【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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12.動き出す影

 ……また、夢を見ている。

 

 夢だと分かったのは、この風景を見たことがないからだ。こんな大都市に俺は来た覚えがない。視界には時々ノイズが混じり、古いテレビ画面を見ているようだ。

 そんな中、目の前にいる人影には見覚えがあった。逆立つ黄金の髪に、血の色の瞳。心なしか現実の姿よりやや若く見えるアーチャーは、悠々と街道を闊歩していた。

 気温が高いのか、他に目に入る見慣れない格好の人々は皆薄着だ。それと同様にアーチャーも、下半身にのみ黄金の鎧を纏い、紅の稲妻のような紋様が刻まれた上半身を惜しげもなく晒して歩いていた。

 現代であれば間違いなく職務質問されるであろうその恰好にも、この世界の人々は無頓着だ。……いや、そうではない。極力その姿を視界に入れぬよう、人々はアーチャーを避けている。彼らの表情には、等しく恐怖心と怯えが貼りついていた。災厄が来たとでも言うように、民衆は黄金の男へと道を譲る。大勢の人間がたった一人の男に怯える様は、ある意味滑稽でもあった。

 そんな異常な光景を一顧だにすることなく、アーチャーは道を進んでいく。その表情には何も浮かんでおらず、男が何を考えているのかは読み取れない。

 

「あれが、ギ――――王だ」

 

 恐怖と畏敬の念に満ちた民衆の声。一体何をすれば人々にこのような反応をされるのか、全く想像がつかない。

 やがて大通りらしき街道を抜けると、大きな広場のような場所に出た。広場の反対側には巨大な建築物が(そび)え立っており、まるで神殿のようにも見える。

 その建物を目にしたあたりで、アーチャーは一度足を止めた。男が軽く周囲を見渡すと、広場に屯していた人々が慌ててその視線から逃れるように離れていく。

 

「──、──か」

 

 アーチャーが、小声で何かを呟いた。相変わらずノイズが混ざったような風景越しにしかその姿を捉えられないため、何を口にしたかまでは聞き取れない。だがその口調には、多分に嘲りが含まれていたように思えた。

 再び歩き出すアーチャー。その視線は、神殿のような建築物へと向けられている。大きな広場を挟んで、そこまでの距離は随分離れているものの、それを気にする様子もなく男は進んでいく。

 人々が波のように広場から去っていく中、独り悠然と歩みを進めるアーチャー。まるで、伝説のモーゼの奇跡を目にしているかのような異様さだった。

 

「…………」

 

 と。王者の風格を纏わせていたアーチャーの歩みが、唐突に止まった。既に数えるほどしか人の残っておらぬ広場で……どこからともなく現れた人影が、アーチャーの進路を遮るように立ちはだかったのだ。その光景の異常さに、広場に残っていた僅かな人々も慌てて立ち去っていく。

 

「──ほう」

 

 誰も居なくなった広大な場所。王と闖入者、二人だけになったその空間で、アーチャーは笑みの形に口角を吊り上げて見せた。そこに宿るのは意外さへの興味か、それとも無礼者への怒りか。今この場では、少なくとも前者が勝っているように見えた。

 

「──、──?」

 

 アーチャーが言葉を発する。またノイズに阻まれ、はっきりと聞くことは叶わなかったが、恐らくは誰何の声を発したのだろう。その声に応じて、アーチャーに相対する人影が、徐に自らの風貌を隠すように纏っていた、布のようなものを脱ぎ捨てた。

 布の下から現れたのは、端正な美貌。完成された中世的な顔立ちからは、ある種作り物めいた、人形のような印象が浮かぶ。その下に続く肢体は、簡素な衣服に包まれながらも野生の獣のようなしなやかさを感じさせ、生命力に満ち溢れている。一見して男か女かの区別がつかない、不思議な外見だった。

 素顔を露にしたその人物は、若干の間観察するようにアーチャーの姿を眺めていた。一通り黄金の男の全身を見渡した辺りで、先刻のアーチャーの声に答えるようにその人物は口を開いた。

 

「……が、ギ…………い?」

 

「──だ。よもや…………な?」

 

 アーチャーは微かに笑みを浮かべて、謎の人物は無表情に、お互いに言葉を交わしていく。だがその過程で、アーチャーの表情がコマ送りのように、笑みから怒りへと変化していくのが見て取れた。二人の会話は聞き取れなかったが、恐らくは黄金の男の逆鱗に触れるものだったのだろう。今や、無表情なままの謎の人物に対し、アーチャーは烈火の如き怒気を露にしていた。

 我慢ならぬとでも言うように、アーチャーが右足で地面を叩き付ける。大地が揺れたかのように錯覚──いや、実際に地面には亀裂が入り、それだけで男の規格外の力と憤怒を感じ取るには十分過ぎた。

 

「貴様が、我を諌めると?」

 

 突然、声がはっきり聞こえるようになった。既にアーチャーの怒りは殺意という域に昇華し、刺し貫くように眼前の無礼者を睨み据えていた。

 

「そうだ。僕の手で、君の慢心を正そう」

 

 殺意の嵐に動じる事もなく、外見同様中世的な声で、人形めいた闖入者は頷く。その返答を聞くや否や、アーチャーの表情は嘲笑に変化し──そしてその瞬間に、戦いは始まった。

 背後に手を伸ばしたかと思うと、アーチャーの手にはあの黄金の剣が握られていた。風よりも疾く、断罪の刃は謎の人物の首へと向かう。

 

「──、──!」

 

 アーチャーが何かを口にする。その顔は余裕と侮蔑に満ち溢れ……一瞬後に、驚きと怒りに取って代わられた。

 黄金の剣が振るわれた直後。布の下から現れた謎の人物の右手が泡立つように変化し──剣となって、アーチャーの一撃を受け止めたのだ。

 

「は──!」

 

 息もつかせず、アーチャーの攻撃を弾いた剣が振るわれる。防御に回るのは、今度はアーチャーの方だった。

 見る見るうちに、戦いは激化していく。アーチャーは空間に浮かび上がる波紋のような物から、次々と武器を取り出して敵を攻撃する。もう一方の人物の方は、最初に見せたように手や足を剣や槍といった武器、或いは防具へと変化させ、アーチャーの攻撃を時には凌ぎ、また鋭い反撃を繰り出していく。どちらも人間では有り得ず、またその戦い方も尋常ではなかった。

 

「おのれ──土塊風情が、我に並ぶか!」

 

 アーチャーが槍を投擲すれば、もう一方は体を泥のように変化させ、包み込むように槍を絡め取る。また、謎の人物がその槍を投げ返せば、アーチャーは背後の空間から大盾を取り出して防いだ。

 謎の人物が大槌へと変じた左手を殴り飛ばすように振るえば、アーチャーは間髪入れずに鎖鎌を振り回してその左手を切り落とす。切り離された左手は再び泥のような形状に変質し、主人の元へと戻っていく。その一瞬の隙を見逃さず、アーチャーの取り出した銃器が火を噴くと、今度は謎の人物の体が膜のように変化して弾丸を弾き返した。

 片方が次々と超兵器を繰り出し、もう片方が次々と体を不可思議な形状に変異させていく。冗談のような双方の戦いに、広場の大地は捲れ上がり、空には巨大な火柱が幾本も立ち上った。

 次第に、俺の見ている光景に混じるノイズが酷くなってきた。凄まじすぎる戦いの影響を受けたのか、ノイズだけでなく、段々と視界がぼやけていく。二人の戦いがどうなったのか、結局その先を見ることはできなかった。

 

 

 立ちはだかる者。突然の戦い。膨れ上がる憤怒と殺意。それらはまるで、俺と慎二の行く末を示しているようだった。

 

 

 

***

 

 

 

「あ、つ──ッ?」

 

 目を開いた時、最初に感じたのは熱さだった。その違和感で、夢から覚めたのだと感じ取る。

 昨日の遠坂の訓練のせいで、体中が熱を持っている。風邪やインフルエンザのような気怠さとは違うのだが、とにかく体中が本調子じゃない。昨日のアレが、結構体に響いているようだ。

 昨晩は手始めに、遠坂の前で強化の魔術の実演をして見せたのだが……その成否は兎も角として、俺は事の最初から色々と間違えていたらしい。自分の体内で魔力を生成する時点で既におかしかったというのだから、遠坂が呆れる理由も納得だ。

 普通の魔術師は、まず最初に魔術回路を作る。一度それが出来てしまえば、後はその回路を動かすだけでいい。遠坂は、スイッチを入れるようなものだと言っていた。

 ところが俺は、毎回長い時間をかけて、それこそ命がけで魔術回路を一から作ろうとしていた。これは危険なばかりか、とんでもなく無駄な行為だそうな。

 そんなわけで、まずは魔術回路のスイッチを切り替えるための調整を受けたのだが、これがかなりきつい。それこそ何年分もの間違いをいきなり正そうとしたのだ、身体に負担がかかるのは当然だろうが……結局、昨日の魔術の訓練はそれだけで終わってしまった。

 

「変な夢は見るし……厄日だな」

 

 ここの所、運に見放されている我が身が恨めしい。最近は奇妙な夢も見るようになったし、就寝中でも安心できないというのだろうか。

 

「くそ、今何時だ……?」

 

 悪態をついて、部屋の隅にある時計に目を向ける。……時刻は七時十五分過ぎ。やばい、完全に寝過ごした。

 思考を切り替える。魔術の訓練よりも、今は優先すべきことがあるのだ。

 

「朝飯用意しないと……このままじゃ藤ねえが暴れ出す」

 

 慌てて寝間着から着替えながら、この後待ち受けているであろう阿鼻叫喚の地獄を想像して嫌な気分になる。餌を貰えなかった猛獣がどうなるかなど、火を見るより明らかだ。

 しかも、今うちに居るのは虎だけではない。寝坊して朝食が抜きになったなどと知られたら、遠坂やアーチャーに何を言われるか……手抜きになってしまうのは仕方ない、一刻も早く朝食を用意するのが先決だ。

 適当に着替えを済ませ、大急ぎで顔を洗い、そのまま台所目指してダッシュ。頭の中で冷蔵庫の中身と残り時間、そしてその条件下で可能な献立を計算しながら、居間に駆け込み──そのまま台所に突っ込む直前で、異変に気付いた。

 

「え、もう朝飯できてる? なんでさ?」

 

 居間に入った俺の目の前に広がっていたのは、テーブルにきちんと広げられた朝食だった。トーストに目玉焼き、レタスのサラダにソーセージ、おまけに牛乳までが用意されている。ちょうど、俺が残り時間で作ろうとしていたメニューそのものだ。何が何やら状況が処理できず、その場に立ち尽くしてしまう。

 

「おっそいわよー! いつまで寝惚けてんの士郎ー!」

 

 むしゃむしゃ、とレタスを頬張っていた藤ねえが、右手でフォークを振り回して気炎をあげる。そこ、食器で遊ぶんじゃない。

 

「悪い、寝過ごした。……これって、まさか藤ねえが料理するわけがないし、また桜が作ってくれたのか?」

 

「失礼ねー! わたしだってその気になれば朝ごはんぐらい作れるわよーっ!

 ……あ、ちなみに今日は桜ちゃんはお休み。体調崩したって、さっき連絡があったの」

 

 桜が体調を崩した……?

 桜への心配と同時に、聖杯戦争のことが頭を過る。まさか、慎二の指示でここへ来れなくなったのか。美綴の件で心労も重なっているだろうし、本当に体調を崩している可能性も否定できないが……いや、それは後で改めて遠坂たちと相談すればいい。

 今はまず、桜の無事を確かめないと。もし桜の身に何か起きたというなら、朝食どころの話ではない。

 

「それで、桜は大丈夫なのか?」

 

「うーん、最近色々あったし、疲れが溜まってたんじゃないかしら。桜ちゃんが心配なのは分かるけど、そんなに深刻な顔することないわよ、士郎」

 

 大丈夫大丈夫、と藤ねえが笑って見せる。どうやら、顔にありありと感情が出ていたらしい。

 というか冷静に考えてみれば、そこに座って朝食を食べている遠坂とセイバーが落ち着いている時点で、今すぐ騒ぐような状況でないのは明白だ。我ながら、急な話で冷静さを失っていたようだ。大きく息を吸って、一旦落ち着こう。

 ……ってあれ。藤ねえと遠坂とセイバーの姿は見えるけど、最後の一人はどこに行ったんだ?

 

「──我よりも後まで寝ているのは、これで二度目だな雑種。まこと、呆れるほどの無礼さよ」

 

 と。姿の見えなかった最後の一人が、サラダの載った皿を片手に、台所から姿を現した。

 

「…………え?」

 

 意外さに固まる俺の横を通り過ぎ、皿をテーブルに置いたアーチャーが席に着く。その隣の席が空いていたので、自然と俺もそこに座ることになったのだが……。

 

「え、まさかアーチャーが朝食作ったのか? というか料理できたのかあんた?」

 

 朝方見ていた夢よりも更に非現実的な光景に、思わずひそひそと小声で話しかけてしまう。よりにもよって、この我儘が服を着て歩いているような男が自分で手を動かすなど有り得ない。寧ろ、他人に命令して豪勢な料理を持って来させる姿の方が似合っている。確かに手のかからないレシピではあるが、それにしたって藤ねえが作ったと言う方がまだ現実味があるだろう。

 俺の疑いの眼差しを浴びたアーチャーは、不機嫌そうに鼻を鳴らしてそれに答えた。

 

「ふん、我にもそのつもりはなかったのだがな。調理場には酒を取りに赴いたのだが、勝手に体が動いていた」

 

「それって……ひょっとして、記憶が戻ってきてるんじゃないか?」

 

 体が自然と動く。それは単なる条件反射であったり、長年染み付いた習慣であったりと様々な理由があるが、この場合前者は有り得ない。とすれば、アーチャーには料理の習慣があったということになるが……やはり腑に落ちない。アーチャー本人の人格と全く合致していないというのもそうだが、サーヴァントに料理ができるはずがないのだ。

 この男がどんな英雄なのかは知らないが、時代錯誤なあの鎧や剣から見ると、どう考えても遥か昔の人物だ。当然ながら、昔の調理法と現代の調理法は天と地ほどに違うし、いくら聖杯が凄くても朝食の作り方までサポートしているとは思えない。

 アーチャーが常人離れした頭脳を持っているにしても、料理はチェスや将棋とは違う。俺は毎日料理をしているから分かるが、目玉焼き一つにしたって、素人とベテランでは明確な差異が出る。こればかりは、勘と経験が物を言う。ところが今俺の前にある目玉焼きは、半熟になるよう絶妙に調整されている。

 古代の英雄が、習慣になるレベルで現代の調理法を身に着けている。この矛盾に、ひょっとすればアーチャーの正体の鍵が隠されているのではないかと思ったのだが──。

 

「──いや、何も思い当たらぬな。まぁ些末事はどうでも良い。この我が手ずから料理を振舞ってやったのだ、身に余る大恩に感謝せよ雑種。本来ならば、感涙し平伏すが礼であろう」

 

 ……そしてこの態度である。この男が朝食を作るという異質さに違和感が拭えないが、少なくとも俺様ぶりはご健在らしい。どうせならその性格も変わっていて欲しかったのだが。

 

「確かに驚きました。まさかアーチャーにこんな特技があったとは……人間、一つくらいは取り得があるものなのですね」

 

 俺たちの会話の内容を聞き取ったのか、アーチャーの王様発言に対してさらりと酷いことを口にしているセイバー。いや、確かにセイバーの立場からすればアーチャーに対して好印象を持ちようがないだろうが、その隣に座っている遠坂までうんうんと頷いているのはいかがなものか。

 

「うーん、でもなんか気になるのよね。この味、どっかで食べた事あるような……?」

 

 和風の味つけが施されたレタスとキュウリのサラダを口にしながら、遠坂は微妙な表情を浮かべて首を傾げている。買い置きしていた市販のドレッシングではなく、わざわざ自分で調味料を作っているあたり確かに手が込んでいるが、遠坂は前にもこんなサラダを食べたことがあるのだろうか?どっちかといえばあいつは、豪快な中華料理が似合いそうなものだが。

 

「あ、忘れてた! 今日も職員会議があるんだったわ」

 

 そんな事を考えていると。俺とアーチャーのひそひそ話も気にせずに、猛烈な勢いでトーストを貪っていた藤ねえが、突然そんなことを言い出した。

 

「そういうのはもっと早く思い出すもんだぞ、藤ねえ。時間、ギリギリじゃないのか」

 

「いいよ。朝ごはんと会議だったら、朝ごはんのほうが大事だもん」

 

「それでも教師かよ……。いいから、会議に間に合うようにさっさと食べろよな。

 それはそうと、最近やけに職員会議多くないか? 前は月イチぐらいでやってた気がするんだけど」

 

「そうなのよー。冬木は最近物騒になったし、一昨日の美綴さんの事件はあるし、生徒の無断欠席はあるしで問題ばっかり。こんなに冬木が騒がしいのは十年ぶりぐらいかなあ」

 

 十年。その言葉に、体がぴくりと反応する。

 聖杯戦争は、原則として秘匿されるべきものだ。しかし、仮にも戦争と名が付くような事態を引き起こしている以上、その影響がこの土地に現れないはずがない。今回だって既に、原因不明のガス漏れ事件という形で巻き込まれる人々が出ているし、行方不明の人間が増えたという噂も聞く。学校でもこのように、職員会議を開いているようだし……戦争の歪みは確実に、この街に、そして人々の暮らしに影響を及ぼしているのだ。

 その極め付けが、十年前の大火災だ。大迷惑どころの話ではない。そんなに殺し合いがしたいなら、どこかの山奥で勝手にやっていればいい。

 

「さて、そんな訳で今日もわたしは先に行くわね。気を付けて学校に来るのよー」

 

 そんな俺の心情を気にすることもなく元気に立ち上がった藤ねえは、去り際にソーセージを口に放り込みながら、だだだだっと玄関の方まで走っていく。普通、食事の直後にあれだけ動いては胃がおかしくなりそうなものなのだが、虎に人間の常識は通用しないのだろう。

 ガシャン、と玄関の扉が閉められると同時に、何やら怪しげな奇声と、遠ざかっていく足音が居間まで聞こえてきた。あれじゃ近所迷惑だろ……。

 

「……藤村先生って、いつもあんな感じなの?」

 

「あんな感じだ」

 

 うむ、と重々しく頷いて見せると、はぁ……と疲れたようにため息をつかれる。確かにあのテンションについていくのは大変だよな、うん。シリアスな話も、あの人にかかると長続きしないのだ。

 俺も最近知ったのだが、遠坂は朝が極端に弱い。今日は俺が寝過ごしたためにまともな姿しか見ていないが、昨日の朝なんかは酷かった。ゾンビのような顔つきと足取りでゆらゆらと近寄ってきたものだから、一瞬新手のサーヴァントかと身構えてしまった。

 そんな訳だから、毎日付き合わされている俺はいいとして、朝に弱い遠坂は藤ねえに合わせていると疲れるだろう。尤も、それを表に出さないのが遠坂らしいところではあるが。

 

「まあいいわ。いつもの顔ぶれになったことだし、今後の相談でもしましょうか」

 

「賛成です。凛、桜の体調が悪いと大河が言っていましたが、どう思いますか」

 

 早速話題を切り出すセイバー。意見を求められた遠坂は、右手を顎に当てると困ったような顔をして考え込んでいる。

 桜の体調が本当に悪いのか、それとも慎二の指示によって来れない状況にあるのか……後者なら、慎二は何らかの意図を持っている事になる。

 

「そうね……あいつはわたしたちより先にこっちの内情を掴んでいたわけだから、桜をこっちに来させたくないなら、もっと前にできたはず。なのに、このタイミングで桜を休ませた。

 慎二のヤツ、昨日学校に来なかったそうだし……本当に桜の体調が悪いんじゃないとしたら、今日あたり何か仕掛けてくるかもしれないわね」

 

 仕掛けてくる。それは、すなわち──。

 

「他の雑種連中も、ようやく戦う気になったか。我は謀略も好むが、やはり劇は佳境がなければ見応えを欠く。精々気を引き締めておくがいい」

 

「言いようは気に食わないけど、その通りね。

 ……セイバー。今日は念のため、わたしたちの後から着いてきて、学校の傍の、どこか目立たない場所で待機しておいてもらえる?」

 

「承知しました。ですが、いざという時は令呪での召喚を。近くにサーヴァントがいれば感じ取れますが、宝具や令呪で他のサーヴァントが召喚された場合は別ですから」

 

 数に限りはあるが、令呪を消費すればサーヴァントの空間跳躍という規格外の奇跡すら引き起こせる。セイバーの言う通り、俺もいざとなれば令呪の使用を視野に入れておいた方がいいかもしれない。

 

「アーチャー。アンタもセイバー──」

 

 の近くに、と続けようとして。セイバーとアーチャーという組み合わせに、ふと思い当たるものがあって続く言葉を変えた。

 

「──いや。セイバーとは別の場所で、できれば学校の敷地が見渡せるような高い所に待機してて貰えるか?」

 

「ほう? 雑種なりに頭を使ったようだな──良いぞ、貴様の指示に従ってやろう」

 

 俺の意図を正確に読み取ったのだろう、腕を組んだアーチャーは鷹揚に頷く。

 いつもは学校の近くを巡回するようにしていたセイバーが、今日はすぐ傍で待機する。サーヴァントの気配は当然、慎二や他のマスターが連れているサーヴァントに察知されるだろうから、これは俺たちの護衛と同時に、何かを仕掛けて来ようとする敵への牽制にもなる。

 そしてアーチャーの方には学校全体の見張り……即ち、不審な奴が出入りしていないかどうかを、他マスターの索敵範囲外からチェックしてもらう。単純に学校に近いだけなら他のマスターにもバレてしまうだろうが、学校からそこそこ距離が離れていて、且つ敷地内の殆どを見下ろせるようなビルには幾つか心当たりがある。いざとなれば、その位置から敵を狙撃してもらえばいい。

 サーヴァントの特性を活かした役割分担。少し前にアーチャーとセイバーから将棋のたとえ話を聞いていたおかげで、咄嗟に思いつくことができた。

 

「決まりね。わたしたちが囮みたいであまり気分は良くないけど、喧嘩を売ってくるなら高く買い叩いてやるわ」

 

 と宣言すると、自信満々に胸を逸らす遠坂。……こいつ、絶対いじめっ子タイプだ。 

 さて、と──。本当に戦いになるのかどうかは判らないが、少なくとも心構えだけはできた。後は気合を入れて、油断しないように今日一日を過ごすだけだ。

 

 

 

***

 

 

 

 放課後になるまで、結局今日は何も起こらなかった。

 学校の結界も、昨日と変わらず気持ち悪いだけで異常は感じられず、サーヴァントの気配もまったくない。間桐兄妹が欠席した以外は、ごくいつもと変わらない光景だった。

 人目がある時間帯に戦いを仕掛けてくるような間抜けは流石にいないだろうが……それでも警戒しながら授業を受け、昼食を済ませ、それとなく周囲の様子を観察していた。当然ながら、授業の内容はほとんど頭に残っていない。

 声を掛けてくるクラスメイトたちに別れを告げると、自分の机で寝るフリをして、人が少なくなるのを待つ。ついに部活完全禁止令が出された影響か、放課後になるとあっという間に学校からは人気がなくなる。お陰で、慣れない寝たフリを長時間続ける必要はなくなったが、それでも念のためにしばらく机に伏せておく。

 そうしていると、廊下の方からコツコツと足音が響いてきた。まさか……と思い、腕で頭部を隠しながら、警戒心を強めて廊下に目を向ける。しかし見慣れた赤い服に、すぐに警戒を解くことになった。

 

「衛宮くん、大丈夫だったかしら?」

 

 机に突っ伏して寝たふりをしたままの俺に、猫被りモードの遠坂が上品に話しかけてくる。相変わらず、本性を微塵も感じさせない言葉遣いだ。

 

「ああ。……それと、無理して猫を被らなくてもいいぞ。どうせ他には誰も居ないし」

 

「それじゃ、手はず通りに始めましょ。今のところマスターの気配は感じないけど、仕掛けてくるならこれからよ」

 

 俺の猫被り発言を華麗にスルーし、遠坂がくるりと振り返る。俺も立ち上がり、ロッカーから出しておいた金属の棒を手に取るとその後に続く。この棒は古くなって壊れた箒の柄だと思うが、ないよりはマシだろう。

 今朝の相談の後、学校に登校するまでの間に遠坂が追加の作戦を考え、それを昼休みのうちに打ち合わせて、放課後に早速実行することにしたのだ。セイバーには遠坂が念話を通じて連絡しておいたし、アーチャーの方には最初から俺たちが敷地内を出るまで待機していてくれと言い含めてあるから、特に心配はない。

 まあ作戦とは言っても、大したことはない。日々強まりつつある結界を、もう一度呪刻を潰して妨害するだけだ。しかしこの行動自体が、敵マスターを引き付けるための計略なのだという。

 前回俺たちが呪刻を潰したせいで、この結界を仕掛けた犯人は呪刻への監視を強めているだろう。となれば、再び俺たちが呪刻に干渉しようとした時、そいつが妨害に現れる可能性も十分ある。犯人が慎二か、それとも他のマスターなのかは分からないが、のこのこと現れた所をサーヴァント二人がかりで返り討ちにしてやろうという作戦だ。

 俺たちが今サーヴァントを連れていないことは、相手がサーヴァントを連れていればすぐに分かる。もし敵マスターがそれを知れば、絶好の機会を逃そうとは思わないだろう。

 

「初撃は必ず防いで見せるわ。それさえ凌げば、後はセイバーが相手をしてくれる。そうなったら、後は校庭かどこかに引きずり出して、アーチャーの狙撃とセイバーの二人がかりで仕留めるだけよ」

 

 そう豪語できるのは、遠坂自身が一流の魔術師だからなのだろう。俺はサーヴァントどころか魔術師に襲われても無事でいられる自信がないので、正直この件に関しては遠坂頼りだ。

 

「まずは屋上からかしら。ひょっとしたら呪刻が増えてるかもしれないし、士郎の勘が頼りよ」

 

「ああ、わかってる」

 

 今回の俺の役割は、前回同様に結界の基点となる呪刻の発見だ。とはいえ前回の探索以来、あの弓道場の呪刻以外に新たなポイントは発見できていない。他に俺の見つけていない呪刻が、更に巧妙に隠されていたりすればお手上げだが……。

 しかし俺の杞憂をよそに、呪刻壊しはスムーズにいった。寧ろ探索の手間がない分、前回よりもペースが早いかもしれない。襲ってくるかと警戒していた屋上でも邪魔は入らなかったし、廊下の突き当たりのように逃げ道がないような場所でも、人の影がちらつくことさえなかった。

 

「──これで大体終わり。後は士郎が前回見落としてたっていう、例の弓道場だけ?」

 

 二階の空き教室の呪刻を壊したところで、遠坂がそう確認を取ってきた。ここまで来るにはやはり結構な時間がかかり、この巡回を始めた頃には明るかった空も、今は薄暗くなってきている。

 

「そうだな、後はあそこだけだ。でもあの呪刻、どうも他の場所よりも一回り大きかったような気がするんだが……」

 

「もしかしたら、術者がそこを中心に結界を張ったのかもしれないわね。そうなると、ますます慎二が怪しくなってくるわ」

 

 確かに、状況証拠からして慎二が結界を張った犯人である可能性は高い。あの日、呪刻が仕掛けられていた弓道場に自ら足を運んだ時点で、限りなくあいつは怪しいのだ。

 けれど、あの友人がそんな馬鹿な真似をするはずがないという思いもある。確かにあいつは嫌味な態度を取ったり、妹に手を上げるような蛮行に及んだりもするが、それにしたって今回のこれとはレベルが違う。それに俺の知る限り、慎二はもう少し思慮深い人間だったはずだ。

 黙り込む俺を余所に、遠坂は左手の魔術刻印を輝かせながら廊下に出る。

 

「どっちにしても、仕掛けてくるとすればその弓道場ね。行くわよ士郎、最後まで油断しな──」

 

 

 

「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

「な──!?」

 

 校舎に轟く、絹を引き裂くような悲鳴。余りの意外さに、体全体が凍り付いた。

 

「悲鳴? どこから──」

 

「一階だ。先に行くぞ遠坂!」

 

 鋭く周囲を見渡す遠坂を押し退け、廊下に飛び出るとそのまま駆け出す。まだ生徒が残っていたのにも驚きだが、今の悲鳴は尋常ではない。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 一人で先走るなんて何考えてるの!」

 

 一瞬遅れて響く遠坂の怒声を尻目に、廊下を駆け抜けて階段へと突っ込む。直後に床を蹴る音が二倍になったところを見ると、遠坂も俺の後を追いかけてきているようだ。

 踊り場をほとんど滑るようにターンし、残りの階段を無視して一階に飛び降りる。横に目線を走らせると、床に倒れ伏した生徒の姿が飛び込んできた。その姿が、つい数日前に殺されかけた自分の姿と重なる。

 

「くそっ……!」

 

 非常口の近くに倒れているその女子生徒の傍に寄るが、幸いにも血が流れている様子はなかった。念のため屈み込んで確認するが、きちんと脈がある。

 脈を診るついでに、意識を失って青ざめている顔を観察する。同学年では見覚えがないが、下級生だろうか?

 

「ちょっとどいて。全く、一人で動いたら危ないじゃないの! この馬鹿!」

 

 後から走ってきた遠坂が追いつく。選手交代し、女子生徒を遠坂に診せると、その表情がみるみる深刻さを増していった。

 

「まずい──! 士郎、見張りお願い。このままじゃ、この子が死ぬかもしれない」

 

「え……? この子、気絶してるだけじゃないのか!?」

 

「血がごっそり抜かれてるのよ。多分、生命力──つまり、魔力を狙ったんでしょうね。危なかったわ、このぐらいならわたしでもどうにか……」

 

 そう言うと、遠坂はポケットから幾つかの宝石を取り出す。不幸中の幸いと言うべきか、遠坂はこの子の治療法を知っているようだ。俺なら、救急車を呼んでやることぐらいしかできなかっただろう。

 人間は、約二リットルの血液を失うと死に至るという。意識を失い、命の危険があるというこの子は、それに近い量の血液を奪われたのだろうか。

 

 ──待てよ。奪われた? 一体誰に?

 

 遠坂が切羽詰っているのが一目瞭然だからか、女子生徒の治療に奮戦する彼女とは対照的に、俺の頭に上っていた熱はどんどん冷めていく。代わって俺の背筋を襲ったのは、ぞっとするような違和感だった。

 おかしい。これと酷似した状況を、俺はつい先日耳にしている。美綴綾子の昏睡事件。そうだ、あの時それを話していたのも遠坂だった。思い出せ、彼女は一体何と言っていた……?

 

『──魔力を狙ったサーヴァントに襲われたんだと思う。

 外傷はないのに意識が戻らない、って言ってたでしょ。それ、生命力を奪われた人間特有の症状よ──』

 

 ()()()()()()()()()()()

 そうだ。この子を襲ったのは敵のサーヴァントに違いない。しかし俺たちが駆けつけるまでには、ここまで誰ともすれ違わなかった。窓や壁が破壊されている痕跡もないし、下手人が逃げたとしたらそこの非常口以外の経路は有り得ない。

 いや、ちょっと待て。そのサーヴァントが、まだ逃げずに残っているとしたら──!?

 

「危ない!」

 

 その可能性に思い至った瞬間猛烈な悪寒が走り、倒れ込むように身を投げ出す。遠坂を巻き込んで床に倒れ伏した直後──俺の頭髪を削りながら、鋭利な何かが掠めていった。

 

「きゃ──!?」

 

 目を白黒させ、可愛らしい悲鳴を上げる遠坂を庇いながら、凶器が飛んできた非常口に目を向ける。半開きになった扉の向こうで、人影が走り去っていく気配がした。

 舌打ちし、倒れ込んでいた遠坂を助け起こす。幸い、遠坂にも女子生徒にも傷一つ付いていない。

 

「大丈夫か、遠坂?」

 

「え、ええ……わたしは大丈夫。それより、今の──?」

 

「ああ。多分、敵のサーヴァントだ。もう逃げたみたいだけど」

 

「──いいえ。逃がさないわよ」

 

 サーヴァント、という単語を聞いた瞬間。遠坂の目つきが、猛禽のそれに変貌した。

 一瞬だけ見せた、か弱い女の子のような表情はとうに消えている。ここに居るのは聖杯戦争のマスター、魔術師遠坂凛に相違なかった。変わり身の早さに驚く俺を見ながら、魔女は嫣然と微笑む。

 

「さっき悲鳴が聞こえた時、ただ事じゃないと思って念話でセイバーを呼んでおいたの。多分今頃──」

 

 そう遠坂が口にすると同時。非常口の向こう、校庭の方で甲高い金属音が響いてくる。二度、三度と響くそれは、この校舎内からでも感じ取れるほどの魔力を孕んでいた。

 逃げ出した敵のサーヴァントと、遠坂が待機させていたセイバー。鉢合わせの様な形で、二人の戦闘が始まったのだろう。だとすれば──。

 

「遠坂、この子任せていいか?」

 

「え……ちょっと、どういうつもり?」

 

「セイバーに加勢する。こんな真似しやがって、一撃くれてやらなきゃ気が済まない」

 

「は? ちょ、貴方何考えて──!?」

 

 遠坂の声に背を向け、床を蹴る。右手には、教室からずっと握りっ放しだった箒の柄。

 

「あのヤロウ……!」

 

 悪態が漏れる。あのサーヴァントがやった事は、絶対に許せない。

 あの瞬間、敵のサーヴァントが狙ったのは遠坂だった。あの凶器が抉っていった空間には、直前まで遠坂の顔があったのだ。

 偶然じゃない。あの敵は狙い澄まして、絶好のタイミングでそれをやった。事実俺が気付かなければ、遠坂がどんな目に遭っていたかと思うと考えるだけで血管が沸騰しそうだ。

 狙ってやったとすれば、最初から敵は俺たちを待ち伏せしていたのだろう。あの女子生徒は、俺たちを嵌める罠として体よく利用されたに違いない。

 非常口の扉を蹴り開け、外に出る。夕日の残光に束の間目が眩み、思わず眼前に手を翳すと、狭まった視界に思わぬ光景が飛び込んできた。

 

「女──!?」

 

 紫と青。二つの色が、銃弾のように校庭を飛び回っていた。

 青い色の正体は、魔力の鎧に身を包んだセイバー。不可視の剣を叩き付けるように振るい、絶大な魔力を迸らせながら、縦横無尽に飛び跳ねる紫の影を圧倒し追い散らしている。

 そして、もう一方──セイバーに圧倒されているそいつもまた、サーヴァントに違いなかった。

 腰どころか、足まで届くのではないかという紫の長髪。メリハリのあるすらりとした長身に、女神かと見紛う程美しく整った顔。しかし、異様に露出度の高い黒の衣装と、両目を覆う眼帯が、その雰囲気を妖艶なそれへと変えていた。

 バーサーカーでもランサーでもない。あいつはアサシンかライダーか、それともキャスターか。

 

「はぁ──っ!」

 

 気迫と共に、セイバーが大上段から斬りかかる。謎のサーヴァントは、手にした釘のような武器でその一撃を受けたものの、その威力を殺しきれずにたたらを踏んだ。追撃の薙ぎ払いを間一髪で凌ぎ、女は大きく距離を取る。

 素人目にも判る戦力差。わずか数合で、勝負は決していたと言っても良い。あのサーヴァントは、まるでセイバーの相手になっていない。あの勢いじゃ、俺の加勢なんか必要ないだろう。かえって邪魔になるだけだ。

 魔力の量。動きの正確さ。力強さ。その全てで、黒衣の女はセイバーに劣っている。辛うじてリーチと瞬発力は上回っているようだが、如何に死角を突こうとも、セイバーの先読みと反応速度の前に全てが叩き潰されている。このまま行けば、一分と経たずしてセイバーの勝利は決まるだろう。しかし──。

 

「……マスターはどこにいるんだ?」

 

 きょろきょろ、と周囲を見渡すが、それらしい存在は視界に入ってこない。すぐにでも勝負を決める態勢が整っているにも関わらず、セイバーが決め技に移らないのもそれが原因だろう。あのサーヴァントとセイバーでは勝負にならないが、マスターが潜んでいるなら話は別だからだ。

 セイバーと敵サーヴァントの戦いから目を離し、校庭を隈なく見渡す。日が落ち、暗くなりかけている校庭には猫一匹見当たらない。魔術か何かで姿を隠しているならセイバーが気付くだろうし、他に隠れていそうな場所と言えばあの雑木林ぐらいしか……。

 

「──え?」

 

 あれ。今、あそこで何か動いたような……?

 

「待て!」

 

 箒の柄を引っ掴み、迷わず雑木林へ突っ走る。あそこに隠れているのがマスターなら、黒衣のサーヴァントに指示を出し、遠坂と俺を狙うよう仕向けた犯人はそいつだ。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 昨日遠坂に教わったように……魔力回路を作るのではなく、既に体にあるそれを動かし、箒に魔力を叩き込む。実戦で集中力が上がっているせいか、いつもは失敗に終わっていたはずの強化魔術が、いとも簡単に発動できた。

 そのまま速度を落とさず、雑木林の中に突貫する。奥の方に感じた気配を追い、行く手を阻む枝を叩き落としながら闇雲に進むと、開けた場所に出た。

 

「…………?」

 

 歳月を経ているであろう樹木に囲まれた、自然が生み出した広場。夜の闇に呑まれ、既に暗くなりかけているここにある物体は、落ち葉の山だけだった。

 けれど、気配を感じる。闇と草木に阻まれ、直接確認する事は出来ないが、どこかから俺を見つめている視線が確かにある。姿を隠していても、その不自然な殺気だけは消せはしない。

 セイバーとの訓練の時のように、箒を正眼に構え、神経を鋭く尖らせる。遠くでセイバーと敵サーヴァントとの交戦音が聞こえてくるが、今は無視だ。

 

 ──どこだ?

 

 俺が今やってきた後方ではない。左か、中央か、右か。相手はそのどこかに潜んでいる。

 集中しながら、ゆっくりと視線を動かす。ほんの僅かな動きでも、見過ごすことは死を意味する。ここに隠れている敵は、逃走ではなく迎撃を選んだに違いないのだから。そいつの方でも、俺の隙を伺っていることだろう。

 冬だというのに首筋に流れる汗を努めて無視し、震える足に喝を入れながら前方を睥睨する。我慢比べなら負けるものか、と気合を入れて箒を握り直した、その瞬間。

 

 ──黒い刃のようなものが三本、一度に俺に向かってきた。

 

「な──!?」

 

 驚愕は一瞬。左、中央、右、三方向から交差するように迫る刃を避け、側転するように真横に転がり込む。ひらりと舞った靴紐が、避けきれなければどうなるのかを暗に示していた。

 危なかった。もう少しあれのリーチが長かったなら、靴だけでなく、俺の脚そのものが切り落とされていただろう。

 

「くそ、こそこそ隠れてないで出てきやがれこの野郎……!」

 

 悪態を吐いて立ち上がる。無意味だと知りながらも、威圧するように箒を構え直すと……正面の茂みの裏から、笑い声のようなものが響いてきた。

 

「ふ、はは、はははははは──! 一人で突っ込んでくるなんて、本当に馬鹿なんだな。おまえ」

 

 ゆらり、と人影が姿を現す。その見慣れた姿を前にして……束の間、頭が麻痺した。

 青みがかった髪に彩られた、嘲るような笑み。自信を誇示するように、腰に当てられた左手。長年見続けて来たそれを、見間違えるはずもない。信じたくはないが、自分の中の冷静な部分が、これは現実なのだと受け入れてしまっている。

 足がぐらつく。事実を認め、覚悟を決めた気になっていても──そんなのはただの表層だけ。知っていたはずの事実を見せつけられただけで、俺は動揺を隠せなかった。

 

 ──間桐慎二。俺の目の前に立っているのは、友人だったはずの男だった。

 

 

 

***

 

 

 

 学園から数キロ程離れた、高層ビルの屋上。逆立つ髪を風に靡かせ、独り佇む影があった。

 

「──は、餌に釣られおったか」

 

 面白くもなさそうに、アーチャーはそう独語する。日が暮れる中、遥か彼方の光景であっても、真紅の瞳にはセイバーと謎のサーヴァントの戦闘がはっきりと映し出されていた。

 アーチャーの見るところ、相手のサーヴァントはライダーだ。アサシンならばそもそも気配を悟らせぬし、キャスターなら魔術と策を以て戦うだろう。

 だが、クラスこそ即座に看破したものの、アーチャーはそれ以上そのサーヴァントに興味を持てなかった。この男が求めるものは享楽であり、戦いとすら呼べぬ一方的な展開になど、何ら面白味を感じられない。宝具や隠し玉があるのかもしれないが、あそこまで圧倒されていてはそれを使う間もないだろう。

 どんな策を持って現れたのかと、自身の愉悦の為に敢えて何もせず様子見に徹していたアーチャーだったが──あの程度の不意打ちで倒されるマスターなら自分が目をかけてやる価値もない──蓋を開けてみれば、完全に興醒めだった。

 

「つまらぬ」

 

 そう一言断じると、男はライダーへの視線を完全にセイバーへと転じた。元よりこの英霊の関心は、金髪の少女騎士に向けられている。ライダーが期待外れの弱兵とあれば、見向きもしないのは当然だった。

 相手が強敵ならばこの位置からの掩護も考えてはいたが、あれでは弓兵の出る幕はない。むしろ、セイバーの足を引っ張るだけだろう。

 そういえば先刻、愚かなマスターが敵マスターの方へと突っ込んでいくのが見えた。アーチャーの脳裏に、このままマスターの運と才覚に任せて放置する、という選択肢が浮かぶが、即座にそれを否定した。この男はそういったギャンブル性も嫌いではなかったが、あの少年を意味なく見捨てるほど価値を感じていないわけでもなかった。不意打ちを凌ぐのと、敵マスターに突っ込むのとでは脅威の度合いが違う。

 手間の掛かるマスターだ──と呟き、アーチャーは気だるげに踵を返す。ビルを降りるため、屋上の階段へと向かった矢先……ふと、その足取りが止まった。

 

 

「ごきげんよう、イレギュラーのサーヴァント。……いえ、アーチャーと呼んだ方がいいのかしら?」

 

 

 空。日が沈み、夜の闇に埋もれつつあるその場所に、紫紺の布が浮いていた。

 よく見ればそれは、ローブに身を包んだ人影。空中に浮かぶという異様な姿と、怪しげな錫杖とが相まって、魔術師然とした雰囲気が醸成されていた。

 しゃらり、と鈴の付いた錫杖を鳴らし。異様な風体の女は、悠然とアーチャーを見下ろし微笑んだ。

 

魔術師(キャスター)か。隠れ潜むだけの鼠風情が、よくも姿を現せたものだ」

 

 その視線を真正面から受けながら。予想外の事態にも関わらず、男は微塵も動揺を見せなかった。

 アーチャーの表情を占めるのは、不快感。恐らくは空間転移か何かの手段であろうが、敵サーヴァントの出現など些末事に過ぎない。この気位の高い英霊にとっては、見下ろされることこそが何よりの屈辱。絶対零度の瞳は、次第に断罪の殺意を宿し始めている。

 

「随分なご挨拶だこと。正規のサーヴァントでもない貴方が、よく大きな口を叩けるわね」

 

 キャスターの嘲弄混じりの言葉に、アーチャーの眉が僅かに吊り上がる。今の口ぶりは、まるでアーチャーというサーヴァントの異常を知悉しているようだったが……?

 

「──雑種。我に対する数々の非礼、よもやただで済むとは思うまいな」

 

 だが。この黄金のサーヴァントにとっては、キャスターの言葉への興味よりも、自分を見下ろす無礼者への怒りの方が勝っていた。

 それこそが、アーチャーがアーチャーたる所以。他の何者をも超越したプライドは、自身の異常性など意にも介さぬとばかりに、魔術師の英霊へ死刑を宣告していた。

 アーチャーの全身が眩く煌き……一瞬の後、その肉体を包んでいたライダースーツは黄金の鎧へと変貌する。何らかの自己修復能力によってか、ランサーによって破損した痕など何処にも残されていない。

 金属音を響かせ、アーチャーが黄金の双剣を構える。その鋭い刃先が狙うのは、フードの下に隠されたキャスターの首。宙に浮いているとはいえ、サーヴァントの脚力を以てすれば、一足の下に斬り伏せることが可能だろう。

 

「残念ね。消えるのは貴方の方よ、アーチャー」

 

 紅蓮の殺意に動じた様子も無く、キャスターは舞うように右手を振る。直後、その姿を囲む形で、中空に巨大な光弾が現れた。

 一つ一つが西瓜程もある魔力の塊は、およそ八つ。それらが衛星のように、キャスターの周囲で回転し始める。如何にサーヴァントであれ、砲弾に匹敵する魔力球を受けては無事では済まない。

 双剣を握り、跳躍の姿勢を取るアーチャーと、空中で魔力球を弄ぶキャスター。数秒の間、互いの様子を探るように視線が交差する──そして、先に動いたのはキャスターだった。

 

「…………!」

 

 魔術の詠唱だろうか。一言何かが呟かれると同時に、矢継ぎ早に放たれる八つの光弾。それを予測していたアーチャーは軽く左に跳ね、四つの弾丸をコンクリートの床に突っ込ませると、残りの四つを苦もなく双剣で切り払った。輝く魔力球はアーチャーの振るう双剣の神秘に掻き消され、まるで幻覚であったかのように霧散する。

 

「ふん」

 

 あっさりと攻撃を防ぎ切ったアーチャーは、詰まらなそうにローブの女を一瞥する。そこには敵意や殺意を通り越して、汚物でも見るような軽蔑が含まれていた。

 

「どうした。嗅ぎ回るしか能のない貴様が、態々正面から挑んできたのだ。策の十や二十は取り揃えていよう?

 ──よもや、これが全力だとは言うまいな? この程度の魔術では、我やセイバーはおろか、あの蛇女にすら太刀打ち出来まい」

 

「あら? 貴方程度なら手加減していても十分というだけよ。余計な労力を、前座に割きたくはないもの」

 

「──よく言った。我に対し大言を口にした褒美だ、魔女狩りの流儀に則り、貴様は火刑に処すとしよう」

 

 度重なる侮辱に、アーチャーの瞳が憤怒に染まる。三下のサーヴァントが思い上がるなど、それだけで万死に値する。多少の無礼なら笑って見過ごすこともできようが、自身を侮り、挙句前座呼ばわりまでされたとあっては、自らの手で捻じ伏せ叩き潰して身の程を思い知らせてやらねば気が済まなかった。

 しかし。黄金の英霊が発する絶大な殺気を叩き付けられて尚、キャスターには余裕があった。常人ならばそれだけでショック死しかねない恐怖の敵意の中、魔術師の女は愉快げに笑ってみせる。

 

「万全の状態ならいざ知らず、今の貴方程度に何ができると言うの?

 それに、火あぶりにされるのは貴方の方──私を魔女と呼んだ者は、楽に死ねると思わないことね」

 

 刹那、女魔術師の瞳に殺意が宿った。それと連動し、大気中から膨大な魔力がキャスターの元へと集中していく。数秒でこれだけの魔力を結集させるその実力、並大抵の腕前ではなかった。

 それを、炎の眼差しで睨み上げると。

 

「思い上がったな──雑種が!」

 

 黄金のサーヴァントは、鏃となって飛び出した。

 呼応するように、空中に浮かぶキャスターが錫杖を降る。その杖先が、アーチャーを指し示した後……キャスターを取り巻くように、膨大な数の魔法陣が現れた。

 

「…………!?」

 

 流石に驚いたのか、キャスター目掛けて跳躍しようとしたアーチャーが、動作を中止して後ろに跳ぶ。その爪先を掠めるように、稲妻の槍がコンクリートを吹き飛ばした。

 即座に回避行動に移るアーチャーを狙って、追撃の魔力砲が雨霰と降り注ぐ。炎が、氷が、雷が、機関砲のように屋上一帯へと撒き散らされた。

 広いとは言えない屋上を、縦横無尽に走り続けるアーチャー。あるものは双剣で弾き、あるものは鎧で防ぐものの、キャスターの爆撃はスコールのように絶え間なく繰り出されていく。

 

 ──その光景は、魔術を知る者にとっては余りに異様だった。

 

 アーチャーを攻撃している魔術は、その全てが大魔術と言っても過言ではない。予備動作も、詠唱も、宝具の発動すらなしに、コンクリートを紙切れのように吹き飛ばしていくキャスターは、人間の技術など足元にも及ばぬ程卓越した魔術師だった。

 加えて、それを可能にする魔力量。弾切れなど知らぬとばかりに放たれていく魔術の槍、一つ一つが並の魔術師の総力に匹敵するそれを、速射砲のように撃ち続ける魔力の貯蔵は、異常と呼んで尚余りある量。

 回避しきれぬと判断し、双剣と鎧で攻撃を防ぎながら、冷静に状況を分析したアーチャーは忌々しげに舌打ちした。

 

 ──不利だ。

 

 本来、弓兵のサーヴァントには高い対魔力性能(スキル)が与えられる。しかし、イレギュラーな召喚のツケか、或いは受肉している影響か、このアーチャーの対魔力性能(スキル)は極端に低い。

 加えて、足場も最悪だった。空中を自在に飛び回り、上からこちらを狙うだけのキャスターに対し、アーチャーは屋上という狭い空間しか動けない。三次元空間を自由に動ける相手に対し、制空権を取られた上で二次元的な動きしかできないのではあまりにも条件が悪い。

 更に言えば、攻撃の射程と範囲が違い過ぎる。剣を弓に換装する時間すらないアーチャーと、多種多様な魔術を遠距離から撃ってくるキャスターでは勝負にならない。

 苛烈な砲撃で今にも崩れ落ちそうな屋上を一度見渡すと、アーチャーは撤退する方針を固めた。狡猾な魔術師への怒りで腸は煮えくり返っているが、黄金の英雄は、無謀な突撃をするような愚者とは程遠かった。

 眼前に迫るレーザーのような魔術を双剣で弾くと、アーチャーは素早く転身する。しかし、三歩動いた所で……その足が、縫い付けられるように固まった。

 

「──む?」

 

 その両足に力を籠めるも、ぴくりとも動かない。いや……足だけでなく、腰も、腕も、全身が凍結したように固まっていた。その彫像のような姿を、キャスターは勝ち誇ったような笑みを浮かべて見下ろす。

 

「ふふふ。首だけでも動かせるとは大したものね。空間そのものを縛られては、動けるはずもないのに」

 

 勝利を確信し、哀れな獲物に視線を向けるキャスター。自らの策が完全に成功した以上、盤面が覆るはずもない。

 矢衾のように襲い掛かった砲撃は、その実派手なだけの目晦まし。本来ならば数撃で倒壊しているであろう屋上が、未だ原型を留めているのがその証だった。一撃一撃が必殺級とはいえ、それさえキャスターには本気ではなかったのだ。

 見た目が派手な攻撃に注意を向けさせながら、必殺の牙たる空間固定化の魔術を水面下で紡ぐ。指一本たりとも動かせないアーチャーは、今や人形も同然だった。

 

「貴方がどこの英雄だったかは知らないけど、次はもう少し足元に気を付けることね──終わりよ」

 

 冷たく呟くと、キャスターの錫杖がアーチャーに向けられる。その先に光るのは、先程までとは比較にならぬ魔力の塊。今度こそ、キャスターはアーチャーを消滅させる心積もりだった。

 収束し、巨大な魔方陣を形成していく膨大な魔力。空間すら揺るがすその技を前にしたアーチャーは──にたりと、滴るような笑みを浮かべた。

 不吉さを予感させる表情に、眉を顰めるキャスター。微かな苛立ちを滲ませ、魔力の極光が空を薙ごうとした瞬間──

 

 ──黄金の鎧が、内側から弾け飛んだ。

 

「な──ッ!?」

 

 驚きに目を見開くキャスター。数十ものパーツに分解された鎧が、鉄の弾丸となって彼女の全身を打ち据える。咄嗟に防御を固めたキャスターだったが、その衝撃までをも防ぎ切ることはできなかった。

 

「どこに……?」

 

 予想外の反撃による、一瞬の自失。時間にすれば三秒となかっただろうが、黄金のサーヴァントにとってはそれだけで十分だった。

 見失った敵の姿を捕捉しようと、首を振るキャスター。直後、視界に入ってきたアーチャーは……屋上の端で、黄金の大弓を構えていた。

 

「!!」

 

 反射的に、直前に収束させていた魔力の塊を叩き付ける。苦し紛れではあったが、それでも致死性のキャスターの魔術と、アーチャーの矢が放たれたのは同時だった。

 空間を貫いて放たれた矢と、光の渦として吐き出された魔力。前者はキャスターの防壁に阻まれ、軽傷を負わせるに留まり──そして後者は、屋上の一角ごとアーチャーがいた空間を消滅させていた。

 その光景を確認し、安堵のため息を吐くキャスター。ギリギリだった……王手をかけるのは自分だと確信していたにも関わらず、それどころか、危うくこちらの首を飛ばされるところだった。鎧による急襲で攻撃魔術を解いてしまっていたら、或いは、予め講じておいた防御魔術の強度が足りなかったら……詰んでいたのは、魔術師の側だったかもしれない。

 

「危なかったわね……」

 

 誰にともなくそう言うと、キャスターは破壊され尽くした屋上に降りる。頑強なコンクリートが敷き詰められていたはずの床は、今にも崩落する寸前といった様子だが、このビルの上層部に人がいないのは最初から確認済みだ。不要な犠牲を出し、徒に敵を増やすことは好ましくないし、それ以前に神秘の秘匿は魔術師として絶対に遵守すべきものだった。

 穴と亀裂だらけの屋上を滑るように歩きながら、完全に蒸発してしまっている一角を覗きこむ。破壊という段階を通り越したその場所に、アーチャーというサーヴァントが存在していた痕跡は残されてすらいなかった。

 魔力で構成されているという特徴を活かし、分解した鎧を弾丸に見立て、魔力を推進力に四方に放つ奇策は想定外だったが、所詮はその場凌ぎの悪手に過ぎない。四方に散った鎧を魔力に戻し、再構成する過程には時間を要するだろうし、何の防御力もないライダースーツではキャスターの魔術を受けるなど不可能。最上級火力(Aランク)に軽く届く一撃を喰らって、生きていられるわけがない。

 

 ヒュン、と風を切る音がした。

 

「…………え?」

 

 間抜けな声。それは胴体と切り離された、小さな首から飛び出したものだった。頭部を失った肉体は力を失い、勢いのまま空中に投げ出される。

 

 ──その上で。キャスターの首を刎ね飛ばした、黄金の剣が回っていた。

 

「たわけ。足元に注意を払うべきは貴様だ、雑種」

 

 旋回しながら戻ってきた剣を掴みながら、ビルの中ほどにある窓の桟にぶら下がっていたアーチャーが吐き捨てる。戦いを始める前と同じく、黒のライダースーツを着込んだその姿は、傷一つなく健在だった。

 それも当然。ここに至るまでの流れは、全てアーチャーの計画通りだったのだから。

 キャスターの魔力砲が目晦ましであり、奥の手を隠し持っていることは最初から分かっていた。空間そのものを固めてくるとは流石に予想していなかったが、キャスターの戦術に備えて打てる策は講じてあった。撤退が不可能なら、別の対処法を即座に捻出する。類稀な頭脳を持つ、アーチャーならではの能力。

 鎧を武器とする目潰しと連動した急襲。それを防がれた場合は、殺されたと見せかけての奇襲。肉体を持つため、魔力を発さなければサーヴァントとしての気配を悟らせにくいという点を活かした戦法だった。

 相手が戦い慣れた戦士であれば、寧ろ霊体ではなく生身の肉体を持っている方が感知されやすかっただろうが、相手が『魔術師』のサーヴァントだったことが幸運だった。

 空中にローブを散らせ、消えていくキャスターの姿。それを確認すると、アーチャーは左手一本の力で反動を付けて飛び上がり、破壊された屋上に舞い戻った。

 

「──」

 

 戦いに勝利したというのに、整った顔には何の感慨も浮かんでいない。やがて舌打ちすると、アーチャーは誰も居ない虚空を睨み付けた。

 

「この我に擬態など通用するか。出てこい下郎」

 

「──あら。本当に目敏いのね、貴方」

 

 雲一つない夜空に、妖艶な声が響き渡る。それは紛れもなく、今殺されたはずのキャスターのものだった。

 アーチャーの命令に従ったのか、中空に裂け目の様な穴が出現する。そこにはまるで嘘のように、無傷のキャスターの姿が存在していた。

 

「は。傀儡とは、つくづく保身に長けた雑種だ──が、それも道理か。時を稼ぐのがそもそもの貴様の狙いだろう」

 

「頭も回るようね。本当なら、ここで殺しておきたいところだけど……貴方の言う通り、私の目的は時間稼ぎ。目的は果たせたことだし、今回は退いてあげるわ」

 

「フン──」

 

 興を削がれた、とばかりに双剣を消失させるアーチャー。自身への度重なる挑発も、全ては時間稼ぎの計略と判明した以上、キャスターに付き合ってやる気は更々なかった。

 無礼者への殺意は寧ろ跳ね上がっているが、目の前の女を殺したところで、それが人形か幻影であるのは分かり切っている。本体はおそらく、どこか遠くで替えが利く身代わりを操っているのだろう。

 聖杯戦争が続く以上、またキャスターと遭遇する機会はあるだろう。裁きを下すのはその時で十分と割り切り、アーチャーはキャスターに背を向けた。

 問題は、キャスターが()()()()()()()()()()()()()()のかだ。その目的は未だ不鮮明だが、もしセイバーたちとの合流を防ぐ目的でキャスターが現れたのだとすれば、一刻も早く移動する必要があった。

 

「また会いましょう、アーチャー。

 ──次は、相応の客としてもてなしてあげるわ」

 

 屋上を一顧だにせず去っていくアーチャーにそう告げると。キャスターは、闇に紛れるように消え去った。


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