1
眠り続ける少女。
その体には、酸素を供給するマスクや、薬液を送るチューブが何本も接続されている。
取り付けられたコードの先には、バイタルを常時測定する機器があり、規則正しい電子音を奏でていた。
もう長い間、眠り続けている少女。
医者からも、目が覚めるのは絶望的かもしれないと言われている。
そんな中、
微かな、
しかし確実に感じた振動。
そのわずかなきっかけが、少女に変化をもたらす。
少女の中にある、常人には無い回路。
それが、先の振動の影響か、静かに動き出していたのだ。
静かに、
ゆっくりと、
体の中を巡り始める。
目を開く。
同時に、何かが起きている事を感じ取った。
「・・・・・・・・・・・・」
行かなければ。
その想いが、少女を突き動かす。
手を伸ばし、体に張り付いたコードやチューブを力任せに引きはがす。
「・・・・・・・・・・・・」
体を起き上がらせる。
長く動かしていなかった骨と筋肉が軋みを上げる。
痛みが、全身に伝播する。
僅かでも気を抜けば、倒れてしまいそうだ。
だが、
渾身の力でもって、前へと踏み出す。
行かなければ。
ただ、その想いだけが、少女を支えていた。
突如現れた、穂群原学園初等部養護教諭の華蓮。
その姿は、常の物とは異なっていた。
白衣を着ているのはいつもの事だが、その下には黒を基調とした衣装を着ている。
そして最大のツッコミどころは、なぜかスカートを履いていない点。そのせいで、下着が丸見えになっていた。
「な、何よ、この無礼な女は!? 知り合いなの、イリヤ!?」
「し、知り合いって言うか・・・・・・学校の保健の先生で・・・・・・」
激昂した凛に話を振られたイリヤも、どう答えるべきか迷っている。
まさか保健室の養護教諭が、こんな所に訳知り顔で現れるなど、誰が想像しえただろう?
と、
そんな一同の疑問に答えるように、華憐は振り返った。
「はじめまして。
『 こいつは うさん臭い 』
一同が、そう思ったのも無理からぬことだろう。
仕方なく、バゼットが嘆息交じりに補足説明を入れた。
「彼女の名はカレン・オルテンシア。聖堂協会所属のシスターで、此度のカード回収作業のバックアップ兼監視者です」
バゼットの説明に、色めきだったのは凛とルヴィアの本職魔術師2人だった。
「監視者ッ!? 聖堂協会が絡んでいるなんて聞いていませんわよ!?」
聖堂協会とはキリスト教に端を発する、この世界における最大の魔術組織である。
異端の排除と神秘の管理を目的に活動しており、下部に多くの異端狩り組織を有している。
「神秘の秘匿」を旨とする魔術協会との折り合いは悪く、不倶戴天の敵と言って良い関係にある。
現状は冷戦状態が維持されているが、水面下では壮絶な殺し合いが尚も行われているという噂もある。
そのような事情がある為、魔術協会所属の凛やルヴィアにとっては、カレンの存在は大いに納得いかないところだった。
「華憐、保健の先生じゃなかったの?」
尋ねる響に、カレンはシレッとした顔で向き直る。
「それはウソ・・・・・・て言うか趣味? 怪我した子供を間近で見るのが楽しくて。マジ超ウケる」
淡々とした口調で説明するカレンを見て、全員が同時に思った。
この人、人格が壊れてる。
と。
「表立って動くつもりは無かったのですけど、迷える子ブタがあんまりにも無様で可哀そうだったもので」
一同の反応をガン無視しつつ、カレンは毒舌を交えて説明に入った。
「道を見つけるプロセスなんて決まっています。観察し、思考し、行動なさい。あなたがたにできる事なんて、それだけでしょう?」
カレンの言葉は、特に凛達にとっては腹立たしい限りだが、ひたすらに正鵠を射ているのも事実だった。
ここで喚いても事態の解決には一ミリも貢献しない。
冷静に状況を見極め、勝機を探るしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・街に、明かりがありません」
美遊がポツリとつぶやいた一言に、全員が一斉に振り返る。
見れば確かに。
新都も深山町も、明かりが一切見られない。
いかに深夜とは言え、全く明かりが無いのはおかしい。特に新都は、様々な明かりで溢れているはずなのに。
「正解」
カレンが笑みを浮かべて言った。
「1キロ四方に人避けと誘眠の結界を張ってあるわ。それが私の仕事だから」
まるで、こうなる事を予測していたかのような手際の良さである。
果たしてこの女は、どこまで把握しているというのか。
「さて、これでひとまず人目を気にする必要は無くなりました。では、次に見るべきは何かしら? はい、そこの日焼け少女」
「あからさまな誘導は癪に障るわね。あと日焼け違うッ」
話を振られたクロは、若干苛立ち気味に答える。
「決まってるでしょ。あいつがどうするか、よ」
言いながらクロは、上空の黒化英霊を見やる。
相変わらず、空飛ぶ船で浮かんだまま動きを見せていない。
取りあえず、無差別攻撃をする意思がなさそうなのは不幸中の幸いと言える。
と、そこでふと、凛は気付いた。
今までの黒化英霊達とは明らかに違う点。
それは、上空にいるアレは、何らかの意思を持って動いている可能性があると言う事。
その意思を推察できれば、あるいは巻き返しも不可能ではないかもしれない。
「何か、アレの意思を推察できそうな情報は?」
問いかけるカレンに、一同は考え込む。
正直、戦うのに必死で、相手の意思など考えている余裕も無かった。と言うのが本音である。
そもそも、本当に意思があるのかどうかすら定かではないというのに。
「セイハイ・・・・・・と、発声していました」
バゼットが答える。
確かに。
地下空間の戦いで、あの奇妙な剣を出す直前、黒化英霊は「セイハイ」と、確かに口にしていた。
セイハイ。
聖杯。
その連想は、この場にいる一同の脳内では当然の変換だった。
と同時に、上空の黒化英霊にも変化があった。
船の舳先が回頭し、一路、どこかへと飛び去って行く。
「う、動いたッ!?」
「どこへ行く気!?」
色めき立つ一同。
敵が動いたなら、こちらも追わないと。
最悪、全てが手遅れになる可能性すらあった。
そんな中、カレンは1人、冷静に告げる。
「聖杯と言ったのでしょう。なら、答えは初めから決まっています」
手袋の包まれた指が優雅に動き、闇の中を真っすぐに指す。
皆が視線を向ける中、カレンは断定するように言った。
「今も聖杯が眠る地。円蔵山のはらわた、大空洞です」
2
さて、
敵の目的が分かった以上、あとは行動あるのみだった。
「ん、先行く」
短く告げると、響は魔力で足場を作り、空中へ跳躍する。
このまま、黒化英霊を追撃するつもりなのだ。
「私も行きますッ!!」
「ミユッ わたしも!!」
続けて飛び出す、美遊とイリヤ。
ともかく、迷っている時間はもはや過ぎた。今はひたすら、行動あるのみだった。
「いい!! 追うだけよ!! わたし達が追い付くまで交戦はだめ!!」
先行する3人に、凛の指示が飛ぶ。
たとえ追いついても、並の攻撃では倒しきれない事は地下での戦いで分かり切っている。
戦う時は全戦力を結集する必要があった。
と、
「あッ そうだッ」
何かを思いついたように、イリヤは空中で振り返った。
一同が訝る中、少女は深刻な顔を向けてくる。
「華憐先生・・・・・・いろいろ聞きたい事はあるんだけど・・・・・・」
「今は時間無いのよ!!」
凛に促されるが、イリヤは動こうとしない。
自分の中にある大いなる疑問。
それが解消されない限り、自分は前へは進めない。そう思ったからこそ、イリヤは足を止めたのだ。
「わ、判ってる。だから、ひとつだけ・・・・・・」
交わされる視線。
「・・・・・・何かしら?」
ややあって、カレンの冷静な声が返る。
対して、
「・・・・・・・・・・・・ス・・・・・・」
意を決して、イリヤは言い放った。
「スカート、履き忘れてませんかッ!?」
それは 誰もが思っていた事。
それは、誰もが触れずにいた事。
一同が愕然とした視線を向ける中、
「・・・・・・・・・・・・これは」
カレンは重々しい声で言い放った。
「 ファッションです 」
言い切った。
因みに、ちょっと照れたように見えるあたり、露出狂の類ではなく、一応の正常な羞恥心はあるようだ。
「こ・・・・・・この緊急時に・・・・・・」
指先に魔力を込める凛。
その「銃口」を、イリヤへと向ける。
「余計なツッコミしてる場合かァァァァァァァァァァァァ!!」
「ヒィィィィィィッ 善意で言ったのにィ!?」
ぶっぱなしまくるガンドを、必死に避けるイリヤ。
「とっとと追えェェェェェェ!!」
「は、はいィィィィィィ!!」
ボケと同様、空気を読まないツッコミは、してはいけないという教訓だった。
先行する響は、屋根伝いに駆けながら、空飛ぶ船を追いかけていた。
ともかく、相手の方が速い。
見失わないように追いかけるだけでも精いっぱいの事だった。
しかし、
「・・・・・・・・・・・・ん、やっぱり」
空飛ぶ船の行き先を見定めながら、響は呟きを漏らした。
黒化英霊の進路の先。
そこには円蔵山の黒々としたシルエットが浮かび上がっている。
どうやら、事態はカレンの指摘通りに動いているらしい。
相手の行き先が分かっていれば、先回りする事も不可能ではない。
駆ける足を速める。
と、その時、
「響ッ」
呼ばれた声に振り返ると、同じように宙を跳躍して追いかけて来た美遊がいた。
「響、あまり近づきすぎないで。あくまで追うだけ」
「ん、判ってる」
言いながら、響は更に民家の屋根を蹴って跳躍する。
それに追随する美遊。
本来なら、跳躍とは言え空中歩行ができる美遊の方が素早く移動できるのだが、美遊はあえて響と歩調を合わせて移動している。
追いつくのではなく、あくまで追跡が目的ならこれで十分だった。
「あいつの狙いは、やっぱり聖杯?」
「うん。けどあそこには・・・・・・・・・・・・」
言いかける美遊。
そんな少女に、響はキョトンとした視線を向ける。
「美遊、どした?」
「・・・・・・・・・・・・」
問いかける響の言葉にも、美遊は答えない。
その小さな胸の内に大きく膨らもうとしている不安感。
この先には、何か良くない物が待っている。
そう思わずにはいられなかった。
「美遊・・・・・・・・・・・・」
響がさらに言い募ろうとした。
その時、
「ッ!?」
独特の風切り音と共に、殺気を伴った一撃が飛来した。
「響ッ!!」
とっさに、障壁を張り巡らせて防御する美遊。
着弾と共に襲ってきた衝撃に、一瞬、2人とも動きを止める。
「な、何?」
顔を上げる響。
いったい、何が起きたのか?
恐る恐ると言った感じに視線を上げる先。
果たして、
「え・・・・・・・・・・・・」
信じられない物を見た。
そんな感じに、響は思わず目を見張った。
3
先行した響、美遊、イリヤとは別に、他のメンバーは車にて移動していた。
ともかく急ぐ必要がある。
イリヤ達には勝手に交戦はするなと言い含めた物の、状況によってはなし崩し的に戦闘開始となる可能性すらある。
彼女たちが暴発する前に、何としても円蔵山にたどり着く必要があった。
「アインツベルンが10年前に起こした『願望機』降臨儀式。いわゆる『聖杯戦争』・・・・・・今回の事件は、その残骸が招いたと、少なくとも上の方は見ていたようね」
バゼットの運転するバイクの後部座席に腰かけながら、カレンは冷静な口調で言った。
因みに今、会話の魔術を使用し、隣を並走するエーデルフェルト家の高級リムジン内にいるルヴィア達と、直接会話できるようになっていた。
「でも違った。少なくともクラスカードは、わたし達の聖杯戦争とは無関係だった」
答えたのはクロだ。
彼女は8枚目のカードが発覚してから、その存在について母アイリに問いただした事がある。
だが、母から帰って来た反応は「困惑」と「疑問」だった。
アイリは8人目の英霊の事も、クラスカードの事も、何も知らなかったのだ。
と言う事はつまり、本来の聖杯戦争ではない聖杯戦争が、今まさに行われている。そうい事になる。
「聖杯戦争は10年前、不完全な形で終結。聖杯は成る事無く、術式は半壊したまま、今も大空洞で眠っている」
ルヴィアは状況を整理しつつ説明する。
言うまでも無く10年前、聖杯戦争が頓挫したのは、切嗣とアイリが幼いイリヤを連れてアインツベルンを出奔したからに他ならなかった
「問題は、今何が起こっているか、と言う事」
ここで重要なのは、今回の術式がアインツベルンの物とは明らかに違いすぎていると言う事。
クラスカードの存在。8人目の英霊。
イレギュラーと言う言葉で片付けるには、あまりにも異質すぎた。
「では、今回の件はアインツベルンの聖杯戦争とは無関係だと?」
尋ねる凛に、今度はカレンが答えた。
「教会は10年前からずっと、大空洞を監視しているわ。その間、術式の起動は観測されていません」
もはや、疑う余地は存在しない。
あらゆる可能性を排除していき、最後に残った物がどんなに突拍子の無い物であったとしても、それが唯一の真実である。
すなわち、
アインツベルンとは関係ない、それとはまったく別の、もう一つの聖杯戦争が存在し、今まさに行われている。
そう断じざるを得ない。
そう考えれば、全ての事柄に辻褄が合うのだ。
「では、亜種聖杯戦争が行われていると?」
「その可能性も低い」
問いかけたルヴィアに、カレンが答える。
「今回の術式は、粗悪な亜種聖杯戦争とは比べ物にならないくらい精緻かつ複雑な物です。ならば、正道の聖杯戦争が行われている、と判断した方が良い」
その言葉が、一同に重くのしかかった。
自身に向けて攻撃を放ってきた相手。
その姿を見て、響と美遊は思わず絶句した。
「お前、は・・・・・・・・・・・・」
呟く、響の視線の先。
そこには、
緑の衣装に身を包み、頭には獣の耳を生やし、お尻には長いしっぽを持った少女が、真っすぐに弓を構えて立っていた。
「・・・・・・・・・・・・ルリア」
数日前、獅子劫優離と共に響、美遊に戦いを挑み、そして敗れた少女がそこに立っていた。
その鋭い視線は、殺気と憎悪を伴って、響と美遊を睨みつけていた。
「・・・・・・・・・・・・どういうつもり?」
苛立ちを滲ませて、響は尋ねる。
正直、今はルリアに構っている場合ではない。一刻も早く黒化英霊を追わないといけないのに。
だが、
「衛宮響・・・・・・美遊・エーデルフェルト・・・・・・」
絞り出す声にも、憎悪が滲む。
それは、佇む響と美遊を呑み込まんとするかのようだった。
今更、出て来て何をしようと言うのか?
彼女は敗れ、ゼストも姿を消した。
彼女がここに来る理由は、どこにもないはずなのに。
しかし、そのような疑問をも呑み込むように、ルリアは咆哮した。
「私は、お前たちを、許さない!!」
言い放つと同時に、弓を投げ捨てるルリア。
同時に取り出したのは、1枚の布だった。
否、
布と言うにはあまりにもおぞましく、直視しただけで「死」を想起させる。そんな代物だった。
その布を纏うルリア。
同時に、
彼女を取り巻く殺気が、おぞましいレベルにまで膨れ上がった。
目のも鮮やかだった緑の衣装が、どす黒く染まっていく。
ただ見ているだけで、吐き気がするような殺気。
そのまま食い殺されそうな予感。
まるで神話に出てくる魔獣が、闇の中から這い出してきたような、そんなおぞまし印象。
尋常じゃない。
一目見ただけで、響はそう判断した。
「・・・・・・・・・・・・美遊、先行って」
「え、響?」
驚く美遊に、響は告げる。
「ここは引き受ける。あっちの方も心配だから。大丈夫。もうすぐイリヤ達も来る」
言いながら、視線を円蔵山の方へと向ける。
確かに、今は黒化英霊の方が重要である。
「・・・・・・・・・・・・判った」
頷く美遊。
確かに、ルリアにかかずらって時間を浪費してしまっては元も子もない。今は黒化英霊の方に集中すべきだった。
「響も、気を付けて」
「ん」
響が頷くと同時に、飛び出す美遊。
だが、
「逃がすかァァァァァァァァァァァァ!!」
おぞましい雄たけびと共に、追撃しようとするルリア。
しかし、
次の瞬間、彼女の目の前に、浅葱色の羽織を靡かせた響が立ちふさがる。
「相手はこっち。行かせない」
言い放つと同時に、刀を袈裟懸けに振るう響。
その一撃を、とっさに腕を振るって防ぐルリア。
両者は距離を置きながら、離れた民家の屋根へと着地する。
睨み合う両者。
「・・・・・・・・・・・・良いだろう」
ルリアは絞り出すように言う。
「まずはお前からだッ 衛宮響!!」
言い放つと同時に、
ルリアは響に襲い掛かった。
第34話「手負いの獣」 終わり