勇「……」
真「?どうしたの?入っていいわよ。」
玄関のドアを開けたまま固まっている俺に真姫が不思議そうに声をかける。なおも黙っていると少しだけ焦れったそうにしながら続けた。
真「どうしたの?今日からは勇次もここに住むんだし遠慮しなくていいのよ?」
勇「……」
だから早く入れと言外に言ってくる真姫に構うことなく、俺はたった一つのことを頭の中で訴え続けていた。
入っていいって…足の踏み場もないんですけど!?この部屋のどこから入れって言うんだよ!?
見渡してみても廊下から部屋の中まで数々のコンビニ弁当のゴミや洗濯物、医学書などでうめ尽くされている。開けっ放しのドアから見えるベッドの上すら足の踏み場どころかちょっとした地震で全てが終わりそう…またはもう大地震がきた後なんじゃないかと思わせるほどの惨状だった。パッと見ただけでも下着類とかでも放りっぱなしだし…。そこにあるメチャクチャ高そうな洗濯機は何のためにあるんだよ。
勇「…」
この野郎どうしてくれようかと鬼の形相で真姫の方を向くと、何のことだかわかっていないらしく、きょとんと不思議そうに首をかしげていた。
勇「…」
今日こそ叱るとその顔を睨みつける。
勇「…」
真「…?」
……ああもう可愛いなチクショぉおおおお!!
勇「…真姫、悪いけどゴミ袋を30袋くらい買ってきてくれ。」
真「?分かった。」
ため息混じりにそう頼むと、真姫は不思議そうにしながらもゴミ袋を買いに出かけていった。
* * * *
勇「さて…じゃあ真姫が帰ってくる前にそれ以外のことは終わらせちゃいますかね。」
この辺は高級住宅街が建ち並んでいる。最寄りのスーパーの位置と真姫の歩くスピードから考えて三十分くらいだろうか。
勇「しかし何とも気にしてない風だったなアイツ…やっぱお嬢様って感じだ。」
真姫は二か月前、つまり20歳になった時から親元を離れ、大学の近くで一人暮らしをしているのだ。真姫のお母さんによると誕生日に突然、
真「私ももう20歳なんだから一人暮らしする!」
と言い出した真姫に親父さんはちょっとこれまでにないくらいの大反対をしたらしいのだが、「認めないなら勇次の家に転がり込む」と宣言した真姫に渋々折れたらしい……いや俺まで巻き込むなよ。
とまあそんな訳で大学から徒歩5分、超高級住宅街の中でもひときわ目立つマンションの最上階、一年分の家賃があれば家も買えるだろうというところに、真姫は今まで2ヶ月1人で住んでいた。親父さんは執事をつけさせろと泣いて頼んでいたらしいのだが、真姫が「執事を付けるくらいなら勇次に世話をしてもらう」と……だから俺を巻き込むなよ。
そんな訳での完全一人暮らしだったのだが…これは親父さんの言い分は正しかったと認めざるを得ない。あのお嬢様には介護者が絶対必要だ。大事な医学書の上にゴミ重ねてるし…。
勇「まあこれからは、一応、なんとかなる…のか?」
あらかた片付けが終わったところで1人呟く。そう、今日からは俺がここに真姫と同棲することになっているのだ。幸い、収容能力抜群のタンスや本棚が並んでいるので、これならマメに掃除をやれば少なくとも今よりひどくなることはないだろう。それより今の問題は―――。
勇「コイツらか…。」
―――袋がないので片付けられないゴミとは別に部屋の隅に分けて置いてある数々の布。男なら誰しもが深く興味を持っているものであり、男なら誰しも触れることを躊躇ってしまう……まさに衣類の“神”とも呼ぶべき存在。……わかりやすく言えばパンツとブラジャーだった。
勇「……どうやって片付けよう。」
…いや、恋人同士なんだし…ありか?いやでも真姫は嫌がるかもしれないし…待った方がいいんだろうか。そんなことを考えながらチラチラと下着の山に目を送る。しばらくフローリングの床と理想郷ともいうべき光景の間を往復していた俺の視線が引き寄せられるようにピタリと1点に集中する。その視線の先には、その他とは明らかに趣きの異なった、1組のブラジャーとパンツが映っていた。
勇「…」
ほかの下着は少し前まで高校生だったということを思わせるものから、ともすれば高校生より幼いんじゃないかと思わせるものが多い真姫の下着達だったが、それらに混じっているその1組は明らかに異質だった。色は黒。レースがかかってはいるが布自体の面積は小さめで、真姫が着けたら肌の白さもあって魅惑のセクシー姿になってしまう事がありありと想像できる。
勇「…」
見てはならない、そう思えば思うほど、強くその下着に引き付けられていくような気がした。いつの間にか出していた右手が、引き寄せられる様にゆっくりと伸ばされる、あと30センチ、あと10センチ―――
勇「…って何やってんだ俺は変態か!?」
―――触れる、という所でギリギリ理性を取り戻した俺は伸ばしていた右手を思いっきり自分の顔にのめり込ませた。本当に全力だったので勢い余って床に頭をぶつけてしまったが、それによって神の魔力からは完全に逃れられたようだ。
勇「恐るべし…パンツの破壊力…!」
途中からは完全に無意識だったぞ今。
勇「やっぱこれは今すぐ片付けよう、うん。」
そうじゃないと俺の精神が持ちそうにない。タンスに入れて後で説明すれば真姫も分かってくれるだろう。よっこらせと下着を抱え上げたその時―――
真「ただいまー。勇次、ゴミ袋ってどれにすればいいか分からなかったから全部のサイズ30袋買ったけど良かった…の……。」
さっきの俺と同じ様に、ドアを開けた途端固まってしまう真姫。
勇「……」
この時流れた沈黙の5秒間は、1000年よりも長い気がした。
―――状況を整理しよう。女子大学生のリビングど真ん中で、下着を両手いっぱいに抱えた22歳男。
勇「……あ。」
…しかもさっき自分を殴ったことによる鼻血のオマケ付き。あろう事か俺である。
勇「ま、待て真姫、話し合おう…だから無表情でこっちに近づいてくるな。これにはわけが痛い痛い痛い!待て落ち着け!どんなに頑張っても俺の腕はそれ以上そっちには曲がらねえよ!」
真「安心しなさい。伊達に医者を目指してる訳じゃないわ。このままキレイに折ってあげる。」
勇「うわぁぁぁぁあ!!!!」
―――薄れゆく意識の中、俺は何故こんなことになったのかをぼんやりと思い出していた。
* * * *
勇「同棲…ですか?」
昨日、俺は真姫とともに真姫の両親に会いに行っていた。理由は先日[ある事件]でなし崩してきにしてしまった両親の前での結婚宣言をやり直すため、ご両親にあいさつに来たのだ。が、ニコニコと嬉しそうな真姫母と対照的に終始厳格な雰囲気を醸し出していた真姫の父親が、話し終えた俺に言ったのだ。「同棲をしなさい」と。思わず声を上げてしまった俺と怪訝そうな真姫を交互にみた親父さんがもっともらしくうなずいて続ける。
真父「そうだ…いや、別に反対しているというわけじゃない。君のことは真姫からもよく聞いてるし信用できる男であることもわかっている。ただ、急ぎすぎず、もう少しゆっくり考えてみたらどうか、と提案しているんだ。君たちはまだ結婚を急ぐような年でもないし、真姫はまだ学生。同棲してお互いのことをよく知ってからでも遅くはないだろう。再来年、真姫は大学を卒業する。それまでの一年半と少し、同棲して二人の時間を増やすといい。」
勇「…。」
……正直、願ってもない話だ。というのも、どうせ俺もしばらくして仕事に慣れるまで結婚をするつもりはなかったからである。もしこの場で即座にOKが出たとしてもその話をするつもりだったし、その場合の真姫の猛反対(我儘、とも言う)を考えれば、むしろ二人の時間を増やすことにもつながるし、助け舟を出してくれたようなものだ。そんな俺の思考を知ってか知らずか、親父さんはニヤリと笑みを浮かべて言葉を占めた。
真父「なに、心配するな。君らの愛情の深さは[あの事件]で私たちが誰よりもわかっている。そうじゃなくても真姫にも妻にも、
* * * *
<side真姫>
勇「う…」
真「あ、お、起きた?」
しばらく休ませること数分。勇次はようやく目を覚ました。
真「だ、大丈夫?痛いとことかある?」
勇「あ、ああ…大丈夫だ。」
怪訝そうに答える勇次。私も自分で眠らせておいて何を言っているんだと思わなくもないけど仕方がない。というのも、勇次を
真「ご、ごめん勇次…。怒ってる?」
お父さんの太鼓判を貰って同棲を始めた私たちがまさかの一日目、しかも私の勘違いでおわっちゃったなんてことになったらお父さんにも勇次にも示しがつかないし、何より絶対に嫌だ。明日から勇次が来ると思うと嬉しくて、昨日はウキウキしながら勇次用の食器やベッドを買いに行ったのだ。……ちょ、ちょっぴり大人っぽい下着も買ったし。そんな風に楽しみにして、昨日は寝れなかった同棲の思い出が、勇次を殴り倒しただけになるなんて絶対に嫌だ。そんな私の思いがこもった謝罪を勇次はしばらくポカンとした目で見つめていたがやがてフッと小さく笑うと立ち上がってスタスタと台所へと歩いて行った。
真「ちょ、ちょっと勇次?」
勇「フム…卵、牛乳、肉はとりあえずあるのか…てか高そうな肉だなおい…野菜はっと…見事にトマトばっかだな。」
わけもわからないまま追いかけると、勇次は冷蔵庫のドアを開けてぶつぶつと何か言っていた。
真「な、何してるの?」
勇「ん~?いや、夕飯何にしようかと思って。真姫も腹減ったろ?」
戸惑いながらも尋ねると、勇次はポリポリと頭を掻きながら答えてくれた。
真「あ、うん。まあ確かにちょっとだけ減ってきたかも…じゃなくて。お、怒ってないの?」
恐る恐る聞くと勇次はなにをバカなといった表情で笑った。
勇「そんなわけないだろ。あれはほとんど俺が悪かったし。そんなことより…」
勇次はうつむき気味だった私の頭を撫でながら話す。
勇「せっかくの同棲初日だぜ?俺は昨日楽しみで眠れなかったってのに、ほとんど寝てましたなんてもったいないだろ?」
真「…。」
撫でられている頭をさらにうつむかせる。そうじゃないと真っ赤になった顔を見られてしまいそうだったから。…嬉しかった。許してくれたこともそうだけど、勇次も私と同じように同棲を…私といることを楽しみにしてくれていたことが。勇次は私が楽しみにしていたことを楽しみにしてくれていた。なら私にできることは目一杯勇次を楽しませて一緒に楽しむことだ。そう考えるとスッキリした気持ちになった。私も冷蔵庫を眺めながら勇次の横に立つ。
真「わかったわ。なら今日は私がご飯を作ってあげる。初日の思い出としては最高のスタートになるでしょ?」
勇「いや、人生のゴールが見えてきそうだから遠慮しと…わかった。話を聞こう。だからそのおもむろに取り出した包丁をしまうんだ。」
まだ6月だというのにダラダラと汗を流しながら不安そうにこちらを見てくる勇次。さては私が料理もできないと思ってるわね…。
真「失礼ね。私だってもう二か月も一人暮らしをしてきたのよ?料理くらいできるに決まってるでしょ?」
勇「いや、そしたらあの大量のコンビニ弁当のゴミは…OK、もう何も言わない。だからフライパンまで持ってきて露骨に戦闘態勢に入るのはやめてくれ。」
なぜか真っ青になりながら勇次はしばらく固まっていたが、やがてため息とともに私に指示を飛ばしてきた。
勇「ハァ…なら真姫はトマトを六等分に切ってくれ。ああ、切る前に洗ってな。」
真「失礼ね。それぐらいわかってるわよ。」
言いながらトマトを洗い始める。きれいになったトマトをまな板において、というところで勇次から再び声がかかった。
勇「真姫!?なぜまな板の上にトマトを置いて手刀を構えてるんだ!?さっきまで持っていた包丁は!?」
真「?。包丁は危ないからしまったに決まってるでしょう。何言ってるの?」
勇「やっぱさっきの威嚇行為だったんじゃねえか!?…あのな真姫、手刀でトマトは…って切れてんのかよ!?」
きれいに六等分されたトマトを見て、驚愕の声をあげる勇次。どうやら私の料理の腕に驚いたようね!
勇「いや驚いたのはその切れ味抜群の手のほうで…ってやめろ!手刀を構えたままこっちにくるな!話の流れ的に怖すぎる!トマトの汁が血にしか見えねえ!?」
真「勇次?さっきからなに騒いでるの?楽しく作りたいのはわかるけど別に騒がなくてもいいのよ?」
勇「さっきから俺は恐怖しか感じてねえよ!?」
その後もぎゃあぎゃあと騒ぐ勇次と料理を作っていく。たったそれだけのことなのに、私の心は幸せで満ちていた。勇次とするだけで、どんなことでも幸せいっぱいになれる。きっとこれからは、そんな日々で、そんな思いで満たされていくのだろう。これからは、ずっと一緒なのだから。
真「勇次。」
勇「ん?なんだ?」
これからずっといる中で、もしかしたら喧嘩したり、怒らせちゃったりすることもあるかもしれないけど、それでも今日抱いたこの気持ちは本物だから。
真「なんでもない。」
これからよろしくね。勇次。
ずいぶんと間が空いてしまいましたが、真姫エンド編です。
真姫は出会い・事件・エンド編で三話または四話構成にしたいと思っています。
次回は真姫出会い・ことりルート分岐・にこエンド編のどれかを書こうと思っています。
それでは拙い文章でしたが読んでくださった皆さんどうもありがとうございましたm(__)m