Fate/cross silent   作:ファルクラム

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第33話「一歩目の、その先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日を境に、衛宮士郎の生活は一変した。

 

 弾みがついた、と言った方が良いかもしれない。

 

 美遊は神の子ではなく、人の子として、士郎の妹として生きる事を選んだ。

 

 それは同時に、美遊の「神稚児としての役割」も終わった事を意味する。

 

 もう、美遊は世界の事なんか気にせず、普通の子供として生きる事ができるのだ。

 

 少なくとも、士郎はそう思う事にした。

 

 勿論。

 

 その意思は、世界を救うという切嗣の理想に反する事になる。そして、このまま行けば確実に世界は破滅への道を進む事になるだろう。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 士郎は今、美遊と共にこの世界を歩けることを幸せに思うのだった。

 

 と、なれば、善は急げである。

 

 美遊を本格的に世に出すためには、色々と準備が必要である。

 

 特に、美遊は知識量こそ豊富だが、これからは今までとは違う知識が必要になる。

 

 社会常識、法律、ルール、礼儀作法、その他もろもろ・・・・・・

 

 覚えさせなければならない事はいくらでもある。まあ、それも美遊なら、それほど時間もかからずに習得できるだろう。

 

 海が見たい。

 

 美遊はそう言った。

 

 美遊が士郎に、初めて自分の遺志でやりたい事を言ったのだ。

 

 ならば、それをかなえてやることが、兄として自分ができる最初の役割だった。

 

「・・・・・・・・・・・・と」

 

 学校の校門へと向かう途中。初等部の校門前で、士郎は足を止めた。

 

 穂群原学園の初等部は生徒数の減少から、既に廃校になっている。中を覗き込んでも、人の気配は全くしなかった。

 

「しまったな・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎はやれやれとばかりに頭を掻く。

 

 もう少し早ければ、美遊をこの初等部に通わせることもできたかもしれないのに。

 

 そうすれば同い年の友達もできただろうし、何より必要な知識も学校で学ぶことができたのだ。

 

 今更後悔しても詮無い事ではあるが、士郎としては嘆息せざるを得ない状況だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 立ち去ろうとした士郎は、ふとおかしなものを見て足を止めた。

 

 それは初等部の校舎付近。

 

 女の子が1人、勝手口から構内に入っていくのが見えたのだ。

 

「おかしいな、何でこんな所に・・・・・・・・・・・・」

 

 大人がいるなら、まだ話が分かる。廃校になったとはいえ、用務員くらいはいるだろうし。

 

 しかし廃校になった初等部に子供がいるのはおかしい。

 

 しかも、少女は長い金髪を縦ロールのポニーテールにした、明らかに外国人っぽい容貌をしていたのだ。

 

 いったい何なんだろう? 近所の子供がいたずらで入り込んだのだろうか?

 

 そんな事を思った時だった。

 

「おはようございます、衛宮先輩」

「どわッ!?」

 

 いきなり、すぐ背後から声を掛けられ、士郎は思わずその場から飛びのくようにして振り返った。

 

 見れば、してやったりと言った感じの笑顔を浮かべた後輩、日比谷修己がそこに立っている。

 

 その背後では、もう1人の後輩である間桐桜が、こちらは申し訳なさそうに苦笑を浮かべていた。

 

「な、何だ、日比谷に桜か。脅かすなよ」

「いやいや、先輩が油断しすぎですって」

「すみません。私はやめようって言ったんですけど・・・・・・」

 

 悪びれた様子を見せない修己に対し、申し訳なさそうな桜。

 

 やれやれと頭を掻く士郎。

 

 首謀者がいずれかは明らかだった。

 

 そんな中、桜は懐かしむように校門の中を覗き込んだ。

 

「小学校、懐かしいですね」

「ああ、桜はここに通っていたんだな」

 

 考えてみれば当然だが、昔から深山町に住んでいる桜が、この初等部にいたのは当然の事だった。

 

 一方で士郎は、もともとは別の町出身であり、その後も切嗣と旅をしていたので、あまり一つ所に留まったという事は無い。

 

 そんな訳なので、士郎には「小学校の思い出」と言う物が皆無に等しかった。

 

「僕はあんまり、かな。そもそも、学校にあんまり通ってなかったんで」

 

 修己の言葉に士郎と桜は怪訝そうな顔で振り返る。

 

「意外だな。子供の頃は体でも悪かったのか?」

「んー まあ、そんな感じですかね」

 

 尋ねる士郎に、修己は言葉を濁す。

 

 あまり、触れられたくない事情があるのかもしれない。

 

 しかしそうなると、この3人の中でまともに小学校に言っていたのは桜だけ、と言う事になる。

 

「小学校の時の桜か・・・・・・ちょっと想像つかないな。どんな子だったんだろう?」

 

 すこしからかうように考え込む士郎。

 

 櫻は普段から大人しい性格をしており、おまけに同性でも羨みそうな美少女である。

 

 きっと小学生の頃から人気者だったんだろう、と想像できる。

 

 だが、

 

「・・・・・・桜、どうかしたの?」

 

 尋ねる修己。

 

 対して桜は、俯いたまま黙り込む。

 

 何か、聞きにくい事を聞いただろうか?

 

 そんなふうに思っていると、桜が顔を上げた。

 

「すみません・・・・・・昔の事は、あまり思い出したくないです」

 

 少し、寂しそうに告げる桜に対し、士郎と修己は怪訝そうに顔を見合わせる。

 

 いったい、過去の桜に何があったのだろうか?

 

 そこでふと、士郎は思い至る。

 

 そう言えば自分は、桜の事を何一つ知らないのだ、と言う事を。

 

 無論、女性の過去を積極的に聞きたいなどとは思わないが、しかし重要な事も何一つ知らないのも事実だった。

 

 と、

 

「なーんて、嘘です」

 

 少し悪戯っぽく、桜は笑って見せた。

 

 対して、士郎と修己は拍子抜けしたように脱落する。

 

 そんな2人の反応が面白かったのか、桜は更に笑顔を見せる。

 

「いっつもイジワルな先輩や日比谷君に、ささやかな復讐です」

「いや、俺はイジワルなんかしてないだろ。日比谷じゃあるまいし」

「いや1人だけ、ずるいですよ先輩!!」

 

 そう言って笑い合う3人。

 

 ひとしきり笑ってから、桜は笑顔を向けて言った。

 

「私は今が一番幸せです。イジワルだけど優しい先輩がいて、仲良くしてくれる友達がいて、人は少ないけど普通に学校に通えて、勉強して、部活をして、そんな何でもない日の繰り返しが、きっと『幸せ』って言うんだと思います」

 

 ちょっと、気取りすぎですかね。

 

 そう言って、桜は照れたように笑った。

 

 と、

 

「いや、先輩。騙されちゃいけませんよ。きっと桜の事だから、裏で腹黒い事をしてると思います。『〇〇暗殺帳』とか作って、気に入らない奴を片っ端からブラックリストに・・・・・・」

「してませんッ そんな事!!」

「良い雰囲気を台無しにするな」

 

 余計な事を言う後輩に、士郎は嘆息する。

 

 そんな士郎を、修己と桜は不思議そうに見つめる。

 

「な、何だよ?」

「い、いや先輩・・・・・・何か表情違いますね」

「ちょっと、楽しそうだなって、思っちゃいました」

 

 後輩の妙な物言いに、今度は士郎が首をかしげる。

 

 自分はそんなに、普段からつまらなそうな雰囲気を出しているのだろうか?

 

 対して、桜は少し躊躇うように答える。

 

「先輩、いっつも何だか1人で思い悩んでいるような気がしていたので」

「あ、判る。仏頂面な事の方が多いし」

「おいおい」

 

 苦笑する士郎。

 

 何か、後輩にそんな風に思われていたのは、地味にショックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニヤけているな」

「お前もかよ」

 

 昼時。

 

 生徒会室で食事をとっていた士郎に、ジュリアンがいきなりそんな事を言い始めた。

 

「桜と日比谷にも今朝、似たようなことを言われたぞ。いつもと表情が違うとかなんとか・・・・・・自覚は無いんだが」

 

 ジュリアンにまで言われてしまったとなると、士郎としても、これまでの自分の在り方について一考せざるを得なかった。

 

「いつにも増して気色悪い面だ」

「ひどいな」

「何を浮かれてやがる」

 

 抗議する士郎を無視して尋ねるジュリアン。

 

 彼としても、横でニヤニヤされていては、食事もままならなかった。

 

「んー・・・・・・今朝、小学校で女の子を見かけてな。遠目にも可愛らしい感じで・・・・・・いや待て、違う、誤解だ、引くな」

 

 話の途中で、親友がドン引きしているのを感じて話を止める士郎。

 

 断じていうが、士郎に幼女趣味の嗜好は無い。

 

 と、思う。

 

「ああいう子が妹の友達になってくれたらなって思っただけだ!! 変な誤解するな!!」

「妹? お前にそんな物がいたのか」

 

 意外そうな顔をするジュリアン。

 

 それも仕方ない。美遊の事は絶対に外に漏らしてはならない、というのが切嗣の遺言だった。

 

 美遊は願いをランダムに叶える事ができる奇跡の神稚児だ。それ故に、その神秘を知る人間から狙われている。

 

 もし、美遊の存在を知れば、彼女を奪おうとする輩が寄ってくる事だろう。

 

 それ故に士郎は、今までジュリアンはおろか、誰にも美遊の事は話していなかったのだ。

 

 だが、もう美遊は神稚児じゃない。隠しておく理由はどこにもなかった。

 

「美遊って言ってな。素直で賢い奴なんだ」

「ミユ・・・・・・」

 

 自慢の妹を紹介するようで、士郎は少し誇らしげに言う。

 

「しかし、今朝見た子はどこの子なんだろうな? 金髪縦ロールのポニーテールでさ、どこぞの外国のお嬢様って感じだったよ」

 

 少なくとも、深山町近辺では見かけた事のない女の子だった事は間違いない。

 

 何気ない調子で士郎が言った時だった。

 

 ガチャンッ

 

 突然の音に、思わず振り返る士郎。

 

 すると、

 

 手元が滑ったのか、ジュリアンがお茶の入った湯呑をひっくり返していた。

 

 熱いお茶が彼の太ももにかかり、制服のズボンを濡らしていた。

 

「何やってんだよ!? 火傷してないか!?」

 

 友人が普段、あまり見せない失敗に、士郎も慌てて駆け寄る。

 

 だが、

 

 

 

 

 

「全ッ然、熱くねえ!!」

「何だよ、その強がりは!?」

 

 

 

 

 

 無駄に強気な親友に、士郎はただ嘆息するしかなかった。

 

 

 

 

 

~それからしばらく~

 

 

 

 

 

「つまり、何だ? お前は妹の事を考えてニヤニヤしていたと、そう言う訳だな?」

「言い方に、途轍もない悪意を感じるぞ」

 

 濡れた制服を脱ぎ、体育用のジャージに着替えを終えたジュリアンを、士郎はジト目で睨みつける。

 

 何だかそれじゃあ、自分が美遊に欲情しているみたいな言い方だった。

 

 そのジュリアンはと言えば、なぜか士郎から距離を置くようにテーブルの端に座っている。明らかに、士郎から距離を置こうとする意志が明確に読み取れた。

 

「ジュリアンも、それに桜と日比谷も、大げさすぎるんだよ。俺が笑っているくらいでさ」

 

 そう言って肩を竦める士郎。

 

 自分だって笑う事くらいはある。何をそんなに騒いでいるのか?

 

 対して、ジュリアンは一つ嘆息すると口を開いた。

 

「良いか衛宮。俺は『嘘』には寛容だ。『嘘』と言う物は、何かを隠したい、あるいは偽りたいという意思が明確に、そこにあるからだ」

 

 随分と斬新な解釈のような気はするが、確かに間違ってはいない。

 

 人はそこに何らかの理由があるからこそ、嘘を吐く。その嘘に善悪の要素はあるにしても、すべからく「意思」が介在しているのは確かだった。

 

「けどな、漠然と形だけを真似た、何物にもなれぬ『偽物』は嫌悪する。以前までのお前の笑顔は『それ』だったんだよ。今日のお前のニヤニヤ笑いは心底気色悪くはあるが空っぽじゃねえだけ、万倍マシって事だ」

 

 成程。

 

 言い方は色々あれだが、少なくともジュリアンは士郎を認めてくれているらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・知らなかったな」

「ハッ 哀れな事だな。偽物に偽物の自覚が無いなどと・・・・・・」

「お前、ジャージ穿くと饒舌になるんだな」

「ケンカ売ってんのか貴様ッ!?」

 

 突然、トンチンカンな事を言い出す士郎に、マジ切れ仕掛けるジュリアン。

 

 ジュリアン的にはせっかく良い事を言ったつもりだったのに、士郎のせいで台無しになっていた。

 

「よし決めたッ 明日からはジュリアンの分も弁当作って来てやるからな!!」

「あァ!? なにトチ狂った文脈してやがる!?」

 

 がなるジュリアンに、全く聞く耳を持たない士郎。

 

 これもある意味、いい関係であると言えるだろう。

 

 そう。

 

 今の士郎は、確かに幸せだった。

 

 友人たちと過ごす時間も、

 

 妹と過ごす時間も、

 

 共に、士郎に安らぎを与えてくれる。

 

 願わくば、この時がいつまでも続くように。

 

 士郎は、心からそう願うのだった。

 

 

 

 

 

 肩を落とす。

 

 結局のところ、自分の勇み足だったのかもしれない。

 

 ここ数か月、彼に接触してみてよく分かった。

 

 衛宮士郎。

 

 彼は本当に、美遊の事を慈しんでくれている。

 

 彼なら、たとえ何があっても、命がけで美遊を守ってくれることだろう。

 

 ならば、自分の出る幕は何もない。

 

 所詮は、はるか昔に舞台を降りた人間。今更、舞い戻るなど、道化にも劣ると言わざるを得ない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ポケットに入れたままになっているクラスカードを取り出す。

 

 これは、明日にでも言峰神父に返すとしよう。どの道もう、自分には無用の長物に過ぎないのだから。

 

 そもそも、聖杯戦争に参加せんと思ったのは、全てあの子を守る為。

 

 しかし、それも衛宮士郎が美遊の傍にいるなら、無用な事だった。

 

「・・・・・・もう、僕は必要ない、か」

 

 少し寂しそうに、笑いながら呟く。

 

 踵を返す。

 

 もう、ここに来る事も無いだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・さよなら、美遊」

 

 それだけ言うと、振り返らずに立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 士郎はついに、美遊を屋敷の外に連れ出す事にした。

 

 目的地は海。

 

 冬木市は海に面した都市であるから、歩けばほんの数分で海岸にたどり着けるだろう。外出と言っても、そんな大層な物ではない。

 

 だが、

 

 美遊にとっては、何といっても5年ぶりとなる「お出かけ」だ。

 

 士郎が買って来た余所行きの服を着て、お弁当をリュックサックに詰め、準備万端整えた。

 

「じゃあ、行くか」

「うん」

 

 士郎が差し出した手を、美遊は小さな手で握り返す。

 

 温もりが、互いに伝わってくるのが分かった。

 

「怖くないか?」

「どうして?」

 

 尋ねる士郎に、美遊は不思議そうに返す。

 

「隣にお兄ちゃんがいてくれるのに、何を怖がるの?」

 

 そう言って、美遊は笑う。

 

 自分には、誰よりも頼りになる兄がいる。

 

 ならば、恐れる事など何もなかった。

 

「そうだ、この言葉、ずっと言ってみたかったんだ」

 

 そう言うと美遊は、玄関に向かって一歩踏み出しながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷を出た、外の世界は、美遊にとって新鮮な驚きに溢れていた。

 

 生まれて5歳(数えで6歳)までは朔月家の屋敷内に隠され、朔月家が無くなってからは衛宮邸から一歩も出ずに過ごしてきた美遊は、見る物全てが珍しくて仕方が無かった。

 

 2人の行程はゆっくりとしたものだった。

 

 目的地は海だが、せっかく時間があるので、ついでにあちこち見て回る事にしたのだ。

 

 住宅街を抜け、商店街を覗き、神社の前を通り過ぎる。

 

 時刻表を調べてバスを待つ。

 

 士郎の足ならそれほど苦ではないが、まだ幼いく、初めての外出になる美遊には海まではきついだろうと言う事で、途中からバスを使う事にしたのだ。

 

 それに、

 

 士郎はこの最初の外出を機に、ある事を計画していた。

 

 それは自分たちにとって、どうしても必要な事だと思ったからだ。

 

 自分と美遊が、これから本当の兄妹として過ごしていくために。

 

 バスを降りた美遊と士郎は、冬木市郊外にある竹林へとやって来た。

 

 鬱蒼と生い茂る竹林は、光を通さず先を見通す事も出来ない。

 

 そして、

 

 ここはあの、忌まわしいクレーターのすぐそばでもあった。

 

 士郎の最初の目的地は、この先にあった。

 

 やがて、視界が開ける。

 

 クレーターの外縁部が迫るその場所には、朽ち果てた瓦礫が未だに散乱している。

 

 おぞましい破壊の爪痕が、そのまま残っていた。

 

 そして、

 

 その脇に、大きめの石を積み上げた塔が、いくつか建てられている。

 

 それはあの日、

 

 あの、美遊と初めて会った日、士郎が切嗣に手伝ってもらって作った物である。

 

「お兄ちゃん、これは何?」

 

 不思議そうに尋ねる美遊。

 

 対して士郎は、静かな口調で答えた。

 

「これは墓だよ・・・・・・お前の、本当の家族の」

 

 そう。

 

 ここは旧朔月家の跡地。

 

 士郎はこの初めての外出に際し、まずはこの場所に美遊を連れてこようと思ったのだ。

 

「覚えているか? ここは俺と美遊が初めてあった場所。そして、お前が生まれた家だ」

「家? ・・・・・・母さまたちの、お墓?」

 

 美遊は茫然と呟く。

 

 あの日、結局士郎と切嗣が救う事が出来たのは、美遊1人だけだった。他の朔月家の人々は皆、あの破壊に巻き込まれてしまったのだ。

 

 美遊の母親も。

 

 そして、

 

 士郎はこの5年間、美遊に対して隠し続けてきたことがある。

 

 朔月家の血を引く美遊には、無差別に人の願いを叶える願望機としての能力がある事。

 

 自分と切嗣は、その能力に目を付け、美遊を手に入れるためにやって来たのだ。

 

「・・・・・・どうしてかな。あの頃の事、思い出そうとしても、あんまり思い出せない」

 

 美遊は、少し寂しそうな口調で言った。

 

「ただ、母さまの手のぬくもりだけは覚えている」

 

 懐かしそうに呟く美遊。

 

 そう、ここには確かに、彼女の幸せがあった。

 

 朔月家の人々が、美遊を大切に扱っていた事は、今の美遊を見ればわかる事だった。

 

 母親として過ごした日々は、記憶が薄れた今となっても、美遊の中で息づいているのだ。

 

 それに・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『美遊・・・・・・君の事は、僕が必ず・・・・・・・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、脳裏に何かが浮かんだような気がして、美遊は動きを止める。

 

 それは、いったい何だったのか?

 

 美遊の記憶の、最も深い場所に埋まっていて探り当てる事が出来ない。

 

 だが、母親の記憶同様、色褪せていても、確かに美遊の中には存在していた。

 

 だが、考えれば考えるほどに、記憶は逃げ水のように美遊の手をすり抜けて遠ざかっていくようだった。

 

「美遊、どうかしたか?」

「え?」

 

 呼ばれて、我に返る美遊。

 

 見れば、士郎が怪訝そうな面持ちでのぞき込んできていた。急に黙り込んだ美遊を心配している面持ちだった。

 

「あ、ううん、何でもないの」

 

 そう言って笑いながら、美遊は首を振る。

 

 いったん浮かびかけた「何か」は、再び記憶の淵に沈んでいく。

 

 本当に、あれは何だったんだろう?

 

 その正体について、美遊はついに思い至る事が出来ないでいた。

 

 そんな美遊を見ながら、士郎は再びこの場所に思いをはせる。

 

 あんな事が無ければ、

 

 あの悲劇が無ければ、美遊はもっと別の人生を歩んでいただろう。

 

 家族や、ひょっとしたら友人に囲まれて、幸せな人生を歩んでいたかもしれないのだ。

 

「ここであの時、わたしはひとりぼっちになったんだ」

 

 言いながら、美遊は士郎の方に向き直る。

 

 どこか寂しそうな、

 

 それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべて。

 

「でも、そんな私を、切嗣さんとお兄ちゃんが、助けてくれたんだね」

 

 美遊のさびしそうな笑顔。

 

 その笑顔が、士郎の胸をえぐる。

 

 違う。

 

 そうじゃない。

 

 自分と切嗣は、美遊を奪いに、ここに来たようなものだ。

 

 それが結果として、現在のような形になっているに過ぎない。

 

 今日、美遊に全てを話す。

 

 自分たちは、そこから始めなくてはならないのだ。

 

「美遊、聞いてくれ」

 

 切り出す士郎。

 

 美遊は不思議そうな顔で振り返る。

 

 意を決して、士郎は顔を上げた。

 

「俺と切嗣は、お前を・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くだらねえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、背後から聞こえてきた声に、士郎は振り返る。

 

 果たして、

 

 そこには、

 

 士郎にとって、よく見知った人物が立っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ジュリアン?」

 

 茫然として尋ねる士郎。

 

 対して、

 

 ジュリアンは真っ直ぐに士郎を睨む。

 

 その様に、思わず息を呑む士郎。

 

 彼の知る親友は、その視線の中に明らかな敵意と憎悪を含ませていた。

 

「くだらねえ・・・・・・ああ、心底くだらねえ筋書だな、クソが」

 

 それは、

 

 士郎と美遊にとって、

 

 否、

 

 この件に関わる全ての人間にとって、

 

 あまりにも唐突過ぎる「終わり」だった。

 

 

 

 

 

第33話「一歩目の、その先」      終わり

 


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