ネズミが再びたたっ斬ってやろうと全身に気を流そうとした瞬間、横から細く赤い糸のようなものが素早く伸びていき人型の青い炎に巻きついた。
「!」
ネズミは振り向くと、ジルの小指からそれは伸びていた。
『おっ』
声の主が反応する前に、ジルは赤い糸をぐいと引っ張り、ぐるぐる巻きになった糸を締め上げる。
「下がって!」
二人が弾かれたように飛び退くのと同時に
「爆ぜろ!」
とジルは術を発動させた。青い炎に巻きついた赤い糸がバン、と爆発して物凄い爆風を撒き散らす。家具と一緒に飛び退いたはずの男二人もさらに吹っ飛ばされ、受身を取り損ねたウィルは白目を向いて失神した。
「やったか…!?」
あだだだ、と背中をさすりながら起き上がったネズミ。しかしもうもうと立ち込める白煙の中に、依然として人型の炎は揺れていた。
「そんな…直撃させたのに!?」
信じられない、と親指を噛むジル。
『驚いた……!』
炎の声はダメージを受けている感じではない。しかし動揺、というより興奮を隠しきれずにいるのが伝わってくる。
『今の術はリズの十八番じゃないか…!そこの嬢ちゃん、あんたドラム家の娘だね?』
ジルは炎をにらみつけたまま答えない。
『ヒヒヒッ、術が破られた時点でもう今回は諦める他無いと思っていたが、まさかドラム家の人間に出くわすとは。その歳ならシルヴィアの娘ってところだね。あの脳筋バカ、結婚できたんだねえ』
人型が右腕を伸ばし、ゆっくりとジルを指さす。
『ドラムの血筋の人間は良い依代になる。嬢ちゃん。悪いがその体、いただくよ。』
指先に光が集まっていく。ジルが再び赤い糸を人形の炎に向かって矢の如く飛ばすが、糸は光に弾かれて届かなかった。
「させるか…!」
ネズミが飛び出そうとしたその瞬間、目の端に真っ赤な光を見た。真紅の光が、ジルのペンダントから発せられている。ジル本人も驚いているところを見ると、本人の意思ではないらしい。部屋いっぱいに真紅の光を放つペンダントの石がパキッ、と割れる。そして、
『……まさかこの宝珠が使われるとは』
ペンダントから女の、恐らく老婆と思わしき声が響く。『お久しぶりです。私の子供達が世話になっているそうで』
人型の炎が不機嫌そうにゆれた。
『…小娘め、また邪魔しにきたのかい。不愉快だ』
「マザー!マザーですね!?緊急事た…」
『ジル、事情は分かっています。お前は少し黙っていなさい』
焦るジルを遮り、真紅の光はその光を増していく。目の前の青い炎からジル達を守るように光は大きくなる。
『ジルに石を持たせておいて正解でした。まさか私の管轄領内で、よりにもよってあなたの術を捉えるとは。やってくれましたね』
青い炎はそれをせせら笑う。
『私の領内でぇ?ついこの前までまともに箒も乗れなかった小娘が、一丁前気取りとは笑わせる』
『あなたの思い通りにはさせません。この子らも、ゴスター領も』
『お前がネズミかい』
やり取りを蚊帳の外で聞いていたネズミの頭に、声が響く。
「なっ…!?」
『声を出すんじゃないよ…!この声は今、お前にしか聞こえてない』
(この声…メイドのペンダントから聞こえる声の主か)
ネズミは混乱しながらも、青い炎には悟られまいとただでさえ冴えない面をさらにムスッとさせる。
『今私はもうひとつチャンネルを開いてお前に話している。私はゴスター支部のギルドマスター代理、メリッサ』
これは大物が出てきたとネズミは手汗を裾で拭う。大魔術師マザー・メリッサ。あらゆる敵を指先一つで打ち倒すと言われ、「指先ひとつ」の異名を持つ現代最強の魔術師である。御年八十余歳。現在は老齢により第一線を退いているが、現役時代の逸話は枚挙にいとまがない、生きる伝説である。なお、現在のギルドゴスター支部のマスターはメリッサの娘であるシルヴィア・ドラムだが、彼女は数年前に失踪してしまっているため代理としてメリッサがギルドを運営しており、事実上はメリッサがマスターみたいなものである。
『ジルの報告からお前の事は聞いている。時間が無い、単刀直入に聞くよ。お前、白鹿追いの件で角を目に食らったのは本当かい?』
聞いた途端、ネズミは口をへの字にして不機嫌になる。この男にとって、その件は思い出したくない嫌な記憶なのである。
(だから何だ)
ぶっきらぼうに返事をする。
『とっとと答えな!』
メリッサの声色は青い炎への毅然とした声色とは逆に、少し焦りをおびている。それをネズミも察してか、少し黙った後、
(……右目に受けた。この通り何故か傷ひとつないがね)
としぶしぶ答えた。
『…!いいかい、よくお聞き。今から私はジルとそっちでノビてるバカを転移魔術でゴスター領外に避難させる。でも飛ばせるのは私と直接繋がりのあるふたりだけだ。それが限界。お前を飛ばすことは出来ない』
(おい、それってつまりそこの青い炎の奴とふたりきりになるって事か!?)
『そうなる。普通ならすぐ殺されるだろう。でもお前ならなんとかなるかもしれない。あいつを見な。あの青い炎をだ』
ネズミは真紅の光を放つ石とまだ話している青い炎に目をやった。青い炎がまだ攻撃してきていないという事は、石の方から話しているメリッサが時間をかせいでいるからだろう。
『青い炎の中に、赤い糸が一本紛れているのが見えるか』
目を凝らす。ゆれる青い炎の中に、ちらと一本赤いものが見えた。
(見えた)
『あれは奴本体の髪の毛だ。それを媒体にして術を発現させている。私が転移魔術を使って奴の気がお前から逸れた瞬間、あれを斬れ』
「…っ!」
思わず声が出そうになる。正直なところ、ただでさえ青い炎から発せられる恐ろしいプレッシャーで押しつぶされそうになっているのである。脊髄に氷柱でもブチ込まれているかのような恐怖の中、まともに体を動かせる自信すら無い。しかし、
(…分かった)
と、ネズミは頷いた。攻撃を外せばあの青い炎に間違い無く殺されるだろうが、どちらにせよ今はこれしか手がない。全身に気を巡らせながら、頭をクールダウンさせる。
『よろしい…!行くよ!』
真紅に輝くジルの胸元の石が、堰を切ったようにその光をさらに放出させてジルと失神しているウィルを取り込む。
『んんっ、転移させる気かえ?させぬわ』
青い炎の人形がジル達へ一歩踏み出した瞬間、ネズミは板張りの床を踏み抜かんばかりに蹴って炎に突貫した。
剣客ネズミの非凡な点のひとつに、剣士としては破格ともいえる身体能力の高さがある。山のような筋肉に加え二メートル近く背丈がある。地を走れば馬より早く、蛙か何かのように空高く跳躍する。ろくに術も使えず、仲間もいないこの男を今日まで生かしてきたのは、特異な剣術とこの身体能力によるものである。
距離にして約五〜六メートル。剣の師でもある父の言葉を思い出す。
(其れ剣は瞬速、心気力の一致。勝負は何より早さで決まる……!)
『ぬう…!』
青い炎が突貫してくるネズミに気付いて光の矢を手のひらから放出する。ネズミはそれを走りながら半身になって紙一重で躱した。矢が頬を掠めてビッ、と血が飛ぶ。
『(早い…!)』
青い炎は矢を躱されたと見るや、もうひとつの腕へも魔力を注ぎ込んで両腕を突き出した。
『(足だけならホーキンスより早いんじゃないかこのデカブツは……!しかし)』
惜しいな、と炎はごちる。一瞬いい動きを見せたが、それだけの事だ。両腕へ魔力は充填した。あとはこの家ごと虫けら達を吹っ飛ばして、それからあのメイドの肉体を貰うとしよう。なあに、ちょっと体の一部がちぎれ飛ぼうが継いでしまえば使えるだろう……
青い炎の思考を遮ったのは、転移魔術の光の中から矢のように放たれた赤い糸であった。糸は両腕にぐるぐる巻きに巻き付くと、一気に絞りあげられた。
『無駄な足掻きを……!』
苛立つ青い炎は一思いにその糸を引きちぎり、魔力開放のトリガーを引いた。膨大な魔力がバチバチと死の閃光を放つ。
『身の程を…』
「ネズミさん!」
しかしジルが稼いだ僅かな時間、その一瞬でネズミは青い炎の懐へと転がり込み、片膝をついたままに腰を切って抜刀した。そして青い人形の炎のちょうど心臓にあたる部分に浮かぶ、小さな糸くずのような髪の毛一本に向けて渾身の突きを放つ。突きは正確に髪の毛をぷつり、と真っ二つにした。
『…!』
青い炎が一瞬何か呟くが、聞こえなかった。媒体である髪の毛を切られた青い炎はその膨大な魔力もろとも一瞬にして霧散する。それと同時に、ウィル達は転移魔法によって姿を消した。暗い店内に残ったのは、突きを放った姿勢のまま静止しているネズミのみである。
しばらくして、ネズミはどたりと木張りの床に倒れ込んだ。びっしょりと汗をかいて、必死で息をついている。
「(生きている…!)」
まだガタガタと震える手で額の汗を拭おうと顔に触れると、目尻から熱いものがつたっているのがわかった。凄まじいプレッシャーだった。
「(本当に死ぬかと思ったのは初めてだ……いや、二回目か)」
目に涙さえ滲ませて安堵する自分を少し情けなく思いながら大きく息をついて、起き上がる。
店内は爆発の衝撃でめちゃくちゃになっていた。木張りの床には大きな穴があき、イスやら花瓶やら、諸々は壁沿いまで吹っ飛ばされている。ネズミはぐるりと見回って、これは店主のじいさんに何言われるかわかったもんじゃないなと思いかけてハッとする。
「(本物の店主はどこへ行った…?)」
先程からホールでどたばたと騒ぎになっていたのにも関わらず、本物の店主は怒鳴り込んでは来なかった。
「(……恐らく)」
先日来た後に青い炎がこの店に来て元々いたムジナの店主になりかわった、その際にムジナの店主は始末されたのか。ネズミはそう考えた。あのムジナも大した力を持っていたようではあるが、とてもあの青い炎には敵うまい。ネズミは懐から煙草入れを掴み出すと、ぴっと一本抜き出して火を着けた。
「(件の幻術師とやらは間違いなくあの青い炎だろう)」
そのへんに転がっていたイスを引き寄せ、どっかり座り込む。魔術師の多いゴスター領とはいえ、こんなド田舎にあれだけ危険な奴が一人も二人もいるとはとても思えない。
主を失った店の照明が揺れ、先の爆発で上がった木っ端の粉がまだちらちらとその中を舞っている。ネズミはイスにもたれ掛かりながら、それを眺めていた。
「(ムジナのおやじは残念な事をした)」
道すがらに出会っただけの他人ではあるが、店主をやるような、変わった面白い妖だった。思っていたより人懐っこい性格だったのかも知れない。いずれにしろ、もう分からない事である。
「(動乱の多いこんなご時世だ。妖だろうと人だろうと、死ぬ時ぁ死ぬ)」
そう思うしかなかった。諦観にも似た気持ちだった。
ネズミは弔いの作法などはまるっきり知らないがせめてもの手向けとして、手持ちの酒を転がっていた湯のみに一杯注ぎ、カウンターに置いた。
「ん?」
その時、キラリと光る何かが目の端に映る。青い炎が消えた所に何かある。
「これは……」
拾い上げてみると、それは小さなペンダントだった。親指のツメほどの小さな緑色の宝石が埋め込まれており、そのまわりには何かの文字と小さくもきらびやかな装飾が施されている。青い炎が持っていたものだろうか。
「(そうだとしたら、これが青い炎を操る奴の目的のものか?)」
わざわざこんな田舎まで、依代を入れた幻術師を使ってまで手に入れようとしたもの。
「(ただもんじゃあねえかな、これ)」
しげしげと眺めていたネズミは、それを懐へ突っ込んだ。どういったものか分からないが、何か重要な意味のあるものかもしれない。それでなくとも少なくとも宝石には値打ちがある、と判断しての事だった。
店を出ると、空は夕焼けの赤に染まっていた。雲の少ない夕焼け空は、町外れの山々にも鮮やかな赤色を写している。煙草に火をつけ、ネズミは内陸の城下を目指して峠を登り始めた。潮の香りのする風に煽られるように、ネズミはふと峠半ばで振り返る。主を失った路傍の家は、人や妖の揉め事などどこ吹く風でそこに有り続けていた。
この回にて最初の話である「路傍の家にて」編が終わりとなります。小説を書く事自体初めてで、探り探りやってきてようやく一区切りできました。なかなか上手くいかないけども楽しいわね、こういうの。時間はかかると思いますが、まだまだ続けていきたいと思います。