とあるロリコンの最期   作:キューブケーキ

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とあるロリコンの最期

1.歴史改変

 

 歴史のターニングポイントとして、昭和67年8月19日、革命75年記念と戦勝47年記念を祝うモスクワで時間犯罪の事件が起きた。弱腰で手ぬるく西側寄りな書記長に対して、保守派によるクーデターが発生。軍部と民衆の支持を受けていた保守派は、対外強硬路線で国民の意思統一と国家の再建を行おうとした。強いソ連の復活である。

 米国の雇用統計は失業率の低下を報告していたが、戦争の危機によりダウ平均株価は下落、利益確定売りで出来高は前月を超えている。

 12月8日、ベラルーシで行われた会談で、東欧諸国のポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツへの軍事展開が決定された。

 ここ最近の政変で鷹派が主導権を握ったソ連の欲しがりな動きに対してEU諸国の警戒が高まり、NATO軍に動員が行われている最中の21日、ソ連西方軍集団は東西統一に対して動き始めていたドイツに対して軍事行動を開始した。

 ドイツ民族悲願の東西統一、そして米ソ融和の冷戦終結を世界は期待していた。しかし現実はその逆を炎上して進んだ。

 ソ連軍が西欧に対して動員された兵力は31個戦車師団、30個自動車化狙撃兵師団、3個空挺師団の合計64個師団。これを6個砲兵師団が火力支援している。参加した将兵145万人、戦車1万2千両、装甲車2万3千両、火砲1万2千門、航空機2200機。第三次世界大戦の引き金を引くには十分な戦力だった。

 昭和35年であれば、NATO軍はソ連に対してICBMやSLBM、核爆弾、その他の装備の保有数で勝っていた。しかし時代は変わった。

 結果、脅威に過剰反応した西側諸国は声明を出したが、現地は沸点に達しておりNATO軍と偶発的戦闘が勃発。人類史上三度目の世界大戦の始まりだ。

 圧倒的兵力のソ連軍は、初日に25~30キロ、3~4日で100~150キロ進撃すると想定されていたが、第二次世界大戦末期のドイツ軍と違いNATO軍は善戦していた。

 鍋は火にかけられており、25日には極東でもソ連軍が動き始めている。

 とは言え渡洋能力はWW2の米軍に比べて遥かに低い。沿海州から日本列島に侵攻したソ連軍は、第1波として3個自動車化狙撃兵連隊を中核に、戦車、砲兵、対空等で構成される第81親衛自動車化狙撃兵師団を選んだ。橋頭堡を確保され次第、第2波として後に続く第33自動車化狙撃兵師団はウラジオストクで待機中であった。

 西側の情報分析では、ソ連陸軍はおおよそ将兵180万名。191個の師団を保有し、その内、134個師団が自動車化狙撃兵師団、50個が戦車師団、7個が空挺師団となっている。

 通常、1個軍は2~4個自動車化狙撃兵師団、1~2個戦車師団に砲兵、ミサイル、防空、工兵、化学戦、通信、偵察、後方支援部隊を混成した部隊で構成されている。

 しかし一度に渡れる兵力が少ない以上、底が知れてると日本側の警戒は低かった。

 ソ連側の動きは巧妙だった。事前の空爆を行う事で警戒を高める事無く、石川県能登半島の奪取を狙った。

 低評価を取るか、勝利を取るかと言われればソ連の目的は単純であり、日本の小指をへし折る事で外交的譲歩を手に入れると同時に、欧州の他に戦場を作る事で米国に対する軍事的圧力をかけようとしていた。

 第九管区海上保安本部の七尾海上保安部は巡視艇しか保有してなかった。武装は12.7ミリ機関銃のみ。上陸部隊を乗せた輸送船団の護衛に当たっていた戦艦「ソビエツキー・ソユーズ」に呆気なく撃沈されてしまった。

 12月26日未明の0200頃、第233親衛自動車化狙撃兵連隊は第296戦車連隊、第91親衛砲兵連隊、第1169防空連隊等から抽出された部隊の増強を受けて千里浜に上陸した。

 彼らの出迎えは野良犬一匹すら居なかった。

「待って、敵は何処に居るんだ? だってさ、普通さ、もっと抵抗とかあるだろう?」

「演習よりも楽だったな」

 事前に想定していた水際地雷や砲火と言った自衛隊からの抵抗は無く、拍子抜けするソ連兵達だった。

 沿岸監視の警戒も無く、尖兵中隊が橋頭堡を確保した。午前中に上陸完了した連隊は要地である羽咋(はくい)市を制圧しつつ、国道415号線を東進し氷見(ひみ)市を目指した。

 能登半島北部の攻略を命じられた第235親衛自動車化狙撃兵連隊は、任務分析で頭を悩ませる事となった。第一目標は能登空港の確保であり、その前に適切な上陸場所を選定する事が問題となったのだ。

「糞、道も最悪だし何だって狭い場所しか無いんだ」

 増強された連隊の兵力を一度に陸揚げ出来る海岸が無かった。外浦海岸や曽々木海岸は岩が出ていて、西保海岸では狭く、空港までの道程も錯雑で不便だ。結局、紆余曲折を経て輪島(わじま)港を制圧して南下する道が選ばれた。

 26日午後の空港制圧後は、輸送機で旅団の残りが送り込まれた。ここまで上陸一日目の出来事だった。

 日本側の反応は後手に回った。攻めて来るなら直接、東京を叩く最短距離の新潟か、北海道の奪取を想定していたからだ。

 ソ連軍上陸に際して、高洲山のレーダーサイトは破壊され、市内に所在する航空自衛隊輪島分屯基地も制圧された。本職の歩兵相手に、第23警戒群は無力だった。

 それでも急の知らせを受けた第14普通科連隊は駐屯地(STA)を出発、全力で国道189号線を北上し、事態に対応しようとしていた。

 27日、重航空巡洋艦「アドミラル・クズネツォフ」の搭載機が対地攻撃を始め、道路を走る自衛隊車両は的でしかなかった。連隊本部、本部管理中隊の人的損耗は特に酷かった。

「連隊長!」

 叫び声が聞こえる。しかしそれ所ではない。

 本管中隊(HSCo)通信小隊(Sig)の森川和城3曹は横転した73式小型トラックから這い出した。運転していたドライバーの士長は最近結婚したばかりで、官舎に新妻を残している。森川と変わらず若かったが命を散らしてしまった。

 14連隊(14i)の残兵は瀕死の連隊長を収容し、制高点である末森山に後退した。

「撤収、急げ!」

 中部航空方面隊(MADF)は航空総隊(ADC)から許可が降りず、上陸したソ連軍を叩く事が出来なかった。今、ソ連軍の攻撃は自制されているが、もし動けば人口密集地である岐阜や小松の基地(AB)が攻撃されるかもしれない。そんな政治的判断だった。

「敵の狙いは何だ。能登半島なんか攻めてどうする。主攻はいつ、何処に来るんだ?」

 本来、能登半島全般の指揮は、第10師団(10D)長をして統一指揮させる物だが、陸上自衛隊は他にもソ連軍が着上陸して来るかもしれないと言う事で、主攻が判明するまで大規模な部隊を動かせなかった。航空支援は無い。増援も送れない。手足を縛られた状態で戦えと言われてるような物だった。

 若い幕僚は無茶な作戦規定(SOP)と状況に悲鳴をあげた。

「敵の空挺(Abn)がいつ来るか分からないから動けない? 対空挺戦闘で支とうとなる要点を保持、予備隊も控置したいのは分かりますが、ふざけてますよ。こんな制限ばかりで守れませんよ!」

 中部方面総監部(MAHQ)では、若狭湾や中国地方の日本海沿岸部に必要最低限の部隊を配置して、能登半島に応援を送り込むべきだと言う意見が出た。ノルマンディーの連合軍橋頭堡に装甲師団を突っ込ませて潰せたのに、内陸部への反攻を許してしまったドイツ軍の失敗と同じ轍を踏む訳にはいかないと。

「結局、リスクを背負うのは戦う部隊なんですよ。14連隊の犠牲を無駄にする積もりですか!」

 空自の連絡幹部(ALO)を睨んだ所で仕方がない。近接航空支援(CAS)が無いことはやむを得ぬ事と理解する。しかし敵は逐次、兵力を増強し能登半島全域の奪取を企図している事が明白だった。これ以上の南下を許すわけにはいかない。

 僅かに一個連隊だが、第35普通科連隊を能登半島に前進させる事にした。35連隊は岐阜県と石川県の県境に近い白川郷まで進んでいたが、残りの行軍距離はまだ長い。

 28日、末森山の14連隊は窮地に陥っていた。第79親衛偵察中隊と増強第233親衛自動車化狙撃兵連隊に包囲を受けた。BMPやBTR、BRDMと言った装甲車の数だけでも自衛隊から見れば贅沢で羨ましいソ連軍の装備だった。

「我々がここに居るだけで敵は動きが制限される。それに簡単にはやられんよ」

 木が生い茂った不整地で車両の運用に適していない事だけが慰めだった。

 戦死した連隊長に代わり2課長の西脇伸宏3佐が、第1中隊の人員で連隊の指揮を代行した。前職は部内異動で1中隊長だったから、部隊をよく知ってると言えた。決心と処置に周囲から異論は無かった。問題は敵の兵力と出方だった。

 末森山から2キロ離れた桜の名所だったやわらぎの郷に隣接する千里浜カントリークラブには、ソ連軍の砲兵が陣地占領している。122ミリ榴弾砲や迫撃砲が偽装網の下で並んでいる。

 初戦の勝利でソ連軍では日本側の戦闘能力に対する過大評価は鳴りを潜めていたが、ソ連流の十分な支援射撃を行った。233連隊は七尾線を東進して集落センターのある竹生野(たこの)方向から山道を登り始めた。79偵察中隊は白山神社のある南吉田(みなみよした)に回り込み包囲を形成しようとしていた。

 末森山は城があった頃の曲輪の痕跡が残っている。満足な築城工事をする余裕も無い。第14連隊は偽装網(バラキュー)も何もかも失っていたので、個人装具の携帯円匙(えんぴ)で塹壕を掘るのが精一杯だった。

 本丸跡には観光用に説明盤が置かれている。描かれた縄張図を参考に、西脇3佐は防御戦闘の指揮を行った。旧日本軍ならば防御であっても受動はいけない、攻勢に出て敵を撃退し禍根を一掃する等と勇ましい答えを模範解答としただろうが、機械化部隊を相手に歩兵単独ではそうは上手くいかないのが現実だ。

 今回、1中隊は本丸、2中隊はニの丸、3中隊は三の丸と言う分かりやすい配置だ。

「砲迫に支援された約1個Bnの敵が線路の西側に陣地占領中。その内の約1個MiCo(+)が麓の神社から接近中だ。この山道だ。戦車や装甲車の協同は無いと思って良い。うちの中隊は、連隊の第一線として小丸大手門跡で敵を叩く事になっている。1Ptは三の丸跡、2Ptは若宮丸」

 西脇3佐から命令下達を受けた中隊長は戻って来ると、幹部、陸曹を集めた。指示を聞きながら第3中隊の八木航3曹は、急勾配な山道を登って来るソ連兵を憐れんだ。

 数倍の敵勢下とは言え、ここの防御編成は地形を利用してるので相互支援容易と悪くない。

 戦国時代にも末森山は戦場となっている。佐々成政が1万5千の兵を率いて攻めた時、末森城の兵力は500。彼我の差は圧倒的だったが、城主奥村永福は頑強に抵抗し城を守りきった。

 しかも今は小銃や機関銃、84RRと言った火器も存在する。やれない事は無いと信じた。

 同日、能登空港に移動完了した第83空挺旅団は車列を列ね県道26号線を南下、七尾北湾の良港である中居、鵜島を占領。引き続き国道249号線を南下した。

 日本は地形的に欧州で行われた作戦機動グループ(OMG)による突進等は行えないとソ連軍も分かっていた。

 順調な様で、ソ連軍は土地勘も無く不馴れな日本の地形である事、日本軍の襲撃を警戒しながらの移動で進撃は計画より遅れている。それでも独立任務支隊のスペツナズが橋梁の確保に奔走していた。

 一方の第10師団も、師団全部の集結は不可能であり、東部方面隊の第12師団は第10師団と隣り合わせの配置であり、隣の火事が延焼する可能性を危惧していた。

 独断専行は満州事変以来、旧日本軍の悪癖であるとされているが、時には臨機応変な対応が求められる場合もある。東部方面総監部に伺いを立てた所、第10師団に最大限の援助をする上で、能登半島に進出出来る様に事前準備として弾薬、燃料、その他の交付を許可された。

「在日米軍が欧州に転用されている現状で、大規模且つ組織的反攻は年明け1月以降の予定になる」と聞かされ、上は独力でも反撃をやる気だと理解した。

 12D長は現状で出来る限りの最善を尽くし、高田駐屯地の第2普通科連隊に富山空港の警備を命じた。部隊の展開はソ連軍に対する牽制となり、10Dに準備をなす余力となる。抜けた穴は松本の第13普通科連隊が塞ぐと言う物だった。

 この移動も上手く行った訳ではない。駐屯地から幾つか梯隊に分かれて出発し、上越から北陸自動車道に入りトンネルを抜けた所で飛翔体が見えた。

 敵襲だと理解した瞬間には遅かった。前方を走っていた73式小型トラックが吹き飛ばされた。停車した車列に銃撃が加えられる。最後尾でも爆発音がした。

 下車した隊員が反撃を始めると、敵は引き際も鮮やかに撤収して行った。

「スペツナズか……」 

 以前、ソ連軍の特殊部隊、スペツナズについて書かれたレポートを読んだ事があった。その時は、北海道を防衛する部隊やグアム等が標的とされてる程度の認識でしかなかったが、思い返せば、兵站や輸送への後方攪乱、防空施設の破壊等があげられていた。

 それは鳥ヶ首岬の側で海にも近い事から、海軍スペツナズ旅団のティームによる攻撃だと判断された。

 敵遊撃部隊(GF)を相手に包囲方式による撃滅要領を学びはしたが、広い地域で行動し高い山地走破能力を持つ敵の包囲線を構成するには数が足りない。1個連隊が足止めを喰らってしまった。草が生える遊兵化だ。

 

      ×  ×  ×

 

 昭和68年1月に1D、3Dを動員した日本側の反撃は色々あったが、ソ連軍の頑強な抵抗により失敗した。虎の子の第一空挺団(1AbnB)を火消しに投入するも、降りた後は歩兵として消耗に巻き込まれるだけであり、その後の攻勢を阻止する事は出来なかった。戦争の影響により急激な円安が発生、休み明け、電車に飛び込むトレーダーがニュースとなった。日銀の介入では無い為、米国もソ連の侵略を批判している。

 ソ連軍の進撃を停止させたのは、前田川や小矢部川、宝達山、三方峰と言った天然の障害物であり、北緯36度48分付近が自然発生の停戦ラインとなった。

 通貨危機は寸前で回避され、日ソ両軍が睨み合いを続けて8年が経過しようとしていた。しかし人類は有史以来、平和を長続きさせた事など無い。

 昭和76年6月1日、北陸が初夏を迎えつつある中、大野木亮一2士は北を監視している。

 停戦ライン付近に存在する市町村では、住民の強制退去が行われている。北の動きは全て敵だ。

 肩から負い紐で提げているのは、第一線の普通科隊員が装備するには旧式な64式小銃だった。

 ただでさえ員数分の装備が不足している。大野木達の様な即席の季節隊員の装備は、正規の3・4月隊員と違い、補給係から渡された被服は加藤商事やFP商事やあれやこれや其処らから調達された可燃性の官品類似品だった。待遇に不満を持っても仕方ないのは理解出来る。

(分かるけど、不公平だよな)

 歩哨任務の交代を終えると陣地に戻る。

 季節隊員は5週間の即席訓練を終えるとGOPに配置され、3ヶ月間のGP生活が始まる。最前線のGPには、交代で1個小隊が配置されていたが、しょせんは連隊主力が展開するまでの捨て石だ。

 死への恐怖は酒や娯楽で紛らわせるしかない。大野木が人生を達観するにはまだ若い。

 日曜日と言う事で、朝はお気に入りの仮面ライダーアギトの第22話の放送を、自分の寝床で、煙草と、巡回中に酒屋からくすねたバカルディで楽しむ。

 その後は、も〜っと! おジャ魔女どれみで、ささくれた気分を癒やしていると砲声が聴こえた。

「近い?」

 腰を浮かせた瞬間、小隊の陣地に122ミリ榴弾が正確に着弾し吹き飛ばされた。大野木は勿論、自分の死を自覚しなかった。

 ソ連軍は対日戦に際して、当初は佐渡島経由で北越から関東地方に直接進撃する経路を考察していたが、極東艦隊の保有する能力から言っても不可能だと判断していた。しかし能登半島を先っちょだけもぎ取る事なら十分に可能だった。

 結果、軍事的目標は攻略したが、政治的目的は達成出来なかった。クレムリンの指導部は失敗を認めず、再度、日本に揺さぶりをかける一撃を軍に求めた。

 共産党指導部が実行を命じたら、GRUは否とは言えない。

 現実的には能登半島正面からの攻撃は無駄が多い。そこで基本に立ち返り、主攻と助攻の役割が戻された。

 要は首都東京を落とすか、脅かして日本政府から譲歩を引き出せば良い。最終的に日本から引き揚げる事も織り込み済みだった。

 能登半島に第21親衛戦車師団、第128機関銃・砲兵師団を増強していたソ連軍は、第35軍を富山県に侵入させた。日本では他国と違い、銃器が市民に普及してなく民兵組織による妨害も想定せずに済んだ。

 ソ連軍の南下、戦闘再開の知らせに激震が走った。第12師団は富山県に部隊を集結させたが、ソ連軍にとっては関東平野までがら空きとなり障害が消えた形となった。

 第5軍は、日本で拿捕した民間船舶まで徴用して、新潟沿岸部の糸魚川、上越、柏崎に上陸作戦を敢行した。

 第17親衛自動車化狙撃兵師団は、糸魚川から中央道を、第81親衛自動車化狙撃兵師団は上越から上信越道に、第127機関銃・砲兵師団は関越道をそれぞれ南下し、東京を目指す計画だ。

 ソ連軍前衛の行軍隊形は、警戒部隊として尖兵を命じられた偵察中隊を先頭に、前衛本隊である自動車化狙撃兵大隊、戦車大隊と続いていた。その上空は、拡張された能登空港から空軍がやって来てカバーしており、師団主力は側方の警戒部隊と共なる更に後方に位置する。

 11日、上信越自動車道を進む81師団前衛は、長野市松代で最初の抵抗を受けた。

 90式戦車や74式戦車を保有する富士教導団(FSB)と第1機甲教育隊(1Tng)だ。海津城跡に陣地占領する特科教導隊(FASch)の砲撃で混乱する敵の車列に、戦車が突っ込んで行く。ソ連兵は文字通り千曲川に叩き落とされた。

 攻撃に失敗した81師団は、一部の部隊に大笹街道を迂回させFSBの後方連絡線を遮断しようとした。更に、148号線を南下する17師団の前衛が30キロほど離れていない事もあり協力要請を出した。

 FSB長は、補充と再編成を受けていた1Dの応援が到着したら、81Dを撃滅する決心を持っていた。しかしソ連軍は攻撃を継続、結局は数で押し切られてしまい、陸上幕僚(GSO)長から後退の許可が出た時、FSBの稼働戦車は僅か8両しか残っていないと言う激しい戦闘だった。

 一方のソ連軍も戦場の勝利と引き換えに、伸びた補給線に加え、松本空港制圧を企図して白馬に集積していた軍需品を空自の空爆で全て失った。その上、FSB相手の包囲戦で時間を消費してしまった。放った三本の矢の内、二本がへし折られたと言える。

 

 

2.平和の弊害

 

 あの第三次世界大戦から10年以上の時が経とうとしていた。

 平和は時として人を腐らせる。ソ連軍と国連の停戦監視団が引き揚げて、能登半島がソ連に侵略された事も過去の出来事として風化している。

 昭和91年秋、沖縄の地で饗宴が開かれた。銃弾が飛び交い、血と硝煙の嵐が吹き荒れる饗宴だ。

 それ以前の男は平凡であった。男は高校卒業後、航空自衛隊に入った。空を飛ぶ戦闘機に魅せられたからだ。しかしパイロットに成るには致命的に視力が悪かった。パイロットの適性は無く、地上の整備員に回された。男は夢に破れたのだ。

 それでも男は自衛官である事に固執した。

 自衛官でさえあれば国防に携われる。

 第三次世界大戦からもう15年だ。国際社会で誘い受けな日本は、自分から手を出す事は無く何もしない。戦争が起こるとは考えたこともない。

 ただ自尊心を満足させられるからだ。ネットで知り合った女も特別職国家公務員と言う肩書きで簡単に引っかかった。そして(性的な意味でも)美味しく頂く事もあった。

「お前には辞めて貰うぞ」上官はそう言った。

「何とか成りませんか」眼鏡をかけた男はへりくだって懇願した。

 しかし現実は厳しい。思いっきり殴られ眼鏡が吹き飛んだ。

「この屑が。散々迷惑をかけておきながら良く言う。責任を取れ」

 男、松岡睾一(マッツウォカクゥオゥイッツィ)は航空自衛隊をリタイアした。未成年の少女とホテルに行ったのがバレて懲戒免職だった。相手とは12歳の頃からの付き合いだった。遊びで合意の上だった。それなのに裏切られた。

 そして松岡は大田区の実家に帰ったが、醜聞からマスコミに追われ、誰も知り合いの居ない沖縄に逃げて来た。

 沖縄最大の都市うるま市。イラク戦争の特需で人口は那覇市を超え、政令指定都市と成った。街は米軍の落としていく金で潤っている。

 金武湾に面した石川中学校は松岡にとって心のオアシスだ。未成熟な青い果実をもぎ取る快感を忘れはいなかった。ここなら米兵に罪を擦り付けられる。

 国道329号線沿いのショットバー、『ビッチ・ガール』でシークワーサーの果汁を絞ったスピリタスを飲んでいた。頭はアルコールで重くなるはずだが、一向に酔えなかった。

 松岡のショットグラスにお代わりが注がれる。化粧と香水の混ざった香りが松岡の鼻孔をくすぐる。

「お酒に強いのね。私、紫帆(シフォ)。貴方、どこから来たの?」

 紫帆は窓の外を眺める松岡の背中に哀愁を感じ惹かれた。直ぐに分かった。沖縄の男とは違う。ナウいヤングな内地の男だ。

「東京だ」さらりと告げる。松岡にとって20歳以上はババアだった。だからガッツキはしなかった。

「凄いじゃない」紫帆はカウンターに肘を着きながら微笑んだ。強調された胸と谷間が松岡を誘う。幾ら鈍くてもリアルな誘惑は効果的だ。松岡の視線が下がった。

 紫帆は内地の大都会に憧れていた。きっかけさえあれば沖縄を出ていきたかった。

「ねぇ」閉店の札をかけた紫帆。

 松岡は誘われるまま二階に上がり紫帆を抱いた。文明人がパンツをはくのは脱がせる楽しみがあるからだ。

『ビッチ・ガール』の二階は居住区に成っている。布団の上には裸に成った紫帆と松岡の姿があった。

 甘く濃い葉巻の香りが情交の臭いを上書きしている。キューバ産のコイーバだ。

 葉巻をくわえる松岡に対して紫帆は不機嫌だった。

「早い、早いよ!」松岡の耐久力は無く紫帆は怒鳴った。

 布団の上で怒鳴る紫帆の股間から松岡の漏らした物が溢れている。健康的な体は淫靡で松岡をたぎらせる。

「きゃっ!」

 再び挑む松岡は31歳。現役を退いて体力も落ちていたが性欲だけは尽きない。

 数をこなして紫帆を満足させた松岡は、階下に降りてスクガラスを酒の肴に酒盛りを始めた。

 扉が開いた。閉店の札を気にせず入って来た男は店内を見回した。

 松岡しか居ない事に気付くと顔色を変えた。

「てめえなにやってるんだ」そう絡んで来た男は、派手な髪型をしていた。

「酒を飲んでるだけだ」

 抑揚の無い声が馬鹿にしてる様に感じた。男はカウンターに置いてあった果物を手に取った。

 マンゴーだ。

「ふざけやがって!」そう言うとマンゴーをカウンターに叩きつけた。

 砕けた果肉と果汁が飛び散り松岡の席まで飛んで来た。物に当たるチンピラの脅しだ。

 松岡のズボンのポケットにはエマーソンのフォールディングナイフ、CQC8BTSが潜んでいた。だが使うまでもない。

 騒ぎで目を覚ましたのか紫帆が降りて来た。

「てめぇ、何、男を連れ込んでるんだよ!」紫帆に怒鳴りかかる男。

「琉(リュウ)ちゃん、この人は」

「うるせえ」琉と呼ばれたチンピラは紫帆にゴーヤを投げつけると、そのまま松岡に殴りかかった。

「フッ」松岡は短く息を吐くと脇に避けて右胴打ちを放った。拳がめり込んだのはチンピラの肝臓だ。

「うげぇ……」涎を吐くとしゃがみこむ。

「止めて!」紫帆が割り込んで来た。

 チンピラは琉蛾(リュウガァ)と言う。紫帆の別れた夫の連れ子で、紫帆を何かと気にかけてくれていた。

(義母と息子、安っぽいAVのタイトルかよ)

 松岡は皮肉げに笑うと飲み直した。その後ろで琉蛾は咳き込みながら紫帆に連れられて店を出て行った。

 

      ×  ×  ×

 

 翌日、松岡はイオンで小中学生を視姦して楽しんでいた。さすが世界一の変態国家とも言われるクールジャパンの男だ。

 一時は流行りだった多目的トイレに連れ込むのも良いがカメラや人の目もある。下校時を狙おうかと考えていた。

 トイレに向かおうとした。その時、スマホに着信があった。紫帆だ。

『助けて!』紫帆の声は緊迫していた。

 自転車を飛ばして『ビッチ・ガール』に戻ると店内は荒らされていた。

 辺りを見回していると店の固定電話が鳴った。

『よお、俺だ』誰だと言う前に言葉が続けられた。『紫帆は預かっている。山城ダムだ。俺の仲間と昨日のお返しをたっぷりさせて貰うが、怖かったら本土に逃げ帰っても良いぜ』

 山城ダムは第二次世界大戦後、日本軍捕虜や県民を使役してアメリカ軍が作った東洋最大のダムで、建設途中に数万人が死にダムの底に沈められた。近年、ダムの補修工事で埋められた遺体が発見され問題と成っている。

 つまりダムは周囲から隔絶された場所だ。敵が待ち伏せするには最適の場所なのだろう。

 仲間と言う事は数を揃えている。数を相手するには武器が要る。松岡は紫帆を救う為に銃を手に入れようとした。

 アンダーグラウンドな情報はネットで簡単に入手出来た。スマホを閉じると松岡は呟いた。「与那城か……」

 与勝半島の与那城は、うるま市として独立するまで中頭郡に属していた。沖縄戦では賀谷支隊と特設第1連隊の間隙を突かれ南北に分断された日本軍だが、お陰で与勝半島は初期に米軍の勢力圏に落ちた。それらの要因から戦後、米軍に土地を強制接収と言う形で奪われホワイト・ビーチ地区が作られ運用されている。

 沖縄には米軍から放出された軍装品を扱った店が多い。中には演習場に忍び込んで拾ってきた不発弾も混ざっており警察も目を光らせている。だが全てを監視するには人手も足りない。

 与那城の一画に銃を密売する小さな工場があった。

「アサルトライフル、ハンドガン、それとスペアマガズィンをそれぞれ6個」

「あんた馬鹿か? 沖縄だからって簡単に銃が手に入る訳じゃないぞ。うちは真っ当な商売をやってるんだ。他所に行ってくれ。これだから揚げバター何て物を食う本土のやつらは……」

 松岡を無視するとサーターアンダギーを食べ始める店主だが、松岡は視線を逸らさず店主の顔を見ながらカウンターに札束を積み上げた。

「200万では足りないか?」

 サーターアンダギーを放り出して、店主は態度を豹変させた。胡散臭げな物を見る態度からふてぶてしい笑みへと変わった。「アフガニスタンの中古ならある」そして出されたのはM4とグロック19。「使い方は分かってるんだよな」片目を瞑ってそう言う店主に対して松岡は初めて笑みを向けた。

 自転車の前かごに装備を入れたバッグを乗せてダムまで走らせた。服装はジャージ下にTシャツ、サンダル、野球帽と言うラフな格好だったので警察にも止められなかった。

 ダムが近付く。近くの繁みに自転車を止めると装備を身につける。沖縄で米軍の放出品、特に被服は簡単に手に入る。

 Tシャツの上にチェストリグを身に付けた。サヴァイバル・ゲーム用の類似品だが使用には耐える。M4とグロック19のスペアマガズィンを納めた。

 ダムにはバットや鉄パイプ、木刀を持ったチンピラの群れが居た。管理する職員は揉め事を避けてか姿は見受けられない。

 紫帆はチンピラに輪姦されていた。チンピラ達の注意は紫帆とやる事に夢中でそれている。

(屑どもめ)

 地面に伏せ射ちの姿勢でM4を構えた。

 マブラヴで左手はしっかりと持つ事に成っていたが、実際は被筒部に軽く手を添えるだけだ。教範も被筒後部を右手で握るとあるが、ぎゅっとは握らない。腕立て伏せをして筋肉痛で力が入らない。それぐらいが適正だ。

 照門、照星が正しい見出しで一点に繋がる。

 頬づけされた口は軽く開いていた。

 深呼吸をする。

 切替えレバーはフルになっている。

 がく引きに成っても構わない。トゥリガーを絞った。

 5.56mmの弾がチンピラをなぎ倒す。鬱屈したこれまでの感情が解き放たれた。

 ホールトマトの缶をぶちまけた様に死んでいくチンピラの姿は、人生最高の快感だった。

 叫び声をあげて逃げようとするチンピラの背中にも5.56mmの弾がめり込んで行く。

 人体破壊で臓物を見るより流血する方が多い。

 紫帆はぐったりして動かない。動くチンピラが敵だ。

 攻撃方向から逃走する敵、予備隊どころか班・組での連携、掩護態勢も無い。混乱は好機だ。

 離脱する敵の退路を遮断し撃滅すべく、松岡は予想接近経路に向かって索敵前進を実施した。

「ふふん」

 敵の遺棄体に紛れて潜伏する生存者がいないか顔を確認をすると、震える生き残りと目があった。

「よお」

 銃声と共に松岡の哄笑がダムに響く。

 

 

エピローグ

 

 健全なる精神は健全なる身体に宿ると言う言葉がある。誤用される格言だが、一般的解釈の本質は概ね正しい。肉体は精神を表す鏡だ。だから人は容姿にひかれる。

 松岡にとって中学生の魅力は一言で語り尽くせない。ずっと見詰めていたい。

 成長途中の柔らかな体と薄い胸、そして無垢で簡単に騙される心が好きだ。

 どうして大人に成ってしまうのか。そのまま成長を止めれば良いとさえ思っていた。

 そして抱き締めて一日中、繋がっていたい。

 松岡の趣味嗜好がどうあれ、沖縄には居られない。チンピラから紫帆を助け出すと、金目の物を奪い本土に逃走した。

 九州の福岡で紫帆は風俗嬢を始めた。逃走資金が尽きた松岡は紫帆のヒモだ。チャンドラーやハメットの様なハードボイルドとは縁遠い。

 そしてGoogleマップで隠れ家の近くを検索した。

 志磨中学校の校庭で体育をする児童の姿を路肩に停めた軽トラックの車内から眺める松岡の姿があった。軽トラックは逃走の為に買った中古車だ。

 きょろきょろしたり写真を撮らない。それが視姦のこつだ。そして網膜に焼き付ける様に記憶に刷り込んで、帰ったら紫帆を抱きながら妄想する。

 窓ガラスがノックされた。

 振り向くとスーツ姿の男達に囲まれていた。ポケットにはSOGナイフのフォールディングナイフ、FSA98が入っているが手を動かす必要は無かった。

「松岡睾一さんですね。警察です」

 逃走生活の終わりだった。

 日本の警察は優秀だ。

 頸部側面からナイフを突き刺し総頸動脈や気管を切り裂く、肝臓を刺突すると言った格闘技術も学んでいたが、松岡は素直に逮捕された。

 ナイフは没収された。3.5インチのブレードはAUS-8の日本製ステンレス鋼で硬度が57~58HRCに相当する。ウォルマートで簡単に手に入る代物だが、ピストンロックのポケットナイフの中では使いやすく少し惜しかった。

 警察署の取調室では無く、高級ホテルの一室に通された。しばらくしてボーイが食事を持ってきた。

 厚みのあるステーキだ。

 松岡は監視の警察官に声をかけた。

「サーロインステーキよりフィレ肉の方が好みだ」

 しかし警察官は無反応だ。愛想が無い事に鼻を鳴らしたが手持ち無沙汰なので、ナイフとフォークに手を伸ばして食事を進めた。サーロインステーキの脂身が余計だ。松岡は脂身を好んで食べはしない。殺しをしてまで助け出した紫帆だが、彼女が作ったこてこてした中華料理も箸をつけない程だ。

 高級品は安物と違う。粗食に慣れていると舌の味覚が合わないと言うが、ステーキとライス、スープとサラダ、デザートもしっかりと完食した。良い品は良いのだ。

「ふっ、大した度胸だ」そう言って男が入って来た。実際は感性マグロだが豪胆だと過大評価されている。

『内閣情報調査室』と書かれた名刺を差し出して来た。警察官僚で内調に出向していると言う。

「君は警察に拘束されたがまだ逮捕はされていない」そして男は笑みを深めて言った。「取引をしよう」と。

 要約すれば内閣情報調査室のエージェントとして働く事を条件に、大金と自由を手に入れると言う事だった。

 了承するしか選択肢は無かった。

 早速、仕事の話に入る。

「シリアで市民団体の活動家が拘束された」

「シリア?」

 シリアはアメリカが反政府勢力に支援を行った結果、周辺国を巻き込み内戦状態に陥っている。まさに鉄火場だ。

 Vyondを作ったアニメーションが再生される。手が込んでおり、別で音声を作成して動画編集されていた。

「安田殉平(アンデンジュンペイ)、42歳。イラクでも人質経験があるプロだ」

 いわゆるルポライターで世界の紛争地帯を旅して日本政府の批判をしている生粋の反政府活動家だった。

「プロなら命に危険も無い。自己責任で帰ってくるのでは?」

 危険地帯には渡航禁止や自粛の指示が出される。しかしそれを無視して行ったなら自己責任だ。

「そうだ。だから始末する」

 救出ではなく抹殺を命じられた。

 中国共産党のシンパで反日工作を行っていた。今回の拘束も出来レースで、日本政府から譲歩を引き出し国際的地位を下げる事が目的だった。

「失敗して捕まった場合、当局は関係無い。頭のおかしいミリタリーオタクの元自衛官が勝手に暴走したとして処理する」

「分かった」

 初仕事だ。反政府勢力であっても反日、反米組織なら潰す。それが日本政府の判断だった。沸点が低い分けではない。糞の概念は人それぞれだが、国策は気分で左右されない。

 人質の安田がやらせなら、テロ組織ごと始末するだけだ。

「現地の米軍から支援が受けられるが期待するな。表だって人質を殺したとなると外聞が悪いからな。あくまで所属不明の相手に殺された形だ」

「了解」

 現地の拠点となるセーフハウスには、特殊部隊やPMCに偽装する為に、メインアームがSCARにM203グレネードランチャー、サイドアームにFive-seveNと銃器が揃えられた。

 この他に私物でベンチメイドのネックナイフ、14536BPを携行して飛行機に登場した。3.2インチのブレードはお馴染みのAUS-8だが、HRCはカタログデータで58~60の強度を誇っていた。明らかに銃刀法違反だが、政府の仕事だ。税関もパスしている。

 ファーストクラスの座り心地は快適だった。

 機内は防諜の面から貸し切りにされていた。スチュワーデスはVIPと見て愛想良く接待をしてくれた。望めば性的な奉仕も出来た。ボロンと薄汚い逸物を出してもスチュワーデスは驚かない。VIP老人を相手にして来たからだ。

「舐めろ」

 相手は妙齢の見目麗しい女性だが、松岡は汗臭い女児達を思い出していた。

 

      ×  ×  ×

 

 シリアには日没後に到着した。窓から外を眺めると空港のエプロンに装甲車の姿があった。

(BMP-1か)

 ダマスカス空港は反政府ゲリラの襲撃目標として、度々攻撃を受けている。伏撃を回避し捕捉撃滅すべく軍と警察が厳重な警戒をしていた。

「お疲れさまでした」スチュワーデスに見送られ席を立つ。片手に持つバックには着替えの他に、現地の幼女と仲良くなる為のプレゼントとしてバトエンやゲームボーイを詰めていた。

 日が落ちたとは言え機外に出ると熱風が肌を刺す。

「糞ったれ」松岡は唾を吐き捨てると迎えの車に乗った。

 トヨタのランドクルーザーだ。本来なら隠匿武器や爆発物の持ち込みを検査されるが、フリーパスで入って来た。

 ドアを開けて貰い車に乗った瞬間だった。

 ランドクルーザーは爆発した。松岡は熱いキスを浴びた様な錯覚を覚えた。

(まゆ──)

 不意に航空自衛隊を辞める切欠と成った少女を思い出した。彼女の唇の感触だ。

 そして松岡は英雄になる事もなく異郷の地で死んだ。

 死後、松岡の実家の部屋からはチュチュアンナ、ハニーズ、リサマリと言った女性向け下着が日付の書かれたジップロックに入って大量に発見された。国の関与を示唆する物の除去に当たっていた清掃員は、共感性羞恥で逃げたくなったと述べている。




昭和67年 能登侵攻戦 概観

本篇は、昭和67年12月26日より始まったソビエト連邦地上軍による能登半島侵攻戦を対象とし、その戦闘の経緯、作戦構想、兵力配備、戦術的実施、並びに戦略的帰結を記述するものである。

1. 戦闘発生の背景

昭和67年8月、モスクワにおいて発生した保守派によるクーデターは、ソ連の対外政策を急激に転換させ、冷戦終結後の緩和路線を破棄、対西欧強硬路線の復活をもたらした。同年12月、ベラルーシ会談により東欧諸国への軍事展開が決定、21日にはNATOとの偶発戦闘を契機に第三次世界大戦が勃発した。欧州戦線の激化と並行して、極東においても牽制的行動として日本列島への侵攻が構想された。

2. 戦場の地理的特性

能登半島は北陸地方に突出する形状を有し、制海・制空権を一定程度確保することで上陸および維持が可能な地勢を備える一方、半島内は険阻な地形と限られた道路網による戦術的制約を伴う地域であった。空港、港湾、分屯基地等の重要施設が散在し、上陸戦の一拠点としては戦略的価値を持っていた。

3. 兵力配備と戦力比較

(1) ソ連軍

上陸部隊は第81親衛自動車化狙撃兵師団を主力とし、233・235親衛連隊を中核に編成、戦車連隊・砲兵連隊・防空連隊が随伴。加えて、空挺旅団(第83空挺)および特殊任務部隊(スペツナズ)による支援を伴った。

航空・海軍戦力としては重航空巡洋艦「アドミラル・クズネツォフ」及び輸送艦隊を活用。初期上陸において海上保安庁巡視艇を撃沈、上陸部隊は千里浜及び輪島港より進出した。

(2) 日本側

初動対応は第14普通科連隊を主体とし、第23警戒群等が局地的に対応。装備は旧式火器を含み、機甲・航空支援に乏しかった。後に第35普通科連隊、第12師団等が増援に投入されたが、空自の出動には制約が課されていた。

4. 作戦構想と戦術

(1) ソ連側

戦略的には欧州戦線への圧力を分散させ、対米牽制を目的とし、能登半島への限定的侵攻を計画。初動は空爆を回避し奇襲効果を狙い、橋頭堡確保後に空港・港湾の確保を急ぎ、戦力を増勢。空挺部隊を後続展開し、地上軍による南下を図った。

(2) 日本側

敵主攻軸の誤認(北海道・新潟方面と推定)により初動対応は遅滞。末森山を拠点とした14連隊の持久戦、防御拠点での縦深陣地構築と火力支援の欠如を地形で補う戦術に依存。教導団・第1機甲教育隊の機甲戦闘等により局地的抵抗を試みた。

5. 戦闘経過と帰結

12月26日未明、千里浜への上陸をもって戦闘は開始された。27日には空爆により14連隊本部が損耗、末森山に後退。第35連隊の支援行動が開始されたが戦況の好転には至らず。

ソ連軍は第83空挺旅団の投入、第233・235連隊の展開により能登半島北部を掌握。補給線の確保とともに富山方面へ侵攻。更に新潟県糸魚川・上越・柏崎よりの多正面上陸を断行。

松代では富士教導団の戦車隊と第1機甲教育隊が善戦、81師団を一時撃退するも最終的には後退。補給路遮断や空爆によりソ連軍も損耗を重ね、進撃速度は想定を下回った。

最終的には北緯36度48分を自然停戦ラインとし、以後膠着状態に陥る。

6. 教訓および課題

(1) 主攻軸の早期識別と防御態勢の迅速構築の必要性。 (2) 航空支援等の統合作戦における政治的制約と現場裁量の乖離。 (3) 対機械化部隊における不整地防御の効果と限界。 (4) 特殊部隊・空挺の活用に対する後方警戒・対処能力の脆弱性。 (5) 地域住民避難体制や継戦能力の長期的維持に関する法制度整備の遅延。

以上により、本戦闘は戦術的には限定的成果に留まったが、戦略的牽制としては一定の効果を示した。一方、日本防衛戦略の構造的問題を露呈し、平時法制および即応体制の再検討が急務とされた。
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