病院に緊急搬送され、集中治療室で明け方近くまで治療が続けられた末―――空は辛うじて、一命を取り留めた。
だが“絶唱”による全身への負荷は尋常ではなく、容体が安定するまでは絶対安静。尚も予断を許さぬ状況下にある。
「俺達は鎧の行方を追跡する。どんな手がかりも見落とすな!」
“絶唱”の間際、空の通信記録に残っていた『雪音クリス』という人名。
それの意味する所を理解している弦十郎は一際厳しい声音で部下に厳命し、鎧の捜索へと向かった。
その足音が遠のくのを感じながら、響は休憩室のソファに腰掛けて僅かに波紋の広がるカップの中を眺めていた。
『あ~ら可愛いわね。誰かのモノになっちゃう前に、私のモノにしちゃおうかしら?』
『……了子姉さん、冗談でもやめてやれよ』
出撃前、二課の休憩スペースの壁に身体を預けながらコーヒーを飲んでいた空は、今はあの部屋の中で身体に幾つもの管が刺されているのだろうか。カプセルの様なモノの中に入れられて、傷口を塞ぐ為に包帯を体中に巻かれて身動ぎ出来ない中で、生死の境目を彷徨っているのだろうか。
「……貴女が気に病む必要はありませんよ」
響の意識を現実に引き戻したのは、翼のマネージャーを表向きの仕事とする機動二課の緒川慎次だった。
「空くんが自らの意志で使ったのですから」
「緒川さん……っ、あの、翼さんは」
「さっき、風鳴司令が家に放り込んでおきました。大分疲れていたみたいですから……」
「そう、ですか……」
嘘だ、と糾弾は出来なかった。
血だまりの中に倒れた空に縋りつく様に泣き叫び、必死に呼びかけ続けていた翼の、普段とは余りにもかけ離れた様相を目の当たりにして、それを追求する様な真似は避けたかったのだ。
だから響は口を閉ざし、慎次の言葉に耳を傾けた。
「御存知とは思いますが、以前の翼さんはアーティストユニットを組んでいました」
「“ツヴァイウィング”ですよね……?」
「その時、翼さんとパートナーを組んでいたのが天羽奏さん。今は貴女の胸に残る“ガングニール”のシンフォギア装者でした」
語る慎次の面持ちは硬く、そして何処か達観した様な感情を滲ませていた。
「二年前のあの日……“ノイズ”に襲撃されたライブの被害を最小限に抑える為―――奏さんは“絶唱”を解き放ったんです」
二年前、あのライブ会場での最後の光景が響の脳裏を過る。
装者への負荷を無視し、シンフォギアの力を限界以上に解き放つ為に歌われたそれは“ノイズ”の大軍を一気に殲滅し、同時に奏自身の命を奪った。
命を捧げる、ただ一度だけ許された絶唱(ウタ)。
「それは、私を助ける為ですか……?」
「……………………」
慎次は答えない。
否、答え様がない。
『“ガングニール”は奏のモノだ…………それを今持つその子が……覚悟も持たず、遊び半分で戦場に立つその子が、奏の――――――奏の何を受け継いでいるというの!?』
『――――――頼むから、俺に君を殺させないでくれ』
答えるまでもなく、翼が既に言っていたではないか。
天羽奏という大切な存在を代償にして生き残った自分を、あの二人が憎まない筈がない。
その感情を押し殺して、二人は戦ってきたんだ。
「奏さんの殉職……そして“ツヴァイウィング”は解散。大切な人を失った翼さんと空くんは、その穴を埋める為に我武者羅に戦ってきました」
同世代の子供達が知って然るべき遊びも、恋愛も。
学校に通う時間を削って、友人を作る暇さえ惜しんで。
ただただ一振りの剣として。
“ノイズ”を駆逐する人類守護の防人として。
―――そして、今日。
「二年前の絶望を繰り返さぬ為……何より、翼さんの為に。空くんは死をも厭わぬ覚悟で“絶唱”を使ったんです」
「翼さんの、為……?」
「二人は幼馴染なんですよ。風鳴司令や空くんのご両親の関係もあって、小さい頃から……それこそ、本当の兄妹の様に仲が良かったんです」
そう言う慎次の顔は、記憶の縁をなぞって懐かしむ様に優しかった。
「だから空くんは、翼さんの今の生き方がどうしても我慢ならなかった。笑う事も、泣く事も止めてしまったあの日からずっと、翼さんの“剣”としての生き方が……それを止められなかった自分が、誰よりも許せなかった」
だから、空は決死の思いで戦ったのだ。
それこそ命を代償とする切り札をすら、躊躇なく使う程に。
「……不器用ですよね。翼さんも、空くんも」
―――――もう、聞いていられなかった。
止めどなく溢れ出る涙が幾粒も零れ落ちる。
二人のそんな決意も覚悟も、自分は知る由もなく。あの激昂の真意を知ったからとて、もう取り戻せなどしない。あの日口から出た言葉が、どれだけ二人の心を傷つけてしまったのか。
「―――ねぇ響さん、僕からのお願いを聞いて貰えませんか?」
告げられた言葉に、響は目尻を拭って慎次の顔を見た。
「二人の事、嫌いにならないで下さい」
「はい……」
今度こそ、言葉を違えない。
強い決意を込めて、響は頷いた。
◆
風鳴家の敷地内の一角、古ぼけて今は殆ど使われない倉庫―――蔵の中で、翼は蹲っていた。
自分の部屋の中に僅かとはいえ残る、奏や空の残滓を敏感に掬いあげてしまう自分がこの時ばかりはどうしようもなく嫌になってしまったが故の逃避先だったが、よくよく考えてみればこの敷地の中で空の事を思い出さない場所なんて殆どないではないか、という結論に思い至った。
縁側では夏に二人揃って西瓜を食べた記憶があるし、庭先では自分が剣を振るっている傍らでぼんやりとその様子を眺めていた空の姿があった。
奏よりもずっとずっと長い時間を、幼い頃から自分と空は、二人で過ごしてきたのだ。
「…………ッ」
いけない、と思いつつも、翼の脳裏には幼き日の彼が蘇る。
―――それは、何時かの遠い思い出。
まだ空の両親が健在で、この家に遊びに来た時だったと記憶している。幼心に物珍しさから探検気分で敷地内を歩き回っていた自分と空だったが、ふと気付くと彼の姿が何処にもなかった。
大方、自分をからかう為にわざと身を隠したのだろうとあたりをつけて探し回ると、敷地の一角にしっくいの寂れかかったこの蔵を見つけた。
歳月を窺わせる赤銅色の南京錠が外れていて扉の片側にひっかけられ、半開きの蔵の内側を覗きこむと、昼間だというのにやたら薄暗く埃っぽい空気に咳き込んだ。
『空、いるんでしょ?』
きっと、この中に隠れているのは空だ。
そう思いこんで、空想上の産物的なアレなんて出る筈がないんだと自分に言い聞かせておずおずと中に入った。
何に使うのかもよくわからない物があちこちに散乱していて、足の踏み場さえも覚束ない。
早く彼を見つけて帰ろう。
そう思って声を張り上げて呼んだが、返事は帰って来ない。何度呼びかけても自分の声が木霊するだけで、自分以外は誰もいないんじゃないか。もしかしたら空は、別の場所に隠れているんじゃないか。
そう考えて、気を抜いた―――その時だった。
『わっ!』
『きゃっ!?』
暗がりの中から突然、誰かの声が響いた。
吃驚して飛び退いたと思ったら、何かにドンとぶつかる衝撃が奔った。と、同時に、頭上から何かがグラグラと音を立てる。
『危ないっ!』
誰かの声に反射的に頭を抱えて蹲った。ギュッと眼を瞑って、落ちてくるかもしれない何かに備えた。
五秒……いや、十秒経ってからだっただろうか。
不意に、頭上の方で洩れた吐息の在り処を見やると――――――直ぐそこに、空の顔があった。
呼吸が感じられる程傍に彼がいて、熱にうなされる様に視線が重なって――――――
『そ、ら…………ンッ』
天井近くに設けられた通気口から差した日光が、重なった二人の影を映しだした。
◆
「………………」
そっと、指先で縁取る様に唇をなぞる。
あの時――――――まだ恋も愛も知る由もなかった、無知で無垢だったあの時。重ねただけの、触れただけの唇がずっと熱を帯びていて、堪らなく切なくなったのを覚えている。
良い事ではないと幼心に思い、弦十郎や了子にも黙っているその秘密を共有して―――間もなくの事だった。
天羽奏。
太陽の様に明るく輝く少女と出会い、瞬く間に空の隣が奪われていったのは。
「…………ッ」
あの時、胸の内に去来した感情が何だったのかは分からない。
だけど、大切な幼馴染である空と大切な親友である奏が仲睦まじそうにしているのを見ているだけで、胸の奥がキリキリと締めつけられるのだ。
「そら…………」
呟く。
「そら…………」
囁く。
「そら…………ッ!」
名を口にする度、姿を思い浮かべる度……それがもう二度と眼を覚まさず、動かぬ未来を幻視してしまう。
「―――ッ!!」
そう考えただけで、心が張り裂けそうになった。
喪失を恐れ、恐怖に怯え――――――防人として生きるのに不必要で、生きる為に捨てた筈の感情が溢れ出て、『風鳴翼』の全てを支配しようとする。
弱さが、脆さが彼を求める。身も心も支配するそれが彼という存在を求めて止まず、そしてそれはきっと……きっと、彼が傍に居てくれるだけで満たされてしまう。
今なら分かる。
失いかけて、漸く自覚したこの感情(きもち)を―――
「……会いたいよ……空…………」
――――――きっと、恋慕(あい)と呼ぶのだろう。