執務室の開けた窓から、気持ちのいいそよかぜが入る7月。
窓の下に置いた椅子におなじみの軍服を着ているビスマルクを座らせ、その後ろに立った俺は美しく腰までの長い髪を櫛で梳いている。
髪を梳く櫛はビスマルクの高貴さを失わないように、イギリス製ハンドメイドの高級品を使う。
太陽の光に照らされた、混じりけのない明るい金の色。軍服から見える白い肌と金の色のコントラストは、肌と髪の両方の美しさをより強く表現していて櫛を通すだけで楽しい気分になる。
キューティクルは天使の輪のように輝いて惚れぼれとし、手入れは普段から細かくしているらしく枝毛も少ない。
風に吹かれて髪がなびくその姿は言葉にしたくないほどに心がひかれる。
元から金髪の女の子は好きだったけれど、ビスマルクの髪は最上級だ。はじめて見たときは心がときめいて脳の動きが止まった。これが神々しさか、と驚いたものだ。
櫛で何度も優しく丁寧に髪を梳いていると、さらさらと流れる水のようになめらかな髪の動きが出て夢中でやってしまう。
「今日の私はどうかしら」
「天使の絵画を見てるようだよ」
ビスマルクが俺へと後ろに少し首を傾けてくる。
彼女の白くきめ細やかな肌と透き通るような輝きを持つ緑の瞳。
そんな美女がほほえみかけてくれるだけで気分は最高に嬉しいものになるかもしれない。
でも俺は顔なんてものは髪ほどには興味がない。
金髪が美しいのなら、他はどうでもいいと思う。
ビスマルクも俺の行動や言葉をわかっているらしく、変に勘違いしたり恋愛感情を出したりしないから一緒にいて安心ができる。
静か、というそれだけでビスマルクの価値はあがる。
「髪を触るのは良いのだけれど、あなたの声が聞こえないのは不満だわ」
「こうやって髪を触るのに集中すると会話が難しくてね」
彼女は俺の声が異様に気にいっている。
日本人には少ない低めのハスキーボイスな俺の声は、人に声が聞き取りづらくマイクとの相性も悪くて論文発表などではとても不便で自分では嫌いだった。
ビスマルクが来てからは自分に自信がついた。ようやく、俺という個人を認められた気がして。
不満があるとすれば、体型が変わらないように食事や運動の量と種類を指示されることだ。出会ってから体重を増やされ、減らされもしたが出会ったときのままが良い声をしてるとわかって元に戻れた。
身長178cmの俺は体重76kgあたりを維持するようビスマルクに言われている。
金髪を好きなときに好きなだけ触れるのなら多少の苦労なんて気にもしない。
「提督、私を褒めてくれない?」
櫛で髪を梳くのをやめ、手で髪をすくいあげるときのこぼれおちる髪の感触と髪の流れを楽しんでいると、ふとそんなことを言ってくる。
少しばかり不機嫌になったその顔を見て、髪をすくいあげる手はビスマルクの頭をなでることにしながら考える。
「俺が生きた31年の人生のなかでビスマルクほど美しい髪は見たことがない。短い言葉で強く表現するのなら―――」
そこで俺は言葉を一旦とめ、視線を宙にそらし考える。
10秒ほど考えて言葉が思い浮かんだが、それを言ったら引かれれることは確実。
視線を戻すとビスマルクがウキウキといった顔で俺の言葉を待っている。
他に言葉を思い付かないため、仕方なく言う。
「首を切り、頭をケースにいれて部屋に置きたいほど好きだ」
「私はあなたの手足を切断して、一緒にベッドで寝たいほど好きよ」
すぐにそんな言葉が返っておたがいにんまりと笑みをこぼす。
どちらも変わった愛情表現を持っていることに親近感を覚える。
そして、素敵な幸福感を味わったことで俺は満足し、仕事の途中だったことを思い出す。
ビスマルクの髪を両手で持ち上げてシャンプーのいい香りを楽しんだあとに執務机に戻り、櫛を机の上に置いてから引き出しに入れていた書類を出す。
次に来る艦娘の資料だ。ビスマルクが来てから俺が指揮する艦隊は、深海棲艦に対する戦果が向上したために新しい艦娘を配備してくれることになった。
駆逐艦が足りないため、上の好意で島風が配属予定だったがそれを断って俺の要望を通した。
そう、それは金髪の駆逐艦、皐月。
経歴書にあるカラー写真を見るとビスマルクとは違う、いい金髪に見える。跳ねている髪と癖毛。きっと猫みたいな感触の髪なんだろうと心が躍る。
写真を眺めていると足音が近づいてくるのが聞こえ、見上げると表情をなくしているビスマルクが俺の手から乱暴に経歴書を奪っては机の上で一瞬にして紙飛行機を作った。
それから窓のそばに近づき、外に向かって飛ばした。
「ビスマルク?」
声をかけるも返事はなく、執務机を挟んで俺の前に来ると、体をくるりと一回転させる。
金髪はビスマルクの体にあわせ、大きくなびく。
さらさらとした髪は宙に舞い、その光景に心を奪われる。
見惚れていて放心していると机の上に体を乗せ、俺の顎を素早くつかんできた。
「提督、あなたはわかっているはずよね。私の髪が一番だってことを」
「もちろん」
「金髪の皐月って子は断って。他の髪の子ならいいわ」
「でもな、他の金髪も見た―――」
「提督?」
顎を掴んできた手に力を入れられ、少し痛みが走る。
美しい金髪を持つビスマルクに嫌われるわけにはいかない。そうなってしまったら、ビスマルクは俺のもとからいなくなるかもしれない。
金髪成分が欠乏したら俺は以前のような無気力感を味わいながら厳しい軍生活をすることに。
けれど、でも、だけど。
「あなたには私がいて、私にはあなたがいる。これの何が不満なのかしら?」
「不満はない。お前が来てから俺は幸せだ」
「そうでしょう?」
満足げなにうなずき、手を離しては自分の髪を片手で持ち上げ俺に見せつけるようにその髪の毛を手から少しずつ落としていく。
視界の端に髪が落ちる光景をしっかりと見ながら予備の経歴書を出し、ペンで素早く確認のサインを書く。
「提督!」
自分の要求を受け入れられたと思ったビスマルクは俺の行動に思考が追いついていなく、書き終わった書類を机の引き出しに戻してから動き始めた。
机の上に置いてある櫛を手にとると、机の上にのせていた俺の右手めがけて強くぶつけてくる。
でもこの痛みに耐えなければいけない。ここで受け止めたり、助けを求める声を出すとこれから一方的に支配される生活になってしまう。
されるがままになり、痛みの声を我慢していると恍惚の表情を浮かべているビスマルクがいた。
「ふふっ、苦痛を耐える提督の声って本当にゾクゾクしてきちゃうわ」
何度も何度も櫛をぶつけられ、手の感覚がマヒしてきた。そのうちに櫛は折れてしまい、興奮した荒い息をつくビスマルクが静かに、けれど憎む目でにらみつけてくる。
右手には血が出て、指や手の甲の骨にヒビが入っている気がする痛みがある。
無事な左手をビスマルクの頭の上に持っていく。
途端、ビスマルクは目をつむり今にも泣きだしそうな顔になる。
俺は何も言わず、頭をできうる限りに優しくなでる。
繰り返しなでているうちに涙目になっていて、驚いているように目を開けて俺を見ている。
血が流れているのをみると彼女は乗っていた机から降りて、怯えながら俺の首に腕を回して抱きついてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんな―――」
ビクリ、と震えた彼女の肩に手を回す。
「大丈夫だ。嫌いになんてならないから」
ビスマルクが日本に来たときは、日本語の会話にひどく不自由したとビスマルクが来たときに書類に書いてあった。言葉がわからないまま、彼女は何人もの提督のもとで働いたが、言葉がうまくできないのに真面目でプライドが高く、扱いづらい彼女は他の提督に回され続けよくない扱いを受けてきたとのことだ。
俺のところへ来たときには、見ていて悲しい気持ちに襲われるほどに怯えながらドイツなまりが強い不自然な日本語であいさつをしてくれた。
ビスマルクの髪を見た瞬間、その美しさの可能性を感じて丁寧な扱いをビスマルクにした。
予想通り、手入れをした髪は会ったときよりますます美しくなり、元々賢かった彼女はすぐに日本語と日本文化を習得した。
「私、捨てない?」
「捨てない」
「本当に?」
「本当」
「髪が綺麗じゃなくなっても?」
「………………」
最後の問いに目をそらすと大声で泣き叫びはじめた。
うまく返事ができなかったことに後悔の念を抱きつつ、彼女を抱きよせて、唇が耳にふれる寸前まで近づける。
「俺がいる限り綺麗なままになるし、綺麗じゃなくなっても俺が綺麗にするよ。それじゃダメか?」
彼女の好みな声を小さく耳元でささやく。
泣きやみ、数秒ほど硬直したビスマルクは俺の肩を押して抱き寄せられた状態から離れ、キスをしてしまいそうなほどの顔の距離になる。
「ダメじゃ、ない」
耳まで顔全部が真っ赤になりながら照れて言う彼女の姿は、とても可愛い。
こんな可愛くもあり美しい彼女のことなら、少しの犠牲や怪我、不幸なことがあっても一緒に生きていけそうだ。
これが幸せかはわからない。
でも安心を感じる今の関係は結構好きだ。
どうかこの不自然な関係が長く続いていきますようにと願う。
ビスマルクの金髪は綺麗だなと思って書いた話。