未来へのフリューゲル   作:マアア

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こちらの作品は未来さんの人生、寿命ともにハードモードでお送りする予定です。

また、物語はのんびりとしていく予定です。


プロローグ

 

―――歌を歌うのは嫌いじゃなかった。

 

 真っ白な部屋の中、椅子に座って目の前の楽譜を目で追い、流れる曲にリズムを合わせて歌う。それはその時期、三歳位の頃に始まったことで毎日、それこそ一日も欠かさずに続けていたことだった。一つの曲だけだったのなら飽きが来たのかもしれない。だけど複数の曲を聴いて、その曲を一つ一つ歌い上げては別の曲へ、暫くしたらまた最初の曲から始めるというそのローテーションは私に飽きを感じさせず、無邪気な子供だった私は音程を外しながらも心底、心の奥底から楽しんで歌を歌っていた。

 音を奏でること、声を出すこと、気持ちを籠めること。どれ一つとってもちゃんと歌う為に必要なことで、全部を完璧にするのは難しい。だけれどその時はそんなことも知らずに、ただ歌うだけで満足できていた。私にとって歌は、楽しく歌うものだった。

 

―――その時までは。

 

 いつだったのかは覚えていない。ただ覚えているのはその日、いつものように歌い始めてから直ぐに左目の奥が熱く感じる、そんな違和感を覚えた。でも、歌はまだ始まったばかりで、止めたくなくて、我慢して歌った。

 Aメロが終わった。

―――熱い。

 Bメロが終わった。

―――痛い。

 二番が始まった。

―――いたい。

 二番が、終わった。

―――イタイ。

 

―――三番が歌われることはなかった。

 

 『その時』は当たり前に、プツリと音を立てることもなく訪れた。カッと左目の奥底が過熱し、その訳を知る前に、全身が引き裂かれるような、神経が擦り潰されるような言葉にしようともしきれない、抑えがたい痛みに血反吐を吐くような悲鳴を上げた。

 

―――いたいよっ! いたいよっ! いたいよぉっ!!

 

 痛みは脳が身体に伝える危険信号だ。『コレ』は身体に危ないという意思表示であり、脳の奥底に眠る野性的本能の一部がそれから逃れるために信号として強く、伝えてくる。だけど身体の内側から溢れてくるようなこの引き裂かれる痛みに対してどうすればいいのか、私は知らず、だけど身体と脳と、左目の奥にあるソレはどうすればこの痛みを和らげられるのか知っていた。周りの大人たちが右往左往する中、一人の女性が私に駆け寄ってきて、私は彼女に右手を伸ばして――――その体に触れた。

 

 

 

――――……

 

 

 

「―――っぁ、は…………夢、か」

 

 酷く汗が滲んだ身体と見慣れた天井に夢を見ていたと知り、そう呟いた。本当に幼い頃の記憶はあやふやになるのが常だけれど、しかし私の記憶が色あせることはまだないらしい。と7年ほどたった今も鮮明に覚えている昔のことに対して思ったことを呟き、直ぐに忘れられる訳もないかと自嘲して右腕で目元を拭い、寝汗も酷く不快な寝間着を剥ぎ取るように脱ぐ。そしてその恰好のまま替えの下着と、最低限の衣服を手に持って自室を出て洗面所へと向かう。自室は二階で洗面所は一階。ギシギシと鳴る階段を手摺を掴みながら降り、洗面所への扉を開いて直ぐに見える洗濯機に寝間着を放り込む。そして備え付けのバスタオルがちゃんとあることを確認してから替えの下着を洗濯籠に入れ、着ていた下着を脱いで洗濯機に入れてから風呂場に入り、戸を閉める。シャワーの取っ手を握り、勢いよく回して水を放出、10秒ほど待って暖かくなったシャワーを頭から被り、ようやく息を吐いた。

 

「あーーー………」

 

 声を吐き出すのを止めてシャワーを少しずらし、備え付けのシャンプーで短めに切り揃えられている髪を丁寧に掻いていく。泡を流して今度はリンスを頭に今度は撫でつけるように刷り込み、再びお湯で流してから、正面にあるやや曇った鏡に映る自身の姿を見た。

 

「…………っ」

 

 無言で右腕を伸ばして、映る左目を隠すように鏡に触れる。視線を落として、左目を閉じてから改めて鏡を見た。映る自身の顔は見慣れた自分自身の顔。それなりに整っている方で、髪は短め。瞳の色は緑が掛かった黒。少し探せばどこにでもいそうな普通の顔だ。

 

「――――」

 

 そして、そのまま左目を開けば鏡に映る違う自分(・・・・・・・・)がいる。目の大きさが左右で違うとか、そういう変化ではないけれどそれは自分にとっては大きな違いである赤一色。

 

 右目は緑が掛かった黒。左目は光のない赤一色。

 

 虹彩異色(オッドアイ)と呼ばれるこの瞳が、見えない左目が。私は大嫌いだった。

 

 

 

―――……

 

 シャワーを浴び終えて身体をバスタオルで拭い、下着と衣服を着た後に洗面所から出て自室に一度戻る。階段を上り、扉を開けて見る自分の部屋はいつも通り。そんな当たり前のことに見た夢のせいか少し安心している自分がいて、息を少しだけ吐いてベッドの真上、物が置けるスペースの上に置いてあるソレ、眼帯を手に取り左目を覆って、改めて鏡を見て自分の顔を見る。

 

―――いつも通りの自分の顔だ。

 

 それに安心して、月に何度か見るこの夢の日の私――『小日向未来』のいつもの朝はそうやって始まる。

 

 

 

―――……

 

 起床時刻は6時過ぎ。眠気はシャワーで吹き飛んだし左目を隠す眼帯も付けたからあとはもういつも通りに支度を始める。一階に降りて、リビングに入ったら朝食の用意を始める。ご飯に味噌汁におかず数点といった至って普通の和食を、手馴れているために手早く作り上げて食器の上に並べて朝の準備を直ぐに終える。そして、一階にある別の部屋へと向かい、扉を叩いた。

 

「お父さん。起きてる? 朝食出来たよ」

 

 呼びかけに応じるようにゴソゴソと動く音が聞こえる。少し待てば扉が開き、父さん――『文彦』が出てきて、顔を顰める。

 

「……また風呂入ってないでしょ」

 

「む、臭うか?」

 

 スンスンと自分を嗅いでいるけれど父さんの鼻はその臭いに慣れてるから多分わからないだろう。だけどこうして対面するとキツイ男性の体臭がする。

 

「今日もまた徹夜で研究してたんでしょ。それは別に止めないけどご飯の前にシャワー浴びてきたら? 30分経っても出てこなかったら見に行くから」

 

「ああ、すまんな」

 

 再び部屋へと戻って、直ぐに下着を持って出てきたのを確認してからリビングへと戻る。シャワーの音が微かに耳に入るのを聞いて、現在の時刻に目を向けてから暇つぶしにとテレビをつけた。

 

『―――長野県皆神山で発生した特異災害から一週間、事件の爪痕は深く、遺族の悲しみの声が上がっており――――』

 

「――――特異災害……ノイズ、か」

 

 テレビをつけるとタイミングよく流れてきたニュースは()に関係があることで、少し心がざわつくのを抑えながらそのまま流し、座る。

 

―――特異災害『ノイズ』。それは極彩色のサイズが疎らで形も疎らな化物の正式名称で、人類に対するカウンターとも呼ばれている自然災害の一種だ。なぜそう呼ばれるのかと言えば、ノイズという異形の最大の特徴である人類のみを襲うということと、ありとあらゆる物質を透過し、同時に炭素転換能力という特殊能力を備えているからに他ならない。そんな存在がどこからともなく、突然一度に多数現れ人だけを狙い、人だけを襲い、兵器や障害物を無視して人間にその牙を突き立て、人体を炭素に変えていく。その瞬間にそのノイズの一個体も砕け散る。1:1のトレードにとある有名な人が吐いた言葉、ノイズという名前の由来にもなったのが『遠回しな自殺衝動』。一瞬だけ周りをかき乱し、殺すという方法を持って不快感だけを残して去っていく異形。されど発生の法則は掴めず、人がいる場所に現れるとも限らない、また人間が一生の間に一度交通事故に出会うのと同じくらいの割合でしか現れないという希少性から災害という地位に留まっている。

 

―――私は、そんなノイズという存在が嫌いではなかった。

 

 無論、忌避しないわけじゃない。人が死ぬのは嫌だし、もし仮に目の前に出てきても無抵抗で殺されるとかそういうことはないだろう。だけどその存在と、在り様に、何故か何処か親近感を覚えることを誤魔化すことが出来なかった。

 

―――むしろ、私はその在り方に……。

 

「上がったぞ」

 

 聞こえてきた声に思考は中断。顔を動かせばお父さんが上下ともに簡素な服を着て、髪が濡れていることがわかる姿で立っていた。もう、そんなに時間立っていたのかと思いふと時計を見れば十分ほど針は進んでいる。

 

「朝ごはんの準備、するね」

 

「ああ、頼む」

 

 お父さんと入れ違いになるように立ち上がり、お味噌汁を再び火にかけながら先ほど作っておいたおかずとご飯をよそって運ぶ。二人分動かす頃にはお味噌汁は温まっていて、火を止めてからお椀に入れ、また運んだ。そうして全部を並べ終え、私とお父さんの両方が座った所でどちらからともなく両手を目の前で合わせた。

 

「「いただきます」」

 

 言葉数少なく、黙々と食べる。そこに愛がないからとかじゃなく、お互い口数が少ない方だから。そしてお互いに言いたいことはわかっているからそれ以上喋らないだけ。淡々とご飯を口に運び、お腹に入れて朝ごはんは終了する。

 

「今日は」

 

 だけど今日は珍しく、食べ終わる直前にお父さんがそう切り出した。

 

「ん?」

 

 食器を置いて、片付ける準備をしながら首を傾げる。

 

「8時半から定期検診の日だ」

 

「わかってる」

 

「二課までの案内は?」

 

「一人でも大丈夫」

 

「それと―――」

 

 短い応酬の後、再び一瞬間が開く。何が言いたいのかと待って、直ぐに答えは返ってきた。

 

「出る前に、母さんに挨拶しておけ」

 

「―――ああ」

 

 それが言いたかったのかと納得する。それは当然のことだと分かっているし、お父さんも実際、恐らくだけど忘れないように忠告したかっただけだろう。そう思って食器を流し台の上に置く。洗い物はお父さんの仕事で、たまに残されているけれどそうじゃなければ私がやる必要はないからだ。片付けて振り向けば、リビングの壁に置いてある写真立てと、供えつけの蝋燭と線香を置くための台が見えた。それを一瞥して、一旦二階の部屋に戻り携帯端末と腕時計を手に取ってポケットと手に取り付け、しまう。そうして再び一階に戻ったらもう行く時間だ。

 

「行ってきます」

 

「ああ」

 

 短い返答を聞き届けてから、写真立ての前に移動して蠟燭に火をつけ、線香に灯を灯して添える。写真立てに映る写真は無機質な部屋の中で抱きかかえられる私と、白衣を着て抱きかかえるお父さんと、同じく白衣を着てその私を支える私によく似た女の人――お母さんが映っている。私が知っている、私が覚えている唯一のお母さんの姿だ。他に映っているお母さんの写真はないためお母さんの唯一の姿に手を合わせ、そっと心の中でつぶやく。

 

(―――行ってきます)

 

 そうして、私は玄関で靴を履き替え、家を出て目的地へと向かい始める。

 

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