始まりは、十年以上も前の事だった。
真っ白に染まった部屋で、幾つもの管が全身に突き刺さった痛々しい姿に変わり果てた“彼”に駆け寄って、少女はその名前を叫び続けた。
眼から大粒の涙を幾つも零しながら、懸命に声を張り上げて。今にも掻き消えてしまいそうな命の灯火を絶やさぬ様に、その意識を繋ぎとめる様に泣き叫んでいた。
聞こえる筈もないのに。
壁の向こう側で、終わってしまう命なのに。
それを理解しながらも、感情が、心が、魂がそんな現実を拒む様に。あり得る筈もない奇跡を望む様に叫んでいた。
天は、その真摯な願いを聞き届けた――――――そんな御伽噺の様な展開は、起こる筈もなかった。
“彼”はその日、死んだのだ。
少年として。
子供として。
『―――Ex……cali,bur』
そして――――――“人”として。
“Excalibur”
当時、まだシンフォギアシステムが本格的に確立されてすらいなかった時に発掘され、ナンバリングすらされていなかった未完成の試作品。
赤子の手ですら容易に握り締められる程に小さな、余りにも小さな破片がたったの数個。
だが、彼の騎士王の剣は少年の呼びかけに応え、その力を示した。
今でも思い出せる。
特殊強化ガラスが二重に張られた壁の向こう側。幾つもの機器が弾け飛び、人が吹き飛んで響いた“鼓動”
力強く、雄々しく、猛々しく――――――そして何処か、悲痛に満ちた“ウタ”
黄金の風が吹き荒ぶ中、大地すら揺るがす鼓動を刻んで立脚する騎士。
それは伝説の、御伽噺の中にしか現れない様な存在。幼心に誰もが憧望の念と共に焦れる様な奇跡。
その中心に立つ“彼”が流していた、一筋の煌めきを。
戦士として目覚めた彼に待っていたのは、身を切り、命を削る様な戦いの毎日。
“ノイズ”と戦う為。
“ノイズ”を滅する為。
その為に、彼は―――
『ギターを、止める……?何で、だってずっと続けてきたのに!?』
『才能の限界、って奴だよ。俺にはどうしたって、壁の向こう側は見えなかったんだ』
奏が目覚め、“ツヴァイウィング”として一緒に歌を歌って、三人で一緒に戦って。
そんな日が続いていた中、唐突に彼はギターを置いた。中学に上がって間もない頃に彼の元へ届いた、両親からの最後のプレゼント。
小さい時にかわした“約束”と、彼の両親の叶えられなかった“夢”の為に続けてきたそれを。
『それに、俺にはもう大切なモノが出来ちまったからさ』
『大切な、モノ……?』
『ああ。そいつを守る為だったら、俺はどれだけ苦しかろうと辛かろうと、絶対に耐えて見せる。どんな事があったって、“それ”を守り通す為に俺は戦う』
思えば、それがルーツだったのだろう。
私の“防人”としての在り方は、そう言って語る彼のあんなにも嬉しそうで、楽しそうで、辛そうで、泣きそうだった背中に憧れたのだ。
“守る”為に“戦う”
そうする事で、彼は強くなった。
誰よりも、何よりも強く。
だから、私も強くなろうと誓ったのだ。
もう二度と、大切な人のあんな姿を見たくないから。
―――もう二度と、大切な人を失いたくないから。
◆
“ネフシュタンの鎧”
二年前、あのライブ会場で暴走し、結果として奏の命を奪った完全聖遺物。
その起動した姿が―――シンフォギアが、目の前にあった。
「へぇ……て事はアンタ、この鎧の出自を知ってんだ」
声色からして、その主はまだ年若い少女だろうか。ともすれば響とそう変わらないであろう年頃の、しかし纏った雰囲気といいその語調といい、凡そ“平和”を知っているとは言い難い様相。
『直ぐに現場に急行する!何としても“鎧”を抑えるんだ!!』
弦十郎の声が耳朶を打つ。
だが果たして、それを脳髄が理解したかどうかは定かではない。
「―――――クッ、ハハッ」
洩れでたのは、笑声。
激昂に震える翼も、驚きに眼を見開いていた響も声の主を見やり、そして“鎧”を纏った少女は怪訝そうな眼差しを向けた。
『――――――空』
空。
大鳳空。
“Excalibur”の適合者で、翼の幼馴染で、櫻井了子の甥っ子で、それで、それで、それで――――――
『―――本気、出していいわよ』
その声が、言葉が響いた瞬間。
「―――――32beat, set up “King Arthur”」
世界が、震えた。
―――ドクン
響の鼓膜を、何かが揺らした。
―――ドクン
違う。
揺れたのは鼓膜じゃない。
だけど、何かが“響く”
頭の中に、胸の奥にしっかりと刻まれる音。
―――ドクン
これは―――“鼓動”だ。
でも、誰の?
「フフフッ……」
声が聞こえた。
すぐ傍だ。ほんの数歩前に居る、“空”のモノだ。
でも、違う。
これは“空”じゃない。
あの時、休憩室で翼の頭を撫でていた時の優しい彼と。
あの時、自分を助けてくれた時の温かな光を纏った彼と。
あの時、手に輝く結晶を握り締めて涙を流していた彼と。
「ククククククッ、アハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
黄金色の風を吹き荒らし、輝く金色の長髪を棚引かせ、流れ星よりも遥かに眩い光を放つ剣を携えた彼が―――“空”である筈なのに、“空”に見えない。
その声が。
その姿が。
その背が。
何もかもが、異質なのだ。
「空、さん……?」
目の前に立つ、空であって空でない“何か”に向けて、響は必死に声を絞り出した。
だが、そんな努力を嘲笑うかの様に一際強く吹き荒れた黄金の突風が自分と、一瞬響いた声からして翼を吹き飛ばした。
慌てて起き上った時―――響は、自分の眼を疑った。
◆
「―――みつけた」
響いた声は、平均よりは明らかに数段高めのアルトボイス。
猫撫で声の様に穏やかで、柔らかで。だというのに、その声が耳朶を打った瞬間、全身を凄まじい寒気が襲った。
「―――みつけた……」
子供の様に無邪気な声音で。赤子に話しかける様に優しい声色で。
だが少女―――クリスはその瞳を“視た”瞬間、恐怖に顔を歪めた。
「ッ!?」
「 み ぃ つ け た 」
そこにあったのは憤怒ではない。
戦闘を前にした高揚感でも、復讐に燃える殺意でもない。
あったのはただ――――――“歓喜”
刹那、クリスの世界が歪んだ。
「ッ!!」
全身を襲う凄まじい重力。
幾つもの木々をなぎ倒し、大地を抉り、漸く止まったかと思えば今度は激痛が腹部から全身へと巡る。
そんな事を知覚する前に、本能的にクリスはその場から飛ぶように逃げた。
次の瞬間には地面が弾け飛び、舞い上がった砂塵の向こう側から声が響いた。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
哄笑。
但しそれは、余りにもおぞましく、恐ろしく、凡そ歓喜とは似ても似つかぬ狂気的な笑声。
爛々と輝く双眸はお気に入りの玩具を見つけた童子の様に明るく、恋慕の相手を見つめる様に熱を帯びて――――――故に、一度視線を合わせてしまえば全身を“恐怖”が支配してしまう。
本来、笑うという行為は攻撃的なものだ。
それは今、彼の口元に覗くその白い歯が自分の喉笛を食い千切り、引き裂く凶器の様に輝いている事が雄弁に証明している。
距離を取ろうと飛び退いても、一瞬でその間を詰められてしまう。
「ねぇ何処行くの?鬼ごっこ?じゃあ俺が鬼かな?鬼だよね!?アハハハハハハハ!!」
恐い―――恐い。
耳朶を打つ哄笑が。
歓喜に染まる瞳が。
目の前に立つ“モノ”を形成する全てが、恐い。
黄金の風が、ぶれる。
瞬間、横薙ぎに叩きつけられた衝撃にクリスはその華奢な体躯を吹っ飛ばされた。
(チッ!何だってんだよ一体!?)
完全聖遺物(ネフシュタン)のポテンシャルを以てしても尚、この劣勢。
余りにも不可解――――――余りにも、不愉快極まりない。
「この……調子に乗ってんじゃねぇッ!!」
クリスが“杖”を翳し、周囲に“ノイズ”をばらまいた。
「“ノイズ”が操られてる!?」
「ッ、空ッ!!」
ターゲットと欠陥品(ざこ)二匹。
簡単な任務の筈だった。事実数分前なら、間違いなく自分が全てを一蹴出来た筈だった。
街中に“ノイズ”をばらまいて、連中をおびき出して、叩きのめして、連れて帰って――――――それで、それだけで終わる筈だったというのに!
「いいねぇいいねぇ!!今度は障害物競争!?一人運動会のつもりかな?俺も入れてくれる?くれるよねぇ!?入っちゃうけどねぇ!!」
迅風、一閃。
一瞬にして舞い踊った突風が“ノイズ”を切り裂いて、再び黄金の斬撃が襲いかかって来た。
「お人形遊びか!?ぼっちが寂しくお人形遊びかァ!?そんなんより俺と遊ぼうよ?遊ぶよね!?遊んでやるよ!!アッハハハハハハハハ!!!」
「上等だこのイカレ野郎がッ!!ぶっ殺してやるよォッ!!」
歓喜と狂気と怒気と覇気とが入り混じった闘志が、ぶつかり合う。
斬って蹴って殴って叩いて打って払って壊して壊して壊して殺して殺して殺して殺して殺して殺して!!!
怒号と斬撃とで生まれた衝撃波に煽られる様に大地は抉れ、木々は薙ぎ倒される。
だが周囲の被害など、端から二人の眼中にはない。
ただただ、目の前のコイツを―――殺す。
狂おしい程に、殺してしまいたい程に、どうしようもなく、途方もなく――――――目の前のコイツを、誰かに奪われる前に殺して、自分のモノにしてしまいたい。
大上段からの斬りかかりと、逆袈裟の切り裂きとがぶつかりあった瞬間――――――いっそ永遠の様にすら感じられていた時間を割る様に、声が響いた。
「空さん!!駄目です!!」
僅かに視線を動かせば、其処には“ノイズ”に囲まれ、囚われながらも必死に呼びかけるターゲット―――響の姿があった。
「相手は人です!!同じ“人間”なんですよ!?」
戦場で何を馬鹿な――――――と、気を逸らしていたのが致命傷か。
端から響の言葉など耳に入れていなかったのか、一瞬の隙をついて空はクリスの首元と額を鷲掴む様に手を伸ばし、恐ろしい程の力強さで捉えた。
「ッ、ハッ!どてっ腹がガラ空きだぜっ!?」
無論、やられっぱなしで済ますつもりなど毛頭ない。痛覚の訴えを無視して腕を払う様に振るい、防御不可能(ノーガード)の腹部にありったけの攻撃を叩き込んだ。
「空ッ!!」
「空さん!?」
確かな手ごたえを感じ、クリスが僅かに口元に笑みを浮かべた瞬間―――その表情が、凍りついた。
首と額を掴む手の力は一向に衰えず、その体躯も地に根をはった大樹の様にまるで動かない。
そして、僅かに理性が戻ったかに見える瞳の奥に浮かぶ自分の顔が、恐怖に強張るのが見て取れた。
「まさか…………!」
コイツが馬鹿正直に接近戦に拘ったのも。
あの二人から距離を取る様に暴れたのも。
何もかもが、この為の―――伏線?
「――――――教えてやるよ、“雪音クリス”」
声が、聞こえた。
耳朶の奥に残る様な、深い響きを残す澄んだ声音。そしてその声に宿るかの様に脳を直に揺らす様に打つ、力強い鼓動。
「――――――“防人(オレら)”の流儀、って奴を」
金色に染まった瞳から、雫が零れた。
其処にあるのは恐怖―――ではなく、絶望―――でもなく、狂気―――ですらなく、微笑。
天命でも宿命でも運命でも何でもいい。そういった人知の及ばない何かが自分の結末を定め、そしてその瞬間を悟った様に穏やかな表情を浮かべて、
「―――praise a noble knight's king」
鼓動(ウタ)が、紡がれた。