【完結】Fate/Epic of Gilgamesh 作:kaizer
……遠い日の、夢。
いや、これは夢ではなく記憶なのか。何度も見てきたこの光景は、誰かの記憶なのだろう。余りに鮮明で、現実感に溢れたこれは、曖昧な夢などでは説明が出来ない。例をあげるなら、映画に近いか。誰かが撮った旧いフィルムを、途切れ途切れに見せられる。だが珍しく、今回のこれは、前回から然して時を経ていないものだと直感で把握できた。
「…………」
虚ろな空。霞む夕日が、砕けた大地を飾っていた。
嘗ては整地されていたであろう広場は、流星群が激突したかのように、幾重もの巨大なクレーターに変貌している。想像を絶する規模の破壊は、広大な面積を誇る広場のみならず、その周辺に聳えていた建物群までもを瓦礫の山へと変えていた。
だが。天災に等しい大惨劇だというのに、何故か犠牲者の姿は見当たらない。土塊と化した建物の姿とは対照的に、元から誰もいなかったかのように、人の姿は消えている。
焦げ付き、穿たれ、想像を絶する高熱によるものか、一部はガラス化している大地。人すらおらぬそこには無数の、墓標のようなものが立ち並んでいる。いや……よく見ればそれは、剣であり、斧であり、槌であり、矛であり……その他数え切れぬ程の、無限とも思える武器の数々だった。
何もかもが消えさった死の土地。罅割れた広場の中心。ただ壊れた武器が残るだけの爆心地とも呼べるそこに、二つの影が立っていた。
「…………」
影の片方は、黄金の王。廃墟の中に在りながら、その姿は何よりも力強い。
煌々と輝いていた鎧に、一片の瑕疵さえなかった肉体。完璧という表現以外が見当たらなかったその偉容には、数え切れぬほどの血と傷が刻まれ、下肢を護っていた鎧は最早その役目を果たしていなかった。天を貫くが如く逆立っていた髪は、彼の憔悴振りを表すかのように千々に乱れている。その手に握られた二本の剣も、片方は中途から折れ曲がり、もう片方には大きな亀裂が走る悲惨な姿。肉体も武器も、共にあと一撃に耐えうるか否かという、正しく絶体絶命の窮地だった。
しかし、その瞳。底知れぬ炎を宿し、万象一切を射竦める紅玉。肉体は傷つき、武器が砕けようと尚折れぬ気概を纏う紅蓮は、何者にも屈さぬ絶大な自我を感じさせる。
「―――っ」
そして、もう一方。王と対位置に立つ影もまた、全身を血に染めていた。
男とも女とも取れ、且つそのどちらとも思えないある種非人間的な美貌。どこか作り物めいたその存在は、まるで壊れかけた玩具のように、全身が罅割れ崩れていた。その身を染める血は、本人の物なのか、それとも返り血なのか、それすら判然としない。ボロボロと末端から零れ落ちて行くそれは、血か肉か、それとも肉体に塗れた泥か。しかし、今にも崩壊する寸前といった風体でありながら、剣へと変貌した右手はどこまでも鋭く。最後の武器を手にした影は、奇しくも王と同様、あと一度動けるかどうかという死の瀬戸際にあった。
燃え盛る焔の瞳と対照的に、その瞳は何よりも冷たい。まるで何かを見定めるかのような冷静さは、敵のそれというよりは、観察者の視線を思わせる。
「ク……ククク。フフ、ハハハ、ハハハハハハハハ!!!!!」
互いに満身創痍、辛うじて立っているだけという状況。既に欠片ほどの余裕も残ってはいないにも関わらず……何故か黄金の王は、独り楽しげに笑っていた。
全身を紅に染めながら、仁王立ちで哄笑する様は凄絶という言葉が相応しい。何がそこまで愉快だったのか、ひとしきり笑い尽くしたところで、王は地面に寝転がった。恐らくは最後の力を使い切り、立っている事すら出来なくなったのだろう。
「互いに残るは一手のみ。守りも無いのであれば、愚かな死体が二つ並ぶだけだろうよ」
敵に腹を見せるという無防備な姿を見せながら、笑みを浮かべたまま黄金の王はそう呟く。その笑みは、勝利を掴めなかった自らへの嘲笑か、それとも自らと互角に戦い抜いた敵への敬意か。
王が口を閉じた途端、対峙していた人影もまた、糸の切れた人形のように倒れ込む。気力も既に尽きたのか、剣へと姿を変えていた腕は人のそれへと戻り、こちらもまた動けるだけの力は残っていないのだと示している。端麗な容貌という以外、似ても似つかぬ両者だったが、全ての力を使い果たし大地に倒れ伏すその姿は、双方共に一致していた。
「―――は、…………?」
瞼にかかった緑の髪をかき分けながら、影が何かを王に問う。何を口にしたかまでは聞き取れなかったが、そこには敵意は無く、ただ純粋な疑問だけがあったように見えた。
「なに。――――――、…………も悪くはない」
黒に染まっていく空を見上げながら、上機嫌な顔で王は答える。今し方まで敵と戦いを繰り広げていたとは思えぬほど、その表情は晴れ晴れとしていた。
―――まるで。何か大切な宝物を見つけた時のように。
***
「……あ。気が付いた?」
耳触りの良い声に、微睡みの中から引き戻される。
ここは……今まで見ていた、あの煤けた場所ではない。いつもと同じ日差しに、何度も見てきた天井の染み。ここは、間違いなく俺の部屋だ。
時間帯は早朝だろう。寝ぼけてよく回らない頭でも、相当長く眠っていた事は判る。だけど、俺は昨夜、どうやって部屋まで辿り着いたのか―――?
そう疑問に思いながら体を起こしかけたところで、俺の顔を覗き込んでいる遠坂と、ぱっちり目が合った。
「なっ―――遠坂!? おまえ、なんでここに……」
「随分なご挨拶ね。ま、その勢いなら大丈夫でしょうけど……どう?体の方。どこか痛い所はない?」
慌てる俺を余所に、冷静にそう訊いてくる遠坂。いつもと変わらないその姿勢に、徐々に俺の混乱も収まってきた。
「いや。別に何とも無いけど……それより、あの後何がどうなったんだ?」
最後に覚えている光景は、アーチャーと共にライダーの宝具から逃げ切ったところだ。その後学校の結界がどうなったのか、生徒たちの様子はどうなのか、ライダーがどこへ行ったのか、遠坂とセイバーは無事だったのか……俺は何も把握出来ずに、魔眼の影響で気を失って倒れたのだ。
「学校の方は、とりあえず大丈夫。弓道場は消し飛んじゃったし、屋上もかなりボロボロだけど、建物が壊れただけで犠牲者は出てないわ。暫く入院する子も出るだろうけど、みんな無事。だから、安心していいわ」
「……そっか。みんな、助かったのか」
誰一人、死んでいない。全員が生きている。そんな当たり前の事が、ここまで重いとは思わなかった。
結界が発動した瞬間。そして、あの死体と見紛う程に力なく倒れた同級生たちを目撃した刹那。遅かったのか、また助けられなかったのかと思ってしまったが……そうではなかった。今回は、十年前とは違う。無傷とまでは行かなかったが、皆を救う事が出来た。俺たちは間に合ったのだ。
「後の事は綺礼がやってくれてる。これだけの騒ぎになった以上、全部隠すのは難しいでしょうけど……サーヴァント絡みの処理はあいつの仕事だし、どうにか上手く誤魔化すでしょ」
「サーヴァント……そういえば、遠坂たちは大丈夫だったのか?ランサーとキャスターは……」
そう訊ねると、遠坂は困ったように眉を曇らせた。こうしてここにいるという事は、遠坂もセイバーも無事だったのだろうが……この様子からすると、何かあったのだろうか。
「ランサーたちと戦ってる間はまだよかったんだけど……」
俺とアーチャーが、ライダーとの戦いに向かった後。二対一にも関わらず、ランサーとキャスター相手に互角に戦っていた遠坂とセイバーだったが、その途中でイリヤスフィールとバーサーカーが介入。三つ巴の乱闘に発展しかけたところでライダーの宝具が襲来し、そのままランサーとキャスターと一緒に消えてしまったのだという。
イリヤスフィールとバーサーカーは無傷で残ったため、そのまま戦闘が続けば危険だったが……何故か彼女たちはその場から立ち去ったため、遠坂とセイバーは俺を抱えたアーチャーと合流し、言峰に連絡を取った後でこの家まで撤退して来たらしい。
「そうか。ライダーは屋上からそっちに行ったのか」
「そ。アーチャーから逃げるついでに、ランサーとキャスターを回収していったんでしょうね。そのせいで、サーヴァントは誰一人倒せずじまい。結局振り出しに戻ってきちゃったわね」
そう肩を竦める遠坂。確かに、戦力比こそ変わっていないが……それでも俺たちは、ライダーたちの戦力を大きく削ぐ事に成功した筈だ。
学校を覆っていた結界は無くなり、誰一人犠牲者を出さずに済んだ。ライダーは魔力の回収に失敗しただけではなく、自らの真名や宝具も全て露呈し、かつ残った魔力の殆どを使い切った。キャスターが溜め込んでいる魔力を使えば回復は出来るだろうが、あの陣営の力は大きく落ち込むだろう。その一方で、俺たちは傷らしい傷も負っていないのだ。ことライダーに対しては、絶大なアドバンテージを得たと言ってもいい。
「じゃ、アーチャーもセイバーも、みんな無事なんだな?」
「ええ、ピンピンしてるわよあの金ぴか。放っておくとすぐまたセイバーと喧嘩始めるんだから、まったく……士郎。体が大丈夫なら、しっかりあいつの事見張っておきなさいよね」
軽いため息を残すと、よいしょ、という掛け声と共に立ち上がり、そのまま出ていこうとする遠坂。
「わたしはわたしでやる事もあるし、部屋にいるから用事があったら声をかけて頂戴。昨日は忙しかったし、しばらくは休んだ方がいいわ」
「ああ、わかった。色々ありがとな、遠坂」
俺の声に手を振って返すと、遠坂はそのまま部屋を出て行った。
……さて。目が覚めた以上、いつまでもここで寝ているわけにはいかない。俺を運んでくれたアーチャーや、あの時背中を守ってくれたセイバーに、きちんと礼を言いに行かなければいけないし。これからどう動くべきなのか、その相談もしなければならない。やる事は山ほどあるのだ。
起き上がって手早く着替えを済ませ、顔を洗って居間へ顔を出す。中へ入ると、座って茶を片手に蜜柑を摘んでいたアーチャーとセイバーが、揃ってこちらに顔を向けた。俺の姿を認めたセイバーが、翠の瞳を微かに細める。
「シロウ。体の様子は―――」
「この通り大丈夫。昨日はありがとうな、セイバー。心配かけて悪かった」
「そうですか……それは良かった。シロウが無事で、何よりです」
ほっとしたように笑顔を見せるセイバー。心底から俺の無事を喜んでいると判るその柔和な微笑みに、自然と俺も笑みが漏れた。空いている席に座りながら、セイバーに声をかける。
「バーサーカーと戦ったって聞いてたけど、そっちも大丈夫だったみたいだな。安心した」
「ええ。私の方は、小競り合いに終始していましたから。ライダーの宝具と対決したシロウたちほどの危険はありませんでした」
「って事は、もうライダーの話は……」
「はい。アーチャーから聞いています」
ライダーのサーヴァント。その正体はギリシャ神話に名を残す怪物であり、ゴルゴン三姉妹の一人、メドゥーサだった。
本来ならば英霊ではなく、英雄に倒される側の怪物である筈の彼女。何故サーヴァントとして現界しているのかは不明だが、伝承に違わず宝石のような目を持ち、視認した物を問答無用で石化させるという恐るべき宝具を持っていた。宝具を解放していたのが短時間だったから気を失う程度で済んだが、あの魔眼を長時間受けていたら、俺は今頃物言わぬ石ころに成り果てていただろう。
そして、血の結界と石化の魔眼という二つの宝具の他に、最後に繰り出してきたあの宝具。最後の最後まで出さなかったところを見ると、あれこそがライダーの本当の切り札だったのだろう。直ぐにその場から退いたのと、凄まじい光を放っていたせいで、その正体が何だったのかは結局判らずじまいだったのだが―――。
「……そうだ。礼を言うのを忘れてた、アーチャー。ありがとな、助けてくれて」
そう言うと。黙って俺たちを眺めていたアーチャーが、ぴくりと眉を動かした。
キャスターの使い魔による奇襲。そして、ライダーの最終宝具。どちらも俺が一人だったら確実に命を落としていた。アーチャーが助けてくれたおかげで、俺は今こうして生きていられる。どこまでも自分勝手で傲慢なサーヴァントだと思っていたが……少しはマシな関係になれたのだろうか。
「フン、我とてサーヴァントだからな。マスターの危機には、それなりに手を貸してやるさ。余興といえど、退屈な終わりは見るに値せぬからな」
と思いきや。感情の宿らぬ声で言い捨てるアーチャーの態度は、いつもと何も変わらない。やはりこの男にとっては自身の愉しみが最優先、マスターの生死などは二の次三の次という事か。単に今死なれては面白くないという理由があったから、俺を助けたに過ぎないのだろう。
ここ最近、変な夢……恐らくはアーチャーの過去の一部を見ているのだが、その中でもこの男はこんな感じだった。平然と人を従え、命令する姿が誰より似合う絶対王者。例え死の淵に瀕してでも、この英雄が自分を曲げる姿など想像できない。
だが、一つ疑問が残る。この男の持つ強大な自我は、生まれつきのものなのかもしれないが……夢の中で、アーチャーが自分の娯楽に執着するような姿を見た時はあっただろうか。単に数える程しか夢を見ていないというのもあるだろうが、その中でのアーチャーは常に孤高の王だった。ただ君臨するのみで、傅く臣下すら眼中に無かった姿と、俺やセイバーの姿を眺めて娯楽と嘯く今の姿では、若干異なっているように見える。
唯一、今朝見た夢。緑の髪を持つ人物と戦った後のアーチャーは、それまでの峻厳な態度が嘘のように楽しげに笑っていたが……もしかすると。あれが切欠で、アーチャーは少し変わったのかもしれない。誰にも興味を示さなかった王が、自分に逆らう者に初めて見せた関心。記憶を失った今でも、その時の事は微かに覚えているのか。
「……あれ」
そうして物思いに耽っていると、ふと違和感に気付いた。遠坂にはもう会ったし、アーチャーとセイバーの姿は見えるが……この家にはもう何人か、住民が居なかっただろうか。
「そういえば、藤ねえと桜はどうしたんだ?」
「タイガでしたら、学校の件で当分顔を出せないという連絡がありました。シロウに、よろしく伝えてほしいと。
サクラは、熱は若干下がりましたが……まだ本調子では無いようで、今も眠っています」
打てば響くように、澱みなくセイバーがそう答えてくれる。アーチャーは答えようともせずふんぞり返ったままだし、これでは誰が誰のサーヴァントかわからないが……いや、それはさておき。
もしやと思ったが、やはり藤ねえはここに来ていなかった。いくら無事だったといっても、藤ねえは正規の教職員。学校であれだけの騒ぎがあれば、調査やら事後処理やら生徒の世話やらで、油を売っている暇はないだろう。何も悪くない藤ねえに余計な負担をかけるのは心苦しいが……原因を作ったのは慎二とライダーだとはいえ、俺がもっと早く決断できていたら、こんな惨事を引き起こさずに済んだのだ。責任の一端は俺にあるとも言えるし、後で何らかの形で藤ねえに詫びを入れるしかない。
あと少し。何かがちょっと違っていれば死者が出ていたという事を考えると、自分の行動の危うさに戦慄する。聖杯戦争とは―――命の奪い合いとは、一歩でもずれれば無関係な他人にさえ火の粉が飛ぶ狂った儀式なのだ。せめて、藤ねえや桜だけでも直接巻き込まれずに済んで良かったと思う。
「桜はまだ寝てるのか……具合が酷くなったりはしてないんだよな?」
「ええ。凛の見立てでは、明日には動けるようになるだろうと。大事に至らなくて、何よりです」
「そうか、良くなってるなら安心した。本当なら先輩の俺がついてなきゃいけないんだけど、昨日は寝ちまってたからな……セイバーたちには、迷惑ばっかりかけてるな。すまない」
昨日ライダーたちとの決戦に向かった俺たちは、桜の側にいてやる事が出来なかった。それで日中、俺たちが戻って来るまでは顔見知りの家政婦さんに桜の面倒を見てもらっていたのだが……俺は途中で倒れてしまったので、後の事は遠坂やセイバーが何とかしてくれたのだろう。
桜の容体が快方に向かっているのは不幸中の幸いだ。何か酷い病気でも患っていれば、病院に連れて行かなければならないところだった。慎二の所在は不明のままだし、もし入院という事にでもなれば、桜に付き添う事の出来る人間がいなくなる。
桜の側にはついていてやりたい。だけど、人間を養分としか思っておらず、何百という一般人を手にかけるような連中を放っておくわけには行かない。慎二やライダーのような奴らを止める為に、俺は聖杯戦争に参加すると決めたのだから。せめてふざけた真似をするサーヴァントだけでも倒せれば、その心配も無くなるのだが……。
「宝具の影響を受けたのですから、寧ろあの程度で良かったと思うべきでしょう。シロウが責任を感じる必要はありません」
「そう言って貰えると助かる。……宝具といえば、ライダーが最後に出してきた、なんか光ってるアレ。アレの正体って、結局何だか判ったのか?」
「いえ、突然の事でしたので、私も姿形までは……。ですが、ライダーの正体がメドゥーサなら、あの宝具は―――」
「―――彼奴の子である、二匹の魔獣。その内のどちらかであろうよ」
考え込む素振りを見せたセイバーに続くように。ここまで黙っていたアーチャーが、迷いなくそう断言した。
「ライダーは、アレを出す寸前に自らの首を切り裂いた。奴自身の血から、アレは生まれ落ちたのだ。メドゥーサの首と血から生まれ落ちた怪物といえば―――」
「―――ペガサスと、クリューサーオール。飛行能力と白い光、それに知名度の事を考えれば、恐らくは前者でしょう。
私が見たのは一瞬でしたが、並の魔獣とは格が違う。守りに関しては私以上、もしかすると竜種に匹敵するかもしれません。あれを相手にするなら、相応の備えが必要です」
首を切りつけて召喚するという特異な手法と、断片的に見えた幾つかの特徴。ライダーの真名が既に知れていた事も相まって、二人のサーヴァントはあっという間に宝具の正体を解き明かしてしまった。聖杯戦争では情報の秘匿が何より重要だというが、今の光景を見ていれば頷ける。サーヴァントの真名が割れれば、その手の内までもが詳らかになってしまうのだから。
「ペガサスって……羽の生えた、空を飛ぶ馬の事か? なんか、あんまり強そうな感じがしないんだが……」
「通常の天馬なら、確かにそうでしょう。ですがライダーの召喚した天馬は、この時代まで残る天馬の伝承の原典。並大抵の敵ではありません」
「―――少なくとも、今の我では勝てぬな」
まるで今日の天気を語るように、あっさりとした口調でそう言い放つアーチャー。余りの危機感の無さに、言葉の深刻さに気付くのが一瞬遅れたが……その意味を咀嚼した時、流石に唖然となった。
「勝てないって……アーチャー、あれだけライダーを圧倒してたじゃないか」
「だが仕留め損ねた。彼奴らが一度退いた以上、痛手を覚悟でキャスターの魔力を使う事だろうよ。弱ったままならば良いが、回復したライダーを倒すのは難しかろう。
加えて、彼奴の宝具が問題だ。石化は我には効かぬが、天馬の方はどうにもならぬ。あれに抗し得る宝具を、今の我は持ち合わせておらぬからな」
冷静にそう分析していくアーチャー。傲岸不遜な性格から言って、自分が負ける筈が無いとでも言うのかと思ったが、黄金の英霊の戦略眼は予想以上に的確だった。
最強の幻想種である、竜種にすら匹敵する防御力を持つ
あれに勝つには、召喚される前にライダーを仕留める事の出来る奇襲能力か、それとも天馬以上のスピードか火力か防御力を持った何かが必要となる。だがアーチャーはアサシンではないし、今使える武器と言ったら双剣と鎧だけ。確かに素のライダーとは戦えても、天馬に対する勝ち目はありそうにない。
「それじゃどうしようもないな……セイバーの方は、何かいい手だてはないのか?」
「……無い事はありません。私の宝具ならば、例え天馬であろうとも問題なく勝利出来るでしょう」
「ですが、私の宝具は少々扱いが難しい。範囲も広く、発動の際には真名を唱える必要がありますので、好機を捉えなければ簡単には使えないでしょう」
「真名……?」
そういえば。ランサーはあの槍を使う時、わざわざ槍の名前を叫んでいた。宝具を使うには、そういった規約が存在するのだろうか。
「ええ。私たちの宝具は、その真名を唱える事によって力を発揮します。中にはライダーの魔眼のように、それ自体が宝具としての力を帯びている常時発動型のものもありますが、基本的には真名解放が必要だと思って頂いて良いでしょう」
なるほど……宝具が気軽に使えないのは、そういう理由もあるのか。確かに武器の名前を口にしてしまえば、そこから持ち主の名前も割れてしまう。それで相手を仕留められればいいが、もし防がれたり逃げられたりしてしまった場合、こちらの情報だけが奪われる最悪の結果になりかねない。
それに、名前を口にするのは時間が必要だ。言葉を発する為に必要な時間は高々数秒ほどだろうが、秒間に数百回単位で打ち合いを重ねるサーヴァント同士の戦いでは、一秒ですら長すぎる。隙を突かなければ使えないというのも、恐らくそういう理由があるのだろう。
「そうか……じゃあ、何とかして隙を作れれば、セイバーはライダーを倒せるんだな?」
「恐らくは、ライダー一人なら確実に。状況次第では、キャスターやランサーも諸共に倒せるかもしれません。
昨日の学校のような戦場ですと、被害が大きすぎる為使うのは難しいでしょうが……人気のない、森や山のような場所でしたら問題なく」
「他の人を巻き込まないような場所か……」
うちの学校の敷地は、自慢ではないがかなり広い。あそこすらセイバーの宝具が使いにくいのか……冬木市はそれなりに発展した都市だし、あそこより広くて且つ人がいないような場所となると、未遠川か郊外の森ぐらいしか思いつかない。
「人気のない場所……ライダーたちがそういうとこを拠点にしてるなら、こっちから押しかけるっていう手もあるけど。あいつらの居場所って、さっぱり判らないしな……」
「―――待て。この街の地図を持ってこい、雑種」
俺の呟きに。考え込んでいたセイバーでは無く、何故かアーチャーが反応した。
何か思いついたのかもしれないと思い、慌てて戸棚に置いてあった冬木市全体の地図を持ってくる。ついでに、ペン立てからボールペンも引き抜いてきた。
アーチャーが食べ終えた蜜柑の皮を片づけ、テーブルに地図を広げる。そこそこ古いものだが、国土地理院が発行している地図だ。地形が変わる程の出来事も無かった筈だし、大きく変わっている部分は無いだろう。強いて挙げるなら、何年か前にそこそこの大きさの地震があったぐらいだが、特にどこかが変わったというニュースは聞かなかった。
「雑種。貴様の学び舎はどこにある?」
「あ、ああ……この辺りだけど」
ボールペンのキャップを取って、学校の辺りを黒の線で囲む。アーチャーが何をしようとしているのかは判然としないが、セイバーはアーチャーの意図を掴んだようで、はっとした表情を浮かべて地図を覗き込んだ。
「シロウ、その筆を貸してください」
真剣な瞳に呑まれ、反射的にキャップを取ったままのボールペンを渡してしまう。それを受け取ったセイバーは、俺の下手くそな円の横に、何やら直線を引き始めた。
「昨日、ライダーが逃走した方角はこちらです。私たちの目を欺く欺瞞行動という線もありますが、ライダーの消耗具合を考えれば、最短の時間で拠点へ戻る道筋を選んだ可能性が高い」
「然り。あの天馬は、彼奴にとっても最後の手段だった。この方角の何処かに、ライダーどもの根城があるのは間違いなかろうよ。
……だが、この線を辿ると山に着く。山中に籠られるのは些か面倒だが―――雑種。この山には何がある?」
言われるがままに、セイバーが引いた線を辿っていく。そして、学校と山とを結ぶ線の途中には―――。
「―――柳洞寺。多分、ライダーが拠点にしてるのはここだ」
何度か足を運んだ、馴染み深いお寺の場所が記されていた。
柳洞寺には修行中の僧が数多く暮らしており、檀家との交流も盛んなお寺だ。そんな人目に付くような場所をアジトにしているのは驚きだが、あの一味にはキャスターのサーヴァントがいる。魔術に特化した英霊の力を以てすれば、数十人程度の意識を操作するなど容易い事だろう。辺鄙な山の中という条件も、一見すれば不便そうに思えるが、空間転移さえ可能にするキャスターにとっては立地条件は関係ない。
「なるほど。この寺院でしたら、サーヴァントが立て籠もっていても不思議はない。ここはライダーの拠点というよりは、キャスターの拠点なのでしょう」
「そういえば、ここに住んでる一成が、最近怪しい外国人の女が増えたとか言ってたような……やっぱり、あれはサーヴァントの事だったのか。
それにしても、セイバー。なんで柳洞寺の事知ってるんだ?」
「シロウ、私が参加した聖杯戦争は今回だけではありません。ですので、この街の主要な場所は熟知しています。十年の間に変わった部分も、凛の案内で把握済みです。
この寺院は、冬木の街でも指折りの霊地。魔術師にとっては絶好の場所と言っても良いでしょう。キャスターが町中の人々から魔力を集めるのには、まさにうってつけです」
今まで掴めなかった、ライダーたちの拠点。各人の持つ情報を突き合わせた結果だが、ここに敵サーヴァントたちが潜んでいるのは最早疑いようがない。
拠点が判れば、後は攻め込むだけ。敵の、それも魔術師のサーヴァントが居る場所が罠だらけでない筈がないが……今のライダーたちは、昨日の戦いで消耗している。だがこのまま放っておけば、街から幾らでも魔力を集められるサーヴァントたちはそう時を待たずして回復し、今度こそ俺たちが窮地に立たされる。ここは巧遅より拙速を重んじるべきだろう。
後で遠坂も呼んで、本格的に作戦を練る必要がある。相手は昨日、俺たちの手の内を易々と看破して見せた狡猾なサーヴァント。こちらの出方を予想していない筈が無い。
どうしようか、と口を開こうとした時。呑気にお茶を飲んでいたアーチャーが、突然不機嫌そうな顔になった。
「雑種、我の茶が尽きた。早々に注ぎ足してくるが良い」
「……アンタ、そんぐらい自分でやったらどうなんだ」
「たわけ、給仕など衆愚どもの役目であろう。この我をそこらの雑種と等しく見做すなぞ無礼千万」
「…………」
この金ぴか男にはまともな理屈が通じそうにないので、渋々ながらお湯を汲むために台所に向かう。途中、何気なく気付いて冷蔵庫を開くと、中身が殆ど空になった棚が目に入った。
そういえば……ここ数日、食べる人数は増えた割に、買い物にいく頻度が減っていた。食料は多めにストックしてあったつもりだが、人数が増えすぎて遂に在庫が尽きてしまったようだ。最後の手段であるカップラーメンはまだ残っていたと思うが……ここは諦めて、食材を買って来るしかない。いくら何でも、葱と卵と牛乳だけで昼食を用意するのは無理があるし……ついでに言うと、今アーチャーたちが飲んでいるお茶の葉も尽きていた。
「悪い。茶葉も冷蔵庫もすっからかんだから、俺ちょっと買い出しに行ってくる。昼飯はちょっと遅くなるけど、勘弁してくれ」
「な……シロウ、一人で出歩くつもりですか?」
「大丈夫だって。今日は休日だから人も多いし、今は昼間だろ? それに昨日あれだけ派手にやらかしたんだ、ライダーたちは引っ込んでると思うし……他のサーヴァントだって、真昼間に街中で仕掛けてきたりはしないだろ」
「それはそうかもしれませんが、万一のことがあります。外出するなら私かアーチャーを―――」
「そっちの方が目立ってしょうがないだろ。商店街までは人通りも多いし、ちょっと買い物に行ってくるだけだから、そんなに心配する事ないって」
尚も食い下がるセイバーを、まあまあと宥める。アーチャーの方は最初から我関せずと、また新たな蜜柑を食べているし、これでは本当に誰が誰のサーヴァントなのか。
確かに一人で出歩くのは危険かもしれないが、安全だという根拠はそれなりにある。それに、ただでさえ目立つ外見のサーヴァントたちを連れて行ったら、余計な騒ぎが起きかねない。下手をすれば他のサーヴァントや魔術師を刺激して、藪蛇をつつく事にもなりかねないし。
何とか心配するセイバーを言いくるめたところで、部屋から防寒具一式を取ってくると、買い物袋と財布を掴んで玄関に向かう。早くしないと昼になってしまうし、商店街が混み合う前に必要な物を買っておかないと。
***
外に出る。冬の寒さは今日も変わらず、冷たいというよりは痛みを感じる。吐く息は白く、太陽はぼんやりと霞んでいる。いつ雪が降り出してもおかしくない程、世界は白く染まっていた。
「……寒っ」
それなりに温かい恰好をしてきたつもりだが、予想以上の寒さにぶるっと震える。カイロを取りに戻ろうかとも考えたが……わざわざ戻る程のものでもないだろう。とっとと買い出しを済ませて戻ってくればいいだけの話だ。
マフラーをきつく巻きつけると、いつもの道を通って商店街へ向かう。すれ違う人の数が普段より目に見えて減っているのは、気候のせいもあるだろうが……それよりも、昨日の学校での騒ぎの方が大きいだろう。
いくら言峰が火消しを図ったとしても、あれだけの騒動が噂にならない筈が無い。学校で何か大変な事件が起こったという事ぐらい、みんなとっくに知っているだろう。ただでさえ最近はガス漏れや行方不明……聖杯戦争の影に隠れた事件が多発しているのだから、皆が外出を避けるのは自然な流れだ。
普段の三割減といった混み具合の商店街に着くと、顔馴染みの店を巡って買い物を済ませて行く。親切な店主やおばさま方に、『最近は物騒だから気を付けるように』と声をかけられたが、曖昧に笑って誤魔化しておいた。まさか、自分がその騒ぎの関係者だと言える筈もない。
気分の悪さと一抹の罪悪感を覚えながら、食材の入ったビニール袋を手に八百屋を出る。そのまま家に帰ろうと思ったが……ふと気分を変えて、違う道を通る事にした。
昼時だというのに人の増えない商店街を抜け、同じく人通りの絶えた住宅街の間を通っていく。普段なら子供たちが気ままに遊んでいる路地裏も、今は数匹の野良猫が屯しているだけ。あるべき場所にあるべきものが無い異常さは、疑問以上に得体の知れぬ不気味さが湧き起こる。どこか薄ら寒いものを感じながら、猫たちの横を通り過ぎて行く。
「こっちにも、誰もいないな……」
路地を抜けて行くと、小さな公園に辿り着いた。団地の中にあるため、子供向けに様々な遊具が並んでいるが……案の定、ここにも人の姿はない。錆びかけたブランコだけが、キイキイと悲しげに揺れている。
つい先日俺はここで、あの少女……イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと話をした。バーサーカーのマスターであり、敵対する魔術師である少女。彼女の善意の申し出を拒絶してしまったせいで、あの時は喧嘩別れのような形になってしまったが……俺は彼女と、もう一度話をしたいと思っている。イリヤが悪人であるとはどうにも思えなかったし―――最後に彼女が呟いた、切嗣と俺を殺しに来たという言葉がどうしても気にかかる。
俺よりも遥かに幼い少女と、五年前に亡くなった切嗣。一見して関わりの無いように見える両者に、一体何があったのか。マスターである俺だけならまだしも、何故切嗣までもが敵意を向けられているのか。十年前、切嗣のサーヴァントだったセイバーに訊けば答えが判るのかもしれないが、俺はやはり本人の口からその理由を聞きたかった。
今日この公園に寄ったのは、ひょっとしたらイリヤがいるかもしれないという根拠のない期待があったからだ。けれど、そんな思惑が上手くいく筈もなく。俺の寄り道は、結局空振りに終わったようだ。
「しょうがない。帰るか」
買い物袋をぶら下げたまま、無人の公園に踵を返す。そのまま、帰り道へ踏み出そうとしたところで―――
「―――え?」
驚いたように。こちらを見つめる、白い少女と目が合った。外套に身を包んだ彼女は、お化けにでも出会ったような顔で俺の事を見上げている。二度目の出会いは偶然だったのか、それとも必然だったのか。
「こんなところで何してるの、シロウ……?」
「それはこっちの台詞だ。何でこんなところにいるんだ、イリヤ」
危ないじゃないか……と続けようとしたところで、彼女にとって身の危険など有り得ないという事実にはたと気が付いた。あろうことか、最強を誇るサーヴァントであるバーサーカーのマスターに対して、『危ないから出歩くな』とは愚かしいにも程がある。
一方。ばったり俺と出会ったイリヤは、明らかに驚いた顔をしていた。目をぱちぱちと瞬かせ、口をぽかんと開けているその様子は、見た目同様子供らしく、何となく微笑ましい気分にさせる。その表情を見ていると、マスターとして警戒するのが少し馬鹿らしくなった。彼女が聖杯戦争の参加者としてここに来ていたのなら、今頃俺はとっくに倒されていた筈なのだから。
「……ま、何でもいいか。折角だし、少し話でもしていかないか」
「え―――? でもわたし、シロウを殺すって言ったんだよ?それなのに、なんで……」
俺の誘いに、困ったように目を動かすイリヤ。そこには純粋な驚きと、困惑と……そして僅かながら、恐れのような感情が宿っていた。
それが、拒絶される事への恐怖に見えて。彼女への警戒心が、完全に払拭された。マスターだろうが魔術師だろうが、今のイリヤは年相応の少女だ。悪い答えが来はしないかと相手の返事に怯える姿の、どこに危険があると言うのか。
屈みこみ、数歩先に居るイリヤと視線を合わせる。彼女を怯えさせないように、努めて優しい声を出す。
「俺はイリヤと話したかったんだけど……イリヤは、俺と話すのは嫌か?」
「ううん、そんな事無い!けど、わたし……」
「んじゃ決まりだ。美味い物を買って来たんだけど、俺一人じゃ食べきれないからな。折角だから、話すついでに食べるの手伝ってくれ」
ほい、と買い物袋の中から、爪楊枝の刺さったたこ焼きを差し出す。躊躇いがちに目を丸くしながら受け取るイリヤが、小動物のように見えて思わず笑みが漏れた。
「出来立てで熱いから、火傷しないようにな。それじゃ、こっちで座って食べよう」
「あ、うん……」
そうして公園に逆戻りすると、たこ焼きを持ったままのイリヤがとことこと着いてきた。彼女と一緒に、公園の隅のベンチに座る。
たこ焼きが入ったパッケージもベンチに並べる。最初は恐る恐るといった様子でたこ焼きに齧りついたイリヤだったが、すぐに気に入ったのか、目を輝かせると次々とたこ焼きを頬張り始めた。この勢いだと、一人で完食してしまいそうだが……元々イリヤがいたらあげるつもりだったものだし、喜んでくれるに越したことはない。家で待つ皆へのお土産は、今回は我慢してもらう事にしよう。
「たこ焼き、美味しいだろ?」
「うん! ニホンには美味しい物が沢山あるのね。お城の料理も美味しいけど、こういうのは食べた事が無かったから、ちょっと新鮮かも」
「そっか。イリヤ、普段はお城にいるって言ってたもんな。普段はどんな物を食べてるんだ?」
「えっとね―――」
たこ焼きが気に入って貰えたのか、戸惑っていたイリヤの表情が、段々と笑顔に変わっていく。一度気持ちが切り替わってしまえば後は早いもので、途端に明るくなったイリヤは、次々と楽しげに自分の生活を話し出した。
そこからは、前回とあまり変わりはない。以前に話した内容も、そうでない内容も、イリヤは上機嫌で話し続けて行く。前回感じた通り、彼女にとってはやはり他人との会話という行為そのものが希少であり、娯楽と成り得るものなのだろう。その通常有り得ない、異常な環境が気にかかる。いくら魔術師とはいえ、殆ど拠点から外に出ず、他人との交流すらほぼ無いというのはおかしいのではないだろうか。
「なあ、イリヤ」
「どうしたの、シロウ?」
もぐもぐとたこ焼きを咀嚼しながら、俺を見上げてくるイリヤ。純真な赤い瞳を真っ直ぐ見ながら、慎重に言葉を選ぶ。
「イリヤはこっちには、メイドさんを連れてきてるって行ってたよな。普段そのメイドさん以外に、話す人はいないのか?」
「んー、セラとリーゼリットの他には誰もいないかな。バーサーカーは喋れないし、他には誰もいないし。
……昔ね。十年くらい前は、一緒にクルミ探しをして遊んでくれる人もいたんだけど」
そうぼそりと呟くと。こちらを見ていたイリヤは視線を逸らし、雲に覆われた空に目を向けた。
今にも雪が降りそうな空は、どこまでも厚い雲に覆われている。日の光は白いベールに遮られ、僅かにしか届かない。どんよりとした冬空の向こうに、彼女は何を見ているのだろうか。
口を噤み、何かに思いを馳せているイリヤ。彼女を邪魔する訳にも行かず、俺も自然と口を閉じ、イリヤの視線の先を追う。
小さな公園の隅っこで。風の吹き抜ける音だけが届く、静かな時間が過ぎて行く。そのまま十分以上は黙っていただろうか。冬風に耳が痛くなってきたところで、イリヤが静かに口を開いた。
「……シロウ。キリツグは、今どうしているの」
遠い目で空を見上げながら、今にも消え入りそうな声で、イリヤはそう訊ねてきた。その肩が僅かに震えているのは、寒さだけが原因ではないだろう。
少しだけ聞かせてくれた、イリヤの両親の話。
十年前、イリヤと一緒にクルミ探しをして遊んでくれたという人物。
同じく十年前。イリヤと同じように、聖杯戦争のマスターとしてどこかからやって来た衛宮切嗣。
イリヤが向ける、どこか複雑に捻じ曲がった切嗣への敵意。
これだけ断片が揃っていれば、イリヤと切嗣の関係も薄々想像がつく。彼女が、切嗣と俺を殺すと宣言した理由も。
前にイリヤと会った時、俺は彼女に切嗣の話をしたが……助けられ、魔術を教わったという事以外は口にしていなかった。けれど、この様子だと……イリヤも薄々は、その答えを感じているのだろう。
あの綺麗な月夜を思い出す。俺の言葉を聞いて、安心したと笑って逝った切嗣。小さな女の子を一人残し、終ぞ逢う事すら叶わなかった親父は、最期に何を想っていたのだろうか。
「死んだよ。五年前に」
「……そう。死んじゃったんだ、キリツグ」
噛み締めるように、上を向いたままそう呟くイリヤ。殺意へ昇華するほどの感情を向けていた相手は、既にこの世には残っていない。存在しない人間への感情は、一体どこに向ければいいのか。感情をぶつけるべき相手を失った彼女が浮かべている表情は、敵が消えた喜びではなく、どこか空虚さの宿る悲しみだった。
「やっぱり、わたしのコト忘れちゃってたのかな」
「―――いや。それは、違う」
「……え?」
驚いたように、ぴくりとこちらを向くイリヤ。その瞳には、信じられないという色がありありと浮かんでいた。
イリヤスフィールという少女は、傍目からはどう見ても、小さな子供にしか見えない幼い容姿をしている。けれども彼女は、前回の聖杯戦争以前……少なくとも十年前には物心がついており、切嗣と面識があった筈だ。そうでなければ、彼女の話と俺が知るそれ以降の切嗣の話が繋がらない。イリヤの幼い姿と経過している年月は矛盾しているが、彼女は歴とした魔術師。見た目が多少常人と異なろうともおかしくはない。
切嗣は一度もイリヤスフィールという知人がいるとは話さなかったし、俺も全く知らなかった。けれどそれは、話さなかったと言うよりは……話せなかったのではないだろうか。
急激に体が衰えるまで、切嗣はしょっちゅう外国へ旅行に出かけていた。その度に切嗣は面白い話をしてくれたし、土産品も色々と買ってきてくれたものだが―――今にして思えば。それは、北国に偏ってはいなかっただろうか。イリヤが居たという寒い雪の国と、切嗣が旅行先としていた国。この二つは一致する。
きっと切嗣は、何度もイリヤに会おうとしていたに違いない。あの優しかった親父が女の子を一人残していくとは考えられないし、切嗣が旅に出た回数はどう考えても多すぎる。けれど、どんなに親父が会おうとしたとしても。何らかの理由があって、イリヤと再会する事は一度たりとも叶わなかったのだ。―――最後の最後まで。切嗣は、イリヤの事を口にしなかったのだから。
そう言うと。イリヤは、静かに悲しそうな微笑みを浮かべた。
「……そっか。会おうとしても会えなかったなら、仕方ないよね」
俺の言葉は、彼女の心を少しでも軽く出来たのか。ここにはいない切嗣に向けたその言葉からは、先程までの敵意が少し薄らいだように聞こえた。
イリヤが切嗣へ向けていた激しい感情。それは、十年間自分と会わなかった切嗣への、愛情の裏返しではなかったか。何故なら、イリヤは切嗣の―――
「聖杯戦争まで十年も待ったのに。フクシュウの相手は、もういないのね。わたし、何のためにここに来たのかな」
「…………」
その重い独白に。俺は、かける言葉を持たなかった。
十年という月日は、決して短いものではない。それだけの年月、イリヤは切嗣を恨み続けていたのだ。
しかし、いざ冬木市に訪れてみれば。衛宮切嗣はとうにこの世を去っており……そして彼女が切嗣を恨む理由も、その一部は無くなろうとしている。感情を向けるべき相手が死んでしまった時の空しさ―――それを十年前に知った俺は、彼女の気持ちが微かに理解出来た。解ってしまったからこそ、迂闊に話しかける事が出来ない。
俯くイリヤと、口を開けない俺。肌を突き刺すような公園の空気は、より一層冷え切っていく。雪はまだ降り出していないというのに、極寒の吹雪の中にいるような冷たさだった。吐く息だけが、白く宙に溶けて行く。
「―――それでも。キリツグが居なくても、わたしのやる事は変わらない。わたしはアインツベルンの魔術師で、聖杯の成就は一族の悲願だもの」
やがて。何かを振り切るように、振り払うように。決意の籠った瞳で、イリヤはそう言い切った。
アインツベルン。遠坂からは、聖杯戦争の始まりに関わる一族とだけ聞いている。およそ千年以上に亘り、聖杯の完成を追い求める魔術師の家系。その執念は、最早人が推し量れる領域を超越しているに違いない。
魔術師どころか、世間一般で言うまともな家族構成すら知らない俺にとって、一族を背負う重みというものは理解しがたい。しかしこの少女は、たった一人でそれを背負っているのだ。負ければ命を失うという、聖杯戦争の中に飛び込んで。
―――なら俺も。彼女がこのまま戦い続けると言うなら、聖杯戦争のマスターとして、イリヤに話しておくべき事がある。
「イリヤ。今冬木に、サーヴァントを狙ってる化け物がいる事、知ってるか」
「……なに、それ」
突然の言葉に意表を突かれたのか、イリヤの顔が強張る。その反応から見て、やはり彼女もあれの存在は知らなかったらしい。
マスターでもサーヴァントでもない異形の怪物。もしかしたらイリヤは知っているかもしれないと思ったのだが、どうもそうではなかったようだ。
眉を顰めるイリヤに、あの化け物の特徴を伝えて行く。黒い薄っぺらな外見に、無数の触手。サーヴァントにすら死の危険を感じさせる異常性。街の人間を無差別に襲い、事件を引き起こしている現状。セイバーとランサーの戦いに介入して来た時の、あの異様さ。
セイバーやアーチャー、ランサーとは関わりが無い。ライダーは、あの怪物を使役できるなら結界など貼る理由が無い。計画性を持って魔力を集めるキャスターも同じだ。理性を持たぬバーサーカーでも、隠密行動に特化したアサシンでもない。サーヴァントに匹敵する脅威を並の魔術師が使役出来るとは思えないし……唯一その可能性があったイリヤでさえあれに心当たりがないなら、聖杯戦争の中にあってさえあれは異物だ。
「知らない。何よそいつ……わたし、そんな事聞いてない」
一通り話し終えたところで、イリヤが拒絶するように首を振る。
イリヤも把握していなかったのなら、今話したのは正解だった。あの化け物は、兎に角底が知れない。いくらバーサーカーが桁外れのサーヴァントであれ、あの水母もどきと対決して無事で済むとは思えない。何も知らないままあれと遭遇していたら、イリヤでも危険だっただろう。
俺はあの時、喰われると思った。セイバー程の直感も、アーチャー程の鑑識眼も、遠坂程の魔術の知識も持たない俺ですら本能的にそう感じたのだ。あれを放っておけば間違いなく―――十年前の再来が起こる。
「シロウのアーチャーもそうだし……今度の聖杯戦争、わたしの知らないところで何かが起こってる。わたしが上手く
小声でぼそぼそと、何かを考え込みながら呟くイリヤ。年相応の無邪気さはすっかり鳴りを潜め、今の彼女は思索に耽る魔術師の顔となっていた。
「……なんだか解らないけど、とりあえずイリヤはあれとは無関係だって事でいいのかな」
「うん。その話、知ったのは今が初めて。マスターでもサーヴァントでもないヤツが聖杯戦争に介入して来るなんて、今まで聞いたことが無かったもの。
教えてくれてありがとう、シロウ。わたしの方でも、その変なヤツについて調べてみる」
「ああ、よろしく頼む。あんなのが居たんじゃ、このまま聖杯戦争を続けるのだって無理が出て来るだろ」
そう、大真面目に言ったつもりだったのだが。おかしなものを見たという風に、イリヤは俺に苦笑いを向けてきた。
「シロウって本当に変わってるのね。わたしはそんなヤツの事知らなかったんだから、黙っていればよかったのに。もしそんなのにわたしのバーサーカーがやられちゃったら、シロウにとってはオカイドクじゃない?」
微妙に間違った日本語だが、言いたい事は解る。敵マスターに善意で情報を教えるなんて、アーチャーあたりには馬鹿の極みだと一蹴されそうだ。
しかし、善意を受けたのは俺の方が先だ。それこそ放っておけばよかったものを、わざわざアーチャーの危険性を教えてくれたのはイリヤの方なのだ。だから、これでおあいこだろう。魔術師風に言えば、等価交換という事だ。遠坂じゃないが、借りっぱなしっていうのは良くないと思うし、それに―――
「バーサーカーが倒されたら、その時はイリヤも危ないじゃないか。女の子を危険な目に遭わせるなんて、そんなのは駄目だ」
「っ……!」
俺がそう言い切った瞬間、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。気のせいか、頬が赤くなっているが……俺はそんなに、怒らせるような事を言っただろうか。
命の奪い合いである聖杯戦争に加わっている時点で、危険がどうのというのは馬鹿げているかもしれないが、それでも俺はイリヤが危ない目に遭うのは嫌だ。彼女が俺に敵意を持っていたとしても、そんな事は関係なく……単純に、女の子に傷ついてほしくないのだ。
「昨日は出てこなかったけど……今日だって、夜になればまたあの化け物が出てくるかもしれない。イリヤ一人じゃ危ないし、早く家に―――」
待てよ。冬木に居る間、館に居るとは言っていたが、イリヤは普段どこに住んでいるのだろうか。
疑問を持った俺が口ごもると、その間顔を背けていたイリヤは漸く機嫌を戻してくれたようで、こちらに向き直ると何故か得心がいったというように頷いて見せた。
「そういえば、シロウには教えてなかったっけ。じゃ、わたしだけシロウの家を知ってるのは不公平かな」
「え、俺イリヤに家の場所なんか教えたっけ? なんで知ってるんだ?」
「それはナイショ。シロウの事なら、何でもお見通しなんだから」
えへんと得意げに胸を張る小さなレディ。その子供らしい振舞いに、自然と顔が綻ぶ。いつの間に俺の家を知られていたのかには疑問が残るが、イリヤは魔術師。使い魔を飛ばすなり何なり、調べる方法はいくらでもあったのだろう。
「それじゃ、特別にわたしのお城を教えてあげる。その変な奴の事が判ったら、わたしのお城を知っててもらった方が何かと便利でしょ? それじゃ、ちょっと目を閉じててね」
「お、おう……?」
おいでおいで、と手招きされ、何が何だか解らないまま目を閉じて頭を下げる。すると、額に何かひんやりしたものが触れる感覚があった。ひょっとして、これはイリヤの―――?
混乱して目を開けそうになると、めっ、という声と共にぐっと押さえつけられる。一体イリヤは何を始めようとしているのか。
「じっとしてて。変に動くと集中出来ないし、余計なとこに飛ばしちゃうかも。
―――準備はいい、シロウ? ちょっと揺れるから、気を付けてね」
その言葉を最後に。一瞬で、俺の視界が暗転した。
どこかに転移したのか……いや、そうではない。空間転移は魔法の奇跡に等しい。おそらくこれは魔術によって、俺の感覚器官だけがどこか別の場所に繋がれているのだろう。
それだけは辛うじて理解出来たが、ぐんぐんとどこかに引っ張られていく感覚は紛れもない現実の物で。遊園地のアトラクションのような揺れは、唐突に視界が戻ってきた事で、やっと収まってくれた。
……が。再び目にした景色は、先程までいた公園では無い。俺の目の前には何百という木々が立ち並び、地には朽ちかけた枯葉だけが残っている。太陽の光は枝葉に遮られ、地表には僅かしか届かない。見渡す限り自然しかない、どこか知らない森だった。
「…………」
声を出そうとしたが、動けない。今の俺は人間ではなく、この森の一部に連なっている。声帯の無い自然に、声を出す事など出来る筈もない。意識はあるのに体の感覚が無く、ただ視覚情報だけが入って来るというのは、どうにも気持ちが悪い。
仕方がないのでそのまま森を眺めていると、三十秒ほど経ったところで再び視点が動き出した。鬱蒼と茂る木々の中を透過するように移動し、小道のようなものを辿り、壊れた建物の横を通り過ぎ、奥へ奥へと進んでいく。やがて殆ど光が当たらないような森の深部まで行き着くと、突然巨大な建造物が飛び込んできた。これは……城、なのだろうか。
"どう、シロウ? ここがわたしの住んでいるお城なんだけど"
頭の中に、そう声が響いてくるが……何というか。絵本からそのまま出てきたようという表現がぴったりな、日本には似つかわしくない西洋の城が、目の前に堂々と聳えている。これが同じ日本の風景であるとは、俄かには信じがたい。いくら魔術師が現実離れした存在だといっても、これは度が過ぎているのではないか。
見た所、この建物は一年や二年ところか、建築から数百年経ったと言われても違和感のない程古びている。こんなものを何時の間に、誰にも知られぬ内に、どうやって冬木市に作り上げたのか……その手法は想像もつかないが、多大な労力を要したであろう事は想像に難くない。アインツベルン家の、空恐ろしいほどの執念と財力の一端が垣間見える。
俺が呆気にとられている間も視界は勝手に動き、巨大な城の周囲を巡ると、正面玄関を通って内部へと進んでいく。玄関ホール、廊下、あちらこちらの部屋と、目に映る場所は次々と変わっていくが、どの映像からも豪華な調度品やゴミ一つ無く掃除された床が映り込んでいた。本当に、ここは大富豪の豪邸そのものなのだろう。
「こんなところかな。今ので、大体の場所は見れたと思うんだけど」
「…………あれ?」
ふと気が付くと。瞳に映る光景は、またあの小さな公園へと変わっていた。
変わったというよりは、戻ったのか。視覚に連動して、聴覚や触覚や、その他の途絶えていた全ての感覚が一斉に戻ってきた。押し寄せる情報の奔流に、脳が不快感を訴えてくる。慣れない乗り物にのった時のような、吐き気を伴う気持ち悪さ。
「ちょっと、これはキツいな……」
「ごめんね。でも、これが一番早いかなと思って。わたしの城までの行き方も、何となくは解ったでしょ?」
「まあ、何とか……」
これだけ強烈な体験をすれば、嫌でもその光景は印象に残る。今の森は、たぶん郊外にあるあそこだろう。どこかの私有地になっているため誰も近付かないという噂だったが、アインツベルンが土地の所有者だったのなら不思議はない。
と。気分を落ち着けながら道を思い出していたところで、公園の時計が目に入った。短針は十一の場所を通り過ぎたばかりか、正午にさしかかっており―――まずい。このままだと、昼食の時間を過ぎてしまう。
「もう昼か。まずいな、そろそろ帰らないと」
「ぁ……」
空になっていたたこ焼きのパッケージを持って立ち上がる。すると、俺と同じように時計を目にしたイリヤが、どこか困ったような表情を浮かべて、俺の顔と時計とを交互に見比べた。心なしか、イリヤの纏う雰囲気が少し暗くなっている。ひょっとして、たこ焼きの数が足りなかったのだろうか……でも今回はこれしか買ってきてないし、そこは勘弁してもらう他ない。
「……そうだね。そろそろ、わたしも帰らなきゃ」
「暗くならない内に帰らないと危ないからな、帰り道も気を付けるんだぞ。それじゃまたな、イリヤ」
「えっ?」
別れの言葉と共に、立ち去ろうとしたのだが。意外な言葉を聞いたと言うように、イリヤの顔が驚きに染まる。赤い瞳の少女は、目をぱちぱちとしばたたかせながら、ぼんやりと俺を見つめていた。
「シロウ、またわたしと会ってくれるの?」
それはまるで、親に拒絶されるのを恐れる子供のようで。
……不安げな表情の少女に。俺がどう答えるかなど、端から解りきっているというのに。
「そんなの当たり前じゃないか。何なら、指切りでもするか?」
「うん、するする!」
ぱぁっと明るくなったイリヤ。意外にも彼女は指切りの意味を知っていたようで、ぴょんと跳ねるようにベンチから立ち上がると、喜色満面といった面持ちでこちらに駆け寄ってきた。差し出された小さな指に、腰を屈めて小指を絡ませる。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます!」
元気よく、歌うように唱えるイリヤ。絡ませた小指を離すと、にこにこと微笑む彼女は、約束を確認するように何度も指を振って見せた。
指切り拳万、嘘吐いたら針千本飲ます。意味を考えると恐ろしいが、それだけその契約を遵守しなければならないという重みが含まれている。元々は、昔の遊女が客への愛情に対する誓いとして、本当に指を切り落としていた事が由来らしいが……そこまで過激ではなくとも、その儀式の本質だけはこの現代にも脈々と受け継がれている。
「約束だよ、シロウ!」
「ああ、約束だ」
「うんうん! それじゃ、また会おうね! 次会う時まで、他のサーヴァントなんかにやられちゃダメなんだから!」
最後に、大きく手を振ると。雪の妖精は、踊るように走り去っていった。
それにしても……他のサーヴァントにやられるな、か。それは単純に俺の身を心配してくれていたのか、それとも俺への敵意を拭い切れず、自分が止めを刺すという意味だったのか―――いや。彼女のあの笑みに不純なものは無かった。聖杯戦争とは関係なく、イリヤもまた、俺と会う気になってくれたのだろう。
切嗣だけではなく、俺へも向けられていた敵意。それは大切な人が自分を置き去りにし、代わりに見ず知らずの子供を引き取っていた事への怒りだったのか。当初は間違いなくそうだったのだろうが、俺と話をするうちに、その感情は徐々に薄れて行ったようだった。
二度話してみて解ったが、イリヤは良い子だ。それこそ、聖杯戦争などという血腥い儀式が似合わぬ程に。けれど、彼女はアインツベルンという一族の悲願を背負っており……他人を巻き込まないと言うのであれば、そしてそれをイリヤ自身が望んでいるなら、彼女の願いを否定する事自体は俺には出来ない。傷ついてほしくないのに戦うなとは言えないのは、もどかしい限りだ。
「聖杯戦争なんて……そんなものが起こらなければよかったんだ」
腹立ち紛れに、転がっていた石を蹴り飛ばす。もやもやした感情を抱えながら、俺は足早に公園を立ち去った。