空がその光を確認したのは、リハビリを終えて病室に戻る途中の事だった。
二課本部の地上にあるリディアン音楽院に併設された院内を歩き、学院から流れてくる歌声に耳を傾けていた時、遠くの空に赤と金の入り混じった閃光が奔ったのである。
思わず窓辺にへばりつく様に身体を寄せ、激痛に表情を歪ませる事となったが、それ以上に彼の脳髄を支配したのは一抹の不安であった。
広木防衛大臣が殺害された事は、朝一番のニュースで知っていた。
だが、デュランダル移送計画に関して空は何一つ知らされていなかった。
まさか大臣殺害の翌日――つまりは今日――に、日本はおろか世界でも屈指の防衛体制を誇る二課総本部から完全聖遺物を移すなどという愚策が政府上層部から命令されていようとは、流石に思い当たれという方が無理な話である。
そんな状況下で、昨夜の義姉との会話を最後に通信が途切れた二課の状況を把握出来ていない空は不安を拭いきれてはいなかった。
確かに二課にはまだ翼がいる。未だ覚束ないながらも、最近は響もよく弦十郎の元で訓練に励んでいると聞いている。
……いや、後者は多分カンフー映画とかアクションドラマ的なノリが殆どだろうから果たしてどの程度実戦で役に立つのかは空的には激しく疑問なのだが。
だが。
だがそれでも、その現場に自分がいないという状況が―――安全域で、ただ漫然と平穏を享受するという行為そのものが―――空には耐え難かった。
ギリ、と奥歯を噛み締める。
手摺に込めた力が、知らず掌からジワリと血を滲ませている事にも気づかず、空は世界を切り裂く様な光柱の立つ場所ただ一点を、ジッと見つめていた。
◆
「立花……?」
呻く様な声が、翼の口から洩れでた。
手には黄金に光り輝く長大な剣を携え、獣の様な声を響かせる響の姿に、ただ唖然としていた。
その輝きは、空が放つ光よりも尚煌びやかで―――そして、背筋が凍りつく程に、おぞましかった。
「そんな力を見せびらかすなッ!!」
クリスが威嚇する様に吼え、“ノイズ”を放つ。
瞬間、赤く染まった響の双眸がその“ノイズ”達を――――――そして、クリスを捉えた。
「■■■■■■■■■■■■――――――!!!」
咆哮と共にデュランダルが振り下ろされる。
咄嗟にその場を飛び退いたクリスが視界の端から消えるのも構わず、翼は叫んだ。
「立花ァッ!!」
輝きが質量を伴って施設を切り裂き、途端、区画を覆い隠す程の爆煙と共に暴風が吹き荒れる。
荒れ狂う爆風の中、翼は必死に響に向かって手を伸ばすが、華奢な体躯は爆音と共に中空へ投げ出された。
浮上する意識の中で聞こえてきたのは、瓦礫を撤去する機械音だった。
「大丈夫か?翼」
「叔父、さん……?」
視界に弦十郎の姿を捉え、徐々に意識がハッキリしてきた翼は先程の光景を思い出し、慌てて上体を起こした。
「敵は―――ッ!?」
瞬間、視界に飛び込んできた光景に翼は息を呑んだ。
整然としていた工場は見る影もなく壊れ果て、多くの建物が倒壊してその惨状を晒しており、最早施設として機能するとは到底思えない。
「これ、は……」
「響くんが覚醒させた“デュランダル”の一閃だ」
完全聖遺物(デュランダル)が生みだすその膨大なエネルギーによる一撃によって引き起こされた目の前の光景に、翼の背筋を冷たいモノが奔った。
「立花は……ッ!?」
「大事ない。先程、了子くんから連絡もあった。……とはいえ、輸送計画は中断だな。翼はもう少し休んでおけ。明日にでも一応、精密検査を受けるんだ」
「大丈夫です、これくら、い……ッ!」
強がる様に捻り出した言葉を遮る様に、弦十郎は翼の額に束になったレポート用紙を当てた。
「今回の報告書、空の分だ。これを明日、ついでに届けておいてくれ」
「空に、私、が……ッ!?」
瞬間、僅かに紅潮した自分の頬を見止めた弦十郎がニヤリと笑むのを見て、翼はその内心を悟った。
「ようやく姪っ子に“春”が来たんだ。応援くらいしても問題ないだろ?」
「こ、公私を弁えて下さいッ!」
「照れるな照れるな。どっちにしろ明日はお前か響くんくらいしか自由に動ける者がいないからな」
ガシガシと頭を掻く様に撫でられ、翼は子供っぽく頬を膨らませながら弦十郎を見つめた。
「なんなら、響くんに届けてもらうか?」
「……私が行きます」
してやったり、とでも言いたげに弦十郎が笑む。
その様に益々顔中に熱が集まるのを感じて、翼は俯いた。
胸元にギュッと抱きしめられたレポート。
理由はどうあれ、口実は何であれ、空に会えるのなら…………そんな内心を表現するかの様に、そのレポートは強く強く抱きしめられた。
◆
人里から隔絶された場所に聳える、フィーネの屋敷。
中世の西洋的様式に整えられた敷地内には、遠方に山を望む湖畔がある。
その桟橋に佇みながら、クリスは怒りに身を震わせていた。
「化物め……ッ!」
脳裏に蘇るのは、先刻の少女。
自身が半年もかかずらった完全聖遺物の起動を、瞬く間に行った標的(ターゲット)―――立花響。
相応のフォニックゲインを必要とする完全聖遺物の起動を、何故ああも容易く――――――などという疑問は、彼女にとってはどうでもよかった。
「このアタシに身柄の確保なんてさせるくらい、フィーネはアイツにご執心という訳かよ……」
利用され、こき使われ―――そして、やがて捨てられる。
クリスの脳裏に、嘗ての記憶が蘇った。
戦禍のただ中、血溜まりの中で息絶えた大人。
捕えられて、道具の様に扱われた日々。
希望など欠片も存在しない、ただ弱者(こども)が虐げられる毎日。
もう、誰も助けてくれない。
もう、誰も傍にいてくれない。
昔も、今も―――そして、やがて未来も。自分はずっと一人ぼっち。
「…………」
山の向こうから、日が昇る。
朝焼けの中、風がクリスの髪を浚い、吹き抜けていく。
「―――ッ」
瞬間、クリスは背後に気配を感じて振り返った。
其処に立っていたのは、一人の女性。
上から下まで黒で統一された喪服の様なドレスと、その装いには凡そ似つかわしくない妖艶な雰囲気。すらりと伸びた体躯と豊かな白金色の長髪、そして何よりも印象的な氷の様に冷たい眼。
パーツの一つ一つが凡そこの世の人間とは思えぬ程に格調高く整えられた彼女こそ、フィーネその人だった。
「分かっている……自分に課せられた事くらいは。“こんなモノ”に頼らなくても、アンタの言う事くらいやってやら!」
待機状態の“杖”をフィーネに向かってクリスは放り投げた。
尚もその容貌に冷静さを漂わせるフィーネに向かって、クリスは吐き捨てる様に叫んだ。
「アイツよりも、アタシの方が優秀だって事を見せてやる!アタシ以外に力を持つ奴は、全部この手でぶちのめしてくれる!!そいつが、アタシの目的だからな!!」
瞳に爛々と怒りを浮かべそう宣言したクリスを見やり、フィーネは口元に僅かに笑みを浮かべた。
―――夜が明け、また朝がやってくる。