【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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11.突き付けられる矛盾

「もう大変だったのよ、士郎ーーーーー!」

 

 いつもの朝。食事の用意を終え、皆で食事を始めた頃、おっとり刀で駆けつけてきた藤ねえは開口一番にそう騒ぎ出した。

 一体何が大変なのか、と訊こうとするも、来襲した虎は席に座るや否や猛烈な勢いでご飯を食べ出したので、しばらく待たされることになる。

 皆がちらちらと視線を送る中、あっという間に茶碗一杯の米を平らげた藤ねえは、間髪入れずにお代わりを要求すると、ようやく次の言葉を口にした。

 

「昨日、弓道部の子が倒れたって話で、桜ちゃんとお見舞いに行ってたんだけどね。それがなんと、美綴さんだったのよ」

 

「あいつが……?」

 

 美綴綾子。

 弓道部の主将であり、竹を割ったような性格の美人だ。以前弓道部に属していた時の縁から、俺の友人となった人物でもある。様々な武道を嗜んでおり、およそ病気や事故とは縁のないヤツなのだが……あいつが倒れたというのは、尋常な話ではない。

 

「それで、大丈夫だったのか」

 

「んー……それがどうも、あんまり大丈夫じゃないみたい。お医者さんは、栄養失調か何かだろうって言うんだけど、美綴さんに限ってそんなことあるわけないじゃない?

 異常はないって話なんだけど、美綴さんの意識は戻らないままだから、そのまま入院だって。昨日は一日付き添ってたんだけど、大丈夫だからって言われて追い出されちゃったのよ。美綴さんは心配だし、これから職員会議だし、忙しくて食事も喉を通らないわ!」

 

 と言いつつ、二杯目のご飯もぺろりと完食する虎。ずずず、と味噌汁を飲み干すその姿の何処を見れば、そんな言葉が出てくるのだろうか。

 ……って、そうじゃない。美綴の容体について、もう少し情報を訊いておかないと。あいつの状態が心配なのは勿論だが、俺たちが結界に干渉した日に倒れたばかりか、異常はないのに意識不明という普通では考えにくい事態。これが、栄養失調などという言葉で片付けられるわけがない。

 横目でちらりと遠坂の様子を伺う。案の定、こちらの話に聞き耳を立てているようで、箸の動きが止まっていた。

 

「なあ、藤ねえ。美綴が倒れたって言ってるけど、あいつ、学校で倒れてたのか?」

 

「えっと、帰り道の途中で倒れたみたい。道端に倒れてたのを通りかかった人が見つけてくれて、救急車を呼んでくれたんだって。誰かに襲われたのかと思ったけど、外傷はないみたいだから、ちょっとは安心したんだけどね。

 士郎も気を付けなさいよ。ただでさえ士郎はバイトしてるんだから、いつの間にか疲れが溜まってバタリ、なんてことにならないようにね」

 

 食事を終えたせいか、少し真面目な顔になると教育者らしいことを言う藤ねえ。内容が内容だけに茶化す気にもなれず、無言でそれに頷く。

 

「桜ちゃんも、遠坂さんも気を付けてね。最近うちの学校でも体調崩す子多いし、時期的にも風邪やインフルエンザが増えてくる頃だから」

 

 真剣な表情のまま、藤ねえは横に並んだ二人にも声を掛ける。……今日の藤ねえはどうも真っ当な教師のように見えるのだが、何か悪い物でも食べたのだろうか?

 はて、と首を傾げる俺を余所に、桜と遠坂は素直に返事をしている。藤ねえの前だからなのか、いつものように遠坂は猫被りモードだ。それに対して、桜の方は元気がない。

 弓道部を辞めた俺と違って、桜は現役のままだ。親しくしている主将が倒れたというのだから、優しい性格の桜が落ち込むのは当然だろう。

 

「…………」

 

 心配になり、桜の方に目線を送る。美綴の事がショックだったのか、今日は口数も少なく、時折ぼーっとしているようだ。

 学校の結界も確かめたいし、美綴の安否も気になるし、桜も心配だ。色々なことが一度に起こりすぎて、何を優先すればいいのか判断がつかない。

 どうしたものか、とつい二人のサーヴァントに目を向けるが……既に食事を終え、何事かを考え込んでいるアーチャーと、黙々と食事を続けるセイバーの姿が飛び込んでくるだけだ。あまり当てにはできないだろう。

 ……と、卵焼きを咀嚼しながら思案していると、朝食を食べ終えた藤ねえが唐突に立ち上がった。

 

「あ、もうこんな時間じゃない! 士郎、わたし先に行くから、後の事はよろしくね」

 

 そう言うが早いが、脱兎の如く居間から走り去っていく藤ねえ。

 

「おう、気を付けろよー」

 

 後ろ姿に向けて声を掛けるも、次の瞬間には玄関の扉が閉まる音。動くと決めた藤ねえの動作が異常に素早いのはいつものことなので、肩を竦めて眼前の食事に向き直る。

 手元を確認すると、茶碗にはまだ半分ほど白米が残っていた。しかし……物騒な話を聞いていたせいか、先ほどまであった食欲は綺麗に消えてしまっていた。

 

 

***

 

 

「それじゃお先に失礼しますね、先輩」

 

 藤ねえが去った後。特に弾む話もなく、俺たちは早々と朝食を終えてしまった。

 洗い物に多少時間が掛かってしまったが、皿の量が多い分手伝ってくれる人手も多いので、予想していたほどの手間ではなかった。……約一名、ふんぞり返っていただけの金ぴかは除くが。

 我が家の朝食は早いので、洗い物の時間を差し引いても登校時間にはまだ余裕がある。いつもならその間、俺は家の仕事やら何やらを片づけ、桜は朝練に出るため早々に学校へ向かうのだが──。

 

「あれ。部活は一時中止だって聞いてたけど、朝練はあるのか?」

 

 ぺこり、と玄関で頭を下げる桜を見て。その違和感に、微かに疑問を抱いた。

 

「はい。放課後の部活は禁止になっちゃいましたけど、朝練はまだ大丈夫みたいです。

 昨日あんなことがあったばかりですし、本当はお休みにした方がいいんでしょうけど……他の部員の方たちにお伝えしなきゃいけないこともあるので、今日は頑張ってきますっ」

 

 気合の入った表情で、ぐっと腕を握り締める桜。だが……それは誰が見ても、明らかに無理をしていると分かるほどに痛々しいものだった。

 主将の美綴は入院中だが、他の部員たちはその事実を知らない。昨夜は藤ねえも桜も、他の部員に連絡を入れる暇はなかったはずだし、電話口で一々状況を説明するわけにもいかない。なら、朝練のために集まったところで、直接説明するのが手っ取り早いだろう。

 しかし……あの弓道場には、結界の基点がある。今すぐに発動するものではないが、あれはただ存在しているだけでも空気を悪くする。できれば桜を、あの場所に行かせたくはない。

 それを言うなら、結界が張られている学校そのものに行かせたくはないのだが……流石に、そこまでするのは無理というものか。

 けれど、何も知らない桜に魔術絡みの内容は話せないし、無理に引き留めることもできない。藤ねえが職員会議に顔を出している以上、事情を知らない弓道部員たちに説明をするのは桜の役目だからだ。

 どうすれば桜を危険な目に遭わせなくて済むのかと、内心で煩悶する。桜には、何も知らないままで平穏無事に過ごして欲しいのだが──。

 

「……ああ。でも、今日は仕方ないにしても、明日からは朝練もほどほどにな。あの美綴も倒れたんだ、桜まで倒れられたら困る」

 

「──そうですね。具合の悪い人も多いみたいですし、しばらくはその方がいいかもしれません」

 

 しょんぼり、と落ち込む桜。部活を日々の楽しみにしていただけに、それが削られるというのは嬉しい話ではないだろう。

 

「それじゃ改めて、お先に失礼しますね。先輩も、お体には気を付けてください」

 

 どんな言葉を掛けるべきか、俺が決めあぐねている間に桜は再び頭を下げる。その動きはやはり鈍く、本調子からは程遠いのだと感じさせる。

 励ますべき言葉を持ち合わせぬ俺に踵を返すと、後輩は静かに学校へと向かっていった。

 

「──ふうん。あの子も大変ね」

 

 と。いつの間にやら、音もなく俺の後ろに立っていた遠坂が、閉ざされた扉に向けて一言呟いた。

 

「綾子は倒れたって言うし、慎二は役に立たないでしょうから、あの子の仕事も増えるわよ。ホント、あの子まで倒れなきゃいいんだけど……」

 

「……なあ、遠坂。美綴の件って、やっぱり結界に関係があると思うか?」

 

 桜が心配なのか、学校の方角へと視線を向ける遠坂。その独白を遮って、気になっていた事を質問する。

 俺たちが結界に干渉した日に倒れ、未だ意識の戻らぬという同級生。学校ではない場所で倒れていたとは言うが、これが単なる偶然では有り得ないと本能が告げている。

 加えて、美綴は弓道部の主将。そして弓道場には、俺たちが見落としていた呪刻が存在している。その影響であいつが倒れたというのなら、あいつほど体を鍛えていない他の連中までもが倒れることになりかねない。

 そしてその中には、当然桜も含まれる。未発動の結界、それも末端に過ぎない呪刻がそこまで直接的な危険を及ぼすとは考えにくいが……もしあれの影響が出ているのなら、今すぐにでも桜を引き戻さなければ。

 

「いいえ。綾子の事件は、学校の結界とは別よ。直接見てないから断言はできないけど、藤村先生の話を聞く限りだと、多分魔力を狙ったサーヴァントに襲われたんだと思う。

 外傷はないのに意識が戻らない、って言ってたでしょ。それ、生命力を奪われた人間特有の症状よ。時間をかければ快復するものだけど、自然にそうなることは有り得ないわ」

 

「それ、本当か? なら桜は──」

 

「桜なら大丈夫よ。放課後ならまだしも、人の多い朝方ならサーヴァントも襲ってこないだろうし。弓道場の呪刻も、あれ単体だけじゃ大きな影響は出ないわ。

 慎二が見にいってたっていうのが気になるけど、結界を張ったのがアイツなら、尚更身内を巻き込むような真似には出ないはず。だから、あの子のことは心配いらないわ」

 

「……そうか。少し安心した」

 

 妙に力強く、まるで自らに言い聞かせるかのように断言する遠坂。やけに「心配いらない」と強調していた気がするが……多分、俺が桜を心配していることを先読みして気を配ってくれたのだろう。その気遣いに感謝しつつ、今聞いた情報を整理する。

 まず、結界と美綴の事件は無関係だということ。美綴が倒れていたのは下校途中の道だという話から、これは予測の範囲内だ。

 次に、美綴が倒れた原因はサーヴァントによるものだということ。思い返せば、街で頻発しているガス漏れ事件は、人々から魔力を奪い取っている何者かが引き起こしているという話だ。サーヴァントが魔力を糧とする以上、その手段は別段不思議ではない。

 だが、それにしてはおかしい。俺たちは、魔力を集めているサーヴァントはキャスターであるという予測を立てていた。それが今回は、夕方とはいえ白昼堂々と人間を襲うような真似に出ている。用意周到に犯行に及び、直接的な証拠を何一つ残していないそのやり口と今回の事件はあまりに違い過ぎる。

 合わない符号。成り立たない方程式。美綴を襲ったサーヴァントというのは……一体何者だ?

 

「──遠坂。美綴はサーヴァントに襲われた、って言ったよな。そいつ、誰だか分かるか?」

 

「うーん……推論の段階だけど、消去法で行けばライダーかランサーじゃないかしら。他の連中は、わざわざ一般人を襲うメリットがないわ」

 

 顔を顰める遠坂に、俺も同意する。

 アーチャー、セイバーでは有り得ない。理性のないバーサーカーには不可能で、キャスターならもっと上手くやるだろう。隠密行動、暗殺を得意とするアサシンの仕業でもない。

 となれば、残るのはライダーかランサーになるわけだが……あの青い槍兵が、そんな卑劣な真似に及ぶだろうか。あいつの人間性など知るはずもないが、それでもあの男からは、どこか気高さのようなものが感じられたのだが──。

 

「なんで、人目に付くようなことをしでかしたんだ……?」

 

 誰が実行犯にせよ、それがどうにも腑に落ちない。

 魔力を奪われているという点ではキャスターの手法、今街を騒がせているガス漏れ事件に似通っているが、今度の一件は隠蔽する気配すらない。そもそも、夕方とはいえ白昼堂々一般人を襲うなど、デメリットがあまりに多すぎる。

 合理性がないからこそ、逆に犯人の狙いが読めない。まさか何も考えずに動いているわけはないし、この杜撰さはまるで、犯行が露呈すること自体が目的とでも言うような……。

 

「──あ」

 

 待て。俺は昨日、ここではない場所で、全く同じ考えを持たなかったか。

 あれは、学校の弓道場。煌々と輝く呪刻を前にして、俺はこの結論に至ったはずだ。そしてその直前、あの場所に出入りしていたのは誰だったか……?

 

「…………まさか」

 

 そうだ。そう考えれば筋が通る。

 弓道部の部室にあった呪刻。弓道部の主将である美綴。同じく弓道部に所属し、不審な行動を見せた慎二。

 共通する単語は、「弓道部」。認めたくはないが、慎二が犯人だとすれば状況証拠はそれなりに揃っている。

 だが、目的は何だ。狙いは何だ。肝心のそれが、全く見えてこない。神秘が世間に露見するような行為の、どこにメリットがあると言うのか。

 皆には止められたが、やはり慎二に直接聞くしかないのだろうか。あいつが犯人なのか、そうではないのか、少なくともそれだけは確かめておきたい。友人を疑わなければならないというこの状況は、気分が良いものではない。

 

「士郎。何を考えてるのか想像は付くけど、あんまり深く考えすぎるんじゃないわよ」

 

 ぽん、と肩を叩かれる。床に注いでいた視線を上げると、険しい表情で俺を見つめる遠坂と目が合った。

 距離の近さにドキリとして、思わず後ずさる。そんな俺を意に介さず、腰に手を当てると少女は整った唇を開いた。

 

「今わたしたちが集中しなくちゃいけないのは、学校の結界のこと。なんでもかんでも首を突っ込んでたら、体が幾つあっても足りないわよ。

 気持ちは分かるけど、必要以上のことには手を出さないように。いいわね?」

 

 それは。友人よりも目的を優先とする、魔術師としての冷たい声だった。

 

「……ああ。分かってる」

 

 学校の結界と、美綴の事件の間に関連性はない。なら、これ以上その事件について悩むのは無駄だ。隠蔽がなされていないという点を除けば、一般人から魔力を奪うという行為に及んでいるサーヴァントは他にもいる。この一件だけをそこまで特別視する理由はない。それは知っている。理解している。

 しかし、美綴は俺の友人だ。俺は友人が誰かに襲われて、それを見過ごしておけるほど冷淡な性格はしていない。

 

「────」

 

 遠坂から視線を逸らし、静かに拳を握りしめる。放ってはおけないが、今の俺にはどうすることもできない。俺が成すべきなのは──倒すべき『敵』と相対する、その覚悟を決めること。

 

「──そういえば。士郎、アンタセイバーに呼ばれてたんじゃないの?」

 

「あ……やっべ、忘れてた。サンキュ、遠坂」

 

 悩んでいたせいか、その声を聞くまですっかり忘れていた。軽く遠坂に礼を述べて、靄のような迷いを振り払う。

 昨日の夜、セイバーが俺を鍛えてくれるという話が出た。それで早速、登校までの短い時間だが、俺はセイバーと長らく使われていなかった道場で鍛錬を積む段取りになっていたのだ。

 誰かに危害を加える奴を止める、関係のない人が巻き込まれてしまった時には、迷わず助ける。それが、俺が聖杯戦争に参加した理由だ。

 だが、所詮俺はただの人間に過ぎない。何の力も持たない凡人が、英霊や魔術師に太刀打ちできるはずがない。けれど、それでも……英雄として歴史に名を刻んだセイバーの訓練を受ければ、未熟な俺でも、誰かを助けることができるかもしれないのだ。

 そんな希望を抱きながら、廊下を抜け、ここ数年使っていない道場に向かう。掃除を欠かしたことはないが、実際にあそこを使ったのは大分昔の話だ。まだ切嗣が生きていた頃、俺はあそこで僅かながら格闘技を教えてもらっていた。あの時の経験や心構えは、今も俺の中に生きている。なら、これからのセイバーとの手合せも、きっと俺の糧になってくれるだろう──。

 

「悪いセイバー、遅くなった」

 

 立て付けの悪い扉を開けつつ、中で待っているであろうセイバーに声を掛ける。直後──飛び込んできた光景に、俺は目を奪われた。

 

「────」

 

 板張りの床。その隅に、美しい少女が座っていた。

 清楚な白のブラウスに青のスカート。幻想のように整った美貌と閉ざされた瞳は儚げな印象を与えるが、凛とした雰囲気が少女の存在感を確固たるものにしている。

 日本の家屋には不釣り合いな、西洋人形めいた容姿でありながら、しかし何よりも周囲に調和している。それでいて埋没することのない美しさは、常人とは明らかに異なる風格を醸し出している。

 

 そして──もう一人。金髪の美少女から数歩先、道場の反対側には(そび)えるように長身の青年が立っていた。

 

 冬であるにも関わらず、薄手のシャツに迷彩柄……いや、蛇を模した柄のズボンという軽装。首回りに見えるネックレスや、腕輪を始めとするアクセサリーは、一見すれば軽薄な遊び人とも取れる。

 だが──その気配。此処に在る存在全て、否、世界そのものすら畏怖させるのではないかという峻烈な威圧感が、男から軽薄な印象を拭い去っている。ただ立つだけで只者ではないと確信させる、超然とした男だった。

 一体何を見ているのか、こちらに背を向け腕を組む青年の表情は窺い知れない。しかしその後ろ姿には、容易に人を近づけさせぬ何かがあった。

 

 寂れた道場に過ぎぬはずのこの空間。サーヴァントという稀人を宿したせいか、見慣れたはずのこの場所は、まるで名画のように触れがたい神聖さを持つ異界と化していた。

 

「……? シロウ、桜はもう出かけたのですか?」

 

 雰囲気に呑まれて、呆然と立ち尽くす。そんな俺を、翠の瞳が静かに見つめていた。

 

「ああ、今見送ってきたところ。待たせちまったな、ごめん」

 

「いえ、お気になさらず。

 ──では早速ですが、シロウの鍛錬を始めましょうか」

 

 優雅な仕草で立ち上がるセイバー。その挙措に目を奪われながらも……俺は、アーチャーから注意を逸らすことができなかった。

 朝食の後、どこへ行ったのかと思えば、まさかこんな場所に来ていたとは。いつもの気紛れかもしれないが、この読めない男がわざわざ俺の鍛錬に立ち会うとは、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 

「……ん? 何だ雑種」

 

 俺の視線に気付いたのか、アーチャーがこちらに振り返る。どんな仕組みになっているのか、鎧を纏う時には天を衝くように逆立っている黄金の髪は、今は整った顔を彩るように下ろされていた。

 

「いや、何でアーチャーがここにいるのか、と思ってさ」

 

「ふん? 何故も何もあるまい。貴様が剣を振るうと聞いたのでな、サーヴァントとしてマスターの腕の程を見てやろうと思ったまでよ。

 ──なに、今のところ貴様らの邪魔をしようという訳ではない。我はただの観客だ、気にせず存分に汗を流すがいい」

 

 そう、思いがけず殊勝な言葉を放つと、アーチャーは壁際へ移動して再び腕を組んだ。常の通り、傲岸不遜なその態度に変わりはないが、真紅の瞳は何の感情も映し出さずにただこちらを見つめている。どうやら、本当に観戦するだけのつもりらしい。

 

「シロウ、これを持ってください」

 

 アーチャーと話し終えるのを見計らっていたのか、俺がセイバーへと向き直った途端に、ずいと何かを差し出される。反射的にそれを掴むと、硬い感触が返ってきた。これは……藤ねえがたまに持ち出してくる竹刀だ。

 

「あれ、いきなり竹刀を使うのか?」

 

「ええ。シロウは体を鍛えているようですし、基礎から学ぶ必要はないでしょう。技術を教えようにも、聖杯戦争で戦えるほどの技量が一朝一夕で身に付くはずがありませんし、そもそも私は人に物を教えるのは苦手です。

 ですので──この鍛錬は、実戦形式で行います」

 

「実戦形式?」

 

「はい。シロウには、サーヴァントの戦いがどういったものなのか、身を以て学んでもらう。それが何に繋がるのかは、自ずと理解してもらえるでしょう──少なくとも、無茶をしようという気は起こさなくなるはずです」

 

 昨夜のことをまだ根に持っているのか、半眼で俺を見てくるセイバー。うん、彼女の言いたいことは分かった。

 技術というものは、ちょっとやそっと齧った程度で身に付くものではない。才能や適性があったとしても、物を言うのは長年の努力と練習だ。弓道を嗜んでいた俺も、それは身に沁みて理解している。

 故に、ここで学ぶのは技術ではない。俺が習得するべきなのは、剣で打ち合うという経験であり「戦う」という行為そのもの。つまりは、習うより慣れろということだ。

 

「先手は譲りましょう。寸止めはなし、互いに殺すつもりで打ち合いましょう」

 

 竹刀を両手で構えるセイバー。その雰囲気は、抜身の剣のように鋭く細く尖っていく。殺すつもりというその宣言通り、手を抜くつもりはないらしい。

 ……ああ、上等だ。女の子とはいえ、相手はサーヴァント。圧倒的に地力で勝る相手に、手加減なんてできるはずもない。

 彼我の距離は僅かに数歩分。竹刀のリーチを用いて斬りかかるにしても、必ず一歩は踏み込む必要がある。重要なのは最初の一手、大上段から打ちこんでやる──!

 

「は──ッ!」

 

 

***

 

 

 ……結論から言うと。俺は手も足も出ず、セイバーの竹刀の嵐で一方的にボコボコにされた。

 最初の打ち込みは上手く行ったと思った。だが、直前まで防御の姿勢すら見せなかったセイバーが、視界から消えた次の瞬間……痛烈な衝撃と共に、俺の視界は暗転していた。

 後は、その繰り返し。俺がどんな方向から斬りかかってもセイバーには掠りもせず、俺はセイバーの攻撃を見切ることすらできずに喰らいまくる。何のまぐれか、最初の一撃くらいは防げることもあったが、二撃目までは受けきれない。つまりは、抵抗すらできなかったのだ。

 そんな調子で、三十分。荒い息をつく俺に対して、セイバーは汗一つ流していない。ここまで来ると、才能や力量を超越した格の違いすら感じられる。

 

「──はあ、はあ、あ──くそ、もう一回だセイバー……!」

 

「え……まだ続けるのですか、シロウ? これから、学校へ行くのではないのですか」

 

「あ──そういえばそうだった」

 

 どうやってセイバーに一太刀浴びせるか、それを考え込んでいたせいか今日は学校だということをすっかり失念していた。それほどまでに、セイバーとの手合わせには余裕がなかったのだ。

 全身から力を抜き、ふう、と大きくため息を吐く。セイバーの打ち込みを受けた腕や腹がズキズキと痛むが、普段から体を鍛えていたおかげか、そこまで気にするようなものでもなさそうだ。

 鍛錬には三十分程度しか時間を割いていないのも幸いした。もし何時間もこれを続けていたら、俺は打ち身や内出血だらけで動けなくなっていたことだろう。

 

「はあ……全然ダメだな、こりゃ。打たれっ放しってのは情けない」

 

「いいえ、そんな事はありません。シロウの打ち込みは力がありましたし、筋が通っていた。鍛錬を積めば、いい戦士になれるでしょう。

 サーヴァントである私に勝てないのは仕方がありません。寧ろ、私の剣を一撃でも防げたことを誇るべきです」

 

「む……」

 

 そう穏やかな表情で言われてしまうと、こちらとしては何も言えない。

 だが、サーヴァントと人間という違いを差し引いたとしても、何も出来ずに一方的にやられっ放しというのは格好がつかない。まぐれとはいえ、何度かはセイバーの一撃を防げていたのだ。なら、次は二撃目も防ぐのが目標だな。

 欲を言えば、セイバーに一発くらいは攻撃を当てたいのだが、そんなものは夢のまた夢だ。せめて、一撃で倒されない程度には自分を鍛えなければいけない。

 思い切り手加減をされて、しかも訓練用の竹刀を使われてこれなのだ。これが実戦であれば、即死することなど目に見えている。これでは誰かを助けるために、サーヴァントと戦うなど絵空事に過ぎない。

 

「……そっか。でもまあ、てんでダメなのは事実だし。悪いけど、また夜にでも稽古つけてもらっていいかな?」

 

「はい。シロウは熱心なのですね」

 

 心なしか、微かに口元を綻ばせるセイバー。先程打ち合っていた時とは打って変わって和やかな雰囲気に、心臓の鼓動が跳ね上がる。女の子に微笑まれるなんて、早々慣れるものじゃない。

 雑念を振り払うように、壁際に竹刀を立て掛ける。そろそろ時間になるし、今朝の鍛錬はここまでだ。

 

「ありがとな、セイバー。じゃ、俺はそろそろ学校に──」

 

 

 

「────愚か者どもが」

 

 

 

 底冷えするような声。落ち着いたはずの空間を引き裂いたそれは、鋭く俺たちを睨み据える黄金のサーヴァントから放たれたものだった。

 紛れもない侮蔑を宿したその声に、セイバーの表情が変わる。不愉快なのは俺も同じで、気付けば水を差したアーチャーを睨み返していた。

 一瞬にして緊張感に満ちる道場。二対の怒りの眼差しを受けながら、不機嫌そうに口元を歪めたアーチャーは、組んでいた腕を解くとこちらに一歩踏み出した。

 

「笑わせるな雑種ども。滑稽な笑劇(ファルス)も、ここまで来れば醜悪だ。揃いも揃って、何を履き違えているか。傍観に徹するつもりであったが、これでは見るに堪えぬわ」

 

「おまえ──」

 

 何を意図しているのかは知らないが、そんな事を言われて楽しい気分でいられるはずもない。だが、怒鳴りつけてやろうと開いた口は、血の色を思わせる瞳の前には無力と化した。

 こちらを嘲笑っているのかと思えば、アーチャーは真剣な瞳で俺を睨んでいる。只事ではないと直感させる眼光は、俺を黙らせるに余りあるものだった。

 

「小僧。貴様は何の為にこの鍛錬とやらに参加している?」

 

「それは……」

 

 当然、自分の未熟さを改めるためだ。

 この聖杯戦争で誰かを救いたいと言っても、今の俺には不可能に近い。サーヴァントという異形の前には、俺は蟻も同然だ。セイバーに師事し、自分を鍛えることで、せめてサーヴァントと打ち合うぐらいはできるようになれば、それが人助けに繋がるかもしれない。

 そう言うと、表情を変えないアーチャーは、冷たく俺を見下ろしたままもう一度口を開いた。

 

「では訊こう。貴様にとって人間を助けるというのは、『目的』か『手段』か、どちらだ?」

 

「は……? そりゃあ当然、『目的』に決まってるだろ」

 

「そうか。ならば何故、貴様は己の手で人間どもを助ける事に固執する?」

 

「え──?」

 

 二転三転するアーチャーの質問。いつも思うが、この男の矢継ぎ早の問いはついていくだけで精一杯だ。アーチャーの脳内では全てが繋がっているのだろうが、訊ねられたこちらとしては質問の意図を理解しきれず答えあぐねる羽目になる。

 口を半開きにしながら呆然とする俺を、アーチャーは凍えるような瞳で射抜く。人間離れした紅の瞳は、俺自身にすら自覚のない何かを見通しているのだろうか。

 

「この聖杯戦争に於いて他人を助けたいと言うならば、貴様自身が出張る必要などない。貴様の力が及ばぬのならば、サーヴァントの力を借りればよい。足りないならば余所から借用するというのは、貴様ら魔術師の常道であろう。

 だというのに、貴様は頑なに自らの力で雑種どもを救おうとしている。まるで、()()()人間を救わなければならないとでも言うようにな」

 

 容赦のないアーチャーの断言。その厳しさに、俺は今度こそ答えることができずに絶句した。

 俺は、正義の味方を目指したい。俺自身の中での定義もまだ曖昧だが、少なくとも俺にとっての正義の味方は、弱者を助けるべき存在だ。そうやって助けられた存在が俺だからこそ、今度は誰かを助けられるようになろうと思った。

 しかし、結果的に他人を助けられるのなら手段を問う必要はない。何の力もない俺自身が動くより、サーヴァントであるアーチャーに頼んだ方が遥かに効率がいいだろう。

 

 では──俺はどうして、自分の力で人を助けなければならないと思ったのか?

 

「…………ッ」

 

 目の前が歪む。視界が薄れる。自分の原点に立ち返ろうと考え込み……一番最初に出てきたのは、あろうことか、あの十年前の地獄だった。

 ぐらり、と体が傾く。俺を見かねたのか、アーチャーにセイバーが詰め寄る光景が視界の隅を過った。

 

「アーチャー、貴方は──」

 

「黙れ。愚鈍なのは貴様も同じだ、セイバー」

 

 自分の頬を軽く叩き、揺らいだ体を振り戻す。顔を上げると、アーチャーとセイバーが火花を散らして睨み合っていた。

 

「サーヴァントとマスターの役割。剣の英霊ともあろう者が、それすら解さぬとは言うまいな」

 

「ええ、当然でしょう。サーヴァントは戦う者であり、マスターは指揮する者。ですが、シロウはどうしても自分で戦いたいと言う。私もシロウに無駄死にをされては困りますが、彼が私の説得を聞くような人間ではないというのは十分分かりました。ですから、サーヴァントの戦いというものを指南しているのです」

 

「たわけ、それが履き違えているというのだ」

 

 憤然と吐き捨てるアーチャー。そこには、常日頃の蛇を思わせる笑みは浮かんでいない。この黄金の英霊は、殺意の色すら滲ませて俺とセイバーを見下ろしていた。

 

「よいか。そこの小僧が生き残る術を教えたいと言うのなら、戦闘訓練を施すのではなく、サーヴァントとの戦い方を教えるのが筋であろう。指揮官(マスター)としての兵士(サーヴァント)の運用方法、それを叩き込む事こそが常道だ。

 凡百の雑種が英雄と戦う? ──世迷言も大概にしておけ。セイバーよ、雑種の思い上がった鼻をへし折るのなら初手の一戦で十分だ。本気で此奴を鍛えようと考えていたのなら、些か失望を禁じ得ぬな」

 

 そう嘲るように言うと、アーチャーは俺に厳しい視線を送る。

 

「まだ解らぬか小僧、貴様ではどう足掻こうとサーヴァントには勝てぬ。このような戯れ事に意味などない。貴様の根底に何があるかは知らぬが、人間どもをサーヴァントから救いたいと言うのなら、手段に拘る事こそ何よりの愚挙。自分が何を為すべきなのか、何を考えるべきなのか、今一度己の裡に問うがいい」

 

 怒りよりも先に、驚きが感情を支配する。アーチャーは、ただ気に食わぬと感情のままに怒気をぶつけているのではない。侮蔑するでもなく、嘲弄するでもなく、俺とセイバーの双方に助言をしてみせるとは、ますますこの男が何を考えているのかが判らなくなる。

 思えば、この英霊はいつもそうだ。全てを見下し、突き放しているようでありながら、正論を口にし、こちらの背中を乱暴に押してくる。まだ数日しか経っていないが、この男が叩き付けてくる正論は、それが反論の仕様もなく正しいが故に始末に負えない。

 何も言い返せずに黙り込む俺。その一方、公然と自身を侮辱されたセイバーは、アーチャーに対して剣のような眼差しを向けていた。

 

「……貴方の言いたい事は分かりました。ですが、マスターである士郎を守る役目はサーヴァントである貴方でしょう。自ら守るでもなく、教え導くでもなく、貴方は一体何が目的でこのような事をするのですか」

 

「言ったであろう、この聖杯戦争とやらは我の戦いではない。故に、そこな雑種に付き合ってやる義理などない。

 だがこうも見応えのない醜態を晒されては、少しは老婆心も顔を出す。我の気紛れに感謝しておけ、セイバー」

 

 そう一方的に言い放つと、これ以上話す事はないとばかりに、出口へ向けて歩き出したアーチャー。呆気に取られて、その後ろ姿を立ち尽くしたまま見送る。

 ただ観戦していたかと思えば、嵐のように被害を撒き散らすだけ撒き散らし、さっさといなくなってしまったサーヴァント。その行為だけを見れば、ただの乱暴な男としか思えないが……あいつの言葉には、拒絶し切れない正しさがあった。

 

 ──何故、貴様は己の手で人間どもを助ける事に固執する?

 

 先程のアーチャーの問い。その質問に、俺は咄嗟に答えることができなかった。

 何故って……そんなものは、今更問われるまでもない。衛宮士郎は、『正義の味方』になりたいのだ。誰かが傷ついているなら、それを助けるのが俺の役割であり、当然のことだと受け止めてきた。それはこれからもずっと、変わるはずのないただ一つの理想。

 あの月夜の晩、俺は夢を引き継いだ。自分にとっては道標となるべき光であり、あの煉獄から救い出してくれた人。その憧れの英雄の最期を、今でも覚えている──衛宮切嗣は俺の答えに、安心したと笑って逝ったのだ。

 そう。それこそが、衛宮士郎の理想の始まり。炎の地獄で全てを失い、何も助けられなかったからこそ、その美しい夢に憧れた。

 

 ──人間を助けるというのは、『目的』か『手段』か、どちらだ?

 

 正義の味方。それは、人々を助けるための存在。できるだけ多くの命を助けるために、俺は今まで頑張ってきた。

 ……しかし、今。多数の命を助けたいのなら、手段を問うなという現実を突き付けられた。

 前にも言われた。命を確実に救いたいのなら、少数の命を見捨てるべきだと。全ての人間を救おうなど、思い上がった戯言だと。

 知っている。そんなことは理解している。けど、それでも──それでも俺は、多くの人を助けたい。現実に負けてしまったその時、この理想は崩れ去る。それだけは、絶対にあってはならないことだ。

 

「シロウ、大丈夫ですか?」

 

 セイバーに声を掛けられるまで。俺は、血の滲むほどに拳を握り締めていた──。

 

 

***

 

 

「何を為すべきか、何を考えるべきか、か……」

 

 改めて、アーチャーから言われた言葉を反芻する。あいつは、一体俺に何を伝えたかったのか。

 人間はサーヴァントに勝てない。それは覆せない道理だ。蟻が象に踏まれるように、蛙が蛇に呑まれるように。そこには絶望的なまでの差が存在する。

 聖杯戦争に巻き込まれた人を助けたいという願い。それを叶える為には、非道を行うマスターやサーヴァントを止める必要がある。あの英霊が言った通り、他の参加者を全て討ち果たしてしまえば俺の望みは叶う。だが……その道だけは選択できない。そうなったが最後、俺は他人を巻き込むマスター達と同列の存在になってしまう。

 

「…………ふぅ」

 

 昼休み。あの後味の悪い鍛錬の後、惰性で登校したはいいものの……俺は今一つ授業に集中出来ずに、ひたすらぼーっとしていた。

 ふと気が付いてみれば、教室に残っている生徒の数も少なくなっている。大方、食事のために移動していったのだろう。そういえば、昼食を食べることも今の今まで忘れていた。

 弁当は朝食のついでに作ってしまっていたので、他の生徒のように購買まで足を運ぶ必要はない。ただ、迂闊に教室で弁当を広げると、蜜に群がる虫のように男子生徒が近寄ってくるので、俺の取り分がなくなってしまうという問題が発生する。

 仕方がないので、いつものように生徒会室に行こうと腰を上げる──と。その瞬間、こちらに向かって歩いてくる友人と目が合った。

 

「どうした衛宮。おまえがため息とは珍しい」

 

 くい、と眼鏡を動かし俺を見下ろしてくる男。彼こそ我らが生徒会長であり、俺の友人でもある柳洞一成だ。片腕を上げて、心配そうにこちらを見つめる目線に答える。

 

「ああ、最近ちょっと疲れ気味なんだ。修行不足ってやつかな」

 

「む、これはますます珍しい。……そうだ、生徒会室に来ないか衛宮。良い茶葉が手に入ったのでな、疲労回復には効くぞ」

 

「それじゃ、お言葉に甘えますか。久々にお茶も飲みたいしな」

 

 どちらにせよ、生徒会室にはこれから行くつもりだった。よいしょ、と椅子から立ち上がって、鞄から弁当箱を回収しつつ先に歩き出した一成に着いていく。

 生徒が歓談する中をすり抜け、廊下を進んでいく。その途中、見覚えのある場所を通りかかった。

 

 ──廊下の隅にこびり付いた、赤い痕。

 

 それほど目立っていないし、ただのシミにしか見えないが、俺にははっきり分かる。ここは──俺があの晩、一度死んだ場所だ。

 あんな衝撃的な事件を、今まで失念していた自分に苦笑する。この数日で、俺を取り巻く環境は大きく変わってしまった。それこそ、見ず知らずの男に殺されかけたことが記憶に埋没する程に。

 曲がりなりにも、こうして学生生活を続けているが……この学校も、今では魔窟へと変貌してしまっている。そんな中で気を抜いていた俺は、魔術師としては確かにへっぽこなのだろう。警戒するべき対象である慎二が、今日も学校に姿を見せないというのも、緊張感を長続きさせなかった原因の一つかもしれない。

 張り巡らされた結界。姿を隠したマスター。一寸先は闇という状況の中、惰性で学校へと顔を出し、無防備なまま気を抜いている──なるほど。これは、危機感がないと遠坂に叱られるわけだ。自分が殺された現場に来るまで、いかに危ない橋を渡っているかという自覚もなかったのだから。

 

「──よし」

 

 ふん、と気合を入れ、先に進んでいた一成の後を追う。

 確かに俺は半人前の魔術師だが、聖杯戦争の参加者になってしまった以上、死地で気を抜くことは許されない。未熟な意識のままに行動すれば……あの夜の血だまりが、もう一度生まれることになる。

 あのサーヴァントも言っていた。何を為すべきか、何を考えるべきかを自分に問えと。

 遠坂と違って、俺に優れた魔術の腕はない。アーチャーのような慧眼を持っているわけでも、セイバーのような剣技を身に付けているわけでもない。では俺には? 俺には何がある?

 遠坂は言っていた。衛宮士郎には魔力の痕跡がない──それ故に、他の者には魔術師であるとは見抜かれない。なら、俺が活かすべき点はそこだ。この隠密性を活かして、衛宮士郎は立ち回らなければならない。

 アーチャーに叱咤された時、俺は何も言い返すことができなかった。それは、衛宮士郎という人間の芯が、出会って数日の他人にすら揺るがされる程度のものであったからに他ならない。

 このままでは駄目だ。自分が本当は何がしたいのか、その為にはどうするべきなのか……それすら見定められない根無し草は、聖杯戦争という大波に押し流されるだけだ。

 

「まずは、情報を集めてみるか……」

 

 そうと決まれば、まずは動く。元々、俺は頭がいい方じゃない。うじうじと悩んでいるより、やれることから始めた方がマシだろう。その過程で、何か見えてくるものもあるかもしれない。

 とはいえ、下手に動き回っては本末転倒だ。俺がのこのこと学校へ姿を見せているのも、他のマスターに俺の正体を悟らせないため。聖杯戦争の最中、学校に結界が仕掛けられている時期に欠席する──ただそれだけでも、俺がマスターかもしれないという疑念を与えることに繋がる。そんなギリギリの綱渡りをしているのだ、目立つような真似はできない。

 けど、そんな俺でも情報収集ぐらいはできるだろう。他人に疑問を抱かれない範囲で、という注釈がつくが……。

 

「……ん? どうした衛宮。入らんのか?」

 

「あ、悪い悪い。それじゃ、お邪魔するよ」

 

 背後からの俺の視線に気付いたのか、生徒会室の扉を開けた状態で一成が振り返る。誤魔化すような笑みを浮かべ、一成の後に続いて生徒会室に入る。

 都合の良いことに、生徒会室には他に誰も来ていない。これなら、俺と一成の話を他人に聞かれる心配もないだろう。出入り口から離れた机に持参した弁当を広げ、一成の他愛もない話に適当な相槌を打ちながら、それとなく一成の様子を伺う。

 が、特に変わった様子はない。まあ、変わった様子があってもらっては困るのだが……これでは友人を疑っているようで、俺としてもあまり気分は良くない。しかし既に慎二という前例がある以上、例え友人であっても、聖杯戦争の関係者であるかどうかと疑わざるを得ない……。

 可能性はほとんどないと思うが、仮に一成がマスターだった場合はボロを出す事など有り得ないだろうし、そうでなければこの時間は友人同士の世間話で終わってしまう。こちらから話題を切り出すべきか。

 

「なあ一成。最近、なんか変わったことはないか?」

 

「ん? 変わったことというと?」

 

「いや、最近物騒なニュースをよく聞くからさ。うちの近所でも夜中にヘンな音がしたとか、ヘンな連中が歩いてたとかいう噂があるし、一成の周りでも何か起こってないか心配になって」

 

 ……うん、まあ嘘は言っていない。

 居候中の金ぴかサーヴァントやあかいあくまの影響か、この数日で相手の言葉や反応についていちいち考える癖がついてしまった。この言い訳も、予め用意しておいたものだ。あくまで自然な世間話の範囲のはず。

 柳洞一成という人間は、この学校の生徒会長であるだけでなく、柳洞寺というお寺の息子でもある。そういった職業柄、噂や情報の類には聡いはずだ。

 

「ふむ……そうだな。幸い、俺の近辺で荒事が起きたという話は聞かん。変わったことと言えば、あの慎二が最近サボリ出したぐらいか」

 

「あー、それは俺も気になってた」

 

 昨日、皆の情報を照合してマスターであると判断した慎二。どんなアクションを起こしてくるかと不安を抱えながら学校に来たのだが、いざ到着してみれば肝心の本人はサボりという始末。しかし、それこそが却って疑念を深める事にもなった。

 慎二はあれでいて、規則を守ることに拘る。遅刻や早退など滅多にしないし、そうだとしても病欠などの理由を学校側に連絡している。それがこのタイミングで、連絡一切なしの完全なサボり。これだけ状況証拠が揃っている上でこの行動、誰がどう見ても黒だろう。

 一応、それとなく聞いてみるか。

 

「あいつ、風邪でも引いたのか?」

 

「さあ、俺の方では何も聞いておらん。慎二の妹の方も、心当たりはないと言うし……まあ慎二のことだ、そのうち連絡を寄越すだろう」

 

 そう平然と言いながら、中断していた食事を再開する一成。慎二の話を振られても、全く動揺した素振りは見せなかった。……話題を変えてみるか。

 

「そうか。それじゃ、お寺の方も異常なしか? 幽霊が出るとか」

 

「たわけ、うちの寺を勝手に幽霊屋敷にするな衛宮。

 ……そういえば。幽霊ではないが、見慣れない女が最近一人増えたな」

 

「……女?」

 

「ああ、外国人の客人でな。まあ、変わったことと言えばそれぐらいだな。お山は平穏よ、善哉善哉」

 

 そう言うと、ずずっとお茶を飲み干す一成。それに釣られて、俺も手元のお茶を口に含む。

 外国人の女、か。

 一昔前ならいざ知らず、現代の日本の都市では外国人を見かけることはそう珍しくはない。その例に漏れず、ここ冬木市でも外国人の姿はそこそこ見受けられる。が……この時期に、それもそう有名でもないお寺に外国人の女性が来るのだろうか?

 それも、ただ寺を訪問しただけではない。『増えた』という表現は、まるでその人物が寺に居座っているかのようだ。聖杯戦争と無関係、と片付けるには疑問が残る。

 しかし……半分冗談のつもりで聞いた質問だったが、予想外の展開になってきた。もっとその話を聞きたいところなのだが……これ以上質問を掘り下げては、不審に思われてしまう。とりあえずここは引き、新たな情報が舞い込んできた幸運に感謝しておこう。

 

「お、そろそろ時間か。教室に戻るぞ、衛宮」

 

 立ち上がった一成の言葉に頷き、いつの間にか食べ終えていた弁当を片付ける。お茶がまだ残っているのが視界に入ったが、今はそれどころではなかった。

 柳洞寺の女。考えすぎかもしれないが……この話、遠坂たちに伝えてみよう。

 

 

***

 

 

「柳洞寺?」

 

 夕方。美綴の件もあってか、まだ明るいうちに藤ねえと桜は我が家から去り、居間にはいつものように俺と遠坂の二人が揃っていた。

 それぞれの情報を突き合わせている中、怪訝な顔で俺の言葉をオウム返ししてくる遠坂。ああ、とその声に頷く。

 

「一成が言うには、最近柳洞寺に外国人の女性が増えたんだってさ。これって、聖杯戦争と関係してると思うか?」

 

「んー……ただの偶然じゃないかしら、それ。マスターがあんな辺鄙な場所に陣取るメリットが思い浮かばないし……それにお寺に住んでる人たちにも見られてるんでしょ? そいつがマスターなら、目立つような真似は尚更しないと思うわ」

 

 考え込みながら、そう自分の意見を述べる遠坂。手持ち無沙汰なのか、くるくる、と右手で髪の毛を弄んでいる。

 ちなみに、セイバーはまだ町内の見回り中。アーチャーは、どういう風の吹き回しなのか、また道場に足を運んでいるらしい。

 

「それじゃ、やっぱり俺の考えすぎか。……まあ、そりゃそうか。そんなに簡単にマスターの手がかりが見つかるわけもないもんな」

 

「それよりも、今は慎二の方ね。あいつ、今日は学校を休んでるみたいだけど……何か企んでるのかしら?」

 

 学校の結界。弓道場の呪刻。無断欠席した慎二。間桐家のサーヴァント。

 ピースは全て揃った。間桐慎二は聖杯戦争のマスターであり、サーヴァントを従えている。結界の基点にわざわざ弓道場を選んでいることから、その犯人も慎二でないとは言い切れない。

 美綴の件はただの偶然かもしれないが……それを差し引いても、慎二はあまりに怪しい点が多い。このまま見過ごしておくわけにはいかない。

 

「どうする? こっちから動いてみるか?」

 

「むざむざ相手のホームグラウンドに突っ込む理由はないわね。それにあいつの性格なら、そろそろ痺れを切らして動き出す頃よ。

 桜を通じて、わたしが衛宮邸(こっち)に居候してるのはあいつも知ってるだろうし……どうせなら、あっちの方から仕掛けてくるのを待った方が都合がいいわ」

 

「……ん? それ、どういうことだ?」

 

 遠坂の言葉が今一つ理解出来ず、首を傾げる。話が飛躍し過ぎたと思ったのか、遠坂は一言謝ると説明を付け加えてきた。

 

「いくら慎二でも、桜から『衛宮くんの家に私が居候していて、怪しい外国人が二人いる』って話ぐらいは聞いてるはずよ。私と士郎がサーヴァントと一緒に、協力関係を築いているっていうのは一発で分かる。あいつからしてみれば、ノーマークだった貴方がマスターだと分かっただけでも驚きでしょうね。

 そして、あいつはまだ自分の正体が知られてないと思ってる。ここに通ってる桜に、わたしたちが何もしていないのがその根拠。普通、敵マスターの身内を自分たちの拠点に出入りさせるなんて考えられないもの。その状況を逆手に取るわ」

 

 そうか……桜がここに出入りしていることについて何も言わなかったのは、作戦のためか。どうせ遠坂のことだから、何か考えているんだろうとは思っていたが……。

 ほう、と感心する俺を前にして、遠坂は秘蔵していた悪巧みの説明を始めた。

 慎二としては、妹である桜が他のマスターの家にいる状況は、人質を取られているようで気分が良くないはずだ。かといって、桜にこの家に出入りしないよう指示を出せば、俺たちは慎二の意図を勘繰る。言い訳は色々考えられるが、そこから慎二への疑惑が浮上してくる可能性もある。戦力で劣っている以上、自分だけが相手のマスターとサーヴァントを知っているはずだという情報面の優位が僅かでも崩れるような真似には及びたくないと思う。

 桜を利用してこちらの情報を探る、という手については考えなくてもいいだろう。桜は後ろめたい隠し事のできる性格じゃないし、慎二としても、聖杯戦争に関わらせていない妹を今更巻き込むとは思いにくい。

 どうにかしたいのに、どうにもできない。プライドが高く、堪え性のない慎二のことだ、何らかの動きを見せてくるに違いない。

 桜の安全を確保しながら、同時に慎二に圧力をかける。……流石は穂群原学園の才女、考えることが違う。

 

「うんうん、一発で伝わったみたいね。少しは考えるようになってきたじゃない、士郎」

 

「……おい。それ、今までは何も考えてないって言ってるようなもんじゃないか」

 

「その通りだけど?」

 

 悪びれもせず堂々とした遠坂の言葉に、ぐっと呻き声が漏れる。

 確かに、考えなしにバーサーカーに突っ込んで死にかけたという前科がある以上、そう言われると反論できない。が、俺は俺なりに色々と考えているのだ。

 アーチャーに何度も叱咤され、その度に現実を思い知らされてきたせいか、多少は俺も注意深くなっていた。まあ長い説明を一発で理解できたのは、遠坂の話が上手いからだろうが。

 

「まあ、真っ当なマスターならこっちのことは無視して、学校の結界に動きがあるまで待つでしょうね。結界を仕掛けたのが慎二なら、黙ってれば自分が有利になるんだし。そうでなかったとしても、結界が発動すればわたしたちは動かざるを得ないんだから、それまで待つのが得策よ。

 ……でもあいつの性格上、何もしないで様子見なんて有り得ないわ。学校に来なかったところを見ると、我慢できずに動き始めているみたいね」

 

 俺たちは慎二が従えているサーヴァントが何者なのか分かっていない。いくら数ではこちらが上回っているとしても、相手の正体が判らなければ対策も立てられない。こちらから攻め込んだとしても、慎二のサーヴァントがマスター殺しに特化したアサシンだったりしたら最悪だ。

 しかし、自ら動き出した時点で、あいつは自分に有利な間桐邸で戦うという選択肢を捨てている。あいつがこれからどう動くかは未知数だが、何もせずに待つという最善の手段を選ばなかった以上、あまり賢い作戦を立てているとは思えない。俺たちを攻撃するにしても戦力で負け、罠を仕掛けるにも不意を突こうにも、慎二がマスターであるという事実を知っている以上はどちらも成り立たないのだ。

 

「今のところ、俺たちが有利ってことか」

 

 そうぼそりと呟いて。いつの間にか、聖杯戦争のマスターという立ち位置を受け入れている自分に気が付いた。

 慎二は友人だ。可能なら、戦いなどせず穏便に済ませたいと思う。しかし……聖杯戦争に参加しているということは、あいつも何か、譲れないものを持って戦う覚悟を決めているのだろう。

 この数日、遠坂たちと過ごすうちに、俺は彼女たちの姿を嫌でも目にすることになった。記憶喪失のアーチャーはさておき、遠坂もセイバーも、聖杯戦争に対して明確な目的と覚悟を持っている。だから、彼女たちは強いのだ。目的のために、何かを犠牲にできる強さがある。

 俺は戦いたくはない。しかし、遠坂やセイバーの姿勢を見た後では、彼女たちの覚悟を否定することなどできない。それと同様に、慎二の持っているであろう覚悟や想いを否定することもできないのだ。簡単に、戦うなと言うのは傲慢だろう。

 けれど……自分のために他の、関係のない人間を巻き込むような真似だけは、断じて認められない。それだけは、戦ってでも止めてみせる。無用な犠牲を出したくないために、俺はこの聖杯戦争という馬鹿げたゲームに挑むと決めたのだから。慎二が一連の事件の犯人だとすれば、俺が止めなきゃならない。

 

「……ふうん。ようやく戦う覚悟を決めたみたいね」

 

 と。意味ありげな微笑を浮かべて、遠坂が俺を見つめていた。

 

「ああ。戦いに抵抗がないわけじゃない。それに、慎二を倒すなんてことは考えられない。

 けど……戦いが避けられないのなら、逃げ出すことだけはしない。あいつがふざけたことをしようとしてるなら、何とかして止める」

 

「及第点ってとこかしらね」

 

 表情を苦笑へと変えた遠坂。呆れられているのかもしれないが、これが俺のギリギリの妥協点だ。

 つまり、相手が一般人を巻き込む様な行為に及んでいるか、自衛のためにしか戦わない──それに、具体的な手段を提示したわけでもないのだから、他のマスターやサーヴァントを倒すことが前提の遠坂から見れば生温いのだろう。それでも及第点をくれたのは、遠坂なりの思いやりか。

 

「さてと、士郎もやる気になったようだし。折角だし、へっぽこ魔術師の指導でもしてあげましょうか」

 

 よいしょ、と遠坂が座布団から立ち上がる。そういえば昨日、セイバーには剣術を、遠坂には魔術をそれぞれ鍛えてもらう約束をしていた。

 切嗣から教わり、俺に可能な魔術はただ一つ、強化だけ。しかも、それすら満足に成功しないと来ている。いくら戦う覚悟を固めたところで、ろくに魔術も使えないようではマスターとして半人前以下だ。そんなわけで、少しでもこの状況を改善しなくてはならない。

 居候させてもらっている借りを返す、と言って俺に魔術の指南をするべく昨日から何やら動いていた遠坂。自宅から何か運び込んだりしていたようだが、早速それを使うのだろうか。

 

「準備は済ませておいたから、わたしの部屋まで来て」

 

 一方的に言い捨てると、遠坂は廊下の方にてくてくと歩いていってしまった。そうなると、俺は彼女に着いていくしかないわけで。

 どうにも嫌な予感がする。聖杯戦争なんてものに巻き込まれてしまったせいか、俺の前途は多難なようだ──。


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