楽しんでいただけると嬉しいです。
「起きて……は……ち…ん」
底のない沼に体を委ねるが如く終わりの無い惰眠を貪っている筈なのに、耳元で優しい声で囁かれる。
「あぁ……」
体を起こそうとしてもなにか不自然な程の重さが俺の体にのしかかっていて思うように体が動かない。この重さはうちの猫ではなく人間の重みだ。それも明らかに男では無い。
もしかして小町が俺を起こしに来たのか。それとも俺の布団に潜り込みに来たのか。宜しい。堂々の妹ルートでの完結と行こうじゃないか。待ってろ都条例。すぐにぶち壊して明るい未来を掴み取ってやる。これは千葉兄妹の宿命なのだから……!
「小町……どいてくれ。俺には条例と戦う義務があるんだ……」
「何を言っているのかしら妄想谷君。小町さんなら下よ」
小町じゃないのか。……もう誰でもいいからどいてくれ。
「そうか。じゃあおやすみ………は?なんでお前がここにいるの?あとどいてくんない?重いんだけど」
俺の上に乗っかっていたのは愛しのマイシスターではなく氷の女王もとい雪ノ下雪乃でした。
マジでなんでいるの?何も約束してないよね?もしかしてこの前のの一色パターン再来なの?
一月の終わりごろに一色と共に千葉の街へ繰り出した(デートじゃないよ)あの日を思い出す。
あれは疲れた。
じとっと雪ノ下を睨めつける。
カッとその白い顔をあっという間に怒りで染める雪ノ下。あかんこれ。朝から痛い目みるヤツや。
「安心しなさい。私結構軽いほうだからそこまでの負担ではないはずよ。もし負担になるのなら鍛え直す必要があるわね」
あ、ですよね。なにせ君は大きなメロンも装備してないし、桃すらないし。まな板装備だもんね!そんな装備で大丈夫か?大丈夫だ。需要があるから問題ない。
「そうだな。で、なんでいるの?俺二度寝するんだけど」
時計を見れば時計の針は九時を示している。土曜は昼過ぎまで寝ている俺にとって今はまだ睡眠時間だ。
「前に言ったでしょう?私を助けてって。その時が来たのよ」
「は?それはもう使っただろうが。俺は寝る。オヤスミナサイ」
頼むから寝かせてくれ。俺は深夜までアイドルをプロデュースしてガラスの靴で灰かぶりのお姫様を舞台へと登らせていたから眠いんだよ。
「あら。ではこれはなにかしら。やけに硬いものが私の下腹部にあるのだけれど。写真に撮って由比ヶ浜さんにおくりつければいいのかしら」
は……?自分の下半身を布団の中から見つめる。
愚直なる愚息がどうも朝から迷惑をお掛けしまっていたようですね。
「やめろ下さい何でもしますから」
「今何でもって」
「キャラがぶれてんぞ。それは需要ないから」
「というわけで用意をしなさい。30分だけ待ってあげる」
「へいへい……何回目か忘れたけどいい加減どいてくんない?」
「………そうね。仕方が無いわね」
はぁ…………俺の休日……
雪ノ下さんがどいてくれたのはそれから五分後のことでした。俺じゃなかったら間違いなく襲われてるから注意な。多分返り討ちに合うと思うけど。
「あ、おはようお兄ちゃん」
ソファでぐでっとだらけている小町が俺に気付く。
「おはよう。なんで朝から雪ノ下が来てるの?」
じっと小町の目を見つめる。何やら小町の顔には尋常ではない量の汗が浮き出てきた。これはアレですね。俺だけ聞いていなかった感じですね。
「それはね、お兄ちゃん。あのね?」
豪華な食事の置かれたテーブルを見ながら椅子を引く。
「小町。帰ったらお仕置きな」
ひくぐらいゲスな笑顔を称えながらそう告げる。覚悟しろよ。俺の睡眠を妨げた罪は大きいぞ。どこぞの吸血鬼兄貴の様に歯ブラシでお仕置きしてやろうか。
「ひっ………」
小町の怯える声をBGMに用意された朝食を平らげる。
先の雪ノ下の発言からしてこの朝食は雪ノ下が用意したものだろう。やはりあいつは料理がうまい。そんじゃそこらの主婦よりも下手するとうまいんじゃないだろうか。なんなら下手な店よりうまいまである。
口の中にスクランブルエッグを放り込む。
トロトロに炒められ、味付けも塩と胡椒で後を引く良い味付けだ。点数つけるなら八万点くらいかな。はちまんだけに。だけど俺がトマト嫌いなの知ってるはずなのにトマトが入ってるのはおかしいと思うな!嫌がらせですねわかります。
「どう?お兄ちゃん、雪乃さんの料理は美味しいでしょ?」
「あー、そうだな。うまいうまい。けど小町の料理の方が美味いぞ」
いつの間にか立ち直っていた小町。
「お兄ちゃん……!小町は嬉しいよ!けどそこは素直に雪乃さんの料理の方が美味しいって言って欲しかったなー」
……寒気がする?おかしいなぁ。
「そうね。できればそう言ってもらえるとトマトが消えたのにね」
声の方を向けばみんなのゆきのんがそこに居た。それじゃダメなんだよ……トマトを抜かなきゃテメーは勝てねえ。……絶対にな。
「そうだねー。雪ノ下の方がおいしいなー」
「あまり嬉しくないのだけれど。……まあ及第点をあげるわ。これから動いてもらいますし」
「待て。動くにしてもどこに行くんだ?家か?家なのか?家なんだな?よし飯食ったら布団だな」
「シャシン」
「さっさと食い終わって着替えよっと!」
あれは不味い。?ってあれ?撮ってたの?
ガツガツと皿にある料理を口へ放り込んでいると射殺す様な視線をビンビン感じる。冷や汗が頬を伝うのが分かる。俺は今戦場の真っ只中に居るのだ。少しでも間違えれば……死ぬ。社会的に。
背中に突き刺さる視線に時折身を縮めながら料理を食べ終えた。
やって来るのは充足感とどこまでも追ってきそうなほどの眠気。
そりゃあそうだ。なにせいつもより起きる時間が早いんだから仕方が無いことだろう。これはあれだな。用が終わったら即帰宅からの即睡眠ですね。
「そういやどこに行くんだ?」
次家と言ったら俺は間違いなく死ぬ。それだけは理解していた。
「そうね……」
スッと白くしなやかな細指がどこかを指す。
その指先へと目を向けると―――
『見てください!コチラ先日千葉駅にオープンしたばかりの猫カフェです!』
「はぁ………」
マジ雪ノ下さん猫大好きフリスキー。
うちのカマクラじゃダメですかね?
外出するための支度を即刻終え、再びリビングへ。
相も変わらず小町はソファでくつろぎなう。俺もくつろぎたいなう。
「お兄ちゃんはいってらっしゃい」
「俺の心を読んだのか……!」
「そういうのいいから。ほら行った行った」
しっしっとゴミを見るような目で手を払う小町。いや、そもそもこれはお前が何も言わなかったのが悪いんじゃないの?
「わーったよ。なるべく早く帰るな」
「いいよいいよお兄ちゃん!お土産よろしくね?小町はカーくんとソファをあっためて待ってるからね!」
「おお、それは有難くもなんとも無いな。けどその温もりで俺は頑張れるよ。今の八幡的にポイント高い?」
「それはないわー」
おいおい。口調が戸部みたいになってんぞ。とべるからやめとけよ?
「んじゃ行ってくるわ」
「うん!」
にぱーっと笑みを浮かべる小町の顔はそれはそれは愛しの兄を送り出す顔では無かったそうな……むしろ邪魔者を消し去った後の清々しさの方が強く見えた気がする。
玄関で靴を履き終えすっかり準備万端と言った様子の雪ノ下。
若干息巻いてるんだけど。どんだけ楽しみにしてたの猫カフェ。
もしくは俺のこと好きなの?
「どんだけ楽しみなんだよ……」
自然と声が落ちる。それもそのはず、ひたすらに眠り続ける休日を失ってしまうのだから当然だ。
「別に行きたくないのならいいのだけど……」
やけにしおらしくなる雪ノ下。いつもとは違いこれはこれでいいかもしれん。
って何を考えてるんだ俺は。
「今更かよ。さっさと行って帰るぞ。俺は小町の温もりが欲しいんだ」
隣でクスッと笑みのこぼれる音が聞こえる。
「貴方は相変わらずね」
答えなんて分かってるはずの問いかけ。だから俺も予想通りの答えで返す。
「ああ、そうだよ。簡単に変わるなんてそれは個性とは呼ばないからな。そもそも千葉の兄妹はこれがスタンダードなの」
「それはないと思うわ」
「被せて返すなよ。俺はそう信じてる」
どちらとも無く笑いが漏れた。
「行きましょうか」
「おう」
玄関のドアを開ける。いざ千葉へゆかん。
空は青々と晴れ渡り、今か今かと開花の時を待ちわびる春の芽をそこかしこから感じられる。
雪が溶けて、冬が過ぎて。
待ちわびた芽がいっぱいに開きだして、
―――――やがて暖かな春が来る。
読んで頂きありがとうございました。
次話も雪ノ下さんのお話の予定です。