若き騎士ホスア・テウは走っていた。はやるあまりに叫び出しそうになりながら、それでもグッと息をのみこみなるべく音がしないよう浅く呼吸する。もう太陽は真上に来ているというのに、霧の谷の底にもなると白いばかりで数メートルすら見通せない。背の低く濡れた雑草をなめるように身体をかがめて走り、音も無く岩陰に飛び込む。
「いるはずだ…確かにいるはずだ…」
彼は祈るように繰り返す。事前に得た情報では確かにここにいるはずなのだ。呼吸を整え、そっとあたりを見渡す。オークの白い影の中にひとつだけ、背の高い人間の影が確かに見えた。片腕で小太りにみえる人間のシルエット。
「…ッッ!!」
いた。いた。いた。いた。ホスアは背にある剣の柄を握りしめた。呼吸を整える。剣を抜き、脚に力を込める。あとは覚悟を決めるだけ。3…2…1…
「待ってほしい、私のお客さんだ。出てきたまえ!」
思わず足を踏み外しそうになる。あの男、今なんと言った?
「君がワタシを訪ねてくるのは分かっていた!大きくなったものだ!あの時の少年だろう!?」
ホスアは剣を構えたまま岩陰から出た。ちょっと動転したが、どうせここまでくればもう構うものか。
「ああ、やはりそうだ!身体はずいぶんガッチリしたが、面影はそのままだ!逢いたかったよ!」
「ビラン・ルードォ…!」
武装したオーク達に囲まれた片腕の男はホスアの怒気など気にもせず、柔和な笑みを浮かべている。
「ビラン!元レノ王家親衛騎士団団員、軽業のマウルを覚えているか!」
「もちろん」
「俺の師匠だ。俺がまだ幼い頃、俺の目の前で貴様が殺した!」
「それも覚えているよ。確か…そう!ちょうどレノで200人チャレンジをやってた時だったな!妙にフワフワした剣の男だった」
ビランはそうかそうかと目をほころばす。
「そして君は師匠を目の前でなぶり殺されて、涙を流して怯えていたあの時の少年というわけだ、ホスア君!」
「な…」
「そんなに動揺することもあるまい!ワタシは記憶力には自信がある。ちゃんと200人分全員の少年少女の名を覚えているよ!」
ビランは芝居がかった動きで腕を広げる。赤色の瞳が歓喜に染まっていく。
「君はワタシに復讐しに来たというわけだね!師匠の仇を取ろうと!ゴミみたいに殺された愛する者の尊厳を取り戻すためにその青春を全てかけて自身を磨き、ワタシを殺しに来てくれたんだね!」
軽くステップを踏み、ビランはくるりとホスアに向き直った。
「よいでしょう。とてもいい!来たまえ!君の好きだった師匠の仇、何百人もの罪無き人間を自己の都合のままに手にかけてきた極悪非道のイカレた殺人鬼を今!君の正義の剣で討ち果たすのだ!」
「シエエエアアアアア!!!」
ホスアは絶叫し斬りかかった。怒りで目の前が真っ白になったままだったが、幾度も鍛錬を積んだ身体はその動かし方を本能的に理解していた。笑みを浮かべたままビランは腰の長剣を抜き、その剣戟をいなしていく。
「死ねえええ!!」
「少年、もっと冷静になりたまえ!師匠と同じ流派の剣ならばもっと繊細さが必要だろう?」
「知った口を!」
ホスアは構わず攻め続ける。凄まじい撃剣の雨を、ビランは長剣を巧みに揺らし最小限の動きで躱していた。若輩ながらも復讐を遂げるために全てを剣の道に捧げてきたホスアは怒りながらも段々とその異様な実力に気づきつつあった。本来両手で扱うはずの長剣を片腕で、ここまで柔らかな防御ができるものか。ホスアは冷静になるため一旦飛び退いた。
「それでいい、それがいい!怒りに身を任せた考え無しの乱暴な撃剣など見たくも無い。ワタシが見たいのは確かな『結果』なのだよ」
「じゃあ、望み通りあの世へ送ってやる!」
剣を真横に寝かせ、流派に伝わる構えを取る。ホスアの空気が変わったのを見て周りのオーク達がざわめきだすが、ビランはそれを手で制した。
「マウル流軽業術、天空鞜破!」
ホスアはビランめがけて空高く飛び上がる。そのまま縦に一文字斬りかかるかと思われたがホスアはくるりと回転し、文字通り空を蹴って凄まじい勢いでビランの脳天へ連続で突きを繰り出した。ビランは先ほどのように長剣で対処しようとするが、真上というあまりに角度がついた相手の剣に、対処がわずかに遅れた。
「取ったぞォ!」
ホスアは絶叫する。躱しきれずにホスアの突きがビランをとらえようとしたまさにその瞬間。ホスアの剣を持った腕が肩ごとボッ、と消し飛んだ。血飛沫とともに受け身もとれずにビランの足下に叩き付けられる。
「ぐあ…!」
逆にビランの刺突を肩に食らったと分かったのは、ビランがホスアへ突きを入れた状態のまま石像のように動いていなかったのを見たからだった。まるで『突きとはこう繰り出すものだ』と教えんばかりに。
「所詮は軽業ということかな?その程度の曲芸など…」
視線を足下へ落とすと、ホスアの服が破れ、身体があらわになっていた。心臓の部分に杖に絡みつく鳥の紋章が描かれており、小指くらいの紐がそこから出ている。
「死ね…!」
ホスアが心臓から生えていた紐を引き抜くより先に、長剣が彼の首を斬り飛ばしていた。ビランは再び歓喜の声を上げる。
「素晴らしい!なんと素晴らしい!君はワタシを最初から道連れにしようとしていた!その覚悟を決めてワタシの元まで来てくれていたのですね!感動です!」
ビランは首の無いホスアの手をみぞおちのあたりまで引き寄せ、埋葬の姿勢を取らせてやった。
「神獣爆弾とは!君は騎士としてのプライドをかなぐり捨てて魔術師に自分の身体を改造させた!しかも禁忌に触れる神獣を使った爆弾!この紐を抜かれていたらワタシどころか霧の谷そのものが消し飛んでいた事でしょう!」
「ビランさん」
白い霧の中から一連の出来事を見ていた小柄なオークが一人、歓喜に踊るビランへ近づいていく。
「困りますな。我々ごと危険にさらされるのは」
「おや、ムツタカさん。危険なんてとんでもない!こういった事は趣味の一環とお伝えしたはずですが」
「そりゃあこの程度のガキ、あなたならなんとでもなることでしょう。あなたがいなくとも部下がとっくに締めてます。問題はこのガキが我々の居場所をつかんでいたということですわ。あんた、もしかしてわざと我々の位置を漏らしたんじゃあないでしょうな?」
「それもありません。こちらからヒントをあげるようなことはしませんよ。目標は自分で見つけ出してこそ、その価値があるというものです。ワタシの居場所を掴んだのはあくまでホスア少年の努力の結果です。彼はきっと血のにじむような努力でワタシを見つけてくれたのでしょう!とっても素敵なサプライズでしたよ!」
そう言ってビラン・ルードォは高笑う。狂人め、とムツタカは舌打ちしたい気持ちを飲み込み、さっさとその場を後にした。伝令のオークが入れ違って走ってくる。
「ビラン殿!」
「おやおや伝令係さん。どうしましたか?」
「あなたの『趣味リスト』に上がっている人が霧の谷近くの町に来たみたいですね」
「ほう!名前は」
「正式な名前は分かりません。ただ今はネズミと名乗っている者でして」
「…なんと!」
ビランはいっそう小躍りした。まさか。まさかあの時の彼では!
「嬉しいサプライズが続きますね!ありがとうございます!」
くるりくるりと回りながら、ビランは歌い出す。今度はどんな復讐者が来るのだろう。
「愛とは燦然と輝くもの…」