「時間稼ぎありがとう。タイミングばっちりだったね」
上手く相手の意表を突くことに成功したが、実のところ三日月は全く狙っていなかった。猫っぽいのがなんとなくこっちを見てるな、と目配せこそしていたが、氷を飛ばして攻撃してくれるなどとは微塵も思っていなかったのである。会話だって別段意図があったかと言うとそうでもない。だが、そんな内心はおくびにも出さず。それよりは「外したような気がする」ことを気がかりに思いながら、平然と言葉を返した。
「そりゃどうも。弾数怪しくなってきたから任せていい?」
「大丈夫よ、私とパックに任せて」
そう言って銀髪の少女は胸を張り、同じように氷塊を出して見せた。大丈夫そうだなと判断した三日月は、端っこの方に避難していたロムとフェルトのところへ下がった。氷柱同士の激突で白い霧が立ち込める中、動くものがないか油断なく見つめながら。
「一時はどうなるかと思ったが、お前らやりおったな!」
「いや、どうだろ。仕留めた感じは無かった」
全方位から放たれた先端の尖った氷柱と、ダブルタップで撃ち込まれた亜音速の拳銃弾。どちらか片方だけでも致命傷になり得る攻撃だ、まともに当たればただでは済むまい。だが、三日月は相手がまだ生きているという確信を持っていた。
「――今のは効いたわ」
「ありゃ、耐えちゃったの。ボク本気でやったんだけどな」
「外套にちょっとした細工があったのよ。重くて嫌いだったのだけど、命拾いしたわ。尤も、そこの男の子が放った攻撃はどうにもならなかったのだけどね。お陰で一本駄目にしちゃった」
霧の中から姿を現した女は、刃が欠けたククリナイフを見せびらかすように掲げる。まぐれか故意か分からないが、銃弾はククリナイフによって阻まれたようだった。三日月はそれを見て頭を掻き、手応えがなかった理由を理解すると同時に女を人間の範疇に当て嵌めることを止める。まぐれでもなんでも、銃弾を自力で弾く奴がまともな人間とは思えない。
「本当に素敵。殺し甲斐のありそうな相手ばかりで嬉しいわ」
「させないわ。精霊術の使い手を舐めないで」
どこからか二本目のククリナイフを取り出し、銀髪の少女に襲い掛かる女。しかし凶刃は虚空から現れた氷の盾に防がれる。攻撃を防がれた女は宙返りを駆使して下がるが、その隙を突いてパックが氷柱を叩き付ける。その追撃を素早い身のこなしでかわした女は、機会を見計らって再び肉薄してナイフを振るう。少女はそれを氷の盾で防ぐ――。
「凄い光景だな」
「あれが精霊使いの戦いじゃ。戦場で出くわしたら武器を捨てて逃げるのがお約束になっとる」
「そんなのと互角に戦ってるあれはなんなの?」
「……さあな。尋常じゃないのは間違いないが」
銀髪の少女と猫精霊の連携もさるものだったが、女は重力を無視しているかのように縦横無尽に室内を動き回り、空間を埋め尽くすように飛び交う氷塊を巧みに避ける。避け切れないものはナイフで打ち落とすことで無傷を保ち、折を見て反撃に転じる余裕さえ見せていた。そんな恐ろしいまでの技量を見せる黒衣の女をなんと呼べばいいのか、言葉が見つからない。
「むう、若干精霊使いが物量で押しておるが、決定打に欠けるな」
「そんな感じだね。でも、あれに割り込むのは止めといた方がいいと思う」
「儂もそう思うが、このままだと解らんぞ。精霊が顕現できる時間は限られておると聞く。じきに日没になるが、もしあの猫精霊が消えれば状況は一気に傾くだろう」
「だからってどうすんだよ。ロム爺でもあれにゃかなわねえし、アタシだってあんなのの相手は無理……いや待て、おい兄ちゃん。あの変な攻撃なら効くんじゃないのか?」
「期待されてるとこ悪いんだけど、拳銃のことなら無理。あれだけ動かれると当たんないし、押し切るには弾が足りない」
自然と協力し合うことになっていたその場の三人は、自分達の命運が早くも尽きかけていることに気付いた。唯一の期待は銀髪の少女と猫精霊だったが、そのまま勝ってくれる見込みは薄い。かといって打てる手はあまりにも少なく、逃げようにもあれだけ激しい攻防を繰り広げている中を掻い潜るのは不可能。誰かが囮になれば一人ぐらい逃がせるかも知れないが、それには敢えて誰も触れなかった。生き残るために必死に戦っている誰かを置いて逃げるのは後味が悪いし、それを軽々しく実行できるような薄情な人間はその場にいなかったのである。
「あ、ごめん。眠くなってきた」
「ちょっとパック!もう少し頑張って」
おまけにロムの懸念が的中し、次第に攻撃の精彩が欠け始めた猫精霊。銀髪の少女の顔にも焦りが浮かび始め、いよいよ万事休すかという空気が流れ始めた。これはいよいよ覚悟を決めるべきかと持ち手に穴が空いた棍棒を握り締めるロムと、眉間に皺を寄せたまま隠し持っているナイフを気にするフェルト。そんな面々の中で、三日月だけが平然とした顔で佇んでいる。
「なんでこの状況ですました顔でいられんだよ、兄ちゃん」
「……?腹減ったならこれでも食べるか?」
「いや、いらないから。どんな神経してんだ」
見当違いの答えと共に火星ヤシを差し出されたフェルトは脱力した。こいつは大物なのかただの馬鹿なのか、不思議そうに首を傾げている様子からは解らない。やっぱり変な兄ちゃんだなと再認識したところで、三日月の視線が盗品蔵の入り口に注がれていることに気付いた。なんとなく何かを待っているようにも見えるが、こんな場所へ誰が来るというのだろう。
「誰か来る予定でもあんのかよ?」
「予定ってほどでもないけど、来るなら多分そろそろかなって」
「はん。この大騒ぎの盗品蔵に、のこのこ首突っ込みに来る物好きなんておらんじゃろ」
「大騒ぎしたからこそ来ると思うんだよね。銃声って結構響くし、あれだけ撃ったら流石に様子を見に来るでしょ」
三日月は自分の見立てに自信があった。一発二発の銃声はスラムで日常茶飯事だったが、複数発立て続けに、それも同じ場所で銃声が響いたら騒ぎになる。火星ですらあんまり酷いようだと治安部隊が出向いて来たのだから、この地の治安機構だって動いてもおかしくないだろう。
「衛兵がこんなスラム奥深くのしみったれた場所に来るとでも思ってんのかよ」
「そう?なら、ちょっと賭けになるかな」
「おいフェルト、家主を前にもうちょっと言い方ってもんがあるじゃろ」
汚職と腐敗で堕落していたギャラルホルンでも治安維持には手を抜いていなかった。色々な思惑が交差していたとはいえ、ドルトコロニーでの一件からもそれは窺える。あれは暴動の鎮圧という名目の一方的な虐殺だったし、事情が大分違うのは理解しているが、自分達の権益を守るために出張ってくる連中はどこにでもいるものだ。ここだってスラムとはいえ、王都という大きな街の一角なのだから、騒ぎがあれば無視できないと思う三日月なのだが。
「……押され始めたの。いよいよ覚悟せんと」
しかし時間だけが無常に過ぎて行き、猫精霊が限界を迎えて姿を消したことで均衡していた天秤が傾き始めた。銀髪の少女一人では黒衣の快楽殺人鬼を相手に戦うのは分が悪い。誰か介入しなければ少女は早々に凶刃の前に倒れ、あとは一人ずつ命を刈り取られていくのを待つだけになるだろう。ロムは万が一にも勝ち目が無いと知りつつ、一矢報いてやろうと重い腰を上げた。
「フェルト、お前は逃げろ。儂が機を見計らって奴の気を引く」
「何言ってんだよロム爺!そんなことしたら――」
「待ってハゲ爺。その必要はないかも」
悲壮感が漂う二人のやりとりを遮った三日月は、「誰がハゲ爺だ」という抗議の声を無視して天井を見た。折角覚悟を決めようというところで水を差されたロムは、様子がおかしい三日月を胡乱気な目で見て、どういうことかさっぱり解らず首を傾げる。
時を同じくして、銀髪の少女と黒衣の女の攻防にも動きがあった。パックの援護を失った少女は相手の接近を許すも、ククリナイフによる猛攻を辛うじて氷の盾で防いでいたのだが、それに限界が来た。集中力が途切れ始めた少女は不意に放たれた蹴りを防ぐことが出来ず、まともに受けて椅子を巻き込みながらカウンターの向こうまで吹き飛ばされてしまう。
「ぐ、うっ」
「さて、そろそろおしまいにしましょうか」
状況が悪い方に動き始めた。行くなら今しかない、ロムはそう判断し風穴が空いた棍棒片手に飛び出そうとする。その瞬間、よく通る声が盗品蔵に響き渡った。
「――そこまでだ」
声と共に天井が突き破られ、室内は瓦礫と砂埃で充満する。その場の全員が動きを止め、何が起こったのか見極めようと煙る視界に目を凝らす。そんな中、注目を一身に受けながら颯爽と現れた一人の男。
「危ないところで間に合って何より。さあ、舞台の幕を引くとしようか」
強烈な登場を果たした赤髪の男は、どこまでも純粋な正義感を滾らせて。端正な顔立ちに微笑を湛えたまま、圧倒的な威圧感で周囲を捻じ伏せた。銀髪の少女に止めを刺そうとしていた女すらもすぐさま距離を取り、表情から余裕を消すほどの威圧。
「お、さっき会った色男。ラインハルトだっけ」
「また会ったね三日月君。どうやら探し人とは無事に会えたようでなにより」
誰もが表情を凍らせる中、三日月だけはいつもと変わらない調子だった。何を隠そう、三日月は来るとしたらこの人物だろうと予想していたのである。
三日月がいつラインハルトと出会っていたのかというと、盗品蔵へ来る前だ。情報収集中にいなくなった銀髪の少女を探している時、路地裏で出会った非番の衛兵。それがラインハルトだった。その時に、少女と知り合いらしい彼の「一緒に探そうか」という提案をあっさり断った三日月は行き先だけ教えて別れている。そんな訳で、もしかしたら来るかも知れないなぐらいには考えていたのである。
「ああ、今日は最高だわ。まさか剣聖ラインハルトまで相手になってくれるなんて」
「そういう君は腸狩りのエルザだね。色々と聞きたいことがあるので、投降をお勧めしますが」
「これだけ最高の獲物が揃っているのに、そんな勿体ないことはしないわ」
艶めかしく、恍惚とした表情でそう言い放ったエルザ。やはりそうなるかとラインハルトは困ったように頬を掻き、自然な足取りで歩き出す。
「三日月君、あの方を頼む。それと皆を少し遠ざけてくれないか」
「解った」
そんな短いやりとりの後、直ぐに戦端が開かれた。ククリナイフを片手に暴れまわるエルザを、無手でいとも簡単に捌き切るラインハルト。それを横目に三日月は「やるもんだな」と小さく呟きいて素早くカウンターまで移動し、蹴りを食らってのびていた銀髪の少女を片腕で米俵のように担ぎ上げる。激しい戦闘を余所に危なげなく先に避難したフェルトとロムのところへ戻ってくると、床に転がして容赦なく少女の頬を叩いた。
「痛っ!な、なに?」
「起きてたんだ。状況は解る?」
「状況って……なんでラインハルトがここに!?」
「上から降ってきた」
「どういうことかさっぱり解らないわ」
初めて会った時のような、どこか噛み合わないやりとりを挟みつつも全員が無事に下がることが出来てた。誰からともなく安堵の溜息。もう少しラインハルトの登場が遅かったら、どうなっていたか解らない。特にロムは今にも飛び出そうとしていた瞬間だったので、まさに命拾いした形だった。
「そうだ、他の人は無事?」
「あんたが一番無事じゃなさそうだったんだけど、その様子なら大丈夫そうだね。他に大きな怪我してる奴はいないよ」
「そっか。それなら私が精霊術を使う必要はないわね」
傷だらけになりながら、花が咲くような笑顔を見せる少女。それを見た三日月は、自分の大切な物を盗んだ連中の心配までするなんて変な奴だなと思った。甘いにも程があるが、そういう珍しい奴もいるのか、と敢えて何も言わず。意識を切り替えて別の質問をした。
「ラインハルトの奴、手加減してるように見えるんだけど。理由は解る?」
「こっちに気を使ったんだと思う。彼が本気を出すと大気中のマナは私にそっぽ向くもの、そしたら怪我の治療が出来なくなっちゃうわ。――ラインハルト!こっちは気にしないで大丈夫よ!」
消極的な戦い方をしていたラインハルトはその声を受けて小さく頷き、盗品蔵に転がされていた一本の剣を手に取った。腰に下げている立派な剣ではなく、ありふれた質素な剣だ。
「そちらの剣は抜かないのね」
「然るべき時にしか抜けない剣なのですよ。今宵はこちらでお相手しましょう」
「安く見られちゃったかしら。伝説の切れ味を味わってみたかったのだけど、まあいいわ。見せてちょうだい。剣聖の放つ剣戟、とても興味があるわ」
「では遠慮なく――」
ラインハルトが剣を構えた瞬間、空間が歪み。
眩い光りに辺りが包まれた後、盗品蔵は吹き飛んだ。