麗らかな春の訪れ。桜は色づき、花達は耐え忍んだ冬を取り返すように咲き乱れる。気候も穏やかで、とても過ごしやすい季節と言える。読書が捗る季節でもある。
僕、森近霖之助は今、様々な本に囲まれていた。幻想郷の外の世界からやってきた外来本、忘れられた妖怪が記された妖魔本、どれも僕の所有物ではないが、それでも僕は幸せだった。
「いらっしゃいませ! はい、『スリムな体を目指すための10の決まり』ですね! お買い上げありがとうございます!」
「はぁ? 聖なる騎士の続き? ありゃ外来本だから、入荷するのを気長に待ちな」
決して広くはない空間に、狭さを際立たせるほどの数の本棚。その全ての本棚は埋まっており、しかし今では空きが出てきていた。
「あ、霖之助さん! そこに積んである本、あちらの本棚に入れておいてください」
「……ああ、わかったよ小鈴」
ここは貸本屋『鈴奈庵』。本居小鈴という少女が営む、人間の里の中では珍しい商売をする店である。今店内はたくさんの人で溢れ、小鈴には笑顔が絶えなかった。
「だーかーらー! ここの本は傷あり前提で売ってるって言ってるでしょ!? それを承知で買ったんでしょう!? 今更やめたなんてなし! 文句を言うなら帰れ!」
そして店内で接客をしているもう一人の人物――――朱鷺子。彼女は妖怪だが、人間の書く書物にとても興味を持っていて、人を襲うことはない特異な妖怪である。僕がこの妖怪と知り合うにあたって、因縁というか複雑な事情があったのだが、それは割愛する。
「ちょ、ちょっと朱鷺子さん! お客様にはもう少し丁寧に……」
「これだから人間は嫌なのよ! 本が好きって言うから接してやってるのに、文句ばっかりじゃない! そんなに丁寧な装飾された本が欲しいなら天狗の里にでも行ってきな!」
「え、ええぇ……霖之助さぁん」
小鈴が困ったように僕の名前を呼ぶが、僕は首を横に振る。別段、朱鷺子とは親しいわけでもない。ただ暇そうにしていたから連れてきただけである。
「……人手が欲しいと言ったのは君だろう?」
「いやそうですけど、彼女……妖怪ですよね?」
「猫の手も妖怪の手も変わらないと思ってね」
「ひどい……」
尚も彼女は続けようとするが、お客がそうさせなかった。次々と本の貸し借りや売買の注文が襲いかかり、終始小鈴はてんてこまいだった。その中で朱鷺子は、荒々しく接客しながらも、本に関しては真摯に対応していた。男という理由だけで本の補充を任された僕は、ただただ本を運んだ。なんだかんだ、鈴奈庵の商売は滞りなく進む。
そして太陽が天高く昇る昼ごろ。やっと店内は落ち着きを取り戻した。
「…………はぁ」
小鈴は椅子に深くもたれて、天井をぼうっと見つめる。なにやら独り言を呟いているようだったが、よく聞こえなかった。
かく言う僕も、積まれた本を運ぶ作業に相当疲れが溜まっていた。たまらず床に腰を下ろす。
「驚いたな……貸本屋ってのはこうも忙しい物なのか」
「いえ、最近になってこうなったんです……本が広まるのはいいことなんですが、毎日こう忙しいと」
「それで、僕を呼んだのかい」
昨日、たまたま人間の里を歩いていたら、小鈴と遭遇して店を手伝ってほしいと頼まれた時は驚いた。商売上、小鈴とは知り合っていたが、まさか貸本屋で人手が足りなくなるとは思っていなかったからだ。
他の商売環境を観察するのもいいかもしれない、と僕はこうして鈴奈庵の商売に手を貸していた。
「そういえば霖之助さんは、香霖堂の方はいいんですか?」
「……ああ、今日は定休日なのさ」
「客が来ないんじゃなくて?」
「朱鷺子、うるさい」
朱鷺子といえば、読書に熱中していて疲れがまったく見えない。一応は働いたはずなのに、そこは妖怪というところか。
「それにしても、いつからこんなに繁盛するようになったんだい? 貸本屋としては、願ったりかなったりだろうが」
僕が何気なくそう聞くと、小鈴は困ったように答える。
「いや……それが本当に突然なんですよねー。私が知りたいです」
「突然、ね。読書でも流行ったのか」
「当たり前じゃない。読書は生きることそのもの」
朱鷺子が偉そうに言っているのを僕は無視して、改めて考え込む。
確かに読書は素晴らしい物だ。しかし、それは悪魔で僕から見た価値観である。何も人間全員が「読書」という行為を好んでいるわけじゃない。必然、貸本屋に客足がないのは必至になってくるのだが、今日僕が見た光景はあまりにもおかしい。
異変、と言っても差し支えないのかもしれない。皆、何かに憑りつかれたように、本を借りて、あるいは買っていくのだ。子供は妖怪に関する絵本を借りて、大人は貴重な外来本を買っていく。
結果、不自然という考えに至るが、だからといって原因はわからない。突然本が無性に読みたくなる流行病でもあるのだろうか。
「すまない、今空いているか?」
と、聞き覚えのある声がして、僕は顔を上げる。
「いらっしゃいま……あ、慧音さん!」
「いや、忙しかったなら後にしようと思ったんだが……ちょうどいいようだな」
上白沢慧音。人間の里で寺子屋を営む、善良な妖怪。僕の数少ない友人の一人でもある。その優しい性格から、里の有名人でもあった。
「ちょっと子供たちに、外の世界の歴史を教えたくてな……何かいい本はないか?」
「教科書みたいな物でいいなら、ありますよ」
「じゃあ、それを頼む」
はい! と小鈴は元気に声を上げて、店の奥へと引っ込んでいた。
「……相当気に入られてるようだね」
「彼女には寺子屋の教材関係で良く会うからな、いい子だよ」
「外の世界の本も、教材に使うのか?」
「まぁ、未知の物には、誰だって興味を持つものだろう? 霖之助」
したり顔で慧音が笑うので、僕はそれを見ないようにした。そういえば、僕は彼女が苦手だったか。
次に、慧音の興味は朱鷺子へと向かう。
「……君は、誰だ?」
「私に名前はない。好きに呼べばいい。それよりも読書の邪魔しないで。後話しかけないで」
「ほぉ! 読書が好きなのか! 最近の子にしては偉いなぁ」
「…………」
どうやら慧音は、朱鷺子を子供だと思っているようだ。後ろに付いている羽が見えていないわけではないだろうが、慧音は微笑みを崩さなかった。
「どういう本を読んでいるか、見せてくれないか?」
「…………」
「うん! その姿勢嫌いじゃないぞ? 自分の価値観を見せびらかすのも考えものだからな!」
「……ねぇ霖之助? こいつを黙らせてくれない?」
「それは無理だね」
僕も本を、適当に一冊手に取った。タイトルは『紗鵜碌峰夢豆の冒険』。どうやら外の世界の推理小説のようだ。実に興味深い。
「君は、霖之助とはどういった関係なんだ?」
「……別に。私はこいつのことどうとも思ってない」
「いや、何か思惑でもない限り、こんな奴と話せるとは思えないんだが」
「こんな奴で悪かったね」
昔から、慧音は僕の事を子供に見ている節がある。しかも本人は面白がっているから性質が悪い。
「慧音さん! お待たせしました!」
と、奥から小鈴が本を片手に、四人分のお茶をお盆に乗せて持ってきた。あまりにも危なっかしかったので、慌てて慧音が駆け寄っていく。
「……っと、いつも悪いなぁ」
「いいんです、お役に立てれば!」
慧音がお盆を取ると、満面の笑顔を小鈴は見せた。心からそう思っているらしい。
「霖之助さんも、朱鷺子さんも、今日はありがとうございました! また今度もお願いします!」
「このくらいはお安い御用だ……って、また今度?」
慧音からお茶を受け取ってるところに、予想だにしない言葉を聞いてしまう。
「はい、多分これからも忙しくなると思うんで……出来れば、明日とか?」
困ったように微笑んでこちらを見るので、とりあえず僕は貰ったお茶を啜る。
「……誰か他の人物を雇えばいいと思う」
「ここの蔵書、危険な本が多いので素人に任せるわけには……」
「いいじゃない、私はこっちの方が楽しいわ」
冗談じゃない。いくら客が来なかろうが、ずっと店を休ませるわけにはいかない。
「ともかく、明日もというのは無理な話だ。店を長く空けるわけにはいかない」
「そんなぁ……」
「ちぇ、つまんないの」
僕は読んでいた本を閉じて、ゆっくりと立ち上がった。
「霊夢や魔理沙にでも頼んでくれ、それじゃあ僕は帰るよ」
「……仕方ないです。今日は本当にありがとうございました!」
小鈴は少し寂しそうな顔をしたが、諦めてくれたようだ。朱鷺子は俄然やる気だったらしく、不満の顔を隠さない。
「絶対こっちの方がおもしろいのに」
「だったら君だけでもここを手伝ったらどうだい」
「んー、何か興が乗らない」
勢いよく本を閉じて、朱鷺子は鈴奈庵を去ろうとした。
「うん、そだね、帰ろ」
「君は何なんだ」
妖怪の心変わりが激しいとはこのことか。慧音に空になった湯呑みを返して、僕と朱鷺子は挨拶をして立ち去っていった。
人間の里には、今日も活気が満ち溢れている。中には妖怪の姿もある。妖怪の中にも酔狂な者がいて、商売をする者もいれば酒場を開く者までいる。そうして妖怪もその場所に顔を出すようになり、人間が妖怪を見慣れるのに時間はかからなかった。こうして朱鷺子が堂々と人間の里を歩けるのも、誰も不思議には思わない。
人間にとって妖怪はもちろん脅威なのだが、今や怖がる者はほとんどいない。襲われている人間がいるのは事実だと言うのに、人間はそれを知らないように振る舞う。
朱鷺子は、その人間の態度に対して文句を言っていた。
「ホッントに、平和ね。呆れるわ、人間なんかと戯れちゃって」
彼女の言う先には、人間と一緒に酒を飲む妖怪の姿があった。見かけは人そのものだが、犬のような耳が頭にあることから、彼が白狼天狗であることがわかる。それをわざわざ指摘する野暮な輩はいない。
「いいじゃないか、平和で。なんだ、君は戦争を望んでもいるのか」
「そうじゃないけどね……ちょっと親しくしすぎだと思うの」
「仲が悪いよりかはマシだろ」
「でも、馴れ馴れしすぎる。私達は人間を襲うし、人間は私達を退治する。この関係は変わらないから。倒すべき敵に、情なんてもってらんないでしょう?」
「……生憎、難しい話はわからなくてね」
朱鷺子とこの話をしていると、何だか深みに入り込みそうで、僕は送球に話題を切った。
「朱鷺子、一つ言っておこう。理解できないことは、考えないほうがいい。むしろその時間を、読書に使えばいいじゃないか」
「……それもそうね」
本を引き合いに出せば、大抵の事を彼女は忘れてくれる。代償として、僕のコレクション(本)が一つ失われるのだが。
朱鷺子の言う事も最もだが、僕が生きていくゆえには関係ない。
誰だって、平穏を望んでいる。僕もその一人だ。そうでない人物がいるなら、まぁ、霊夢辺りが何とかしてくれるだろう。
「おーい! 霖之助―!」
名前を呼ばれて、僕は振り返る。こちらに向かって走ってくる慧音の姿が見えた。
「げっ」
「……そんなに嫌なのかい?」
僕の問いに、朱鷺子は僕の背後に隠れてみせた。その目は「いなくなったら教えて」と訴えている。
「はぁ……まだ間に合って良かった」
「何かあったのかい、慧音」
僕が聞くと、慧音は少し困った風に言った。
「……なぁ、霖之助。お前はおかしく思わないのか?」
「鈴奈庵のことなら、確かにおかしいと思うが、気にする問題でもないさ」
「いや、あながち無関係とは言えないんだ……」
彼女らしくもなく、困惑した表情で言葉を濁らせていた。あまり見せない態度に、僕の興味が向く。
「そうだな、こんな事を相談できるのはお前だけだったな、不本意だが」
「あまり嬉しくはないが、気にはなるな。話を聞こう」
そう答えると、僕の後ろに隠れていた朱鷺子が、服を思い切り引っ張ってきた。振り返ると、とても細い目で僕を見ていた。鳥目と呼ぶにふさわしい。
「……慧音、どこに向かうつもりで?」
「ああ、寺子屋だが……」
少し考え、僕は言った。
「朱鷺子、寺子屋には蔵書がたくさんあるぞ?」
「…………行きます」
彼女の合意を得て、僕らは寺子屋に向かう。
妖怪も人間も好きな物を前にすると、皆我を忘れるところは、変わらないらしい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。できる限り続きは早くあげるつもりです...それではまたノシ