【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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連続更新の三話目です。
24日、26日にそれぞれ更新しておりますので、まだお読みになられていない方はそちらからご覧ください。

本話の中盤と終盤ではそれぞれ、原作の「ある曲」を流すと楽しめるかもしれません。


28.宿命の鎖

 ──疾走する。

 

 家から飛び出した矢先、謎の英霊はひらりと離れた家の屋根に飛び移った。道路を走って近づけば、男はすぐさままた別の家の屋根へと跳躍する。サーヴァントとしてのスピードを発揮するのではなく、俺でも追いつける程度の距離と速度を維持しているあたり、あの弓兵はあからさまにこちらを誘導している。

 

「やっぱり誘われてるよな、これ」

 

 今更ながら、拠点を知られていたこと、先手を取られることがどれほど戦略的にまずかったか。相手の何らかの目的──おそらく罠への誘引だろうが、それが見え見えであっても俺たちは動くしかなかった。神秘の秘匿という大原則を無視して遠距離狙撃を繰り返されれば、サーヴァントであるアーチャーはともかく、他のみんなが無事では済まなかった。

 夜の街を、外国人にしか見えぬサーヴァントと駆けていく。警察どころか一般人に見つかっただけでも騒ぎになりそうな有様だが、聖杯戦争絡みの不審な事件が激増しているせいか、深夜帯に出歩く人は誰一人存在しない。そのおかげで、俺たちは追いかけっこに専念できたわけだが──。

 

「雑種。この方角に行くと何がある?」

 

 商店街の近くを抜けたあたりで、アーチャーが出し抜けに聞いてきた。軽やかに屋根やビルを飛び越えていく赤外套のサーヴァントは、脇目もふらずにある方向へ向けて一直線に進んでいくようで、何処かの目的地があるのは明白だ。

 家に攻撃を仕掛けず、奇襲という選択肢を捨てたことから、あの英霊ないしそのマスターは一般人への被害を慮る程度の良識はあるのだろう。となれば、よもやそのあたりの住宅街や商店街を戦場には選ぶまい。もうすぐ冬木大橋で、この分だと新都に入るが、開発の進んだ土地が多いあちらでサーヴァントが戦えるような場所となると。

 

「──冬木中央公園。俺ならそこで戦う」

 

「公園か。ならば余分な雑種にかかずらう懸念もあるまい。罠を仕込むには些か不適だが、戦場としては正統派よ。

 なるほど、それが真であれば、あのサーヴァントめは闇討ちを好まぬ性質か……さもなくば、その地を選ぶ特段の理由があるかだ」

 

 そう独りごちるアーチャーは、この情報だけで相手のサーヴァントに対する分析を始めているようだ。一度戦っていることもあり、この英霊の目からは何か見えてくるものもあるのだろう。

 翻って俺は、一を聞いて十を知る賢人とは程遠いが……今の言葉を聞いて、ふと違和感のようなものを覚えた。なるほど、冬木中央公園はあの大火災の跡地であることもあって確かに人気が少ない。しかし、単純に一般人がいない場所というだけなら、わざわざ新都まで行く必要がない。それこそ休校になっている穂群原学園や柳洞寺、なんなら海岸という手だってある。どうしてあのサーヴァントは、冬木中央公園を選んだのか──?

 疑問が拭えぬままに橋を超え、通りを抜けると、予想したとおりに公園に辿り着いてしまう。生物避けの魔術でも使われているのか、動物の声すら聞こえぬ奇妙な静寂の中……だだっ広い芝生の中央で、そいつは待ち構えていた。

 

「────」

 

 十メートルほどの距離をおいて、アーチャーも立ち止まる。ライダースーツ姿ではなく、公園に入った瞬間から、アーチャーは黄金の鎧を展開していた。当然のように罠を警戒しているのだろうが、不思議なことに、事ここに至るまで他のサーヴァントの襲撃や魔術攻撃が一切ない。何かあれば最悪令呪で対応する他ないと思っていただけに、これは拍子抜けだ。

 しかし、動きがないのは俺にとって僥倖でもあった。魔術で強化していたとはいえ、この距離のランニングは少々休憩を挟まないと厳しいものがあるため、呼吸を整えることに専念できる。無論その間も、周囲に目を光らせてはいるのだが、闇に落ちた風景が映るばかりでおかしな点は見当たらない。敵のマスターがいるとしても、姿を隠す場所があまりないここではなく、もっと他所に身を潜めているのか……?

 

「──さて。この我を呼びつけておきながら黙りとは、一体どういう了見だ? 不敬にも程があろう、雑種」

 

 俺のやや前に位置するアーチャーが、不快げにそう吐き捨てる。呼びつけられたというわけではないだろうが、確かにこの男にとって機嫌がよくなるような状況からは程遠い。

 向かい合う謎のサーヴァントは、あの洋弓をどこに消したのか、徒手で立っているまま。すぐに弓を引く気はないのか、どうもこちらを観察しているようで、お返しとばかりに俺もヤツの様子を伺う。

 浅黒い肌に、赤い外套。髪は真っ白で、背は俺よりも幾許か高い。一見して中東の英霊のようにも見えるが、やはり顔立ちはアジア系、それも日本人めいている。

 他の要素として、敵に回ったセイバーやバーサーカーと相対した時に感じた絶望的なほどの暴力性。あるいは、アーチャーが時折見せるような、魂が凍えるほどの威圧感……そういったものは、この英霊からは感じられない。相対評価にはなるが、今まで戦ってきたサーヴァントの中で、こいつはそう強力そうには見えない。

 にも関わらず俺が感じているのは──不快感。まるで説明がつかない、感覚的なものだが、どうしてか俺はあのサーヴァントが好きになれそうになかった。きっとあちらもそうに違いないと、何故だか確信できる。

 

「サーヴァントに用はないのだがね。用があるのは、そちらのマスターの方だ」

 

 ここに来てようやく口を開いた男は、そう言うと俺の方に鋭い視線を送ってきた。まさかこちらが槍玉に上がるとは思わず、一瞬間抜けな声を漏らしてしまう。

 

「は? 俺にって……そうかよ、最初からマスター狙いってわけか。その方が効率がいいからな」

 

「残念だが間違いだ。私は、おまえという個人に用がある」

 

 今度こそ、俺は困惑を隠せなかった。会ったこともないサーヴァントが、俺に個人的な用だって……? てっきり罠に誘い込む気だとばかり思っていただけに、ますますわけがわからなくなる。さしものアーチャーも意図が読めないようで、普段なら自分を無視して頭越しに俺に話しかけたことに怒っていそうなものだが、今は黙って相手の出方を伺っている。

 混乱するこちらをよそに、白髪の男はただ俺をじっと見ている。何かが焼け落ちたような灰色の瞳は、しかし何かまだ燃える感情を残しながら、殺気にも近い真剣さを宿している。何度見直しても、俺はこんなヤツと会ったことはないし、マスターとして以外の用というものが何なのか皆目見当がつかない。

 

「──衛宮士郎。おまえはまだ、間違った理想を追いかけているのか」

 

 ──故に。その言葉で、心臓が口から飛び出るかと思うほど驚愕した。

 

「な、に……!?」

 

「この時代からは、十年ほど前だったか。おまえはこの地で、地獄を見たはずだ。燃え盛る大地、天に浮かぶ黒い孔──そして生きたまま焼き殺された、何百という人間の哀れな骸を」

 

 何を、何を言っている……?

 体が揺れる。視線が震える。荒くなる呼吸の中、必死で頭を回転させる。

 俺の名前を知っていることは不思議じゃない。家まで突き止めていたぐらいだ、知らないはずがない。十年前の火災に巻き込まれたことも、当時の新聞や役所の書類を漁れば、知りうる手段はあるだろう。

 そこまではいい。だが何故、こいつは俺の理想を知っていて──あまつさえ、直に見てきたかのように、あの夜のことを語るのだ……?

 

「魔術的な盗聴か…? 違う、それなら遠坂が気づかないわけ……」

 

「──その果てに、おまえはあの男に救われた。その時見たものに、おまえは憧れを抱いたはずだ」

 

 呼吸が荒くなるのを通り越して、止まりかける。それは、余人が知りうるはずのないことだった。

 そうだ。俺を助けることができて嬉しいと、生きていてくれてありがとうと──あの嬉しそうな顔が、からっぽになった心に刻まれて。だから俺は、衛宮切嗣という人に憧れた。

 だけど何故、この男は確信を以て、その光景を言い当てられるのだ……? 魔術かなにかで俺の記憶を読み取ったとしても、この短時間でピンポイントにその部分だけを選べるはずがない。それに、ただ読み取った光景を口にするにしては、男の口調はあまりにも感情が宿りすぎている。一体、このサーヴァントは──?

 

「おまえ、いったい何者だ」

 

「ふん──察しの悪い男だ。だからおまえは、あてもない理想を追いかけて死ぬことになる」

 

 と、あからさまに嘲笑してみせる赤い外套の英霊。何が言いたいのかさっぱりわからないが、その馬鹿にしたような仕草にカチンと来た。どこの誰が、なんの情報を得て喋っているのか知らないが、一体何が言いたいのか。

 睨みつけてやるが、距離が開いていても身長差があるので、どうしても見下されている感が拭えない。知った風な口を利く得体の知れない輩に対して、困惑よりも怒りの感情が大きくなっていく。こっちの質問にも答えろと怒りのままに口を開きかけたところで──刃物のような殺気に気圧され、男の瞳に射竦められてしまう。

 あのサーヴァントは、これ以上ないほど真剣だった。何かを見定めるように、誰でもない俺の中の何かを、あの男は推し量っている。今にも矢が放たれそうな緊張感の中、男は俺を射抜くように──。

 

「答えろ、衛宮士郎。おまえはまだ、自らを犠牲に他者を救う──正義の味方という幻想を追っているのか」

 

 いっそ静かなほどの口調で、最後の問いを口にした。

 

「────」

 

 この男が何者かは知らない。明らかにヤツは俺を知っている様子だが、俺はあんな怪しい男は知らない。しかし、その問いに対してだけは、知らないなどということは許されない。

 

 ──正義の味方。

 

 誰かを助けるための存在という概念。どうすればそうなれるのか、一体何が正義の味方なのか、俺は確たる形を持てずにいた。この聖杯戦争が始まってから、幾度となくその在り方を問われてきた。

 黄金のサーヴァントは、それを愚かだと嘲り笑った。しかしあいつは、理想そのものではなく実現手段が問題なのだと口にした。どうしてそれを目指したいのか、どうやってそれを成し遂げるのか、本当は何がしたいのか考えろと。その末に俺はようやく、一つの形らしいものに辿り着いた。

 今なら分かる。あんな惨禍を招くと知っていたら、衛宮切嗣はきっとマスターとして戦わなかった。最後の夜、切嗣は正義の味方を諦めたと語ったが、それはつまり、ある時点までは諦めていなかったということでもある。きっとそれは、第四次聖杯戦争で──あの炎の夜が、切嗣の何かを焼き尽くしてしまったのだろう。

 それでも、その笑顔に憧れた。切嗣の目指していたものは、きっと間違いなんかじゃなかった。だから俺は──何の関わりもない一般人を巻き込み、俺や切嗣の大切なものを奪った、聖杯戦争のようなシステムを壊す。そんなやり口を是とする、一部の魔術師を止める。それこそが俺が選び、切嗣から引き継いだ、正義の味方としての道なのだ。

 

 ──だったら、答えは一つしかない。

 

「ああ。俺は、正義の味方を張り通す」

 

「────そうか」

 

 その瞬間、漂っていた空気の質が変わる。俺の答えが、何か決定的な断絶を生み出してしまったのだと、直感的に理解する。

 敵サーヴァントの表情には何も浮かんでいない。あいつが何を得て何を失ったのか、今の問いの意味は果たして何だったのか、結局それはわからないままだ。

 ただ、燃え滓のような眼差しには、静かな怒りと諦めと……そして、ほんの僅かに安心したようで、侮蔑とも取れる何かが浮かんでいた。

 男が微かに動く。何も持っていないはずだった両手には、いつの間にか白黒二振りの短剣が握られていた。陽剣・干将と陰剣・莫耶、互いに引き合う夫婦剣──見たことなどないはずなのに、何故だか一瞬で、その情報が解析できる。

 弓兵だと思えば、剣士だったのか。二振りの剣が、交差するような形で水平に構えられる。最早瞳にさえ感情は乗らず、男は俺を排除すべき存在だと断じていた。

 膨らんでいく敵意と殺意に、負けてなるものかと歯を食いしばり、こちらもアーチャーの双剣を投影しようと準備する。ヤツの正体も、サーヴァントだということも関係ない。ただあいつにだけは、負けてはならないという確信がある。

 

「ならば、その空想を終わらせる。今ここで、理想に溺れて死に果てろ」

 

「──戯言はそこまでにしておけ、下郎。まったく、面白みの欠片もない。

 何を言うかと見ていれば、英霊になってまで出てくるのがつまらぬ泣き言とはな。所詮、偽物は偽物だったというワケだ」

 

 俺もあいつも、お互いしか見ていなかった。その視線を遮るように、黄金のサーヴァントが立ちはだかる。

 様子がおかしいと見てか、ここまで傍観を決めていたアーチャーだったが、今までのやり取りの何かが癇に障ったのか。あからさまに見下した雰囲気を叩き付けながら、男を挑発するように双つの剣が掲げられる。あのサーヴァントが持つ武具とは形も格も異なるが、怪魔を滅ぼすという設計思想は同じ剣は、討ち果たすべき相手はお前であると謳うように黄金の燐光を纏っていた。

 

「己の欲すら見失った贋作者(フェイカー)風情が、我の頭越しに決を下そうなどあまりに度し難い。この雑種は、まがりなりにも我のマスターだ。貴様にくれてやるものは何一つないぞ」

 

「そうか。なら順番が変わるだけだ。小僧より先に、その傲慢を砕くとしよう──!」

 

 ──疾駆。

 

 地に沈んだと思った刹那、赤い砲弾が放たれる。邪魔者を屠らんと、闇を切り裂いて振るわれた剣は、しかし黄金の前に阻まれた。

 二対の剣同士が、ギリギリと軋みを上げて鍔競り合う。左右から挟み込むように襲いかかってきた凶器を、剣を交差させて受け止めたアーチャーは、獰猛に笑っていた。

 力任せに夫婦剣が弾かれ、一歩踏み込んだアーチャーが、勢いのままに縦斬りを見舞う。陽剣が受け止め、火花が散るが、畳み掛けるような黄金の連撃。二撃、三撃と繰り出される嵐に、格で劣る武具が悲鳴を上げ、四撃目の刺突で白剣が砕ける──!

 

「脆いな!」

 

 左下方からの斬り上げ。守りの半分を失った男に、容易に食い込むと思われたそれは──砕けたのが嘘だったかのように、再び揃った二振りの刃にあえなく道を阻まれた。

 

「──なんだ、あれ」

 

 おかしい。

 仮にも英霊が振るう武具が、あれほど簡単に砕けるのもおかしければ、次の瞬間には復活しているのも異常だった。アーチャーの鎧のような自動修復能力かとも疑ったが、それでは説明がつかない。何より異常なのは──この腑に落ちない光景を、どこか当然だと受け止めている自分自身だった。

 煌星のように輝く黄金が、矢継ぎ早に振るわれる。見たところあのサーヴァントには、他の英霊ほど優れた身体能力はない。単純な力も速度も、セイバーはおろかこのアーチャーにすら及ばない。故に弓兵は、身体能力による力押しを狙っているのだろうが──攻めきれない。

 鬼気迫る表情で、赤い英霊は陰陽剣を無尽に振るう。アーチャーが繰り出す猛攻は、その尽くが防がれる。どれだけ双剣を砕こうが、瞬きの後には次の壁が待っている。

 いつしか攻勢と守勢は入れ替わり、無限の防御を崩せず蹈鞴を踏むアーチャーに対し、敵サーヴァントが猛攻を加え始めた。

 

「ちぃ──!」

 

 舌打ちをする弓兵が、たちまちのうちに防戦一方にある。武具の質でも、身体能力でも上回るはずなのに、黄金の嵐が赤い波に飲まれようとしている。その理由は、双方の技量差にあった。

 俺は剣技などに明るくない。それでも明確に分かってしまうほど、アーチャーの剣術は相手方に劣っている。セイバーほど洗練された輝きは感じられないが、泥臭ささえ伺えるような堅実な剣の運び方は、おそらくは修練の果てに得たものなのだろう。的確で隙のない戦い方は、弓兵に付け入る余地を与えない。

 翻ってアーチャーの戦術は、圧倒的な頭脳と鑑識眼を活かした先読みだ。しかし両者の戦い方は根本の部分が真逆でありながら、計算の過程が似通っている。戦術が似通うのであれば、アーチャーでは極限まで体に叩き込まれた戦闘技術を凌駕できない。黄金のサーヴァントは何十、何百という策を高速で演算しているのだろうが、単純な速度とはまた別の領域で敵のほうが(はや)い。なまじ天性の才能に依っていない分、この相手はランサーより尚一層相性が悪かった。

 

「せい──!」

 

 ついに白黒の剣戟が、攻防に風穴をぶち開ける。気勢のままに叩きつけられた一撃は、アーチャーの鎧を強かに打ち据え、その体を一歩後退させた。

 蹈鞴を踏んだアーチャーだが、即座に対応。踏み込んできた敵を迎え撃たんと、刈り取るような斬撃を放ち──地に墜ちるのではないかというほど姿勢を落とした男は、間一髪で断頭の刃を回避。白髪の欠片が舞う中、攻撃を放った直後のアーチャーに、サマーソルトキックを叩き込む──!

 

「ぬ、貴様……!」

 

 胸元に叩き込まれた蹴りで、アーチャーの体勢は完全に崩れた。ここまでの連撃は、全て決め技に繋ぐまでの布石だったのか。攻撃の反動で宙に浮いた敵兵は、曲芸じみた軽やかさで回転したかと思うと、いつの間にか持ち替えていた洋弓を構え──。

 

「……まずい」

 

 コマ送りのように、映像が切り取られる。あの男が次に何をするのか、一秒後の未来が見て取れる。

 ヤツの本領は剣士ではない。弓兵だ。体制を崩され、双剣を構え直せぬアーチャーは、絶大な隙を晒している。あの位置から放たれる矢は、過たずその頭を射抜くだろう。

 あの恐ろしくも強大なサーヴァントが、こんなにもあっさりと、得体の知れないヤツに殺されてしまう。こんなふざけた現実が許されて良いのか。こんな理不尽を起こしたくないと、俺は誓ったんじゃなかったのか。

 ほんの一瞬。コンマ一秒にも満たぬ間だけ、ヤツの瞳が俺を見た。それは俺の愚かさを、理想を現実にできぬ弱さを嘲っているようであり────それだけは許せぬと、意識が切り替わる。

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 弾倉を銃把に叩き込み、遊底を引くイメージ。銃弾はただ一発、複雑なものはなくていい。

 衛宮士郎ではサーヴァントを倒せない。そんなことは百も承知だ。俺がするべきことはただ一手、あの一撃を防ぐこと。あれより強い武器でなくていい。ただ同じものであればいい……!

 創造理念、製作技術、憑依経験、蓄積年月、そんなものは不要だ。ただ基本となる骨子を想定し、構成された材質を複製する──!

 

「終わりだ……!」

 

 引き絞られる弦。間に合わない。俺の手が届くより先に、あいつの矢が放たれる。どちらにせよ、俺が生み出すものではあいつを止められない。

 狙うべきは射手ではない、矢の方だ。放たれる一撃を相殺し、捻じ曲げる。それがどれほど異常な難度か──だが不思議なことに、外れる気はまったくしない。ヤツが撃つ矢の軌道は、まるで()()()()()()ものかのように、射られる前から見えている。

 

投影(トレース)完了(オフ)──!」

 

 放たれる一矢。それより僅かに遅いタイミングで、()()()()()()()()を撃ち放つ──!

 

「ッ──!? なんだと……っ」

 

 驚愕は誰のものだったか。半ば機械的に放たれた一撃は、ヤツの矢箆を打ち砕き、夜の闇へと叩き伏せる!

 

「ハ、余計なことを」

 

 決定的な一撃を凌がれた男は、明らかに動揺していた。その思考の間隙を、アーチャーが見逃すはずがない。男が二の矢を構えるより早く、体勢を立て直したアーチャーは、意趣返しとばかりに剣を連結させ魔力の矢を撃ち放つ。

 耐えかねて距離を取る敵サーヴァントを、どこか冷めた目で見送りながら、俺は自分が肩で息をしていたことに気がついた。宝具でもなんでもない、ただの弓矢を投影しただけだが──撃つ前から中てる確信があったとはいえ、移動中の矢を迎撃するのは極限の集中力を要したのだ。

 アーチャーなら、体勢さえ崩れていなければ同じことができただろうし、それは他のサーヴァントたちとて同様だろう。彼らが息をするように繰り出すほんの些細な一手さえ、俺は全精力を傾けてようやく手が届くかどうか。そんなこと、最初からわかっていたはずなのに──どうしてか、あの男にだけは譲れないと思ってしまった。蝋燭が消えた後のような、煙めいた灰の瞳に、屈するなと魂が叫んでいる。

 

「消え失せよ──!」

 

 闇を引き裂く光が、間断なく赤い男に降り注ぐ。レーザーめいた魔力の塊は、敵兵が放つ矢ほどの精確性はないが、威力では優に勝っている。武具の神秘が生み出す通常火力において、アーチャーはあの男に優越していた。

 弓を構えて応酬するには時が足りない。いつか弓兵がキャスターに対して見せたように、双剣を以て光を切り払うサーヴァントだったが、数度防いだところで剣の耐久値が限度を超えてしまう。即座に次の陰陽剣を取り出して防ぐが、これを繰り返せば膠着状態に陥るのは見えていた。

 故に、男は手段を切り替えた。四度目に作り出した双剣を投げつけ、光の矢を撃墜したかと思うと、何もない宙空に手を伸ばし──。

 

「──I am the bone of my sword.(体は 剣で 出来ている)

 

 その詠唱が、ひどく耳に残った。

 魔力の粒子が形となって、一つの剣を形作る。それはセイバーのように武具を実体化させたのとも、アーチャーのようにどこかから取り出すような抜き方でもない。まるでゼロから武器を作り上げたような、それこそ自分が先程したことと同じような──。

 俺が思考を巡らせるより先に、男の手に武器が出現する。十字架を象ったような柄に、細身の長剣。所有者の魔力が尽きようとも決して切れ味の落ちぬ輝煌の剣──『不毀の極聖(デュランダル)』。その宝具が持つ性能は、陰陽の夫婦剣を凌駕している。

 

「せやぁ──!」

 

 旋舞。アーチャーの矢が、男を撃たんと迸ったが……絶世の名剣は、容易く光を切り裂いた。その軌跡は、決して届かぬ流星の如く。

 剣を振るった勢いのまま、赤い残像が地を駆ける。バーサーカーにすら傷を負わせる一撃は事も無げに打ち払われ、断頭の鎌に等しい聖剣が、袈裟に弓兵を割かんと唸る。

 敵は眼前、既に弓矢の間合いではない。弓から双刃へと姿を変えた黄金が、斜めの斬撃を縦に防御。肘打ちからのカウンターを大上段に翳された長剣が弾き、衝撃のままに回転した両者が、今度は下段で鍔迫り合う。線の動きの重ね合いだった双剣の応酬とは異なり、双刃の剣と長剣の剣戟は、円を描くような軌跡に終始していた。

 柄を軸に、アーチャーが双刃をぐるりと捻る。幻惑するように、手首の動きで幾度か回転した聖剣がぶつかり、金属音が響いたかと思えば蹴りが鎧に炸裂する。一見して互角の戦い、双刃による攻撃力と鎧の防御力でアーチャーが有利なように思えるが、先ほどとは異なる戦闘スタイルながらも冴え渡る男の剣技が、徐々に天秤を揺るがし始めている。

 

「──おかしい」

 

 縦横無尽に振るわれる聖剣。『不毀の極聖(デュランダル)』を振るうということは、ヤツは英雄ローランでなければならない。しかしそれは欧州の伝承、あの男はどう見ても人種が異なる。騎士王のように、伝承と実際の姿が異なるとすれば、今度は先程まで振るっていた双剣と矛盾する。干将・莫耶は古代中国に伝わる宝具のはずだからだ。

 持ち得ぬはずの宝具を、まるでたった今生み出したかのように、無から取り出し操る英霊。その異様さに──たった一つだけ、心当たりがある。自分の持ち物ではない武具を創造する……否、模倣する魔術。つい今しがた、俺はそれを使ったはずではなかったか。

 遠坂は言っていた。通常の投影魔術は、そのような用途では使えない。英霊の宝具を再現し、あまつさえ消えずに残り続けるなど、それは既存の投影魔術と呼べるものではないと。あのアーチャーですら、俺の投影を見て驚きを露わにしていた。神秘の住人から見て、それほどまでに異常な技術の使い手が、果たして何人もいるのだろうか……?

 

「偽物風情が小癪な──!」 

 

「ちぃ、存外にしぶとい──!」

 

 剣のぶつけ合いの果てに、アーチャーが柄でヤツの顎を強かに打ち、同時に男の前蹴りが弓兵の鎧を弾き飛ばした。ゼロ距離で激しく剣を交えていた二人が、再び間合いを離し──唐突に、それまで双刃と打ち合っていた聖剣が、アーチャー目掛けて投擲された。

 何の躊躇もなく投げつけられた剣は、当然のように斬り伏せられる。その衝撃で限界を超えたのか、決して鋭さを失わぬはずの剣はついに砕け、幻のように消えてしまう。あっさりと宝具を使い捨てた男は、アーチャーが迎撃に出た一瞬の間に、次なる武具を召喚──否、()()していた。

 

「──埒が開かん。貴様に構っている暇はない、決めさせてもらう……!」

 

 現れたのは、男の手の中ではない。宙に浮かんでいるのは、宝具とも呼べぬただの剣たち。都合六本の刃が、大砲のように次々と撃ち出されるが……。

 

「ハッ、馬鹿の一つ覚えが──」

 

 アーチャーが選んだのは、即座の突貫。ランサーの槍ですら貫けなかった鎧が、どうして三流の武具に敗れようか。生半な宝具では、あの堅牢さを突破するに能わぬ。アーチャーの鎧に着弾する剣群は、傷をつけることさえ叶わず弾かれ、衝撃で僅かにその踏み込みを遅らせるに過ぎなかった。

 剣を放ったサーヴァントも、過たず突き進んだ弓兵も、その程度はとうに弁えていよう。この一撃はただの前菜、本命への時間稼ぎに過ぎない。次の一手へ繋げるため、敵は更なる布石を打つ。鎧を恃みに突き進むアーチャーに、男は敢えて自ら踏み出し──。

 

「──投影(トレース)完了(オフ)

 

 その馴染み深い呟きに、頭にノイズが走る。あり得ぬはずの詠唱をしてのけた赤外套の手に握られていたのは、剣ではなく槍。ランサーの魔槍とは異なる、白地に黄金の装飾が施されたそれは、馬上にて振るうべき武具だが……この一瞬、それは確かに黄金の斬撃を凌いでいた。

 あれは白兵戦闘で打ち合うものではなく、乗騎からの一撃離脱に用いるもの。この局面には不適切な用途の武器だが、あの英霊が無策である筈がない。質で言えば先の聖剣どころか干将・莫耶にも劣るそれは、アーチャーの剣を三度は受けきれまいが──右手一本で馬上槍(ランス)を跳ね上げ、黄金を弾いた敵兵は、稲妻に等しい迅さで槍を戻すと下段からの突きを放つ。

 それでも、本職の槍兵には遠く及ばぬ一撃はアーチャーには届かない。男が槍を引き戻したのと同じタイミングで双剣を構え直していたアーチャーは、剣を交差させることで、余裕を以て受け止めてしまう。

 

「ふん、今度は狗の真似事か。飼い犬らしい多芸ぶりだが、牙を届かせる程度の能すら持たぬのか?」

 

「お褒めに与り恐縮だ。それが私の持ち味でね──牙を届けてほしいのならば、もう一つ、その身で御覧じろ……!」

 

 突き出した槍に、あろうことか膝蹴りが叩き込まれた。あまりにも無茶なゴリ押しは、双剣の守りを僅かながらに崩し、アーチャーの鎧を微かに掠める。代償に、嫌な音を奏でた槍に亀裂が入るが、黄金の鎧は小揺るぎさえしていない。

 その瞬間、()()が追いついた。いけない、あの槍は触れてはならない類のモノだ……!

 

「ぬ、よもやこの槍──!」

 

 俺とほぼ同時、その鑑識眼で気がついたのか。地を蹴ったアーチャーが、後方に飛んで離れようとする。だが僅かに遅く、攻撃を届かせた敵の唇が吊り上がり──。

 

「────"触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)"」

 

 がくん、と。

 誰でも一度ぐらい、ふざけて友達と転ばせあったことがあるだろう。そんな冗談めいた光景のように、何の脈絡もなしに、アーチャーの膝が崩れ落ちる。傷を負ったのではなく、強制的に転ばされた──否、『転倒』という事象を押し付けられたのだ。

 あの槍はイタリアあたりの伝承を元とした宝具だ。武器としての質は低く、殺傷能力も高くない。事実投影によって劣化したそれは、今の一撃を繰り出しただけで木っ端微塵に砕け散ってしまった。しかし……それに触れた弓兵は、致命的な隙を晒していた。

 槍が砕かれた敵は無手だが、寸毫の後に次の剣が現れよう。膝を付いたアーチャーでは、次の攻撃に間に合わない──。

 

「ッ……我を跪かせようとは──!」

 

 激昂したアーチャーが、右手を地に叩きつける。サーヴァントの有する埒外の膂力が、反動で鎧ごと弓兵の体を宙に舞わせ、反転して着地を試みる。しかし、それは隙を一秒先に後伸ばしするだけの行為。着地した刹那、どうしようもない無防備な時間が生まれてしまう。

 当然のように、敵はその絶望的な間隙に向け手を伸ばし、俺はヤツの動向を見逃すまいと目を見開く。令呪を使うか、投影魔術で妨害するか──!

 

「──I am the bone of my sword.(我が 骨子は 捻じれ狂う)

 

 刀剣か、それとも弓矢か。加速された時間の中、空中に煌く粒子が集まり──その形状があまりに予想外だったから、反応するのが一手遅れた。

 

 

「────天の鎖よ────!」

 

 

 ──それは、一体如何なる宝具か。

 

 男の手の内ではなく、何もない空中から現れた鎖は、全方向からアーチャーを取り囲むように巻き付いた。

 腕に、足に、胴体に鎖が絡みつき、それぞれがまた別方向に伸び続け、弓兵の動きが完全に縫われる。木々に、電柱に、街灯に巻き付いた鎖は、幾重にも重なってアーチャーの動きを封じこめた。

 ギシギシと軋む鎖は、鎧の上からサーヴァントの体を引きちぎろうとしているが、その堅牢さを突破するには至らない。しかし黄金の弓兵は、もはや指一つ動かせる状況にはなかった。

 

「貴、様──よもやこの我を……!」

 

「なに、鎖で敵を縛る弓兵もいるというだけのことだ。これに懲りたら、その慢心を控えることだな」

 

 視線だけで射殺せそうなほど、絶大な殺意を叩きつけるアーチャー。全身を縛る鎖は、空間ごと束縛するような頑丈さでその動作を戒めんとしているが、黄金の威圧はそればかりかこの公園そのものを消し飛ばすのではないかという凄まじさだった。膝を付かされ、斬首を待つ罪人の如き姿勢で縛られたことは、プライドの高いあの男には許せぬ屈辱に違いない。

 

 ──これは、王手だった。

 

 剣ならば、同じ武器を投影できた。弓ならば、その軌道を妨害できた。しかし鎖では手の打ちようがない。一本二本を弾いたところで、あの長さと本数の前には焼け石に水だ。

 ほぼ無傷ながら、アーチャーは動けない。敵が剣を構えれば、もはや抵抗の余地は残されていなかったが──そこで気づく。アーチャーの殺意を飄々と受け流した男だが、ヤツの額にはびっしりと脂汗が浮かび、肩で息を吐く姿は小刻みに震えていた。

 あの鎖を見て理解する。あれはヤツの奥の手だ。神さえ縛る至上の鎖は、刀剣武具を扱うヤツの専門外であるどころか、人の手が及ぶモノですらない。性能を意図的に削ぎ落とし、リソースの大半を注ぎ込み、自滅一歩手前の綱渡りをし──そうまでして辛うじて、型落ち品の投影に成功させたのだ。もしあの鎖が本来の性能通りであれば、アーチャーは動けぬどころか、体を捩じ切られていただろう。

 それほどの秘奥をぶつけた反動で、あの男はほとんど限界だ。もはや剣の一本でさえ投影が叶うかどうか。それならば、剣なり槍なりを用意した方が遥かに容易かったろうに、ヤツは何故……?

 

「──これで邪魔は入らん。正義を為すと思い上がった小僧を、この場で叩き潰す」

 

 修羅のような執念が、立ち尽くす俺に向けられる。その瞳が、俺の疑問への答えだった。

 他の宝具であれば、アーチャーに傷を負わせる、あるいは倒すことは可能だった。そうでなくても、持久戦に持ち込むだけで、底知れぬ技量と手数を持つこの男はおそらくアーチャーに勝利できた。だがこの男は、時間的制約か()()()()()()か、その選択肢を選べなかった。

 ……故に、封印というただ一手に全てを注ぎ込んだ。ただ邪魔さえされなければ、ヤツはそれでよかったのだ。

 サーヴァントの撃破さえ二の次にするほどの、俺への執着──何かに突き動かされているかのような異様さは、見ているだけで怖気が走る。今まで見たこともない男にこれほどの敵意を向けられる理由が──

 

 ──待て。今まで、だと……?

 

 時系列。その言葉を思い浮かべた瞬間、パズルのピースが乱舞する。

 余人が知り得るはずのない、俺の過去と目的。使い手が存在し得ないはずの、異常極まる投影魔術。サーヴァントとは、時間軸を超越した英霊の座から喚ばれる存在。

 情報が混ざり、絡まり、ぞっとするような仮説へ辿り着こうとした時──

 

「シッ────!」

 

 煌く白刃。限界を超えて、この瞬間のために用意された最後の投影剣が、月光に濡れて襲い来る。ただ愕然と見ていた自分が、どれほど愚かしい隙を晒していたか、風を切る音で初めて気がついた。

 寸刻の後、この首はヤツに落とされる。迂闊さのツケは、己の命で払う羽目になる。赤い外套の死神は、あの夜の炎を纏っているようで──もう二度と、十年前と同じ結末に至るものか……!

 流れる思考を百分割。徒手空拳の俺では、あの一撃を防げない。腕で防げば腕ごと斬られ、さりとて逃げれば背を断たれよう。防御も回避も不可能ならば、あの斬撃を撃ち落とすしかない。

 答えは手中に。アーチャーが縛られる直前、その準備は済ませていた。決定的な攻撃に同じものをぶつけ、相殺して窮地を脱する鬼札。即ち、ヤツと同じ投影魔術──!

 

「……なに!?」

 

 耳を打つ金属音。闇を貫く悲鳴を奏で、陽剣・干将が阻まれる。原理は単純、如何なる妖魅を断ち切る剣であれ、己自身を斬ることは能うまい……!

 

「オレの剣を真似たか。だが──」

 

 ヤツが何かを喋っている。だが、言葉が耳に入らない。聴覚という機能が、焼き鏝を当てられたような頭痛に奪われる。

 死の一撃は防いだ。不出来な投影品は、剣を弾いただけでヒビが入りかけているが、断頭台の十三階段から辛うじて逃げ延びた。断頭の刃は、この体に届いていない。だが──

 

 ──体は、剣で出来ている。

 

 冷たい金属の代わりに。耐え難いほど熱い痛みが、頭の中に入ってきた。

 視界にノイズが走る。古いテレビをつけた時のような、耳に響く雑音が流れる。ここではないどこか、ここではないなにかの情報が、魂を侵食する。

 痛い。熱い。暗い。苦しい。得体の知れぬ炎の流れに、衛宮士郎という人格が飲み込まれようとしている……。

 

「あ──ぐ、っ…………」

 

 ちらつく視界。その中で、ヤツが剣を振り上げたのが見える。不格好に剣を合わせて受けるが、そんなもの、ただの盾にだってなりはしない。一撃で砕かれ、続く一刀が脳天を叩き割ろうと迫る。

 半ば反射でヤツの剣の構造を読み取り、設計図を作成、即時の投影。あんなにも不安定だったはずの投影魔術は、いとも容易く成功し、干将・莫耶があまりに手に馴染むことに違和感さえ抱く。

 もう一撃も防ぐ。ボロボロの相手とはいえ、サーヴァントの身体能力は俺など足元にさえ及ばないだろうに、どうしてか刃の軌道に防御が追いつく。ヤツの剣技を、剣の方が知っているのか。

 だが、凌いだところで武器の精度が違う。俺が作り上げた投影品など、ヤツのそれに比すれば三流もいいところだ。横薙ぎの一撃で双剣が諸共砕け、膂力と衝撃だけで、体が後ろに吹っ飛んでいく──。

 

「無駄な足掻きを。貴様の投影では、オレに及ぶ道理がない。その程度の精度で、オレについて来られるものか──!」

 

 地面を転がる。服が破れ、手や足が擦り切れて血を流す。だがそんなものより、割れそうな頭の痛さでどうにかなりそうだった。

 毛細血管が破れたのか、視神経に異常が出たのか、赤くちらつく視界。その中で、ヤツが飛びかかってくるのが見えて、なんとか体を引き起こす。ヤツが近づいてくるたびに、頭痛が激しくなっていって──。

 

 ──血潮は鉄で、心は硝子。

 

 見たことのない、まだ知りうるはずのない光景が、頭の中に流れてくる。走馬灯のような映像は、誰かの記憶の断片だった。

 

「が、っ────ぁ」

 

 ただ、誰かを救いたかった。誰かが助かれば、それでいいと思っていた。

 心に決めた誓いがあった。目指すと決めた理想があった。だからその男は、前を向いて走り続けた。そのためならどうなろうと、何を失おうと構わなかった。

 その道程は、平坦な草原から険しい山になり、やがて屍が転がる道になり、血で染められた河になった。気がつけば、周囲にあるのは死と破壊だけ。それでも誰かが助かるのならと、男は地獄を進み続けた。

 

 ──幾たびの戦場を越えて不敗。

 

 そうしているうちに、救えた命はあった。彼に感謝を抱く人もいた。

 それでも、だからこそ彼は止まらない。愚直なまでに、機械的に、あらゆる命を救い続ける。

 けれどいつしか、その手は血で染まるようになった。洗い流しても、拭き取っても、その赤さは濃くなるばかり。誰かを救うためには、誰かを殺すしかないのだと、男はようやく気がついたが──道を戻るにはあまりにも、重ねた犠牲が多すぎた。

 

 ──ただの一度も敗走はなく、

 

 初めのうちは、彼を慕う仲間もいた。しかし、機械と変わらぬ在り方は、その感情を親愛から畏怖へと塗り替えていく。いつの間にか彼を取り巻くのは、便利に使えると学んだ人間たちの、三日月のような笑みだった。

 それでも、問題ないと割り切った。救える命があるのなら、いくら裏切られても構わなかった。……そうしていくうちに、選べる道は、どんどん狭くなっていった。

 

「ッ──!?」

 

 左右から迫る一閃。首を狩る軌道に、即座に剣を合わせて凌ぐ。反射的に投影していた陰陽剣は、先程よりマシな質だったのか、辛うじて砕けずにヤツの攻撃を防ぎきった。

 今宵初めて目にしたはずの、干将・莫耶。あまりに不出来で、真作には遠く及ばぬ贋作が……どうしてか、生み出すごとに体に定着していく。かつて、名工干将とその妻莫耶が作り上げた二刀一対の名剣。その知識が、勝手に頭に浮かんでくる。

 疑問は後に回す。真っ当な力勝負ではサーヴァントに敵わない。剣を弾いた勢いのまま、バックステップで距離を取り──視界を侵す光景に、嘔吐しそうになる。これはなんだ。俺は一体、何を見せられているんだ……?

 

「なんという不甲斐なさだ。そんな有様で、よく正義を為すなどと言えたものだ──!」

 

 刺突三閃。円の攻撃から線の攻撃へ。心臓と肺腑を穿つ連撃を、下から叩き上げて耐え凌ぐ。

 状況は限りなく詰んでいる。衛宮士郎では、サーヴァントに勝つどころか、逃げることさえ敵わない。アーチャーは封じられ、増援は望めず、令呪を使う暇すらない。一秒後の死を二秒後に引き伸ばすため、身をすり減らして動いているだけ。

 だというのに。その足掻きさえ嘲笑うように、血の記憶が魂を侵食する。幻覚でも妄想でもない、鮮明すぎる冷酷さに、頭を殺されていく。

 

 ──ただの一度も理解されない。

 

 戦い続けた男は、ある時壁にぶつかった。一人では絶対に救えないと、理解してしまうほど大勢の命。彼らが死を迎えようとした瞬間、正義の味方を目指した男は、ある一つの決断をした。

 

『契約しよう。我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい』

 

 そうして、男は奇跡を手に入れた。人類の集合無意識、世界というシステムから得た力。失われるはずの数多の命は、確かに救われたのだ。──その代償が、どれほど取り返しのつかぬものかを知らぬまま。

 まだ足りないと、それでも男は戦った。魂をすり減らす孤独な死闘の果て、彼はついに英雄と呼ばれるまでの存在になった。彼が成し遂げた功績は、常人からすればほとんど不可能に近い領域だった。

 そのような存在は、最早人から外れている。人は彼を英雄と称賛しながらも、次第にその在り方に恐怖し、やがては憎悪するようになっていった。人を外れたモノに降り掛かった報いは、社会からの排斥だった。

 

 ──彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う。

 

 破綻から崩壊までは一瞬だった。争いに関わりすぎた彼は、ある戦争の主犯だと罪を押し付けられた。責任を被せてきたのは彼が救い、助けてきたはずの人物。

 ふと辺りを見渡した。周囲を囲んでいるのは、見覚えのある大勢の顔。彼に命を救われ、感謝の言葉を述べたはずの人間たち。しかし、助けてくれた彼を助けようという人間は、誰一人そこにはいなかった。独りで走り続けた彼のことを、どんな組織も団体も守ろうとはしなかった。そればかりか、誰もが彼の死を望んでいた。……それは、おぞましいまでの人の醜さ、唾棄すべき裏切りの具現だった。

 そうして、彼は殺された。英雄だったはずの彼は、謂れなき戦犯とされた。それでも自分が死ぬことで救われる命があるならと、彼は脳が活動を止めるその瞬間まで、誰一人恨みはしなかった。

 死を迎えた後でも、その男に安らぎはなかった。生前手にした奇跡の代償は、死後すら奪われること。霊長の抑止力として、人の認識の外側から、人間の滅びを阻止し続ける──はじめ、彼は喜んだ。これでもっと大勢の人たちを助けることができると。

 

 ──故に、その生涯に意味はなく。

 

『最初から、感謝をして欲しかったわけじゃない。英雄などと持て囃される気もなかった。ただ、誰もが幸福だという結果が欲しかった』

 

 ……子供を殺した。彼女の抱える爆弾が、ある国の要人を殺傷し、大戦争の引き金となる可能性があったからだ。

 ……老人を殺した。彼が引き起こす些細な事故が、大陸全てを巻き込む大災害へと連鎖するところだったからだ。

 

 男を殺した。女を殺した。無垢な者を殺した。犯罪者を殺した。

 殺した。殺した。殺した。殺した。殺して、殺して、殺して、殺して、殺し、殺し、殺し、殺し、殺、殺、殺、殺────。

 

『これが守護者だと? 霊長の世に害を与えるであろう人々を、善悪の区別なく処理する殺戮者──』

 

 それは、確かに人助けをする役割だった。人類の滅びを回避するために、要因となる存在を、加害者も被害者も諸共に殺し尽くす──ただの一人も救わず鏖殺することで、人類全体の滅亡を避ける。それだけが、彼に与えられた仕事だった。

 ……つまり。彼が直接助けられる命など一つもない。あらゆる残虐な手段を行使し、ただひたすらに目の前の人間を殺し続ける、奪うことしかできぬ殺戮機械。人類の掃除屋こそが、守護者という役の正体だった。

 

『オレは、オレが救いたかったものをこそ、この手で──』

 

 拒絶することなど許されない。手にした奇跡の代償は、永劫の奴隷となること。時間も場所も関係なく、老いも若きも満遍なく、善も悪も殺し続ける世界の下僕。

 殺して殺して、殺し続けた末に──ある瞬間、気がついた。今していることは、生前と何も変わらないのだと。大勢を殺すために少数を殺す、助けたいと言いながらその手を血で汚す。何もかもを救いたいという、理想の果てがそれだった。

 誰かの泣いている顔を、誰かが苦しんでいる姿を、ただ見たくなかっただけなのに。その男は、惨劇と地獄しか見ることができなくなって。人間にも世界にも、最後には抱いた理想にさえ裏切られた。

 そうして、男は絶望した。かつて輝いていた信念も誓いも、血と肉の底に埋もれた。皮肉なことに、何もかも失って尚、身につけた人殺しの術は衰えず、ただただ命を奪い続けて。故に──

 

 ──その体は、きっと剣で出来ていた。

 

「その反吐が出そうな顔──なるほど、見たのか。その結末を」

 

 燃え盛る炎。空を廻る歯車に、一面に広がる荒野。生命の息吹など一欠片もなく、あるのはただ、無限ともいえる刀剣のみ。大地に突き刺さる剣たちは、この国の国民でもあり、無数の墓標でもあった。

 剣だけが立ち並ぶ丘で、その男は佇んでいた。髪はその色を失い、肌はその色を変え、服はその血に染まり、最早かつての面影など微塵もない。かつて理想に燃えていた瞳さえ、灰色に燃え尽きていて。

 

 

 ──その英霊(おとこ)の名を、衛宮士郎といった。

 

 

「が、は──ぁ、っ────あ」

 

 息が止まる。

 膝が震える。

 脳を引っ掻き回されたような、おぞましいほどの激痛で、口は血の味でいっぱいだった。

 

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 

 こんなものが、衛宮士郎が辿り着いた末路だと……正義の味方だというのか……?

 

「おまえが掲げる、人を救いたいなどという戯言。自分を犠牲にしてでも、誰かを助けたかっただと?

 ──そんなもの。他人の夢に憧れただけの、独り善がりの偽善でしかないというのに──!」

 

 朦朧とした意識。ヤツの振り上げた双剣に、同じように双剣を合わせる。

 しかし、剣の強度は既に綻びていた。幻想を維持できなくなった贋作は形を失い、敢えなく剣は砕かれる。それはまるで、俺の行く末を暗示しているようで。

 

「ガ────」

 

 吹き飛ばされ、叩きつけられる。遊具に激突したのだと気づいたのは、地面に崩れ落ちてからだった。

 どこかを切ったのか、それとも折れたのか。子供が遊ぶはずの真新しいジャングルジムは、赤い血でしとどに濡れていた。その光景さえもが、衛宮士郎の末路を嘲笑っているかのごとき皮肉さ。

 だけど、そんなものはどうでもよかった。肉体の傷なんかより──数時間前まで想像さえしていなかった現実に、心が折れそうになる。

 ありえないと、こんなものは幻覚なのだと、いくら頭で否定しようとしても……魂の方が、これは事実なのだと、そう認めてしまっていた。

 

「──そうだ。下らぬ理想に囚われ続け、その意味さえ知らずに終わった愚か者。何を救うべきかも定まらず、ただ殺し続けた殺人者。

 それこそが、オレの正体──英雄などというものに成り下がった、エミヤシロウという偽物だ」

 

 男が見下ろす。未来からの刺客が、自分自身(エミヤシロウ)を殺したがる理由。ヤツの目にあるのは、後悔と絶望だけだった。

 

「幾らかは、救えた命もあっただろう。そのためだけに、おまえが掲げた空虚な妄想はどれだけの人間を殺してきた?

 我欲で殺すのでもない。仕事で奪うのでもない。正義という名の独善で、殺し続ける壊れた機械──そんなモノに存在している価値などない。おまえ(オレ)は、この世にあってはならない存在だ」

 

 ぴしりと、何かが壊れる音がした。

 自分自身による、存在理由の否定。悪質なSF映画のような、未来の自分による殺害宣言。その背後にあるものを直に見せられた……いや、追体験させられた後では、納得してしまう。ヤツが俺を殺したがるのは当然だと。

 

 だというのに、何故──この体は立ち上がっているのか?

 

「──ふん、まだ諦めぬか。敵わぬというのにただ動く、その救いがたいまでの愚かさ。それこそが、そもそもの過ちだ。そのあてもない強迫観念には、一片の価値もありはしない。

 聞くがな、衛宮士郎。おまえは、そうまでして正義の味方になりたいのか」

 

 その問いに。痛みで真っ赤になっていた頭が、真っ白に塗り替わった。

 

 地獄を見た。

 地獄を見た。

 地獄を見た。

 

 ──いずれ辿る、地獄を見た。

 

「笑わせる。それはおまえではなく、衛宮切嗣が目指したモノだ。おまえはただ、ヤツの理想に憧れて──その残滓を、わけもわからず追い求めただけに過ぎん。

 見ろ、その結末がこのオレだ! 絵に描いた夢など、現実に掴み取れる道理がない。行く道さえ判らずに走り続ければ、最後は必ず破綻する。

 ──おまえの理想は、最初から間違いだったのだ」

 

 剣の丘。遠い未来で、裏切りの刃に貫かれた英雄は、血塗れの貌でそう嗤った。

 おまえはこうなりたいのかと、未来の自分が問うてくる。血と鉄の匂いが、鼻から脳に教え込む。ありもしないものを現実にしようとすれば、その代償がこれなのだと。人助けという題目を掲げて、人殺しに成り果てるのだと。

 

 ……怖い。

 

 心の底から、そう思った。これから自分がその道を歩むかも知れないと思うと、足が竦みそうになる。

 けれど。これを嫌だと言ったら、取り返しのつかない何かが……自分が重ねてきた何かが、どうしようもなく壊れる確信があった。

 そんな感情は最初から問題じゃない。あの夜、俺は切嗣の夢を継ぐと決めた。なりたいかどうかじゃない、ならなくちゃいけないんだ──そう答えようとしたその刹那、あの高慢な声が、ふと聞こえたような気がした。

 

『──たわけ。だから視野が狭いというのだ、貴様は』

 

 はっとする。手に浮かぶ令呪が、鈍く光ったように錯覚した。

 これしか道はない、こうすることしかできない、何も先が見えない──そんな時。あの男は傲慢に、そう何度も口にした。一つのやり方に拘るな、視線を狭くして思い込むなと、乱暴ながらも叱咤した。そうして何度も、俺は新たな選択肢を見つけてこれた。

 

『誰も貴様の目的は揶揄しておらん。貴様の問題はそこではなく、動機と実現手段にある』

 

 正義の味方など馬鹿馬鹿しいと、人間の醜さを覆い隠すための言い訳だと、そんな在り方は歪んでいると、あいつもそう嘲った。だけど、あいつは──人を助けたいというその想いだけは、決して笑わなかった。

 

『夢ならば、そうして己が欲で語るがいい』

 

 その動機は借り物だと、何の価値もないのだと、擦り切れた守護者(じぶん)は言い捨てた。

 黄金の英霊は、鍍金(メッキ)を使うなと言い放った。おまえ自身が本当に許せぬ動機(もの)はなんだったのだと。

 きっかけは、確かに偽物だったのかもしれない。俺を助けてくれた、切嗣の笑顔が綺麗だったから。何もなかった自分にとっては、あの在り方が憧れで。空っぽな心に焼き付いたから、ただそうなろうとした。

 

 ──だけど。本当に、何もなかったのだろうか?

 

 もうほとんど忘れてしまったけれど。あの大火災の後、俺がまともに日常生活を送れるようになるまでは、相当な期間を要したらしい。

 かつて住んでいた家を訪れ、死んでしまった両親の影を求めた。何もいない空間に話しかけ、いもしない人物を作り出し、家族ごっこのような真似をしていた。

 死体の記憶を思い出しては嘔吐し、焼き尽くされた空を思い返しては卒倒し、今でさえ、夜毎にあの炎に苛まれる。この苦しみは、借り物でもなんでもない、俺自身が持つ感情だ。

 けれど、それですら救われた方なのだ。たくさんの人たちが、その苦しみの果てに死んでいった。助けることもできず、ただ消えていってしまった人たちを見て、俺は二度とこんな光景を繰り返したくないと、強く思い続けてきた。

 

「────」

 

 だから、正義の味方(衛宮切嗣)に憧れた。だから、聖杯戦争に参加した。だから、俺は戦うと決めた。

 最初は借り物の理想だった。けれど、その根底にあった感情は、誰でもない俺自身のものなのだ。

 贖罪であり、憧憬でもあるのかもしれないけれど、あんな惨劇を繰り返させたくないという願いは本物だ。あいつの言う、愉悦というやつはよくわからないけれど──この苦しみは、許せないという怒りは、自分のものだったと思い出した。

 

「……間違い、なんかじゃない……!」

 

 ふらつく視界。手足は鉛のように重く、全身は傷だらけ。頭は割れそうに痛み、内臓すらも悲鳴を上げる。

 それでも、体は動いている。あんなやつに屈するなと、この体は訴えている。敵の姿さえ見えていれば、まだ俺は戦える。戦力差など、勝てるかどうかなど知ったことではない。

 投影準備。干将・莫耶を創造しようと試み────中断する。違う。この武器はヤツの愛剣だ。それがどれだけこの体に馴染むとしても……俺は、()()()()()()()()

 

「間違っていたのは、理想じゃない……!」

 

 その男は、最期まで独りだった。だから最後には、何もかもに押し潰された。

 黄金の王は、確かに孤高だった。けれどそんな男でさえ、親友と共に戦った。

 

 その男は、道も見えずに突き進んだ。そして何が正しかったのか、最後にはわからなくなった。

 黄金の王は、遠い星を見据えていた。だからそいつは、どんな窮地でも自分が正しいと貫けた。

 

 その男が全て悪かったわけではない。

 黄金の王が正しかったわけでもない。

 けれど、困難な道を歩もうとするならば。その男のやり方は、きっとどこかで間違ったのだ──。

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 男が息を飲む。俺が投影するのは、ヤツが握る陰陽剣ではない。

 記憶を失くして、それでもあのサーヴァントが使い続けた、煌く黄金の双剣。干将・莫耶と比して精度は荒く、贋作である以上、性能では及ぶべくもない。だがそれでも、俺が選んだ武器はこれだった。

 柄を握る。断片的に、担い手の記憶が流れてくる。そこはどことも知れぬ、広大な森の中。途方も無い威圧を放つ古の神を相手取ったアーチャーは──驚くべきことに、恐怖の感情を抱いていた。どんな逆境だろうと鼻で笑ってみせる、傲慢の化身のような男がだ。

 アーチャー一人なら、きっとその戦いには勝てなかった。しかし、彼には友がいた。二人で力を合わせれば、できることは指数関数的に広がっていく。そんな簡単なことに、どうして気づかなかったのか。

 

『──貴様らは徒党を組み、道具を駆使することで成果を生み出してきた。他の人間や道具を用いた方が、遥かに効率が良いからな。小僧、おまえが改めるべきはそこからだ』

 

「おおおおお────っ!」

 

 初めて、自分から飛び込んでいく。舌打ちしたヤツに一手先んじ、黄金の剣を叩きつける……!

 

「勝てぬと知ってその愚かしさ、最早見るに堪えん──!」

 

 受けに回った男が、下方からの切り返しで薙ぎにかかる。まともに防御などすれば腕が砕けると、押し流そうと試みるが、それだけで体が持っていかれた。

 剣を合わせることさえ叶わない。一手切り結ぶだけで、六十キログラム近くあるこの体は、紙のように吹き飛んでいく。だが、()()()()()()()

 擦過傷は完全に無視し、全身の痛みを捻じ伏せる。転がる勢いのまま立ち上がり、双剣を連結させ、突っ込んでくるヤツに照準を合わせる……!

 

「チ────」

 

 男が回避。弓の一撃を受ければ、ヤツの双剣は砕け散る。アーチャーの拘束に全てを注ぎ込んだヤツは、あれが砕ければもはや次の剣は生み出せまい。

 別の軌道から瞬時にして接近され、繰り出される刺突。俺では到底凌げぬ一閃は、剣自体が持つ記憶によって防がれた。自分の力で勝てないのなら、他の何かを頼ればいい。

 

「おまえは、やり方を間違えたんだ──!」

 

 刃の一方を地面に突き立て、それを支えにもう一方の刃でヤツの膂力を受け流す。一歩も退かぬと睨みつければ、ヤツは更なる憤怒を以て干将で斬りかかる。

 

「ならば、貴様のやり方が正しいとでも言うつもりか? あのような男をサーヴァントにしておきながら、それが矛盾だと何故気づかぬ!」

 

「てめえに、何がわかるっていうんだ……!」

 

 斬り上げる。再び分離した黄金の剣で、男の宝具を軋ませる。互いの投影武具が、悲鳴を上げる音。

 二度目の斬撃。追えぬ速度であれば、ヤツ自身の軌跡を読む。よく見ろと、よく観ろと、俺は何度も言われ続けてきた。ヤツが俺自身であり、この剣にアーチャーの記憶が宿るのなら、動きを捉えられぬ道理がない……!

 

「アレは己のためならば、今の世など容易に焼き尽くす英霊だ。マスターであるおまえとて、気が変われば殺すだろう。そんな男が聖杯を掴めばどうなるか、そのような想像力さえ持ち合わせんか。

 あのような男と契約を結んだばかりか、自分の行動が何を招くか想像すらもできない愚かしさ。そんなことさえ弁えぬから、貴様は正義などという戯言を抜かすのだ──!」

 

 一刀を捌く。ヤツが限界まで消耗しているせいか、流れ込んだ記憶によって俺の投影精度が上がっているせいか、傾ききったはずの天秤はこの時僅かに拮抗していた。

 アーチャーが危険な男なんてことは、最初から判っていた。確かにあの男なら、気まぐれに人間を粛清するなどと言い出しかねない。事実俺だって、何度も殺されると感じたのだ。

 ちらりと、鎖に囚われたサーヴァントを見る。抵抗できる余地さえないのか、こちらの戦いに興味がないのか、あいつが動く気配はない。何も言わないうちから動くことがあったかと思えば、こっちが必死になっている時に言葉一つさえ向けてこない。情を解さない冷酷無慈悲さがあの英霊の本質だ。

 

 ……だけど。

 

「──ああ、そうだ。あいつはそういうやつだよ。こんな奴と契約なんかしてられるかって、そう思ったことだってあった」

 

 十字の斬撃。双剣を交差させ、守りを食い破らんとする攻撃に耐える。返す刀で牙を剥き、胸板を貫く一撃を凌がれ、至近距離で睨み合う。

 

「けど、あいつには何度も助けられた。あいつがいなかったら、俺はとっくに死んでたんだ」

 

 助けられたのは俺だけじゃない。

 桜がまだ手遅れになっていないのも、イリヤを救出できたのも、学校のみんなを結界から助けられたのも、どれも俺独りではなし得なかったことだ。アーチャーの助言と力があったから、俺は選択肢を間違えずに済んだのだ。

 

「それだけじゃない。おまえの言う通り、俺はわかってなかったさ。何を助ければ良いのか、何が正義の味方かなんて」

 

 防ぐ。凌ぐ。弾く。

 絶え間のない猛攻を、一撃ごとに悲鳴を上げる体で、決して通さぬと拒否し続ける。ヤツから流れる戦闘技術と、アーチャーの膨大な戦闘経験が、次の手を俺に知らせてくれる。

 攻勢に出る余裕はない。身体能力で、俺は到底サーヴァントに届かない。ほんの僅かでも隙を見せれば、この身はヤツに斬り捨てられる。

 だけど、それでも屈しない。この想いと、あの黄金の男のことは、絶対に否定などさせない……!

 

「でも、あいつのおかげで気がついた。十年前のあの夜を、絶対に繰り返させない──この怒りが、苦しみが、俺の中にある『本物』だった!

 切嗣だって、きっと同じ気持ちだった。だから俺は、聖杯戦争(こんなこと)を引き起こすような魔術師(りふじん)と戦う、『正義の味方』になるって決めたんだ……!」

 

 裂帛の一閃。叩き込んだ一撃は容易く防がれ、ヤツの体は小揺るぎもしない。だがここに来て初めて、ヤツは明確に、攻めではなく守りのために後ろに下がった。

 踏み込んだ追撃の刃は、挟み込む陰陽剣に抉り取られ、ついに限界を超えて砕け散った。脳はもう沸騰寸前だが、即座に再投影し、更に斬りつけるとヤツの舌打ち。

 体はとっくに壊れていて、血液だって足りていない。魔力とて、何度も投影できるほどの余力はない。あと数分さえ保たず、俺の体は崩れ落ちるだろう。

 ……しかし、ヤツはもうあと一度だって投影する余力がない。あの鎖に全てを注ぎ込んだが故、もうこの男に後はない。マスターとてこの場にいないことが明白である以上、悲鳴を上げる干将・莫耶を砕かれれば、男はもう引き下がる他はない。

 俺が付け込めるとすれば、そのただ一点のみ。途方もなく遠い終着点を、死という崖を飛び越え、がむしゃらに目指し続ける。ヤツの記憶も、アーチャーの武器も、何もかもを使って必ず辿り着く──!

 

「魔術師と戦う? たわけ、魔術師ですらない貴様ごときに何ができる! 結局貴様は、衛宮切嗣(魔術師殺し)の影を追うだけの偽物だ!

 それは即ち、魔術以外の手にかかる人間をふるい落とすということ。正義などと不可能な理想を掲げ、結局は切り捨てることしかできない。これを偽善と言わず何という!」

 

 振りかざされる黒剣。確実に首を刎ねる一撃を、逆手に持ち替えた剣で受ける。無茶な防御に、右手の筋肉が断裂した音がする。

 

 痛みのあまり、ガ、と口から無様に悲鳴が漏れる。

 もう諦めてしまえと、心のどこかで弱音が溢れる。

 

 ──その悉くを、ただ意志だけで捻じ伏せる。

 

『自らが救わねばならぬ、そうでなければ自分が人を助けたことにはならぬというその頑なな思い込みが矛盾の根本よ』

 

 何もかもを救いたいと、そう思っていた。誰も彼もが幸せな世界がいいと、お伽話を追い続けていた。

 それは不可能なことなのだろう。だけど、限りなく近づけることはできる。自分だけで何もかもを救おうとするのではなく、他の誰かの手を頼れば、その分だけ道は広がってくる。

 

 生活に困った時は、役所が助けてくれる。

 泥棒に遭った時は、警察が相談に乗ってくれる。

 災害が起こった時は、自衛隊が駆けつけてくれる。

 戦争に巻き込まれた時でさえ、国連というシステムがある。

 

 俺ではない誰かが、誰かを救うことのできる仕組みがある。それは、俺が誰かを見捨てていい理由にはならないが、是が非でも俺自身がやらなければならないことではない。

  

 ならば──衛宮士郎だけができることは、一体何なのだろうか?

 

 桜の悲痛な叫びを思い出す。何も悪いことをしていないのに、桜は想像もできないほどの苦痛を味わわされた。守ってくれる誰かも、助けてくれる制度も存在しない、永久の暗闇の中でずっと。

 桜だけじゃない。前回の聖杯戦争では五百人、今回も既に数十人。あらゆる国で、あらゆる時代で、魔術という暴力が人を傷つけてきたに違いない。これほどまでの理不尽、裁かれることさえない罪過を、どうして俺が見過ごせようか──!

 

「ふるい落とすわけじゃない。手の届く限り、俺はみんなを助けたい。でもこれは聖杯戦争に何もかも奪われた、俺だけができることだ!

 助からなかったみんなの思いを無意味にしないために、俺がやらなくちゃいけないこと──いや。俺が本当にやりたいことなんだ!」

 

 確かに俺は、魔術師未満の凡人だ。俺なんかが立ち上がったところで、何ができるというのだろう。

 だけど、どんな状況でも道はあると、アーチャーは教えてくれた。どんなに無力で絶望的な状態でも、かつては戦っていた相手だとしても、協力してくれる仲間はいるのだと、遠坂やイリヤが教えてくれた。

 独りじゃない。聖杯戦争のような暴虐で傷つけられた人は、そんな身勝手さを許せないという人は、魔術師にだってきっといる。

 

 ──だから、戦う。

 

 この想いを嘘にしないために。

 誓いを貫き通すために。

 英霊エミヤが歩んだ結末とは、違う道を作るために──

 

「俺はおまえのようにはならない。それでも俺は、正義の味方(エミヤシロウ)を張り続ける──!」

 

 一閃。唐竹割りの一撃で、ついにヤツの黒剣がひび割れる。ヤツの諦観を、俺の理想で砕くために、ひたすらに剣を振るい続ける……!

 

「っ──!? そこまでだ、消えろ──!」

 

 白剣が、闇ごと引き裂くかのような疾さで迫る。二刀を攻撃に回した今、その斬撃は防げない。あの刃はこの腕を叩き落とし、そのままにこの頭蓋を砕くだろう。

 剣だけでは足りない。ならば、もう一つアーチャーの手を借りる……!

 

投影(トレース)開始(オン)──!」

 

 呼び起こすのはあいつの纏う黄金の鎧、その手甲。左手部分のみを創造し、あのサーヴァントの戦闘経験、戦術予測に至るまでを投影する。

 脳裏に映る光景。緑の髪の人形が、剣を携えて斬りかかる。その一撃を弾いたように、ヤツが振り下ろす干将の刀身を、横から殴りつけて軌道を逸らす。その打撃で、無理に投影した手甲は砕けてしまったが、ヤツの剣もまた大きな亀裂が入る。

 不思議と笑いそうになる。半人前の俺が、中途半端に投影しただけでもこの防御力。アーチャーの在り方を体現するように、あいつの持つ武具はどこまでも強い。なら、そんな強力な武器(サーヴァント)を、手放すなんてできるものか。

 

「そのためには、あいつと契約なんて切れない。あいつが悪さをしようっていうなら、マスターである俺が止める。それぐらいできなくちゃ、正義の味方なんかになれっこない……!」 

 

 友達ではないかもしれない。共犯者にはなれない。あいつは俺のことを、なんとも思ってはいないのかもしれない。味方よりも、敵になる可能性のほうが遥かに高かっただろう。

 それでも。こんな未熟なマスターでも、アーチャーは俺に付き合ってくれた。だったら──

 

「俺にはあいつが必要だ。俺のサーヴァントはあいつだけだ! おまえなんかに、どうこう言われる筋合いはない──!」

 

 渾身の突き。右手は折れかけ、おそらくはこれが最後の一撃になる。肺か喉がいかれたのか、血を吐きながらも、心臓目掛けて剣を放つ──!

 

「────ッ」

 

 ──バキン、と金属が砕ける音。

 

 万物を貫く勢いの一撃は、男に容易く防がれ──同時に、その白い刀身を木っ端微塵に打ち砕いた。

 防がれた反動で、俺の手からは投影した剣が飛んでいく。右半身ががら空きになった俺を見て、致命的な隙だと目を細める男だったが、俺が諦めていないことに気づくとはっとして吹き飛んだ剣の軌跡を追う。

 激しく回転する双剣が向かう先にいるのは、誰あろう鎖に縛られたアーチャー。その右手を戒める縛鎖に、黄金の刃が突き刺さらんとする。

 そう、最初からこれが狙いだった。俺だけではサーヴァントに勝てない。なら、絶対にアーチャーの力が必要だ。ヤツに気づかれず、意図を気づかせずに誘導し、あの鎖を破壊して……己がサーヴァントを助け出すのが目的だった。

 敵しか見えていなかった男と、どうやってこの一瞬を実現するかを考えていた俺の差だ。ヤツの剣を砕ききる前に限界を迎えた場合、こちらはどうやっても詰んでしまう。今の猛攻は、最初から二つの目的があったのだ。俺が意図した通り、弾かれた勢いのままに投擲した剣は、音を立てて鎖に激突し──

 

「なっ…………」

 

 ──砕けなかった。

 

 砕けたのは、投影した剣の方。まともに直撃を受けた鎖は大きく揺れ、幾重もの亀裂が入った。しかし、全てを断ち切るその手前で、鎖の硬度に黄金の剣が屈したのだ。

 右手だけでも自由になれば、アーチャーにはきっと打つ手があった。だけどあと一歩というところで、俺の決意は男の執念の前に敗北したのか。黄金のサーヴァントは解放されず、バランスを崩した俺の体は、滑稽に尻餅をついてしまう。

 そんな俺の無様さを。灰色の瞳の騎士が、冷ややかに見下ろしていた。

 

「そんな────届かなかった、のか」

 

「それがおまえの限界だ、衛宮士郎。

 オレはおまえの理想の極地。未熟な貴様では、英雄(オレ)に届くはずもない。いや──そもそも、貴様の間違えた願いなど、この世の誰にも届きはしない。

 ────さらばだ。理想を抱いて溺死しろ」

 

 左手の剣だけでは、渾身の振り下ろしを防げない。こんな姿勢では、どうやっても回避できない。いくら精神が折れておらずとも、直感も読み込んだ技術も知識も、全てが手遅れだと示していた。

 届かなかった。愚かさの代償だとでもいうように、俺めがけて黒剣が振り下ろされ────

 

 

 

「───いや。確かに、(オレ)に届いていたぞ」

 

 

 

 飛来する一矢。黄金の軌跡は、俺の頭蓋を割らんとする干将を直撃し、紙を裂くように打ち砕いた。

 唖然として、流れていったそれを追う。地面に突き刺さったその武器は、俺が投影していた贋作ではない、正真正銘のアーチャーの剣だった。

 俺とヤツが同時に、鎖に縛られた男を見る。しかし黄金のサーヴァントは、未だ戒めから抜け出せぬままだった。両手も両足も動かせぬはずなのに、どうやって剣を投擲したのかと、不可解さに頭が混乱する。

 

「貴様、どうやって────ッ────!」

 

 誰何しようとし、言葉を失う男。何を見たのか、愕然とした様子を見せるその男に遅れる形で、俺も異様さに気がついた。

 アーチャーの全身を、指一つ動かす隙間さえないほど縛り上げていた鎖。神すらも抜け出せぬであろうその戒めが、あろうことか、独りでに解けていく。それが鎖を操っていた男の意志ではないことは、火を見るより明らかだった。

 剣戟を交わすのも忘れ、有りえぬ事態に動けぬ俺たちをよそに、ついにアーチャーが自由になる。神を縛るという幻想の鎖は、その現実に堪えられなかったのか、霞のように消えていった。

 

「────まったく。()()()ながら融通の利かぬ奴だ。贋作とはいえ(オレ)の剣で斬られるまで、偽の主に忠を尽くそうとはな」

 

 こきこきと、体の調子を確かめるように首を回すアーチャー。彼が見ているのは、俺でもヤツでもなく、自ら解けていった鎖だった。

 

「自分が誰かをようやく思い出したと見える。ふん──あの一撃で、我が貴様を思い出し、貴様もまた我に気づくとはな。

 まったく……神どもの采配かは知らぬが、贋作が真実を()ぶとはつくづく度し難い話よ。斯様な奇縁もまた、(オレ)が王たる証と謳うべきか」

 

 どうしてか愉快げに、その鎖──いや、ここにはいない()()に語りかけるアーチャー。一体何を見たのかと疑問を抱いた刹那、サーヴァントがこちらに向き直る。

 黄金の威容は、些かたりとも傷ついていない。傲岸不遜な、天上天下に覇を示すかの如き存在感は普段どおりの姿。

 しかし──アーチャーが纏うその気配、そこから感じる見えざる力は、今までとは比較にならぬほど凄まじい領域だった。敵に回ったセイバーも、あの圧倒的なバーサーカーでさえも、今のアーチャーには届くまい。見ているだけでも、圧力で腰が引けそうになる。

 今やこの場を支配しているのは、あの黄金のサーヴァントだった──否、この場どころか、世界を支配して尚余りあると言われたとて疑いない威圧感。

 人智の及ばぬ赤い瞳が、酷薄に敵サーヴァントを見下ろす。それだけで膝を折りそうな凄絶な殺気に、男が一歩退いたのを感じた。

 

「だが、所詮は偽物が生み出した贋作に過ぎん。

 贋作者(フェイカー)風情が、王を縛らんと(たばか)ったばかりか、我が友の姿を象るその大罪────最早死すら生温い!」

 

 パチン、と黄金の騎士が指を鳴らす。その瞬間、弓兵の背後に、水のような波紋が浮かんだ。空中に沸き立つ黄金の門からは、刃の穂先が現れていく。

 二つ、四つ、八つ、十六──煌く刃は、さながら輝く星のごとく。極限まで磨き上げられ、殺意に燃える無数の武具は、主の号令一下放たれることを心待ちにしているのか。あの一つ一つが紛れもない宝具であり、どれほど途轍もない力を秘めているのかは想像の埒外だ。

 かつて剣の騎士が口にしていた言葉を思い出す。前回の聖杯戦争の折、黄金のサーヴァントは無限の宝具を縦横無尽に操ったと。あの騎士王ですら恐れを抱いた光景が、十年の時を経て今再び現れていた。

 

「裁定の時だ──頭を垂れよ、不敬!」

 

 剣が舞う。撃ち放たれた砲弾は、たった一撃でさえ容易に地形を変えるだろう。戦車砲どころか、誘導弾(ミサイル)に比肩する火力は、見るだけで死を確信させた。

 狙われた男は、ランサーすら目を剥くのではないかという速度で瞬時に遁走する。その姿を追い、宝具群が次々と地に炸裂し、土煙と衝撃波で俺まで転がされてしまう。公園の大地は、今や爆撃を受けたも同様の有様となった。

 サーヴァントとしての脚力を全力で発揮し、即座に数十メートルほど離れた敵だったが、さすがに全弾の回避は不可能だったのか。右手と左足は半ばへし折れ、腹部の大穴からは血が流れているが、その程度で済んでいるのがむしろ僥倖と言えるだろう。直撃を受けていたならば、肉片一つも残るまい。

 一転して、優勢な側が切り替わる。男は既に死に体、初弾でこの有様なら次弾を躱しきれるはずがない。外套を血で汚しながら、男は自嘲するようにニヒルな笑みを見せた。

 

「ここで力が戻るとは、先に仕留めるべきだったか……不覚を取ったな。

 しかし何故、君はその男に力を貸す? その小僧は、君の眼鏡に叶う存在ではあるまい。むしろ、真っ先に斬り捨てるものだと思っていたが?」

 

「ハ──言われるまでもない。まったく、このような雑種が我を()ぼうなど救いがたい愚かしさよ。

 謳う理想が借り物なら、掲げる刃は贋作ときた。何もかもが偽物など、それは価値ある真作への冒涜だ。そのような雑種(ゴミ)は見るに能わぬ」

 

 アーチャーが鼻で笑う。……カチンと来た。人の苦労も知らないで、好き放題言いやがって……!

 

「──だが」

 

 黄金の具足が、擦れて音を立てる。悠々と歩んできたサーヴァントは、俺から二歩分ほどのところで、おもむろにその足を止めた。

 その刹那、まるで天が慮ったように雲が割れた。降り注ぐ月光が、男の姿を讃えるかのごとく、その立ち姿を燦然と輝かせる。

 

 ──それは。あの始まりの夜の、再現だった。

 

 月光を背にした姿は、黄金。

 太陽さえ恥じ入るような輝きを放つ、黄金色の髪。

 どこまでも深い真紅の瞳は、何もかもを見透かすかのようで。

 金色の甲冑で武装した男は、酷薄な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。

 

「此奴は、不遜にも我の光輝に縋らんとする魔術師(マスター)だ。我に命を張る無礼(バカ)者を、これ以上野放しにしておけるものか」

 

 あの夜と同じように、黄金の英雄は赤い瞳で俺を射抜く。しかしあの時とは違い、弓兵の声に宿るのは冷酷さだけではない。愉快げな口ぶりは、この男の機嫌がすこぶる良いことを物語っている。

 

「人として生まれ落ちながら、その領分を超えた願いを持ち、己が欲のために憚りなく我を求め、真作への道を登らんとする。その稀有な愚かしさを、恥知らずな欲望を良しとするのが我の愉しみだ。これほど浅ましい人間を、我が救わずして誰が救う!」

 

 そう言い切ると、アーチャーはあのサーヴァントに向き直る。黄金の波紋が幾重にも空に浮かび、宝物の軍勢がその刃を覗かせる。その位置はまるで、俺をあの男から守っているようでもあった。

 ……聞き間違いかと疑ったが。いつものように、馬鹿にするような口ぶりではあったが。この男は、俺のことを肯定すると言ったのか──?

 

「立つがいい、衛宮士郎。我のマスターを名乗るのであれば、みすぼらしい姿を晒すのも大概にせよ」

 

 呆れて口を開けていると、アーチャーが見下したように嘲笑う。しかし、あいつが俺を呼ぶニュアンスは、普段のそれとは違っていた。このサーヴァントが名前を呼ぶなんて、ただでさえ、よほどでなければありえないのに──。

 その衝撃で、体が勝手に立ち直った。右手はおそらく折れていて、肋骨にも罅が入っている。手足も胴体も傷だらけで、どこを痛めたのかわからないが、口の中は逆流した血で気持ち悪い。頭痛はまるで収まらず、体の全てが今すぐ休めと必死に訴え続けている。

 だけど、魂は燃えていた。今は立ち上がる時だと、そう熱く叫んでいた。自分でも信じられないが──俺はこの男に、こんなにも気を許してしまっていたらしい。マスターだと正面から認められて、こうも発破をかけられただけで、痛みが飛んでしまうぐらいには──!

 

「それでいい。貴様の我欲に免じ、この戦のみ、我が宝物を使うことを許す。この英雄王の真の力、思うままに使うがいい!」

 

「アーチャー、アンタ──」

 

弓兵(アーチャー)? ふん──凡百の英霊どもと一緒くたにするな。この我に役割(クラス)などない。

 (オレ)は絶対にして始まりの王。英雄の中の英雄王──ギルガメッシュ。故に、貴様もそう呼ぶがよい」

 

 そう傲岸に告げると。黄金のサーヴァント──ギルガメッシュは、いつもの皮肉げな笑みを浮かべてみせた。




連続更新はここまでとなります。次回「29.英雄王」の更新まではもうしばらくお待ち下さい。

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