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目の前に停車した高級外車。
その運転席から降り立った人物を見て、カレンはフッと苦笑を漏らす。
「・・・・・・思ったより早かったですね・・・・・・いや、遅かった、か」
月明かりの下に照らし出された、その人物の姿。
それは、イリヤ達の母、アイリスフィール・フォン・アインツベルンに他ならなかった。
アイリは車から降りると、座り込んでいるカレンに鋭い眼差しを向けた。
「何が起こっているのか、説明なさい」
そこにいるのは普段、母親として優しさと、底抜けの明るさを見せるアイリではない。
家族には決して見せない、厳しい表情をしていた。
その姿を見て、カレンはフッと息を吐く。
「・・・・・・お嬢様モードですか。個人的には好みませんが、話が早いのは助かります」
お互いの立場上、今は余計な事を言い合っている場合ではない。
アイリもカレンも、その事は充分に承知していた。
「聖杯の術式が、起動しています」
「ッ!?」
カレンの言った言葉に、思わず絶句するアイリ。
その言葉はアイリにとって、悪夢にも等しい物だった。
「あり得ないわッ あれは単独では動かないッ 私がここにいる限り・・・・・・」
大聖杯は小聖杯があって初めて動く物。そして、今の大聖杯は、その小聖杯であるアイリに合わせて調整されているはず。
つまり、アイリが大空洞に行き、術式を起動しない限り、聖杯は機能しないのだ。
「ですから、起動しているのはアインツベルンのとは別の物です」
「それは、どういう事?」
いったい今、この場所で何が起きてると言うのか?
「今、大空洞の上に大穴が空き、とてつもない魔が生み出されています。そして、その只中にいるのが美遊とイリヤスフィール。この状況は教会側も想定の範囲外。わたしも干渉できません。だから急いだ方が良いですよ。でないと、どう転んでも、あなたにとっては、あまり愉快な事にはならない」
カレンの言葉に、唇を噛み締めるアイリ。
予定外に起動した聖杯。
そして、その渦中にいる子供たち。
事態は、彼女が予想だにしなかった方向に、進み始めようとしていた。
抵抗もむなしく、渦の中に引きずり込まれていく美遊。
その小さな体は、あっという間に飲み込まれて見えなくなってしまう。
響も、
そしてイリヤも、
引きずり込まれていく美遊の姿を、ただ呆然と眺めている事しかできない。
圧倒的とも言える光景。
美遊を掴んだ巨大な腕を前に、子供たちに対抗する手段は無かった。
「君たちには感謝しているよ」
絶望に打ちひしがれる2人を見据えながら、英霊の少年は静かな口調で淡々と告げる。
「境目で迷子になっていた僕を、実数域の方から見つけてくれたんだからね」
だが、そんな少年の言葉を、響もイリヤも聞いてはいない。
ただ、引きずり込まれていく美遊を見ている事しかできなかった自分たちに対し、無力感に苛まれるのみだった。
やがて、
「さよなら」
その言葉を残し、美遊の姿は完全に渦の中へと飲み込まれてしまった。
後には、親友を救えなかった少年と少女。
そして、主に置いて行かれたサファイアのみが、虚しく残されていた。
《・・・・・・これが運命なんですか? これが・・・・・・美遊さんの世界の聖杯戦争?》
茫然と呟くルビー。
対して、
全てを見届けたギルは、静かに答える。
「そう、イレギュラーが多過ぎるけどね。万能の願望機たる聖杯を降霊させる為の儀式、聖杯戦争。その為に、僕ら英霊まで利用しようって言うんだから迷惑な話さ」
不可視な足場を歩きながら、少年は肩を竦める。
対して、イリヤは緊張の面持ちで振り返った。
「・・・・・・ミユも、聖杯戦争の為に生まれたの?」
聖杯戦争の為に生まれ、運命に僅かな齟齬が生じれば、イリヤもまた聖杯として生きていた可能性がある。
それを考えれば、当然の質問だった。
尋ねるイリヤに対し、少年はどこか納得したように頷く。
「『ミユも』って事は、君も聖杯戦争の関係者なんだね。まあ、いろんな世界で、いろんな形で行われている儀式だから、珍しい話じゃない」
けどね、と少年は続ける。
「
酒を注ぐために相応しい器を作った訳ではなく、
器に合った相応しい酒が、後から作られた、とでも言うべきだろうか?
先に中身があったイリヤに対し、器が先にできた美遊。と言う違いだった。
最終的には同じ「聖杯」と言う形になるにせよ、その過程には大きな違いがあった。
「彼女は生まれながらにして、完成された聖杯だった。天然物で、しかも中身付き。オリジナルに極めて近いというレアリティさ。人間が聖杯と言う機能を持ってしまった、と言うよりは、聖杯に人間めいた人格が付いてしまったのかな。いずれにせよ、彼女は世界が生んでしまったバグだよ」
ギルがそう言った瞬間、
彼の眼前に、飛び込んで来た影があった。
響だ。
残り少ない魔力で脚力を強化した響は、迷う事無く飛び込むと、渾身の力で少年の顔面を殴り飛ばした。
よろける少年。
そのあどけなさが残る双眸がすっと細められ、響を睨みつける。
「・・・・・・・・・・・・なかなか良いパンチだね。万全の君と戦ってみたかった気もするよ」
「美遊を、返せ」
少年の軽口を無視して響は告げる。
殆ど戦える状態には無い響だが、目の前で訳知り顔で語る少年だけは、どうあっても許す事が出来なかった。
対して、
少年は殴られた頬を拳で拭うと、肩を竦めて見せた。
「僕にももう無理だよ。ああなってしまってはね」
ギルがそう言った瞬間、
響は、全身から力が抜けるのを感じた。
強烈に襲ってくる虚脱感。
視界が容赦なく歪み、その場に膝をつく。
「・・・・・・あ~あ」
そんな響を見下ろしながら、ギルは肩を竦めた。
「言わんこっちゃない。今ので完全に魔力が切れたみたいだね」
「クッ・・・・・・・・・・・・」
歪む視界の中で、それでもギルを睨みつける響。
そんな響の視線を、ギルは余裕の態度で受け流す。
「怒りなら僕じゃなくて、彼女の運命か、それを利用しようとした大人か・・・・・・・・・・・・」
言っている間に、美遊を呑み込んだ魔力の渦に変化が起こる。
そこかしこに亀裂が走り、徐々に崩壊していく。
その様子を見ながら、
「あるいは、
少年が言い放った瞬間、
それは起こった。
まるで繭がはじけるように、内側から出現したそれを見て、
響も、
イリヤも、
身の毛がよだつのを感じた。
あえて言い表すなら「巨人」、あるいは「蜘蛛」だろうか?
大きな胴体を中心に、左右には複数の「足」が見える。
だがその「足」は全て人間の腕の形をしており、胴体部分には不気味な「顔」のようなものも見える。
はっきりと言い表せる対象は存在しない。正真正銘「化け物」としか言いようがない異形生物が、そこにいた。
何より規模が異常だ。
小山の如き巨体は、響達に覆いかぶさらんとするかのように迫ってきている。
《これは・・・・・・何という・・・・・・》
流石のルビーも、この光景には声も出せずに絶句している。
対して、
「ああ、醜いね」
動き出した怪物の様子を眺めながら、ギルは淡々とした口調で言った。
彼の言葉が正しければ、あの異形の怪物はもう1人の「ギル」と言っても良い存在だ。
しかし、そんなギルの目から見ても、眼下の怪物には嫌悪感を覚えずにはいられない、と言ったところだった。
「受肉して切り離された僕は、正直どっちの味方でもないんだけど、それでも、こうするのが一番自然かな?」
そう言うと、
少年は足場から身を躍らせた。
その下には、這い出して今にも動きそうな異形の怪物が控えている。
「もうこの戦争は止まらない」
落下しながら、ギルは響達に告げる。
「死にたくなければ、カードを置いて逃げるんだね」
そう告げると同時に、
少年の体はヘドロのような、異形の怪物の中へと落着する。
飲み込まれていくギル。
それと同時に、それまで響を支えていた、不可視の足場も消失した。
落下する少年。
もはや魔力も完全に尽きた響は、足場を作る事もできない。
そのまま、眼下の異形生物目がけて落下していく響。
このままでは、彼も呑み込まれてしまう。
そう思った時、
「響ッ!!」
叫び声と共に、落下する響の体は空中で受け止められる。
イリヤだ。
弟の危機にとっさに飛び出したイリヤは、間一髪のところで救い上げる事に成功したのだ。
響を抱えたまま、その場から離脱を図るイリヤ。
それと同時に異形の体の中から、先程自ら飛び込んだ少年の姿が現れた。
もっとも、その容姿は先ほどまでの端正な物ではなく、頭から泥をかぶり、下半身は異形の体にうずもれている状態である。辛うじて右目だけは見えているが、その姿は、殆ど黒化英霊と同様の姿になっている。
「さて・・・・・・・・・・・・」
全ての準備を終えたギルは、上空を飛ぶイリヤと響の姿を見据えると、右手をゆっくりと掲げる。
同時に、彼の周囲から、無数の刃が出現した。
「君たちがあくまで抵抗しようと言うなら仕方がない。僕も相応の手段に訴えるとしよう」
言い放つと同時に、腕を鋭く振るうギル。
それと同時に、出現した無数の刃は一斉に迸った。
間違いない。あの黒化英霊と同様の能力だ。
一斉に射出される刃。
その切っ先が、響とイリヤに殺到する。
「イリヤ、来るッ!!」
「判ってる、けどッ」
今にも2人を貫かんとする刃。
対してイリヤは、物理保護障壁を展開すべくルビーを振るう。
だが、その程度で防げる攻撃じゃないのは明白だ。
切っ先が迫った。
次の瞬間、
薄紅色の盾が突如として眼前に展開、2人を狙って放たれた刃を悉く弾き飛ばした。
同時に、転移魔術によって2人のすぐ側に現れた影が、庇うようにしてその場から飛びのく。
「何してんのよ、2人とも!! あんなの相手にしてッ!!」
少し怒ったような口調の少女。
クロである。
間一髪で戦場に到着した彼女は、今まさに弟妹達を貫かんとしている刃を見て、とっさに
クロの援護により、どうにか安全圏まで逃れる2人。
イリヤは響を下すと、改めて怪物を見やった。
美遊とギル。2人を取り込んだ怪物は、いよいよ動きだそうとしているのが分かる。
あれ自体が、もはや1個の災厄と言って良い。あんなのを世に出せば、それだけで大惨事は免れないだろう。
「それで、ミユは?」
「ん、あの中・・・・・・・・・・・・」
尋ねるクロに、響は力なく答えた。
怪物に飲み込まれた美遊。
その最後に浮かべた絶望の表情が、今も頭から離れない。
美遊は言った。
「自分ごと、この怪物を壊して」と。
「関係ないあなた達を巻き込んでごめんなさい」と。
「さようなら」と。
運命と戦って、必死に逃げて、最後の最後まで抵抗して、
そうして迎えた結末はこれだった。
今の美遊は、完全に絶望と言う泥の中に埋まってしまっているのだ。
「いったい、何があったのです?」
そう尋ねたのは、遅れてやって来たバゼットである。
どうやら、クロとバゼットだけが、先行する形で追いついたらしかった。
到着したら既にこの状態だったのだ。クロもバゼットも、殆ど事態を呑み込めていない状態である。
そんな2人に対し、響とイリヤは起こった事を説明する。
8枚目のカードに相当する少年の出現。
その少年の口から語られた真実。
並行世界。
外の世界からやってきた少女。
美遊。
その間にも異形の怪物からの攻撃は続く。
降り注ぐ刃の嵐を、4人はかわしながら後退するしかない。
「美遊は・・・・・・自分ごと壊してって言ってた」
響は、暗い声で告げる。
取り込まれる直前、美遊が言った言葉。
絶望の沈んだ少女は、全てを諦め、己の運命を閉ざす道を選んだ。
その心中がいかなるものであるか、響達に推し量ることは難しいだろう。
と、
「だから何よ!?」
クロは激昂したように叫ぶと、響の肩を掴み問いかける。
その真剣なまなざしは、常に見せる余裕と悪戯めいた物ではない。
諦めかけた弟を叱咤する、姉の眼差しで、クロは響を見ていた。
「だから諦めるっていうの!? 美遊の事を!? 他でもない
「クロ・・・・・・・・・・・・」
姉の叱咤が、少年の胸を強く打つ。
叩かれたわけでもないのに、痛いほどに熱い想いが、響の中で流れ始めていた。
そんな響に対し、クロは顔を近づけて言い放った。
「好きなんでしょ!? だったら助けて見せなさいよ!!」
クロの言葉が、胸に突き刺さる。
そうだ。
そんな事、言われなくても分かっていた事じゃないか。
美遊は助ける。
あの生意気な少年はぶっ飛ばす。
この上ないほどにシンプル。
前提など初めから決まっている。考えるまでもない事だ。
「クロの言うとおりだよ」
イリヤが静かに告げる。
「逃げてる場合じゃない。わたし達には、しなきゃいけない事があるんだから」
「ん」
姉の言葉に、響は頷く。
だいたい、美遊も美遊だ。
何を、勝手に自己完結して、勝手に絶望して、勝手に諦めてるんだ。
自分が誰で、周りに誰がいて、みんなからどう思われているのか、考えもしないで。
「美遊を助ける。そして絶対、ひっぱたいてやるッ」
「ん、お尻ぺんぺん」
そう言うと、イリヤと響は大きく頷きあう。
美遊は必ず助ける。
そしてもう一度、徹底的に、イヤと言うほど、自分がこんなにもみんなから愛されているのだと言う事を判らせてやる。
そうでもしないと、こっちの気が収まらなかった。
接近してくる異形の怪物。
今、
最後の戦いの幕が、切って落とされた。
2
迫りくる巨大な異形の怪物。
その巨体の上で、
這い出すように、上半身のみを出したギルは、泥をかぶって黒くなった目で、自分の前に立ちはだかる少年たちの姿を見据えた。
どうやら、相変わらず抵抗するそぶりを見せているようだ。
その姿は矮小であると同時に、どこか勇壮とも感じられる美しさがあった。
「・・・・・・・・・・・・良いよ・・・・・・実に良いよ、君たち」
圧倒的な差を見せつけられて尚、折れぬ心と精神を持ち、蟷螂の斧を振り翳して向かってくる様は、滑稽であると同時に、どこか胸打つものがあるのも事実である。
古来より、人々が謳う英雄の姿が、時を超えてそこにあった。
「不屈の精神、不退転の決意、いつだってそれらは人の心を掴む」
言いながら、ギルは右手を掲げる。
同時に出現する、無数の刃。
「だからこそ・・・・・・・・・・・・」
それらが、一斉に射出される。
「叩き潰す甲斐がある!!」
対して、響は自分に向かって来る宝具を、眦を上げて真っ向から睨み据える。
既にその身に流れる魔力は尽きている。
だが、それがどうした?
相手は強大だ。今の響など、それこそ一息で塵の如く吹き飛ばす事ができるだろう。
だが、それがどうした?
武器が無いから戦わないのか?
相手が巨大だから諦めるのか?
否
断じて否だ。
響を衝き動かす物。
響を前に進める物。
それはすなわち、美遊と言う大切な存在への想いに他ならない。
美遊の為なら戦える。
美遊の為なら命を掛けられる。
ただそれだけが少年にとって、決して尽き果てる事のない、絶対無敵の刃に他ならなかった。
次の瞬間、
『やれやれ、仕方ないね。ここは「貸し」にしてあげるよ』
内から響く声。
同時に、
「な、何これ!?」
叫び声を上げるイリヤ。
同時に、彼女の手に握られたルビーも、戸惑いの声を上げた。
《こ、これは・・・・・・!?》
《ね、姉さん!?》
驚きの根源は、彼女の目の前にある1枚のカード。
それは、バゼットから預けられ、地下世界でイリヤが使った「
そのカードが今、激しく光り輝いている。
「・・・・・・・・・・・・」
腕をまっすぐに伸ばす響。
同時に、己の中で目を覚ました「もう1人の魂」も感じ取る。
響の中で共鳴する2つの魂。
僅かに目を細める響。
はっきり言って、面白くないことこの上ない。
よりにもよって「あいつ」の力を借りるなど。
だが今は、その全てを掴んで戦うしかなかった。
手を伸ばす響。
「2人」同時に声を上げる。
「『来いッ!! セイバー!!』」
次の瞬間、
飛んできたカードを掴み取る。
同時に、響は己の全てを込めるように叫んだ。
「『
光に包まれる少年の体。
そのあまりの眩さに、その場にいた全員が、思わず瞼を閉じる。
常に無いほどの、大量の魔力放出が、尋常じゃない事態を示唆している。
やがて収束し、少年の体を取り巻いていく光。
その光が晴れた時、
少年の姿は一変していた。
蒼のインナーに短パン。その上から漆黒のコートを羽織っている。
目にはバイザーが下され、その下から鋭い双眸が光る。
そして、握られた剣。
装飾の多い造りをした剣は銀の刃を闇夜にも鮮やかに輝かせ、一目で名刀である事が分かる。
ブリテンに名高き騎士王。
最優と称される英霊「
その勇壮にして凛とした戦姿が顕現していた。
「美遊を、返してもらう」
バイザー越しの輝く眼光が鋭く迸り、迫りくる異形を睨み据える。
対して、上半身だけ突き出したギルは、笑みを持って響を睨み返す。
胸の内より湧き出でる歓喜を前に、ギルは迷う事無く己を開放する。
「良いよ・・・・・・・・・・・・それでこそ、僕も本気になる甲斐があるってものだ」
呟くと同時に、
無数の刃が出現する。
「さあ、僕と奪い合おうじゃないかッ
射出される刃。
その一斉掃射を前に、
響は迷う事無く飛び込むんで行った。
第37話「並列夢幻召喚」 終わり
ここで終わらせようかと思ってたけど、文字数が多くなり過ぎたので、決戦は次回への持ち越しとなりました。
ちなみの響のセイバー姿イメージは
「セイバーオルタ」×「謎のヒロインX」×「謎のヒロインXオルタ」×「プロトアーサー」で。
訳が分からない?
俺もだ(爆