかりで自分のような鎧姿の者など一人も見当たらない。
周囲の人々の奇異なものを見る視線に晒されながら、がちゃがちゃと鎧の金具同士がぶつかる音を奏でながら、興味深々といった様子で人里を歩く。
普通に考えれば人里に鎧姿の長身な男が入ってくれば騒ぎにもなりそうなものだが、この人里に住む人々は幻想郷に多くの外来人がやってくることを知っている。なので物珍しさはあるものの、誰も彼を咎めようとはしなかった。ただ面倒事だけは御免だという気持ちだけが村人たちの共通の思いであった。
そんな周囲の思いなど知る由もなく、不死は初めて見る建物や路上で売られている野菜や果物に目が釘付けである。不死になった時点で食べ物など必要ない体となってしまったが、味覚は残っている。店の一番手前に並べられていた赤い果実を手に取り、忙しなく声を張り上げていた店員らしき女性に手渡した。
「はいよ。……あんた見たところ外来人だね? 心配せずとも、うちの店では外の世界のお金も取り扱っているから、リンゴ一つ100円だよ」
円? 円とはなんだろうか。不死は困惑した。ロードランでの売買はソウルで行われていたため、彼に通貨というものの知識はなかった。
「なんだい、こりゃあ…。 やけに綺麗だけど、さすがにこれじゃあ買えないよ」
とりあえず100ソウルを手渡してみたものの、女性は怪訝な表情をしつつ首を振った。
店を後にし、不死は何がいけなかったのだろうかと頭を悩ませる。彼らしからぬ未練たらたらな様子に、昔の彼の友人が見たら驚いていただろう。
せっかく人里に来たのだから、何かしらやっておきたいと周囲を見渡す。すると彼が居る場所からは少し離れたところで、背の低い小柄な少女がコップを片手に周囲の人々に何かを呼びかけているのが見えた。
「うちの茶畑で取れたお茶ですー! 試しに一杯いかがですかー? もちろん無料ですー!」
無料、無料だ。これ幸いといった様子で、一直線にその少女の元に歩んで行く。
「あ、お客さん。お茶いかがですか? 苦味もなくておいしいですよ!」
満面の笑みで不死を迎えた少女が、ポットの中から緑色の液体をコップに注いだ。お茶、というらしい。水かエスト瓶しか飲んだことがなかった彼にとって、もちろん初体験の出来事である。
期待に胸を膨らませ、鎧の兜を脱いだ、その瞬間────少女の悲鳴が、人里に木霊した。
「ひっ…! よ、妖怪……!」
妖怪、という言葉に周囲から次々と悲鳴が上がる。
平穏だった人里の様子が、一気に慌ただしくなる。
「妖怪が人里に入り込んだぞー!」
「あの鎧姿のあいつか! 男どもを呼び集めろ!! 茶屋のサチが襲われてるぞ!!」
人々の豹変に唖然としていた不死だったが、ここでようやく原因が自分にあると気づいた。
今の彼は亡者の状態である。ロードランの地では意志の疎通さえ出来れば、亡者であろうと誰も気にしないのだが、ここでは違った。
幻想郷の妖怪といえば、人の姿に近いほど知性があるとされている。なので人型の妖怪が人里に居るときは皆、警戒はするものの騒ぎを起こしたりはしないであろうと知っているため黙認している。だが、今の不死は見た目はまんまゾンビである。人々が恐怖を抱くのも仕方のないことだ。
「くそ、鎧なんか着て俺たちの目を欺こうとしやがって、姑息な妖怪が!」
「必ず引っ捕えて、村を守るぞ!」
不死は懐から愛用の剣を取り出そうとして────止めた。新しい土地で、新しい未来が待っている状況で無益な殺生はしたくはない。
追ってくる人里の男たちを尻目に、一目散にその場から逃げ出した。結局お茶というものも飲めなかったな、などと考えながら。