夜霧の中を風のように走るタマキを悠々追いながら、ビランは感激していた。
「なんと美しい師弟愛!白鹿の血さえなければ・・・!」
そう笑いながら、しかしタマキを着実に追い詰めていた。どうやら獲物は霧の町へ逃げるつもりのようで、町へ続く道を一心不乱に走っている。生への狂乱に似た執着をもっと愛でていたかったが、立ちこめる霧の向こうに町の灯りが見え始めたあたりで、ビランはわずか一足でタマキに回り込んで立ちはだかった。
「観念したまえ、君達は逃げられない。おとなしく首を出したまえ。先程も言ったがワタシは剣の達人だ、苦しまずに死なせてあげるから」
「ひい、ひい、ひい」
疲労と恐怖で息が完全に上がっているタマキは、しかし先程とは違った。ネズミを降ろし、意識がなくなってからもその手に残っていた刀をぶんどった。星眼に構えようとしたが、術力が切れかかっているために下段の構えのようになった。
刀が重く、もう上がらない。もう身体に力が入らない。が、ビランをにらみつける瞳には疲労と恐怖だけでなく小さな闘志の火があった。
「蛮勇か勇気か、惜しい・・・!」
ビランは歓喜に打ち震えながらも長剣を振り上げた。刃は大きく弧を描き、少女の首を切り落とすべく滑り落ち、
「!!!」
戦士に備わる第六感か、ビランはぎょっとして飛び退いた。瞬間、衝撃がたったいまビランのいたところを地面ごと抉り、吹き飛ばした。霧が爆風に散らされ、続いて土くれがばらばらと降ってくる。
「おお、危ない危ない。誰かね」
つとめて平静を保ちながら、しかし今度は剣を構えたままに霧の中の影に問いかける。
「誰か?おいらを誰かって?」
息をつく暇もなく影はビランの首めがけて鋭く飛び蹴りを繰り出したが、長剣によって弾かれた。
影は男だった。ぼろ切れみたいな土色のマント。同じく土色のつばの深い帽子の中からまなざしだけがのぞいた。
「おいらぁレノ領いちの傭兵団こと砂蛇一家、頭領のバスソウ!」
「お、おっちゃーん!」
霧の中から出てきたのはネズミとタマキが以前酒場で話しかけられたバスソウだった。タマキを庇うようにして立ちはだかる。
「どうにも外が騒がしいと思って来てみたらこれだ。おいらぁ忙しいんだぜ」
「知り合いかね。邪魔しないでもらいたいが」
ビランは鬱陶しげに言ってみせたが、強者と相対するのは望むところであるため、実のところを言えば真意は逆であった。
強者。そう強者だろう。攻撃の瞬間まで気配を察知できなかったのは久しぶりだ。それに、さっきの名前には聞き覚えがある。
「どいてくれたまえ」
「やなこった」
「何故?」
「今こいつらの雇い主はおいらだ、キズモノにされちゃ困る」
バスソウは腰を深く落とし、半身を引いて構える。
「それにな、そんなニヤニヤしながら子供を殺そうとする奴ぁまともじゃねえ。命(タマ)ぁ置いていけ」
得物を出す気配が無く、剣相手に素手とはどういうつもりかビランは断然興味をそそられた。体型も中肉中背、服の上から見ても筋肉の付き方はそこまで戦士のそれでは無い。どうやら怒っているようだがその感情には特に興味は無いので、何はともあれ不意に横一線斬りつけてみると、バスソウは避けることもなくまともに胴に受けた。
金属同士がぶつかり合うような、ガキンという音が響き渡った。
「お、おっちゃん!」
「(なんだこの感触は・・・!?)」
服の下にチェーンメイルでも仕込んでいるのか、と一瞬思考が通り過ぎたが、にやりと笑うバスソウの顔が全てを遮った。
バスソウの胴は・・・キズひとつなかった。厳密に言えばマントと服は斬れており、ちらりと見える肌には一滴の血も浮かんでいなかった。
「おいらの身体は気攻術によって鐘となる!剣ごとき効くもんか」
バスソウがマントの中から突きだした両の手のひらが、かげろうのごとく揺れる。強力なエネルギーがたまっている。
「そして、鐘は突かれれば響かなければならない!」
再びビランの第六感が危険を告げる。急いで回避しなければならない。だが、その理性を感情が邪魔する。
見たい。見てみたい。どんな攻撃をしてくるのか。できることなら、受けてみたい。
それがビランの回避を遅らせた。
「気攻術・鐘鳴拳に敵無し!食らいたきゃ食らわせてやる!」
先程より強力な衝撃波によりビランは立っていた地盤ごと吹き飛ばされた。土煙が高く舞い上がり、一帯の霧はまとめて吹き上げられる。衝撃波の波は遙か後方の木々をもなぎ倒し、全てを彼方へと追いやった。残ったのは彼方をにらむバスソウと衝撃にひっくり返ったタマキだけだった。
「やったのか!?」
「いや逃げたな。あんちくしょう、わざと下がってうまく受け流してそのまま行きやがった」
はああ、と敵がいなくなって安堵するタマキとともに、バスソウも頭に降る土を振り払いながらため息をついた。
「(あいつ、躱しやがった)」
バスソウからすればあの初撃を躱すようなバケモノとまともにやり合いたくないというのが本音だった。
ビランに斬られた腹を触ってみる。血は付いていなかったが、衝撃による痛みがまだ残っていた。『痛みが残っている』という事実ひとつとっても恐るべきことだった。通常なら剣ごとき逆に砕いてやるものだが、あの斬撃の凄まじさはどうだ。あいつの本気の剣を、自分は受けきれるだろうか。
思考は、タマキの悲痛な叫びに遮られた。
「お師が、お師がヤバいんだ、どうしよう、どうしよう」
ネズミは血の海に沈んでいた。肩口の傷が特に深く、これでは・・・
助かるかどうかわからないという言葉を飲み込んで、バスソウは大の大人ではとても背負うことのできないほどの大男のネズミをひょいと背負って数十分間走り通して町医者へ担ぎ込んだ。
たたき起こされて不機嫌だった医者もネズミの容態を診て慌てて杖を引っ張り出し、治療魔術の用意を始めた。
その後、疲労困憊のタマキとともに控え室で寝ていたバスソウは、数分もしないうちに逆にたたき起こされた。
「なんだ。ダメだったか」
違う、と医者のばあさんは言う。暗い控え室でも分かるくらい、その顔は真っ青になっていた。
ぶるぶる震えパニックに陥っているばあさんをなだめすかし何が起こっているのかバスソウは確認した。
確認した後、もう一度確認した。当然ばあさんは同じく答えた。
曰く、治療魔術が効かない。治療だから効かないのでは無い。魔術そのものが効いていない。この人は本当に『人』か、との問いだった。