【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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25.死の逃避行

 森を駆ける。

 剣戟の音は遥か後方。ヘラクレスとセイバーの激戦の音は、次第に小さくなっていく。後ろ髪を引かれる思いだが、今は一刻も早くこの場から離脱するのが先だった。

 殿を務めてくれた大英雄は、強い。『十二の試練(ゴッド・ハンド)』という反則的な能力を失ったとしても、あれはギリシャ最大最強の英雄だ。並大抵の敵など歯牙にもかけまい。

 しかし……今ヘラクレスと戦っているサーヴァントは、並という領域を遥かに上回っている。不可解なほど強化されたセイバー──彼女がなぜ生きていて、臓硯の軍門に下っているのかは知る由もないが、あれだけ頼りになった少女が敵に回るとなると、厄介という話では済まなくなる。どうしてああなってしまったのか、誇りある清廉な姿はどこに消えて失せたのか、気になることは山ほどあるが、そんなものは全て後回しだ。

 セイバーの足止めはできても、この森には敵が多すぎる。アサシンが死んでくれたと考えるのは都合が良すぎるだろうし、ヤツのマスターと思われる間桐臓硯もそれは同じだろう。加えて得体の知れぬ黒い影に、新たに現れた謎の狙撃手。一旦脱出し、状況を整理して対策を立てなければ、俺たちの運命はここで終わる。桜を助けることだってできなくなる。

 

「走れ、雑種ども! 怠惰を貪る暇はないぞ!」

 

 先頭を走るアーチャーは、俺たちにペースを合わせてくれているのか、そう叱咤の声をかける。俺と遠坂はなんとか追走しているが……一人だけ、徐々にペースが落ち始めていた。

 

「は、は、ぁっ……! む、無理……そんなに、走れない……っ!」

 

 苦悶の表情を浮かべるイリヤ。慌てて彼女の速度に同調するが、それではアーチャーたちには到底追いつけない。敵が追走してきたら、逃れることも叶わなくなる。

 イリヤの実年齢はわからないが、少なくとも見た目は十代前半の少女でしかない。体が出来上がっている俺や遠坂、サーヴァントであるアーチャーとは体力も身体能力も違い過ぎる。魔術で補おうにも、この分ではイリヤは身体強化魔術の心得がないようだ。

 

「ダメ……ここでバーサーカーを待ってるから、みんなは先に行って!」

 

「バカ言うんじゃないわよ。アンタをほったらかしにしていったら、何をしにきたのか分からないじゃない。それこそ、バーサーカーに私たちが殺されるわ」

 

「でも、このままだと……!」

 

 口論するイリヤと遠坂。イリヤを抱えて走ることも考えたが、それでは今度は俺の体力も続かない。遠坂とて同様だろうし、どうすれば──と思った刹那、先頭を走っていたアーチャーが、いきなり戻ってきた。

 

「ええい、世話の焼ける人形よ……!」

 

 あ、と声を出す暇もなく。イリヤの小柄な体は、アーチャーの腕に抱えられていた。舌打ちし、心底忌々しそうな顔になった青年だが、落ちないように両手でイリヤを抱え上げると、先程までと変わらない速度で疾走し始める。そりゃ、サーヴァントなら何の負担にもならないだろうが、こいつはこんな真似をする男だったか……?

 首を傾げている間にも、アーチャーは走り続ける。岩や木々が乱立する地形で、両手が塞がっているというのに、微塵も苦にした様子はない。さすがと言うべきなのだろうが、その姿はあまりに似合わず、困惑したイリヤが秀麗な容貌を見上げる。

 

「アーチャー……? なんで、わたしのことなんか」

 

「思い上がるな。貴様のごとき小娘なぞ知ったことではないわ」

 

 底冷えするような低音。アーチャーは本気で、イリヤのことを重視していない。おそらくだが、あの英霊とイリヤが二人きりなら、あいつは確実にイリヤを見捨てていくだろう。

 自分勝手というのとは少し違う。短い付き合いだが、ヤツの考えは少しだけ分かる。あの男は、自分の力で道を切り拓けない者には興味がないのだ。弱者を積極的に迫害するわけではないが、救済の手を差し伸べることもしない。放任主義というか、自分が積極的に介入することを避け、あくまで当事者の自助努力を重んじているような節がある。

 俺たちに対してだって、情報を示したり、ヒントをくれたりすることはあるが、せいぜいがその程度。サーヴァントとして戦ってはくれるが、それだって積極的なわけではない。時々手は貸してやるが、自分には頼るな、できることは自分たちでやれというスタンスだ。単に面倒臭がりというわけではなく、何か強い考えの下にそういう立場を貫いている。

 おそらくだがこの男が本気を出して物事に関与してくれるのは、人間の力ではもうどうにもならないような理不尽な状況、あらゆる手立てを講じ尽くしてなお八方塞という絶望的な場面──それも小規模なものではなく、国家や惑星、人類規模レベルの危機のような。そこまでのスケールと条件が揃って初めて、やっと全力になるような気がする。そういうヤツが、何故イリヤを……?

 

「フン。ヘラクレスほどの男が、命と引き換えに貴様の助命を嘆願したのだ。聞き届けてやらぬわけにもいくまい。あれは貴様に、それほどまでの価値を見出していたということだ。(ゆめ)その意思を損なうな、小娘」

 

 驚くべきことに。何者をも見下した態度のこの男は、あの大英雄には高い評価を下しているようだった。逆に言えば、一つの神話体系の中で最大最強と謳われるほどになってようやく、アーチャーにとっては名を呼ぶに値する存在になるのだろう。ここまで天井知らずの傲慢さだと、いっそ清々しい。

 しかし、大英雄の頼みはついにこのサーヴァントを動かした。アーチャーを信頼して主を任せた彼は、独り命を賭して戦っている。あの偉大な戦士は、イリヤスフィールを託す代償に、俺たちを逃がすための殿となって命を擲ったのだ。あの英霊に価値を見出したアーチャーは、その輝きに泥を塗る真似はするまい。それだけの背景がある以上、どれだけ不本意であろうとも、アーチャーはイリヤを守るだろう。

 とにかく、イリヤをアーチャーに任せられるなら心強い。あとは走って森の外まで逃げ切れれば……。

 

「ッ……!」

 

 背筋に冷たいものが走る。聖杯戦争が始まってから、幾度となく感じたもの。これは殺気だ。どの敵かは分からないが、何者かが俺を狙っている。

 そう思った時には遅かった。キラ、と視界の隅で何かが光った刹那。猛烈な速度で、俺の頭蓋めがけて何かが迫り──

 

「チィ──!」

 

 金属音。バックステップしたアーチャーが、イリヤを抱えたまま、手甲で凶器を弾いたのだ。礼を言う暇もなく、アーチャーはイリヤを左手一本で抱え、右手に黄金の剣を召喚する。

 今の武器は矢だった。ということは、攻撃してきたヤツは得体の知れぬ謎の狙撃手だ。ランサーでもアサシンでもない、しかし確実にサーヴァント級の武具を用いる敵。聖杯戦争に関わりがある存在のうち、消去法で行けば、まだ姿を現していないのはランサーのマスターということになるが……それは違うと、俺の直感が告げていた。

 敵が襲ってくるからといって、足を止めるわけにはいかない。走り続ける俺たちだが、狙撃は二射目、三射目と繰り返される。その度にアーチャーが、超人的な先読みで武器を叩き落とすのだが、どうしてもその分速度は遅くなる。もしかすると、この敵はそれが狙いなのかもしれない。

 飛んでくるのは矢だけではない。投擲しているのか、それとも矢の代わりに弓に番えているのか、合間に不規則に剣が交じっている。白黒二振りの短剣が、弧を描くようにしてアーチャーに迫り来るが、黄金のサーヴァントは事もなげに軌道を読むと一閃して武器を打ち払った。中華に縁があると思われるその双剣が、妙に焼き付いて目に残る。

 

「──埒が明かんな」

 

 十射目を切り払ったところで、不愉快そうにアーチャーが吐き捨てる。それと同時、疾走していた足が止まった。連動して、自然と俺たちも停止する。

 ひょい、と無造作にイリヤの体が投げ渡された。大慌てで受け止め、なんとか彼女が地面に叩き付けられることは防いだが、今のは乱暴すぎる。イリヤと二人揃って、抗議の声をあげようとするが──黄金の背中は、聞く耳を持たぬと告げている。

 自由になった左手にも、アーチャーは輝ける剣を出現させていた。双剣をだらりと下げ、男が睨んでいるのは森の奥。すると、見通せぬ闇の中から、同じように敵兵がこちらを観察している気配があった。

 

「我ではなく、あくまでマスターをつけ狙うか。雑種の分際で、随分と思い上がったものだ」

 

 アーチャーの頬には笑み。だがそれは、快ゆえのものではない。刃向かう敵に誅罰を下す、王者としての殺意の顕れだった。膨れ上がるような殺気が、隠れた敵へと叩き付けられる。

 その威圧に、イリヤが声にならない声を漏らした。遠坂も頬には汗が伝い、俺も背筋に冷たいものが走る。黄金の英霊の放つ怒気は、それほどまでに凄まじいものだった。気の弱い者など、これを見ただけでも正気を失おう。

 今の言葉の通り、狙撃手は俺だけを執拗に狙い続けていた。アーチャーのマスターが、俺だと知っているのだろうか。確かにマスター狙いは聖杯戦争の常套戦術ではあるが、この英霊にはそれが気に入らなかったらしい。おまえなど眼中にないと言わんばかりに無視され、俺を殺せば話が済むと思っているように弓兵を軽視した敵の行為が、アーチャーの勘気に触れたのだろう。

 

「楽に勝つため、確実に勝利を得るためには、確かにそれも正しかろう。我とて状況によっては、戯れに同じ事をするやもしれん。

 しかし、それは我だから許されること。凡夫雑種の分際でこの我を軽んじようとは、度し難いにも程がある。薄汚い鼠風情に許されることではないわ!」

 

 無茶苦茶な理屈である。だが、当の本人はすっかりやる気のようだ。

 確かに、ここであの敵を食い止める者がいないと、俺たちはいずれ臓硯や黒い影に追いつかれることになるだろう。アーチャーにヤツを任せるのは、理に適ってはいるのだが……ヘラクレスに指摘されたとおり、今のアーチャーは万全の状態ではない。あの敵がサーヴァントで──それも、セイバーやバーサーカー級の英霊だった場合。アーチャーでは、おそらく対抗しきれない……!

 

「あの無礼者は我が引き受けよう。貴様らは先に行くがいい」

 

「だけどアーチャー、アンタは……」

 

「たわけ。未熟者が我の身を案じるなど、五千年は早い。泣き言を聞いている暇はない、その人形を連れて疾く失せよ」

 

 有無を言わさぬアーチャーの言葉。だが──と言葉を続けようとしたところで、強烈な寒気に、体中に鳥肌が立った。

 殺気……違う。これは恐怖だ。それも、殺されるなどという生易しいものではない。敵に貪り食われるという、遺伝子に刻まれた黎明の恐怖。目には見えず、声も聞こえずとも……森の奥に、確かにその気配を感じた。

 

 ──あの『影』だ。

 

 あれだけのおぞましさを漂わせながら、異様に実体感のなかった存在。恐怖を撒き散らしているのに、奇妙にあやふやで感知するのが難しい。この世とあの世の狭間にいるような、そんな得体の知れぬ怪物が、今確かに声をあげた。ぞっとするようなプレッシャーを、遥か遠くから感じる。

 黒い影に何の変化が起きたのかは分からない。しかし、アレが動き始めたこと……そして、俺たちを狙っていることだけは頭を使わずとも理解できる。このままでは追いつかれ、確実に()()()()。もう一刻の猶予だってない、止まればアレがやって来てしまう……!

 

「っ──! アーチャー、頼んだぞ!」

 

 弓兵は無言。こうなっては、あいつに敵を任せるしかない。役目を引き継ぐように、イリヤの体を抱え上げ、迷いを振り切って走り出した遠坂に続く。全力のスピードは出せないが、この際文句は言っていられない。

 そうして地を駆け出した直後、背後で甲高い金属音が響く。続く交戦音は、次第に小さくなっていき……二人のサーヴァントを残したまま、俺たちは無音の森を走り抜ける。影に喰われるか森から抜け出すか、時間が全ての鍵になる──。

 

 

***

 

 

「──さて」

 

 マスターたちが駆け去った後。黄金の弓兵は、木々の奥に潜む敵に大弓を向けた。同時、向こうからも照準を向けられているという確信がある。

 敵の性能は未知数。地形は、森林だけあって遮蔽物が多く、攻めるには不向きだが守るには向いている。持久戦、遅滞戦術であれば、セイバーのような広範囲殲滅宝具を有していない限り今のアーチャーでも十分に戦えよう。しかし、今は時間に余裕がなかった。

 死神が鎌首をもたげた気配を、この英霊も感じていた。黒い影はまだ遠いが、いずれここまでやって来よう。正体までは知れぬが、あれはサーヴァントを優先的に狙う。

 アーチャーの速力は、サーヴァントの中では並程度とはいえ、人間が出し得るそれを凌駕する。よほどの距離まで近づかれぬ限り、気配を晒し始めた影からは如何様にも逃げられるが、それとて悠長に構えている暇はない。今相対している敵も同じ考えなのだろう、動きを見せたのか、木々が揺れる音が響き──

 

「どこへ行く」

 

 その途端、放たれた矢に行く手を阻まれた。事もあろうに、この敵はアーチャーを無視して魔術師たちを追おうとしていた。それを先読みしていた弓兵は、天然の遮蔽物越しに逃走ルートを狙撃することで動きを縫い止めたのだ。

 木々の間を縫った一撃は、精緻なコントロールによるものだ。このサーヴァントは際立った弓の名手というわけではない。だが、その才能と経験の不足分を、この英霊は常人離れした頭脳と眼力によって補っている。それとて本職の弓使いに比べれば数段以上劣るだろうが、この場においてはそれで十分だった。

 

「我の前から去る事を誰が許した?」

 

 今の一撃は回避したようだが、容易には逃れられぬと分かったのだろう。アーチャーに向けられる敵意が膨れ上がる。それ以上の殺意を以て敵意に応じながら、青年は頭脳を動かし続けていた。

 敵の攻撃手段は弓矢。旧時代の武器であるはずのそれは、サーヴァントの全力によって放たれれば戦車主砲に匹敵する破壊力を叩き出す。それを見れば、アーチャークラスのサーヴァントという可能性は大きいが、断定はできない。仮にそうであった場合、八騎目のサーヴァントという異常が発生していることになるが、今原因を探っても事態の解決には成り得ない。

 一方、こちらの攻撃手段は双剣と大弓のみ。極めて優れた武具ではあるが、アーチャーは自身がヘラクレスのような武人ではないと判断している。この武装のみで敵を打倒できると思うのは考えが甘すぎる。なにせ、こちらは切り札となる宝具を使えないのだから。

 木々の合間に潜む射手を見据えながら、あらゆる情報を収集する。現在使える手札、地形データ、黒い影の進行速度、戦闘可能時間、敵の思考や能力、採るべき戦術──経過した時間は、十秒となかっただろう。先に動いたのは敵の方だった。

 膨大な魔力が湧き起こる。人間の魔術師では到底不可能なその量に、やはりサーヴァントかと確信するアーチャー。直後、数十メートル先から、血を追う魔物が放たれた。

 

「──"赤原猟犬(フルンディング)"」

 

 超音速で飛来する一撃は、サーヴァントの視力を以てしても捉え難い。しかし、タイミングと射線を類稀なる頭脳で瞬時に割り出したアーチャーは、大弓から魔力の矢を撃ち出し、凶器に真正面からぶつけることで相殺を狙った。

 激突音が響き、赤い剣があらぬ方向に弾かれ飛ぶ。森の奥へ消えていくかと思われた刹那、剣は不自然な軌道を描いて回転し、再びアーチャーへと向かい始めた。それはかの青い槍兵を驚愕させた一撃であり、さすがのアーチャーも眉を顰める。

 

「追尾宝具か」

 

 だが、アーチャーは冷静に矢の軌道を読むと、それが自身の心臓を標的としていることを察知。機を読み、衝撃波を纏って剣の矢が着弾する瞬間、双剣を両側から挟み切るようにして叩き付けた。強烈な圧力を受けた剣は圧潰し、粉微塵に砕け散る。宝具の真名を耳にした瞬間から、彼はその武器の能力を数パターン予測していたのだ。

 次いで、迎撃する隙を突くように背後から迫る風切音。振り下ろされる剣に対し、追撃まで予測していたアーチャーは、振り向きもせず持ち主に後ろ蹴りを叩き込んで怯ませると、もう片方の足を軸に回転してそのまま斬撃を放つ。双剣は同じく双剣によって防がれ、弓兵はこの時初めて敵対者の容姿を視認した。

 

 ──その男は、赤い外套を纏っていた。

 

 騎士系のサーヴァントにはよくある重厚な鎧とは違い、物理攻撃の防御を主目的としているのではない服装。アーチャーの見立てでは、それは礼装として加工された何らかの聖骸布だ。

 男の背は高め。肌は浅黒く、頭髪は白い。一見中東系の人種にも見えるが、顔立ちはアジア系に近い。これだけでは個人を特定するのは不可能だと、アーチャーはコンマ一秒以下で分析を終えた。

 鍔競り合っていた双剣同士は、今度は敵の蹴りによって引き離される。鎧越しに蹴撃を受けたアーチャーは、ダメージこそ皆無だったものの、衝撃に逆らわず一旦距離を置いた。

 

「──痴れ者が。逃げ隠れ、背を狙わねば戦うことすらできんか。まこと、三下らしい姑息な手よな」

 

「生憎、英雄の誇りとやらと私は無縁でね。隙があるなら、その慢心を遠慮なく突かせてもらう。誇りで敵は倒せんだろう?」

 

 謎の戦士のその返しに、血色の瞳がすっと細まる。今の台詞は、何かアーチャーに怒りを抱かせたようだった。一段低い凍えるような声で、いっそ穏やかなまでに弓兵は口を開く。

 

「たわけめ──誇りを捨てた者に先はない。目先の敵は討てようとも、未来が続かぬ。誇りなき者には何も生み出せず、後には何も続かず、やがては捨てた誇りに牙を剥かれて朽ちていく。

 それすら分からぬとは、手段のために目的を見失った余程の愚者か──あるいは、端から己が生命を打ち棄てた阿呆よ」

 

 アーチャーの言葉に反応はない。内心、何か思うところはあったのかもしれないが、赤いサーヴァントは双剣を交差するように構えることで答えとした。その様を観察し、対照的に双剣を体の外側に向ける構えを取りながら、アーチャーは眼前の敵の性能を図る。

 『赤原猟犬(フルンディング)』。それは、北欧神話に名高い英雄ベオウルフが有する宝具である。血に由来する伝説を持つ、知名度の高い魔剣だ。となると、この男の真名はベオウルフということになるのだが、それにしては異常過ぎる。

 この敵はヨーロッパ系の人種の特徴に合致しないが、それは些細な問題だ。神話や伝説は、後世に創作されたものや脚色されたものがほとんどであり、登場人物の性別や人種、容姿や年齢が実態とはかけ離れていることなど珍しくもないからだ。そうではなく、用いた宝具──フルンディングの方に問題がある。その魔剣を、矢として放つ逸話など存在しないからだ。

 そういう使い方もあったかもしれないと仮定してみても、今この英霊が持っている剣はフルンディングではなく、中華圏に縁のある双剣だ。そも、貴重な宝具をあのように初手で使い潰すなど戦略的に見て悪手であるし、ああも簡単に破壊されたことも腑に落ちない。中東系の肌の色、アジア系の顔立ちと双剣、北欧神話の宝具……容姿からも戦法からも、個人特定に迫るのは難しい。

 

「シ──ッ!」

 

 斬りかかってくる双剣を、同じく双剣で迎撃する。アーチャーの剣の方がリーチが長いが、赤い戦士の剣は幅が広く防御に秀でている。結果、攻勢に出るアーチャーと守勢に回りつつカウンターを繰り出す敵という構図に推移することになった。

 一進一退の攻防。が、火花を散らして切り結ぶうち、黄金の弓兵はこの男に対して分が悪いことを認識せざるを得なかった。剣の技量において、アーチャーではこの敵に明確に劣る。アーサー王やヘラクレスのようにずば抜けた才覚を有するわけではないが、弛まぬ努力と経験によって培われた剣技は堅実で無駄がない。

 かといって弓の撃ち合いに持ち込もうにも、このサーヴァントはそもそも弓を使って攻撃してきたのだ。そちらについては天賦の才を持っていると、アーチャーは狙撃を防いでいた時に分析していた。この敵がアーチャークラスなのか、それともセイバークラスなのかは判然としないが、遠近双方でアーチャーを上回る腕前を持っている。

 更に言うなら、戦い方の相性も良くない。頭脳と眼力による驚異的な先読みを活かして技量不足を補っているアーチャーだが、この男はそれに近い戦い方をするのだ。技量を恃むのではなく、戦闘の流れ全体を俯瞰し、予測し、一手一手を詰将棋のように進めていく。戦術が近く技量が上回るなら、どちらが優勢かなど語るに及ばない。

 

「小癪な……!」

 

 勢いの甘い一撃。防げると判断したアーチャーは、敢えて前に出て鎧で強引に剣を弾くと、反動の隙を見逃さず、片方の剣を力任せに叩き折った。武装が片方だけになり、退く敵に容赦なく踏み込んで追撃を繰り出す。

 アーチャーが優っているのは、武具の質と身体能力。武器に宿る神秘は敵兵のそれとは比較にならず、頑強な鎧は剣撃を受けても傷一つ負わない。基礎的な性能も、アーチャーの方がおおよそ上だ。

 このアドバンテージに加え──不思議なことに、何故かこの足場の悪い地形だと()()()()()。まるで森林地帯での戦闘経験が多いように、思考中心で戦うアーチャーらしくもなく、反射的に体が動くのだ。そのため普段よりも対応速度が上がっており、格上の敵に対しても適切な防御と反撃が間に合っている。アーチャーが未だ敗北していない、最も大きな理由はそれだった。

 それに対して赤い戦士の方は、何らかの縛りがあるのかそれとも完全な状態ではないのか、僅かながら立ち回り方が鈍い。そのため、武器さえ壊せば力押しで解決すると判断したのだが……砕けたはずの剣が再び現れる異様に、弓兵はさすがに瞠目した。

 

「──贋作者(フェイカー)か!」

 

 横薙ぎの一閃を防ぎながら、アーチャーが敵の能力を看破した。他でもない、己がマスターと同系統の魔術が、このサーヴァントの手品の種だ。

 『赤原猟犬(フルンディング)』も、中華の双剣も、投影魔術で作り出した贋作だ。故にアーチャーの武器には質で劣る反面、破損しようといくらでも代替できる。伝説の具現とも言うべき宝具を粗製濫造するその戦法に、弓兵は強い嫌悪感を抱く。

 

「さすがだな。見抜かれたとあっては隠しておく必要もないが──そろそろ、君の方も手札を見せたらどうだね」

 

 その皮肉げな挑発が、アーチャーに疑問を生んだ。今現在のアーチャーは、持ち得る武器を全て使っているというのに……その口ぶりは、まるで本来の彼のことを知悉しているようであったからだ。

 一方、疑問を感じているのは対峙する戦士──赤いアーチャーも同じだった。彼は些か特殊な事情で、この黄金の青年を僅かながらに知っている。確かこの英霊は、湯水のように宝具群を掃射する凄まじい攻撃手段が持ち味だ。剣と弓を使い分け、徹底して自らが武器を振るう戦闘に拘るなど、どうにも違和感が強すぎる。本来の戦い方をされれば、今の自分では対処し切ることが困難なため、都合が良いと言えば良いのだが……そちらに移られてはまずい。

 警戒して様子見の攻撃を続けていたが、この敵は確実に仕留めておくべきだと判断。マスターからの命令(オーダー)は『敵情視察、及び間桐陣営の消極的な支援』だったが、それに反しているわけではない。即座に投影可能な宝具を検索し、戦術を構築する。こと手札の多さにおいて、現在の黄金のアーチャーでは、赤い弓兵には遠く及ばない。

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 今までとは一転、強引に双剣を叩きつけ、勢いのまま黄金のアーチャーを弾き飛ばす。無理矢理な一撃の負荷に耐えかね、干将・莫耶は砕け散ってしまうが、今の攻撃は次への布石。後退した鎧姿の上空に、八本の剣が突如として出現する。

 八方を等間隔で覆う剣の群れ。どちらに逃げてもいずれかの直撃コースは避けられず、かといって留まれば全弾をまともに浴びる。宝具とも呼べない低級の剣ではあるが、それとて脅威には違いない。

 

「ぬ……!」

 

 目を見開く黄金の騎士。降り注ぐ剣群を回避しようとするが、三本は避けきれず鎧に衝突して歪な金属音を響かせる。堅牢な防具は剣を弾き返すが、衝撃までは防げずにアーチャーは大きく体勢を崩す。そこに、三手目の攻撃が繰り出される。

 

「──I am the bone of my sword(我が 骨子は 捻じれ狂う).」

 

 行動を誘導し、隙を生み出し、稼いだ僅かな時間を以て宝具を創り出し、その効果を次の一手とする。多種多様な投影武具を用いた、流れるような連続攻撃。一つ一つは小さくとも、重なれば大きな力となる。

 一方の黄金のアーチャーは、自分が着々と()()に近付いている危機を感じていた。相手の狙いは分かる、動きも視える、どう対処すれば良いかも導出できる。しかし、そのための手駒、切れるカードがあまりにも少ない。一点特化の能力を持たぬ代わりに敵が持つ、引き出しの多さという長所は、一揃いの武具しか持たず真名解放すらできない今のアーチャーに対して完全な優位性を持っている。

 倒れかけた青年が急制動し、双剣を地面に突き刺して運動エネルギーを殺す。しかし、体勢を引き起こすより、赤い弓兵が宝具を使う方が早い。避けきれぬ黄金の騎士に、同じく黄金色の刀身を持つ剣が叩き付けられ──

 

「"黄の死(クロケア・モース)"」

 

 衝撃。大地から抜いた双剣を交差させ、無防備な頭部を辛うじて守るアーチャー。その手甲に、黄金の剣が炸裂した。大上段から振り下ろされた一撃は重く、鎧越しに伝わる衝撃に弓兵の腕が痺れる。

 しかし、驚くべきはまだ早かった。攻撃を受けたと感じた瞬間、ありえぬはずの速度で剣が引き戻され、今度は胸部に叩き付けられたのだ。ガ、と息を吐くアーチャーの、次は腰部に。更に脚部、その次は再び胸部。ほとんど同時と言ってもいい、サーヴァントが振るうにしても物理的に困難な速度の連撃が五度に亘って続き、衝撃を逃がすことさえできなかった黄金の青年は弾き飛ばされて地面を転がった。鎧が防いだとはいえ浸透するダメージはあり、額から一筋血が流れる。

 『射殺す百頭(ナインライブズ)』や多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)とは違い、技術による神業や魔法の域に達した同時攻撃ではない。これは宝具による能力──かの古代ローマ皇帝、ガイウス・ユリウス・カエサルが有していたという剣。「来た、見た、勝った」という名言を体現したような、神速での超連続攻撃を可能とする真名解放によって、赤い弓兵は瞬間的に五度の斬撃を放ったのだ。

 

「おのれ、贋作風情が──!」

 

 激昂する黄金のアーチャーだが、手足の痺れと脳震盪によって咄嗟には立ち上がれない。彼とてサーヴァント、この程度のダメージでは致命傷から程遠く、また数秒あればダメージからも復帰できようが、その僅かな時間で敵は詰め(チェック)に入っていた。ここまでの連撃は、全てこの一瞬の為の布石。

 青年が纏う鎧は、物理的に異常過ぎる硬度を持つ。一定以上の神秘を含有していなければ無効化する、一定のダメージを削減する、など防御宝具には数多の種類と効用があるが、アーチャーの鎧は単純な物理防御力が桁違いだ。模造品で性能が低下しているとはいえ、中性能(Cランク)の宝具が直撃したというのに、まるで堪えた様子がない。おそらくあれは、最高の切れ味を誇る聖剣にすら耐えきろう。

 とはいえ、物には限度がある。物理的な衝撃であれを破るのは不可能ではないが、並大抵の宝具では通じるまい。また、今の赤い弓兵は、ランサー戦の甚大なダメージが尾を引いており、切り札は使えず強力な宝具の投影にも制限がある。一部のステータスも低下している以上、相手を殺傷するには策に策を重ねた一瞬に限られた力を注ぎ込む必要があり──今が、まさにその時だった。

 

投影(トレース)完了(オフ)

 

 起き上がろうとする弓兵に、窮地を悟った焦りが走る。敵が所有している剣の脅威を一瞬にして理解したのだ。

 贋作者が投影した宝具は、竜殺しの大英雄ジークフリートが有していたという黄昏の魔剣(バルムンク)。精度が落ちた偽物とはいえ、最強の幻想種である魔竜を滅ぼしたほどの一振りである。並の剣では有り得ず、黄金の鎧を砕くに足る力を有しているのは間違いない。

 今のアーチャーにとって最も致命的な弱点は、宝具を使えないことだった。相手の切り札に対して合わせられるカウンター、抑止力となるカードが存在しない。だが、手を拱いていては確実に負ける。

 

「────」

 

 実のところ、アーチャーは聖杯戦争に於ける勝敗自体にはさほど拘りはない。契約者である衛宮士郎の道程を愉しむ──それがこのサーヴァントの目的であり、自分が勝とうが負けようが、その結果はマスターに帰結すると考えている以上結局は他人事である。野次は飛ばすし、気が向けば助言もするし、劇があまりにつまらない方向に傾くなら手出し程度はするが、それとて本気ではないのだ。

 だが、いかに第三者のつもりでいようと許容できぬものはある。下らない三文劇とはいえ、誇りすら持たぬ偽者に敗れるなど、それはこの男のプライドが許さない。何としても、不敬に対する罰を与える必要があった。

 狙うべきは宝具解放の一瞬。鎧を分解・四散させ、目晦ましと壁にすると同時、宝具の効力が発揮される寸前で速攻をかける。博打に近く、相討ちの可能性が高い策など下策と呼んで差し支えないが、道を開くにはそれしかない。

 緊張が走る。真エーテルの光熱が黄金の弓兵を焼き尽くすのが早いか、その前に起死回生の奇策が炸裂するか──

 

「"幻想大剣・天魔(バルムン……)……"」

 

 魔剣を振り上げた赤い弓兵、鎧に魔力を籠める黄金の弓兵。しかし──背筋に走った冷たさに、二人は同時に動きを止めると、怖気の源泉に目を向ける。

 

 ──森の奥に、魔の影が立っていた。

 

 不格好にゆらゆらと揺れ、黒に赤い縁取りが入ったような幾本もの触手。深海生物めいた異形、サーヴァントを食い殺す異界の怪物は、どこか女じみた妖艶さを纏わせている。

 早すぎる、と二人は同時に胸中で呟いた。彼らの目測では、この影が到達するまでもう数分は要するはずだった。当初の計算を狂わせるような何かが、魔物の中で発生したのだろう。

 現実にもう到着してしまっている以上、原因を予測したところで意味は薄い。そんなことを考えている間に、思考すべき頭脳を貪られていよう。こうなっては戦闘どころではなく、即時脱出しなければ諸共に喰われると、二人の弓兵の考えは一致した。

 

「チ──運の良い男だ。命拾いをしたな」

 

「決めたぞ贋作者(フェイカー)──貴様はこの我が手ずから殺す」

 

 絶対零度の殺意を向け合うサーヴァントたち。だがそれは一秒のことで、赤い弓兵は魔剣を下ろして黒い影を睨み、黄金の弓兵は伏せた状態での跳躍姿勢から、反動をつけて体を起こす。

 今の戦闘は、黄金のアーチャーの判定負けだろう。あのまま贋作者が宝具を解放していれば、おそらく六割以上の確率で彼は敗北していた。良くても単独勝利ではなく、相討ちの可能性の方が高かったろう。気位の高い青年は、本気で追い詰められたことに激しい怒りを感じてはいたが、黒い影に飲まれるという屈辱よりは現状の方がまだマシである。いずれ借りは返すと脳裏に刻み込み、黒い影が迫る寸前、逆方向へと全力疾走してその魔手から逃れていく。

 一方の赤い弓兵も、迷わず逃走という選択肢を選んだ。彼は間桐陣営に対し、消極的な協力を命じられているが、肝心の向こうがどう捉えているのかは知らぬし、そもそもこの怪物は精密に操れているわけでもないだろう。自分だけが都合よく狙われないという考えは甘すぎるし、修羅場を潜り抜けてきた本能は、自分もアレにとってはターゲットに過ぎないと告げていた。

 アレは英霊のみならず人を喰らう怪物であり、いずれは滅ぼさねばならない。事によると、聖杯戦争よりそちらの優先度が高い。しかし、自らがこの魔術儀式で狙う目的と化け物の脅威を天秤にかけた末、赤いアーチャーは今はまだその時ではないと判断した。どう出るにせよ、その前に一度はマスターに報告する義務がある。結論を出した彼もまた、霊体化して異なる方向へと脱出を始め、後にはサーヴァントを取り逃がした魔物だけがふよふよと不機嫌そうに揺れていた。

 

 

***

 

 

 心臓が早鐘を打っている。アドレナリンは全力供給、トップギアでエンジン全開。体の各所が悲鳴を上げ始めているが、ここで足を留めては、声を出すことさえ出来なくなってしまう。

 どれだけ走ったのか、剣戟の音はもう聞こえない。令呪に変化はないから、アーチャーは無事なのだろうが、それでもやはり不安は残る。しかし、今はそれ以上に、背後から忍び寄って来るおぞましい気配への恐怖が大きい。

 敵はまだ遠くにいるはずだ。俺たちが走り始めてもう何十分も経つ。だというのに、何故背中にかかるプレッシャーが消えないのか──!

 

「はあ、はぁ、っ……イリヤ、出口はまだ先なのか?」

 

「うん、まだかなり先だと思う……シロウ、わたしを抱えてちゃ追いつかれちゃうから、置いていっても……」

 

「馬鹿言うんじゃない。イリヤは絶対に助ける。何があってもだ」

 

 イリヤの体を抱え直し、きっぱりとそう言い切る。正義の味方にそれ以外の選択肢はないし、ここでイリヤを失う羽目になれば、俺は絶対に自分を許せない。彼女を見捨てて俺が生きのびて、それで一体何の意味があるというのか。

 大英雄ヘラクレスは、俺たちを信頼してイリヤを任せてくれた。アーチャーは、そのために敵を食い止めてくれている。彼らへの裏切りを働くことはできないし……イリヤは、桜を助けてくれるかもしれないキーパーソンだ。俺の信念、個人的な心情、サーヴァントたちへの義理、実利、あらゆる観点が答えを指し示している。なんとしても、このままイリヤを守って逃げ延びてやる。

 

「っ……! 士郎、後ろ!」

 

 何かを言おうとしたのか、先行していた遠坂が振り返る。だがその瞬間、翠の双眸は驚愕に見開かれ、放たれる言葉は警告へと変わった。速度を落とさぬまま、背後に顔を向けるとそこには。

 

「アサシン……!」

 

 疾走する白い仮面。髑髏の面が、木々の奥から猛追してきていた。

 暗殺者のサーヴァントは、アーチャーの傷を治療していないのか、傍目に見てもボロボロだ。サーヴァント特有の威圧感や存在感は大幅に薄れており、人間離れした右手に至っては辛うじて胴体についているという有り様。だがそんな状態でも脚力が落ちた様子はなく、凄まじい速度でこちらに迫っている。このままでは、あと十数秒で追いつかれよう。

 ヘラクレスはセイバーを、アーチャーは謎の敵を足止めしている。今アサシンに対抗できる戦力はない。どうする、令呪でどちらかを呼び戻すか……?

 

「シロウ……」

 

 泣きそうな声。アサシンを警戒しながら、視線だけでイリヤを見ると、震える瞳が見上げてきた。

 

「バーサーカーが……」

 

 そこから先は声にならなかった。だが、口に出さずとも理解してしまう。あの誇り高い大英雄は、敗北を喫したのだ。

 あれほどの英霊が、単純にセイバーに負けたとは考えにくいし、戦場の近くに倒れていたアサシンが何の妨害も受けずに目の前まで来ていることもおかしい。狂化している時でさえ、ヘラクレスはセイバーと戦いながらアサシンを牽制することに成功していたのだから。

 ということは、あの大英雄を倒したのは黒い影だ。あれに飲み込まれたサーヴァントがどうなるのかは分からないが、おそらく今の今まで、ヘラクレスは抗い続けていたのだろう。アサシンが戦場から抜け出せたのは、ヘラクレスが倒れた後だろうから、あの偉大な武人は暗殺者がここに到着するまでずっと、影の呪いに抵抗していたことになる。それほどの頑強さを誇るサーヴァントに対する驚嘆と同時に、かの大英雄でも影には勝てないのかという絶望が過る。

 ヘラクレスはもういない。アーチャーは、召喚するには距離が近すぎる。あいつを呼んでも謎の敵がすぐに追いつき、状況は変わらず令呪だけが減るだろう。

 

 ──つまり。アサシンのサーヴァントとは、俺たちだけで戦うしかない。

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 反転。イリヤを抱えながら、迫る敵と対峙する。アサシンの左手には短剣、回避は不可能と判断。

 暗殺者が投擲の姿勢に移るのが、コマ送りのように見える。極限の緊張と集中によって引き伸ばされた時間で魔術回路を叩き起こす。あの投剣を防げるものを生み出さなければ、二秒後には串刺しだ。

 サーヴァントの攻撃は、生半な武具では防げまい。反動は怖いが、アーチャーの剣を投影する。もう四の五の言っていられない、死の一撃が眼前まで迫っている……!

 

「憑依経験、共感終了──!」

 

 黄金の剣が手の中に現れるのと、短剣が飛来するのはほぼ同時だった。外見だけではなく、アーチャーの戦闘経験まで模倣した剣は、半ば自動的に動いて短剣を叩き落とす。イリヤを抱えた無理な姿勢で、投影の反動に頭痛を感じてもいるが、それでも致命の一撃は避けられた。

 防御されたことに驚いたのか、黒衣が真横に跳ねる。木々の中に隠れ、姿が見えなくなるが、向けられている殺気はそのまま。すぐに手を考えねば、第二射が飛んで来よう。

 

「士郎……!」

 

 数歩先を行っていた遠坂が戻ってくる。そちらにちらりと目を向けた瞬間、意識の間隙を縫うようにして短剣が飛んできたが──此度の一撃は、白銀の猛鳥によって弾かれた。

 何処から現れたのか、宙を舞う鋼の鳥は俺たちの周囲を警戒するように飛んでいる。明らかに人工物で構成されたそれは、俺の投影でも遠坂の魔術でもない。視線を下に向けると、決然とした表情のイリヤの髪が白く輝いていた。

 

「"天使の詩(エルゲンリート)"──アインツベルンの魔術師を甘く見ないで欲しいわ、サーヴァント」

 

 地面に下ろすように促すイリヤの顔は、怯えていた少女のものでも、ヘラクレスのマスターのものでもない。俺よりも年下のはずなのに、その威圧感は歴戦の魔術師のそれに等しい。バーサーカーが倒された事で意識が切り替わったのか、それとも追い詰められて自棄になったのか……前者である方が喜ばしいが、イリヤが戦う気になってくれたなら助かる。俺と遠坂の二人だけでは、イリヤを守るどころか、自分の命を守りきることさえ難しい。

 少女の髪が輝いたかと思うと、そこに魔法陣が浮かび、一瞬の後には空を駆ける鳥が二体に増す。ただの使い魔にしては尋常ではない魔力に、遠坂が驚きを露にする。

 

「これ、自立型の魔術砲台……!? アンタ、こんなの隠し持ってたの? 魔力の自己生成機能まで……こんなの、ミニ魔術師みたいなものじゃない!」

 

「見ただけでそこまで分かるなんて、さすがリンね。わたしはアインツベルンのマスターなんだから、このぐらいはできて当たり前だよ」

 

 そう言っている間にもう一度短剣が飛来するが、片方の鳥が羽ばたいたかと思うと射線上に身を晒し、暗器を弾き飛ばしてしまう。次いでもう一羽が、短剣が投げられた方向に向かって魔力の光弾のようなものを乱射し始めた。

 敵の姿が見えないせいで、そこかしこに乱れ撃ちしているだけだが、牽制程度にはなったようだ。三射目を最後に短剣は飛んでこなくなったが、この程度で敵が諦めるはずがない。二羽の使い魔に護られるようにして、俺たちは自然と背中合わせに円陣を組むような形になった。

 

「バーサーカーは倒されて、アーチャーは頼れない……サーヴァント相手にわたしたちだけで戦うしかないなんて、無茶もいいところね」

 

 そう吐き捨てた遠坂が、イリヤに使い魔の性能を確認する。アサシンの攻撃を弾き、散発的にビームめいた射撃をしている二羽だが、サーヴァントに通用するほどの性能は持ち合わせていないようだ。アサシンの短剣は神秘の度合いが低く単発だったために弾けたが、それとて何度も受けきれるものではないし、アサシンが本気になってくれば防ぎ切れまい。そして光弾の方も、人間ならば致命傷になるが、サーヴァント相手では直撃しても火傷がいいところだ。あれは牽制か、特攻兵器としてしか使えない。

 遠坂の方は、サーヴァント相手にも通用する魔術の備えがある。先ほど黒い影と臓硯を蹴散らした、秘蔵の宝石魔術だ。しかし弾数に限りがあり、ただの投擲では俊敏なアサシンには通用しまい。

 そして俺はと言えば、そもそもお話にならない。確かに投影魔術で武器を創ることはできる。アーチャーの剣なら、アサシンには確実に通用する。しかし、遠坂とほぼ条件は変わらないのだ。いかに強い武器を用意しようと、当たらなければ意味はない。創るたびに反動が来て、最悪自滅の可能性すらある分、戦力として数えられるかどうかすら怪しい。

 一人一人なら話にもならないが、三人がかりならどうにか抵抗らしきものはできるだろう。幸いにしてアサシンは酷く弱体化しているし、宝具が使えるかどうかも怪しい。持久戦、遅滞戦術であれば何とかなるかもしれないが──。

 

「…………ッ!」

 

 まただ。森の奥にざわつく不穏な気配。これはさっきよりも近い。黒い影が、着実に侵攻している証拠だ。

 気配さえ感じられなかったはずのあの影が、この短時間で急激に存在感を増している。ヘラクレスを飲み込んだことで、力が上がっているのか。アレの存在が多少感知できるようになったのは幸運だが、あまり歓迎できる事態にはなっていない。

 このまま足止めを受け続ければ、俺たちは影に追いつかれて食い殺されるだろう。守りに徹することはできない。つまり俺たちは、敵に劣る戦力で、速攻で勝負をつけるしかないのだ。

 どうする。アーチャーを令呪で呼び戻すか? だが、それは一か八かの賭けだ。先ほどは奇襲だったから一瞬でアサシンを無力化できたが、今は違う。不意を突かない限り、いくら弱体化したアサシンといえど多少は持ち堪えるだろうし、アーチャーが戦っている相手がサーヴァントなら、ここまですぐに到達するだろう。アサシンだけでなく狙撃能力を持つ敵までここに加われば、アーチャーを戦力に加味したとしてもなお今より状況は悪くなる。

 

「そこ……! Fixierung(狙え),EileSalve(一斉射撃)──―!」

 

 遠坂が指から魔力の黒弾──フィンの一撃とも呼ばれるガンドを乱射し、四射目の投剣に対応する。二つ同時に放たれた暗器は、一本はイリヤの使い魔、もう一本は遠坂の弾幕によって防がれたが……この投擲は殺すためのものではない。戦力を図るためのものだ。こちらの性能を見極めたら、アサシンはすぐに決め手の攻撃を仕掛けて来よう。今だってギリギリの状態なのだ、あちらが本気になればすぐに守りは食い破られる。

 

 ──やられる前に、倒すしかない。

 

「遠坂、イリヤ。作戦を立てよう。ここでアサシンを倒すぞ」

 

「倒すって……アンタ、相手はサーヴァントよ。アーチャーもいないのに、本気で言ってるの?」

 

「本気も何も、そうするしかないだろ。もう他に手はないって、遠坂だってわかってるはずだ」

 

 令呪を消耗し、アーチャーを呼び戻して一瞬でアサシンを倒すことに賭けるか、俺たちだけでアサシンを倒し切って逃走を続けるか。アーチャーを呼び戻した後で、続けざまに令呪でアサシン打倒を命じる手もあるが、その選択は一歩間違えば令呪が無駄に消えるだけの大博打。それは遠坂も理解しているのか、苦虫を噛み潰したような顔になりながらも頷いた。切り替えの早い彼女は、即座に宝石を取り出して下準備を始める。

 

「イリヤも、それでいいな?」

 

「うん。あいつ──私のバーサーカーを殺したヤツだもん」

 

 一瞬、泣きそうな表情になるイリヤ。崩れ落ちそうになるが、歯を食いしばって踏み止まる。イリヤにとってバーサーカーは、ただのサーヴァントであるという以上に大きい存在だったのだろう。悲しみの感情を凌駕する憤りで、彼女は戦おうとしていた。

 ヘラクレスに手を下したのが、アサシンなのかどうかは分からない。しかし、敵に与しているという時点でイリヤにとっては同じなのだ。使い魔を操り、光弾を所狭しと敷き詰めるようにして乱射する彼女に合わせて遠坂も弾幕を張り、二人がかりで作戦会議をするだけの時間を稼いでくれる。

 銃撃音に阻まれながらも、話し合いは一分で纏まった。遠坂が思い描いていた作戦に俺の考えを統合し、イリヤが持てる魔術知識と使い魔の性能を元に若干の修正を加える。賭けの要素は強いし、そもそもサーヴァントに人間だけで対抗するのが自殺行為に等しいが──生きのびるにはもうそれしかない。賽は投げられたのだ。

 

「シッ……!」

 

 アサシンの側でも、勝負を決めに来たのだろう。今までとは段違いの鋭さの投剣が三本同時に繰り出され、自動防御機構が備わっている銀の魔鳥が反応して防ぎにかかる。だが、ついに限界を超えた一羽が片翼をもがれて吹き飛んでしまう。

 ダメージのフィードバックが起きたのか、イリヤが苦鳴を上げて蹲る。残る鳥は一羽、俺たちを守る壁が薄くなったと見るやアサシンが矢継ぎ早に弾丸の速度で凶器を投げてきた。

 何かが動いた、と思った時にはもう短剣が眼前まで迫っている。扇状に広がり、俺たち三人の急所をそれぞれ狙う死の刃。コンマ一秒以下で設計図を読み込み、防げるだけの武具を投影する……!

 

投影(トレース)開始(オン)──!」

 

 悠長に構えている暇はない。設計図通りにがむしゃらに剣を具現化させる。基本骨子の解明、構造物質の補強、戦闘経験の模倣。その過程を全て吹き飛ばし、呼び出したのは巨大な岩塊。ヘラクレスが用いた斧剣が降るようにして大地に突き刺さり、その厚みを以て三振りの刃を悉く弾き飛ばす……!

 

「──ッ」

 

 頭痛。無理矢理な投影の反動が、視界を紅く染めていく。それだけ頭を酷使したというのに、バーサーカーの剣は見てくれだけのハリボテで、急造したせいか本来の体積の半分程度しかない。それでも防御には成功したが、僅か一手で限界に近い俺と違い、アサシンはもう次の手に移っている。

 俺が投擲を防いだと見るや否や、暗殺者は次の標的を宙を舞う鳥に切り替えた。秒速一キロを超える弾丸が使い魔の首を吹き飛ばし、俺たちを守る壁は皆無になってしまう。壁となっていた斧剣も、その不完全さ故にあっという間に形を保てなくなり──遮る物がなくなった途端、アサシンがこちらに突っ込んでくる!

 

「このっ……! 舐めんじゃないわよ、Zu schießen(発散),Dooner(雷撃),Brennen Sie Feinde(敵を討て)──!」

 

 次の投影魔術を行使するより早く、遠坂が反応する。投げつけられた宝石が光と共に炸裂し、四方に強烈な雷撃を迸らせた。先ほど見せた炎の魔術とはまったく別系統のそれは、しかし大地ごと影を吹き飛ばした威力と何ら遜色ない。これこそが遠坂凛の持つ魔術属性、五大元素使い(アベレージ・ワン)の真骨頂だ。

 地、水、火、風、空の五大元素と、虚、無の架空元素。どのような特性の魔術と相性が良いかを示す七つの属性のうち、通常の魔術師が持つものは一つ、多くても二つ程度だという。しかし遠坂は、五大元素の属性全てを兼ね備えた超一級の魔術師なのだ。火に属する炎の魔術も、風に属する雷の魔術も、彼女は極めて高いレベルで行使することができる。秒速三十万キロの稲妻の蛇が、黒衣の白面を焼き尽くさんと空を奔るが──。

 

「──フ」

 

 冷笑。何の用途なのか、柄が長くなっている刀を大地に突き刺したアサシンは、即興の避雷針で雷撃の大半を捻じ曲げた。如何にサーヴァントとはいえ、光速の攻撃を見てから反応できるはずがない。あいつは、遠坂の攻撃を読んでいやがったのだ。

 それでも遠坂の放った雷は自然現象のそれではない。魔術によって指向性を持たせられた電流は、一部がアサシンの体に直撃コースを取るが、暗殺者は黒衣を掲げるようにして稲妻を防ぐ。帯電装備なのかそれとも何らかの加護があるのか、対魔力に関する能力を持たないはずの暗殺者は遠坂の攻撃を凌ぎ切ってしまうが──魔術を防がれた魔女の顔には、笑みが浮かんでいた。

 何故ならば、大分手順は狂ってしまったが、これこそが本来の策。背後でイリヤが魔術を放つ準備をしていることに、暗殺者は遅まきながら気が付いた。新たに生成したのかそれとも復活させたのか、二羽の魔鳥がイリヤの肩に止まっている。主の号令一下、あの鳥はサーヴァントへと突貫することだろう。

 とはいえ、それまでには二秒の隙がある。その時間があれば、アサシンの脚力を以てすれば攻撃範囲から逃れるなど容易い。電撃を捌ききったヤツは、一度退こうという動きを見せるが──遠坂が、それを許す道理がない。彼女の手からはもう既に、次の一撃が放たれている。

 

Ein starker wind(風よ),Ein neues Gesetz(戒めの法を与えよ)──!」

 

 森が揺れる。宝石が煌めき、魔術を以て現世の法則を塗り替える。引き起こされた現象は『暴風』。真空刃さえ伴うのではないかという空気の渦は、威力については大型台風のそれすら凌駕しよう。ごく狭い範囲に限定して吹き荒れているというのに、離れている俺ですら余波で体が飛んでいきそうだ。

 これはただの風ではなく、魔術によって操作され、敵を拘束するという概念を付与されている。高度な魔力への抵抗力か、或いは純粋に膨大な魔力で対抗できれば話は別だが、アサシンはそのどちらも持ち合わせていない。秘蔵の宝石を惜しみなく投入し、ただ相手を縛ることにのみ特化した一撃は、瞬間的にであればサーヴァントにも通用する。

 これこそが、アサシン討滅のための狙い。遠坂の最大火力であればサーヴァントを倒し得るが、命中させる術がない。どうにかして敵を拘束することが作戦の鍵であり、出が早い宝石魔術は短時間のごり押しに有用だ。他者の手を借りるまでもなく、彼女はアサシンを独力で追い詰めた。上から下へ、破城鎚のように叩き付けられる一撃は、サーヴァントの体を地面に縫い止め──

 

「──■■■■■、■■■■」

 

 白面の下で、何かが呟かれる。その途端、魔力を伴って殺到する旋風の渦が──アサシンの体を()()()()()

 

「な──!?」

 

 絶句する遠坂。効いていない。何の因果によってか、アサシンを縛るはずの一撃は霧消した。拘束されるはずだったサーヴァントは、悠々と地面に足をつき……そして遠坂が晒した隙は、ヤツにとってはあまりに大きすぎた。

 短剣が切れたのか、投擲ではなく直接遠坂に突っ込んでいくアサシン。瞬時に剣を投影し、射線上に割り込もうとするが、完全に出遅れた。間に合わない……!

 

「この…………ッ!?」

 

 魔術師が後ろに跳ぼうとするより早く、アサシンの拳が炸裂した。腹に突き刺さった一撃で、遠坂の体が軽々と吹き飛び、地面を擦って転がっていく。サーヴァントの身体能力であれば、徒手空拳でもただ一打で人など殺せる。

 ぞっとするような恐怖。大地に叩き付けられた遠坂は、うつ伏せのまま動かない。あんな打撃を受けては、トラックに激突されたのと変わらない。如何に遠坂が優れた魔術師といえど、あれではもしかして……。まさか、そんなはずは……!

 最悪の予想に震撼すると同時──怯えの感情が反転し、激烈な怒りに変貌した。こいつ、よくも遠坂を──!

 

「てめえ──!」

 

 ──殺す。

 

 アサシンとの距離は五メートル。遠坂をぶん殴ったヤツはまだ攻撃後の硬直が解けていない。本来一秒にも満たぬはずのその隙が、やけにゆっくりに映る。

 加速する世界。疾走すると同時、俺の気配を察したアサシンが振り返る。距離は残り半分、このままではサーヴァントが回避行動に移る方が早い。いや、そもそも俺は何をしようとしている。無手のままでは、遠坂を倒した敵には歯が立たない。

 検索する。ヤツを殺せる武器。サーヴァントを倒し切るだけの剣──そんなものは決まっている。黒衣の胴体に深々と刻まれた傷。一撃でアサシンを退けた、黄金のサーヴァントの武具以外には有り得ない。

 飛びかかりながらの高速投影。剣の形と戦闘経験を同時並行で読み込み、直撃に間に合わせる無謀な投影は、なぜか一縷の綻びもなく成功した。黄金の双剣が、左右から交差するような軌跡を描き──

 

「愚かな」

 

 当然のように、左手一本で弾かれた。サーヴァントが有する凄まじい膂力に、投影宝具は一撃で罅割れ、俺は剣ごと木の葉のように宙を舞った。頭が撹拌される感覚が数秒続いた後、全身が何かに激突し、ガ、と肺から空気が根こそぎ吐き出される。揺れる視界の中、大樹に叩き付けられたのだと辛うじて理解した。

 投影はほぼ完全だった。タイミングも完璧だった。弓兵の経験も模倣できていた。ただ──致命的に、それを活かすだけの身体能力が欠けていた。敵を殺せるだけの武器を作り出したとしても、衛宮士郎の能力では、英霊にとっては何ら脅威に成り得ない……!

 

「──さて、運がなかったな魔術師よ。暴風(ジン)避けの呪いは、私が知る唯一の魔術だ。我ら山の翁は砂漠を歩む者、それを忘れたのが汝の不覚よ」

 

 イリヤが放った魔鳥を、まだ隠し持っていたのか、取り出した短刀で斬って捨てるアサシン。独語しているのかと思えば、ヤツが言葉を向けているのは地面に転がった遠坂に対してだった。微かにその体が動き、呻き声が聞こえたことで、彼女の命が無事だと分かって少し安心する。

 だが、そんなものは風前の灯だ。使い魔を全て落とされたイリヤは無防備で、遠坂は瀕死の状態。俺は幸い、骨は折れていないようだが、全身を叩き付けられた衝撃と投影の反動で体が動かない。右手はほぼ使えず、重傷を負ったサーヴァント相手に三人がかりで挑んだというのに、その結果がこれだ。人間と英霊では、立っている土俵そのものが違い過ぎる。

 ……ならば、対抗できるだけの存在を召喚するしかない。手の令呪に視線が落ちる。この段に至っては、どれだけ分が悪かろうと、アーチャーを呼び出して一か八かの博打に出る以外の選択肢がないが──令呪を使おうとした瞬間、ぞっとするような殺気を感じた。

 

「それを使うより、私がおまえを屠る方が早い。

 ──機を逸したな。私と見えた初手でアーチャーを呼んでいれば、勝ちの目もあっただろう」

 

 抜け目のない暗殺者は気付いていた。アサシンの牽制で、俺の体が凍りつく。

 令呪を使うには、僅かとはいえ時間を要する。その隙をサーヴァントが見逃すはずがない。アサシンが俺に短刀を投げつける速度の方が優に上回る。この局面は、もう完全に詰んでいた。

 アサシンの視線が逸らされ、青くなって立ち尽くすイリヤへと向けられる。敵から逃れようと、イリヤは後退するような動きを見せたが、足がもつれたのかその場に尻餅をついてしまった。怯えた顔のイリヤに影が差し、黒衣の暗殺者がもう目の前まで──

 

「──やめ、ろ」

 

 声を絞り出すが、そんなものに何の意味がある。二秒後には、アサシンはイリヤの心臓を刈り取っているだろう。

 思考を高速回転させる。まだだ。まだ俺にはできることがあるはずだ。俺はまだ生きている。なら、手の打ちようはある。令呪が使えなくてもいい。衛宮士郎が使える武器を探せ、作り出せ、それだけが俺に許された唯一の魔術。

 凡百の武器ではサーヴァントには届かない。アーチャーの剣はダメだ、俺にそれを使いこなす技量はない。直接剣を振るったところで、凡人の手が隼に届くものか。届くとすれば、それは──飛び道具だ。

 銃か。いや、単なる銃火器では英霊には通じない。神秘を含有するものでなければ連中には効かない。それこそ、英霊の宝具でもなければ有効打とはならない。

 

 ランサーが使う槍──駄目だ。俺ではアレを使えない。投げたところで能力を引き出すには足りず、アサシンには当たるまい。

 バーサーカーの斧──駄目だ。俺ではあの重量を振り回せない。防具の代わりにするならまだしも、武器になどできるものか。

 セイバーが持つ剣──駄目だ。アレは人の手に依らざる宝具だ。作り出せたとしても、俺では運用するだけの魔力を持てない。

 

 なら何だ。何が通用する? 俺に作り出せ、この距離からでも届き、かつ一撃でアサシンを倒せるだけの武器はどれだ──?

 

「シロウ!」

 

 その時、イリヤが叫んだ。はっとそちらに目を向ければ、アサシンが彼女を手の中に捉える寸前、その両足に銀色の鎖のようなものが絡みついていた。

 足だけではない。動きが止まった体にもどこからか縛鎖が巻き付き、全身を強固に締め上げる。短刀を放ち、イリヤを仕留めようとしたアサシンだったが、左手をあらぬ方向に鎖で引き寄せられ、凶器は見当違いの場所に飛んでいった。

 鎖の発生源は、地に転がっていた何体もの使い魔。倒されたと見せかけ、イリヤはまだ奥の手を残していたのだ。鳥を構成する金属が姿を変え、アサシンを完全に縛り上げようとするが──イリヤの額には、ここからでも分かるほどの汗が浮いていた。サーヴァントの隙を突いて拘束するなど、相当な無茶をしているのだろう。しかし、それほどの全力を注いでもヤツを留めておけるのはあと七秒が限度。この隙に令呪を……と身を起こしたところで、イリヤの赤い瞳と視線が合った。

 

 ──シロウならできる。

 

「…………っ」

 

 回路を切り替える。令呪ではなく、起動させた魔術回路へ魔力を叩き込む。頭痛も体の不具合も全て忘れる。ギアはいきなりトップ、アクセル全開、タコメーターは振りきれた。

 ここでアーチャーを召喚しても、おそらく一手遅い。その間にイリヤは殺されてしまう。そうさせないためには、今すぐ俺がアサシンを倒すしかない。イリヤは俺を、お兄ちゃんと呼んでくれた。兄貴なら、妹を守らなきゃいけないだろう……!

 想像する。回想する。手はある。ヤツを倒せる武器はある。

 黄金の宝物庫と、その中に突き刺さっていた紅の神剣。あれならば、アサシンがたとえ百人いようとも歯牙にもかけまい。だが、あれは人には過ぎたモノだ。投影するところか、イメージを解析することさえ不可能。そもそもあれは人などという矮小な単位に用いる剣ではないだろう。神霊か、いや、それすら含めた世界そのものに対して用いる宝具だ。

 違う。それではない。もっと前の記憶を思い出せ。それより前に夢に出てきたのは──輝ける黄金の剣。セイバーの聖剣に似ているが、少し違う。だがあの美しく尊い剣であれば、暗殺者の魔の手を打ち払えよう。

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 残り五秒。現物を見たこともなく、無から有を創造(想像)するという難行。だが、その程度がなんだ。イメージを具現化することが投影魔術だというのなら、そのぐらいはできて当然だろう。

 創造理念を鑑定、成功。基本骨子を想定、成功。構成物質を複製、成功。制作技術を模倣、成功。成長経験に共感、失敗。蓄積年月の再現、部分成功。

 伝説が紐解かれる。右手の中に、黄金の粒子が形を成し、幻想の剣が実体となって握られる……!

 

投影(トレース)完了(オフ)──!」

 

 今なら分かる。この剣の本来の使い手はセイバーのサーヴァント──騎士王だ。どういう理由で俺がこの剣のイメージを持てたのかは不明だが、俺と彼女の間に繋がりがない以上、彼女が有する経験までは読み込めなかった。投影の技量がより上になればその限りではなかったろうが、今の俺にはこれが限度だ。

 使い手の技量を模倣できない以上、頼りになるのは剣本体が持つ記憶だけ。だが今はそれだけで十分すぎる。

 跳ね起きる。体は軽く、剣を持つ手は燃えるように熱い。一級品の宝具を投影したせいで、感覚器官が狂っているのか。だが今は何でもいい、後でどうなろうとアサシンを倒すのが先だ。

 

「柘榴と散れ──!」

 

 残り三秒。アサシンの左手はもう自由になっている。だが、迫る俺を脅威と判断したのか、サーヴァントの視線はイリヤではなくこちらに向けられる。どこから取り出したのか、手首の動きだけで射出された短剣が頭蓋を割ろうと迫るが、半ば自動的に動いた剣が武器を叩き切った。この程度の攻撃は、半端な経験憑依でも凌ぎ切れる。

 踏み込む脚は疾風の如く。短剣の連打を悉く叩き伏せると、アサシンの気配が明らかに変わった。たかが人間が、自分の脅威になると思い直したのか、ヤツは俺を獲物ではなく敵だと認識した。瞬間、囚われていた右手が鋼の拘束を振り払い、半ば千切れかけた状態だというのに、無理矢理にこちらに伸ばされる。

 

 ──届く。あれなら届く。俺がヤツを斬り伏せるより早く、魔腕がこの心臓を抉り出す。

 

 本来使えるはずがない状態での宝具行使は、自滅を前提とした特攻だ。まず間違いなく右手は千切れ、傷と魔力消費に耐え切れなくなったアサシンは消滅する。そんな悪あがきの一手にやられるわけにはいかない。イリヤが向けてくれた信頼を、裏切ってたまるものか──!

 

「苦悶を零せ、"妄想(ザバー……)"──」

 

 殺気が強まる。必殺の宝具が放たれるその寸前に、剣を振り下ろす!

 

「"勝利すべき黄金の剣(カリバーン)"──!」

 

 残り一秒。俺が放った一閃が、魔腕を完全に叩き斬り、黄金の光がアサシンの体を飲み込んでいく。人ならざる腕は、断末魔の叫びのように地面を転がっていき──閃光に飲み込まれた暗殺者の英霊は、霊基の欠片も残さず消滅した。

 

「──ぐ」

 

 膝をつく。別人のように動いていた体は、ようやく元の痛みを思い出したのか。体の各所が上げる苦鳴を聞きながら、俺はどこか虚ろな意識で消えゆく剣を眺めていた。

 この宝具は、王を選定する失われた剣。かつてアーサー王が引き抜いたとされる剣は、本来俺に使いこなせるものではない。真名解放など、俺ごときに十全にできるはずがないし、そもそもそれだけの魔力を俺は持たない。この剣が膨大な魔力を蓄蔵していたから、今の一撃は剣本体の性能を使い潰すものだったから、辛うじて真似事ができただけだ。本来の威力を引き出せていたのなら、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』と同様、アサシンの体だけではなく森まで焼き払っていたことだろう。

 

「……セイバー」

 

 その名前は重い。かつて俺たちと共に戦い、俺たちの命を幾度も救ってくれた騎士。そして今は敵となり、俺たちと対立するサーヴァント。今の勝利は、アーチャーがアサシンに深手を負わせ、遠坂とイリヤの攻撃で隙を作り、俺が投影を行い──その果てに、彼女の剣で掴んだものだ。今の俺はセイバーのお陰で窮地を救われたようなもので、あの気高く清廉だった騎士が今でも隣に佇んでいるような錯覚に、複雑な感傷を抱いてしまう。

 セイバーが遠坂ではなく、臓硯に使役されている理由。ありえないはずの新たなサーヴァント。急激に脅威度を上げた黒い影。その背後に潜む間桐臓硯。まだ敵も謎も、数多く残されている。勝利の余韻に浸る暇はない。今は一刻も早くここから立ち去らなければならないが……度を超えた魔術の代償か。激しい頭痛と倦怠感、それに全力疾走をした後のような酸素不足で、俺の意識は消える寸前だった。

 ふと薄暗さに気付けば、日はもう落ちる手前。半時間と経たず、この森は夜の闇に包まれる。アサシンを倒したとはいえ、セイバーはまだ健在だろうし、何よりあの影は俺たちを追いかけてきているはずだ。遠坂の容体も危ないし、早くここから──。

 

 

 ────闇に潜むは我らが得手。生かしては帰さぬ────

 

 

 ぞくりと、背筋が凍った。座り込んだまま、長いようで一瞬だった戦闘に呆けていたイリヤの顔にも緊張と警戒が走る。今のは幻聴ではない。消滅したアサシンの声が、確かに聞こえたのだ。

 生きているはずがない。体が両断され、蒸発していく瞬間を俺は確認した。転移も偽装も不可能だし、蘇生宝具というわけでもないだろう。ではどこから声が──待て。あそこに転がっている腕。心臓を破壊する魔腕は、何故消滅していない。

 人の体長より遥かに長い腕。ぞ、とそれが蠢いた。可視化できるほどの濃密で、邪悪な魔力が腕を黒く覆っていく。黒い靄のような魔力に包まれたかと思うと、人ならざる腕は、何か別の形に徐々に変わり始めた。黒板を爪で裂くような不快な音と、空間が捻じ曲がるような振動が脳を激しく揺らす。……これは、何かよくないモノだ。何かとんでもない置き土産が、カタチを持とうとしている……!

 

「シロウ、あれ……もしかして、精霊の腕……!?」

 

 イリヤの驚愕。示された正体に、俺も戦慄を隠せなかった。

 精霊種とは星の防衛機構の一つであり、抑止力とも言われる概念の一部とされる。自然霊であり、中にはより格上の神霊が堕ちて成ったモノもいるという。当然ながら、魔道の世界においてもそう簡単に遭遇できるものではないのだが……あれは英霊と同じで、人間よりも階梯が上の概念だ。

 精霊の種類には多々あるらしいが、どう見てもあれは友好的な存在ではない。おそらくアサシンは、何らかの術でアレを抑え込み、宝具として使役していたのだろう。術者の死と同時、束縛から解放された魔物は、独立して受肉しようとしている。本来ならアサシンに連動して消滅しているはずだが、死に際に何か仕込んだに違いない。その執念、死すら躊躇わずに敵を屠ろうという暗殺者としての矜持は見方によっては尊いものかもしれないが、今の俺たちにとっては脅威としか形容しようがない。

 

「く、そ……」

 

 視界がちらつく。あれを倒すなら形が定まっていない今だが、武器を投影するだけの力はもう残っていない。アサシンを倒した時点で、俺はもう限界を超えてしまった。遠坂もイリヤも、状態は俺と同じだ。

 こんな有り様で、サーヴァントのような敵をもう一体相手にするなど悪夢に等しい。だが、あれが完全にカタチを持つ前に倒さないと、とんでもないことになる予感がある。独力ではダメだ、意識を失う前に令呪でアーチャーを呼び寄せるしか……。

 

 

「──ふん。生き汚いな、アサシン」

 

 

 この世ならぬモノの苦鳴。固まり、異形の魔神になろうとしていた魔力の靄を、黄金の双刃が十字に斬り裂いた。受肉し切ったならまだしも、不定型で揺らぐ身では桁外れの神秘に抗し得る道理がなく、悪性精霊は空に溶けるように消えていった。代わって、圧倒的な黄金の威容が大地を踏みしめる。

 アサシンの残滓に引導を渡したのは、絶大な存在感を示す黄金のサーヴァント──アーチャーだった。令呪を使うまでもなく、間に合ってくれたことに深い安堵の息が零れる。誰よりも恐ろしい男であっても、こんな絶望的な状況下では、これ以上ない程頼もしい救いだった。

 敵と交戦してダメージを受けたのか、黄金の鎧はところどころが汚れ、アーチャー自身の髪も乱れて額からは血が流れている。それでも、世界を支配するような王気は健在で。倒れた俺たちを一瞥すると、ふん、と小さく鼻息を鳴らした。

 

「人の身で英霊を打倒したか。その活躍は褒めてやるが──面を上げろ、雑種ども。死にたくなければ今は走れ。泥で薄汚れて果てるなぞ、そのような終わりを我は認めん」

 

 空を仰ぐ。太陽は半ば沈みかけているのか、夜の闇はつい数分前までより確実に深まっていた。それは、この領域が冥界へと移り変わり、あの黒い影に浸食されていることを暗示するかのよう。太陽すら落ちた世界では、影に捕まったが最後、もう日の下に戻ることは叶うまい。

 だが、俺たちはまだ飲まれていない。失ったもの、負った傷は大きいが、得られたものもある。死神の手から辛くも逃げ延び、俺たちは死の森から逃げるように立ち去った──。


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