剣と魔法の世界に転生するはずがB級パニック世界に来てしまった件 作:雫。
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ハイスクール二年の秋。俺は、一昨年にサメからジョックを助けたこと、そして礼の一つ言われなかったことを、未だに色々と気にしつつも、とりあえずは平凡にナードとしての学生生活を送っていた。
既にこの世界のおかしさには気付いている。日々のニュースでわかったことがある。どうも最近のアメリカというのは、スズメバチや野犬に襲われての死者より、サメかピラニアかワニかアナコンダに襲われて死亡することの方が多く、そしてジョックはより犠牲になりやすいらしい。マフィアの抗争に巻き込まれて負傷するより、ナチスの残党に捕らえられて改造されることの方が多いらしい。単なる精神異常者より、感染ゾンビが起こす事件の方が多いらしい。
でもまあ、だからといって、俺がそんな事件に何度も出くわすことは流石に無いだろう、最初はそう思っていた。だって、幾ら変な事件が多いとは言え、アメリカの人口は三億人だ、その中で俺がピンポイントで何度も当たる訳はないだろうと。
「おい、ライアン、起きろよ、ライアン・ブラウン。もう着くぜ」
と、そんなことを考えていたところに、聞きなれた自分の今世での名を呼ぶ声が響いた。
「ああ、別に寝てた訳じゃないよ、ダニー」
俺が目を開けると、そこにいたのは、やや長めの髪をオールバックにした、中肉中背の黒人の少年。ダニー・アンダーソン。入学以来の悪友だ。
「マジかよ、てっきり爆睡してんのかと思ったぜ。何か、まーた前世に想いを馳せてたってか?」
「ま、そんなところだ」
ダニーは敬虔なプロテスタントだから前世云々の話を別に本気にしている訳ではない。ただ、知り合って間もない頃、前世の記憶があることをうっかり漏らしそうになったことがあって、それ以来俺をからかうネタにしているのだ。
俺とダニーがいるのは学校のマイクロバスの座席。隣り合って座っている。この日俺たちは、進級してから初めての、泊りがけのフィールドワークに赴いていたのだ。
「ああ、ライアン、起きたのね」
「いや、別に寝てた訳じゃないって……」
眠っていた訳ではないが、眠いのは事実。俺が目を擦っていると、前の座席から、ブロンドのショートヘアが魅力的な少女が身体を捻って声をかけてきた。
「今先輩からメールで聞いた話だと、今回のフィールドワークを皮切りに、二年では何回も不定期にやるらしいわね。面倒」
「ま、そんなモンだろ、キャサリン」
彼女の名はキャサリン・シェパード。ダニーと同様ハイスクールの同級生で、一年生の頃からの付き合いだ。
「そう言えばこれから行く、グリーンリバー市って、どんなとこだっけ、ライアン?」
「えーと、人口は一万に満たないな。主要部は三千人ってところだ。かなり寂れててた街だが、最近は自然を活用した観光で町おこししてる」
「ハハハ、下調べなんて、相変わらずマジメだなぁ、ライアンは」
事前に検索したことを説明していると、ダニーが茶化してくる。
「だまれ、ダニーが不真面目過ぎるだけだ。でまあ、最近は町おこししてる。キャッチコピーは、『森の妖精とダンス』」
「へぇ、じゃああたしたちの自然学習には、うってつけな場所ってことね」
「そういうこと。でもまあ、穏やかな話だけじゃないみたいだ。最近、不審な集団が森の中で見られるらしくて、市民や観光客の行方不明者もいるってさ」
「あら、それは怖いわね」
「おいおい、冗談きついぜキャサリン。お前がこの程度で怖い訳ねぇじゃんか!」
ダニーが肩をすくめる。
「失礼ね、あたしだって女子よ」
「でもありとあらゆる災害に常日頃から備えている。地震に火事、津波から火山の噴火まで」
「あと、巨大隕石の衝突とゾンビの大量発生ね」
キャサリンという少女は、良く言えば用心深く、悪く言えば妙な方向に突き抜けた心配性なのだ。
「おーい、目的地に着いたぞ。みんな下車の準備をするんだ」
バスが停車し、担当教師が号令をかける。
すると後方の座席に固まって道中やかましくしていたジョックたちが、より一層けたたましい声を上げて、ずかずかと我が物顔で車を降りる。
「ひゃはは、しけたところだなァ」
「ねぇ、ここってダンスホールかクラブはあるのかしら?」
「おい、後で上流のキャンプ場に行ってみようぜ!」
「おっと、そろそろプロテインの時間だ」
「ウェーイ!」
ジョック連中が全員降りてから、荷物を膝の上で抱えて待っていた俺たちナードは動き始めるのである。
そこは、河川の上流と中流の狭間とでも言うべきか、川幅もそれなりに広く、深さもあるのだが、水は透き通っていて、辺りに広がる石粒もまだ角を残している、そんな河川敷だった。
「ふーん。まあ確かに綺麗なところね」
到着早々テンションMAXのジョック集団からわざとらしく目を逸らしながらキャサリンが呟く。
しかしそれは単なる皮肉だけの言葉ではないだろう。実際、綺麗な場所だとは俺自身も思う。このまま環境映像に使えそう、いや、まるで実際に資料映像を見ているかのようにさえ思えるほどに完成された自然の美というものがある。
「今晩はこの河原でキャンプを張る。各自、まずは振り分け通りに準備をするんだ。私は一旦街の方に行ってくるから、ちゃんとやっておくんだぞ」
先生がそう言い残してその場を離れたところで、ジョックたちが素直に従う訳がない。
先生がある程度離れたのを確認するとジョックたちは持ち込んだラジカセから大音量で音楽を流し、一足早くダンスパーティを始めた。部外者としては耳障りでしかない。
「あーん、なんだかアツくなってきちゃったわ」
少し躍るとすぐに、ジョックの女子の一人がおもむろに服を脱ぎ始めた。下には律儀にビキニの水着を着ている。
「チョット、あんた水着着てきたの?」
「あら、だってそこに水辺があるのよ。男たちにこのボディを見せつけるチャンスじゃない」
「……実は、わたしも! ウフフ」
「そうこなくっちゃ!」
一人脱ぐと、誘爆するように他のジョック女たちも水着になっていく。最近の女子高生というのは、常に水着を下着代わりにしているのがデフォルトなのか。
「こっちこっち!」
「キャー、冷たい」
「もう十月近いもの」
「でも、その分ダンスで熱くなれば良いわ。夜はもっと、ね」
そして当然の如く水着の集団は川に入って水の掛け合いっ子に興じ、男ジョックたちも便乗するのである。微笑ましくも何ともない。
「……あいつらはお気楽で良いよな。オレらも適当にサボるか、テント作り」
ジョックの生態を観察していたダニーがそう言って草むらに寝そべって、日本のマンガを読み始める。
「そうだな。正直、すぐにはやる気起きないよ。あの先生なら別に多少遅れたくらいじゃ怒らないしな。とりあえず今日のニュースでも……っておい、ここ圏外だ」
「うーん、あたしも何だか熱くなってきたわ」
俺がダニーに同意しつつスマホがその存在意義を失っていることに愕然していると、キャサリンまでもが脱ぎ始めた。脱いだのは上のTシャツだけだが、やはり水着を装備している。上はビキニで下はホットパンツという出で立ちだ。
「おいおい、まさかあいつらに混じろうってんじゃないよな?」
「別に? ただ、何となく暑いなって思っただけよ。それとも、何? あたしと泳ぎで競争でもする?」
「いや、別に」
いじらしい笑みを浮かべるキャサリン。
その後俺たち三人に続いて、他のナードたちも怠け始めたので、これは流石にあの先生でも怒るだろうなと思い始め、ぼちぼち作業を始めようと、俺が資材の山に向かった時であった。
背後から「バシャァアン!」と、水が弾ける、いや、爆発すると言っても良いかも知れない音がした。とても人間の水遊びで立つような音ではない。
「何だ、今のは」
俺は振り返り、ジョックたちが水遊びをしている川に視線を向ける。数人の女子生徒たちが固まっているところから二十メートルほど上流に、大きな波紋が見えた。やはり、人が幾ら運動してもあれほどの波紋を作れるとは思えない。
「どうしたライアン」
何やら不吉を感じ、その波紋を凝視していた俺に気付いたダニーが、寝転がってマンガを手にしたまま声をかけてくる。
「今、何か大きい水の音がした。普通にあいつらが遊んでて出る音とは思えない」
「どっか高いとっからの飛び込み競争でもしてんじゃねぇの?」
「いや、その様子は無い。それに……ほら、あそこにまだ波紋が立ってるだろ? うちの生徒から離れた位置だ、あそこには誰もいない」
「デカいブラックバスでも跳ねたんじゃねぇのか?」
ダニーはそう言って再びマンガの世界に戻る。しかし、俺にはとてもこれがただごとだとは思えない。あの波紋の大きさも、単なる大きな魚では説明がつかないし、それに何と言うか、本能がそう言っている気がするのだ。
俺はこみ上げる不安から、しばらく先ほど波紋が立っていたところとジョック集団の間の水域を観察していた。しかし、俺はこの段階ですぐに気づき、声を上げていれば良かった、水中に何やら大きな影が一瞬見えたことを。だが俺はこの時、自分の目の方も疑ってしまったのだ。
不安はすぐに現実のものとなった。
川で遊んでいた少女のうちの一人、ブロンドの波毛が魅力的として知られていたジェシカが突如硬直、口から血を吐き出した。
「ジェシカ⁉ ねえどうしたの、大丈夫?」
他の女子が声をかけるが、ジェシカは最早返事もできない。苦痛とも絶望ともとれるものに目を見開いているだけであった。
そしてジェシカは次の瞬間、吸い込まれるように勢い良く水中に没した。ジェシカのいた場所の水が、赤く染まる。
「キャー! ジェシカ! ジェシカがッ! ……キャァァァアアアッ⁉」
ジェシカの異変を前にし困惑していた少女もまた、ジェシカの後を追うかのように、何者かによって水中に誘われてしまった。川の水が更なる赤みを帯びる。
「おい、何だ? 悲鳴が聞こえたぞ?」
「ねぇ、あれ血じゃない?」
「ジェシカたちはどこに行ったの?」
ジョックたちの中にも混乱が広がり始める。しかし彼らはまだ、その状況を理解していない。
だが、遠方から観察していた俺にははっきりと見えたものがあった。
二人の少女の血で赤く染まった水面から突出する、黒く尖ったもの。嫌でも俺の脳裏に焼き付いて離れようとしない忌々しい生物の一部。
そう、あれはホオジロザメの背びれだ。
「おーい! みんな早く岸に上がれ! サメだ、川にサメがいるぞッ!」
俺はジョックたちに向かって叫んだ。早めに陸にさえ上がってしまえば、安全なはずだ。
「おいおい、何言ってるんだ、あのオタクは?」
「馬鹿ねぇ。川にサメがいる訳ないじゃない」
しかしジョックたちは俺の言葉に真剣に耳を傾けない。
「本当だ、信じてくれ! 現に、ジェシカたちの血が流れてるだろッ!」
「うるさいわねぇ、あのオタク……ん? 誰か今、あたしの脚に触った? ジョン?」
「いや、おれじゃな……グワワァァアアッ⁉」
「キャーッ! ジョン! ジョン! ぐふっ⁉ あ、あ、あああああ!」
俺が説得を続けるも、またもや次の犠牲者が出てしまった。水面がさらに赤く染まるその瞬間が、ジョックたちの目に飛び込む。
「おいヤバいんじゃないの⁉」
「ほ、本当にサメがいるのか⁉」
「キャァァァアアアッ!」
既に数人の犠牲者を出してからようやく状況を理解し、岸へと向かうジョックたち。しかし時既に遅し。サメと彼らとの距離はかなり詰められていた。
「キャァアッ! みんな待ってよ!」
状況を把握してからアクションを起こすのが遅れてしまった女子生徒が、先を行く友人たちの背中を追う。だが他の生徒たちも今は自分のことで必死だ、誰も振り返らない。
そんな彼女のすぐ背後に、血塗られた牙の影は迫る!
「キャァアッ! キャァァァアアアッ!」
殺気を感じた女子生徒は自身に迫る危機の象徴の方に振り向き、そしてわざわざ立ち止まって、腹の底からの悲鳴を轟かせた!
「キャァァァアアアッ! キャァァァアアアッ! キャァアアアアアーーーーッ‼」
自分の前で立ち止まっている獲物を見逃すサメではない、サメは虎のように咆哮しながら水面から飛び出し、その恐ろしい全容を俺たちに晒しつつ、何度もしつこく絶叫している女子生徒の頭部に喰らいつき、そのまま押し倒すようにして水底へと誘ってしまった。
……何でわざわざ立ち止まってまで見せつけるように絶叫したんだか、それさえ無ければ少しは助かる希望があったかもしれないものを。