私小説であり、試小説 作:陰月
今回は如何にもな、うんちくが垂れ流されております。
が、蔑ろに信じたりせず世界観のエッセンスとしてお楽しみ下さい。
自己解釈もどきの言い回しが今後も出てくると思いますが、間違い等はご容赦下さいますようお願い申し上げます。
楽しんでくださいね
なぜ『手当て』という言葉が存在するのか、と考えたことはありませんか?
怪我への処置なら、治療、という言葉もあります。
本来の『手当て』とは、足りない人『手』を『当』てることからきています。つまりは適当な処置をすることですね。
しかし、いつからか怪我への処置を『手当て』と言うようにもなります。
そして今では『病気や怪我の患部に手を当てて治療したから』だ、といった俗説が通説になっています。
ここで、大事なことは本来の意味ではありません。
通説として『病気や怪我の患部に手を当てると治る』ことが大切なのです。
ヒトとは不思議なもので真実よりも通説を信じるものです。
それは通説が大多数に通用するからです。
一の真実よりも、十の通説。
あなたがたは孤独を恐れ、集団に依存する傾向にあるからですかね。
さらに厄介なのはヒトの思い込みとは激しいもので、信じれば実現してしまうのです。
信じているヒトの前では真実として。
山奥の閉鎖的空間などでは、古くからの風習に囚われていたりするでしょう?
現代科学が進歩しようとも、一地域において神としての信仰があれば、神たり得る。
たとえ忌み嫌われる存在であったとしても。
しかし悪いことばかりではありません。医学の中では『プラシーボ効果』と言われる患者の思い込みを利用した処置も存在します。
ただのでんぷんや生理食塩水が薬になるのです。
「私が先程行ったのは、まあそれの延長みたいなものですよ」
事務所への道程でつらつらと説明されたが、納得できたりできなかったり。
サナイは理解しようとウンウン唸り。
マドカは未だに信じられない、と左手をマジマジ見。
キンヤはヒラヒラ舞う蝶々を追いかけている。
最後の一人は始めから話を聞くつもりなど無いのだろう。
ガクトはやれやれといった体で嘆息する。
やがて、そんな一行の目の前に目的地が近づいてきた。
すると蝶々を追いかけていたはずのキンヤが『くみちょ~!』と声を上げながら、事務所へと全力疾走していく。
大好きな飼い主が帰ってきたから急いで駆け寄る犬、そんな感じだ。
今回帰ってきたのは犬の方だが。
そんなキンヤをまるで保護者のような目で見つめるマドカだったが、
「なんだ、マドカは行かないのか?」
「いえ、自分は兄貴のお傍に」
「無理すんな、俺なら大丈夫だから行って来い。もしもの時はガクトも居る」
「いや、しかし、、、」
サナイからの言葉に揺らいでいることがよく分かる。
弁明しながらもチラチラと事務所の方を見ているのだ。
「御心配なく」
これにはガクトも察しがついたのかマドカを視線と共に促す。
嫌味や皮肉は言うが空気は読めるのだ、読めるがあえて挑発するだけで。
「分かった、頼んだぞ。キンヤ待て~!」
どうしてこうなった!?
考えていないキャラの変化に驚きです