天羽奏の死から、二年――――――
世界は未だ、“ノイズ”に対する有効な手立てをロクに用意できずにいた。
通常兵器は一切利かず、触れればヒト諸共炭素の塊となって消える特異災害“ノイズ”の前に、各国政府は対応に追われていた。
そんな中、日本政府の国家体制での隠蔽工作による対“ノイズ”戦略兵器、通称“シンフォギアシステム”の研究と開拓は、着実にその成果を上げつつあった。
「―――目標地点に到達、これより“ノイズ”殲滅作戦を開始します」
大戦期に創設された“風鳴機関”を前身とする特異災害対策機動部二課に所属する二人の“適合者”。
表向きには決してその正体を明かされる事のない戦士……否、“防人”達の存在を、日夜“ノイズ”と戦い続ける者達の間で知らぬ者はいない。
しかし、人類最後の砦とすら謳われるその“防人”達が、未だ二十歳にも満たぬ少年少女である事を知る者であれば、その数は限りなく少ない。
「一課の方々はそのまま安全圏まで後退して下さい。事後処理と周辺住民の“管理”のみお願いします」
少年――――――大鳳空はそう言って無線を切ると、隣に座る少女――――――風鳴翼の方を見やった。
「……翼、行けるな?」
「ええ。私一人で大丈夫」
言うが早いか、翼は瞼を閉じて静かに紡ぎ始める。
己の内に宿る剣を呼び覚ます歌。
己の内に眠る力を呼び起こす歌。
中空へと舞い、そして青白い輝きが彼女を包んで――――――現れるのは、青の剣を携えし戦乙女。
冠した名は“天羽々斬”
剣を手に、少女は防人へとその姿を変えて敵対者(ノイズ)への葬送曲を奏で始めた。
異形の生物たちは次々と炭素の塊にその姿を変え、見る間もなく散っていく。それは少女の為だけに誂われた舞台の様であり、“ノイズ”達は声を上げる事も無く消え去って、跡形もなく消滅していく。
ものの数分も待たぬ内に、最も大型の“ノイズ”すらも翼の一閃の元に切り裂かれ、炭素の塊となって爆散した。
その様をヘリに乗って上空から見つめていた空は、淡々とした口調で事後処理の為に指示を飛ばし始めた。
◆
「ふぅ…………」
帰着後、翌日のCD発売イベントに備えて一足先に休ませた翼の代わりに報告を終えた空は、水流だけで汚れを洗い落とす様に全身に降り付けるお湯に身を委ねていた。
今回の出撃では、迅速な非難誘導もあって被害は最小限に抑えられ、且つ戦闘面でも翼だけが戦った事で彼にかかった肉体的な疲労感は皆無に等しい。
だが――――――空の心身にとっては既に“生きて”いる事そのものが苦行に等しかった。
「……ッ」
十年以上前、空の両親は死んだ。
事故の原因は、“ノイズ”の人為的な構築と制御実験の失敗による暴走。
二年前のライブでも機動実験の行われた完全聖遺物“ネフシュタンの鎧”に内包されていた力の一部を引き出して、“ノイズ”の発生から消滅に至るまでのあらゆるメカニズムを研究しようというモノだった。
だが、実験は失敗。
際限なく溢れだした“ノイズ”達に呑まれて、空の両親は死んだ。
「―――ッ!!」
拳を壁に叩きつける。
滴り落ちる湯水がやたら冷たく感じられて、空は更に温度を上げた。
あの時、自分がどうやって生き残ったのか、空は憶えていない。
唯一明確に記憶に残っているのは、涙を零しながらも自分を揺り起こした少女――――――天羽奏の怒り泣きという表情だけだった。
それから間もなく、叔母である櫻井了子が研究を引き継いで、アンチノイズプロテクター、現在の“シンフォギアシステム”の開発に成功。
両親の目指した“共生”の為の力は、しかし“排除”の武具として空に、そして翼に力を与えた。
「………………奏」
そして五年前、奏も覚醒した。
“ノイズ”によって両親諸共あらゆる身内を奪われ、憎しみと憤りの中で再会した彼女は、嘗て優しさに満ちていた瞳に慟哭を滾らせて、叫ぶ。
『―――アタシに武器を寄こせ!! 奴らをぶっ殺す力をくれ!!』
両親の望みは、愚かなものだったのか。
自分の願いは、叶えられるものではなかったのか。
滴り落ちた水が、胸元に埋まる結晶を伝って床に零れる。
応える声は、なかった。
◆
私立リディアン音楽院に通う翼と違い、現在の空は二課所属の研究員を務めている。
研究といってもその実態はシンフォギアシステムの開発と向上を目的とした調整が主であり、出動命令がない場合は小休止を時折挟んで丸一日実験に付き合わされる事も珍しくない。
『空、気分はどう?』
「……悪くはない、ってところかな」
ブラックボックスに近い聖遺物は、例え僅かな破片からでも計り知れないエネルギーが創り出される。その研究と開発は、ひいては地上で唯一“ノイズ”に対抗出来るこの武装兵器(シンフォギアシステム)の更なる可能性の開拓に他ならない。
故に、日常的に行われる了子の実験が生易しいものである訳がなかった。
『じゃ、先ずはこれね。始めて頂戴』
「――――――ッ!」
開始の言葉と共に、空の全身を焼きつくす程に凄まじい激痛が駆け巡った。神経がショートし、筋の一本一本に至るまでを懇切丁寧に断裂するかの様な痛みに、脳髄から眼球からあらゆる箇所がスパークしそうになる。
翼と同様に“防人”として戦い続けてきたその身を以てしても、その激痛は言葉に表し難い。
十数秒、だろうか。
やがて治まり始めた痛覚に変わって鼓膜を揺らし始めたタービンの回転する様な音が徐々に緩やかになった頃、強化ガラスの向こう側から了子が顔を覗かせた。
『今のは流石に刺激が強すぎたみたいね。次はもう少し弱めた奴を使うから、ちょっと待っててね』
「……了解」
実験を自ら志願して本格化させた二年前に比べれば、吐き気も頭痛も見違える程に緩和されている。開始当初は五分と持たずに嘔吐と失神を繰り返していたというのに、今では連続での実験にも耐えられる程に身体が慣らされてきた。
幾筋ものチューブが突き刺さる全身に刻まれた、拭い難い程無数に奔る傷跡。首から上や、普段露出する手首足首から先端にかけては治療を施したが、それ以外の部位には未だに克明に残り続けるおぞましい傷、傷、傷。
天井に吊るされた映し鏡に映ったそれを見て、自嘲する様に空は笑みを浮かべた。
自らの弱さ。愚かさ。無力。無知。無能。その全てを物語るこの傷は、歳月を経ても尚酷く鮮やかに残り続けている。
背を見やれば、胸元に奔る一条の傷跡よりも更に鋭く皮肉を抉った傷が見える筈なのだが、仰向けの状態では見る事は叶わない。
だが――――――これだけあれば、思い出すには十分すぎた。
櫻井理論によるシンフォギアシステムへの不完全な適合による、自分自身の無力が招いた惨劇―――天羽奏の死亡から、二年。
大切な人を助ける事は出来ず、誰よりも近かった筈の幼馴染を救う事も出来ず……そして無様にも生き残り、生き永らえた“あの”地獄から、十余年。
空は“力”を望んだ。
己の為したい事を為せる、貫きたいモノを貫ける、唯一無二の“力”を渇望して、手に入れた。
“Excalibur”
数多ある世界各地の伝説の中でも一際輝きを放つ、世界最高峰の騎士の物語。其処に登場する偉大なる騎士王が携えた、唯一無二の聖剣。
その刀身の欠片こそ、空に与えられた比類なき力。
調和を成す為に。
共生をする為に。
望むのは明日(みらい)。力ある者のみが望める、遥か遠い道の先。
其処に辿りつく為にこの剣を振るう。
もうこれ以上、誰も失わない為に――――――
◆
実験は夕方前に終了し、空は自由時間を得ていた。
基本的に何もする必要がない場合、空は機動部に留まる必要性はなく外出も許可されているのだが、今日“も”それをする気にもなれなかった。
「ふぅ…………」
刻限を過ぎている為、機動部の地上に建てられているリディアンの屋上には誰もおらず、空は備品のベンチに腰掛けてぼんやりと過ごしていた。
機動部から出る間際に買ったミルクコーヒーはやや生温くなり、少し肌寒さの残る時分だけあって風は聊か冷える。時折グラウンドの方から聞こえる体育会系の部活動らしき声や、音楽院だと云うのに右肩下がり気味なグラスバンドの調子が外れた様な合唱音等が耳を打ち、穏やかな時間がのんびりと過ぎていた。
茜色に染まる空は徐々に夕闇の面積を広げ、夜の到来を告げようとしていた。
と、不意に、
「…………そういや、今日は翼の新曲発売日だったっけか」
実験の為にすっかり抜け落ちていた事を思い出して、喉の奥に刺さっていた小骨が取れた様な妙なすっきりとした感覚を覚えた空は、折角だし近場のショップで買ってCD音源で聞いてやろうか思い立って投げ出していた両足で屋上のアスファルトを強く踏んだ―――――――瞬間、一陣の風が虚空を舞った。
「―――ッ」
何の根拠もなく直感のままに見やった方向は、市街地の一角。
だがポケットを震わせる源と幾度となく戦場に身を置いてきたが故の“防人”の五感が、それを確信に変えた。
「“ノイズ”が、来る……!」