ビランは根隅鏡右衛門との立ち会いを思い出していた。鏡右衛門との立ち会いが特別印象に残っていたわけではない。ビランは今まで立ち会った試合は相手の名前や技まで全て覚えていた。それどころか、ビランは一度立ち会った相手の剣術を真似ることもできた。さて、根隅鏡右衛門。
根隅鏡右衛門は・・・とんだザコだった。妙見元流とかいう田舎剣術を名乗っていたが、別段たいしたことはなかった。似た剣術なら知っているが、それと比べれば全くくだらない。「妙見」などという名前も大方先祖が都会の剣術に憧れてつけた名前だろう。もしくは逆に都会の道場から落ちてきた者が名付けたか。どちらにしてもどうでもよいことだった。
この青年はどうだろう。ビランは目の前のネズミを品定めする。体格はまず大したものだ、服の上からでも膂力の強さもうかがえる。大柄でありながら足取りのしなやかさが特によい。最大の特徴は・・・精神から発する「気」の強さだろうか。気が剣にまでうつっている。いや、意識してうつしている。「体」の練られかただけなら気功術の域にまである・・・
剣術はどうか。ビランは本来片手などでは扱えないほどの長さの長剣を、重さを全く感じさせない手つきで腰からすらりと抜いた。
ビランの顔をもの凄い圧力が叩く。ネズミの殺気が先行したものだ。
「(殺気などは本来相手に気取られぬようするものだが)」
苦笑するビランにネズミは気づいていなかっただろう。その瞬間にはネズミは巨躯の弾丸になっていた。何メートルも距離があったはずなのに瞬きよりも速くビランに斬りかかるが、その剣は長剣に受け止められる。
ネズミの攻撃に気づいたタマキは驚愕した。
「お師のスピードに反応した!?」
「(速い・・・!)」
顔には全く出さなかったが、内心で同じくビランも驚いていた。殺気の先行がなければ初見で斬られていた可能性すら感じる速さだ。ビランの知るところでいえばここまで速い攻撃を繰り出せるのはシード団ボス、ベルードくらいだろうか。なかなか良い。それに、鍔迫り合いから通して伝わるネズミの膂力は想像通りだった。
今、ビランは剣士ではなかった。手ずから仕込み長く熟成させた酒樽、その栓をとうとう抜き最初の一杯を期待に胸膨らませながらテイスティングするソムリエなのだった。
青春の全てを賭けて熟成させた憎悪と殺意、大変味わい深いだろう・・・
鍔迫り合いから一旦距離を置いたネズミは間髪入れず突撃した。またしても強烈な殺気がビランの身体を左上から右下へ叩く。殺気どおり、左上段からの袈裟がけに一太刀。今度は焦らず斬り払う。
「その剣の速さは大したものだ。だが哀しい哉、君の太刀筋は非常に読みやすい」
ネズミは耳を貸さずに再度斬りかかる。ビランの身体を今度こそまっぷたつにすべく剣を振りかざしたが、その瞬間待っていたのはがら空きのビランの身体ではなく拳だった。長剣の柄を握り込んだ鉄拳がネズミの顔面を吹っ飛ばした。ネズミの巨体が凄い勢いで地面に叩き付けられ、衝撃が余していた肺の空気を全て体外へは吐き出させる。
「がふっ・・・」
「君の進行方向に剣の柄を合わせただけだ、私はまだ何もしていない。大丈夫かね?」
ネズミはしたたかに頭を打たれ意識が軽く飛んでいる状態であることを分かっていながら、ビランは特に追撃しなかった。剣を肩に乗っけて、回復を待った。
「確かに剣術は突き詰めれば殺人術だ。そういう意味では君の、いや君の流派の考え方は悪くない。ただし、恐らく、君自身にそれを実現させる準備が整っていない」
ビランがネズミの剣について分析をしている間に、ネズミは回復し再び突貫していた。猛牛よりも力強く、風より速いネズミの突貫をビランは最小限の動きと長剣の柔らかな剣さばきで受けきる。
「では次のステップだ!」
ビランはその長い剣をびょうびょうと振り回し、ネズミへ斬撃の雨を叩き付けた。今まで見てきたどの剣よりも速く重い剣が四方八方から飛んでくる。受けきるだけで精一杯どころか次第にネズミは押されていった。
剣の速さを信仰するネズミにとって、そもそも自らの剣を受け止められること自体がかなり珍しいことだった。たいていの相手は一太刀でまっぷたつにできたし、白鹿の件以降は化物だろうと何だろうと切り伏せることができるようになった。ただし、速度への信仰は彼の流派のものではなく、あくまで彼個人の信仰だった。妙見元流には様々技があったが、ネズミは燕返しのみを来る日も磨いてきた。
全ては師の仇を討つため。
ビランの猛撃のさなか、ネズミは呼吸を整えた。怒りでヒートアップしていた脳内もつられてわずかにクールになる。次いで、丹田から出づる気迫を全身に充実させるイメージ。
「(ほう、何かあるな)」
剣の天才ビランはネズミの思惑を交える剣から読み取った。が、対策はしない。
何が出てくるのか、見てみたい。
ビランは猛撃のさなか、わざと隙をつくった。それを悟られないほどにほんのわずかな隙。そしてネズミはそれを見逃さなかった。ネズミの剣が「受け」の剣から「攻め」の剣に変わる。
左下段からの斬り上げが来た。ビランはそれを斬り払おうとしたが、ネズミの剣が粘り着くように長剣はすくい上げられた。ここでネズミのギアが上がる。ありったけの気迫という名のガソリンをを全身駆動のエンジンへ突っ込む。その一瞬に全てを賭けて、ネズミは返す剣で右から胴を抜く。彼が唯一磨いてきた、「燕返し」という剣技である。