(これで限界、か……良く持った方だと、むしろ褒めるべきか)
パネルを操作しながら、女性――――――櫻井了子は、集中治療室に搬送された甥の様子をデータと照らし合わせていた。
(元々“大鳳空”のシンフォギア融合係数はそれ程高くはなかった……にも関わらず此処まで戦ってこれたという事は、やはり“剣”と“鞘”は同一のものであったと考えるべきか?)
幾らかの驚嘆と同時に、多少の落胆を覚える。
随分と長い時間をかけて探し求めてきた“鞘”の存在が、或いは偽りであった事。そして――――――余りにも呆気ない、“大鳳空”の終着点。
“Excalibur”―――櫻井理論が確立されるより前に実験段階へと移行した為に“番外聖遺物”と呼称される事となった、最初期の聖遺物。
“櫻井了子”の姉とその夫、聖遺物研究の第一人者たる大鳳夫妻によって生み出された、大鳳理論に依る唯一のシンフォギア。「聖詠」を必要とせず、装者の力量如何によっては完全聖遺物にすら匹敵する力を引き出せる最初で最後の研究対象。
それが失われる事に――空が死ぬかもしれないという事にはまるで興味を示す事無く――“櫻井了子”は嘆息を漏らした。
と、胸元に踊る紫水晶が僅かに煌めいた。
「っ!?」
窓ガラスが割れ、男達が飛び込んでくる。と、同時に自身に襲い来る銃撃の中で、銃弾が腹を抉り、紐を切り裂いた。
―――その、姉さん。た、誕生日……おめでとう。
何時だったか、慣れない事に顔を赤らめながら空が渡してくれたプレゼント。綺麗な細工の施されたそれが宙を舞い、やがて音を立てて弾け飛んだ。
◆
―――声が、聞こえた。
焦るあまり、荒だった声。
緊迫した状況を雄弁に語る声。
「心拍数、危険域に入ります!!」
「血圧低下! これ以上は―――ッ!?」
血の繋がった人は、もういない。
父さんも、母さんも、もういない。
だったらもう、“僕”が生きている意味なんて――――――
――――――“俺”が生きている意味なんて、ないんだ。
『――――――』
声は、聞こえない。
『――――――』
誰も“俺”を呼ばない。
何も“俺”に届かない。
『――――――』
全ては遠く、水底の奥に沈んでいく。
大切な人は、もうそこにはいなくて。
縋りついて泣き叫ぶ少女の姿も、今はない。
そう。
―――“俺”は、“僕”じゃないから。
―――視界に広がったのは、何時か見た深海の奥底が遥か遠くに浮かぶ空。
小波の音が静かに鼓膜を震わせ、潮風に煽られた葉の様に自分の身体がゆっくりと堕ちていく。
やがて、重力に引かれる様に砂浜へと降りた空は、水平線の向こうを見た。
どこまでも広がる青い空と、青い海。
どこまでも、どこまでも果てしなく広がるその場所は――――――まるで、現世で役目を終えた者が、あの世へと旅立つ為の中継地点の様に感じられた。
小波の音だけがやけに大きく、空の鼓膜を震わせる。
今の時間が朝なのか昼なのか夜なのか、春なのか夏なのか秋なのか冬なのか。それすらも感じられないし理解出来ない。
否、理解する必要がないのだろう。
―――“此処”に、そんな概念は必要ない。
漠然とそう感じた空は、ふと誰もいない砂浜を見まわした。
と、そこに紅一点、何かが此方に近づいてくるのを空は見止めた。
何時か自分が、夕陽の様だと言った長い髪を潮風に揺らして、ゆっくりと此方に歩み寄ってきた。
◆
翼達との通信を終えて、弦十郎は疲れた様なため息を零した。
「……空くんの事、話さなくて良かったんですか?」
「話してどうにかなる事でもないだろう。それに…………いらん心配をかける訳にもいかないからな」
別ルートでの極秘任務―――表向き、空はそれに取りかかっていてこの数日間、二課に顔を見せていない。
翼と響もその旨を聞いており、多少の追求こそあったものの概ね理解した様に二人とも口を閉ざしていた。
――――――弦十郎の端末が、空が未だに意識不明であるという事を伝えたのは、つい数分前の事である。
先の翼の復帰ライブの直後から続く昏倒は、しかし翼達に知らされる事はなかった。
極秘裏に弦十郎が手を回し、以前空が入院していた病院の地下、特別病棟に移しての集中治療が今も尚行われている。
「外傷もなく、神経系の異常も見当たらない……にも関わらず、まだ意識が戻らないなんて……」
「…………」
重苦しい空気の中、弦十郎はふと、空が搬送された直後の了子との会話を思い出した。
『―――あの子は、“自分”を探しにいったんじゃないかしら?』
その言葉が、何を意味するのか。
思考に沈みかけた弦十郎の鼓膜を、けたたましい警戒警報が揺らした。
真っ白な病室に横たわる少年を前に、慎次は静かに瞳を閉じた。
初めて会った時、無垢な瞳に猫の様な警戒心を浮かべて幼馴染を庇っていた。
絶望に打ちのめされた時、華奢な脚はそれでも歩みを止めなかった。
数え切れない罪と背負いきれない罰を抱いたその手に、眩く輝く星の剣を握り締めた。
その一つ一つの情景が、まるでビデオを再生するかの様に鮮明に蘇ってくる。忘れられない、忘れられる筈が無いその世界の中で、少年はずっと戦い続けてきた。
時に信念の為、時に私怨の為―――そして、時に愛情の為。
慎次は自分の事を現実的な感性の持ち主だと自覚している。
だから、世の中を動かしているのは高潔な義理人情ではなく薄汚い金と権力である事も、血の滲む様な努力が天賦の才能の前に呆気なく打ち破られる事も、幼い日に憧れたヒーローが、誰かが創り出した虚構の存在であると云う事も、ちゃんと理解している。
この世には奇跡も魔法も存在せず、あるのは人類の英知の結晶たる科学によって導き出された、計算上の必然だけだ。
慎次は、それら全てをちゃんと理解している。
――――――それでも。
それでも、慎次にとって、大鳳空という少年は―――
「……空くん、行ってきます」
静かに踵を返し、慎次は病室を後にする。
去り際、変調を示す電子音が、囁く様に小さく響いた。
◆
――――――そこは、どこまでも果てしなく続く、青い空と青い海が広がる場所。
翼を捥がれた少女は、そこでずっと待ち続けていた。
いつまでも、いつまでも、ずっと一人で。
来る確証もない彼を、ずっと待ち続けていた。
―――ふと、ずっと遠く、砂浜の向こう側に、誰かがゆっくりと堕ちてくるのを少女は見止めた。
自分の茜色に似た黄金色を、何処かに置き忘れてきたのだろうか。
それでも、少女は彼が誰なのか、見間違う筈もなかった。
ずっと想い続けてきた、初恋の人。
そして、自分にとって掛け替えのない、最高の親友の想い人。
少女は、静かに歩き出す。
潮風に煽られる様に、少女の髪は揺らめく。
何時か、彼が夕陽の様だと褒めてくれた、長い長い髪が揺らめいていた。