とあるロリコンの最期   作:キューブケーキ

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丘の上で逢いましょう

1.ベトナム戦争終結

 

 武器は世界と意思を変える。ロリコンランド誕生の遠因は、世界の警察を自他共に認めるアメリカの影響が大きいと言える。

 事の発端は1969年、第37代アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが交通事故により死亡した事にあると解釈する者も多い。

 ニクソンはベトナムからの段階的な引き揚げを目指していたが、志半ばで亡くなった。

 副大統領のスピロ・アグニューは、ニクソンの忠実な腰巾着と見られており、政策を受け継ぐ物だと見られていた。

 大統領を代行したアグニューは軍歴もあり、ベトナム政策の『名誉ある撤退』として軍の完璧な勝利を求めた。すなわち核攻撃と言う強硬手段を選択した。

 軍としては積極的な攻撃は弱腰より好ましい。アメリカの若者をこれ以上、喪わずに済むなら直の事、結構だった。しかしながら核戦争は望む所では無い。

「閣下、さすがにタイタンミサイルを撃ち込むのはどうかと考えられます」

「そうかね? 北ベトナムにはアメリカ本土を攻撃する報復能力は無いよ。それは君達が良く知ってるはずだ」

 北ベトナムを支援するソ連や中国は局地戦に限定しており、アメリカ相手に全面核戦争を行う度胸があるかと言えば非現実的であった。

「インドシナにおける共産主義のドミノを防ぐ。それには地域の安定が求められる。グエン・バン・チューも同意するだろう」

 地上戦は危険が大きい。だからと言ってICBMを撃ち込むのは躊躇われた。国防長官メルヴィン・ロバート・レアード、海軍長官ジョン・チェイフィー、海軍作戦部長トーマス・モーラー大将、CIA長官リチャード・ヘルムズらの話し合いにより、ICBMではなく空母から核爆弾による空爆が計画された。

 空軍に手柄を譲りたく無くて、レアードは海軍に花を持たせたと言われるが、軍事的、政治的判断による決定だった。

 この決断を受けて、陸軍参謀総長のウィリアム・ウェストモーランド大将は、統合参謀本部議長アール・ホイーラー大将の許可を受け、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)司令官のクレイトン・エイブラムス大将に対してハノイ攻略作戦の立案と実行を命じた。これには聖域であるカンボジアから共産勢力の駆逐を含んでおり、ロン・ノル政権には大いなる援助となる。

 この当時、南ベトナムに展開していたアメリカ陸軍の戦闘部隊は、第1騎兵師団、第23歩兵師団、第101空挺師団、第5機械化歩兵師団第1旅団、第82空挺師団第3旅団、第173空挺旅団、第196軽歩兵旅団、第108砲兵群。これに特殊部隊や海兵隊、南ベトナム軍も加えればかなりの兵力が動かせた。

 積極的な攻勢。勝ち戦を約束されているなら、拒む指揮官は存在しない。

 インドシナ半島から共産勢力の一掃。アメリカの輝かしい勝利だった。しかし核の使用は国際社会の反発を招いた。

 地政学的リスクは株価に影響を与える。第三次世界大戦を引き起こしかねないアメリカの軍事行動によって、東証1部銘柄はストップ安に見舞われた。ベトナム・ショックと呼ばれ史上最大の暴落だった。

 混迷する情勢の中で佐藤内閣の支持率も急速に低下、共産党や新左翼が台頭し勢力を拡大。全学連は安保更新を阻止すべく都市ゲリラ化し、武装闘争としてテロ活動を活発化させていた。

 荒んだ心に人々は癒しを求めた。それが児童売春、児童ポルノの爆発的普及の一因ともなったのである。

 

 

2.北東アジア情勢の変化

 

 インドシナ半島での戦いが終結の兆しを見せた事で、急遽訪米した大韓民国大統領の朴正煕は、KCIA部長金載圭、国防部長官任忠植と共にアメリカ側と会談した。

「今こそ北東アジアから共産勢力を一掃する好機です! 是非とも貴国の力を貸して頂きたい」

 50年代に台湾の中華民国から大陸反攻計画を打診された時とは異なる。朝鮮半島で共軍と対峙しながら、台湾から福建省に50個師以上を上陸させ、現地で整編する部隊も加えると100個師以上に膨張する中華民国の反攻作戦を支援する事はいかに米国でも限界があった。

 韓国側からの熱烈なアピールに、アメリカも南北朝鮮統一による利点を吟味した。今や中共に遠慮する必要はない。内外へ強いアメリカをプレゼンス出来ると同時に、東側陣営に対する牽制ともなりえる。

「前の戦争の様に中共軍やロシア人が介入されては厄介だ。だから、その前に金日成政権を倒してしまう。それが重要なのは戦の素人でも分かっている」

 朝鮮戦争当時、アメリカはWW2の戦訓で動いており、冷戦時代に相応しい物とは言えなかった。ベトナムに送り込まれた軍が苦戦したのは、核戦争に対応したペントミック型の編成で地上軍を送り込んだ事も大きな要素であった。

「ベトナムの目処はついたとは言え、兵力も無尽蔵にある訳ではない。長引かせて大統領弾劾なんて私は御免だぞ。朝鮮半島でも事を構えるとして、軍は迅速に事を治められるのかね?」

 ペントミック師団は在来の歩兵師団が7個歩兵大隊を中核に定員1.3万名であった所を、5個の歩兵大隊にそれぞれ砲兵中隊を増強した戦闘群を中核に定員8千名と大幅な削減が行われていた。

 これは兵力の削減と言う意味では大きな成功だったが、結果的に地に足を着けて戦う歩兵の数を減らす事となった──等々と批判される事もあるが、ペントミック師団に全師団が移行した訳ではなく、なんやかんやROCADやMOMARやROADと試行錯誤の最中であり、60年代に一部を除けば歩兵6個大隊と砲兵2個大隊が標準的歩兵師団であった。

「地上部隊を派兵し直接介入するのは危険です。やれるかやれないかと言えば、空母の2~3隻で片は着くでしょう。それに、あちらさんの話では、韓国は予てより金日成抹殺を計画していたそうです。なので、我々はそれを支援してやれば良いかと」 

 韓国空軍独自の684部隊による襲撃計画は、近代改装が予定よりも早く終わっていた空母ミッドウェイとフランクリン・D・ルーズベルトが航空支援に加わる事で、曹文焕少将の下で空輸特戦旅団も投入した大規模作戦として実施される事となった。

 後年、斬首作戦と呼称される一連の軍事行動は、成功と同時にDMZから韓国軍が北進を開始し、中朝国境に達した時点で終了した。

 結果、一部の予想通り大韓民国による朝鮮半島統一は、失業者増大、格差社会として経済赤字から景気成長の停滞を生む事となった。

 そして対外強硬策で外敵を作る事で、韓国は国内の不満を反らそうとした。入国や輸入の制限、対日姿勢の強化である。

 

 

3.現代

 

 長崎県五島市の男女群島、男島。近年、領土問題として『我が韓民族は侵略と略奪の戦争被害による恨みを忘れない。対馬や九州は千年前に日帝が奪った物であり、大韓民国に正当な領有権がある』と論じる隣国の存在から、海の国境として注目され、天然保護区域から指定解除され島は開発をされていた。

 開戦初日、肥前鳥島の沿岸監視隊から、済州(チェジュ)島から飛翔体──おそらく対地ミサイルの玄武(ヒョンム)──が発射されたとの報告を最後に連絡が途絶えた事で、第4師団隷下、男女群島分屯地の警備隊は防衛出動が発令される事となった。

 その丘は名前こそ着いていなかったが、素敵な丘だった。

 少しばかり周囲より高地で、監視所(OP)には最適だった。だから────それが天国に近い場所に成ると小川(おがわ)幼介(ようすけ)は思いもしなかった。

 ハマビワの樹の根本、刈り取った偽装材料で植生に紛れる様に隠蔽されたスウェーデン製のリバーシブルな偽装網の下、小川の指揮する斥候班は待機していた。

 鉄棒はオニヤブソテツで偽装している。

 ドーランを塗りたくった顔が痒い。カネボウは肌に合わなかったのか。

(今度、ダイエーかジャスコにでも行ってみるか)

 昭和90年にダイエーは全国で1000店舗展開を達成し、ジャスコが500店舗、サティが400店舗と大きく差を着けており、名実共に日本一のスーパーマーケットとして不動の位置を築いた。

(そう言えば、近々、イトマングループに吸収されるってテレビのニュースでもやってたな)

 痒さを我慢してると、車列が見えた。戦車と水陸両用車、中隊規模の敵だ。

「K1戦車とAAV7、浦項(ポハン)の海兵隊ですね。日本だと、満州国軍の上尉だった金(キム)錫範(ソクボム)とかが有名ですね」

 ミリタリーオタクの部下がそう言った。井川(いがわ)仁崇(まさたか)、二任期目の士長で、課業後の営内では少女のイラストが表紙のマンガ雑誌をよく読んでる姿が見受けられた。

「あの89式に似た小銃はK2で、MINIMIのコピーは本家FNが設計したK3です」

「お、おう、そうか。ともかく小隊長に報告をしておかないとな」

 誇らしげに語る井川の話を適当に切って無線機に手を伸ばした。

「31(サンヒト)、31(サンヒト)。こちら34(サンヨン)アルファ」

『……31。34アルファ送れ』

 携帯無線の周波数を小隊の通信系に切り替えて小隊長に状況を報告する。

「R384より戦車(TK)を伴った車列が南下中」

 小川達がこの丘に居るのも、敵国が『積年の恨みを我が国は忘れない。チョッパリを地獄へ送る時が来た。小日本よ覚悟しろ』と、外交の放棄から侵略戦争への切り返しが唐突なのも、向こうの政府が国民の不満を外に向けようと焦っているからだ。

『────了解。引き続き、監視せよ』

 通信を終えた時、敵の兆候に変化があった。水陸両用車が停車して載せていた兵士を下ろし始めた。

「ん?」

 国道を外れて丘に向かって来る様子が見えた。瞬間、小川の脳裏に自分達の位置が向こうにバレたのかと言う考えが浮かんだ。傍らに脚を立てて置いていた小銃を引き寄せながら、直ぐに考えを否定する。見付かったなら、先に攻撃を受けていた。

「班長、あいつら下車(げしゃ)して此方に来ますよ」

「分かってる」

 命だけあれば大丈夫。そんな考えが浮かんだ。

 偵察とは戦闘を積極的に行う任務では無い。目となり、耳となり、意思決定の一助と成る事が目的で、避けられる戦闘なら避ける。だが小川は現在地の固守を決意した。

 男島には一個小隊しかいない。

 五島列島に駐屯する連隊から、男女群島の分屯地に派遣されていたのは僅か一個中隊。女島やハナクリ島、寄島、クロキ島と言った島嶼防衛をするには人手も足りなかった。

 叩ける時に叩く。それが最良の選択だと小川は判断した。

「射撃用意」

「ええっ!」

 丘を守りきれば英雄となり歴史に名を残し、人々の記憶の中で永遠に生きられる。そんな考えが一片も過らなかったかと言えば嘘だ。

 日生台の演習では地形地物を利用して、二名で登って来る一個小隊を撃破した。今度は一個班で火力指数は倍以上ある。演習を思い出せば良い。

 英雄願望はある。だが演習場整備で草刈りをする様に、簡単に刈り取れると相手を舐めてはいけない。

 演習の為、戦技競技会の為、訓練の為の訓練しかして来なかった自分達と違い、実戦経験によって鍛えられており、油断できない相手だからだ。

 伏射ちの姿勢で下から登ってくる連中を待ち受けた。

 チガヤやススキを踏み分けて足音が近付いて来る。その先を狙う照門の中で照星頂が呼吸で揺れていた。

 今から行う行為は、左翼活動家なら批判して来るであろう殺人だが、罪悪感は湧かない。それよりも初めてで上手く闘えるかと言う緊張から、腕は硬い。

 醤油顔、ソース顔とかは分からない。ただ頬骨に特徴がある顔が見えて来た。警戒感が無いのか、肉まんを食べながら近付いて来る。

(人間なんて死んだら皆一緒、か)

 指に触れる引金は軽い。

 ポン酢の臭いがした。あろうことか肉まんをポン酢で食べている。信じられなかった。

 それなら殺せる。相手は自分と同じ人ではないと言い聞かせた。

「射て」

 射撃号令に合わせて斥候班の面々は一斉に射撃を始めた。5.56ミリの弾幕が先頭集団を叩いた。

 秒速で900m以上を飛翔した5.56mm弾の威力は強烈だ。頭部に被弾した一人は、鉄帽が跳ね飛び、ザクロの様な断面を覗かせて倒れる。その光景をゆっくり眺めている余裕は無かった。

 歌声が聴こえる。視線を向ければ、井川が強張った表情でNakamuraEmiの「かかってこいよ」を口ずさんでいた。歌う事で恐怖に脅えながら銃を射ち続けている。

 小川の眼球は接近する脅威を探して忙しなく動き、ドーランによる肌の痒みは忘れた。ただ引金をがく引きに成らない様に注意して引く。

 正義の為の殺人と理由を求めてはいない。こんな戦闘で煩わされるより、早く終わらせたいだけ。

「小川2曹!」

 班員から悲痛な声がかけられた。

 反撃を受けて負傷者が出ていた。隠蔽は完璧だが消炎制退器で抑えきれない発砲の閃光で位置が暴露する。

「西脇が!」

 血を流して崩れた姿が見える。命が狙われるリアリティー。暗い地獄は目の前に広がっていた。

「持ち場を離れるな!」

 統率としてやり方は稚拙だが、怒鳴る事で目の前に集中させた。

 何を根拠に、と言う訳ではない。それ以外に思いつかなかったからだ。

 小川は知らなかったが井川は間違っていた。敵は高い戦闘能力を有しており、浦項ではなく戦車を増強された済州島の第9旅団だった。

 

 

4.戦力の遊兵化

 

 攻撃は唐突であり、事態に対応出来ない者達も在った。

 山口県萩市の見島。

 県道を走る日産のローレル。追い抜いていくボルボS60やスカイライン400Rと違い、大人の落ち着きがあった。それも当然であり、エンジンこそ積み替えていたが車体は初期のビンテージ物だ。

 ラジオから車内に流れる竹内アンナの『I My Me Myself』だったが、不意に電波が乱れだした。

 自衛隊の車列と擦れ違った。ドライバーは無線の電波の影響だろうかと考える。

 昭和94年、航空自衛隊見島分屯基地は、貸金業法違反と出資法違反の疑いで、所属する2曹の逮捕を皮切りに、芋づる式に多くの逮捕者を出して閉鎖となった。

 代わって陸上自衛隊から島嶼防衛の訓練地として注目され、西半分が訓練用地として国に買収され連隊、中隊検閲が頻繁に行われていた。

 昭和95年2月、第17普通科連隊第2中隊は、昭和95年度島嶼防衛訓練に関する第17普通科連隊一般命令として、5夜6日の演習を実施する。演習目的は陣地占領~防御戦闘~攻撃の一連の動作を訓練する事にある。

 演習統裁部は第17普通科連隊本部及び本部管理中隊。見島分屯地業務隊が給食支援を行う。

 開戦前日、第2中隊は第13特科隊、第13戦車中隊、第13高射特科中隊からの増強戦力と共に、宇津の港から上陸した。

 宿営地に天幕を貼るとその日の内に、見島弾薬支処から弾薬受領をして解梱作業を行った。

 演習の想定は現実離れした物だった。

 若狭湾に出現したA国軍は、支とうとなる要点の敦賀(つるが)を制圧。橋頭堡として兵力を増強中であったが、D+4、1個機械化旅団が北陸自動車道及び沿線を南下。(E-1)

 敵1個機械化大隊が舞鶴を制圧。ただし舞鶴若狭自動車道を南下して神戸地区に進出する経路は、利点より欠点が多い為、選択の可能性が低いと考えられる。(E-2)

 敦賀よりR161を経由して琵琶湖西岸を南下する敵1個機械化旅団は大阪方面に前進中。A国では1個空挺旅団が待機中。E-3の助攻として投入される。(E-3)

 そもそも数個師団を気づかれる事無く上陸させる敵の渡上能力がおかしい。そして航空優勢が敵にある状況下で、我も無傷のまま迎撃に当たると言う。

 我が3DはE-3を阻止すべく、草津に集結中。(O-1)

 10DはE-1を追求して米原に指向して前進中。(O-2)

 E-2を阻止すべく、13Bは福知山、春日に前進。(O-3)

 17連隊はそんな状況下で、中国地方を脅かす敵の増援に対処すると言うシナリオだ。

 歩哨を立て就寝した夜中、幹部、陸曹は呼集を受けた。

「連隊長から待機の指示が出た。半島に不穏な動きがあると言う事だ」

 アルコールの臭いが天幕に漂っている。演習前夜と言う事で、酒盛りをして就寝したのは遅かった。

「中隊長、演習は中止ですか? まさか攻めて来る程の馬鹿とも思えませんが」

「うん。警戒だけで終わる可能性はある。それに万が一、戦争になったとして、真っ先に狙われるのは対馬や九州の方だろう。とりあえず撤収の心構えだけはしていてくれ」

 中隊長はそれ以上の情報も無いと言う事で、解散と就寝を指示した。

 開戦初日、0630起床。隊員は分屯地糧食班で受領した菓子パンと牛乳の朝食を採ると、朝礼まで身辺整理を行った。

 中隊長は状況を説明。昨夜同様、詳細は分かっていないので待機を指示した。そうなるとやる事が天幕の中で寝る位しかない。中には私物のスマホやタブレットで情報収集を行う者も居た。

「中隊長!」

 動画配信サイトで、宣戦布告を行う相手国元首の放送を見つけた者が報告して来た。開戦だった。

 しかし増強第2中隊は戦闘を経験する事無く、見島で終戦を迎えた。

 

 

エピローグ

 

 結局、小川達は二十名以上の損害を与えたが、その後は初戦の奇襲効果で航空優勢を確保していた泗川(サチョン)のF-15KやKF-16によって丘の形が変わる程の空爆を受けた。

 生き残った小川は走って逃げた。腸脛(ちょうけい)靭帯炎(じんたいえん)や足底(そくてい)腱膜炎(けんまくえん)の痛みに耐え、本土から応援が到着し反攻が始まるまで島内を逃げ回る事と成った。

 小川達が頑強に抵抗を行った事で敵の侵攻は遅れ、小隊の残りは隣のクロキ島に陣地変換する事が出来た。

 しかし残った小川が友軍に助けられた時には、一体、何日間と時間の概念が失われる程の緊張と恐怖で精神を病んでいた。

 戦後は亡き班員の性癖を忍んで、悩んでる少年、少女の社会復帰を助ける『ロリコンランド』設立に尽力し、強制わいせつ罪、強姦罪、労働基準法違反、児童福祉法違反等で逮捕された。

「ロリコンは一生家でひきこもっとけよ」

 そう取り調べに当たった警察官に怒鳴られた。

(俺は、あの時、あの丘で死ぬべきだった)

 死んでいれば靖国神社に祀られ英霊として名誉が保証された。

 今はただのロリコンとして犯罪者として名を残した。

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