【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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19.約束された勝利の剣

 煌々と、夜空に月が輝いている。

 よく晴れ渡った夜。雲は少なく、冬の空気は澄んでいる。月だけが大地を照らし上げる様は、どこか物悲しくもあり、そしてこれから始まる激戦を彩るように美しくもあった。

 ズシリ、と握った竹刀の重みを確かめる。使い慣れた道具とはいえ、アーチャーやセイバーの武器ほどの力強さはない。しかしこれが、俺の持てる唯一にして最大の武器だった。

 後ろの家には、桜が一人で眠っている。熱が下がったとはいえ、彼女を一人にしておくのは心苦しいが、他に選択肢はない。最悪の場合に備えて、明日の朝までに俺たちが帰らなかった場合は、また藤ねえのところの家政婦さんが来てくれる手筈になっている。最悪の事態など、考えたくもないのだが。

 ここを踏み出したら、後は戦場に向かうのみ。柳洞寺に潜むキャスターと、手を組んだサーヴァントたち。彼らの非道を止めるため、俺はサーヴァントという武力を以て彼らという存在を駆逐する。

 

 ──正義の味方が救えるのは、味方をした人間だけ。

 

 同じ夜。月明かりの下で、そんな言葉を聞いた気がする。

 俺は、サーヴァントの暴力に巻き込まれた人たちの側に立ち、彼らを守るために戦おうとしている。だがそれは、逆の立場……即ち、手を下した側の人間。キャスターやライダーや、彼らのマスターである人物たちを否定することと同義。俺という人間が"救う"対象に、彼らは入っていない。俺が"救う"人間たちのために、彼らは排除されなければならない。

 関係のない人間のために、関係のない人間と戦う。ある人間を助けるために、他の人間を切り捨てる。正義の味方とはそういうモノなのだと、その言葉に反発して走ってきたはずなのに──俺のしていることは、救うべき人間とそうでない人間を分別する、途方もない傲慢ではないのか。

 一般人から魔力を奪い取るキャスター。学校中の人間を鏖殺しようとしたライダー。彼らは魔術師のルールに反し、一般人を傷つけた。その行為は弾劾され、裁かれなければならない。結論はとっくの昔に出ているというのに、俺の心の片隅には、どこか落ち着かない部分があった。

 

「──さて。覚悟はいいか、雑種」

 

 少し先。門扉の外で待っていたアーチャーが、冷たく声をかけてくる。

 月光を跳ね返す金髪に、たじろぐほどの美貌は常と変わらず。ライダースーツ姿の英霊は、戦いに赴くとは思えぬほどの気楽さで壁に寄りかかっていた。

 その向こうには、同じように待つ遠坂主従。セイバーは既に甲冑で武装し、不可視の剣を右手に握っている。着く前から戦いは始まっていると言いたいのか、アーチャーとは対照的に、その姿は緊張感に包まれている。

 セイバーの気迫に気圧されながらも、悠然と腕を組む黄金へ向き直る。緋色の瞳に宿るのは、微かな愉悦の影と……そして、何かを推し測るような、見定めるような冷たい光。普段のアーチャーとは同じようでどこか違う視線に疑問を感じながらも、自分の意思を口にする。

 

「ああ。今夜、キャスターとの片を付ける。厳しい戦いになると思うけど、作戦通り頼む、アーチャー」

 

「フン、ならば良い。我は貴様のサーヴァントとして、戦いに付き合うのみ。道を定め、歩み、山を登るも谷に落ちるも全ては貴様の決断次第だ。それを努々忘れるな」

 

 そう言うと、壁から身を起こし、アーチャーは俺に背を向けた。道を決めたなら押し通るのみと、その後姿が語っている。

 俺の一瞬の逡巡も、この英霊の慧眼の前ではお見通しだったのか。覚悟の程を問うことで、アーチャーは俺の迷いを強引に打ち消した。

 そうだ。迷っている暇などない。一度決めた以上、戦場に迷いを持ち込めば死という現実に打ちのめされるだけ。大火災のような惨事を止めるため、それに巻き込まれる人を守るために、聖杯戦争で戦うと決めた。その時に、惨事を引き起こす側のことは切り捨てたはずなのだ。

 一般人を犠牲にするような奴に、肩入れするなど有り得ない。かといって、彼ら加害者と巻き込まれた被害者、双方を助ける道などない。ならば、選ぶべき道はただ一つ。理不尽を幾ら嘆いたところで現実は変わらないのだから。……それが、どれだけ気に食わなかったとしても。

 

「準備は終わったわね。行くわよ、士郎」

 

 門を出ると、遠坂が一言そう告げて、そのまま道を歩き出した。無言のセイバーに続き、俺も夜の道へと踏み出していく。最後尾に、自然体のままのアーチャーが続く形となった。

 準備は整った。覚悟は固まった。交わす言葉などなく、後は敵陣へ侵攻するのみ。生き残るのは俺たちか敵か、戦いの趨勢を見守るのは宙に聳える白い月。静かな空を見上げながら、夜の街を歩いて行く。

 

 そうして、柳洞寺までの道を移動する。

 遠坂の認識阻害の魔術のせいか、はたまた深夜という時間帯のせいか、猫一匹とすらすれ違わない。まるで町の住人が皆死に絶えてしまったかのような、そんな恐ろしささえ感じさせるほどの静けさ。

 一列になって、誰もが黙々と歩き続ける。道を折れ、田畑を通り過ぎ、山への距離が詰まっても、誰一人として口を開かない。何人が生きて戻れるか判らぬというのに、それは覚悟かそれとも自信か。各々が思惑を抱えたままに、奇妙な一行の進軍は続く。

 

 そのまま、どれほど歩いただろうか。気付けば俺たちは、終着駅へと辿り着いていた。

 

「──思った通り。罠だらけよ、この石段。わたしたちが来ることを見込んで、嫌がらせする気満々って感じ。

 ってことは、本当にサーヴァントがいないのかも。三人いるんだったら、境内に誘い込んで数で押し切る方が効率的だもの」

 

 何度も上り慣れた、一見して何の変哲もない石段。柳洞寺へと続くその道に、魔女の気配を感じ取ったのか、遠坂は憤然とそう吐き捨てた。

 魔術師の英霊ならば、昨日やって見せたように、気配さえ感じさせぬ罠の敷設などお手の物だろう。それを敢えて、遠坂に見抜ける形で敷いてあるということは、キャスターには罠を見せようという意思がある。罠の存在を主張することによって、此方の侵攻を阻害しようというのだろうか。

 

「やっぱり罠があるのか……それって、やっぱりヤバいヤツか?」

 

「とびっきり。一つ二つじゃないわね、これ。下手に踏み込んだら、異界に吹っ飛ばされるわよ」

 

「異界って……それじゃどうする? 大人しく帰るか?」

 

「冗談。全部ぶっ壊していくわよ」

 

 ふん、と腕まくりをする遠坂。その瞳には、並々ならぬ決意の色。昨日自らの魔術を全て破られたことで憤っているのか、今日の遠坂はいつも以上に気合が入っていた。

 懐から取り出されたのは、燦然と輝く蒼の宝石。下手をすれば家さえも買えそうな宝石群を、遠坂はこの一戦に投じようとしていた。

 彼女に呼応するように、セイバーが前に出る。あと一歩で石段に接するというところで、不可視の剣を掲げた彼女は、跳躍の態勢となって待つ。眼前には死地が待つというのに、戦士たる彼女の貌には怯えの色などない。翠の瞳は、ただ己が勝利のみを見据えている。

 

「アーチャー。アンタも頼むわよ」

 

「ふん。我もキャスターには借りがある、ここで一つ返しておくとするか」

 

 ライダースーツの外に金粉が散ったかと思うと、光と共にアーチャーの体を甲冑が覆う。同じく黄金の揺らぎと共に、両手に握られる双剣。どこまでも華美でありながら、同時に特級の武具としての側面を兼ね備えた戦装束は、主の性質とよく調和している。夜の闇を四散させるのではないかという煌きは、敵地を前にしても微塵も衰えない。

 真紅の瞳が見上げるのは、山門。常の寺とは異なり、月明かりの下でも澱んだ空気を撒き散らすそこが、既に魔女の根城となっているのは明白。ここからでも膨大な魔力が感じ取れるほど、その雰囲気は異様だった。

 霊脈から吸い上げ、町の人から奪い取った莫大な魔力の貯蔵。セイバーには最上級の対魔力が備わっているが、それすら打ち破れるのではと思わせるほどのエネルギー。あれだけあれば、ライダーの傷など容易く癒せるに違いない──そんな懸念さえ浮かんでくる。

 だが。物量と地形という、二つの壁を目にしたアーチャーには笑み。双剣は既に連結され、大弓へと変貌している。未だ敵の影は見えぬというのに、弓兵は既に狙いを定めていた。引き絞られた弦が、キリキリと音を鳴らす。

 

「封神の槍とは行かぬが──我の弓も中々だぞ」

 

 ぼそりとそう嘯くと。一拍置いて、解き放たれた矢が夜の空を穿った。

 輝く魔力の矢は、夜に眩い軌跡を残す。空を駆け上がり、しかし天には届かず落ち行く黄金は、その途上で自らを幾重にも分裂させた。一本の矢は無限の剣となって、遍く石段へと降り注ぐ。此処に弓兵の一撃が、魔女の罠へと牙を剥く──!

 

 ──閃光。

 

 しかし。地を砕くほどの死の雨は、石段に接する直前で、何かに阻まれるようにその動きを止めた。

 ある矢は触手のような何かに阻まれ、宙へと縫い付けられている。またある矢は全身に圧力を受けたのか、不自然な方向に捻じ曲がった。矢の群れは、発火し、弾かれ、へし折られ、何処かへと消え去るものすらある。おそらくは遠坂の見抜いた通り、異界へ転送されたのだろう。

 ありとあらゆる手段で以て、侵略者たる矢の群れを迎撃する自動術式。俺たちを撃滅するはずだった魔術の罠は、アーチャーの無差別な攻撃によって、強制的に励起させられていた。矢を防ぎ切るための僅かな時間、全ての罠は月光の下に晒される。当然、その隙が見逃される筈はなく──

 

「セイバー、お願い!」

 

 躊躇無く、手にした宝石を投げつける遠坂。その対象は罠ではなく、眼前に佇む剣士。蒼玉が炸裂した刹那、傍目にも分かるほど程の魔力がセイバーの甲冑を包み込んだ。

 

「はぁ──っ!」

 

 裂帛の気合。深く大地に沈んだ少女が、砲弾と見紛う速度で射出された。矢と罠が鬩ぎ合う中、影さえ霞む速さで、剣士が石段を踏破する。

 絶大なスピードと、撒き散らされる余剰魔力が、矢も罠も石段さえも打ち砕いて荒れ狂う。何十という罠の軍勢は、一つたりとも力を揮うことなく、セイバーの突貫の前に消え去った。

 アーチャーの矢による罠の起動。遠坂の宝石による魔力のブースト。そして、バックアップを受けたセイバーの、魔力放出能力と対魔力を活かした強行突破。罠を回避するでもなく、一つ一つ解除するでもなく、見えたところで一気呵成に破壊するという力任せの荒業。その効力は一目瞭然だった。

 キャスターの罠の発動条件が、人やサーヴァントの判定ではなく、物理的な接触感知であったことが幸いした。正体さえ分からぬ黒い影や、使い魔の潜行という要素さえ排除したいのなら、無条件で何かが接触するだけで発動するに違いないという、遠坂の睨んだ通りだった。

 

「ぐずぐずしてないで行くわよ、士郎!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 道を切り開いたセイバーが、山門の手前で俺たちに振り向く。安全が確保されたのを見て、遠坂が躊躇なく石段を駆け登った。竹刀を握り、俺もその後へと続く。殿には、大弓を構えたままのアーチャー。

 無数の罠に遮られ、遥か彼方に感じられた山門。全ての罠が破壊された今、ここはただの通り慣れた道に過ぎない。数十秒と経たず、俺たちは山門へと辿り着いた。

 

「────」

 

 山門を潜ると、無音。警戒された不意打ちもなく、境内はただ静かな闇に包まれていた。

 空は晴れ、雲はほとんど出ていない。天空に座す月光は、変わらず大地を染め上げる。人工の灯火がないとはいえ、広大な空間を照らすには月明かりのみで十分なはず。にも関わらず──この境内は、昏い影に沈んでいる。世界から切り取られたように、この空間からは明るさという要素が消えている。

 事実、此処は世界から隔絶された異界なのだろう。膨大な魔力を蓄えた魔女の工房は、蜷局(とぐろ)を巻く竜の巣に等しい。この場の全てはキャスターの支配下にあり、彼女の号令如何で万象一切が敵となる。ドロドロと漂う魔力は、ただそれだけで気分を悪くする。

 奥に控えるのは、柳洞寺の本堂。数十人の僧が集まるはずのそこにも、人の気配はない。あるのはただ、恐ろしいほどの静けさと……人ならざる、魔術師のサーヴァントだけだった。

 幽鬼のように佇むキャスターは、闇を従え艶然と微笑む。邪悪な魔法使いという表現が相応しい、寓話に語られる神代の住人。いや、遥か昔に魔術師として生きた英霊ならば、本物の魔法使いに匹敵する実力を持っていても不思議はない。

 

「いらっしゃい。歓迎するわ──と、言いたい所だけど。生憎、貴方たちは招かれざる客。こういう時、この国ではお茶漬けを勧めるのだったかしら?」

 

「無駄に博識ね、キャスター。でも、招かれざる客なのはアンタの方。わたしの土地で、上納金も納めずに好き勝手されたらたまったもんじゃないのよ。

 アンタにはお茶漬けどころか、海苔一枚ももったいないわ。とっとと出ていきなさい」

 

 屋根の上に浮かび、威圧するように錫杖を向けるキャスター。だが、その絶大な魔力にも動じることなく、遠坂は正面から啖呵を切ってみせた。余りに堂々とした振舞いに、先に口を開いたキャスターの方が鼻白む。

 が。この場では自分が優勢だという自信からか、気圧されたキャスターは、すぐに嘲笑らしきものを浮かべてみせた。威圧するように、その周囲に魔法陣が形作られていく。

 

「貴女の土地ですって? 若いのに、土地の管理を任されるとは大したものね。セイバーを呼び出したのも頷けるわ。

 でも、それはそちらのルール。大人しく私が従う理由はなくってよ。……まあ、聖杯を譲ると言うのなら考えてあげないこともないけど」

 

「そう。なら力ずくで叩き出すだけよ」

 

 紫電を散らし、睨み合う二人の魔女。キャスターの殺意に応じてか、絶大な魔力が悪意の刃を纏って収束していく。緊張感に包まれた境内は、今やいつ暴発してもおかしくはなかった。

 遠坂を庇うように、前に出たセイバーが不可視の剣を敵へと向ける。キャスターがどのような魔術を用いようと、セイバーはその悉くを無効化する。騎士の存在故にキャスターは先手を切ることができず、またセイバーも守るべき主が控える故に迂闊に飛び出すことができない。互いの隙を狙い合う両者だったが──この場に集ったサーヴァントは、この二人だけではない。

 黄金の英霊が、大弓の照準をキャスターへと向ける。それと同時に、霊体化して潜んでいたのか、湧くように現れた黒衣の女性。石畳に降り立ったライダーは、鎖の付いた短剣を握り締める。魔眼は眼帯に覆われているが、その奥に潜む敵意までもを隠し切れてはいなかった。

 

 セイバー。キャスター。アーチャー。ライダー。都合四体のサーヴァントが、二手に分かれて対峙していた。彼らが放つ威圧感と、集められた魔力量は、それだけで身震いするような恐怖を覚える。……が、死地に於いて立ち竦むなど愚の骨頂。震えを飲み込み、敵である二人の英霊を睨みつける。

 そうだ。彼女たちを屠るため、俺はマスターとしてここまで来たのだ。襲われた女子生徒を、倒れ伏したクラスメイトたちの姿を、彼らを見て懐いた怒りを思い出せ。敵がどれほど強大であろうと、それが外道を為す限り──衛宮士郎は、正義の味方として戦わなければならない。

 

「────」

 

 影が降る。宙に聳える月が、死闘の予感に姿を隠す。それが合図となったかのように──四者が動き出したのは、全くの同時だった。

 

 

***

 

 右に跳ぶのは、アーチャーとキャスター。左に跳ぶのは、セイバーとライダー。それに続き、俺と遠坂も二手に分かれる。まるで示し合わせたかの如く、左右に分かれたサーヴァントたちだが、その組み合わせは必然だった。

 対石化能力を持つ鎧を有し、ライダーの魔眼を無効化できるアーチャー。しかし、ライダーの最終宝具である天馬(ペガサス)に対して対抗手段を持たないため、初手で天馬を召喚されてしまうと勝つことがほぼ不可能になる。

 一方、セイバーはキャスターへの相性が良い。高い機動性と対魔力を有するセイバーに対して、キャスターが有効打を与えることは難しい。しかし、彼女をキャスターにぶつけた場合、ライダーの天馬を止められる者がいないのだ。よって、それに対抗できるだけの宝具を持つセイバーがライダーと相対することになる。

 

 故に、この戦いは単純。セイバーがライダーを捻じ伏せ二対一の状況を作るのが早いか、キャスターがアーチャーを打倒し二人がかりでセイバーに挑むのが早いか。時間こそが戦闘の趨勢を決定づける要素となる──。

 

「──Αερο──!」

 

 一言。ただそう告げるだけで、稲妻めいた光が大地を薙ぎ払う。

 ただの一撃に、並の魔術師の全魔力をも軽く凌駕する魔力量が籠められている。あのバーサーカーの守りさえ乗り越えるのではないかと思わせる砲撃は、石畳を蒸発させ、次々と地面に傷跡を刻んでいく。恐るべきことに、宝具にすら届く砲撃一つ一つが、キャスターにとっては通常攻撃に過ぎない。剣士が剣を振るうのと同じ感覚で、あの魔女はあれだけの神秘を引き起こしているのだ。

 桁外れの大魔術を、際限なく繰り出していくキャスター。同じ魔術師の目から見ても理解の外にあるソレは、悪夢の域すら超えている。これ程の莫大な魔力を集める為に、一体どれほどの命が吸い上げられたのか。想像するだにおぞましい力を、魔女はまるで指揮者のように手を振って行使していく。

 

 キャスターの猛火を掻い潜り、地を疾走するアーチャー。キャスターの攻撃はあくまで点と線に過ぎず、面制圧能力を持たないため、宙に浮けぬ弓兵であっても辛うじて対抗できている。類稀なる慧眼を持つ英霊は、魔術発動の予兆を読み取ることによって、一撃一撃を回避していく。避けきれぬ攻撃は、手にした双剣で以て強引に弾き切った。

 魔術への抵抗力を持たないアーチャーは、セイバーと異なり、魔術砲撃を受けきることができない。発動前に回避するか、本体への直撃を防ぐ以外に方策がないのだ。

 しかし、この光景は些か異常と言える。直撃でないとはいえ、宝具にすら届く砲火群を、アーチャーの武具は物ともしていない。あれは、魔術師の奇跡を上回るほどの神秘を含有しているのだ。

 

 あの始まりの晩。ランサーの魔槍にも、アーチャーの武具は対抗できていた。天地ほども離れた力の差を、補いきる武具の性能。彼我の戦力を見極め、的確に手札を運用する能力。それこそが、あの英霊の本質なのだろうか。

 神秘とは、積み重ねた歴史に比例する。槍の英霊、クー・フーリンが生きた時代は今から二千年ほど前、西暦が始まる前後と言われている。その彼の槍を容易く上回る神秘を持つということは、アーチャーは二千年より尚古い時代を生きた英雄に違いない。また、アーチャーの武具を突破できぬキャスターは、それよりも新しい時代の英霊なのだろう。

 

「ふっ──!」

 

 魔術攻撃の合間、僅かな隙を縫ってアーチャーの矢が放たれる。攻撃の間隔を見切り、双剣を大弓に変化させる時間を作り上げ、反撃の糸さえ紡ぎ上げる凄まじさ。アーチャーの戦略が並外れているならば、透明な盾を以てその奇襲を防ぐキャスターもまた並ではなかった。

 間断無く地を焼く砲火と、光の尾を曳いて天を穿つ矢の群れ。火力は段違いとはいえ、反撃があるが故に、キャスターは後ろに控える俺を狙うことができない。僅かでも意識を裂けば、その瞬間に弓兵が首を獲りに来る。こと時間稼ぎに限れば、アーチャーの戦い方は間違いなく効果的だ。

 地形、魔力量、火力、攻撃範囲の全てで劣っていながら、相手の動きを完全に見通し、武具と戦略を活かした防戦で互角にまで持ち込む力量は息を飲む他ない。キャスターの攻撃は、一撃を受ければ半身を持っていかれる。一撃、ただ一撃をまともに中てるだけで戦闘は終わるというのに、アーチャーはそれを許さない。ローブの下から覗くキャスターの苛立ちが、弓兵の絶技を物語っていた。

 

 防戦に徹し、牽制以上の攻撃を行わず、砲撃の隙間を舞うように抜けるアーチャー。それでも、時間さえかければ物量でキャスターが押し切るだろうが、それは魔女にとっては負けを意味する。ライダーがセイバーに膝を屈した場合、その時点で勝敗は決するのだ。ライダーが如何に強力な宝具を誇ろうと、基本性能の差は覆せず──そしてセイバーは、ライダーの最終宝具すら打ち破る切り札を持っているのだから。

 故にキャスターは、焦りさえ滲ませて苛烈な砲撃を行い、アーチャーは嘲笑を浮かべてその全てを捌き切る。一手誤れば塵と化すというのに、アーチャーには些かの迷いもない。この黄金の騎士は、自身の判断と、必ず騎兵を打倒するであろう剣の英霊を信じきっているのだ。

 

 攻める魔術師と、守る弓兵。覆せぬほど開いた差が、一撃で決するはずの戦闘が、しかし結果に結びつかない。この状況が崩れぬ限り、膠着状態は維持される。それは一方のみを利する展開であり──残るもう一方が、望まぬ流れを良しとするわけが無かった。

 

「…………?」

 

 突如として、キャスターの砲火が止む。同時に、何か小さな粉のような物がばら撒かれ、一瞬の間を置いて黒い靄のような魔力が周囲一帯を覆い尽くした。

 霧のように漂う魔力はやがて凝固し、人の形を作り上げていく。見る見るうちに地を埋めていくそれらは、昨日屋上に現れた、骨の軍勢と全く同じだった。何十という骨人形は、カラカラと緩慢な動きで骨の剣を構えて動く。

 アーチャーを取り囲むように現れたキャスターの兵士たち。観戦気分とは行かず、その膨大な数に慌てて竹刀を正眼に構える。強化を済ませた武器があれば、雑兵程度となら戦える。

 しかし、マスターには効果があっても、サーヴァントにとって骨の兵など足止めにさえならない。それは当のキャスターとて理解していよう。それでもなお兵団を展開したのなら、裏には必ず思惑がある。

 

「フフ──上手く逃げ回ったようだけど、貴方はここでお終いよ。潔く消えなさいな」

 

 立ち尽くすアーチャーを見下ろし、微笑む魔女が再び無数の魔法陣を浮かべる。その一つ一つが戦車砲にも等しい砲台は、全てがアーチャーへと照準を向けていた。

 ……まずい。確かに骨の兵ではサーヴァントには及ばない。しかし兵士を排除する為には、どうしても一手を必要とする。キャスターの砲火を紙一重で見切り続けたアーチャーにとっては、例え一手であろうと余計な手間は死に繋がる。加えて、骨人形は物理的な障壁となり、アーチャーの動きを阻害するのだ。羽をもがれた鳥は、大地に墜ちるほか道はない。

 

 ──だが。

 

「ほう……竜の歯を用いた使い魔か。それはコルキスの王の魔術であったな。だが、貴様は王ではない。

 他者を裏切り、同時に他者の裏切りを恐れる。魔術を修めた王の娘、裏切りに囚われた王女の名は──確か、メディアといったか」

 

 ギリ、と歯軋りの音が響いた。

 宙に舞うキャスターの顔から、微笑が消えている。氷点下すら生温い、絶対零度に等しい殺意は、重圧となってアーチャーへと叩き付けられていた。

 アーチャーの戦況分析。卓越した鑑識眼と頭脳は、僅かな情報の積み重ねからキャスターの正体を見破ってみせた。それが正鵠を射ているのは、キャスターの余裕のなさからも明らかだろう。

 

「──それで? 私の正体を見抜いたところで、貴方には何ができるのかしら、アーチャー」

 

 じりじりと、竜牙兵が距離を詰めていく。撃鉄を起こされた魔方陣は、死の砲火を放つべく主の合図を待っている。確かに、この期に及んでキャスターの情報が割れようと、アーチャーには手の打ちようがない。この盤面は、既に詰め(チェック)に入っている。

 ……いや、違う。骨の兵士はアーチャーの動きを妨げるだろうが、それは決定的な要素にはならない。場の全てを利用し、相手の動きを読み切るアーチャーならば、竜牙兵という要素すら利用してキャスターの攻撃を避け続けるだろう。多少有利な要素を増やしたところで、セイバーが此方へ向かってくる前に、アーチャーを仕留めきれるとは思えない。

 だから、もう一手。権謀術数に富む魔女ならば、必ず隠されたもう一手を用意している。新たな魔術攻撃か、地形を利用した罠か、何らかの召喚か。それを読んでいるからこそ、アーチャーは魔女の一挙手一投足から目を離さず──そしてそれに思い至ったからこそ、俺はその"影"を認識できた。

 

「アーチャーッ!」

 

 走る影。気配さえ感じさせず、弓兵に肉薄する影を、唯一人渦中の外にいた俺だけが見逃さなかった。

 

「──ぬ?」

 

 俺の警告に反応したのか、アーチャーの体が横に流れた。視認するより先に、左に倒れ込むようにして位置をずらす。そのコンマ一秒後──直前まで弓兵の首があった場所を、視えない()()が貫いた。

 体を逸らしたアーチャーは、左足を軸にそのまま回転し、逆手に握った剣を背後の敵へと突き出す。だがそれは一瞬遅く、黄金の剣は宙を薙ぐに留まった。背後から急襲した刺客はアーチャーの逆撃を回避し、数歩下がって距離を取る。

 

「貴様──」

 

 不意打ちを避け、振り向いたアーチャーの顔には戸惑い。恐らくは、俺も同じ顔をしているに違いない。何故なら……アーチャーを襲った影は、魔術でも英霊でも使い魔もなく、()()()()()だったのだから。

 

「アンタ、何でここに……?」

 

 闇の中。骨の兵団の中、静かに立つ痩躯の男。たった今アーチャーを奇襲したばかりだというのに、汗一つ、息一つすら乱さぬ立ち姿。感情も、存在感すら希薄な佇まいは、どこか氷の如き冷たさを宿している。

 その男──穂群原学園の教師、葛木宗一郎は、教壇に立つ時と全く変わらぬ姿で、わずかに俺へと視線を向けた。

 

「衛宮か。ふむ……遠坂といい、生徒の中にこうもマスターが潜んでいたとはな」

 

 冷たい口調。人形には決して宿らぬ眼光が、彼自身の意思を示している。確固とした自意識があり、マスターの存在を知り、戦場へ姿を現した──驚くべき事実だが、それはつまり。

 

「葛木、アンタもマスターだったのか? 一体どうして……」

 

「答えてやりたいところだが、生憎時間がない。質問なら後にしろ、衛宮」

 

 まるで死地に立つとは思えぬ口調で、葛木が俺の声を遮る。授業で質問された時と同じように、あの男の姿は余りにも平然としていた。

 ……おかしい。マスターだというのに、葛木からは魔術師らしい気配が全く感じられない。学校で見る時と同じ、社会科と倫理を受け持つ教員に過ぎないはずなのに──殺し合いの場に、驚くほど馴染んでいる。いや、馴染みすぎている。

 それだけで理解する。あれは()()()()の存在だ。聖杯戦争や魔術という条件を抜きにしても、死を受け入れ、同時に死を振り撒くことも厭わない人間。なぜ魔術師でもない葛木がマスターとなっているのかは分からないが、彼が日の当たる道を歩む人間でないことだけは認めざるを得なかった。

 キャスターの転移魔術によってか、突如として現れた葛木。恐らくは一撃でアーチャーを仕留めるつもりだったのだろうが、策略を仕損じたキャスターは、様子見のつもりか次の手を打つ素振りを見せない。後背に浮くキャスターが動かぬと断じてか、万象を見抜く紅玉が新手の敵を冷たく見据えた。

 

「キャスターの傀儡、ではないな。が、貴様からは何も感じられぬ。敵意、憎悪、恐怖、憤怒──人間に有るべき感情(モノ)が、貴様には欠けている」

 

 数秒。僅かに葛木を観察した後、アーチャーはそう断言した。黄金の慧眼は、俺には見えぬ何かを葛木から見て取ったのか。

 

「生きながらにして死んでいるな、雑種。ハ、貴様の如き屍が我に及ぼうなぞ、思い上がったか──!」

 

 疾風。

 前触れすら感じさせず、黄金が唐突に霞む。それが疾走だと気付く前には、アーチャーは葛木との距離を半分まで詰めていた。

 

「…………ッ!? 宗一郎様──!」

 

 キャスターが焦る。アーチャーが接敵するまで、まだ一秒。魔術師の英霊にとって、呪文を唱えるには十分過ぎる猶予。常ならば、無防備な弓兵の背は、二度は光に貫かれている。

 だが、今は位置取りがまずすぎた。キャスターの位置からあの大火力の魔術を放てば、間違いなく葛木を巻き込む。その逡巡はキャスターにとって命取りであり……この状況を見抜いていたからこそ、アーチャーは躊躇なくマスターの首を獲りに行った。

 サーヴァントの身体能力は、人間の数十倍を超える。特別な歩法や魔術を用いずとも、距離など一瞬で縮められる。死の一秒が過ぎた後、反応の暇すら与えずアーチャーの双剣が左右から迫る。

 

「む……!?」

 

 見切れるはずもない、人の速度を遥かに凌駕した斬撃。セイバーほどの技量はなくとも、人一人を斬り伏せるには十分すぎる双剣。ただ振るうだけで葛木の首を刈り取る刃は、左の一撃が直前で止まり、次いで右の一撃が胸への刺突へと変わっていた。何かを勘繰ったのか、アーチャーは二重のフェイントを掛けたのだ。

 だが、驚くべきはそこではない。反応を許さぬ速度の、幻惑さえ交えた刺突。その必殺の一撃が──人の拳に、弾かれていた。

 

「──慢心したな、アーチャー」

 

 左手を払ったままで、葛木がそう低く告げる。

 魔術により強化されているのか、剣をまともに弾いたにも関わらず、葛木の拳には傷一つない。それはまだいい。だが、魔術師ですらないただの人間が、何故サーヴァントの攻撃に反応できたのか……?

 

「雑種風情が……!」

 

 驚愕を浮かべたアーチャーの顔が、一瞬にして憤怒に染まる。

 激昂した英雄は、次なる一撃を双剣で振るう。左右からの挟み込み、逃げ場を失くすような斬撃。キャスターの支援は未だ間に合わず、一撃を入れればマスターは倒せる。その判断は間違いではなかったが……直前に見せた防御が、偶然ではなかったとするならば、それは。

 

 ガン、と。

 金属板を叩き付けたような、鈍い衝撃音が響き渡った。

 

 滑るような体捌き。余りにも自然に、沈み込んだ男に双剣が避けられる。次の瞬間、剣の内側に飛び込んだ葛木は──あろうことか、強烈な直突きを繰り出して見せたのだ。

 まともに受ければ、肋骨どころか心臓までもを破裂させたであろう一撃。アーチャーに炸裂した拳は、黄金の鎧を打ち据え、その内側にまで確実に衝撃を与えていた。

 

「チ──」

 

 不利を悟ったアーチャーは、素早く距離を取る。

 ランサーの槍ですら破れなかった鎧は、葛木の拳では砕けない。しかし、傷は与えられずとも衝撃は内部に浸透する。相手が拳法使いならば、受け続けるのは悪手だと悟ったが故の撤退。教師に過ぎぬはずの葛木は、何処で学んだものなのか、明らかに達人の動きを見せていた。

 しかし、アーチャーは下がりきれない。葛木との距離を離しすぎれば、今度はキャスターの砲火に狙われる。退けば魔術が、攻めれば拳打が降り注ぐという、予想だにせぬ最悪の事態。おまけに、竜牙兵がアーチャーと葛木を取り囲むように展開し、逃避を許さぬ構えだった。

 

「貴様──ッ!」

 

 態勢を立て直したアーチャーが、膨大な殺意を叩き付ける。が、攻守は既に逆転している。防御の姿勢を取った時には、既に"蛇"が喰らい付いていた。

 

 打撃、打撃、打撃、打撃、打撃。

 

 鞭のように円を描く左手が、雨霰と鎧を打ち付ける。稲妻の如き鋭さを誇るとはいえ、ただの拳であるはずのそれが、サーヴァントに次々と直撃する異様。その不可思議な現象の理由は、異常に過ぎる腕の動きにあった。

 外から内、回り込むように動く左手。その軌道までは良い。問題は、肘から先の不規則な変動だ。

 アーチャーがいかに剣で防ごうと、まるで絡みつくようにすり抜ける拳は、いとも容易く先の鎧を殴りつける。サーヴァントの反応速度すら超える連撃は、最早神業というほかない。ただの人間であるはずの葛木は、何の武器も用いず、その絶技のみで以てアーチャーを圧倒していた。

 

 ──馬鹿げている。

 

 人間がサーヴァントに挑む。それがどれほど愚かなことなのか、俺は身を以て学んでいる。技量や武装以前に、基礎的な身体能力が違い過ぎるのだ。サーヴァントと戦えるのは、同じサーヴァント以外には有り得ない。

 では、目の前の光景は何なのか。サーヴァントが後ろに控え、マスターが前衛に立ち……その上生身の人間が、格闘のみでサーヴァントを圧倒するなど、悪夢としか思えない……!

 

「ぐ…………!」

 

 呻き声。が、致命傷ではない。黄金の鎧は、葛木の魔拳を防御し切っている。しかし一撃ごとに響く衝撃、それも悉く急所を狙った攻撃は、着実にアーチャーにダメージを与えていく。あの慧眼を以てしても、守り以外の選択肢が取れぬ絶望。

 反撃する余裕さえなく、剥き出しの頭部を辛うじて守り続けるアーチャー。ガンガンと鳴る金属音は、途切れなく続いていく。このままでは押し切られるに違いないというのは、傍目にも見て取れた。

 

 ……どうする。

 今俺が飛び込んで、できることなどない。アーチャーを警戒しているだけで、キャスターも俺の存在は認識している。動きを見せた瞬間、魔術砲撃が降り注ぐだろう。

 だが、俺の手には三つの令呪がある。これを使えば、状況を打開することも叶うだろうが……中途半端に、切り札を切ってしまっていいものか。それ以前に、絶対命令権、即ちサーヴェントへの命令である令呪を使われて、あのアーチャーが黙っているかという懸念もある。あの英霊はおそらく、自分の命が失われることよりも、他人に命令されることの方を嫌うはずだ。かといって、このまま放っておくなど……。

 

 と。迷っていた矢先、アーチャーが唐突に動いた。

 防戦一方、ただ拳打を受けるがままだったアーチャー。しかし、この短期間であの奇特極まる軌道を読み切ったのか、胸部狙いの一撃を寸前で躱して見せたのだ。無秩序な拳法さえ見切る離れ業、どれ程の頭脳と眼力が成し遂げているのか。

 

「ふ──!」

 

 隙が出来た葛木。ここに来て、改めて攻守が逆転する。完全に読み切らぬ限り、人間の反応速度はサーヴァントに及ばない。がら空きになった頭部に、今度こそ直上からギロチンの刃が振り下ろされる。

 

 ──だが、その瞬間。外れたはずの左手が、悪辣に揺らめいた。

 

 円を描いていた軌道。それが唐突に、直線へと切り替わった。空を薙ぐはずの腕が振り戻され、再び黄金の胸部に炸裂する。魔拳は最初から決まっていたかのように吸いこまれ、痛烈な直撃を受けた弓兵は顔を顰めて後ずさった。間髪入れず、再び攻勢となった葛木が距離を詰める。

 

「おのれ、調子に──」

 

 煌く魔拳。闇の中、魔人が再び黄金を圧倒する。雲に敗れ、姿を晦ました月はまるで弓兵の劣勢を物語っているようで。……しかし。この気位の高い英霊が、月と同じ末路を辿る道理がなかった。

 

「乗るなと言うのだ、下郎──!」

 

 激昂するアーチャー。神すら射殺すのではないかという殺気が、空間そのものを埋め尽くす。ここがキャスターの陣地であることさえ失念させる、何もかもを威圧する殺意。サーヴァントであるキャスターや、感情の宿らぬ竜牙兵さえ、その圧力に怯えたかのように見えた。

 だがその激発さえ、魔人と化した葛木には無意味。冷徹な殺戮者は、何ら反応を見せることなくアーチャーを打ち据えようと腕を振る。今までと同様、アーチャーを攻め立て、守りを崩し、頭へ喰らい付かんとする蛇。幾重にも軌道を変え、読まれぬ一撃が放たれた刹那。

 

 バァン、と。何の前兆もなく、アーチャーの鎧が弾け飛んだ。

 

「ガ──ッ!?!?」

 

 苦鳴。それは打たれたアーチャーではなく、拳を繰り出した葛木から放たれたものだった。

 いったい如何なる仕組みによってか、弓兵が纏う黄金の鎧が、内側から散弾銃のように飛び散ったのだ。砲弾そのものと化した金属片は、葛木の全身を直撃する。魔術で強化されているとはいえ、人間に過ぎない葛木にとって、その反撃は余りに重い。攻撃を放つため、至近距離まで接近していたのが仇となった。

 自身が放ったものを凌駕する衝撃に、葛木の身体が数メートルも吹き飛ばされる。周囲を取り巻いていた竜牙兵を薙ぎ倒しながら、俺の眼前まで滑ってきた葛木は、辛うじて倒れずに踏み止まった。……が。その体は、控えめに見ても死に体だった。

 鎧にほぼ密接していた左腕はあらぬ方向に折れ曲がり、内臓を傷つけたのか、口からは鮮血が流れていく。骨の露出した左足からも大量の血が流れ落ち、擦り切れた服の合間からは青黒く変色した皮膚が見て取れた。全身に鋼鉄を叩き付けられて、生きていることこそが一種の奇跡。即死ではなかったようだが、限りなく致命傷に近いだろう。

 

「消えるがいい、雑種!」

 

「な、宗一郎様──!!!」

 

 鎧を弾け散らす奇襲によって、ライダースーツ姿に戻り、完全な無防備となったアーチャー。しかし握られた双剣はそのまま、踏み込みざまに葛木の首を狙っている。傷ついた葛木では躱し切れず、キャスターの魔術は届かない。肉弾戦の心得がないと思われるキャスターでは、この高速戦闘に対応し切れなかったのだ。

 防御も回避も不可能、掩護も間に合わない。逆転に次ぐ逆転劇の後、アーチャーが紡いだ勝利の糸。完全に決まった、と息を飲んだその時──葛木の動きに、全身が怖気立った。

 

「貴様、まだ──ぐッ!?」

 

 重い打撃音。響く苦鳴は、今度はアーチャーの口から漏れていた。

 完全なカウンター。左手を犠牲にし、右手を温存していた葛木は、ここに来て砲弾めいた一撃を放ったのだ。最初の直突き以降、ほとんど動きを見せなかった右手。おそらくは、アーチャーの守りを破った後の決め手として残しておいたそれを、葛木は躊躇なく反撃として射出した。

 破城槌の如き魔拳は、骨を砕き肚を破る破壊力を持つ。鎧を失ったアーチャーには、それを防ぐ術がない。まともに拳を浴びたなら、一撃の下に沈められる。

 ……しかし。全身に及ぶ重傷のせいか、その必殺は全力には遠く。鳩尾に入った一撃も、アーチャーを落とし切るには至らない。が、反撃を予想できなかったアーチャーは、無防備な隙を晒している。もう一撃、次の一撃こそは凌ぎ切れぬ状況──そして葛木は、既に次弾を装填していた。全身の傷を省みぬ、溜めに溜めた渾身の構え。

 

 駄目だ。

 あれは防げない。防げたとしても、アーチャーは吹き飛ばされ……葛木との距離が開いた瞬間、キャスターの魔術に呑み込まれる。この一手を防ぎ切らねば、ここで終わってしまう。それはつまり、つまり──。

 

『──問おう。不遜にも、貴様が我の光輝に縋らんとする魔術師(マスター)か』

 

 あの晩。そうして、英雄(ヒーロー)のように現れたアーチャーが。

 

『貴様は自分の進むべき道を見定めたのであろう。ならば、それ以外の道など考えるに能わぬ』

 

 迷っていた時、いつも道を示し、力強く背を押してくれた青年が。

 

『──よく言った。無様で、未熟で、歪ささえ感じるが……それでも貴様は、自ら業を背負い、道を選ぶ決断をした。ならば、我もサーヴァントとして応えてやらねばなるまいよ』

 

 どうするか決めた時、俺を見捨てず、戦ってくれたサーヴァントが。

 

 ──死ぬ。

 

 ふざけるな。そんなことは、そんな話は認められない。

 聖杯を要らないと言いながらも、戦いに付き合うと宣言したアーチャー。彼はあくまで衛宮士郎という人間を観賞する事が目的であり、聖杯戦争でどう動くかはマスターである俺に任せていた。勝利も敗北も、全ては俺の物だと。

 では、この光景は何だ。キャスターと戦うと決めたのは俺だ。あれは倒すべき存在だ。でも、実際に戦っているのはアーチャーであり……何もできず、何もしなかった俺のせいで、あいつが死んでしまうとしたら、それは。

 

 ──炎の夜、皆を見捨てた自分と同じではないのか。

 

 違う。

 あの時の俺とは違う。この五年間、俺は何のために魔術を続けてきたのだ。何のために、正義の味方になると誓ったのだ。今ここで、ただ見ているだけの自分など──そんなものは、俺自身が許せない……!

 

 考えろ。令呪は間に合わない。今その兆候を見せれば、途端にキャスターに串刺しにされる。が、あいつは俺を視界に入れていない。故に一瞬、音さえ立てねば僅かに一瞬だけは動ける。その一手で、俺は何ができる。

 アーチャーと葛木は既に目の前。距離は一間。ならば間に合う。口を開くより早く、竹刀を構え、葛木目掛けて突貫する……!

 

「この……!」

 

 動きに反応したキャスターが、即座に魔術を紡ぐ。先ほどとは違い、キャスターの射線はちょうど俺だけを捉えている。が、不意を突いたせいか、その光は明らかに弱い。無論直撃すれば消し炭だろうが、この魔術、この光さえ凌げば葛木まで辿り着ける──!

 

「せやぁぁぁぁあっ!!!」

 

 握る竹刀。強化したそれで、魔力弾を叩き伏せる。

 だが、無力。半人前の強化では、こんな事さえ荷が重い。魔女の指先の前に、竹刀は僅か一撃でへし折れ……その代償に、辛うじて魔力弾を防ぎ切っていた。

 次弾を放とうとするキャスターだが、遅い。既に葛木までの距離はゼロ。アーチャーとの間に入り、発射された右の魔拳を、折れた竹刀で凌ぎ切る……!

 

「っ、葛木ぃ──!」

 

 着弾。残った半分の竹刀が、粉微塵に吹き飛んだ。

 万全ならば俺が入るより先に煌いたはずの拳は、傷のせいで僅かに遅く。そのコンマ一秒以下の遅れに、何とか竹刀が間に合った。

 だが。半身が砕け、血に染まって尚、鉄に等しい竹刀を打ち砕く破壊力。人一人を殺傷するには、それでも過剰すぎる。それに対抗できる武器は、ただの一撃で塵と化した。

 

「ぐ──」

 

 引かれる右手。次の魔拳を防ぐ手立ては既にない。傷など何ら躊躇せず、悪鬼は拳を放つだろう。だが、その徹甲弾を防がねば──衛宮士郎は、ここで死ぬ。

 竹刀は既に失われた。アーチャーは俺の後背、甲冑を失い態勢を立て直せぬ今は動けない。葛木に対抗できるのは、俺しかいない。

 躱せないなら、防ぐしかない。魔人を食い止められねば、飛び出した意味がない。ここで俺が死ねば、アーチャーも、遠坂も、セイバーも、みんな、みんな──

 

 ──殺されてしまう。

 

 受ければ死ぬ。腕などでは、鉄の槌は防げない。庇った腕ごと、あの魔拳は微塵に砕く。心臓が吹き飛ぶ幻視さえ、拳から感じ取れる。

 足りない。魔物に相対するのに、素手では不足だ。武器が要る。そうだ、人と怪物の差を埋めるだけの強い武器。サーヴァントすら圧倒するあの拳を受けきり、魔物を斬り伏せられるだけの特級の武器が……!!!

 

「──投影(トレース)

 

 ない。武器は手にない。なら作れ。ないなら作れ。衛宮士郎の本領は投影。空っぽでも何でも、防げるだけの武器を。

 ではどれだ。どの武器が良い。赤い神剣、金の宝剣、駄目だ、それは無理だ。もっと簡素で、戦うために作られた剣を、そうだ、アーチャーの剣を投影しろ──!!!

 

開始(オン)──!」

 

 

 ──キィン、と。金属音が響いた。

 

 

「なに──」

 

 それは、誰の声か。

 

「我の剣を、投影しただと……!?」

 

 アーチャーの驚愕。だが、誰よりも驚いているのは、他ならぬ俺自身だった。

 感覚がおかしい。間違いなく"それ"を握っている筈なのに、触覚が余りに虚ろ。見ている風景さえ、ノイズ混じりに明滅する。身の程を超えた魔術の代償か、感覚器官が狂っている。それでも俺の手には、見紛う事なく、アーチャーの双剣が握られており──それは完全に、放たれた拳を防ぎ切っていた。

 黄金の剣。無銘の剣。古い魔物を屠るべく、遥か昔に作られた剣。絶大な神秘を纏うはずのそれは、しかしどこか歪んでおり、不快な音を発している。

 投影はできた。だが、不完全な複製では、本物には届かない。たった一撃を受けただけで、黄金の双剣は軋んでいる。もう二撃も受ければ、この剣は敢え無く四散するだろう。

 十分。あと二撃耐えれば十分だ。自分の意思でキャスターに与した男は、既に倒すべき敵である。俺が耐える間に、アーチャーは態勢を立て直し、傷ついた葛木を打ち倒す。その刹那の時間さえ稼げば、目的は達成される……!

 

「その人は、やらせないわ……!」

 

 主の窮地に、キャスターが動く。攻性魔術を使えない以上、身を挺して庇おうというのか、宙を滑るように魔女が迫る。防御魔術か空間転移か、いずれにしても一手遅い。後ろに立つアーチャーは、既に大弓を構え終えている。この距離ならば、動けぬ葛木は俺越しに狙い撃たれよう。

 だが、矢が迸るより早く。柳洞寺の反対側、セイバーとライダーが戦っているであろうその場所から……突如として、キャスターの貯蔵さえ霞むほどの莫大な魔力が沸き起こり──次いで、眩い彗星が空を貫いた。

 

「え──!?」

 

 時間が止まる。その異常に、全員の視線が釘付けになる。宙を舞うキャスターさえ、縫われたように凍り付く。全ての動きが止まり、無音と化した次の瞬間。

 

 ──眩い黄金の光が、キャスターごと空を断ち割った。

 

 

 

***

 

 

 

 二度目の戦い。一昨日に続いて、セイバーとライダーは互いを捻じ伏せるべく死闘を繰り広げていた。

 双方の戦力差は歴然。基本性能、武器の性能、戦闘経験、ありとあらゆる部分でライダーはセイバーに及ばない。事実、校庭での戦いでは数分と経たずライダーは破れ、セイバーを消耗させることさえ叶わなかった。

 ならば、何度戦おうとも結果は同じ。運でも偶然でもなく、地力が離れ過ぎている。そもそも、本質的には英霊では無く魔物に近いライダーは、純正の英霊、それも最強の騎士たるセイバーには届かない。だというのに──この晩、傾いたはずの天秤は確かに平衡を保っていた。

 

「シッ──!」

 

 ライダーの特攻。二日前、一刀の下に斬り捨てられた疾駆。しかし、以前とは段違いの速力と魔力を持ち合わせたそれは、この騎士王をして守りに回らざるを得ない威力を誇っていた。

 必死に受けるセイバーは、短剣の投擲を弾き、鎖を跳び越え、蹴りを剣で防御する。今までの騎兵が風と言うなら、これは嵐のそれに等しい。縦横無尽に境内を跳ねるライダーは、留まることの知らぬ猛攻を続けていく。鎖と剣は、台風の如き頻度でセイバーに降り注ぐ。

 

「何よあれ、完全に別人じゃない……!」

 

 後方。柳洞寺の隅にて、己が従者を見守る凛はそう小さく悪態を吐いた。

 無傷のライダーの戦闘能力は、セイバーを通じて聞いている。仮に宝具を使われたとしても、セイバーの優位性は揺るがない。キャスターの支援があろうと、戦闘は短時間で終結する……はずだったのだが。

 驚くべきは、ライダーの潜在能力か、はたまたキャスターのバックアップか。絶大な魔力を纏うライダーは、その基礎能力さえも向上させている。凌駕はできずとも、セイバーと互角に持ち込むほどの力は、最早侮れぬ強敵と化していた。

 

「はぁ──ッ!」

 

 振るわれる剣。釘剣を弾き返し、そのままライダーごと薙ぎ払おうと剛剣が迫る。が、羽のような軽さで宙返りした騎兵に、剣が届くには一歩遅く。次の瞬間には、再び釘剣が降り注ぐ。その圧倒的な速度、飛燕と見紛う身のこなしは、あのランサーにすら届いていよう。

 攻撃力と防御力において勝るセイバー。しかし、常に先手を取られ続け、速度で負ける彼女は有効打を見出せない。このままでも負けは有り得ぬだろうが、勝ちにはほど遠い。この戦いには絶対勝利が求められる以上、それでは足りぬ。ここで時間をかければかけるほど、キャスターと戦っている二人が不利になるのだから。

 

「ふ……!」

 

 だが、重い。不規則に揺らめく剣の投擲と、合間に放たれる肉弾攻撃。魔術なら無効化できようが、直接攻撃はどうしても躱すか防ぐ必要がある。以前とは段違いのライダーの一撃は、生半可には受けきれない。短剣、殴打、突進、蹴撃と、息もつかせぬ連撃は、それこそ湯水のように繰り出されて行く。これ程の猛攻、いずれは何処かで破綻すると見たセイバーだったが、騎兵を支える魔力は底が知れぬ。此処に至ってセイバーは、この攻撃は終ぞ止まらぬと割り切った。

 マスターの支援は望めない。サーヴァントですら捉えきれぬライダーの速度は、人間の目では到底追い切れない。並外れた直感を持つセイバーを以てしても、対応するのが精一杯。それに攻撃を中てるなど、まだ針の穴を射抜く方が容易かろう。

 

 ──ならば。

 

 ごう、と風が鳴る。自然の風でもなく、ライダーの疾走でもないそれは、セイバーの剣を中心に発生していた。

 

「っ……!?」

 

 その異常に、ライダーの猛攻が止まる。いや、止まらざるを得なかった。ライダーの速度が嵐ならば、吹き荒れる暴風は竜巻にも届こう。魔力を孕んだ風の群れは、戦闘範囲全てを取り囲み、ライダーの足を削ぐ壁となっていた。

 失策を悟ったライダーには、苦渋の色。一旦足を止めてしまえば、最高速度まではわずかに時間を要する。魔力の加護の下、トップスピードで走り続ける事でセイバーを押していたライダーだったが、足を奪われればその脅威は半減する。

 風の結界を抜けるには、最低でも二手。それだけあれば、セイバーはライダーを斬り倒そう。まともな斬り合いでは、ライダーに勝ち目など存在しない。かといって、暴風の中を突き進めば、元の速度は望めない。最高速度へ至るより先に、セイバーに先手を奪われる。

 

 ──英霊アルトリアの宝具が一、風王結界(インビジブル・エア)

 

 剣を覆い隠すための風の鞘が、ここに壁となって顕現する。機動性が失われた今、ライダーはセイバーに届かない。平衡状態の天秤は再び傾き、セイバーは今度こそ騎兵を斬り伏せようと走る。そしてライダーに、その一撃を受け切るだけの技量はなかった。

 しかし。失われたモノは、取り戻せる。宝具を以て奪われた優位を、同じ宝具で奪い返せぬ道理が無い。自らの秘奥を以てすれば、セイバーの足を奪い、再び優位を取り戻せる。即決したライダーは、一瞬にして眼帯を外し、その内に潜む石化の魔眼(キュベレイ)を閃かせた。神話の再現、凍れる水晶の瞳が、気高き騎士に牙を剥く──!

 

「凍りなさい、セイバー……!」

 

「残念、そいつは対策済みよ! 令呪を以て命じるわ──魔眼を無視しなさい、セイバー!」

 

 はっ、と気付いた時には遅い。消えゆく令呪を代償に、石化の魔眼を正面から睨みながら、何ら変わらぬ速度でセイバーが突貫する。風の後押しを受けたその速度は、先刻までのライダーに及ぼう。

 石化の魔眼(キュベレイ)。厳密には宝具ではなく、彼女の持つ技能に位置付けられる脅威の魔眼。魔力の低い者は問答無用で石化、高い魔力を誇る者にも強烈な重圧を与えるそれは、神秘の度合いで言えば並の宝具を上回る。元々白兵戦能力の低い彼女にとって、相対的に自身の能力を引き上げる魔眼は正に切り札。アーチャーのような対抗宝具を持たぬ限り、その脅威からは逃れられない。

 しかし。他と隔絶した魔力量に加え、キャスターの魔術すら跳ね除ける対魔力を持つセイバーには、元から魔眼が効きにくい。さらに、事前に魔眼の正体が知られており、ダメ押しの令呪の加護さえ加わっている。これだけ揃えば、例え神域の魔眼とて完全に無効化出来よう。

 

「雌雄を決するぞ、ライダー!」

 

「くっ……!」

 

 間に合わない。止まるはずの騎士は歩みを止めず、今更躱すには一歩遅い。魔眼を無効化されたライダーにとって、一瞬の驚愕こそが足枷となる。風に阻まれる今、彼女の足では逃げ切れない。……そう、()()()()()()では。

 

 煌く釘剣。その切っ先は、迫るセイバーではなく己が首に向けられる。迷いなく動いた剣は、主の喉元を深々と切り裂き──溢れた血潮は、中空に紋様を描き出す。急停止し、警戒するセイバーの眼前で、一瞬の内に魔法陣が完成された。

 

「っ、宝具か──!」

 

 悪寒。警鐘を鳴らす直感に従い、セイバーが横に跳ぶ。一拍置いて、何か嘶きのような音と共に、圧倒的な光が大地を焼き払う。地を焦がし、熱量を撒き散らすそれは、天を翔ける流星となって雲の上へと舞い上がる。

 光そのものかと見紛うほどの神々しさ。月よりも尚白く輝き、天を統べる有翼馬。神話にしか語られぬはずのそれは、星の光輝すらも霞ませる、伝説の獣だった。

 

天馬(ペガサス)……」

 

 戦慄と共に、その正体を口にするセイバー。予め知っていたとはいえ、知識のそれと、いざ現物を見た時の衝撃は格段に違っていた。

 神代に生きた幻想種。どれ程の年月を重ねたのか、こと護りに限れば最強と謳われる竜種にすら届いていよう。あれほどの域に達した幻獣は、セイバーをしても生半な敵ではない。

 焼け爛れた大地に、僅かに視線を送る剣士。あの天馬は、ただ駆け抜けただけで空間を蹂躙する。神域の加護に膨大な魔力、加えて流星の如き速力は、立ちはだかる物全てを粉砕する超兵器だ。単なる余波でこの威力、最高の対魔力を誇るセイバーですら凌げまい。

 防御は不可能。では回避か? ……否、天馬の速度は尋常ではない。瞬間的にはセイバーもそれ以上の速度を出せようが、あれはただ動くだけで破壊を撒き散らす。完全な回避など望めず、例え躱したとしても着実にセイバーは傷ついていく。やがて避けきれなくなった時、今度こそ終幕の一撃が降り注ごう。

 

「なるほど。それが貴様の切り札か、ライダー」

 

 セイバーが低く呟く。神代の敵を前にして尚、碧の瞳は揺るがぬ勝利を見据えている。

 邂逅は二度。二度見れば、敵の戦力は把握できる。ライダー本人の力量、そして切り札たる天馬の戦闘能力。それが如何な脅威であれ、セイバーには捻じ伏せるだけの気概がある。

 剣士の決意を嘲笑うかのように、自在に空を奔る馬。ただの生き物であるはずのそれは、並外れた堅牢さと相まって、城塞の如き威圧感を撃ち放つ。あれが突き進む光景は、城そのものが墜ちる悪夢。しかし驚くべきことに……あれほどの脅威ですら、ライダーにとってはただの前座でしかないのだ。

 未だ、宝具の真名を口にせぬライダー。空へ、空へと高く登り詰める天馬は、際限なく天を翔け上がっていく。恐らくは、あれが頂点に達した時にこそ、その真名が紐解かれるのだろう。その後に引き起こされる奇跡は、並大抵の物では有り得まい。

 

 だが。

 

「是非もない。貴様が城を以て立ち塞がると言うのなら」

 

 ごう、と風が吹く。

 ごうごうと、風が流れていく。

 剣を覆い、周囲にまで張り巡らされた風の結界。セイバーの剣の封印が、嵐となって紐解かれていく。

 

「我が聖剣は、その守りごと両断しよう…………!!!」

 

 軋むような音。それは剣が鳴る音か、それとも世界が怯える音か。何重という風を撒き散らし、徐々に徐々に、その姿が現れていく。

 騎士の王。十二の会戦を戦い抜き、世界に名を轟かせた英雄。吹き荒ぶ風さえ従えて、アーサー王の代名詞たる、聖なる剣が姿を現す……!

 

「あれが、セイバーの宝具……!」

 

 息を飲む凛。極限を競う英霊の死闘に於いては、魔術師である彼女さえ部外者。英雄たちの戦いに、人間では付いてこれない。

 しかし、彼女こそはセイバーの主。己が従者の死闘を、彼女だけは見届ける義務がある。例え直接加われずとも、いや、直接加われぬからこそ、彼女はその雄姿の全てを己が脳裏に焼き付ける。

 だが、この光。いと尊き輝きは、例え忘れようとしても忘れられまい。ここが戦場であることさえ忘我して、凛はその光に見入っていた。

 

「あれは、まさか…………っ!」

 

 天馬に跨る騎兵。空高く舞う彼女にさえ、その光は届いている。

 遍く騎士たちの羨望の剣。人の願いを、星の力を秘めた聖剣。その美しく尊い黄金を、英霊であるならば見間違えるはずもない。ここに来て初めて、ライダーは敵の正体を思い知っていた。

 最強の幻想(ラスト・ファンタズム)。およそあらゆる剣の中で、頂点に位置する星の聖剣。その担い手たる英雄は、ただ一人しか存在しない。ライダーが神話を引き起こすならば、セイバーは伝説を織り成そう。思い知れ神話の住人よ、此処に在るのは名高き騎士王である……!

 

「────っ」

 

 しかし、ライダーは退けない。敵がいかに強大であろうが、彼女とて退けぬ理由がある。

 争いを望まぬ、優しい主。戦いが長引くほど、宝具を使えば使うほど、彼女の身は傷ついていく。彼女を守ると、助けると誓った自分は、こんな所では負けられない。今ここで自分が敗れれば、一体誰があの愛しい少女を救ってやれるというのか……!?

 故に、負けられない。敗北は一度で十分。己が契約と引き換えに、得られたのはキャスターの助力。立ちはだかる敵を倒し、魔女すら使って主を救う。その為なら、心優しい天馬でさえも殺戮兵器として利用しよう。今この敵を倒さねば、あの少女は救えないのだから──!

 

「……ごめんなさい。すぐに終わらせます」

 

 戦いを望まぬ少女と、戦いを好まぬ天馬。その双方に謝罪を告げ、彼女は意識を切り替える。

 取り出されたのは、黄金の縄。魔眼でも天馬でもなく、この小さな縄こそがメドゥーサの最終宝具。あらゆる乗騎の力を引き出し、その猛威を最大限に押し上げる手綱。それに御された天馬の瞳は、ただ戦意にのみ満ち溢れていく。凄まじいまでの魔力が、最早比肩しうる物のない域まで膨れ上がる。

 

 遠く、遠く、遥か天頂まで至って遂に──ライダーの宝具、その真名が解き放たれた。

 

「"騎英の手綱(ベルレフォーン)"──!!!」

 

 光が流れる。

 光が墜ちる。

 一直線に、隕石となった騎兵が走る。宵闇の空を単騎で染め上げ、古の幻獣が天より迫る。城が降るが如き恐怖は、幻視ではなく全くの事実。天馬が纏う重厚な護りは、そのまま古代の城塞にさえ及ぼう。他と隔絶した硬さに、超高度からの加速が加われば、それは想像を絶する大破壊を齎す。絶大な魔力は、その余波だけで全てを薙ぎ払おう。

 あれは既に人を相手取る域にはなく、軍すら滅ぼす対軍宝具。それほどの脅威、それほどの威力が炸裂すれば、この柳洞寺なぞ更地と化して余りある。如何なサーヴァントとて、あれを受けては消滅するが道理。

 

 ──だが侮るな、天馬の主よ。今宵在りしは最強の護り手。偉大なる騎士王が、空さえ討とうと立ち塞がる……!

 

 光が渦巻く。

 光が吠える。

 天を仰ぎ、聖剣を構えた剣士が動く。燦然たる黄金の光は、地にあって尚星にも届く純度を誇る。否、事実それは、星の光を集めた至高の宝具。触れる物全てを両断し、城さえ呑み込むその光は、空想の身でありながら最強に至る。

 伝説は此処に。あらゆる騎士たちの誉れ、戦場に散った全ての者たちの誇りの結晶。眩い幻想(ユメ)は、見る者の心すら奪い、何より尊い光を成す。刮目せよ、騎士王の聖剣が今宵蘇る──!

 

「──"約束された勝利の剣(エクスカリバー)"──!!!」

 

 

***

 

 

 その、全てを呑み込む光の中で。

 

「──"妄想心音(ザバーニーヤ)"──」

 

 昏い影。染まらぬ闇が、動いていた。


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