【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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8.闇の胎動

 

 夜。

 時刻は正に、草木も眠る丑三つ時。古来より、魔物が跳梁し、霊魂が跋扈すると忌避されてきた刻限である。深夜とも早朝とも取れぬこの時刻に、外を出歩く者は皆無に等しい。

 否、今の冬木市に於いて、その数は文字通りの零。無防備に夜の街を出歩く者など、ただの一人とて存在しない。

 

 当然と言えば当然であり、異常と言えば異常でもあるその光景。片田舎であるならまだしも、冬木市は都会として認知されるに相応しい都市。常日頃ならば、この時間帯とてある程度の人影はある。しかし、今は猫の影すら見当たらない。夜の街を埋め尽くすのは、ただ息の詰まるような静寂のみ。

 それもそのはず。常人ならば、好き好んで死地に赴く動機などあるわけもない。何ら理屈を知らずとも、冬木市に住まう人間たちはその本能で危機を察していた。

 

 急増するガス漏れ事故。

 多発する失踪事件。

 原因不明の器物破損。

 夜の街を彷徨う不審者。

 

 報じられる数々のニュース。それが一つ二つならば噂と笑い流せようが、三つ四つと重なるならば紛れもない異常。その不穏な気配は、街中から着実に活気を削いでいた。緩やかではあるが、この街は確実に滅びへの道を歩んでいる。

 昼間ですら外出を避け始めた人々が、夜中に出歩く道理もない。故にこの時刻、冬木市という領域に在るモノは暗闇以外に存在しない。

 

 ──だというのに。

 

「──チ、こいつは酷えな。アレが何にせよ、ろくなモンじゃなさそうだ」

 

 人影など有り得ぬその都市に、飄々たる声が響き渡る。

 夜の街。ただ黒のみが支配するその土地に、唯一聳える青き痩身。

 その身に纏うはルーンの守り。右手に握るは真紅の魔槍。彼こそは紛れもなく、ランサーと呼ばれるサーヴァント。ケルト神話の大英雄、クー・フーリンその人である。

 

「ふん。どう見ても誘ってやがるな、ありゃあ。むざむざ罠に飛び込むのは趣味じゃねえんだが──」

 

 男がぼやく。血色の槍を無造作に掌中で弄び、退屈げに瓦に背中を預ける。民家の屋根に寝転ぶという無防備極まる姿でありながら、そこには微塵の隙もない。

 

「全員と戦え、だが殺すな、ってのがオーダーか。何とも面倒臭え縛りを掛けやがって。

 だが……あの野郎が何を考えてるのかは知らねえが、仕事はこなすのがオレの矜持だ。しょうがねえ、一丁働いてきますかねぇ──っと」

 

 身を預けていた瓦屋根から、億劫そうに身を起こすランサー。相変わらず、その体躯からは気合が感じられない。手に持つ槍がなければ、何のために起きたのかと勘繰ってしまいそうな、倦怠感に溢れた姿。

 だが、彼こそは太古の英雄。槍を掴み、戦い、勝つための存在であるサーヴァント。それが動いたならば、成すべきことはただ一つのみ。

 

 僅かに一瞬で、ランサーの雰囲気が切り替わる。神の血を引くその双眸は細められ、半身たる宝具を握る腕には微かに力が込められる。体躯が膨れ上がったと感じられるような闘気は、正しく英雄のそれに相応しい。

 しかし、それではおかしい。彼自身が口にした通り、彼がマスターから下された指示は敵情視察のみ。敵と戦えと命じられてこそいるが、殺すなとも言われている。故に、彼が無益な戦闘に及ぶ理由はない。敵の戦力を計るため、斥候としての役割を課せられたのがランサーなのだから。

 ならば──この殺気。滾り溢れるほどの殺意の渦は、何故ランサーから迸っているのか。

 

 降り注ぐ月光。闇に覆われた街並みが、束の間の光を取り戻す。その刹那、槍兵の瞳は確かにそれを捉えた。

 ──黒と紫。闇と血を体現したかのような、漆黒の衣に身を包んだ女。流れる長髪は、妖しく夜の風にたなびく。どこまでも美しいその幻影は、同時にどこまでもおぞましい実像を結ぶ。あんな気配を放つモノが、無害である道理はない。

 ランサーより、数百メートル程先の地点。小さなビルの屋上に佇むその影は、半神の英雄を以てして尚警戒するに値するモノだった。

 

「アレは蛇蝎の類か。どうにもキナ臭いと思っちゃいたが、こりゃいよいよおかしくなってきたな。

 それに──これは、腐った羽虫の臭いか。ハッ、薄汚えにも程がある」

 

 独語するランサー。女との距離を慎重に測るその姿は、既に万夫不当の戦士のもの。

 ランサーは、あの存在は己の敵であると確信している。サーヴァントである彼の敵とは、即ち同じサーヴァントでしか有り得ない。

 しかし……サーヴァントであるより先に、彼はその名を知られた英雄だ。そして英雄の敵とは、神話伝承に語られし魑魅魍魎、神魔妖魅の類に他ならない。アレこそはその種のモノだと、ランサーは直感的に把握した。 

 

 ──それは、有り得べからざる異常。聖杯戦争とは、英雄を召喚し競い合わせる大儀式。そこに英雄以外の不純物が介在するなど、この儀式を根底から覆す事態だ。

 

 だが、ランサーにとってそんなことは関係ない。彼の望みはただ一つ、命を賭した殺し合い。それさえ果たされるのであれば、それ以外の瑣事など気にする価値もない。

 故に、この男が思考するのはただ一点。あの敵が果たして何者であり、何を望んであの場に立っているのかという理由。

 あのサーヴァントが現れてから、既に数分。ランサーを狙うのであれば攻撃を仕掛ければ良いものを、アレはただあの場に佇むだけ。

 ランサーのように偵察の役目を命じられているならば、そもそもあのような目立つ場所に立つ必要はない。物陰から隠れ、様子を伺い見ればそれで済む。

 大魔術の詠唱か、或いは宝具発動の準備かとも疑ったが、それにしても長すぎる。そもそも、そんな切り札を何の罠もなしに使う理由はない。

 攻撃でもなく、斥候でもなく、準備でもない。となれば、残る可能性は絞られる。 

 先ほどからランサーは、幾度か女への接近を試みている。しかしそのたびに、あのサーヴァントは距離を取る。逃げるのかと思えば、一定の距離を保った後は動こうとしない。まるでランサーの動きを推し量るように、只管にその場に立ち尽くすだけ。

 逆にランサーが距離を取れば、あの女はすかさず距離を詰める。無論、ランサーの敏捷性を以てすれば他のサーヴァントを振り切ることなど容易いが、それでは何の意味もない。そもそも、クランの猛犬の異名を取るこの男に、逃げの選択肢など存在しない。 

 ならば、ランサーに残された道は一つだけ。明らかにこちらを誘うあのサーヴァントを追跡し、敵の罠に自ら挑むのみ。

 確かに下策ではあるが、ランサー自身はそれが無謀だとは思わない。不利な戦闘など慣れているし、如何なる罠とて食い破って見せるが英霊たる己の矜持。能力を制限されているとはいえ、生き残ることに特化したサーヴァントである彼ならば、どのような状況であれ生き抜けるだろう。

 

「ああやだやだ。オレは戦いに来たんであって、妖怪退治をしに来たんじゃねえっつうの──!」

 

 悪態を残し、ランサーが跳躍する。サーヴァントの中に於いても優れた筋力に加え、際立ったその敏捷性は、僅か一跳びで敵サーヴァントとの距離を半分に縮めた。

 ……しかし、この距離。数百メートル余りという長さは、最速のサーヴァントを以てしても瞬時に詰められるものではない。

 事実、槍兵が動いた直後。ビルの上に立っていた長身の影は、ランサーから逃れるように離れていく。ランサーがビルの屋上に着地した時には、謎の敵は電柱の頂点に移っていた。

 武器を取り出すことも、攻撃する素振りすら見せず、移動を繰り返すだけのサーヴァント。その面妖さに、ランサーが不快げに舌打ちする。

 

「ほう、なるほどな。怪物らしく、逃げ足は速いらしい。オレの足からどこまで逃げられるか、少しは楽しませて貰おうじゃねえか」

 

 再びのランサーの跳躍。同時に女も跳躍し、再び双方の距離が開く。

 追い縋るランサー。跳び離れる謎のサーヴァント。その単調な動きは、何時しか迫真の追走劇へと切り替わっていく。

 闇に沈んだ夜の街を、縦横無尽に駆け回る二体の人外。民家を跳び越え、公園を駆け抜け、街路を走り去る。サーヴァントの奇妙な鬼ごっこは、いつ終わるとも知れず続いていく。

 

 ──しかし。この世の全てに終わりがあるように、この遊戯もいつしか終幕に向かおうとしていた。

 

 理由は単純にして明白。追われる側より、追う側の脚力が勝っていただけの話。

 ランサーのクラスのサーヴァントは、高い敏捷性が必須とされる。中でもこのクー・フーリンは、最高の槍の使い手の一人。信仰度による能力の低下、令呪による力の制限、加えてマスターの力量不足という三重苦にも関わらず、その敏捷性は最高クラス。並の英霊に劣る道理はない。

 そして追われる側のサーヴァントは、それほどの速力を持たない。確かに並以上の速さではあるものの、大英雄の速度には一歩劣る。故に、何らかの手段を用いない限り、ランサーから逃げ切ることなど叶わない。

 

 縮まる距離。しかし、未だ必殺の距離には遠い。ならばどこまでも追い詰めるだけと、ランサーは更に加速する。

 命令に背くことにはなるが、あのサーヴァントはこの場で仕留めるべきだと、彼の本能は警鐘を鳴らしている。戦士として生きてきた勘に従い、彼は今夜あの敵を討ち果たす心積もりだった。

 そのランサーに反比例して、女の速力は落ちていく。魔力が切れたのか、或いは何らかの策か。どちらでも構わぬと、ランサーがその背中に狙いを定めて疾走する。

 ……やがて、謎のサーヴァントが足を止める。それを確認したランサーもまた、己の足にブレーキを掛けた。

 

「──ちっ。またシケた場所だな、此処は。恨み辛みの大合唱で、耳が痛いなんてモンじゃねえ」

 

 周囲を見渡すランサー。だが、獲物を追い詰めたというのに、その顔にはありありと不快感が浮かんでいる。

 それもそのはず。一般人ですら忌避するこの場所に、元来霊体である彼が何も感じぬ道理はない。

 

 ──市民会館跡地。

 

 未だ消えぬ十年前の傷痕。あらゆる検証を経て尚原因不明とされる、冬木を襲った大火災。

 犠牲者は数百人に及び、後遺症を残す者も数多い。焼け落ちた建物は無数、被害総額は災害のそれに匹敵する。否、事実それは災害そのものだったのだ。

 その出火元とされる此処こそは、焼き殺された数百人の怨念が染み付いた呪いの地。穏やかな外界から隔離されたこの公園は、一種の固有結界めいた異界となっている。

 そして。この場所こそは、十年前の聖杯戦争の決着の地でもある。それを知る者から見れば、またしてもこの場にサーヴァントが集うなど、運命の悪戯としか言いようがあるまい。

 

「嫌な場所に誘い込んでくれたもんだな、全く。何があったのか知らねえが、こちとら気分が悪くてしょうがねえ。

 ──だが、貴様にとっては気分が良いんだろうよ。昔から、ヒトの妄念を食い漁るのが怪物の娯楽らしいからな」

 

 嘲弄するように叩き付けられる、ランサーの冷たい言葉。だが、それを受けて尚黒衣の女は動かない。

 ランサーの感覚は、女が纏う血の臭いを鋭敏に嗅ぎ分けている。英雄ならば誰しもが持つ臭いではあるが、この女のそれはより一層陰惨だ。おそらくは、戦場ではない何処かで人を殺してきた女怪であろうと断言できる。

 

 ……しかし、ランサーの感覚が捉えたのはそれだけではない。血より尚臭うもう一つの気配を、彼は追走劇の前から察知していた。それを警戒するが故に、ランサーは攻撃態勢に移らない。

 この距離は既に彼の間合い、あのサーヴァントを仕留めるには僅かに一足で事足りる。実力は未知数だが、女が動くよりも速くランサーは己の槍を振るう自信があった。必殺宝具たる血の魔槍、その射程内に足を踏み入れた時点で敵の敗北は確定している。その運命を塗り替えるには、死を捻じ曲げる程の幸運か、槍の呪詛を防ぎ切るほどの概念防具が必要だろう。

 

「虫の悪臭だけかと思ったが、どうももう何匹か隠れてやがるようだな。

 妖怪に羽虫、そしてこれは──ふん、砂漠の虫か?どれだけ数がいるのかと思えば、虫けらと怪物しか出てきやがらねえとは、期待外れにも程がある」

 

 そう言い捨てて、ランサーは微かに肩を竦めて見せた。その双眸には、あからさまな侮蔑の色が宿る。

 謎のサーヴァントを一瞥した後、青い槍兵は真紅の槍を静かに構え──

 

 ──その、一瞬。

 

「────ッ!」

 

 闇に光る閃光。黒塗りのそれは、夜より尚暗い死を以て空を切り払った。

 その数は三つ、その狙いも三つ。喉笛、心臓、膵臓。悉くが人体の急所を穿つべく放たれたそれは──

 

「──まあまあだ。だが、侮ったな砂虫。オレにそれは上手くねえ。命を狙う前に、相手をよく見る事だ」

 

 事も無げに、槍の一閃によって打ち払われていた。

 

「わざわざ誘いに乗ってやったんだ、もう少し上出来な罠を期待してたんだが──この程度か。興醒めだ、戦士ですらない暗殺者が、二対一でオレに勝てるとでも思ったか」

 

 右手一本で、紅い魔槍を構えるランサー。粗野とも取れるその風貌には、明らかな不快感が見て取れる。挨拶もなしに命を狙われて、気分の良い道理もない。

 槍兵が打ち払ったのは、短剣の群れ。黒く加工され、並の刀剣とは形状の異なるその異形は、投擲短剣(ダガー)と呼ばれる殺人道具。闇夜に紛れ、人を殺すために暗殺者が用いる武具に違いない。

 しかし、眼前に立つ女の異形は未だ動かず。徒手空拳のまま、ランサーの様子を伺うように僅かに腰を屈めたまま。ならば、その短剣の群れは、一体何処から飛来したのか。

 闇が揺れる。木々の間、確かに何かが立っている。いや、あれは木の頂点か。この公園を隈なく見渡せるであろう、その場所で。

 

 ──()くない月。黒焦げの空に、白い髑髏が笑っていた。

 

「は────ッ!」

 

 戦いは、その瞬間に始まった。

 

 白い髑髏は無言のまま、雨のように短剣(弾丸)を放ち。黒衣の女もまた、虚空より鎖のような短剣を取り出した。

 雨霰と降り注ぐ短剣の弾幕。公園に立ち並ぶ樹木に紛れ、二体の人外が風と奔る。上下左右と襲い来る幾条もの短剣に、縦横無尽に闇を薙ぐ異様な鎖剣。あらゆる方向から放たれるその攻撃は、見切ることすら至難の業。空間ごと蹂躙しようと迸る閃光は、その悉くが急所狙い。牽制などなく、ただ相手を殺す為に掃射される弾丸は、脅威と呼ぶのも烏滸がましい。

 加えて此処は、月明かりさえ届かぬ闇の土地。黒く塗り潰された短剣は、例えセイバーのサーヴァントであっても対処し切れまい。

 

 ──だが。

 

「たわけ。こんな物がオレに効くか」

 

 その条理を覆す者こそ、英雄の現身たるサーヴァント。英霊の歩んできた戦場は、こんな生易しいものではない。

 繰り出される投剣を、不可解な軌道を描く鎖剣を、ランサーは弾き、防ぎ、切り、払う。余裕さえ見せつけるその姿は、闇に潜む影以上に異常だった。 

 敵対するサーヴァント。そのどちらか片方が相手なら、この結果も予測できる。幾条もの枷に縛られたとはいえ、クー・フーリンは高い技量と霊格を持つ大英雄。英霊と呼べるかどうかも怪しいサーヴァントになど、後れを取るはずもない。

 だが、今の状況は二対一。数で劣り、地の利を持たず、機先を制されたこの状況、二体ものサーヴァントを相手にしては持ち堪えるのが精一杯。罠に踏み込んだ時点で、敗北は最初から約束されているようなもの。後はただ、じわじわと嬲り殺されていくだけ。

 ……だというのに。

 

「そっちの砂虫は暗殺者(アサシン)、あっちの怪物は騎乗兵(ライダー)のサーヴァントか。なんともまあ、面倒臭え奴らが揃ったもんだ」

 

 冷静に周囲を伺いながらも、次々と死の刃を叩き落とす青の槍兵。手首を軽く捻るだけで、剣の群れは魔槍によって弾かれていく。

 

 ──当たっていない。あれほどの短剣、あれほどの弾幕は、一発たりともランサーには当たっていない。

 

 避けられたのでも、凌がれたのでもない。見切れぬはずの弾丸は、ランサーによって全て無効化されている。

 それは明らかな異常。鎧や盾を持ち出すならまだしも、手持ちの武器、それも槍のみで弾丸を防ぎ切るなど尋常な技では有り得ない。そもそも、長柄の武器とは防御するための物ではない。リーチの長さという利点は、同時に手元の攻撃には対処できないという欠点も備えている。

 ならば何故、視界の外から放たれる短剣を、軌道を変える鎖剣を、この男は悉く防ぎ切れるのか──?

 

「そして、どうもこれだけじゃなさそうだ。これ以上相手をするのも面倒だしな──そろそろ終いにするぜ」

 

 舌打ちするランサー。彼の頭脳は、既に敵の正体を割り出していた。

 この夜に至るまで、ランサーは四人のサーヴァントと戦い引き分けている。キャスター、バーサーカー、セイバー、アーチャー。自身を含めれば五人の英霊を、ランサーは既に確認している。

 ならば残ったクラスは、ライダーとアサシンの二つだけ。過去にはイレギュラークラスが存在した場合もあるが、此度の聖杯戦争では基本となる七クラスのサーヴァントのみが召喚されたとランサーは主より聞いている。ならばこの二体こそが、そのサーヴァント達だろう。

 

 人を殺す事に特化した髑髏の英霊は、アサシンのサーヴァント。

 正体すらも判然とせぬ黒衣の女怪は、ライダーのサーヴァント。

 

 同盟を組んでいる、或いは協力関係にあるサーヴァントが二組も存在した事実はランサーにとって予想外だが、そう驚くべきことでもない。自らより明らかに力量で劣るこの二体は、それぞれ単独で聖杯戦争を勝ち抜くことは困難だろう。協力関係になったとしても不思議な点はない。

 事実このまま戦い続けても、ランサーには負ける未来など見えない。単純な技量で相手を凌駕し、暗殺剣による罠も打破している以上、最後に誰が立っているかなど判り切っている。

 技量や能力値以上に、この二体はランサーにとって相性が良い。その理由は、相手の攻撃手段にあった。 

 見たところ、アサシンとライダーは双方共に飛び道具を主体とするサーヴァントだ。アサシンは遠距離から短剣を撃ち、ライダーは中距離から鎖剣を操る。闇に紛れた多重多角攻撃を相手にしては、並のサーヴァントなら討ち取られていた可能性すらある。

 だが、このランサーというサーヴァント。この男は、こと飛び道具を相手にしては無類の相性の良さを誇る。

 彼が持つ能力(スキル)の一つ、矢避けの加護。投擲武器であるならば、目に見える相手からの攻撃の悉くを無効化する、先天性の特殊能力。余程の宝具を用いぬ限り、ランサーに有視界距離からの投擲は通用しない。

 

「キ……!」

 

 奇声と共に、更なる投擲攻撃を仕掛けるアサシン。不気味な白面が、木々の間を駆け回る。

 放たれた短剣は六。狙われたのは、眉間、両目、腹部、両足。針の穴をも通す精密さで、全くの同時に放たれた剣閃は、今までにない鋭さを持つ。全ての攻撃を同時に捌かねば、青い槍兵に未来はない。

 一秒後に迫りくる死。避けることなど能わぬその刃を前にして……クランの猛犬は、闘気に溢れた笑みを浮かべた。

 

「ナ、ニ──!?」

 

 驚愕する暗殺者。その正確無比な動きが、刹那の間宙に止まる。髑髏の内に隠れる瞳は、信じられぬ物を直視していた。

 

「そら、これで終わりじゃねえだろう──!」

 

 回避も出来ぬ、防御も出来ぬ。そのはずの連撃、その為の投撃。だというのにこの英霊は、あっさりとそれを凌駕して見せた。

 その場で跳躍すると同時、大振りに槍を回転させ、全ての短剣を叩き落とす槍兵。闇に潜んでいるとはいえ、こちらに短剣を放ってくる以上、その位置は容易に予測できる。問題は、相手も常に動いているということ。

 

 ──ならば。相手が短剣を撃ち放った瞬間、そちらに同時に跳べば良い。

 

 自由な動きなど望めぬはずの空中。自ら刃に突撃し、倍加して迫る死を薙ぎ払いながら。一瞬にして、ランサーは木々の中に飛び込んだ。一度でも判断を誤れば、即座に死を招くその選択。それに笑みを浮かべるこの英雄は、如何なる精神を持っているのか。

 

「────ッ!?」

 

 その豪胆さに対し、意表を突かれたアサシン。束の間の硬直は、この敵を前にしては度し難いまでの隙となる。

 苦し紛れに放たれる投剣。至近距離より放たれるそれを、ランサーは右手の槍で打ち払い──

 

「ギ──ッ!」

 

 空いた左手。それを握り締め、髑髏の白面を殴り飛ばした。

 空中にて攻撃を放った直後の暗殺者に、それを避ける芸当など望めるべくもなく。強かに殴られたアサシンは、吹き飛び木へと叩き付けられた。

 轟音を立て、弾け飛んだ暗殺者の直撃を受けた木が破砕される。大木が砕けるほどのその衝撃、それを間近で受けたアサシンは相当の傷を受けたに違いない。サーヴァントたる者、この程度の殴打で死ぬことはないが、頭蓋に殴打を受けては無傷とはいかない。

 

「言ったろうが。オレに飛び道具は上手くねえと。

 ──そして、こうも言ったはずだ」

 

 着地するランサー。掠り傷すら負わずに暗殺者を退けた槍兵は、軽やかな身のこなしで地に足を付く。顔面を殴られたアサシンは、即座に起き上がってくることはあるまい。それ故のこの余裕は、強者の慢心とも言えるだろう。

 だが、ランサーが対峙している敵は一人ではない。黒衣に身を包んだ女性、ライダーのサーヴァント。英霊ともあろう者が、そのような隙を見逃すはずもない。 

 ランサーが着地する一瞬。空中であれば体を動かせようとも、ヒトの形をしている以上は地に降りるその刹那に、微かに無防備な間が生じる。加えて、ランサーは背を振り返ることもない。ならばその背に剣を突き立てるべく、ライダーが走るのは当然であり──

 

「命を狙う前に、相手をよく見とけってな……!」

 

 ──ランサーがそれを予想していたことも、また必然だった。

 

 燃え上がる炎。

 ランサーの背中を守るように、突如として地から噴き出した爆炎。昼かと錯覚させるほどの光熱に、ライダーの感覚器官が狂わされる。

 ただの炎であるのなら、頓着する理由はない。霊体に対して、物理攻撃は意味を持たない。炎など、例え核兵器の熱量であったとしてもサーヴァントの肌を焼くことは叶わない。

 しかし。今燃え盛る炎は、現世の理を離れたモノ。魔術への抵抗力を持つライダーであっても、無視することはできぬ技。咄嗟に飛び退いたその判断は、果たして本能の為せる業か。 

 ライダーの後退から、僅かに一瞬。炎の壁を突き抜けて、一秒前まで女の首があった空を紅い槍が薙ぎ払う。ライダーの首を刈り取るはずの一撃は、僅かに薄皮一枚を削ぐに留まった。

 

「……チ。いい勘してやがるな」

 

 立ち上る炎。揺らめく煙の向こうから、槍兵の声が低く響く。その敵の声に、ライダーは警戒心を露わにする。 

 

 ──クー・フーリン。彼が得意とするのは、何も槍だけには留まらない。

 

 伝承に於いて、彼は影の国で武芸を学び魔槍を授かった。その場所で、彼は数多の武術と共に魔術を学んだと言われている。

 文字を刻む事で神秘を具現化させる、太古の御業。原初十八のルーン魔術を、ランサーは完全に極めている。その技量は現代の魔術師を遥かに凌駕し、キャスターのサーヴァントとしての適性をも持ち合わせるほど。 

 ライダーに判らぬよう、彼が刻んでいたのは発火(アンサズ)のルーン。魔術への抵抗力を有するライダーをして警戒させる炎壁を、ランサーは一瞬にして作り上げたのだ。

 

 アサシンに攻撃すると同時、敢えて見せた隙。

 無防備な背中を守り、踏み入った敵を焼き尽くすための罠。

 壁に足を阻まれた敵への、壁越しへの槍撃。

 

 称賛すべきは、瞬時に三段構えの罠を考え出したランサーか、それを本能のみで躱しきったライダーか。

 立ち消える炎の壁。燻る煙を踏み越えて、無傷のランサーが姿を現す。魔槍と鎖剣を向け合いながら、二人のサーヴァントは距離を置いて対峙する。

 警戒するライダー。未だ感情こそ見せないが、その美貌に浮かぶのは純粋な敵意。この敵は容易には倒せぬと、ライダーは確かに理解していた。

 一方で。槍の穂先を揺らしながら、ランサーはライダーを観察する。無意識に武器の先端を揺らし、敵の視線を惑わせる高等戦術。それを無意識の内に繰り出す技量は、ランサーが如何に優れた戦士であるかを物語っている。

 

「残るはテメエ一人か。面倒なモンが出てくる前に、さっさとケリをつけるか──」

 

 疾駆するランサー。隼と見紛うその速さは、最速の英霊に相応しい。その余りの瞬発力に、ライダーの反応は僅かに遅れる。

 辛うじて短剣を掲げるライダー。しかし、その対処はあまりに愚策。横薙ぎに振るわれた槍の一閃は、拙い防御ごとライダーの体を叩き付けた。

 

 かは、と微かに漏れる声。苦悶の叫びを上げながら、ライダーは真横に弾かれる。致命傷こそ避けたものの、体重と遠心力の乗ったランサーの一撃は、ライダーの臓腑を激しく揺らした。

 勢いを殺しきれずに、ライダーが地面を擦っていく。この、僅か一撃で勝敗は決した。吹き飛ばされたライダーに、ランサーの追撃を躱すことなど不可能。

 

 だが、ランサーは動かない。敵を屠る絶好の機会であるにも関わらず、彼にはその権限はない。

 彼に課せられた命令は、敵と戦え、しかし殺すなという不可解な物。それが道理に沿わぬ命令とはいえ、令呪を以て下された指示には従わねばならぬのがサーヴァント。故にランサーは、戦うことは自由にできるが、初見の相手のみ必殺の一撃は放てない。

 いや、無理をすれば一撃程度は放てよう。相手が一人きりならば、それを以て決着とするのも悪くはない。しかし、令呪に逆らう代償として、ランサーの体躯に圧し掛かる重圧は増えていく。未だ戦線に戻れぬとはいえ、アサシンのサーヴァントをも相手取る以上、能力の低下は自らの死へと繋がる。故に、魔槍を放つべきタイミングは慎重に測らねばならない。

 

「二人掛かりだというのにこの様か。お前たちは、セイバーどころかあのアーチャーの足元にさえ及ばん」

 

 冷たく吐き捨てられる侮蔑。尋常な果し合いを望むこの英霊にとって、数に任せ闇に潜み、喉を掻き切らんと付け狙ってくる暗殺者は敵どころか障害でしかない。

 血に塗れ、影に隠れる後ろ暗い在り方。己と一合すら打ち合えぬ、稚拙なまでの技量。加えて、数と罠に任せた誇りさえ感じられぬ戦い方。そのどれもが、クー・フーリンとは相容れない。

 彼が今まで戦ってきたサーヴァントは、種別こそ違えど何れ劣らぬ強者だった。

 

 存在そのものが災害に等しい、己と同じ半神の身たるバーサーカー。

 神代の魔術を平然と使いこなし、大砲じみた大魔術を掃射するキャスター。

 魔術で隠してこそいたものの、最上級の宝具と圧倒的な力量を誇るセイバー。

 慧眼のみで自身に対抗し、魔槍すら防いで見せた底の知れぬアーチャー。

 

 誰も彼もが、戦場を求めて現界したランサーにとって競い合うに相応しいサーヴァント。令呪の縛りにより、初戦を全力で戦えなかったのは口惜しいが、二戦目となればその呪縛も解けるだろう。いずれ己の真の力を以て彼らと対決する時を、ランサーは何より心待ちにしている。その期待は、まだ見ぬ二体のサーヴァントにも等しく向けられていた。

 

 ──にも関わらず。アサシンとライダーは、その双方がランサーの期待外れだった。

 

 率直に言えば、ランサーは完全に失望していた。未だ宝具を見せぬ以上、警戒を解くことはできないが、このサーヴァントは二体とも、能力でも技量でもランサーには及ばない。挙句に姑息な戦術しか取れぬとあっては、落胆を通り越して怒りさえ覚える。

 

「つまらん。オレとまともに戦いたければ、さっさと宝具でも出すんだな。

 ──だがまあ、このまま戦うと言うのなら構わんぞ。お前がどう足掻こうが、次で終わりにするまでだ」

 

 ランサーの目が細められる。その途端、空間そのものが軋みを上げた。

 嘆息し、呆れさえ浮かべていた男の顔。今やそれは、敵を潰すための殺意へと塗り替えられている。

 

「く──っ!」

 

 構えを取るライダー。しかし、彼女とて己の不利はとうに知悉している。

 それでも、戦わねば自身が死ぬ。そうなっては、懐いた悲願が──主である少女を助けることが叶わない。それだけは到底、ライダーにとって許容できることではなかった。

 ならば、如何にしてアレに勝利するか。奇しくもランサーと同様に、枷を掛けられているライダーは十全の力を発揮できていない。それさえなければこうも圧倒されるなど有り得ぬはずだが、事実として彼女は窮地に立たされている。

 単純な能力でも技量でも劣る以上、自身に残された手段は宝具の開帳のみ。だがそれを用いたとしても、この英霊には抗し得るかどうか。

 

「そら、受け止めねえと死ぬぞ──!」

 

 ランサーにとって、ライダーの思案など関係ない。次々と迸る閃光は、敵を屠らんと間断なく放たれる。

 その速度は、アサシンの投擲より尚速く。セイバーに拮抗し、アーチャーを圧倒したランサーの槍捌きが、今宵再び顕現していた。 

 受けきれぬと判断し、回避に移るライダー。横に跳ねたその腕を、紅い軌跡が付け狙う。穂先が掠め、闇夜に朱い水滴が舞った。

 掠り傷など気にもせず、紫の髪を翻して女は跳躍する。アサシンが夜を制す蜘蛛ならば、それはさながら蛇の如く。柔軟性と瞬発力を極限まで活かし、ライダーは死の未来を回避する。

 冷たく正確に、それを追い詰めていくランサー。投剣による連射すら上回る弾幕を、片腕のみで繰り出すその技量は正しく称賛に値する。

 

「く、ぅ……っ──!」

 

 苦痛に呻くライダー。一撃ごとに己を掠める槍撃を、彼女は必死に打ち払う。ジャラジャラと鳴る鎖剣は縦横無尽に猛り狂うが、それすらも大英雄の前には無意味。

 フェイントを織り交ぜ、どんな角度から急所を狙おうとも、ライダーの攻撃は穂先を揺らされるだけで無効化される。逆にランサーの攻撃は、それがどれだけ無造作であれ、受けるだけでライダーの骨を軋ませる重みがあった。

 これをライダーの力不足と謗るのは酷な話だろう。寧ろ、彼の大英雄を前にしてここまで持ち堪えられていることこそが評価すべき健闘だ。

 元より、騎乗兵(ライダー)とは己の剣で戦う者ではない。神獣を、魔獣を、或いは戦車を、戦艦を乗り回し、その乗騎の力によって敵を葬るのがライダーの戦い方。

 加えて、ライダーはランサーと相性が悪い。そもそも戦士ではないライダーは、正規の戦闘訓練など受けていない。己の性能のみで相手と戦う他に、ライダーは取るべき戦法を持たない。

 対して、ランサーは影の女王(スカサハ)の指南を受け、数多の武芸を身に着けた掛け値なしの英雄。単騎で軍勢を押し戻し、幾度となく怪魔を打ち倒してきたその技量は、本能だけで戦う敵とは比較にもならない。

 

 性能差。技量の差。得物の差。相性の悪さ。

 経験の違い。超えてきた死線。潜り抜けた戦場。咄嗟の判断力。

 

 ありとあらゆる面に於いて、ライダーはランサーに劣っている──ならば、その結末は必然だ。

 

「ぁ、あ──ぐ…………っ」

 

 悲鳴と共に、ライダーの体が地を滑る。大上段からの叩き付けは鎖剣を以てしても防ぎ切れず、長槍の殴打を受けた彼女は、無残にも肩を砕かれ地を這った。

 受け身を取り、立ち上がろうとするライダーだったが、その動きは明らかに精彩を欠いている。眼帯に覆われた両の眼は、苦痛のみならず疲弊の色を宿していた。

 

「──フン。余分な縛りがあるのはお互い様、ってわけか。その様では、全力を出したくても出せまい。

 どんなマスターが付いてるのか知らねえが、そいつは余程の阿呆だろうよ。お前の力、その程度のモンじゃないだろうに」

 

 槍を片手で弄び、一歩一歩進むランサー。全くの自然体にも関わらず、その全身から発する闘気は些かも衰えを見せない。

 起き上がろうと全身に力を込めるライダーだったが、悲しいかな、彼女の肩は砕け、魔力は端から足りていない。そんな有様で、ランサーの歩みを止められるはずもなく。

 容易なまでに、必殺の間合いへと辿り着いたランサー。地に蹲るライダーを冷たく見下ろすと、何の躊躇もなくその首を刈り取らんと──

 

 ──その背中に。今度こそ、幾条もの短剣が降り注いだ。

 

「────なにッ!?」

 

 空を斬り裂く飛来音。それを察知できたのは、幸運値の低い彼にとっては存外の僥倖だった。

 ライダーを屠らんと振り上げていた槍が、百八十度旋回。そのまま背後に振り返り、剛槍を突き出し短剣を払う。その判断は間違いなく正解だったが、完全な不意を突かれた以上矢避けの加護は意味を為さない。心臓と首筋を狙った二本の投剣は防いだものの、もう二本は彼の左肩と右足を貫いた。

 

「チ──!」

 

 困惑と共に、即座に治癒のルーンを刻むランサー。傷口が淡い光に包まれ、流れ出していた血が止まっていく。追い打ちとばかりに降り注ぐ更なる短剣は、大きく虚空に跳び上がり回避した。

 華麗に着地した男は、解せぬと言いたげな目で闇の中を睨み据える。この短剣を放った者は一人しか居るまいが、つい先程アサシンには強烈な打撃を見舞ったばかりだ。強力な回復手段を持っているのでなければ、衝撃と脳震盪で今しばらくは動けぬはずだが──。

 ランサーの視線が向かう先は、木々の中。そこに佇むのは、紛れもなく笑みを宿した髑髏の面だった。

 しかし、ランサーの拳を受けたその面には罅が入っている。よく見れば、その手先や足元も微かに揺らいでいる。それは確かに、ランサーの殴打を受けたという証左だ。

 

「ありゃあ、薬でブッ飛んでやがるか。大麻(ハッシ)とは、つくづく無粋な道具を使う奴だ」

 

 回復したわけでもなく、防御したわけでもない。となれば、痛覚を無視して動いているという他考えられない。

 ふと横に目をやれば、倒れ伏していたライダーもいつの間にか復帰している。覚束ない足取りと、力なく垂れ下がる左肩は、彼女が受けたダメージの甚大さを物語っているが、サーヴァントたる者、この程度で致命傷に至るなど有り得ない。 

 瀕死のサーヴァント二体に対して、ランサーは殆ど無傷。投剣の直撃こそ受けたが、ルーン魔術を修めた彼にとっては傷の治癒など朝飯前。致命傷ならまだしも、手や足の怪我ならば毒が混じっていようとも治療できる。ランサーに大きく傾いた天秤は、未だ振り戻る気配がなさそうだ。

 

「それでもオレに向かって来ようという、その根性は買うけどな。もう少し、罠に嵌める相手を選んでおけ。

 ──もっとも、次があればの話だがな」

 

 轟、とランサーの槍に魔力が走る。それは確かに、宝具発動の予兆。

 風さえ生む魔力の猛りに、アサシンとライダーが構えを取る。しかし、この魔槍の前ではそれは余りにも無意味。"刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)"が放たれる前に術者を倒さねば、この二人にそれを凌ぐ手段はない。 

 ランサーとて、主の命令に背くという無理をしている以上、今放てる宝具は一撃のみ。だがその一撃で、二人の内どちらかは殺せる。

 命令違反の代償として今以上にステータスは落ちるだろうが、瀕死の相手に後れを取る理由はない。一撃で片方を屠り、残す片方も葬って見せよう。今夜の戦いは期待外れだったが、それでも二体ものサーヴァントを駆逐出来たという戦果は大きい。 

 油断も隙もなく、己が半身たる紅槍に魔力を込めていくランサー。地に伏せるような構えは、突貫すると同時に槍を発動させるためのもの。この間合い、ランサーの瞬発力を以てすれば瞬きの間に詰められる。今更逃げようと足掻いても、アサシンとライダーは逃げることなど叶うまい。

 

「"刺し穿つ(ゲイ)──"」

 

 紡がれる真名。その脅威の前に、アサシンとライダーは短剣の掃射を以て抗わんとする。

 だが遅い。彼らの刃が届くより先に、槍兵の宝具は彼らを駆逐する。対人宝具たるゲイ・ボルクは、その発動に要する時間も僅か一瞬で事足りる。

 地より浮き上がるランサー。一足で最高速へと至る加速力を以て、彼は白い髑髏を穿たんと狙う。

 ランサーが狙うのはアサシン。ライダーとて得体が知れぬが、後々の面倒さを考えれば、暗殺者を先に倒すべきという判断故だった。

 宝具解放まで、あと一節。ランサーを恐れたか、遁走しようと跳ぶアサシン、その心臓へと狙いを定め──

 

「"──死棘の(ボル)──"ッ……!?」

 

 地を走り、宝具を解放しようとした、その刹那。背筋に走った怖気に、ランサーは咄嗟に飛び退いていた。

 

「なんだ、コイツ──!?」

 

 宙空に舞うランサー。その直下、一秒前まで彼が居た場所。

 

 

 ──そこに。その『影』は立っていた。

 

 

 どこまでも黒い、悪夢の獣。

 アサシンやライダーの、その暗さすら凌駕する闇の魔物。水母のような実体感のなさと相まって、それはどこか海に棲むモノを連想させる。

 薄く、細く、長く、濃密な死の気配を撒き散らすその存在。影としか形容出来ぬ不可思議なソレは、何の前触れもなく、唐突にその場所に現れていた。

 

「────これ、は」

 

 左手にあった、この広場で一番背の高い木。その頂点まで飛び退いたランサーは、得体の知れなさに戦慄していた。

 眼下を見下ろす。一瞬前、槍を繰り出さんと構えを取ったその空間には、存在感のない、黒い触手のようなモノが蠢いている。 

 太古の昔、まだ神秘が溢れていた世界にて、影の国を旅し無数の怪魔を打ち倒してきたクー・フーリンですら、あんなモノは見たことがない。だが、初見でも理解できる。アレは間違いなく、バーサーカーをも上回る死の具現。

 あのまま宝具を発動していれば、確実に自分は死んでいた。槍が迸るより先に、穿たれていたのは自らの心臓だろう。何せアレは、出現する瞬間まで存在すら悟らせなかったのだから。初めから隠れていたのだとすれば、その隠密性はアサシンの気配遮断をも上回る。

 獲物を逃したと悟ったのか、不気味な触手はうねうねと靡く。周囲を探るように踊るソレらは──獲物を見つけたと言うように、一斉にランサーの方を向いて止まった。

 大樹の頂点にて、構えを取るランサー。如何なる手段でそれを察知しているのか、謎の影はするすると近寄ってくる。無数の手足だけのモノが、ヒタヒタと音を立てている。

 

「────」

 

 空が凍る。地が震える。この公園そのものが、その存在に怯えている。

 見たこともないナニカ。

 形も定まらず、ふらふらと揺れ、しかし何より確かなモノ。

 知性もなく、理性もなく、感情すらも有り得まい。そもそもアレは、生命という枠組みに留まらない。だがここに在る以上、ソレは確かに生きているのだろう。

 

 ──タリナイ

 

 頭もなく、体もなく、感覚すらも存在しない。だというのにソレは、確かにランサーを捉えていた。

 

 ──タリナイ

 

 届かない。あの影は実体を持たず、ただあそこに在るだけのモノ。数十メートルの高みに座すランサーを、捕えられるわけがない。

 だというのに、この背筋に走る怖気。それは生前、幾度となく感じた死の恐怖。これは確か、魔女の罠に嵌められた時にこの身を襲った予感ではなかったか。

 

 ──タリナイ

 

 ならば、答えは一つだけ。あの存在は、自分にとって『死』そのもの。いや、自分だけではない。およそサーヴァントとされるモノ、アレはその全ての天敵であると、ランサーはこの時確信した。

 気付けば、先程まで地に立っていたアサシンとライダーの姿はない。あの怪物から逃れるべく、早々に退却したのだろう。

 手負いのサーヴァントを逃したのは惜しいが、それも命あっての物種だ。他者の生死よりも、今はランサー自身の安全を確保するのが先決。

 

 ──タリナイ

 

 アレの目的は何か。そんなことは明白だ。同じサーヴァントであるアサシンとライダー、その二体が同時に消え去った以上、考えられるのは一つだけ。あの影は恐らくは、サーヴァントそのものを狙うナニカだろう。

 マスターでもサーヴァントでもないモノが、何の為にサーヴァントを狙うかなど、ランサーに知る由はない。ただアレに捕らわれれば呑まれると、それだけを直感する。

 木の上に居るから安全?そんなわけはない。同じ空間に在るだけでこれ程空気を凍らせるモノが、生易しい敵である道理はない。今すぐに撤退せねば、明日の朝日は拝めまい。

 

「──ち、何だあの化け物は。様子見も済んだ、そろそろ引き上げさせてもらおうか」

 

 一歩ずつ、歩みを進める深海の獣。ランサーは逃げられない。この空間の何処へ降りても、次の瞬間には影に捕らわれる。そうなれば、待っているのは死の運命のみ。

 

 ──だが、侮るな闇の影。この男こそは、生存に特化したサーヴァント。この程度が窮地と言うなら、英雄になどなれはしない──!

 

 刻むべきは強化のルーン。魔槍を用い、瞬きの間に築き上げた神秘文字は、自身の力を強化するもの。単純な効果ではあるが、ランサーの腕前を以てすれば、短時間であるなら各種能力の向上さえ可能にする。

 大樹まで辿り着いた影。何処までも伸びるのか、鎌首を擡げた蛇のように触手が走る。その希薄な存在感からは想像もつかぬ俊敏さで、妖魔はランサーを捕えようと──

 

「よっ──と」

 

 ──一瞬早く、ランサーが逃れる方が早かった。

 

 棒高跳びの要領で、枝に刺した長槍を支えにし、一気に跳躍するランサー。追い縋る無数の影は、その残像を薙ぐに留まった。

 強化された筋力と速力は、僅かな間といえども狂えるヘラクレスにさえ匹敵しよう。この空間が死地だと言うのなら、空間そのものから逃れるまで。 

 影から逃れたランサーは、それのみならず、公園そのものを跳び越えて民家の屋根に着地した。獲物を逃がした魔の手先は、まだそこに敵が潜んでいるとでも言うように、ランサーが立っていた枝を舐め回す。

 それを冷めた目で見上げると。安全圏に逃れたランサーは、己が相棒たる槍を担ぎ、闇に沈む公園に踵を返す。

 

「じゃあな。何者なのかは知らんが、オマエの相手は御免蒙る」

 

 そう言うと。霊体化した槍兵は、跡形もなく姿を消した。

 

 

***

 

 

「──逃したか。二体がかりでも及ばぬとは、儂の目も老いたものよ」

 

 ランサーが去り、何時しか謎の影も失せ、傷ついた二騎のサーヴァントもどこかへ消えた場所。何より不吉なその跡地に、響く第三者の声があった。

 するすると、闇が凝固する。より合わされた影は、混ざり、固まり、ヒトの形へと変貌していく。その体躯が何で作られているにせよ、尋常なモノではありはすまい。塵か、泥か、それとも毒か。

 

 ──否。それは黒より尚昏い、虫の群れではなかったか。

 

「しかし、アレを倒せなんだとは些か手痛いものよ。じき、白い器は開かれる。その前に、此方へ奪っておきたかったものだが──」

 

 ふむ、と老人のカタチをしたモノは思案する。

 今回の戦いが尋常ではないことを、老人は十年前から知っていた。故に彼は、今回の戦いは最初から見送るつもりで構えていた。

 だが、数年前。僅かな、本当に些細な偶然が、老翁の目論見を変えてしまった。いや、それだけではない。幾つもの歯車が絡み合って生まれた要因は、この聖杯戦争自体を変えてしまっている。一つでも状況が異なれば、ここまで歪むことはなかっただろう。 

 困ったことに、表層だけを見ればそこまでの異常はない。異常に巻き込まれている参加者も、未だ気付く気配は見せていない。恐らくは最後まで、ほとんどの者は気付かぬだろう。

 そんな危うげな状況で、『門』を開けるはずもない。仮に開けたにせよ、その向こうにあるモノには手が届くかどうか。

 

「白い器に気付かれては危うい。その前に、全てを終わらせておかねばならぬかのう」

 

 この狂った天秤に気付いた者が、自分一人ならまだ問題はない。しかし最低一人以上は、この事態に気付く者が現れる。中でも、『器』であり聖杯との繋がりも深い彼女が、この異常を無視できる理由がない。

 そうなっては遅い。アインツベルンに介入されては、老翁の計算が崩れる。弱り切った今の力で、千年を超える一族に太刀打ちできるわけがない。 

 今回を見送れば、確実にアインツベルンの手が及ぶ。前々回の戦い以降、手段を選ばぬ彼の一族。正当に聖杯に干渉できる名目があるならば、嬉々として自らに利するよう動くだろう。そうなれば、衰えるばかりの自分に待つのは敗北という二文字のみ。

 

 ──故に、今回で片を付ける。第五次聖杯戦争に於いて、聖杯を手にするのはこの自分だ。

 

 そのために、様々な布石を打った。誰も気づかぬ数年間、この老人は謀略に徹していたのだ。 

 老獪な翁が考えたのは、『器』の構築だ。

 元々は実験のつもりで使い捨てる予定だったが、アレは老人の予想を遥かに超えて適合した。今となっては、万全と呼んでも良いほどに仕上がっている。

 しかし、幾ら肉体が適合しようとも、アレの精神は存外に強靭だった。僅かな隙間さえ生まれればそれで良いにも関わらず、心が屈せぬ以上アレを動かすのは骨が折れる。事実当初の予定では、この段階まで到達するのはもっと後のはずだった。 

 十年間、聖杯の欠片に侵され抜いた実験台。聖杯の中身を埋め込まれたアレは、細胞の隅々まで変わり果てたものの、しかし器としてはまだ弱かった。

 そこで、老人は切り札を切った。十年前より所持していた、()()()()()聖杯の欠片。組み込まれては廃人になるであろうその魔具を、躊躇いなく実験台に埋め込んだ。 

 その結果。翁の予想通り、アレは悪の芽に耐え抜き、同時に屈服した。未だに心は折れぬようだが、肉体の方は完全に染まった。幾ら精神が抵抗しようが、身体が勝手に動くのではどうしようもあるまい。出てきたモノを制御できぬのが難点と言えば難点だが、その程度は幾らでも対処できる。

 

「持ち駒は揃った。後は他の駒を揃えるだけなのだが──はて、どうしたものかのう」

 

 クツクツと笑う老人。その笑みは、まるで腐り落ちるような邪悪さ。

 

「数ばかりは揃えたが──如何せん、正面から戦うには手駒が弱い」

 

 霊体化し、付近に待つはずの二体のサーヴァント。その無様さを、老人は嘲笑する。

 元より、自分の召喚したアサシンには期待していない。サーヴァントと戦わせるためではなく、マスターを殺すための存在がランサーに及ばぬのは当然だ。直接戦闘以外の面では実に有用なサーヴァントであるアサシンには、他に果たすべき役割がある。 

 だが、もう一体。アレの呼び出したライダーは、老人の期待に応えられるモノではなかった。

 三騎士でなかったのは残念だが、それでも強壮な宝具を持つ英霊。全力を出せば、先のランサーにも劣らぬだろうに、ライダーの性質はアレの方に引き寄せられている。そもそも、妖魔としての側面を期待していただけに、ヒトとしての姿で現れたのが間違いと言えば間違いだったか。 

 いずれにせよ、老翁にとってはライダーは期待できない。ならば最低でも、もう一つの駒は必要になる。ライダーより使いやすく、そして強力な手駒が。

 

「となればどれを奪うかだが、さて」

 

 前回の戦い、そのほぼ全貌を知る老人。単純に戦力として見るならば、この男が望むのはアーチャーのサーヴァント以外に有り得ない。

 監督役である神父のサーヴァントとして最大の脅威となったであろう彼が、未熟者のサーヴァントとなり全力を振るえぬという事実は降って湧いた幸運だ。なにせ、あれの力を以てすれば自分が集めた手駒など容易く蹴散らされよう。

 いや、それだけではない。他の六騎全てのサーヴァントを以てしても、果たしてあの英霊に抗し得るかどうか。前回の戦いを知る老人は、黄金の騎士の正体を知っている。だがその力の底は、数百の年を生きたこの老人の眼であっても推し量れない。

 あれを奪うのは余りにリスクが大きすぎる。おそらくは、御しきる前に此方の陣営は悉くが殲滅される。

 

「────っ」

 

 か細い声。思索に耽る老人を現実に引き戻したのは、その弱々しい声だった。

 

「──む?」

 

 小首を傾げる老人。だが彼は、立ち所に滑るような笑みを浮かべた。

 一体、いつからそこに立っていたのか。老人の影に隠れるように佇むそれは、弱々しい声で、「あの人を倒さなくてはいけないのか」と、馬鹿げた問いかけをした。

 

「────」

 

 当然だ。奪えぬのであれば、敵のサーヴァントもマスターもその全てを葬るまで。簒奪したモノは、今問いかけたその『器』に満ちていく。

 それを正直に伝える意味はない。だが、問われたならば答えてやろうと思う程度には、この老人は寛大だ──もっとも、その答えが善意に溢れる物である道理はないが。

 歪んだ喜悦を覆い隠して。妖怪は、物分かりの良い老人という仮面で表層を覆った。

 

「おまえがそう言うのは当然だがのう、これも可愛い孫を思っての事よ。爺としては、孫に敵討ちの一つもさせてやらねばな。

 ──おまえの良く知る衛宮の子倅は、あれに命を狙われたのだぞ」

 

 え、という小さな響き。

 信じられぬ、と言わんばかりのその驚き。しかし、僅かな……敵意という名の変化が、この空間には現れていた。

 それは、この存在の持つ唯一の罅。強固な扉を開けさせる、希望という名の魔法の鍵。そして──その鍵が失われようとする時、人は何より恐怖を感じる。

 恐怖の裏返しは、即ち敵意。穏やかで、脆く、だが何より頑丈であったソレの心に、ただの一言で憎悪という感情が入り込んだ。決して表に現れぬ、何より深く昏い魔の毒。

 それを気付かぬのは本人だけ。微かに生まれた不協和音を、元凶たる老人は敏感に察知していた。

 

「────ク」

 

 老人が嗤う。悪意に満ち、欲望に歪んだ妖怪は、蟲のように嗤っていた。


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