カ・ディンギルの発射が、刻一刻と迫っている。
そんな火急過ぎる状況の中にあって、しかし翼は自分の身体がまるで動かない事に今更の様に気づいた。
「ち、くしょ、ぅ……ッ!!」
「そ、空さ、ん……!」
瓦礫の中に吹き飛ばされたクリスと響の声が聞こえる。
そうして、自分が仰向けに地面に叩きつけられていて、遥か頭上でバチバチと稲光を奔らせているのがカ・ディンギルの射出口だと思い出した。
だが、何故か身体は動かない。
否、頭が、心が“彼”と“戦う”事を拒絶しているのだ。
「……………………」
何時か見た、眩しい程の黄金の輝きを振りまきながら、しかし翼のよく知るそれとは似て非なる、何処までも冷たく、凍てついた光。
その主―――自分の幼馴染で、戦友で、想い人である空は、両刃の長剣を悠然と構えて此方を見ていた。
背に天地を揺るがす巨塔さえなければ、それは正しく守護する者――――――“騎士”そのものにすら見える。
だが、今の彼は断じて誇り高く高潔な“騎士”ではない。
背徳どころか逆理も良い所の冒涜者であり、殺人鬼であり、破壊者だ。
間違いなく、風鳴翼が、“防人”が断つべき“敵”――――――だというのに、それなのに、翼の手は、天羽々斬を握る事を拒絶した。
「そ、ら……」
切り結べない。断ち切れない。
その声を知っている。
その顔を知っている。
その瞳を知っている。
何もかもが、鮮明に翼の脳裏を駆け巡る。
彼と過ごした記憶、時間、思い出……余りにも多く、そしてその全てが愛おしい。
一瞬の合間から切りとった、永遠にも匹敵する時間が過ぎて、翼の視界に黄金の光が映る。
その声で、その顔で、その瞳で。今はただ、静かに自分を、自分達を殺そうと一歩、また一歩と近づいてくる空。
「翼さんっ! 逃げて下さいっ!! 逃げてぇぇぇっ!!」
響の絶叫が木霊する。
「ざ、けんなよ……お前は、お前の力は!! んな風に利用されていいもんじゃねぇだろぉっ!?」
クリスの咆哮が轟く。
「………………」
そんな彼女達の言葉は、しかし空には届かない。
カ・ディンギルを背に悠然と冷笑を浮かべるフィーネの駒となり果てた様に、空は翼の間近で剣を高々と掲げた。
その瞳には光はなく、感情の抜け落ちた表情は仮面の様に無機質。その身に纏う豪奢な鎧と相まって、まるで人形の様ですらあった。
両手で柄を握り締め、串刺す為に煌めいた刀身に、自身の顔が映り込む。
そこにあった翼の表情は――――――笑っていた。
全てを受け入れる様に。
何もかもを認める様に。
「―――殺せ」
冷笑と共に放たれたフィーネの一言に呼応する様に、切っ先が照準を定める。
そして、剣が風を切り裂く様に振り抜かれた。
◆
「結局さ、世界がどーとか人類がどーとか、そんなんどうでもよかったんだよ」
水平線の向こう側を見つめながら、少年は諦観の入り混じった様な声音で言葉を続けていた。
「俺はただ、お前がいてくれればそれで良かったんだ。お前がいて、翼がいて……それだけで、他はなにもいらなかったんだ」
全てを語り終えた様に押し黙った少年―――空は、暫くの沈黙の後、突然顔面に襲い来た衝撃に抵抗する間もなく吹っ飛ばされた。
「アホかお前は……いーやアホだ! やっぱアホだお前は!!」
吹っ飛ばした少女―――奏は握り拳を振り抜いた体勢のまま、怒髪天を衝く勢いで声を荒げた。
「っ、痛ぇな……! 何しやがるんだよ奏っ!?」
「死んじまったからどうでもいい? 世界がどうなろうと構わない? 寝ぼけた事ぬかしてんじゃねぇよこのアホバカ間抜けの朴念鈍感大魔王!!」
激昂そのままに空の首元を掴んだ奏は、そのまま鼻先が擦れそうなくらい間近まで顔を寄せた。
そして、空いた片手を半ば叩きつける様に空の胸元に押し当てた。
「アタシは此処にいる! 何時だって、空がいて欲しいと思った時にアンタの胸の中にいる!! だから!!」
吐息が感じられる程の近さで、奏は叫んだ。
「―――だからさっさと、翼を助けて来いドアホ!! アタシの惚れた男が、こんな所で立ち止まってんじゃねぇよっ!!」
告白と呼ぶには余りにも情熱的で、攻撃的で、倒錯的な言葉だった。
驚きのあまり、空はついつい間近まで迫った奏の瞳に吸い込まれそうになった。
僅かに潤んで、今にも零れ落ちてしまいそうなくらいに透き通った、宝石の様に綺麗な双眸。今更になって恥ずかしさがこみあげてきたのか、頬にはうっすらと朱が差しており、快活な普段の様相からは想像もつかないくらいに可憐に見える。
そんな彼女を穴が開くくらいに見つめ続けて――――――呆れた様な、疲れた様なため息が空の口から洩れた。
「な、なんだよ?」
「……熱血なんて、俺のガラじゃないんだけどな」
恋と呼べる程の甘酸っぱさは欠片もなく。
愛と呼べる程の切なさを覚える暇もなく。
まるで十年来の悪友の様な距離感がもどかしくて、それでいて、嬉しかった。
初めて恋をした人が彼女でよかった。
そんな風に思えるこの距離感が、今は只、嬉しかった。
「偶には、こういうのも悪くない……か」
何時しか、世界は夕焼けに染まっていた。
水平線の彼方には夕陽が浮かび、空も大地も茜色に染めている。
幼い日の容貌は、いつしか青年と美女へと様変わりしていた。輝きを失っていた髪は黄金色を取り戻し―――その身は、穢れなき白と金とが折り重なって、一つのデュエットの様な鎧が包んでいた。
「行ってこいよ……“もし”とか“たら”とか“れば”とか、そんなモンに惑わされずに、生きている翼の為に、戦(うた)ってこい」
幼い日の面影に、そして初めての恋に別れを告げる様な口調で奏は呟いた。
夕陽を眺めていた二人は、やがてどちらともなく顔を合わせ、静かに微笑みあう。
「…………ああ、そうだな」
言って、空は静かに波打ち際へと歩んでいく。
何を言うでもなく、寄りそう様に奏も同じ歩幅で進んで―――そして、より輝きを増して、世界すら包み込みそうなくらいに輝く夕陽に呑まれそうになったその刹那、
「―――此処からは、“俺達”の戦いだ」
空の手が、がっしりと翼の手を掴んだ。
「えっ、そ、空っ!?」
唐突過ぎる行動に慌てふためく奏の姿に、心底面白そうな笑顔を浮かべながら空は言った。
「他人事みたいに“行ってこい”なんて言って、それでバイバイで済むと思ってたのか奏?」
驚く彼女を見ていると、空は今自分がしている事がどれだけ彼女の予想と彼女の中のイメージ像をぶち壊しているのかが容易に想像できた。
初恋を綺麗な思い出のまま終わらせる――――――そんな、何処ぞの誰かが絵に描いた様な三文芝居のヒーロー像は、空にしてみれば失笑モノだ。
「分かっちゃいないな、お前は。なーんにも分かっちゃいない」
大鳳空は、自分が聖人君子とはかけ離れた存在だと自覚している。
もっと傲慢で、もっと我儘で、泥臭く汗臭く人間臭く、諦めの悪さも底意地の悪さも筋金入りの悪童だと自覚している。
だからこそ、此処でこのまま奏と綺麗に別れられる程、御伽噺の主人公チックな要素は自分の構成物質の中には一ミリグラムだって入っていないと知っていた。
そんな、悪戯に成功した子供の様に満面の笑顔を浮かべながら、空は言った。
「俺(ぼく)は、世界最強の馬鹿野郎(ヒーロー)なんだよ」
―――そして、世界が光に包まれる。
綺麗に終わると思った?
残念! そうは問屋が卸さない!!