海岸線の寂れた町を後にした男は、峠をふたつみっつ越えて少し内陸の城下町を目指して草原を歩いていた。春は終わりに近く、寒くもなく暑くもなく、過ごしやすい季節である。見渡す限りに広がる草原は膝より高い草もなく、少し強い風がその上を撫でるように通り過ぎていく。持っていかれないように編笠をちょいとおさえて、男は風を楽しむように立ち止まってすう、と息をした。青草、緑の風のさわやかな香りである。
「ん?」
とそこで男は風に混じる臭いに気がついた。獣、それも鼻に馴染みある馬の臭いである。西のレノ領ならまだしも、ゴスターのこんな田舎に野性の馬などは滅多にいるものではない。ということは、「馬車か」きっと城下から海岸線の町へ行く商人だろう。商人の馬車には荷と情報がたんまり乗っている。近くにいるのなら会わない手はないと、男は草原を少し逸れ、城下へは遠回りとなる道へ鼻を頼りに向かった。
道端で馬を休憩させていたヨボヨボのじいさん商人にいくつか日用品を売ってもらった男は、少し気になる話を耳にした。
「手配人?」
じいさんはガムも噛んでいないのに口をもごもごさせながら言った。
「あぁあ、そう。手配人。この先の町にいるって話さぁ。少しばかり腕がたつ若い幻術師みたいな話だったなぁ。あれ、人質がいるって話だったかなぁ。いやだねぇ、ここんところよくものを忘れがちでねぇ。」
このじいさんどうにもボケ始めているようだと、男は心配になった。
「なぁにやらかしたのか知らないが、悪人としてギルド本部から正式に手配書が出た。一昨日の話だ」
(流石に腐っても商人か、耳が早い)
男は関心した。手配書などは流れてくるのに普通一週間はかかる。しかしギルドから悪人として指名手配を受けている奴など別に珍しくもない。本部から、というところが少し引っかかるが、大した話でもないのに長くなりそうなので男は話に割り込むように一番聞きたい所だけ訊いた。
「それで、そいつの首にはいくらぶら下がってんだ?」
するとじいさんはそれきたとばかりに身を乗り出し、ひそひそ声で
「それがよぉ、そんなチンピラ小僧にギルドの連中20万Gも懸けやがった。20万だぞ。白鹿追いの時ですら連中100万を渋ったのに。しかも詳しい理由はだんまりときてる。みんな気味悪がって受けねえよ、そんな依頼」
面白そうな話だろ、とじいさんは嬉しがる。確かに妙、というよりそれを通り越して気味の悪さすら感じる。こういう依頼は大抵裏があるもので、普通ならまず受けない方が厄介がなくていいだろう。だが男はそのきな臭い依頼に興味を持った。
「その依頼書、持ってるか?」
じいさんの眼光が鋭くなる。
「あるよぉ、ちょっと待ってな」
そう言うと、ホロが被さっている荷台に半身を潜らせた。
「あんた、顔はボサっとしてるようでどこか若い雰囲気だったからねぇ。わかるんだよぉ、そういうの。こいつはきっと受けそうだってな。ええと、確かこの辺でぇ…はいはい、あった」
寄越してきた半ペラの依頼書の写しを流し読むと、男は今来た道を戻り出す。
「ありがとう、恩に着る」
「達者でなぁ……ああ、そうそう待った。あんた、名前はなんてんだ」
怪訝な顔を浮かべて男は振り返る。
「そんなこと聞いてどうすんだ?」
「いやいや、あきんどは情報が命さ。どんな奴だろうと名を聞いて損はしねえってのが俺の流儀さ。そういうもんだ。その依頼書をくれてやったんだ、その代金として教えな」
男は納得し、編笠を少しあげて煙草に火を付けた。
「今はネズミと名乗っている。じいさんも、達者で」